正直なところを言えば、A組の21人がこうして再び全員揃うことはないかもしれないと、星合の無残な姿を収めた写真が雄英に投函された時から相澤消太は覚悟していた。
足が武器にもかかわらず片足をもがれてしまっては、日常生活でさえ覚束無くなる。ましてや、戦闘でより体に負荷のかかるヒーロー活動など、夢のまた夢になってしまうのではないかと思った。
たとえ星合が劣悪な状況でも腐らずに、常識的な感性を持ち合わせたまま成長できたほどの精神的タフネスを持っているとはいえ、彼女はただの15歳の少女だ。身体的なハンディキャップに加えて、拉致された間に受けた、言葉にするのも憚られるような拷問に心が折れてしまわないかと、案じた。
ヴィランから遠ざかって、これまで享受できなかった、子どもらしいありふれた平和な日常を謳歌する道も選べた。けれど、自分のような境遇の人間を出さないためにヒーローを目指すと言った、星合の願いを粉々にするような運命を呪いたくなった。
情に厚いブラドやミッドナイトが、こんなのはあんまりだと嘆いたのに言葉や態度でこそハッキリ同意はしなかったが、似たような気持ちだった。ヒーローを目指す以上、いつかは直面する世の闇、修羅場とはいえ、まだ庇護されるべき学生の身なのだ。……あんな惨い目に、二度と遭わせたくはなかったのに。
会見が終わった後、校長とブラドと共に、ヴィランによって人生を滅茶苦茶にされ続けている星合や、同じく攫われた爆豪の生還を祈って、目が乾くのも構わず中継を凝視し続けた。
その場にいた誰よりもぼろぼろの身体で、戦うどころか起き上がれることすら奇跡的としか言いようのない凄惨な身体を晒しながら、星合は恩人を庇うためにヴィランの前に立ちはだかった。そしてその後繰り出される、火事場の馬鹿力としか思えない怒涛の連撃。身じろぎするだけで息が上がる激痛の中でなお、放つのは磨き抜いた武の極致。
死を覚悟する遥か格上と対峙し、身体に鞭打ってなお、星合は頑なに防御にのみ打ち込んだ。他のヒーローが駆けつけてくるまでの時間稼ぎとして。
無茶はするなと、どのツラ提げて言えるか。一般人ならあまりの酷さに目を逸らしてしまいそうなその姿は、俺たちが守り切れなかった結果だというのに。
――地獄など幾度も見た、人の我欲を、憎悪を、怨恨を。……この人生は地獄に満ちている。
――生まれを呪った、親を憎んだ、血を疎んだ。ああそうだ、わたしに綺麗なものなどこれっぽっちもないとも。
15歳が紡ぐには重苦しく、哀しい言葉の数々が静かに淡々と零れ、項垂れて小さく見えた星合の横顔。腫れ上がった瞼に隠された赤色が光を無くして濁っているのを見て、ああ、と悟ってしまった。
精神的タフネスが強いあまりに、劣悪な状況でもまともな人格に育ったのではない。
……お前は、とっくのとうに、一度壊れてしまっていたのか。今のおまえは、そこから積み上げてもう一度作り上げた「星合千晶」だったのか、と。
言葉に滲んだ、血を吐くような重たく苦しげな唸りが、心の底から星合が、世界の醜さを、自らを捨てた親を憎んでいることを伝えてくるのと同時に、……なによりも、星合が己そのものの存在を疎んでいることに、気づいてしまった。
――わたしがこの忌々しい力を鍛えたのは、捨てられないのなら、せめて誰かを守れる人間に成りたかったからだ。それこそがわたしの生きる価値であるべきだと、思ったからだ。
それでも、星合はばらばらに壊れた心をかき集めて、唯一手元に残った忌々しい個性を磨き上げて、それが世の、かつての自分のような目に遭っている人に手を伸ばすためのものとして、再定義した。……そうしなければ折れそうだったのかもしれない。生きている理由すら見つけられなかったのかもしれない。最高峰のヒーロー科で抜きんでた実力を見せてなお、まだ足りないと貪欲に力を磨き続けるほどに。
道理で、衝動や執念、復讐心に突き動かされている節が無いわけだ。星合を動かしていたのは、「もう二度と無力さに嘆きたくない」という慢心とは正反対に位置する、己の自己評価の低さからくる、覚悟と決意だったのだから。
――たとえ千の挫折を突きつけられようと、私の生き方を捻じ曲げる理由にはならない。光に向かって一歩でも進もうとする限り!人間の魂が真に敗北することなど断じてない……!!
