日が経つのは早く、寮生活が開始してから一週間。
仮免試験まであと3日を残すところになって、やっと体育館γに合流していいとリカバリーガールのお墨付きが出た私は、必殺技開発に明け暮れるクラスメイトたちを眺めながら、その場でポンポンと飛び跳ねていた。
両膝と足首の関節を柔らかく使い、足全部の筋肉と体幹の筋肉を連動させて、少しずつ跳び上がる高さを上げていく。少し離れた場所でクラスメイト達を監督していた相澤先生の、何やってんだこいつという視線が、私がどんどんジャンプの高度を上げていくにつれてぎょっとしたものに変わっていくのがなんだか可笑しかった。
「おい、星合」
「いや、入院生活で落ちた筋肉で出せる今の状態を把握しないと、いざって時にコントロールミスしそうで」
なにしろ、今回は完全復帰までが実に長かった。入院期間と合わせれば、過去三指に入りそうなぐらいには。HLでは異界医療で普通では考えられないようなスピードで現場復帰できていたので、今回の入院は気が遠くなりそうだった。
ぶった切られた足が完全にくっついてからは、スクワットやら足の筋肉を取り戻すメニューを続けていたが、長すぎる休養で感覚が薄れてしまっている。神経から伝わってくる感覚が鈍いのだ。しかも左右の足の感覚が微妙に違うのが、強烈な違和感を訴えてくる。自分の足で歩くと良く分かる。切断されてしまった左足への血流の巡りが、僅かながら右に比べて遅い。
日常生活はともかく、僅かといえどその遅延は戦闘において致命的なのは重々承知だ。一番影響の出る
念のため、左の太腿のあたりにはズボンの上から幅広の黒いサポーターを巻いている。くっついたとはいえ、全力で足を振りぬいた時の足への負担は掛かる。それを軽減するためのサポーターだ。れっきとしたサポートアイテムなので普通のサポーターよりも高機能だが、負担軽減以上の効果はない。気休め程度でも、有るのとないのでは大分違うのだが。
コスチューム改造が必要のない私は、サポーターの追加とコスチュームデザインのマイナーチェンジ程度でほとんど見た目にも機能にも変化がない。
そんな私とは対照的に、私がリハビリに励んでいた間に、皆は必殺技開発やコスチューム改造をかなり進めていたようで、久々に見る訓練風景は数日前とは随分様変わりしていた。特に、オールマイトに倣ってパンチャーだったイズクのシューターへの方向転換は、前もって知っていても実際見てみると見慣れなさに特に目を引く。
許容上限を超えるワン・フォー・オールの使用で腕を酷使しすぎて、腕に爆弾を抱えてしまったイズク。無理を続ければヒーロー活動どころか腕の使えない生活が待っている。それを避けるため、今のシュートスタイルへの変更は自明の理とも言えた。というか、遅すぎたくらいだろう。
シュートスタイルを確立するため、A組の中で足技メインの戦い方をする私と飯田くんに教えを請いに来たイズクには、とりあえず欲張らずに座学と指導のみで基礎を教えられるだけ教え込んだつもりだ。基礎もできないうちから応用編は無謀すぎるし、仮免試験に向けてのせっかくの付け焼刃がボロッボロでは話にならない。あとはイズクがどれだけ自分のものにするかに掛かっている。私もようやく復帰したので、これから実戦形式で組手をする予定だ。イズクは観察力に長けているせいか見取り稽古の成果が高い。口での説明よりも実際の手合わせの動きから学ぶことも多いだろうから、イズクから申し出があった時、快く応じた。
とはいえ、まずは他人のことより自分の身体の現状把握が第一。神野事件からこっち、少し引っ掛かっていることもあるので、まずはと準備運動がてら、足を動かしていた。
ポンポンと強弱をつけて飛び跳ねながら、はるか頭上の天井を見上げる。……広くて高い天井のこの体育館γなら、思い切り踏み切っても問題ないかな。そう考えながら。一応、周囲にいるのは相澤先生のみで、彼も数メートルは離れている。危険はないだろう。
スクワットするように着地の流れのまましゃがみ込んだ私は、両足に血流を意識的に多く集め
──ドンッ!!
