アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ   作:クリアウォーター

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決戦篇 伍
第六十七話


 第六十七話 力の代償

 

 

 ゴウとプランバムの最後の攻防より、わずかに時間を遡った玉座の大広間。

 大悟は自身が奥義と呼ぶ心意技《菩薩(ボーディ・サットヴァ)千手観音(サハスラブジャ)》を発動し、アイオライト・ボンズの上背ほどの大きさをした数多の掌が、間断なくリヴァイアサンめがけて掌底として打ち出され、光の届かない深海を思わせる黒穴へとリヴァイアサンを押し戻していく。これには理由があった。

 アウトローメンバーとの戦いの最中、リヴァイアサンはある程度時間経つ毎に、黒い穴に引き戻されるかのように吸い込まれていた。この間は仲間達の攻撃もほぼ無視してこれに抵抗している。

 この動きから、二つの仮説が大悟の頭に浮かんだ。リヴァイアサンは出て来た黒穴に一度戻ると、少なくとも自らの意思では再度出て来られないのではないかというもの。あるいは、元いた場所と繋がる扉である黒穴が閉じてしまうのではないかというものだ。

 実際、掌打の連撃を浴びる今の状況下においても、リヴァイアサンは一向に退こうとはしない。大悟は重点的に、リヴァイアサンの頭部と地面に着いた正面の胴体部分を狙って押し戻し、横に逸れようとすれば左右の側面どちらからでも掌底の方向を変えて放ち、これを阻んでいる。それでもリヴァイアサンは莫大な体力を持っているのだから、攻撃を食らいながらでも一旦退き下がることくらいはできるだろう。

 ──そうしないってことは、可能性は高い。いずれにせよ、これではっきりする……! 

 大悟の背後に浮かぶ三重だった光の輪は残り一重となり、一つの輪を構成している数百本の腕がリヴァイアサンへ一本、また一本と攻撃に向かっていく度に光輪は小さくなっていく。神獣(レジェンド)級並みのエネミーにも反撃を許さず、二分を過ぎても止まない心意技を大悟は放ち続け、リヴァイアサンの体力ゲージのほぼ一段分を一方的に削っていた。

 下手に介入して邪魔にならないよう、仲間達が固唾を呑んで見守る中、とうとうリヴァイアサンの体が約五メートルを残して黒穴に押し込められた形となる。

 このまま押し切ろうと、張り詰めた集中の糸を途切らせることのないように大悟が意識していた、その時。

 リヴァイアサンの閉じた口元から濛々(もうもう)とした蒸気が漏れ出し始めた。大悟の攻撃を受け続けても蒸気は止まらず、それどころか勢いが増していく。

 ──大技を出す気か! こうなったら賭けだ、頼むぞ神様仏様よ……! 

 リヴァイアサンが攻撃を放つよりも先に勝負を決めようと、大悟は残る心意の腕を一気に打ち出し、その半数をリヴァイアサンの顎下に向けてぶつけていく。

 じりじりと後ろに下がる巨体。こちらに照準を向かせないように、次々と怪物の顎に決まる掌底。あと少し、もう少し──。

 

「────────────────────ッッッ!!!!」

 

 上を向いて仰け反る海竜が超高音域の怒号を響かせると、噴煙らしきものが混じる大口径の水柱を吐き出した。噴火した海底火山のような一撃は、真上に位置する天井の一部分を一瞬で吹き飛ばして尚も放たれ続けている。

 

「さ、せる……かああああああああああっっ!!!!」

 

 憤怒を帯びた黄金色の両眼に睨まれた気がした大悟は、とにかく直撃すれば即死するであろう一撃を自分や後ろの仲間達に向かせることだけはさせまいと、リヴァイアサンの顎下に残る心意の腕全てを打ち込む。

 一分近く膠着状態の末、とうとう最後の腕の掌底が決まり、大悟の体から出ていた多色の過剰光(オーバーレイ)が消え去る。

 同時に、妨害のなくなったリヴァイアサンの頭が徐々に下へ向き、天井を破壊しながら高熱を帯びる水流が傾くも、大悟達に届く寸前に途切れた。

 

「はぁ……はぁ、どうにか──かっ、があっ……!」

 

 安堵する大悟の両腕が、絡んだ数珠と共に肩の付け根部分まで砕け散り、床に着く手も無く大悟は顔面から倒れ込む。強力な心意技の反動だ。それでもコロッサルとの戦闘がなければ、砕け散ることはなかっただろうが。