星合の、心の底からの叫び。あらゆる人間の魂を揺るがすような咆哮。悲しくも眩しい、彼女の信念と決意に満ちた、宣誓だった。
ありとあらゆる暴力や理不尽に運命を狂わされても、前を向くことを諦めまいとした少女が疑いようもなく、悪などではなくヒーローにふさわしい人間だと、彼女はその言動で示してみせた。
神野事件が終わり、星合が病院に運ばれてきた後も、折られた指や全身のいたるところに刻まれた切り傷、殴られすぎて色の変わったままの肌がガーゼや包帯の間から覗いていた。身体が感染や出血で衰弱しきっていて、
そうやって事後処理の合間を縫って見舞うこと三日、星合は静かに目を覚ました。上手く音の鳴らない、ヴィランに潰された喉で俺の名前を懸命に呼ぼうとするのを押しとどめて、二日間、よく耐えた、よく生きて戻ってきてくれたと思いを込めた言葉を零した。そんな俺に頭を撫でられるがままの星合の、頬が腫れ上がってうっすらとしか開かないまなじりから、ぽろりと、耐えきれなかったように雫が落ちていったのを鮮明に覚えている。常に凛と立ち、泰然自若としている星合の、取り繕わない素のままの感情の発露を初めて見た気がした。
時間を掛けて回復していった星合は、俺たち周囲の大人がひそかに固めていた覚悟と準備をよそに、懸念していたハンディキャップを自力で乗り越えてみせた。義足を学校の控除で作り、義足での日常生活に慣れるまでは休学するのも良し、と考えていた俺たちの想像をいい意味で裏切った。持ち前の恐ろしいほどの集中力と器用さと技術力で、自分の足を繋ぎ合わせるという腕利きの外科医もリカバリーガールでさえも驚き通り越して呆れかえるレベルのことをやってのけたのだ。
どうりで脚がないことについて説明した時も、取り乱さずに平然としていたわけだ。諦めきってしまって一時的に無感動になっていたのではなく、彼女は最初から、誰の力も借りずに自力で足を取り戻すための算段を立てていたのだ。あの薄暗い部屋の、極限状況の中で。
まさか、氷で保存していた自分の足の断面(俺も直接は見てないがグロいだろう)に血の糸を通して、筋肉を、血管を、神経を繋ぎ合わせてほぼ元通りの姿に戻してしまう技術すら編み出していたとは思いもしなかった。普通の生活をしていれば、そんな使い方、思いつきもしないし実行もしないだろう――それだけ、この少女が辿ってきた人生がいかに残酷だったかが分かってしまう。
何があろうと、誰の力も借りず、ひとりで生きていけるように編まれた技たち。
自立していると言えば聞こえはいい、だがそれは実際、彼女が助けを求めた時、周囲の大人は見て見ぬふりをして、その悲鳴から耳を塞いだことによって、誰も助けてくれないと絶望した結果生まれたものなのではないか。彼女は大人を不要と判断してしまったことに他ならないのではないか。それはどんなに悲しい覚悟だろうか。
あの惨事を超えてなお、A組21人が揃ったのは喜ばしい。ただ、それだけでは済まない爪痕も、それぞれに残している。
「何はともあれ、組手しようかイズク」
「え、えっ?足の方は良いの、それ……?」
「まあこれは自然と落ち着く気がするから気にしなくていいよ」
重傷を負った後の病み上がりにいきなりやらかしておいて、何もなかったように涼しい顔で緑谷に声を掛けに行った星合。その足元では未だ回転を続けている不可思議な光輪をまるで気にしていない彼女は、どれだけ周囲の注目を集めているのか自覚しているのだろうか。……してんだろうが無視してんだろうな、あいつの場合は。内心でそう呟いて、小さくため息を吐く。
日常茶飯事……というか、悪意のない注目はさっさと無いものとして扱えるだけの図太さと割り切りは、思春期とは思えない胆の据わり方だ。それが、さっきの会話や数日前に技の数を尋ねた時に見せた遠い目からちらほら透けて見える、おぞましい過去の果てに積み上げて身につけたものだとしても。
えええ……?と困惑の声を上げている緑谷と、当事者とは思えないほどあっさりした星合の対照的なコンビを眺める。
あの数日の出来事を、きっと星合は一生抱え込んで生きていく。傷も記憶も、民衆からの重圧に似た期待も、非難も、若い背中に背負って、進んでいかなきゃならない。俺たち雄英教師は、その重さを背負わせてしまった。星合だけでなく、爆豪にもだ。
せめて教え子であるうちは、俺たち教師が今度こそ守らなければならない。そのための寮制度でもある。登校中に生徒が襲撃されるリスクを減らし、内通者を炙りだすための。
これからの人生が、健やかで輝かしいものであれと願った。
星のように、暖かい日差しのように、綺羅やかな水晶のように。
元の名をなぞり、漢字一つ一つを選び抜いて、俺たちが星合に贈った名には、その想いが込められている。
せめて雄英にいるうちは、他の生徒たちと何気ない日常を過ごしてほしい。普通の年相応の子どもでいることの、喜びを知ってほしい。
お前のこれからの人生に光あれと、柄にもなく願わずにはいられない。
恐らく仮免試験は問題なく通過するであろう星合を見ながら、仮免試験通過後に予定されている雄英生に許された制度を、星合、そして仮免通過者に適用するか検討すべきだろうと考え、俺は目を閉じた。