人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

120 / 152
いつか魂が摩滅するまで

 

 

 カタカタカタカタカタ、と静かな室内に、絶え間なくキーを叩く音が響く。目にも留まらぬ速さでキーボードに指を走らせながら、同時進行で次に打ち込む内容を考えているため、あっという間に画面の中の用紙が文字で埋まっていく。

 

 仮免試験を終え、最後に色々と一悶着あったものの、帰路にトラブルがあることもなく寮に着いた。合格率5割以下の難関である仮免試験に合格し、緊張感から解放されてほっと緩むクラスメイトの輪から一足先に部屋に引き上げたのは、仮免試験に紛れ込んでいたトガについて、公安へ渡す報告資料を作るためだった。

 

「(一応塚内さんに事情聴取を受ける事になっているとはいえ、情報は早いほうが良いだろうし)」

 

 トガはヴィラン連合の中でも戦闘能力は低い方とはいえ、場合によっては戦況をひっくり返しかねない攪乱役だ。分身を増やすトゥワイス共々、早く捕まえておきたい相手でもある。

 相澤先生が通報してくれたことで、速やかに多古場国立競技場周辺に捜索網が展開されたが……恐らく逃げられるだろう。トガヒミコの個性を考えれば、お茶子やケミィさん以外の変身ストックは常に用意しておくはずだ。そうでもなければ単身、敵だらけの仮免試験に紛れ込むなんて大胆な行動は取れない。もしバレた場合、変身して民衆に紛れ込んだとしても捕まるリスクが高すぎる。

 

「失血死事件以外にも、原因不明の貧血を伴う被害者を出した通り魔事件も調べ上げてもらった方がいいかもしれないな」

 

 高速で頭と手を動かす合間、頭の整理のためにふと考えた事が口について出る。

 大胆さと慎重さは、お茶子や梅雨ちゃんからあらかじめ聞いていたトガの特徴。それを今回まざまざと見せつけられた以上、彼女が関わっただろう事件の被害者リストを作り、頭に叩き込んで確保のチャンスを増やす。特に失血死している被害者なら、その顔が紛れ込んでいたら間違いなくその中身はトガだから、誤認逮捕しようがない。

 ただし、公安の人の睡眠時間削る事になるけれどと、不眠でフラフラしていた目良さんを思い出す。自分もかつて、エナジードリンクにお世話になる生活をかなりの頻度で送っていたので、不眠のつらさは身に沁みて分かる。気休めだが、心の中で十字を切っておいた。

 一介の学生の分際で振り回すのは心苦しいが、過去の事件を洗い直すだけでも、トガの個性の詳細を探る手がかりになるはず。決して無駄な努力にはさせない。

 

 

「(……しかし、まぁ。わざわざ危ない橋を渡ってまで、単身乗り込んできた目的はなんだ? 血液のストックを集めるのが目的なら、他にもっとリスクの少ない手がいくらでもある。イズクに接触するのが目的だった? 何故? わざわざ士傑生を襲って、数日間なりすましてでも? それなら、なんでトガは多古場に士傑とA組(わたしたち)が集まるのを知っていた? 仮免試験は同日三カ所開催。潜入場所を間違えたら、イズクに接触するどころか、B組がいる会場か、それとも完全に空振りのもう一つの会場に当たるのに。どの会場にどの高校が参加するかを事前に把握出来るのは、元締めであるヒーロー公安委員会だけ。……公安に内通者? 笑えない話だけど、可能性がゼロとは言い切れないな)」

 

 何しろ向こうの世界では、内輪揉めの結果、潜入先の組織に密告されたせいでスパイだとバレて、危うく粛正されかけた公安の人間を一人、匿った事もあるわけで。

 

 ひとつ疑問に行き着けば、連鎖的に不可解な点が浮かび上がってくる。それら全ての疑問を、情報不足の今、安易に判断する事はできない。ブレーンストーミングの要領で、考えつく限りの疑問点を列挙しておく。ひとつひとつの疑問点を深く掘り下げるより、広い可能性を示して警告し、判断を委ねる方が現状最善だろう。

 この報告を上げれば、公安に内通者がいる可能性に会長も気付くだろう。内部調査はあちらの仕事。こちらはこちらで、任せられた仕事をきちんとこなすだけだ。

 

