APOCALYPSE accessiones lectorem 作:くつぞこ
少し遅れてしまって申し訳ありません。
それでは、どうぞ~。
ロストック市内
(ゴルフ25、早くしろ! そう長くは持たない!)
鼓膜を殴りつける悲鳴にも似た怒声。第233山岳猟兵大隊第3中隊のゲルト・ブラウナー二等兵は、ぎょっと身が縮む思いをしながらも、両足の運動を必死に維持した。風に揺られ、左腕の袖に巻いた赤いスカーフが躍った。
「あと1分で着く! なんとか堪えろ!」
ゲルトの眼前を走る壮年の男が、怒鳴り声を返す。立て続けの戦闘による疲労と焦り、そして何よりも背負った
(クソッタレ、《ウィンダム》なんて聞いてねぇ!)
(『
怒声の応酬に合わせるように、ゲルトが目指す方角から鈍く歪んだ甲高い金属音が炸裂する。慄くような振動が、コンクリート越しに半長靴に伝わる。右手に身を横たえる小銃にいつもの傲岸さはなく、ひ弱な小鳥のように手中で縮こまっていた。
郵便局を左手に、ウルメン通りを駆ける。右手に見えた駐車場には、乗り捨てられた色とりどりの公用車が、何かに潰されていた。
打ち捨てられた砲身の脇、駐車場の丁度曲がり角を右に抜け、ゲルトたち3人は畷を一直線に走っていく。
がちゃがちゃと忙しなく軋む装備の音。剥き出しの顔に爪を立てる冷気。口の中は温く、爆発的に発生している細菌が粘着質の分泌液を大量に放出しているようだ。
そのままパーク通りを抜けて、次のブロックに顔を出した瞬間だった。
閃光が視界を喰らい尽くした。
迸るスパーク。ぎちぎちと駆動音をハウリングさせ、巨人が天に舞い上がった。
空色をベースに幾何学模様で構成された幻惑迷彩。それまでゲルトが目にしてきたMS―――《ウィンダム》や《ダガーL》といった地球連合軍の主力MSと比して、先鋭に研磨された痩躯は鮮やかに深緑の大地に着地すると、光の剣を掲げて相対する巨人へと肉迫する。
応じるようにビームサーベルを抜刀して切り結ぶ機体は、ゲルトも見覚えがあった。ダークグリーンに塗装されたMS―――第315機動砲兵大隊の《ダガーL》だ。陸軍迷彩の機影が振るったビームサーベルを、さりとて《ウィンダム》は難なく回避してみせる。スプリッター迷彩の痩躯が1歩ステップを踏み込むや、苛烈な斬撃を撃ち込んだ。
破裂音にも似た力場の接触音が拡散する。寸でのところで剣戟を撃ち返した《ダガーL》と《ウィンダム》のビームサーベルが接触し、怖気が奔るほどに鮮やかな粒子の乱舞が迸っていた。
数千度の粒子が散乱し、MSを囲う菩提樹を焼死させていく。きっと、時期が時期であれば近隣の住民や社会人が憩う場所だっただろう。穏やかに枝葉を伸ばし、人々を包み込んでいた筈の木々は、されど今、1秒を刻むごとにMSの脚部に踏み倒され、スラスターで焦がされていく。木々は、甲高い悲鳴にも似た音を声高に響かせていた。
「くそ、海軍の連中は何をやってるんだ!?」
ゲルトに遅れて走ってきた男は、汗やら塵やらで真っ黒になった顔を忌々し気に顰める。視線の先には、格闘戦で切り結ぶ2機の後方で、青色の《ストライクダガー》がライフルを構えながらも戸惑うように佇立する姿があった。防衛部隊を務めるユーラシア海軍・第1機動隊群・第8MS戦隊の《ストライクダガー》は、2機の戦闘に介入することすら出来ていない様子だった。
―――違う、と思った。確かに、ユーラシア海軍のMSパイロットの練度の低さと装備の貧弱さは、悪い意味で有名だ。たった今ゲルトの目の前で敵機と格闘戦を行っているのが、砲兵部隊の《ダガーL》であるという事実は、単に偶然の結果生じた現象ではない。
だが、それ以上に《ウィンダム》の挙動が、とにかく巧い。
