アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ   作:クリアウォーター

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第七十一話

 第七十一話 菫青石と水晶

 

 

 思えば、『彼女』から見た自分の第一印象はほとんど最悪だったろうと、大悟はあの頃を振り返れば、今でも断言できる自信がある。

 現在より七年以上前のある日、弟の経典がブレイン・バーストにおける《子》を作ったと、本人から聞かされた時は耳を疑ったものだ。

 当時病院に通っていると、経典の姿が何度か見えなくなる時が度々あった。気になりはしたが、戻る前と後で特に変わった様子のない経典に、大悟は追いかけて様子を見ようという考え、ひいては体力も無かった。この頃の大悟は、経典よりも輪をかけて虚弱だったからだ。

 経典から《子》の存在を知らされ、更には紹介したいと言われたその日。

 病院で経典としばらく待っていると、『彼女』が来たことに気付いた経典が手を振って呼ぶ。

 岩戸晶音。自分達兄弟より少しだけ背の高い同い年で、自分達が順当に小学校に通っていたら同学年だという少女。

 正直なところ、大悟は晶音に良い印象を持たなかった。晶音がどうという話ではない。もっと根本的に、経典が《子》を作っていたことが面白くなかったのだ。実際に対面したことでようやく実感が湧き、理不尽にも怒りさえ湧いてくる。

 体が弱く、学校にも通えていなかった大悟に友人はおらず、故に《子》を作ろうとは考えもしていなかった。そもそも加速世界に友人でありライバルでもある人物は何人かいたし、現実でも経典が、家族がいることで寂しさとも無縁である。

 対して経典は自分と同じ立場にありながら、ブレイン・バーストのコピー資格がある人間を探し出し、実際にコピーインストールを成功させている。

 簡単に言えば加速世界を除き、身内以外で人との繋がりがほとんどなかった大悟は、新たに人と繋がりを作った経典が抜け駆けをしたように感じ、ある種の嫉妬を覚えたのだ。

 そんな自分の内心など知るわけがない晶音への態度は、現在ではさすがに大悟も反省している。実年齢は同い年でも、加速世界で過ごした時間を加算すれば十三、四歳になっていたであろう当時、小学三年生の少女への態度としては、あまりにも褒められたものではなかった。

 すると、おどおどしていた晶音は精一杯の勇気を振り絞るように、声を震わせながらも大悟に食ってかかった。驚くことに腹を立てた理由は、自分ではなく、経典が貶されたように感じたかららしい。

 大悟は内心たじろぎながらも、自分から仕掛けた手前、情けない姿は見せるまいと虚勢を張っていると、経典が言い合う自分達の仲裁に入り、大悟は頼まれて晶音の初対戦の相手をすることになる。

 しぶしぶ対戦を了承し、チュートリアルも兼ねた乱入をした大悟が対戦フィールドに降り立つと、対戦相手であるデュエルアバターの姿に目を奪われた。

 見たことのない……のは当然だが、何から何まで透明に透き通っている、美しく儚げなF型アバター。デュエルアバターを綺麗だと思い、見惚れたのは初めてだった。

 しかし、今の今まで口喧嘩していた相手を、ここで掌を返すように褒めるのは面子的に憚られる大悟は、まるでガラス人形だ、それで戦闘ができるのか、と本音とは少し異なる感想をクリスタル・ジャッジこと晶音に言い放った。

 この日から大悟は、経典の他に晶音ともブレイン・バーストにおいて行動を共にするようになる。当初は紆余曲折ありながらも、自身の初対面での振る舞いを大悟が謝罪したことで、しばらく続いた晶音との剣呑な関係は一応解消された。

 初めてできた後輩とも言える存在。弟の《子》という近いようで遠い、遠いようで近い不思議な間柄。

 その性格は生真面目すぎるきらいがあり、デュエルアバターの体同様、何かの拍子で砕けてしまいそうな脆さを持っていることに、大悟は割と早い段階で気付いた。その為、向こうからしてみればお節介だろうと分かってはいたが、度々忠告もしていた。

 これに一応自覚はあるらしい晶音が軽く言い返し、経典は時折仲裁しつつも、兄と《子》の言い合いを楽しそうに眺めているのが、当時のワンセット。

 終わりは、その足音が聞こえるどころか、まだ存在さえもしていなかった。

 

 

 