 

 ぐ、と凝り固まった姿勢をほぐすように、両腕を頭上に伸ばしたその時、コンコン、と控えめなノックが響いた。千晶ちゃん、とドアの向こうから呼びかけてくる声に立ち上がる。お茶子だ。

 ノックの時点で来客を察したメティスが作成中のデータを保存し、パソコンをスリープモードにしてくれた(本当に気が利くAIだ)のを横目で確認し、ドアに近づいてお茶子を出迎えた。

 

「いらっしゃい」

「おじゃましまーす」

 

 少し周囲を気にしながら入ってきたお茶子を不思議に思いつつ、部屋に置いたポットでお茶を入れる。ベッドではなくクッションを敷いたチェアに落ち着きなく座るお茶子にマグの一つを手渡し、ベッドに腰掛ける。

 しばらくの間、お茶子はマグを浮かさないように弄っていたが、ようやく決心がついたように顔を上げて、話しだしてくれた。

 

「……合宿の時のことなんやけどね」

「うん」

「私のこと、同じ匂いがする、って言うとったんよ」

「……トガが?」

 

 うん、と頷いたお茶子の顔に、思い詰めたような色はない。むしろ落ち着かなさそうにぱたぱたと足を揺らして、そのたびにパカパカとスリッパが間抜けな音を立てた。

 

「好きな人がいますよね、って」

 

 思わずん? と声に出さなかった私を誰か褒めてくれ。本当にそれはヴィランとの会話だろうか。クラスメイトとの恋バナではなくて? 

 

「いや、あの、そういうんとちゃうんやけどね!? なんか勘違いされたみたいで……!」

 

 何故か急にあわあわと慌て出すお茶子に、どう反応していいか分からず固まっているうちに、宙を彷徨っていた手がぴた、と止まった。赤らんでいた顔が少しずつ平素のものに戻っていって、手はそのまま膝にぽとりと落ちた。

 

「好きがエスカレートして、好きな人と同じになりたくなって、持ち物とか真似して……それでも満足出来ないからその人そのものになりたくなっちゃう、って、言ってた」

「……」

「ボロボロで血の臭いがする人が好きで、……最後にはいつも切り刻む、って。すごい恍惚とした顔して言ってて、ちょっと怖なった」

 

 はは、と困ったように無理矢理笑みを作るお茶子に、そっと目を細める。

 

「私はそういう気持ちは全然分からんけど……もしかしたら、千晶ちゃんにとっては役に立つ情報かなぁ、って思って。前に皆で情報共有したときは、こんな話したら脱線するやろし、いらん情報かなって思って言えんかったの」

「あー……なるほど、確かに脱線するだろうね……」

 

 なにしろ、夜嵐くんの登場で色めき立ったクラスメイトたちである。恋バナの気配を察知すればもう、話し合いどころじゃないだろう。その様子が容易に想像出来て、思わず苦笑いをする。

 だが、お茶子が話してくれたことで、少なくともいくつかの疑問が解けた。

 

「お茶子、ありがとう。お陰で、色々納得した」

「ほんま?」

「うん」

 

 何故イズクに接触したか、その理由がうっすら察せた。

 みんなの話によれば、合宿で梅雨ちゃんとお茶子がトガと遭遇し、トガの吸血武器にお茶子が刺された所に、障子くんやイズクたちの、爆豪を護衛していたメンバーが出くわした。人数が増えて捕まる危険性が高いからと、すぐさまトガは逃走を選択して森に消えたそうだが……この場面で一番ズタボロで血まみれだったのが、イズクだ。

 血狂いマスキュラーを命からがら倒し、合宿所にコウタと一緒に戻れ、という私の忠告を振り切って幼馴染みの救出に走った彼は、OFAを100%以上の気迫をもって使った反動で、骨折と内出血のオンパレードでひどいものだった。

 ……それがトガのお眼鏡にかなってしまったのであれば、不可解にも思えるこのタイミングでの接触が、少しは理解出来るものに近づいてくる。いや、彼女の思想自体には全く共感もクソもないのだが。

 

