APOCALYPSE accessiones lectorem 作:くつぞこ
ガンダムSEEDdestiny後半、オーブ解放作戦が舞台です。
それではどうぞ。
1話
風が、去っていった。
海から吹きこむ潮風は素っ気ない。肌をちくりと摘まんだ冷風は、忙しなく背後に過ぎ越していった。
男は独り、佇んでいた。吹き荒れる風にも、冬の気温にも気づかずに、ただ独り、ただ独りの者たちとして、それと対面していた。
無記名墓碑。終戦記念公園の外れに聳え立つ、大仰なまでの徴の塔。かつての大戦で、往ってしまった人びとを悼んで建立された記念碑。
追悼の墓碑、されど祈る名は無く。
名を無くして祈ることは可能なのか。
否、これこそ悼むという行為を剥き出しにするのではなかったか。死者、それは名を持たぬ者たちだ。名という代名詞を持たぬ者たちへと吃音になりながら言葉を発すること、これこそ死者を悼むということではなかったか。決して、決して、今生きる者たちのためにではなく。
だが、名を持たぬ者たちに、如何なる呼びかけが可能だろうか。
君として名を呼べばいいのか。君、君、名前。否。君、と名を呼びかけてはいけないのだ。名に対して、君と呼びかけては。誰も君と呼びかける権利を持たないし、その権力は持ちえない。名を、君で呼んではならない。
貴方として名を呼べばいいのか。貴方、貴方、名前。否。貴方、と呼びかけてはいけないのだ。名に対して、貴方と呼びかけては。貴方と呼びかけることは不可能だ、貴方とは最早呼びかけては無いのだから。名は、貴方では呼びかけられない。
響いた、バイクのエンジン音が。ずっと昔から谺していたように、近く、遠く、響いたすすり声が背後で止まった。墓碑へと続く道路の先、日本の寺を模した外観の、倉庫のあたりだ。
誰かが来た。こんな季節外れの時に、名前も知れぬ誰かが、名を持たぬ者たちのために。
もう時間だ。左腕のクレイジーアワーズは12時00分を指していた。針は別な時刻を指していたかもしれない、だがそれは問題ではない、時計が何時を指しているのか全くもって問題ではない。時計が何時を主張していようとも、確かに時間は到来したのだ、誰かとともに。否、誰かとともに、ではなく、時間という誰かが来たのだ、存在という時間が。
もう帰ろう。背後の誰かのために、目の前の誰かのために。この場に立つことが出来るのは、ただ独りだけなのだ。共に、ここに立ってはならないのだ。それは禁止されている、法以前の禁止によって、むしろ法を形作る禁止によって。
俄かに、足元の花が目に入る。
健気に咲いた朱い華、名前も知らない綺麗な花。慰霊のために植えられた花だろう。丁寧に手入れがされた花壇には、雑草一つも生えていなかった。
左手を伸ばす。入念に花柄に親指の爪を食い込ませ、色鮮やかな花群の一つを摘み取る。
左手の平の上、茶色く爛れた枯れた花が微風に揺れていた。ゆらゆらと頼りなく、潮風が吹いたら風に攫われてしまいそうだ。風が吹きすさぶより前に、花をそっと握りしめた手をスキニージーンズのポケットに突っ込んだ。
ゆっくりと踵を返す。靴底がコンクリートの上の砂粒を噛みしめ、微かな声が軋んだ。
花が枯れたら、なるべく早く摘まなければ。さもなくば、花壇全体の見た目が悪くなる。
※
息が荒い。苦しい、苦しい―――。
EF-24R〈シュライク〉を装備したMBF-M1《アストレイ》のコクピットの中、マーテル11は、必死に視線を巡らせていた。
瞼はずっと見開きっぱなしだというのに、いくら探しても眼球は何も捉えない。広がる穹窿は、果ての無い蒼一色に塗りつぶされていた。戦域マップに視線を投げる。前線からは随分後退したというのに、味方機を示す緑の光点の一つも無く、ぽつねんと自機を示すマーカーが朧な光をくぐもらせている。
心臓が冷たい。冷却された血液は動脈を流れているのに真っ青で、身体がどんどん凍えていく。スロットルレバーを握る手は震えていた。今すぐにでもスロットルを最大出力まで上げて、日常へと帰りたかった。
周囲を見回す。相変わらず味方機の影は見当たらなかったが、代わりに視界の中に敵影が侵略してくることも無い。このままここで滞空していたら、いつの間にか戦闘が終わっていればいいのに―――。
歯噛みする。自分の顔面を殴りつけてやりたくなったが、マーテル11は操縦桿から手を離すほどに自失してはいなかった。
曲がりなりにも、オーブの軍人なのだ。たとえ任官して間もないとしても、たとえこれが初の実戦だとしても。ここで自分が銃を降ろせば、自分の真下に広がる祖国は再び炎に焼かれるのだ。それだけは、絶対にあってはならぬことだ。自分を逃してくれた仲間たちのために、一刻も早く他の部隊に接触する必要がある。一秒だって無駄には出来ない、そんな最中に臆病を拗らせている暇は、本当は、芥子粒一つの猶予も無い。
だが。だが、凍える肉体を心が奮い立たせようとするたびに、摂氏マイナス195度の怖気から這い出した蒼白の残影が頭の中に入り込む。一角を屹立させる単眼の鬼が線条野から這い出して、視神経乳頭からのっそり顔を覗かせては網膜の中で哄笑した。実害など無い、だってそれは幻想に過ぎないのだから。だが、ただ幻想が視界の中に踊るだけで、彼女の身体はぴたりと静止してしまった。
また、アレに遭遇したらどうしよう。再び、恐怖それ自体を分有した権化に出会ったら、もう、紛れなく私は殺される、間違いなく殺される! あぁ、もうそこにいる、空に、空に!
