「……無線が途絶えた……」
4階のハリボテの前で待機していた俺は、先程障子が通話中に切羽詰まったような声を出し、大きなノイズが入った後一向に応答がないのを見て、やられたかと溜息をひとつ吐いた。大方、星合に凍らされて動けなくされ、無線で連絡出来ない状況に追い込まれたのだろう。
制限時間は15分だが、まだ開始から5分と経っていないはずだ。体感時間でおおよその残り時間を意識しながら、俺は氷に包まれていない右手をゴキリ、と鳴らした。
「まァ、この展開も読めてなかったわけじゃねぇが……」
コツ、とわざとであろうヒール音が部屋の外から、徐々に近づいてくる。
星合は少し独特な歩き方をする。長い脚を、不自然にならないギリギリを装って、すいすいと滑るように移動する。普段どんな靴だろうがほとんど足音をさせず歩くので、親父との訓練で気配に敏感になった俺ですら、たまにぼけっとしていると近づいてきたことに気付かないくらいに、足音も気配も静かだ。
中学の時も、中学生とは思えねえ高そうな革靴(同級生が履いているようなローファー、って奴じゃなくて)を履いていたが、あれも思えば踵が高かった。底に銀の十字架の意匠があって、片足立ちで踵を入れる時なんかにそれが見えて、本人の顔立ちも相まって同級生の間では綺麗だの、ミステリアスだの遠巻きにされながら言われていた気がする。本人は知らないだろうが、高嶺の花扱いされていたのだ。
そんな彼女があえて靴音をさせているということは、「ここまで来たぞ」という明確な挑発だ。
中学じゃ個性の使用は禁止だったから、お互いの個性の事を知っていても、真正面からやり合うのは初めてだ。尾白たちのように初見殺しの足止めはもう効かないだろうが、他にやりようはいくらでもある。
コツリ。床を叩く硬質な音が止まって、燕尾をなびかせて優美に立つその姿はまるで
同じ氷の使い手、だがしかし実際戦い方が一緒かと言われると、おそらく答えはノーだ。
「(――まず初手は)」
無言で睨みあったのはほんの数秒。危険な光の満ちた、いっそ扇情的な紅い目が一瞬細められたその瞬間、地面を踏みしめていた己の左足から一気に冷気を放出させる。空気が一気に冷却され、敵の潜みやすそうな、雑然とした廃ビルの室内がたちまち白い氷に覆われた。念のため
天井にむき出しの配管にも霜が降り、かすかな吐息さえ白く凝結される中、下半身を飲み込むように星合の身体は氷によって位置を固定されていた。
「(――先手を打たれる前に、戦う手段を奪う)」
僅かに目を丸くして、一瞬のうちに固められた己の半身を眺めていた星合は、ヒュウ、と危機感の欠片もない表情で口笛を吹き、賞賛するように手を叩いた。浮かべられるあどけのない笑みは、まるで子どもを褒める教師のようなそれ。
「やるねぇ、轟」
「……」
「そう怖い顔をしないで、セニョール。綺麗な顔が台無し」
一瞬で氷を砕かれる危険を考え、戦闘態勢を崩さない俺に対し、少し猫撫で声で言われた言葉に、ぞっと全身の毛が逆立った。セニョール呼びもそうだが、それを俺に対して言うか、と腹のあたりに灼熱が沸き起こる。忌々しい
母からお前の半身が憎いと、煮え湯を浴びせられた俺に対して、「綺麗な顔」だと?