 仲間達が自分の名を呼ぶ声と駆け寄る足音が聞こえてくる。

 次の手を考えなければと思う大悟の横を何かが通り過ぎた。首だけを真正面に向けると、砕けた鱗を散らせるリヴァイアサンへと疾走していく白狐の姿が目に映る。

 

「《ハント・ダイブ》!」

 

《シェイプ・チェンジ》で完全な狐形態になった宇美が、あっという間にリヴァイアサンの元に辿り着き、必殺技であるロングジャンプでリヴァイアサンの目線まで迫っていた。

 

「はっ!」

 

 そして、三つに分裂した白い毛並みの尻尾を硬質化させると、その全てをリヴァイアサンの右眼へと突き刺した。

 さすがに眼球までは鱗のように鋼並みとはいかないらしく、リヴァイアサンがけたたましい金切り声を上げて、激しく首を振り乱す。その勢いで眼から尻尾が抜けて宙を舞う宇美を、隻眼で捉えたリヴァイアサンが大口を開けて襲いかかった。取り分けて長い牙が宇美に──。

 

「《べウィッチド・バイ・フォックス》!」

 

 触れる直前の技名発声。がちぃん! と牙が噛み合わさると白煙が発生し、立ち込める煙幕にリヴァイアサンが小さく唸る。

 

「ジャァァッジ!!」

「《玻璃印晶(クリスタル・シール)》!!」

 

 いつの間にか床に着地していた宇美が叫ぶと、間髪入れずに晶音が技名を発した。巨大な円柱型をした透き通る水晶が出現すると、水晶は釣鐘を突いて鳴らす撞木(しゅもく)のように一直線に飛来していく。

 煙に気を取られていたリヴァイアサンは避けるのが遅れて水晶に直撃し、喉元の真芯を捉えた水晶に押されて、頭から黒穴へと突っ込んでいった。胴体もつられて奥へと引き込まれて全身が黒穴に入ったその途端、何と飛沫を飛び散らせながら、ギュルン! と黒穴の縁が回転して小さく縮んでいくではないか。

 

「やった……」

 

 周りに集まった仲間か、あるいは自分が無意識に言ったのか、誰かが呟いた。

 

「────ッ! ────ッッ!!」

 

 あっという間に縮小していく黒穴から、リヴァイアサンが長く伸びた口吻をねじ込み、わずかに開いた口からさかんに吼え猛る。

 仲間達が身構えるが、心配は杞憂だった。

 穴の縮小は止まらず、ずるずると口吻は向こう側へと下がっていき、恨み言を吐いているかのような叫びも小さくなっていく。最後には、とぷん……という小さな音が波紋と共に発生した後に完全に黒穴は消え去った。

 大悟はうつ伏せから転がり、仰向けになると腰を曲げ、反動で一気に立ち上がって息を吐く。

 

「……よっと、はぁー……。あいつ、無事でいるだろうな──……?」

 

 ──ドドドドドド……。

 

 大きく息を吐いてからゴウの身を案じたのも束の間、何か音が聞こえてくるので大悟は耳を澄ませた。

 

「おいおい、お次は何だってんだよ」

「上からだ……」

「ねー……この音、聞き覚えがあるんだけどー……?」

「キューブ君も? わ、私も……」

 

 もう勘弁してくれといった様子のキルン。上に開いた、というよりも吹き飛んだ天井を見上げるメモリー。最後に不安そうにキューブがリキュールに確認していると、答えは上から降ってきた。

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!! 

 

「ちょっと、またなのぉー!?」

「あぁ駄目だ……。お、俺もう動けねぇ……」

 

 メディックは喚き、メディックの心意技《栄養満点活力源(エクストラ・エナジー・エッグ)》の副作用によって、一時のパワーアップの効果が切れ、副作用で極度の倦怠感を引き起こしたコングがばったりと倒れる。

 そして、ほんの数時間前に一同が閉じ込められ、水責めによって散り散りにされた部屋の罠の比ではない量の海水が、大悟達の頭上へと一気に降り注いだ。

 

 

 

