いつまでも睨み合ったまま動かない二人だったが、士傑の毛むくじゃらの人が「イナサ! いい加減行くぞ」と言って回収してくれたお陰で不毛な(?)睨み合いも終わった。
流石に九州の高校、バスではなく電車で帰るのか、別の分かれ道に入ろうとしていたその時。イズクがあっ、と大声を上げて一目散に毛むくじゃらの人の元へ駆け寄っていく。なんだ? と見送っていたら、走りながら鞄を漁ったイズクは、ノートとペンを構えて「気配消す訓練ってどんなことされてるんですか!!?」と迫った。
……士傑はそんな訓練をしてるのか。中々高度な技術だろうに、学校で教えてるなんて凄いな、と興味を引かれて近寄っていた私は、毛むくじゃらの人が不思議そうに小さく首を傾げたのに目を瞠った。
「……? そんな訓練はしていないが……」
瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走る。たちまちのうちに嫌な予感が、一気に心臓の鼓動を速めてうるさい。
「? でもあの唇がプルッとした人が……。それに、あの人もっと話したそうにしてたので、お話できればと思ったんですけど……どこへ……」
イズクの声が遠く感じる中、疲れていたはずの頭が急速に思考を速めていく。聞きたがりの知りたがり。そんな人間の話を、つい最近聞いたばかりのはずだ、誰だった。どこで聞いた。
「ケミィか? 彼女は調子が悪いと先にタクシーで駅に向かってしまったよ」
「えー……そっか、悪いことしたな……」
「そういえば、あいつここ3日ぐらい変だったな……なんか普段と違うというか……」
毛むくじゃらの人の言葉が、決定的だった。
ひとつ思い当たった記憶に、普段なら血液操作で抑えられる冷や汗が噴き出す。どうか違っていてくれと願いながら、私はがしっとイズクの肩を掴んだ。毛むくじゃらの人が驚いているが、それどころじゃない。
「痛っ、え、星合さん? どうしたの……?」
「顔色が悪いが……」
「そんなことはどうでもいい」
思ったよりも低い声が出たが、それすら気に留めていられない。イズクの肩を掴む手の力加減を誤っていることさえ気づかないまま、私は二人の声をぶった切った。いつになく冷静を欠いた私の様子に、ごくりと息を呑む音が聞こえる。
「イズク、その気配を消せた人、個性は見た?」
「えっ、う、うん。麗日さんそっくりに変身してたから、多分……」
「……何?」
予感が警鐘に変わる。「変身」、あり得ると予感しながら、そうであってくれるなと想像していたそのワードに歯噛みする。頭の中で、掘り返そうとしていた記憶と手に入れていた情報、イズクの証言。全てのピースが組み上がって、ひとつの絵になる。
イズクの証言に大きく目を見開いた先輩は、それは本当か、と食い気味にイズクに念押しした。訳も分からないまま頷いたイズクに、それはおかしい、と呟く声は静かで、どこか打ちのめされているような響きだった。
「……ケミィの個性は”幻惑”。少しの間、幻をつくるものであって、他人そっくりに変身することは出来ないはずだ」
「え……じゃあ、僕と戦ったあの人は、一体……」
先輩の言葉を聞いて、ようやく何かがおかしいと察したイズクの顔が青ざめる。頭痛が響き始めるのを感じながらも先輩に視線を向ければ、毛むくじゃらの中で唯一光る瞳と目が合った。
「……先輩、すみませんが士傑の先生を呼んで頂けますか。急ぎ説明したいことが」
「何? ……、……分かった、すぐ呼んでこよう」
「星合さん……? 一体、なにが……」
「後で説明する、今は相澤先生を呼ぶのが先決だ」
私の申し出に一瞬眉を上げたものの、視線を逸らさない私の姿に、何かを察したらしい先輩は、すぐに先行していた士傑の一団に向かって走っていく。呆気に取られたままのイズクに説明したい気持ちもあるが、それよりも優先しないといけないことがある。
**
同時刻。試験会場から離れた、工事現場やビルが立ち並ぶ人気のない薄暗い区画を、金髪をなびかせ、黒い制帽を被っている少女が歩いていた。着信音に気づいて、ケータイを手にした彼女の耳元に、男の焦った声が届く。
『やっと繋がった!』
歩を進めるたび、まるで蝋を溶かしていくようにぼとぼとと白い粘土のようなものが、少女の顔から剥がれ落ちては落ちていく。肩のあたりで揺れていた茶色がかった金髪がぼとりと白い塊になり、艶やかな唇も小さな口も、まるで別人のように剥がれては、そのかたちを変えていく。
ひとしきり雨のように剥がれ落ち続けた塊が止んだその時、格好は学校帰りの女子高生そのままに、その上に載っている頭と顔は、先ほどとはまるで別人に変貌していた。
垂れ目の黒い瞳は、狂気的な鋭さの光を湛えた金へ。
小さかった口は、にたりと三日月を描き、その開いた薄い唇の隙間から、鋭い犬歯が覗く。
『どこで何してる!? トガ!!!!』
そこにいたのは、合宿所を襲ったヴィラン連合の一人、トガヒミコだった。
「素敵な遊びをしていました」
『定期連絡を怠るなよ! 一人捕まれば全員が危ないんだ!』
「大丈夫なんです、私は今まで見つからずに生きてきたので。それに有益でした、弔くんが喜ぶよ」
責め立てるような、心配しているような声の男──あらゆるものを球体に圧縮する個性の男、Mr.コンプレスの苦言をさらりとかわした彼女は、ポケットから取り出した小瓶、その中に入っている米粒より小さな血液を、うっとりと、恍惚とした笑みを浮かべて眺めた。まるで、恋する相手を夢中になって眺めるような顔で。
「──出久くんの血を手に入れました」