「……気持ち悪いからやめろ」
「ひどいなぁ、ちょっとしたジョークじゃないの」
顔を顰めて、地を這うような低い声で唾棄した俺に対し、「怖い怖い」と重く取り合うことなく、軽やかな声でケタケタ笑うその表情は薄っぺらで胡散臭い。それは、中学時代に興味本位で彼女に近づいたクラスメイトを遠ざけるかのように浮かべていた、嘘の笑顔。自分や、他の彼女の友人たちには一度として向けられなかったものだ。
俺にそれを向けるな、と思った。
場を支配しているのは俺で、星合は武器である自分の足を封じられているというのに、まるで意にも介さないように余裕の態度を崩さない。この程度、まるで問題ないとでも言うかのように。
――挑発して冷静さを失わせようとしてるんなら、
口元まで氷で固定してしまおうか、と事情を知らないとはいえ、トラウマを想起させる言葉をジョークで済ませた同級生の評価を下げつつ、下手すると猟奇的な思考回路をしていることに自分でも気づかないまま、もう一度冷気を発動させようと左手を動かそうとして――指先ひとつピクリともしないことに気付き、ようやく俺は自分の下手を悟った。
一瞬見えたのは、全身を貫通している細い糸。そこから這い上がる、冷気。
「ッ、しまっ――」
「あぁ……やっと気づいた?」
清艶な蘇芳の双眸が、俺の考えを肯定する。その一瞬で星合の下半身を固定していた氷が木端微塵に砕かれ、代わりに俺の腕と足が氷に包まれた。一瞬にして優劣が逆転する。
足は床ごと凍らされて動かせねぇし、腕も凍った先が一番近い壁に固定されている。凍らされるまで奪われていた四肢の自由が戻ってきたのをなんとなく感じたが、凍った状態で無理に動けばどうなるか、自分が一番よく分かっている。この状況を打破できないと判断した俺は、無駄な足掻きはせず、溜息をひとつ溢した。
体幹を凍らせなかったのは、
左を使えばこの窮地も脱せるだろうが、たとえ負けるとしてもあの忌々しい能力を使う気には微塵にもなれなかった。負けず嫌いである自覚はあるが、左を使うくらいなら負けた方がマシだ。
唯一自由な首と頭を巡らせて、天井を振り仰ぐ。
むき出しのダクトや配管から天井へ、壁へと縦横無尽に張り巡らされていた細い糸。それらは全て、星合の黒い手袋――ではなく、その上から嵌められた指輪から爪先を辿り、そして空間を縛るように伸びていた。
外人らしい、大袈裟な身振り手振り。
最初の
冗談めかして掲げられた降参の両手も、
ひらひらと振られる手のひらも。
全て、蜘蛛の巣に俺を引っかけるための必要動作だったのだ。
そして、安い挑発だと思っていた軽口や態度は、確実に罠を張る為の時間稼ぎと、俺の意識を自分に引きつけて、怒りで視野を狭めるための巧妙な手口。最初に大人しく氷漬けにされたのも、俺に多少なりとも優位であることを意識させ、気の緩みを誘うためにわざと引っかかったのだろう。攻撃手段が足だけだと勘違いしていたために、上半身はせめて凍らせないでおこうと甘いことを考えたのがまず間違いだった。障子に油断するなと言っておきながら、あっさりと罠に掛かった自分が情けない。
実戦なら迷いなく全身氷漬けにしただろうが、同じ中学出身だという僅かな仲間意識が、異性であるという引け目が、そして、微塵も見目は似ていないのにどことなく母を思い出させる雰囲気が、氷を鈍らせた。本当に攻撃の手を封じるには、せめて四肢は凍らせるべきだったのに。
僅かな隙を見逃さず、余すことなく利用してくる彼女のしたたかさに、俺はゆるりと息を吐いた。呼気が白く凝結して、すぐに掻き消えていく。
俺の背後の
「……最初から全部、お前の手のひらの上だったか」
氷が所々張った滑りやすい床をピンヒールで何でもないように歩き、俺の横を通って氷で固めた核兵器に近づいていく星合に、ぽつりと呟く。背後で、ゆるりと彼女が振り返る気配がした。どんな表情をしているのか気になって、ちらりと後ろを顧みる。
「ははっ……無為な戦闘を避けて、自分の有利な状況を生み出すための戦闘における場の掌握と権謀術数も、時には必要な選択肢だよ。特にこういった取扱いに注意が必要な回収物のある狭い閉所空間でドンパチなんて狂気の沙汰。轟と正面からやり合って時間内に決着つけられる自信も、なくはないけど確実性に欠けてた。」
自分ではハリボテに手を触れながら、張り巡らされた糸を器用に操って俺には確保テープを巻きながら、先程の邪気めいた笑みが嘘のように、星合はいつもの穏やかな表情をしていた。