 この日は四月まで残り数日。大悟が晶音と出会ってもうすぐ一年になる頃だった。

 

 ──『ありがとう……戦ってくれて。これを……』

 

 瀕死の経典から一枚のカードを押し付けられる形で大悟が受け取ると、経典の右腕がだらりと下がる。

 初めてのサドンデス・マッチ。相手はブレイン・バーストを同時に始めた、実の弟。

 心意技は使わなかった。純粋な対戦をするのに、システム外の力などお呼びではない。

 

 ──『リプレイ・カードに心意システムを組み込んだ……つもりだ……。運が良ければ……力になってくれる。……使う気がないなら、いずれ……出会うかもしれない誰かに渡して……』

 

 息も絶え絶えにカードについて説明する経典。無制限中立フィールドでは自分以外の体力は見えないが、残り数ドット程度だろう。

 振るう指揮棒(タクト)と奏でる歌で仲間を導き、支えることから、《指輝官(マエストロ)》と呼ばれたバーストリンカー、カナリア・コンダクター──経典の礼服型の装甲は亀裂だらけで左腕は肩口から無く、腹にはアイオライト・ボンズ──大悟の右腕が貫通している。

 一方の大悟も損傷具合は負けず劣らずで、加えて一つのアビリティの発生源である、額に位置するアイレンズは砕かれていた。

 

 ──『アウトローを……頼んだよ。それに……あの子のことも……』

 

 経典は満足そうにそう言うと、大悟に向かって倒れ込んだ。その拍子に刺さった腕がより深く腹部に食い込んだことで、体力の限界を迎えたデュエルアバターの体が砕け散る。

 屹立する金糸雀色の柱が大悟の体の一部に触れていたが、すぐに細くなって消え、散らばっていた黄色い欠片もリボンになって宙に消え去った。

 しばらく呆然と空を眺めてから、その後どこのポータルから現実世界に戻ったのか、大悟は憶えていない。

 視界が回復すると、目の前には互いのニューロリンカーをケーブルで繋いだ、痩せ細った弟。

 大悟が思考発声で経典に「ブレイン・バースト」と伝えると、経典は首を傾げる。その所作だけで記憶が消えていることは充分に理解できた。

 それからすぐに晶音が部屋を訪れ──ものの一分もしない内に飛び出していった。

 彼女が自分の選んだ《子》である記憶さえも失った経典が、難しそうな顔で記憶を辿ろうとしている。

 

 ──『あの子……泣いてたよね。どこかで会ったかな? 他人とは思えないのに、全然思い出せない……。ねぇ大悟、あの子は誰だっけ……?』

 

 そんな経典の思考発声に自分が何と答えたのか。やはり大悟は憶えていない。

 

 

 

 墓の並ぶ道を大悟は走る。角を曲がるとすぐに、前を歩く晶音と呼び止めようとしている宇美の姿を捉えた。

 

「岩戸!」

 

 この距離なら間違いなく聞こえているはずなのに返事はない。宇美がこちらを指で差し示して晶音に止まるように言っても、晶音は構わずに進み続けている。

 ──あんの頑固者が……。

 頑なな晶音の態度に、さすがに苛立ち始める大悟。追いかけて物理的に止めることもできなくはないが、こうなると意地でも彼女自身の意思で足を止めさせたくなる。

 そこで、一つ案が浮かんだ大悟は軽く息を吸うと、先程よりも大きな声で彼女を呼ぶ。

 

「────晶音!!」

 

 すると、晶音がようやく立ち止まり、こちらを振り返った。

 思っていた以上に声が大きく出てしまい、周りに人がいなくてよかったと内心で胸を撫で下ろしながら、大悟は小走りで晶音に近付いていく。

 

「やぁっと、こっちを向いたか」

「……どうして今更名前で呼ぶのですか。再会してからずっと苗字で呼んでいたのに……」

「普通に呼んでいるのにお前さんが反応しないからだろうが。大体、先週会った時にお前さんが先に俺を苗字で呼ぶもんだから、こっちも同じように返しただけのこと。経典はそのままなのに……ってそこは今どうでもいい」

 

 空気を呼んだように黙って下がる宇美に小さく会釈してから、大悟は本題に入る。

 

「……アウトローに戻ってこいよ。その……メディックもコングもお前さんが帰ってきて、また一緒にやっていくものだと思っているぞ。あいつら、『またね』って言っていただろ?」