機体性能やパイロットの練度はどうあれ、1対2という戦況の中で全く怯むことなく、機体を操縦して見せる豪胆さ。加えて、絶えず後方で砲撃支援に回る《ストライクダガー》を警戒し、2機の対角線上に《ダガーL》を配置させるように機動してみせ、砲撃支援の機会を潰す繊細な操縦センス。ゲルトはMSパイロットが出来るほどに知的ではなかったが、きっとその操縦技能は並ではないのだろう、と察した。2機を手玉にとってみせる機体制動の優雅さこそが、その技量を証だてる。
「行くぞ!」
班長が声を張り上げる。ゲルトが了解の声を必死に絞り出そうとするより早く、2人は十字路を左に曲がった。
乗り捨てられた白の乗用車は、喘ぐようにドアを開けている。2、3年前に発表されたフォルクスワーゲンの車だ。
フンダートメンナー通りを出ると、隊長は改めて、素早く公園を一瞥した。「よし、上手いぞ!」
ゲルトも走る速度は緩めずに右手を見上げれば、エールストライカーのエンジンノズルが顔をのぞかせていた。
「カシミール!」
「了解!」
もう一人が足を止める。そうして、ずっと宝物のように抱えていたそれの先端を高く持ち上げた。
細長い発射装置の先端に、ぷっくり丸く膨らんだ弾頭が昂然と首を擡げている。
個人携帯型対戦車兵器―――山岳猟兵団歩兵科が装備する対戦車・MSを想定した火器だ。
構える動作は素早い。いつもの訓練なら後方の安全確認やらで長々と時間をかける癖に、今回は5秒とかからずにスコープの中にMSの弱点部位を捉えるや、右手に握りしめたグリップ上部から突き出たトリガーを引き絞った。
背後にバックブラストが燃え盛る。鈍く耳朶を殴る金属音が爆炎を迸らせ、先端の弾頭が200m先の獲物目掛けて突進した。
ゲルトの両の眼は、その瞬間を克明に捉えた。弾頭の安定翼が展開し、ロケットモーターが点火する。無造作に空気を切り裂く音を響かせた黒鉄はまさに拳骨が疾風(シュトルム)のように打ち付けるようだ。
直撃する―――その寸前。
敵機は、ひらりと半身だけを翻した。
金属同士が肌を撃つ悲鳴にも似た音が首筋を突き刺す。連続して敵機の上半身で信管が作動し、焔色に爆破した。
実戦も初めてなゲルトを始め、ほとんど実戦経験も無ければ、よもや歩兵でMSなどと戦ったことなどない班員全員が身を竦めた。
爆炎が静かに霧散していく。まるで早朝の靄が太陽光で散らされていくように消えた噴煙の先には、傷一つすら無い敵機の姿が在った。
「チクショウ、肩にあたりやがった!」隊員が悲鳴をあげる。確かに、敵機の右肩は黒く煤けていたが、それだけだった。
―――よく言われるように、ヤキン・ドゥーエ戦役を経て、歩兵が携帯する火器はMSを撃墜せしめることを可能とするまでに進化した。
軍事評論家たちはそう述べるし、大戦中期、歩兵戦力によるMS撃破の報告が少なからず挙がったのは事実だ。
だが、そうして語られる事実は、別な事実を語り落としている。歩兵の火力でMSを撃破しなければならない時、必ず弱点部位に直撃させなければならない、という事実である。具体的には、各関節部位かバックパックのスラスターノズルか。どちらにせよ、狙うべき場所は決して大きくない。まさにスナイピングをするようなものだ。
加えて、MSによる市街地戦のノウハウは、当然MSパイロットにも蓄積される。MSの高い運動性・機動性を存分に活かした機動格闘戦を行うことで、弱点部位への被弾率を低下することが可能だ、という情報は、パイロット養成過程の初期に習う基礎的な内容だ。さらに、MSそのものの運動性能の進化が加わることで、歩兵によるMS撃破は再び困難な戦術と化した。
―――畢竟。
いくらMSの運動性能が阻害される市街地と言えども、MSを歩兵で打倒するのは容易ではない。そして、そんな作戦を展開することを強いられるほど、ロストックに展開した戦力は逼迫していた。
「馬鹿、早く来いゲルト!」