 プランバムを倒した後に、すぐに地面へ叩き付けられたことで案の定ゴウは死亡していた。

 幽霊状態で己とプランバムの心意技によって完膚なきまでに荒れ果てた部屋を、死亡マーカーからの移動限界である半径十メートルまでの範囲をうろつき回る。

 ひたすらに大悟達の安否が気にかかる。

 プランバムを倒せばリヴァイアサンも消えるかもしれないとあの場を離れはしたが、あれも今になってよくよく考えれば方便だった。思い返せば思い返すほどに本心ではゴウは、プランバムとの決着に比重が傾いていたことが明確になっていく。

 自分の考えが間違っていたとして、もう仲間達は一度リヴァイアサン相手に全滅してしまったのではないか。そうなったとすれば、自分が残っていても事態は変わらないだろうが、一人で勝手に突っ走って私情を優先させただけではないのだろうか。

 あの場から離れた時にいなかったメンバーが駆けつけたとしても、状況は好転するのか。そもそも部屋の入口を占拠したように黒穴が出現していたのに、外から入れるのか。

 などと、こうして他に何もできない手持ち無沙汰の状態だと頭だけがやけに働く。それも悪い方向に。

 死亡から悶々と悩むこと数分、変化は唐突に訪れた。

 

「うわぁ! ……な、何だ!?」

 

 地面を突き破って謎の柱が出現し、ゴウは実体の無い身であっても反射的に飛び退いた。部屋の天井にも穴を開けてそびえる柱をよく見ると、柱ではなく水流のようだ。ただし、その威力は間欠泉を数倍から数十倍にしたもので、太さは半径数メートルにも及んでいる。

 そんな中、ゴウは半透明の体が地面へと沈み始めたことでぎょっとしてしまう。一体何なのかと慌てていると、答えはすぐに分かった。

 水流が噴き出た場所に位置する死亡マーカーが、足場が失われたことにより、下へ下へと下降し始めているのだ。こうなれば当然、ゴウも強制的に下の地面へと沈んでいく。

 地面に完全に沈むと真っ暗で何も見えないので、仕方なく水流の柱の中に移動するも、こちらはほとんど真っ白で大差はなかった。

 しばらくすると、水流は傾きながら厚い岩盤を穿っていった後に消え去り、入れ替わるように真上から滝よろしく大量の水が降ってきた。幽霊状態のモノクロにしか映らない目には泡立つ白水(しらみず)しか見えず、耳からは轟々とした水の流れる音しか入ってこない。

 それらがようやく収まると、ゴウは水中に沈む瓦礫の上に降り立っていた。一体ここはどこなのかと確認しようにも、水が濁っていて先はほとんど見えない。

 実体の無い身でも動ける範囲で探ろうとすると、またしても変化が起きた。

 遠くから無数の鐘の音が鳴り響くような音が聞こえたかと思うと、水で満たされた空間の大穴、というより天井の一部が吹き飛んでいる場所から、白と黒のグラデーションで彩られた光が降り注いだのだ。モノクロでしか光は見えないが、聞き覚えのある音もあって、ゴウはこの現象が何なのか瞬時に理解し、同時に青ざめる。

 

「変遷……!? よりにもよって今……」

 

 まさかこのタイミングなのかと驚く間もなく、変遷の影響で周囲の水は消え去り、足元の瓦礫は大理石の床に変わり、一時間の待機時間をショートカットして、ゴウは回転するマーカーからダイヤモンド・オーガーとして復活する。

 それはゴウの隣に並ぶもう一つのマーカーも同様だった。大悟と連携しダメージを与えていき、経典の一度限りの心意技が込められた奇跡のリプレイ・カードの力も借りて、ようやく勝利したプランバムが正面に現れる。

 互いに同じ場所で死亡した以上、再戦の覚悟はもちろんあったが、さすがにこうも早いとはゴウは夢にも思わなかった。反射的に距離を取ろうと足に力を込めたが、後ろに倒れ込んでしまう。

 

「うっ!?」

 

 緊張で足がもつれたのではない。体力は全快、意識もはっきりしているのに体がいうことをきかない。力が入らない。

 ──やっぱり……さっきの心意技の影響か……。

 強大すぎる力の反動が、復活したアバターの体の基本制御にさえ影響を及ぼしているのだろうかと推測するゴウ。どうにか首を傾けると、あれだけ強力な心意技を発動したプランバムの方は、ゴウのように倒れたりはせず、仮面に覆われた顔をこちらに向けて立っている。