 ――好きだから、同じ(・・)になりたい。その人そのものになりたい。真似に飽き足らず、その人自身に成り代わりたくなる。……その好きな相手を、殺してでも。

 

 なんとまぁ、随分と歪んだ好意だ。痴情のもつれは色々見てきた(主に兄弟子(スティーブン)愚弟(ザップ)関連)が、ここまで純粋なサイコパスも久々に見た。

 人間が誰しも持つ憧れや恋という感情が、個性から来る本能と歪に結びついたがために生じた特殊性癖。HLで眼球性愛(オキュロフィリア)死体性愛(ネクロフィリア)食人性愛(カニバリズム)などの特殊性癖(パラフィリア)の人間には、今までも何度か出くわしてきたが、この手の人間にこちらで出会う事になろうとは。

 血を飲む、というトガの個性発動の推定条件から、血界の眷属(ブラッドブリード)を神の御使いとして崇める狂信者集団(奴らの食料になる人間(いけにえ)を集め、自らの血を差し出すようなイカレた人間の集まり)を思い出して、思わず眉間に皺が寄った。

 思えば、あの掃討作戦が最初の――……いや、これ以上思い出すのはやめよう。

 

 

 一秒も満たない思考時間の中で、不毛な方向へ進もうとした思考を一旦打ち切り、考察に思考を引き戻す。

 好きな相手に成り代わりたいという、トガヒミコの願望。その感情と願望は致命的に狂っている。その異常性が、ではない。願いを叶えるべく衝動的な行動を繰り返しているのに、どうあがいてもその願望は一生叶わないという矛盾と破綻に、彼女が気付いていない事そのものが、だ。

 

 血を飲んで、その人間の皮を被っても。それは見た目だけで、思考や仕草はトガヒミコという人間以外の何者でもない。

 

 仕草や癖が違う、思考が違う、行動原理が違う。

 歩んできた人生そのものが違う。

 当然だ、それら全てを模倣すれば、トガヒミコという人間ではなくなってしまうのだから。

 

 だから、彼女の願いは叶わない。彼女がトガヒミコという人間性を捨てない限り、彼女の恋は永遠に一方通行だ。

 そもそも摂取血液量で変身時間に限界があるのだから、変身で願望を満たしても一時的なもの。成り代わりたいから切り刻む。得た血で成り代わっても、不完全だから次を探す。その結果、ヴィラン連合に行き着いたのだろうか。

 個性と願望が奇妙に噛み合った結果、依存性のある狂気を作り出すのだから、この「個性」という人間の進化もなかなかに闇が深い。

 

 どこまでも一方通行で、どん詰まりの憧憬。殺せば殺すほど、彼女を捕らえようとする人間は増える。それから逃げるために必要な血は消耗品。だから、切り刻んで殺して、それでトガが満足なのが意外だ。

 個性の性質上、ストックを減らさないために逃がさず殺さず、というスタンスを取りそうなのに。いや、体術と暗殺術に長けているだけで、純粋な腕力や火力、広域制圧には普通に無力だから、ターゲットに反撃されないためのやり口かもしれない。

 

 ……情報が足りない。私はトガと直接相対していない。神野で同じ場にはいたが、AFOの洗脳の対処で精一杯だったので、トガのことは眼中になかった。イズクやお茶子たちからの伝聞だけが現状の情報源である今、これ以上の考察はただの妄想だ。

 

 

 まばたきと一緒に思考を切り替える。

 役に立てたんならよかった、と先程の沈鬱さを吹き飛ばして、ニコニコと無邪気に笑うお茶子。そのあどけなさに思わず私の口元も緩む。

 今の話は報告書に盛り込んでおくべきだろう。恋が云々は置いておいても、彼女が起こした一連の事件の動機としては十分に重要な情報になりうる。

 

「試験中のトガの言動はイズクから詳しく聞くとして……お茶子としては何か気になる事あった?」

「えっ? ……そういえば、一次試験で私が瀬呂くんと一緒にデクくんのところに合流したら、あの人逃げてったんだけど……その時に、名指しでとっても信頼されてるね、って言われた」

「……信頼……トガは途中でお茶子に変身してたってイズクが言ってたし、トガの変身をノーヒントでイズクが見破ったから、イズクとお茶子の仲の良さを羨ましがったってとこかな」

