カレンダー上は8月も終わりとはいえ、まだまだ夏の終わりの気配は見えない。30度の猛暑日を迎えることもさほど珍しくない気候が続いているが、それでも朝は比較的涼しい風が吹いている。
とはいえ、生ぬるいといえば生ぬるくもあるので、僅かに血法で発生させた冷気を纏いながら、朝の敷地内を散歩する。
全寮制に移行して変わったことといえば、門限の追加だろうか。夜間は敷地内を監視ロボットが見張るため、生徒は深夜の出歩きを禁じられている。そもそも全寮制の導入の理由がこれ以上ヴィランに襲撃されるのを予防するため、そして生徒の安全を守るためなのだから、当然の措置だとは思うが、少々窮屈ともいえる。
とはいえ、寮の外への出歩きを禁じられるのは深夜のみ。早朝トレーニングを日課にする者も多くいる雄英だ、朝にランニングやトレーニングにいそしむ生徒の姿を見かけるのは珍しくない。すれ違う人の中には知り合いもいて、手を振ったりしながら校舎へと歩を進めた。
まだ生徒の気配がない校舎に足を踏み入れる。廊下には青白い朝の光が満ちていて、誰もいない静けさも相まって、知らない場所のような空気が漂っている。
全科全クラスの寮が立ち並ぶ区画が良く見える、ガラス張りの窓が続く廊下に、待ち人はぽつんと立っていた。声をかけるよりも早く、気配を察知した彼が振り返る。
「おはようございます、校長先生」
「おはよう、星合君。いい朝だね」
「ええ、絶好の仮免試験日和になりそうです」
時はあっという間に過ぎて、今日は仮免試験当日だ。あと15分もすれば寮にいるクラスメイト達も起きだして、一時間後にはバスで試験会場に向かう予定だ。それぞれが緊張と期待と不安を抱く難関を前にして、早起きしてこうして校長と人目を忍んで会うのには理由があった。
「それで、首尾はどうだい? 僕を呼んだってことは、良いお知らせかな」
「はい。以前お話しした雄英のサイバーテロ対策、サーバー監視AIが完成しました。メティス、挨拶を」
一言、ポケットから出したスマホに向かって呼びかければ、ホーム画面が切り替わる。一瞬ぷつんと黒く染まった画面に浮かび上がるようにして、無数の青いグラフィックと、黒髪に蒼氷色の目をした少年が映る。写真のような平面さはなく、精密な3Dモデルのような立体的な質感を持つ彼は、青く光る無数の平面図を衛星のように周囲に漂わせたまま、優雅にカーテシーを取った。
現代ドイツにあって公爵位を名乗ることを変わらず許された、由緒あるラインヘルツ家に仕える
『お初にお目にかかります。根津校長先生。僕はクリスティアナ・I・スターフェイズが創りし電脳演算人工知能、メティスと申します』
複数の人間の声を混ぜ合わせて作られた合成音声は、少年のような透き通ったソプラノ。わずかに電子的な揺らぎを混ぜているので、人間のような自然さとシステムらしい無機質さが同居する、絶妙なバランスで聞こえるだろう。
機械に感情を持たせるまでの技術はこちらの世界では発展していないのは確認済みだ。雄英の負傷者運搬ロボもかなり人間に近しい判断能力を具えているが、悪態こそあれど、人格や感情があると錯覚する領域には至っていない。他の技術レベルからして開発に成功していても不思議ではないのだが、これも個性の発現のせいで人間の可能性が多様化しすぎた弊害かもしれない。
もちろんこのAIも元の世界ではかなり規格外の、超高性能AIなのだが……ともかく、こちらの世界の人にとっては、非常に真新しく映ることは違いないわけで。
「初めまして、メティス。……話に聞いてはいたけど、とても挙動のなめらかなAIだね」
『僕は元になったオリジナルAIをこちらの世界の技術に合うように改造されているので、最初からある程度知能が発達しているのです』
「なるほどね」
電脳演算人工知能・メティス。
度重なる雄英の内部情報の漏洩の原因を探るため、そしてセキュリティ強化のため、私に開発させてほしいと以前から校長に頼み、了解のもとで作っていたAIだ。
USJ事件が起こった原因である、カリキュラムの漏洩については未だに原因不明のままだ。雄英ゲートのセキュリティはUSJ事件以降、ゲートの物理的強度も、プログラム側でもレベルを上げたらしいのだが、情報漏洩の原因が内通者によるものなのか、それともネットワークを介して情報をすっぱ抜かれたことによるのかはっきりしない以上、出来うる最善を尽くして「もしかしたら」の可能性は潰しておきたかった。
そう考えて作っていたのだが……今となっては合宿前に完成させておけば良かったとも思ってしまう。合宿直前、準備のために行ったショッピングモールでイズクたちが死柄木と接触した件で、直前に急遽合宿先を変更、生徒にすら知らせない徹底ぶりだったのに、その努力を嘲笑うように襲撃されてしまった。……まあ、漏洩の原因が内通者だった場合、間に合っていたとしても防げなかっただろうが。それでも確実に原因の選択肢は絞れたはずだと思うと、歯痒い気持ちになる。