 

「──オーガー……? オーガー!」

 

 後方で誰かの声がする。知っている人の切羽詰った声。他にもゴウに逃げるよう促したり、誰かが誰かにプランバムを攻撃するように指示を出す声が聞こえてくる。

 

「…………」

 

 プランバムは何も言わずにゴウの後方に顔を向けると、すぐにゴウへと戻し、右腕を動かした。

 万事休すかと観念するゴウは、せめてうろたえるような真似は見せまいとプランバムから顔を逸らさずにじっと見据え──。

 

 がしゃん。

 

 何の前触れもなくプランバムの右腕が音を立てて床に落ちた。誰も何もしていない。それなのに右腕が取れたプランバムはゆっくりと後ろへと傾くと、ゴウと同様に仰向けに倒れていった。

 

「オーガー! しっかり!」

 

 呆然としてプランバムを見ていたゴウに、最初に駆け寄ったのは宇美だった。状況はかなり違うが、初めて心意技を発動し暴走した結果、力尽きた時も同じ台詞を宇美に言われていたことを思い出す。

 そうしている内に両腕の無い大悟を始めとした、メディックにリキュール、キルン、そしてキューブとメモリーに左右から支えられているコング。傷だらけの仲間達がゴウの元に集まってきて、ようやくゴウは自分がどこに落下したのかを理解した。

 

「ここは……さっきまでいた……」

 

 宇美とメディックに上半身を起こされ、ゴウは支えられながら辺りを見渡す。プランバムに意識を割きすぎていて気が付かなかったが、ここはダンジョン最深部。玉座の大広間は変遷によって修復され、ゴウが最初に見た時のように絢爛豪華な様相を取り戻していた。

 前方にある入口の扉と十メートルも離れていない場所にいるゴウは、入口を覆っていた黒穴とそこから出現したリヴァイアサンも消えていることを確認し、顔がぱっと明るくなる。

 

「じゃあ……皆さん、勝ったんですね……!」

「勝ったと言うか、押し返したと言うか……何とかね。その後に瓦礫と海水に押し潰されかけもしたけど、こうして生きてるよ」

「お互い、かなり無茶をしたみたいだな」

 

 宇美は頷き、大悟がゴウの体を観察するようにじっと覗き込む。

 

「はは……両腕無くした師匠なんて初めて見ました……。良かった、キルンさん、メモリーさん、コングさんも合流できて──そうだ、プランバムは……!」

 

 傷だらけであっても仲間が全員合流して生きている嬉しさから、つい意識から離れていたプランバムを見ると、その有様はひどいものだった。

 プランバムは右腕の他に右脚も取れ、ポリゴン片となって散っている。流体金属の服は左上半身が破れ、むき出しの左胸に埋まる《オリハルコン》が弱々しく瞬く。顔を覆っていた仮面は完全に砕け散っていて、仮面を固定していたリングを残して顔面が露わになっていた。

 これらプランバムの負傷している部分のほとんどは、先程までの自分達との戦いによるものだ。だが、死亡から変遷を経て復活したのに、どうして再び同じように傷付いているのかがゴウには分からない。

 

「師匠、これは……心意技の反動なんですか?」

「……分からん。仮にそうだとしても、ここまでひどくなるとは考え辛いな……」

 

 ゴウは大悟に訊ねるも、彼にも明確には分からないらしい。

 仲間達もこうではないかとあれこれ推察を口に出し始めると、プランバム当人がアイレンズを明滅させながら呟く。

 

「……成程、な。これが……そうなのか……」

 

 声には軋み上げるような歪んだエフェクトと、少し(しゃが)れた壮年じみた部分が消えていて、弱々しくも落ち着いた青年の声となっている。ゴウと戦っていた時には《オリハルコン》同様の黄金色だったアイレンズは、今は紺色だ。これが元のアイレンズの色なのだろうか。

 

 ──ええ、その通りです。

 

 すると、何かに納得しているような様子のプランバムに応える声が響いた。

 プランバムの頭のすぐ近く、大理石の床から水が(にじ)み出したかと思うと、ごぼごぼと音を立てながら隆起していく。水は不定形の塊となって屹立するといきなり弾け、そこには一人の女性が立っていた。