喘ぎ声を漏らした。過呼吸気味のせいか、酸欠で頭が痛い。ブラッドソーセージが熱湯の中で身を縮めるように脳内血中が大脳古皮質で凝固して、肉瘤になっていた。
肉瘤の信管が起動した。真紅の音が爆発し、頭蓋の中に飛沫をぶちまけた。
接近警報のビープ音。目を見開いたマーテル11は、レーダーと目の前の空に同時に視線を奔らせた。
レーダー上で閃く光点。
機種特定―――一瞬遅れて、AMA-953《バビ》を索敵。
暗号コード送信、返答無し―――。
判断、敵。
《アストレイ》のスラスターを反転させて急制動、シュライクの主翼も稼働させ、ディスプレイ上の速度計で十分に減速したのを確認してから、ラダーを踏み込み、機体を反転させた。
前線から大分後退したポイントに、敵機が迫りくる―――それが、意味するのは、つまり。
全身の血液が煮沸する。握りつぶしてしまいそうなほどに強く握りしめたのは、果たして憎悪だったか、それとももっと寒気に満ちた情動だったのか。思惟に沈降するのを素早く防いだマーテル11は、即座に状況へと神経を巡らせた。
数は2機。
《アストレイ》のライブラリに保存された《バビ》の機体速度予測よりも遅い。マーテル11はその意味を瞬時に理解し、顔を歪めた。
対地攻撃用に爆装しているのだ。増加した重量の分だけ運動性能は低下しているが、それだけに自分の背後に逸らすわけにはいかない。ここで、あの2機を仕留めなければならない。
上下の歯列弓が擦れる。
1対2、数的優位は敵にある。
パイロットの腕も敵に分がある。戦線突破と敵本拠地爆撃を任されたパイロットに対して、慣熟機動時間の規定時間をようやく満たしたばかりで実戦も経験したことが無いパイロットでは、比較にもならない。士官学校を主席で卒業したことは、現状では何の意味も無い。
機体性能にしても同じだ。《バビ》は確かに攻撃機として設計されているが、基礎設計から空戦を想定した機体だ。
対して、《アストレイ》は、空戦を全く想定していない。空戦用のOSとシュライクによって空中での戦闘を可能としているにしても、所詮は急場で作った間に合わせの機体だ。蒼穹という戦場にあって、《バビ》と《アストレイ》が出会えば結果は9割決まっている。
逃げることなど許されず、だからと言って戦えば確実に敗北する。どう足掻こうとも、既に、マーテル11の未来は。詰んでいた。
彼女の不幸は、その状況下にあって、冷静さを捨てきれないことだった。なまじ優秀だっただけに恐慌に全て委ねることも出来ず、かといって理性が恐怖を抑圧することもできず、交雑した情動が身体を浸していた。永遠と瞬間の宙吊りになった時間の中間地点で、堰き止められていた。
そのせいで、一瞬だけ判断が遅れた。本当に、ただ一瞬だった。だが、その一瞬の停止が全てを決した。
2機の内1機が突出し、相対距離を一息に詰める。
甲高い警報音とともに、正面モニターに警報ウィンドウが立ち上がる。ロックオン警報―――理解するとほぼ同時に、遥か前方で緑色の閃光が閃いた。
光軸が奔る。マーテル11はなんとかビーム光をシールドで弾いたが、なんのことはない。訓練通りに機体前面にシールドを展開していたから、攻撃を防ぐことが出来たに過ぎなかった。むしろ、ここで足を止めての防御という手段は、悪手以外の何ものでもなかった。ここは、躱さなければいけなかったのだ。防御のために足を止めれば、それだけ相手が取れる手数は多くなる。だというのに、数瞬の判断の迷いによって機体を停止させてしまっていた。
シールドにビームが直撃し、機体のバランスが崩れた。即座にバランサーが機体のブレを修正したが、もう、十分すぎるほどの隙だった。空中でよろめく《アストレイ》を後目に、突出していた《バビ》が猪突する。マーテル11は慌てて右手に保持させた71式ビームライフルを放ったものの、《バビ》は既にマーテル11の頭上をパスしていた。
瞬間、《バビ》が失速する。平べったい鱏のような形状から、四肢を持った人形、MS形態へと変態した。ピッチアップにより減速すると同時、MSへと変形させることでさらに空気抵抗を増加させ、一気に速度を殺したのだ。
ぎょろり、単眼が蠢く。警報音が充満するコクピットの中、ディスプレイに映った敵機は、マーテル11の背中へとビームライフルの銃口を向けていた。
背後だけなら、なんとかなったかもしれない。しかし、己が愛機は健気にも、前方の《バビ》も自機を捕捉していることも知らせていた。畢竟、この短時間の間に、挟み撃ちの構図に持ち込まれたのだ。
経常まで引き伸ばされた刹那の狭間。死の瞬間の切迫の只中で、マーテル11が出来たことは目を瞑ることだけだった。
鐵が震える。銃に穿たれた漆黒の虚空から、咆哮が屹立した。
オーブを舞台に、オーブの兵士たちの話……といったような内容の話です。
諸々の都合から、事前に予定していたものではなく別作品を投稿することとなりました。
そちらはまたいずれ掲載予定です。
それでは、また次回をお待ちくださいませ。