瞬間、地震と見まがう揺れと地響きが体育館を襲う。その音を耳が捉えた頃には、私の身体は天井を支える骨組みまであっさり到達していた。内臓が急激な高低差に浮き上がるような奇妙な感覚は、普通なら気分を悪くさせるのだろうが、自分にとっては慣れ親しんだものでしかない。負荷を掛けた左足も、懸念したほど軋まなかった。
血紐を鉄骨に絡ませてぶら下がれば、A組の皆の様子がよく見える。……まあ、私が病み上がりにいきなりとんでもないことをやらかした音を聞きつけて、全員唖然とこっちを見上げてるんだけど。自分が踏み切ったであろう地面は、コンクリートにも拘らず放射状に抉れ飛び、クレーターのように凹んでいる。うわぁ。
「……筋肉落ちててこれか」
心の隅に引っかかっていた懸念が事実だったと分かって、私はゆるゆると顔を手で覆った。ため息が漏れる。
「……何でまた、こんなタイミングに戻ったんだか」
誰の耳も届かない天井付近で、ぽつりとうわごとの様に一人呟く。ぶら下がっている己の両足を見下ろしながら。
そこには残滓のように青白い帯状に収束した火花が纏わりついていた。イズクのフルカウルに似た現象。足首に嵌まったそれは足枷のようでいて、どこか踊り子の舞を華やがせるアンクレットのようでもあった。回転し続ける螺旋の端は空気に溶け消え、反対の端から新たな螺旋が生まれるループを繰り返している。
それを他人事のように眺める心だけが追いつかないまま、細胞一つ一つが新たに目覚めたような、内側から沸き起こる衝動にも似た、肉体の歓喜があった。
爆ぜるような加速、思った以上に発揮された脚力。合宿襲撃事件でイズクのピンチに駆けつけるとき、一時的に抑えていたギアを解放した時ですら、ここまでの超加速ではなかった。
神野事件での戦闘で、今まで見せてこなかった本気の一端を出したのは紛れもない事実だ。……ただし、予想していたよりも遥かに、急に出力の増した血法の質に戸惑った。いつから変わったのかまるでわからない。考えられるとしたら、AFOに掛けられた個性をオールマイトが解いてくれた後の僅かな時間、気絶していた間のこと。だが、その間に何も起こってはいない、はずだ。
……そのはずだ。
イズクが
外見がさほど変わってないのを見るに、一年にも満たない時間だろう。だが、その内容の濃さは、こちらでの訓練のそれを遥かに上回る密度だ。
ともあれ、その白い光帯が消えるころには、戻ってきた力と経験が肉体に馴染むのだろうと、ぼんやりとした、けれど不思議なほどの確信があった。
「おかえり」
忌まわしくも愛しい、わたしの刻よ。
ぱ、と鉄骨に絡めていた血紐を離す。浮遊感は一瞬で、たちまち重力の枷にとらわれて自由落下する。指輪から繋がったままの血紐に術式を上書きする。選択するのはシナトベ。呼吸するように風を編み、加速度をつけすぎずに地上に降り立つ。
「星合」
「すいません、神野でどうも自分の制御のネジぶっ飛ばしたみたいです」
つかつかと歩み寄ってくる相澤先生が眉を吊り上げて何か言う前に、遮るように言葉を被せた。
全て本当ではないが、まるきり嘘でもない言い訳だ。
人間ながら、人間が手にしていい領域を踏み越えて武を積み、人外に対抗する牙狩り。その戦闘能力は、本気で振るえば一般人など秒以下の世界で殺せる。それこそ、人権など無視した惨たらしい姿にさえできる。それほど私たちと民衆の間には隔たりがある。
だから私たちは力のないものに対して安易に拳を、足を、積み上げた技術を振るったりはしない。私たちは秩序のための必要悪であり、人類の生存のために戦う代行者。ただ生きるため、守るために鍛えた力を、安っぽい理不尽な暴力に貶めたくはないから。
他の牙狩りが同じようにしているかは知らないが、少なくとも私は普段から何重にも血法には制限を掛けている。10年の歳月と経験値を奪われてなお、血法は強すぎる。不死者である吸血鬼殲滅のための力なのだから当然ではあるのだが、表世間に認められる真っ当な護り方に、血法はあまりに過剰で、血生臭い。
私の言い訳に、剣呑な、それでいて何故か悲しみが入り混じっているような色をして、相澤先生の瞳が揺れる。その色を読み取ったものの、なぜそんな顔をするのか分からず首を傾げそうになるのをこらえ、へらりと笑った。