 薄絹の衣に、両腕には真珠の埋め込まれた腕輪。足首からふくらはぎにかけて白波を思わせるデザインをした装飾具。ウェーブのかかった栗毛の長髪に、珊瑚で作られた冠をのせた美貌は瞳を閉じている。

 人間ではない。ゴウは女性を一目見てそう思った。

 加速世界に生身の人間がいるはずがないだとか、いきなり水の柱から現れたからとかではなく、目の前にいる女性からは生命を感じられないのだ。それでいて、どこか神聖ささえ感じさせる底知れない気配を醸し出している。

 そんな謎の女性が登場して、最初に口を開いたのは晶音だった。

 

「ダンジョンの管理AI……?」

「正解です。私はこの《アトランティス》管理用システムAI《テティス》と申します」

 

 瞳を閉じたままのテティスと名乗るAIの落ち着いた声は間違いなく、たった今プランバムに応えたものだ。こんなに近くにいるのに、どこか遠い潮騒(しおさい)の彼方から聞こえてくるような印象を受ける、不思議な声音でテティスは続ける。

 

「……悠久なる時が過ぎ、とうとう現れたこのダンジョンの《主》となる戦士。しかし、こんなにも早く敗北してしまうとは想定外でした」

「《主》……?」

 

 わずかに憂いを帯びたテティスの台詞に違和感を持つゴウ。ダンジョンは攻略する、制覇する場所であって、《主》という言い方ではまるで、ダンジョンを治める領主のようではないか。

 大悟もゴウと同じように感じたらしく、テティスを問い詰める。

 

「詳しく聞かせてもらおうか。このダンジョンは何なんだ? 出現条件といい、どうにも謎が多すぎる……っと、それよりもまずは《オリハルコン》についてだ。その男の有様は左胸に融合したアイテムが原因なのか?」

「お答えしましょう。戦士の質問には知る限りを答えるのが私の義務です」

 

 両腕が無い大悟が顎を動かしてプランバムを示すと、バーストリンカーを戦士と呼ぶテティスは二つ返事で頷いた。

 

「この場所……最深部に納められた《オリハルコン》を手に入れた者は、アトランティス内のシステムへの干渉、封印された高位《ビーイング》の召喚と制御に加えて、戦士として破格の力を得ます。……ただし、メリットばかりではありません」

 

 テティスが倒れたまま沈黙するプランバムに顔を向ける。

 

「《オリハルコン》は身に宿すのに数時間に及ぶ時を要し、宿した《主》である戦士は、権限と潜在能力の引き上げを引き替えに一度でも体力を全て失えば、受けた傷は二度と回復することはありません。たとえこの世界から一度離れたとしても、再び降り立った瞬間にその身は傷付き、かろうじて《オリハルコン》によって生を繋ぎ止められている状態となります。今の彼のように」

 

 明かされた力の代償は、ゴウの予想を遥かに超える重いものだった。王並みの力と調教(テイム)されたエネミー(話の流れからして、ビーイングとはエネミーを指すものなのだろう)が手に入るのを差し引いたとしても、デメリットは余りあるものだ。

 

「《オリハルコン》は一度装備してしまえば装着者の一部として取り込まれ、破棄は不可能。強大な力を得る代わりに呪いを受けると言っても過言ではないでしょう。これらのことを《オリハルコン》が完全に融合する前に私は彼に説明し、彼は了承しました」

「当然だ」

 

 彼と指されたプランバムは、声を掠れさせながらも断言する。

 

「不退転の覚悟も無く……世界の何が変えられるのか。迷う理由にもならない」

 

 それだけの覚悟だった、と捉えていいのだろうか。

 自分だけが一撃を受けただけでほぼ死亡する、常に一方的なサドンデス状態に近い。そんなプレッシャーには自分はとても耐えられそうにないとゴウは戦慄する。

 

「……《オリハルコン》については分かった。だが、リスクは一度置いておいてだ。それだけの能力を得られるアイテムのあるダンジョンにしては、防御機構が手緩(てぬる)すぎる。凄さのベクトルは違えど《神器》に匹敵するアイテムが安置された場所を、十人そこそこのパーティーで一人も一度も死亡することなく最深部まで到達なんざ、普通は有り得ない。それに……誰かここに来るまで、あのリヴァイアサン以外のエネミーに遭遇した奴はいるか?」

 