だからこそ、雄英のセキュリティ向上は必須案件だった。安全のためにも、世間の雄英に対するマイナスイメージをこれ以上悪化させないためにも。出来ることをやらずに後悔するよりは、多少周囲に引かれようと、手を出そうと決めたのだ。
私がHLに渡航して間もない頃、ライブラの構成員の詳細や集めた情報をHLの魑魅魍魎どもから守るために、私個人の人脈の力を借りて完成させた多機能AI。そのAIを元に今回作ったのが、セキュリティ特化型AIのメティスだ。構成員の情報だけで10億ゼーロはくだらない値が付くほどに、ライブラの情報セキュリティは盤石だった。人類よりもはるかに発展した文化を持つ異界からのアタックすら撥ね退けてきたAIの知能を引き継いだメティスは、こちらでも大いに辣腕を奮ってくれるだろう。
メティスの元になった多機能AI、そのもう一つの側面である情報収集・蓄積能力に関しては、すでに別の特化型AIを作って作動中だ。その名を、「フギンとムニン」。北欧神話の主神・オーディンへ集めた情報を囁く、2羽で一対のワタリガラスの名を冠している。
ステインが狙ったヒーローのパトロールルートの割り出しの際、ネットに散らばった目撃情報や写真の抽出、解析に使用したのがこのAIだ。途方もなく広いネットの海から特定のヒーローの写真を、しかもSNSなどの媒体で、写真はあってもヒーロー名が入っていない投稿も含めて拾ってくるなんて膨大な作業、人の手を介せばどれだけの時間と手間がかかるか。人間には元々不向きな単純作業なのだ。人間では見落としも出てくるが、疲れ知らずのAIならばその点は得意分野。ならば、情報収集はAIに任せ、その精査と分析に自分の脳のキャパシティを使えばいい。
ライブラの時のように、私の意を汲んで潜入調査してくれる私設部隊もいない今、フギンとムニンは学生という身分でも情報戦で後手を取らないために必要な「目」だった。
ヴィラン連合の動向を探って備えるべく、フギンとムニンの作成を優先していたがゆえに、メティスの改造が遅くなったのは失敗だったが──林間合宿で、死柄木が新たに配下に加えたヴィランの情報も手に入れられた。容姿、氏名、判明している個性。これからは奴らもフギンとムニンの監視対象になる。黒霧はワープ能力のせいで足取りを追うのが困難だったが、他のヴィランならばより多くの足取りが追えるだろう。小さな情報を積み上げて、連中の行動範囲を探り、潜伏するアジトや、隠れながら連中に手を貸そうとするAFOの協力者を残らず引きずり出す。
「元になったAIは多機能でしたが、メティスはセキュリティシステムに絞った特化型です。たとえウィザード級のハッカーが仕掛けてきても、人間より5倍の速さで学習、進化するAIには勝てないでしょう」
「僕の個性でも太刀打ちするには骨が折れそうな話だね」
ネズミの身体に、人間を超える頭脳。本来人間のみが持つ個性をネズミが獲得した稀有な例。それがこの根津校長の特異性だ。
時間の流れを操ることすら児戯のようにやってのける異界有数の顔役──アルルエル翁と、プロスフェアー(チェスと将棋を混ぜて数十倍複雑化したような異界産ボードゲーム)を打って、千年以上あのゲームに時間を費やした翁相手に、なんとか指定された時間いっぱい猛攻を凌ぎきり、ぎりぎり生還を続けている私とチェスをして、戦績が五分五分というあたりに、校長がいかに異常なIQの持ち主なのが分かるだろう。
ジョークを飛ばした校長に、私も微笑み返しながらポケットに入れていたUSBを取り出した。
「このUSBにメティスの組んだセキュリティプログラムが入っています。検証して頂いて構いません。安全性を先生方や本職の方に確認して頂いてから雄英のサーバーに組み込んでいただければ、プログラムを媒介にメティスが管理を開始します」
「分かったよ。パワーローダー先生と、うちのセキュリティシステムをお願いしている業者の、僕が信用を置く一部だけに見せるつもりさ」
「……過ぎた申し出を受けて頂いて、ありがとうございます」
「いやいや。君なりにクラスメイトや先生方、この学校を守りたいと思っての行動だろう? 学校を預かるものとして、そして君の秘密を知る一人として。その意志は喜ばしい。頑張ってね、仮免試験」
「……はい。いってきます」
その場を辞して、寮への帰途につく。皆、そろそろ起きだして朝ごはんを摂っている頃だろう。その予想に違わず、寮に戻って共有スペースに足を踏み入れれば、瀬呂くんや口田くん、梅雨ちゃんやモモがすでにテーブルについていた。