 

 ──いや、そうじゃないだろう。

 つい仲間達を引き合いに出してしまったことに、内心で歯噛みしながら大悟が詰め寄ると、やや迷ってから晶音は首を振る。

 

「…………私は戻りません。その資格がありませんから」

「何を分からんことを……。資格なんか要らない。ゴウの預かった経典の伝言を聞いただろ? 経典だってお前さんがまだアウトローにいるって──」

 

 ──だから……そうじゃないだろうって。

 間違ってはいないが、本当に伝えたいことではない言葉が大悟の口を突いて出る。すると──。

 

「でも私は、ずっと貴方達から逃げていた」

 

 晶音がそれを遮るように言い放った。

 

「経典君は自分がいなくなっても私があの場所で貴方達と……それに新しく増えた仲間と一緒にいると想定していました。けれど実際は違う。私は貴方達から離れていってしまった」

「それは……引越しをしたからだろ。仕方がない、子供にはどうにもならない事情だ」

「電車を使えば一時間もせずに東京に行ける距離です。会おうと思えばいつでも会えるのに、私はそうはしませんでした。それはあの日……経典君がブレイン・バーストを失った姿を見て──今日まで私は経典君のことを心のどこかで恨んでいたからです」

「……!!」

 

 俯いたまま、辛そうに白状する晶音がどんな表情をしているのか、大悟には見えなかった。

 

「あの時……経典君が永久退場して、私を忘れてしまった。そのことがとても悲しくて、耐え切れなくなって病室から飛び出しました。その時、《子》である私に何も言わずに加速世界を去った彼に対する怒りも、私の胸の中にあったのだと後で確信しました。考えれば考えるほどに、本当は私のことなんてどうでも良かったのではないかと、悪い方向に思考が進んでしまうのです。もしかすると、それは他の皆も同じだったのではないかと……そう思うと怖くて、足が竦んで動けなくなってしまう。それがアウトローに戻らなかった理由です」

「…………」

「馬鹿な話だと思うでしょう? 足の届く深さの泥沼で、一人で勝手にもがいているようなものなのですから。実際はコングもメディックも飛びついて迎え入れてくれて……。それに経典君は、ちゃんと私のことを想ってくれていた。……彼の遺していた言葉を聞いて、私は自分が恥ずかしいのです。経典君が仲間を蔑ろにするはずがないのに、私は彼を信じきれていなかった……。そんな人間が今更になって戻ろうなどという虫の良い話が、許されるわけがないでしょう」

「…………」

「これがアウトローに戻らない理由です。分かったでしょう、だから──!?」

 

 黙って話を聞いていた大悟は、両手で晶音の頭をおもむろに掴み、俯いている顔を上げさせた。

 

「俺の目を見ろ」

「な、なにを……」

「いいから見ろ」

 

 目を白黒させる晶音にそう言い聞かせ、目が合ったところで大悟は話を切り出した。

 

「……まず大前提として、お前さんが負い目を感じる必要は全くない。悪いのは……俺と経典だった」

「え……?」

 

 困惑する晶音。

 彼女は先の見えない迷路の中を一人で彷徨(さまよ)っている。ならば、その迷路を作り出させてしまった一人である、自分が助けなければならないと大悟は思った。

 

「経典がお前さんに何も言わなかったのは、自分のバーストリンカーとしての死に様を見せたくなかったと同時に、お前さんの悲しむ姿を見たくなかったんだと俺は思う。でも、それは間違いだった」

 

 病気が進行して残された時間が限りなく少ないと悟った経典が、最期に全身全霊で自分との対戦をしたかったというのは本心だと、大悟には間違いないと断言できた。しかし、それだけではないことも、本当は大悟も知っていた。

 どんなに性格が大人びて見えても、やはり彼は十歳にも満たない少年だったのだ。

 

「それじゃ駄目だったんだよ。遺していたカードだって、必ず発動するのかさえも不確定な物だ。どんなに辛くても、経典はしっかりとお前さんに別れを告げるべきだった」

 

 実際のところ、経典も晶音がこの日はショックを受けて、落ち込むことは予想していたのだろう。ただ、数日の時間をかけて気持ちが整理されれば、きっと晶音は立ち直ってくれると経典は信じていたのだ。