はっとする。気が付くと、班長ともう一人は既に通りを南南西の方角に、ゲルトの9時方向へと走り出していた。振り向いて呼びかける班長の必死の形相は、この数秒が致命的だと物語っていた。
敵機が、ビームサーベルを左上段から袈裟懸けに振り下ろす。ダークグリーンのMSはなんとかサーベルを撃ちあわせたが、あまりの威力に怯んだように蹈鞴を踏んだ。
その拍子、切り下ろした勢いに乗せて、空色の機体がふわりとスラスターをリバースさせて飛びのく。後方へと人間がジャンプしたかのような滑らかさだ。
バックステップの挙動を執った敵のMSは、着地をする寸前に、ぎょろりとゲルトを睨めつけた。
2本突き出た角は、どこか昆虫を想起させる。スキーゴーグルのようなカメラカバーの向こうで、双眸が鋭角に閃いた。
班長が何か叫ぶ。手が痙攣する。口の中は沙漠のようにからからで、舌触りはざらざらした。敵機はシールドを掲げてミサイルで《ストライクダガー》に牽制射を撃ち込んだ。
ぱ、と小さくマズルフラッシュが咲く。次の瞬間には、ゲルトは音と触の津波に叩き付けられていた。
何かが砕ける音、貫通する音、拉げる音、壊れる音。半規管から平衡斑まで破砕する音だ。耳道から蝸牛めがけて太い杭を突き刺され、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられたかのようだった。
数秒ほど―――実に長い数秒ほど経ってから、ゲルトは、自分の眼球が未だに大脳皮質視覚野の味蕾細胞を励起させていることに気が付いた。
生きていた。いつそんな姿勢をとったのか、無意味に頭を抱えて蹲る姿勢で、ゲルト・ブラウナー二等兵は生命活動を維持していた。足元に放り出した小銃は、ひ弱な小道具にしか見えなかった。
12.5mmの銃弾の豪雨は、ゲルトの周囲を悉く粉々にしていた。道路はコンクリートの塊が捲れ、右手に見えた建物の、鮮やかな橙色の屋根は銃弾痕が穿たれていた。壁面の煉瓦が数個、ぼろぼろと崩れる。焼色の煉瓦が、重力落下していく。路面にぶつかると、焼き固められた土くれは、汚らしい音を排泄した。
通りには、空から落ちた白い雪が薄く膜を作っている。住民が避難した後に降ったのだろう、足跡一つない雪原に、美しいほどに赤い水たまりが滲んでいた。
恐る恐る近づいて、ゲルトは破産した壮年の男のように、情けない叫び声を上げた。
胴体だった。胸から上を恐ろしいほどの力で捥ぎ取らたように喪失した、人間の胴体だった。壁際には何か赤く水気のある塊が付着している。良く見るまでも無く、肉と骨と器官のスムージーだ。壁に張り付いた眼窩から、ぽろりとゴルフボールほどの何かが落ちると、ころころと数十cm転がった。千切れた視神経の尾を引いた、眼球だった。
どっちだ、と思った。腰砕けになりながら、どっちだ、と思った。果たして班長か、それとも同行していた別な仲間か。ゲルトは、もう一つの血だまりを必死に見遣った。
もう片方の血の海の中に、同じように塊が埋没している。腰から下を吹き飛ばされて、上半身だけになった人間がうつ伏せになっていた。千切れた腹からは、ぷりぷりとした大腸やら小腸やらが顔を覗かせていた。
足は既に萎えて動かなかった。かといって匍匐して這いずるほどの気力すら湧かずに、呆然と放り出された物体2つを観想した。
まだ、MS同士は戦闘を続けていた。
今までなんとか均衡を保っていた《ダガーL》が、遂に限界を迎えた。敵機がビームサーベルを振り抜く挙動に間に合わず、サーベルを握りしめた右腕を切り飛ばされた。
《ウィンダム》が間髪入れずにメインスラスターを爆発させる。敏捷にも懐に潜り込むと、シールド先端の衝角で《ダガーL》の頭部を抉り飛ばした。