「お、おかえり星合。相変わらず起きるの早えな」
「お散歩に行ってきたの?」
「お早う皆。うん、今日はランニングせずに外の空気吸ってきた」
かけられる声に応じながら、洗面所に足を向ける。空調を利かせた室内はひんやりとした空気を保っていた。
共有スペースのだだっ広い洗面台に手をついて鏡を覗き込めば、難しい表情をした自分と目が合う。
神野事件は私やオールマイト、雄英、ヒーロー社会へと大きな衝撃と打撃を与えたが……私だけの損得を言えば、大迷惑な風評被害と、今回負ったケガの治療に血液ストックを全部使ったのはかなり痛いものの、損害分を大いに上回る手札が揃えられそうだ。生徒の中で大怪我を負うのが私だけで済んだのも、散々体育祭から撒いてきた布石が活きたのでほっとしている。これを口にすれば、オールマイトだけでなく先生方やクラスメイトたち、友人たちから批難轟々なのは目に見えて明らかなので、死んでも口には出さないが。
これまでオールマイト経由で塚内さんからこっそり貰っていたヴィラン連合関連の情報も、今後は正式に手に入れられる算段がようやくついたのも大きい。……今日、仮免試験という教え子の大舞台を蹴ることになろうともオールマイトが臨む予定の、獄中のAFOとの面会で得られる情報も期待がかかる。
本来ならば、仮免試験に集中すべき身の上にもかかわらず、神野事件以降、私は普段通りを貫きながら、脳内はあらゆる物事へと思考の枝を伸ばし続けている。雄英内のこと、世間のこと、ヴィラン連合のこと、AFOのこと。
これまで警察の領分、ヒーローの領分と遠慮してきたが──神野事件でそのどちらも恐らく完全には信用できない可能性が出てきた以上、自重するのが馬鹿らしくなってきたのだ。
これ以上後手に回るのも、良いようにやられるのも限界だ。動かなければ守りたいものも守れない。イズクやオールマイトたちの身の安全、そして平穏な学校生活のためなら──私が「秘書嬢」として得てきたこれまでの力を使うのもやぶさかではない。
周囲に気配がないのを確認して、ぽつりとつぶやいた。
「……今後、活気づいたヴィランは手を変え品を変え雄英や社会に牙を剥くだろう。それは看過できない……どんな手を使っても止める、君にも協力してもらうぞ、メティス」
『もちろん。そのための僕らだ』
私の事情を知らない人たちから、どれだけ異常と言われようとも構わない。
泥も闇も、被る覚悟はとうに出来ている。
▼電脳演算人工知能メティス、フギンとムニン
クリス手製の自立思考を持つAI。ライブラの構成員の詳細や集めた情報をHL内外の魑魅魍魎から守るために、クリスがNY支部にいた頃に偶然知り合った(出会い方がそのまま「親方!空から男の子が!」)クリス個人の協力者である日本人のギフテッドの少年と、彼が作った人類最高の発明と云われる人工知能ノアズ・アーク、そしてライブラの魔術的セキュリティを担う鍵屋の青年の協力を得て作成した、ライブラのサイバーセキュリティの門番である自律学習型AI:ムネーモシュネーのプログラムから成立しているため、最初からめちゃくちゃハイスペック。
ムネーモシュネーは一つのAIでいろんなことをさせていたが、MHA世界では分担・共有させることで精度が向上している。
メティスは情報集積・セキュリティ管理がメインの電脳魔。名前ネタはギリシア神話の「思慮・叡智・助言」を意味する知性の女神。オーケアノス(海神)の娘、オーケアニデスの一人。名前の元ネタは女神だがAIの姿は少年。
元になったムネーモシュネーがアバターを作る際、作り手の一人であるノアズ・アークがギフテッドの少年の見た目を流用したことから、ムネーモシュネーも真似をしてクリスを幼くした見た目にしたため、メティスはその対としての姿である男性版。クリスティアナの容姿はスティーブンに似ているため、彼はいわばスティーブンの少年時代(ただし青目でストレート髪)にも近しい。クリスティアナの趣味というより、メティスが過去記録から、レオとスティーブンの姿をサルベージしてトレスしたもの。蛇足。
第一部ラスト「ほしいものをほしいだけ」で『いっしょに行動しなくて良かったの?』と文字で会話していたのはこのメティス。この後、雄英のネットセキュリティ強化に大活躍する。
フギンとムニンはどちらかというと情報収集の手間を補うため、ネットの海から特定の情報を抽出したりハッキングしたりという方に幅を取っている特化AI。
フギンとムニンで収集した情報をメティスが記録・管理するといった分担になっている。
元となったムネーモシュネーは、外伝『銀の弾丸(×名探偵コナン)』で登場していますのでよければよしなに。
https://syosetu.org/novel/204276/