 難しそうな顔を作る大悟に、ゴウも含めた全員が首を横に振る。

 大悟の疑問はもっともで、後半は罠があったが即死するような凶悪なものはなく、前半など罠すら存在しなかった。ダンジョンに必ずといっていいレベルで棲息しているらしいエネミーも、影も形も現れなかった。

 エピュラシオンメンバーがダンジョン各所に配置されていなければ、他の皆ももっと早くここまで辿り着けただろうし、その分のダメージも負わなかったはずだ。

 それでいて知らなければまず発見されないであろう場所に、決められた日の時間にしか現れず、他に類を見ないアイテムが眠っていたダンジョン、アトランティス。

 一言で表せば、不自然。そう、何もかもがちぐはぐなのだ。

 

「……もっともな疑問でしょう。その問いの答えとしましては、このダンジョンが未完成だからです」

「未完成……?」

 

 かすかに顔を伏せるテティスの答えは、ゴウにはよく分からないものだった。今まさに自分達はアトランティスというダンジョンの内部にいるというのに、何が未完成だというのか。

 

「このアトランティスとは元来、創造主によって創り出された三つの《移動式ダンジョン兼エリア》の一つなのです。私に組み込まれたデータベースには《BB(ブレイン・バースト)・ムーブメントエリア・プロトコル》と記録されています」

 

 移動式ダンジョン、という単語を聞いて全員が目を剥いた。このダンジョンごと動くというのはさすがに信じられない。

 それに創造主という存在。つまりはブレイン・バーストの製作者ないし製作に関わる人間の存在であることは、テティスの話から明白だ。

 

「動く要塞をコンセプトにした、移動可能な土地。制御キーにして、迷宮の《主》の証たる秘宝。高位ビーイングでありながら《主》に導かれ、従うことを課せられた神獣。これら三つが備わり、陸海空のそれぞれをテーマとした三つの試作ダンジョン。それが《BB・ムーブメントエリア・プロトコル》。……ところが、最終調整の段階で計画は停止。平行して創られていた、管理AI同士のリンク切断と同時に残り二つのダンジョンの消去を確認。以降、創造主からの介入は今日(こんにち)まで一度としてありません」

「ゲームバランスの崩壊……かな。実現したら他のプレイヤーとの格差が大きくなりすぎる。レベル1とレベル9の差なんて目じゃないほどに」

 

 ブレイン・バーストというアプリケーションそのものに関わる情報を聞いたメモリーがそう言うと、やはりどこか悲しげにテティスは頷く。

 

「おそらくは。それ故にこの場所はあらゆるバグが修正もされずに、放置されたままとなっているのです。閉鎖空間と言ってもいいでしょう。本来ならば外部の変遷(トランジション)現象の影響も受けないのですが──」

 

 そこでテティスはゴウの方へと手を向けた。変わらずに瞳を閉じたままに。

 

「《世界の理へ干渉する力》……貴方がたはシンイと呼んでいましたね? 私のデータベースには記載されていない現象ですが、そちらの戦士のシンイによってダンジョン外壁が激しく損傷しました。そこにビーイング・リヴァイアサンの攻撃が追い討ちをかける形になり、外壁が完全に破損。海水の大量流入による異常事態に、ダンジョンに備わっている変遷現象のリカバリー機能を応用した保全プログラムが自動発動して、今回は内部修復が行われたのです」

「と、トランジション……? つ、つまり今回発生したのは本物の変遷じゃない……? それじゃあ、僕らの戦いをずっと見ていたってこと?」

「当然です、管理AIなので」

 

 つらつらと聞いたこともないシステムの名称を交えて説明するテティスは、ゴウの質問に対してきっぱりと断言した。AIがダンジョン全体の状況を把握しているのは、当然と言えば当然か。

 

「しかし、一方で創造主は未完成なこの場所を、他の二つのダンジョンのように消去することもまたしませんでした。その上、外部に情報を記したアイテムオブジェクトを遺していた。そうして貴方がたはここに訪れることができたのでしょう?」

 

 テティスの話を聞くに、どうして製作者はこのダンジョンを残したままにしているのか。確かにそこは一番不可解ではある。

 

「……創造主の真意は私には図りかねます。計画は頓挫させたというのに、三つのダンジョンの内、何故ここだけを消去しなかったのか。私はそれを知る手段を持ち合わせていません。しかし私は思うのです。何らかの事情があって調整もできず、止む無く完成させることができなかったのだと……。それでも、このダンジョンを戦士達が挑戦するのを望んだのではないかと……」