「ま、でも」
『ヒーローチーム、WIIIIIN!!』
ハリボテから手を離し、ふと笑みを収めた星合は、そっと目を伏せたかと思うと片手で顔を覆った。途端に顔が見えなくなって目を丸くする俺の前で、項垂れた前髪の奥から、ごめん、とくぐもった声が聞こえた。
どろり、と俺の身体を固定していた氷が衣服を濡らすことなく溶けて、床に落ちる。
「……確実にこっちに視線を誘導するためとはいえ、嫌なことを言った。傷をえぐるようなこと言って、ホントにごめん。気に障ったでしょう?」
その声は少し震えていて、先程の酷薄な表情を浮かべ、余裕の態度を崩さなかった人物とは別人のように弱々しかった。彼女の前髪の奥、手のひらの隙間から覗くくちびるが、どこか息苦しさに喘ぐように震え、薄く開かれて呼気を飲む。ややおいて噛み締められたそれは、今にも彼女の皮膚を突き破りそうでハラハラする。もう片方の喉を締めるように覆う手のひらを引き剥がさせて、顔を隠したままの手に、星合の手袋越しにふれた。
どう声を掛けていいものか分からず、散々考えた挙句に口下手な口から零れたのは、
「……血ィ出んぞ」
という、ありきたりな言葉だけだった。
「……うん」
飄々としているくせに情に厚くて、ともすれば非情な手段も使ってみせる冷血さを見せるくせに、自分の行いに心臓を軋ませる。ひどく不安定なあり方だ。
技を解除して三人ともモニタールームまで戻っておいで、と心配そうなオールマイトの声が無線越しに聞こえる。
パシュッ、と軽い音を立てて部屋全体に張り巡らされていた糸が離れ、星合の指の付け根へと戻っていく。無数の糸を一本の太い糸に縒り合わせるような、そんな光景に目を奪われていると、ようやく星合は顔を上げた。
「戻ろうか」
「……あぁ」
いとけない笑顔を浮かべた彼女に、小さくひとつ頷いて、共に大広間を後にする。二人分の足跡が階段に響く中、段差で頭一つ分目下に映る、黒く艶やかな長髪をたたえたつむじを眺めながら、そうっと俺は目を細めた。
少しくすんで淡いルビーみたいな色した目が、輪郭を滲ませてゆらゆらと揺れていたことは、指摘せずにそっと胸にしまっておこう。
今回私が取った方法は、正直実戦ではここまで悠長に単独で相手取らないだろうやり方だった。範囲攻撃をせず、策を弄してなるべく穏便に事を進めたのは、「核兵器」を奪取する目的重視だったこともあるが、同じ
一応解説すると、屋内に侵入した私はほぼ安全とみていい1階エリアにて索敵、同じく敵の居ないことが判明した2階をスルーし、3階に上がる直前で血糸を用いて、自分の居場所が知られる原因となる“音”を消すために天井からぶら下がって隠密行動で接近。待ち伏せていた敵側である障子くんに、ヒーロー側の私が逆に奇襲を仕掛けた。
隠密行動が吉だと判断を下したのは、対尾白・葉隠ペアの時に、彼が目を触腕に複製させていなかったからだ。恐らくクラスの中で索敵能力では右に出るものはいない彼だが、遮蔽物のあるところでは目を複製してもその視界範囲には限界があると判断したのだ。目を複製して展開すれば死角が無くなるため、背後からの攻撃も事前に察知されてしまっただろうが、別に見える範囲が広がるだけで、透視能力があるわけではない。そのメリットが薄くなってしまう狭い屋内空間では、目よりもさらに有用な耳を多く複製してくれていたのは好都合だった。
意識的にあからさまに立てていた足音が突然途絶えれば、正確な距離が分からなくなり動揺が誘えるだけでなく、一瞬でも聴覚に気を取られ、隙が出来る。その瞬間を狙って一気に急接近し、血糸を廊下に分散させながら飛び蹴りをお見舞いした。
ヒールで腕を踏みつけたついでに体勢を崩してくれればベストだったのだが、流石に鍛えている。しかも私が飛来する寸前にこちらの意図に気付いて振り返られたため、僅かに吹っ飛んだだけだった。
それを見て肉弾戦ではパワーで押し負けると思った私は、体勢を崩して確保テープを巻くパターンは諦め、代わりにヒールを見舞った腕からごく微量の血を彼の体内に忍ばせ、相手の体内の水分を支配下に置くことで全身の動きを止める糸――『
「天が張る網は広く、一見すると目が粗いように見えるが、悪人を絶対に逃さない」という意味の名を持つこの技は、一見するとまるで標本にされた昆虫類のように全身を貫通し、対象の身体をその場に縫い留めるための、張り巡らされた糸ばかりが目立つ。しかし実際に動きを止めているのは、肉体の内側に侵入した糸から放出される、アナフィラキシーを起こさないために水に変換した血である。