 ところが、この日に晶音の父親が亡くなってしまっていた。晶音は実際の親と加速世界の《親》の二人を同日に失ったのだ。

 もちろん血の繋がった肉親と、ゲームをコピーインストールしたという意味での《親》を比較すれば、その重さは圧倒的に前者が勝るだろうが、それでも間を置かずに精神的ショックを受けたことで、晶音の心にトラウマに近いものを与えてしまった。

 

「そして、経典に非があるなら俺もまた同様だ。サドンデスはお互いの合意がなければ受理されない。俺はお前さんにも相談するか、その場に立ち会わせるべきだったんだ。でも結果的に俺達はお前さんの気持ちを汲まず、それどころか裏切りに近い行為をしたことになる。申し訳ないことをした。──本当に……すまなかった」

 

 大悟は両手を晶音の頭から離してから姿勢を正し、頭を下げると改まって謝罪する。

 少し間を空けてから、晶音が口を開いた。

 

「……完璧さに囚われるな。どんな天才でも人間である以上、間違えることはあるのだから」

「……!?」

 

 それはかつて、自分が彼女に向けた言葉。ずっと昔に雑談の中で言ったら、不満げな様子になったそれを晶音が憶えていたことに、大悟は驚きと共に顔を上げる。

 

「経典君もやはりミスをするということが……証明されたのですね」

「晶音、お前さん憶えて……」

「ですが、もう昔のようには……」

 

 未だに罪悪感に囚われているのか、晶音は再び大悟から目を背けてしまう。

 しかし、この場で退くことはできない。大悟にはきっとこの機会を逃せば、晶音とは永久に会えなくなるという予感があった。

 晶音は自分の抱えていたものを話してくれた。だったら、今度はこっちが腹を割って話すべきだと、大悟は腹を括る。

 

「──くな……」

 

 口から発せられたのは、自分でも驚くくらいにか細い声だった。

 晶音が首を傾げている。当然だ、大悟本人も聞き取れないのだから。

 咳払いをしてから、大悟は改めて本心を言葉に乗せて伝える。

 

「……行かないでくれ、晶音。俺は……俺はアウトローにお前さんがいないのは寂しい」

 

 コングやメディックを始めとした仲間達が、そして経典がどうという話ではない。誰よりも晶音に去ってほしくないのは、他ならぬ──。

 

「昔とは違う。経典はもういない。俺達も小学生から高校生に成長して、取り巻く環境も変わった。昔と全く同じようになんかならないだろう。それでも……俺は晶音と隣を並んで、同じ道を歩いていきたい」

 

 自分は今、どんな顔をしているのだろうか。普段から鏡を持ち歩かない大悟に、すぐに確認するすべはない。

 きっと他人には見せられないような、情けない表情を浮かべているのだろうな、と大悟は思った。

 

「傷を舐め合うような、互いに体重を預け合うような共依存は趣味じゃない。自分の両の足で立って進んで、片方が(つまず)いた時には、もう片方が立ち上がるのを手伝うのに手を差し伸べる、そうやって支え合っていきたいんだ」

 

 声が震わせまいと注意しながら、大悟は秘めていた心の内を打ち明けると──。

 

「………………どうして、貴方はいつも……」

 

 声を震わせる晶音の目から、つうと一筋の涙が流れ落ちた。

 

「い、いつも……小言めいたこと……ばかり言うのに……」

 

 ぽろぽろと零れ出す大粒の涙を拭う晶音を目の当たりにして、また泣かせてしまったと、大悟の脳裏に後悔の記憶が甦る。

 

「こういう時に限って……そうやって……いつもそうやって……」

 

 あの日、病室を飛び出した彼女を追いかけることができなかった。呼び止めることもしなかった。

 彼女の涙を目にして言葉が詰まり、胸が刃物を突き立てられたかのように痛んだのだ。

 彼女の存在が自分の中で、どれほどまでに大きくなっていたのかを大悟が自覚した時には、彼女はもう傍にはいなかった。

 

「……大悟、君」

 

 二度と会えないものだと思っていた。それが覆ったのは、今日よりたった七日前のこと。

 今回も彼女が去るのを望むのならば、それを止めはすまいと本心に蓋をしたことを、《子》である年下の少年に見抜かれ、後押しをされ、大悟は今ここに立っている。

 

「も、もどり……たい……。わた、わたし……みんなとい、いっしょにいたい、よぉ……!」

 