緑色の巨人が足元をとられる。残った左手を腰部のサーベルグリップに伸ばそうとしているが、何もかも手遅れだろう。既に懐のウィンダムはビームサーベルを刺突に構え、あと2秒後には数万度の光の剣が鋼鉄の肉体を串刺しにするはずだ。サーベルを引き抜く動作は間に合わない。揉み合うように接近した2毅の距離が近すぎるせいで、《ストライクダガー》は援護射撃がまだ出来ない。
集束する閃光。劫初の焱は神光となって、金属の装甲を貫いた。
びゅ、と液化した金属が血液となって飛沫を噴き出す。
―――ゲルトは、一瞬その光景を理解し損ねた。
疾駆した光軸が、空色の機体の脚部を掠めた。
轟音が世界を震わせる。ロケットモーターの猛々しい咆哮で我に返ったゲルトは、天を見上げた。
ゲルトの直上、30m。
白銀の御影が大地に堕ちる。
紅蓮の旋風がゲルトを叩き付ける。身を屈めて呻き声を上げた彼は、すぐに顔を上げてその背を追った。
不意の強襲に怯んだ《ウィンダム》目掛け、翼から業炎を吐き出した正体不明のMSが肉迫する。
短機関銃を思わせる火砲からぶつぎりの光軸が怒涛となって押し寄せる。堪らずに《ウィンダム》が後退の挙動を見せると、白銀が《ダガーL》と敵機の間隙へと滑り込む。敵機がシールドで弾幕をやりすごすと見るや、白亜のMSは背部からビームソードを抜き放ち、シールドごと敵機の左腕を叩き切った。
苦し紛れに敵機が放った斬撃を、昂然とビームブレードで撃ち返す。あまりの衝撃にライトブルーの機体が怯んだ瞬間を、その機体は見逃さなかった。
双眸がぎらりと光を放つ。スラスターを爆発させて相対距離を零にすると、白亜のMSは右手に把持させたライフルから
ずぶり。
エールストライカーから光の杭が突き出す。甲高い電子音を響かせて敵機の背中からストライカーが排除され、推進剤とともに爆炎を撒き散らした。
まだ、敵機は死んでいなかった。ぎこちなく痙攣しながらも、右手に握りしめたビームサーベルを懐のMSに突き立てようと剣を振り上げる。
―――刹那、サブマシンガンの黒々とした銃口が咆哮を叩き付けた。ペレット状の粒子ビームの弾丸がMSの心臓部を噛み砕き、勢い余って貫通した亜光速の弾丸が天へと昇っていった。
そこで絶命した。サーベルを構えた姿のまま、《ウィンダム》は朽木が崩れるように倒れていった。
ゲルトは、その機影を呆然と注視した。
額から突き出た真紅の双角。人間の目と同じように並列するデュアルアイ。対になった翼は、人の世よりも高次の世界から使わされた高き存在を想起させた。
「そこの歩兵、聞こえているか」
血だまりの中、ゲルトは肌を撫でた声に周囲を巡った。
振り向くと、ゲルトの背後、建物の間の駐車場に、砲兵部隊のそれとは異なるライトグレーのカラーリングに、肩部に赤いラインを引いたエールストライカー装備の〈ダガーL〉がランディングするところだった。
「一度、コンサートホール前のバスターミナルに戻れ」どうやら、その《ダガーL》が外部出力のマイクでゲルトに呼びかけているようだった。「そこで部隊を再編したほうがいい」
それだけ言うと、《ダガーL》はもう興味を失ったようだった。
コンサートホール前のバスターミナル。ロストックの配置は事前に覚えてきたお陰もあって、現在地からどれくらい離れているのかはすぐに把握できた。大分距離はある。全力で走っても、数十分ほど、かかる筈だった。
ゲルトは途方に暮れたように周囲を見回した。そうして、公園に悠然と佇むMSを見上げた。
左肩に一本引かれた朱のライン。西ユーラシア領土内に侵攻を始めた地球連合軍への抵抗戦力の証たる識別標。ゲルトは、リストに巻かれた赤いスカーフの結び目を握りしめた。何のためだっただろう? 解くためだっただろうか? それとも別なことのためだったか? ゲルトは、ほとんど何もわからないまま、憑りつかれた様に走り出した。