初見殺しであり、知っていても糸が展開されるのを撃ち込まれた本人が止めることはおろか、知覚すらできないこの技は、血液を直接打ち込む必要はあるものの、相手に痛みを感じさせず、傷を付けずに拘束できるのが強みである。全身に血の支配が行き渡った状態でもあるので、いざという時は瞬時に水を凍らせ、
この技を見たザップからは「お前ソレ番頭のやり口よりエグイ」と渋面を向けられたが、残念ながら私にとっては褒め言葉だ。とはいえ、撃ち込まれれば最後、不可避に等しいこの技だが、多分ザップや相澤先生あたりには針を撃ち込まれないように私を接近させまいと遠距離からの攻撃をしてくるだろう。もちろん、前者は動物的勘、後者は弱点を見抜かれての対処という、認識に大きな隔たりがあるが。
同じく轟にも天網恢恢で応戦したが、こちらは先手を取れなかった。まぁ、大抵の相手を瞬殺できる轟だ、攻撃される前に攻撃してくるとは思ったが、最初から足を凍らせてくるとは思いもよらなかった。武器である足を封じられ、落ち着かない気分のまま普段通りを装って、目に捉えにくいほど細らせた糸をオーバーリアクションでひそかに張り巡らせ、準備が整ったところで天網恢恢を発動。余った糸で足の氷を壊して制圧完了、というのが今回の私の動きの全てだ。
「相手の個性を冷静に分析、それに対する的確な対応。攻撃モーションを悟らせない立ち振る舞い。そして核兵器にダメージを与えることなく敵側も捕縛する完封勝利。冷静にして確実、そして必要とあらば豪胆に。2対1という不利な条件下にもかかわらず、ナイスな戦いだったぞ星合くん!」
「どうも」
意気消沈しながらモニタールームに戻ると、クラスメイトのほぼ全員に(爆豪は相変わらず茫然自失)キラッキラした目を向けられた。そんな予想外の反応に何事かとギョッとしながらも、私たちは3人並んで講評を受けた。私は特に指摘する点が無かったのか、オールマイトのべた褒めを受けたのだが(ヒーロー役とは思えない精神的ダメージに関してはお咎めはないのか、オールマイト。音声聞こえてただろうに)……個人的な感情としてはあまり嬉しくならなかった。
確かに勝てはしたが、もっといいやりようがあったんじゃないかとつい考えてしまう。気を抜いたらあっさりやられると思って気を引き締めて掛かったとはいえ、10歳年下の男の子のトラウマをごりごりに抉りに行ったようなものだと考えると……やっておいてなんだが胃が痛い。間違っても友人に対して年上のすることではない。彼の核心にもふれるだろう、目元のアザのことを引き合いに出したようなものだ。彼がどんな反応を寄越すか、ある程度予測して仕掛けたのだから余計性質が悪い。やり口はヒーローっていうよりヴィランだ。
音声はオールマイトにしか聞こえていなかったが、もし全員に聞こえていたならあんなキラキラした目を向けられることは無かったはずだ。デリカシーがなさすぎる上、思い切り地雷踏んで煽りにいったのだから。
戦闘においては、自分の有利な状況に持ち込み相手を戦闘不能に追い込むまで、何パターンも頭の中でシュミレートを重ねて、現状の情報をリンクさせて常に大局を見定めながら詰みまで持っていくのが私の戦い方だ。“Checkmate”をコールするその瞬間まで、私の精神は冷静と冷徹を保つ。
感情より目の前の現状を重視し、最も合理的に効率的に捌く。戦闘におけるスタンスとしては、イレイザーヘッドによく似ているだろう。それは私本来の性質なのか、非道な実験を受け続けたことによる副次的な影響なのかは分からない。酷い冷血女だと自分でも思う。本当は、自分の血液は凍っているのではないかと、思うくらいに。
思わず戦闘が終わった途端に、しでかしたことを思って涙が出そうになった。泣きたいのは向こうだろうに、私が泣いてどうするという自己嫌悪にぐらぐらしながら。どうでもいい人なら嫌味も上っ面の歯が浮くようなお世辞も、何だって言えるというのに。それでも必要な時は二枚舌を使い冷徹な皮を被れるところは、兄そっくりだ。その後人知れず落ち込んで一人反省会までがセットである。
その後、変身限界が迫っていたオールマイトは風の速さで立ち去り、昨日とは打って変わって、至ってまともな授業は終わった。……私の心に感情的な暗雲を、残したまま。