 親とはぐれた迷子のように泣きじゃくる晶音を前にして、大悟の体は勝手に動いていた。

 

「ぁ……」

 

 一歩踏み出し、包むように晶音を(やわ)く抱き寄せる。

 小さく声を漏らす晶音の体は細く、暖かい。

 以前は彼女より背丈が少し低かったのに、今では頭一つ分以上こちらの背丈が高くなっていた。ちょうど晶音の頭が大悟の胸元の高さに位置し、心臓がその存在を知らせるかのように大きく鼓動を刻み始める。

 自分はとんでもないことをしているのではないかと、我に返った大悟が晶音から離れようとすると、晶音は何も言わずに大悟の背中へと腕を回し、顔を大悟の胸に(うず)めた。

 それだけでもう、互いに言葉は不要で。

 視界が滲む大悟は静かに目を閉じた。

 

 

 

 一方で大悟に発破をかけたゴウは、追い着いて事の成り行きを宇美と共に見守っていたのだが──。

 ──あわ、あわわわわわわわわわわ……。

 抱擁し合う大悟と晶音を目の当たりにして、軽いパニックを引き起こしていた。

 

「う、宇美さん……」

 

 衝撃が一向に冷めやらぬ中、ゴウは隣に立つ宇美を呼びかけるも、宇美からは返事がない。

 隣を向くと、宇美は目の前の二人に釘付けになりながら、両手を握り締めてガッツポーズを決めていた。

 

「……宇美さん?」

「ちょっと良いところだから静かに」

「えぇ……? いや、いやいやいやいや、宇美さんってば……」

 

 何だか自分がこの状況にひどく置いてけぼりにされている気がして、ゴウは宇美の肩を揺すって再度呼びかけると、宇美はいかにもしょうがないといった具合で振り向いた。

 

「どうかしたの?」

「いや、どうかしたというか、僕はどうもしてませんけど……あの二人ってその……。あー、何というか…………そういう関係だったんですか?」

「……今更?」

 

 しどろもどろに言葉を濁すゴウに、宇美がすぐさま怪訝な表情を作る。

 

「デュエルアバターならともかく、生身で見てれば表情で分かるでしょ」

「そ、そんなの分かんないですよ……。僕はてっきり、大悟さんは晶音さんとまた仲間としてやっていきたんだとばかり……。だから追いかけて止めるべきだって、背中を押したんですよ?」

「良い仕事したじゃない」

 

 ゴウの葛藤を、一言であっさりと済ました宇美は、サムズアップを作ってゴウへと向ける。

 大悟は何だかんだ言っても、晶音のことを大切に想っていることは知っていた。ただしそれはアウトローで共に過ごしてきた仲間として、友人としてであり、まさかそれ以上に踏み込んだ感情を抱いているとは、ゴウは露にも思っていなかったのである。

 後押した時に大悟に問われた、『知っていたのか』とは、そういうことだったのかと一人納得するゴウ。勘違いしながらも上手く噛み合ってしまったことで、その場では気付けなかった。

 ──主語って大切だなぁ……。

 

「それにしても……あれだともう、告白通り越してプロポーズね。受け入れる宇美も大分アレだけど」

「あ、それは僕も思いました……」

 

 宇美とゴウはこの場に漂う、えも言われぬ空気を感じ取って、自然と小声で会話をしていた。

 完全に二人の世界に入っている《親》達を見て、宇美が唸る。

 

「これはキスまでいく流れね。間違いなく」

「キ……!?」

 

 自分のことでもないのに、ゴウはかあっと顔が熱くなる。段階が早くないかとも思うが、加速世界の時間で換算すれば、二人は数年単位の交流があるのだろうから、そうでもないのかと、対処できない事態に困惑するばかり。

 

「事件が解決した男女二人が向き合えば、そうなると相場は決まっているもの。ハリウッド万歳ね」

「ハ、ハリウッド……? と、ともかくそうだとしたら、ここから離れましょうよ。僕ら完全にお邪魔じゃないですか」

「待って」

 

 そっとこの場から移動しようとするゴウだったが、宇美にがっしりと腕を掴まれて、これを阻まれてしまう。

 

「ここは《親》の記念すべき瞬間に立ち会うべきだと思う。いや、《子》としての義務と言っても過言じゃ……」

「さっきからテンションおかしくないですか!? ほら行きましょうって……!」

 

 そうこうしている内に、こちらに一度も振り向かない大悟と晶音は抱擁を止め、晶音が大悟から差し出されたハンカチで涙や鼻水を拭うと、二人はじっと見つめ合う。

 

「あわわ……」

 

 まさかこんな事態になるとはと再度思いつつ、結局宇美と一緒に見てしまっているゴウ。

 大悟と晶音の顔の距離が互いに近付いていき──。

 

 ゴトン! カラァン! 