 

 ここにきてテティスの言葉にプログラムとは思えない、非常に繊細な感情の機微らしきものをゴウは強く感じ取り、それはテティス自身がそうであってほしいと切実に望んでいるようにも見えた。

 

「私はAIとして、必要な知識を全て組み込まれた状態でこの世界に誕生しました。そうして永遠にも思える数千年の時間を、戦士達が訪れるのをひたすら待ち続ける内に……いつしか『自ら思考する』という行動を取るようになりました。そうした中で、私が作り出された意味があるのではないかと思考し始めたのです。──電子記号で作り出されたAIが何をと思うでしょう?」

「……そんなことはない」

 

 意外なことに口を挟んだのはプランバムだった。微動だにせず、テティスを見ることもしていないが、その口調には確固たる意志が込められている。

 

「己に存在意義を見出そうとすることは、知能ある存在であれば当然のこと。それは決して間違いなどではない」

 

 プランバムがそう言うと、テティスはかすかに口元を綻ばせてから、小さく会釈する。

 

「……貴方の発言には少し胸を打つものがありました。感謝します」

「口を開いたついでに、私の話も聞いてくれますか? プランバム・ウェイト」

 

 晶音がずいと前に出て、プランバムの真横に立った。

 プランバムは首を動かさないまま、晶音を横目で見やる。

 

「……貴様がクリスタル・ジャッジか。スコーピオンがやたらと警戒をしていた。アトランティスについて記された、あの本の存在を知っていると……」

「そのスコーピオンをここに来る道中、倒してきました。貴方は彼がどうやってあの本型アイテムを手にしたかを知って──いえ……それよりも彼についてどこまで知っていますか?」

「……? どういう意味だ?」

「その様子、(シラ)を切っているようには見えませんね。……皆さんにも聞いてほしいことがあります」

 

 不可解そうな様子のプランバムを見た晶音が、ゴウ達にも話を聞くように促してから語り出す。

 始めにスコーピオンが横浜エリアで活動していたレギオン、リチェルカ崩壊させたこととその経緯。そこまではアウトローでも周知のことだったが、続いて晶音から明かされた内容は、晶音と宇美が交戦したスコーピオンが、加速世界を騒がせている闇の心意技を使わせる強化外装、ISSキットを使用したという衝撃的な内容だった。

 プランバムと現場に居合わせた宇美を除く全員が驚き、話を聞き終えた後にプランバムが静かに呟く。

 

「……奴がエピュラシオンに加入したのはおよそ一年半前。貴様の話と時間軸は一致する」

「では、貴方はリチェルカのことを何も知らないのですか?」

「知らぬ。横浜エリアでスコーピオンが活動していたことも、ISSキットを所持していたことも初耳だ。ISSキットか……使いこなしていた上に、加速研究会との繋がりまであるやもしれぬとはな。……まさに獅子身中の虫だったという訳だ、あの蠍めが。必ず報いを受けさせてくれる。しかし──」

 

 バタァン! 

 

 プランバムが苦々しげに顔をしかめていると、大広間の入口の扉が音を立てて勢いよく開き、一斉に皆がそちらに引き付けられた。

 

「主!」

 

 大広間に飛び込んできたのは、この大広間の前に位置する部屋で大悟に倒され、変遷(厳密には違うらしいが)の影響で復活したエピュラシオン副長、チタン・コロッサルだった。

 瀕死の状態である、自らが主と呼ぶプランバム。静かながらに存在感を示すテティス。そして、プランバムの元に集まっているゴウ達を順に見回すと、コロッサルは肩を怒らせながらずんずんと近付いてくる。

 

「おのれ……貴様ら……!」

「よせ、コロッサル」

 

 宥めるようなプランバムの一言に、コロッサルからすぐに怒気が消えるも、その表情は複雑そうで、納得はしていないのが見て取れる。

 

「しかし、主……」

「貴様にだけは《オリハルコン》の代償を、配備する前に伝えただろう。勝敗は決したのだ。我らの……敗北という形でな」

「ぐ…………」

 

 コロッサルが駆け寄って食い下がるも、とうとう口に出してプランバムは戦いの決着を認めると、静かに言い放つ。

 

「……最後にこの戦いの幕を閉じるとしよう。私の……永久退場によって」

 


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