 

 突如として起きた大きな物音に、全員が一斉に音のした方向を振り返る。

 そこに立っていたのは大悟の妹、蓮美だった。その横には手から落とした拍子に水が跳ねる桶と、地面に転がった柄杓が落ちている。

 

「……だ、大兄ぃ……?」

 

 剣道部の練習の帰りなのか、学生服姿の蓮美は全く状況が掴めないといった様子で兄の名を呼ぶ。

 

「よぉ蓮美。どうしたこんなところで」

 

 一方の大悟はいつの間にか晶音と離れていて、さも何もなかったかのように、平然と蓮美に話しかけている。

 このあたりの胆力は歴戦のオリジネーターたる所以か、はたまた兄の威厳を取り繕っているだけか。

 ちなみに、晶音は後ろを向いてしまって表情は窺えない。

 

「え? あー、うん、何だか急に経兄ぃに会いたくなって……。それで伯母さんが大兄ぃも来てるって……。それで……えっと──あ、ゴウ君!」

 

 微妙に気まずい空気に耐えられなくなったのか、目を泳がせる蓮美はゴウに気付くと、ぱっと表情が明るくなり、こちらに向かって小走りで歩いてきた。

 

「ゴウ君も経兄ぃのお墓参りに来てくれたの? そ、れに……」

 

 そう言いかけて蓮美は、ゴウの隣に並ぶ宇美を見るや、硬直してしまった。

 

「は、はろー……。まいねーむ いず は、はすみ きさらぎ。えっと、えっと……」

 

 流暢さの欠片もない英語で、蓮美は宇美に挨拶を始めた。遠目ではただの金髪の女子かと思っていたようだが、その顔立ちから宇美を外国人だと判断したらしい。

 

「大丈夫だよ、蓮美さん。この人は……」

 

 初対面では無理もないかとゴウが助け舟を出そうとすると、宇美に腕を引かれる。

 

「……この子は?」

「大悟さんの妹の蓮美さんです。学校のクラスメイトなんですよ」

「へぇ……。下の名前で呼び合ってるの?」

「え? はい、まぁ。ちょっと前までは苗字呼びでしたけど」

「ふーん……そう……」

 

 何故か耳打ちで訊ねてくる宇美にゴウが何気なく答えると、宇美は何かを含んだような笑みを浮かべ、ずいと蓮美の前に出た。

 

「Hi, My name is Umi Wasekura. How do you do?」

「へぇっ!? あ、あいあむ じゅにあ はいすくーる……?」

 

 いきなり蓮美の手を取り、握手をしながら英語で挨拶をする宇美。

 言っていることは中学生どころか、小学生でも習う簡単なものなのだが、本当の外国人のような流暢な発音に宇美の容姿と身振りが相まって、完全に迫力に呑まれてしまっている蓮美は片言かつ、ちんぷんかんぷんな英語で返している。

 宇美の意図が分からないゴウは、大悟と晶音に助けを求めようとするも、隣に並んだまま互いに目も合わせようとせず、こちらにも二人揃って上の空だった。

 ──あぁ、もう何が何だか……。

 ゴウは一度だけ空を仰ぐと、まずは蓮美と宇美の方から対処しようと一歩足を踏み出すのだった。

 加速世界から帰還し、ここを訪れる前まで胸の内で凝り固まっていた何かが、いつも間にやら消えていたことをゴウが自覚するのは、自宅に帰ってからのことである。

 

 

 

 こうしてゴウの体感で数時間、ログでは数週間に及ぶ幻のダンジョン、アトランティスでのアウトローとエピュラシオンの戦いは幕を閉じた。

 一歩間違えれば加速世界のパワーバランスの崩壊、かつての瓦解しかけた赤のレギオンによる領土周辺の戦国時代化など比ではない、大混乱の発生も起きかねなかった事態。

 その全容はこれから先も、当事者達の他にごくわずかな数人を除き、公に知られることはない。

 


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