 

 わざわざお茶子にそんな負け惜しみじみた一言を残すとは、イズクに事前情報なしで変身を見抜かれたのがさぞ意外だったんだろう。私のような映像記憶持ちでもないのに、一発で見抜いたイズクの観察眼には恐れ入る。

 何気なく思った事を呟いただけだったのだが、お茶子の顔が火を噴くかと思うぐらいに一気に赤に染まったのを見てぎょっとする。

 

「お茶子?」

「ちゃ、ちゃうし、恋とかそんなんやなくて、一生懸命なのすごいなぁっていうアレやし! そう!」

 

 なんだろう、何故か一人会議が始まってしまった。

 ハワワ、と言葉にならない声を上げ、激しく頭を横に振りはじめた友人の奇行に呆気にとられつつ、振動でお茶がこぼれそうなマグカップをそっと手から取り上げておく。危ないし、そのうちうっかり五本指で触って浮かせてこぼしそうだ。

 そういえば、前にもこの状態のお茶子を見た事があるなと記憶を掘り返せば、あぁ、試験前の女子トークかと思い当たる。たしか、胸がザワつくことが多い、と呟いたお茶子に、恋だ! と反応したミナが切っ掛けで盛り上がった会話。……ああ、ふーん、ほー。

 今までの環境が環境だったので、私自身は色恋沙汰とは無縁だったけれど。お茶子の過剰すぎるほどの反応にピンときた私は、こっそりニヤついた。表に出すと気持ち悪いだろうから、おくびにも出さないけれど。

 

「イズク、一生懸命で眩しいよね。わかるよ」

「!」

 

 変に茶化さずに同意を示せば、過剰反応なほど勢いよくこちらに首を向けるお茶子が、ただただ微笑ましい。そういうところがミナに食いつかれる要因なんだけどなあ。まあ、かわいいので黙っておこう。無意識だろうし。

 

「そう! 眩しいって感じなんよ、なんていうか、こっちも頑張らないと! って感じで!」

 

 喉元から小骨が取れた、と言えばいいのか、しっくりくる表現だったのか。激しく頷いて力こぶしを作って力説するお茶子に目を細める。

 

「私もそんな風に思った事があるから、よく分かる」

「えっ誰!? 轟くん!? それともデクくん!?」

「なんで真っ先に轟……」

 

 周囲の認識が当然のようにセット扱いなのは何故。いや、轟もイズクも間違いではないし、もっと言えば、この雄英で出会った友人たち皆が対象ではあるのだが。

 急に目を輝かせ、身を乗り出してきたお茶子のキラキラ輝くヘーゼルの瞳を見返しながら、どうどうと宥める。他人の話となるとミナみたいに興味津々になった……。……まあ、夜嵐くんが試験後に駆け寄ってきた時もワクワクしてたもんな。そういう類の話じゃないので、残念ながら期待には応えられないのだが。

 

「違うん? うーん……あっ! オールマイトとか!」

「はは、残念。オールマイトも間違いじゃないけど、もう一人、大切な人が居るんだ」

 

 自分でもこんな声が出せたのかと驚くほど、穏やかで、静かな声だった。マグをテーブルに置いて、空いた右手は自然と左の中指を辿る。その根元に嵌めた銀環の表面をそうっとなぞれば、あたたかい気持ちで胸の内が満たされる。違う世界にいても、この指輪があるおかげで、私はわたしらしく立っていられる。

 

「……むかし、自暴自棄でがらんどうだったわたしに、真っ直ぐ向き合ってくれたひとが居たんだ」

「……」

「あのひとが生きろって言ってくれたから、今ここにいる。わたしが生まれた事が間違いじゃないって証明するために立ち上がれ、って励ましてくれたから」

 

 あの言葉があったから、ここまで来られた。

 鍛え直すためにあらゆる人に頭を下げ、教えを乞うた。智恵を、教養を身につけた。そのまぶしく温かい背中を、がむしゃらに追った。ただ、彼のために役に立ちたくて、懸命に努力を重ねていった。そうやって、私をもう一度作った。

 

 世界を隔ててもなお、あの日の言葉が、わたしを生かしている。

 

「正義感が強くて、人が大好きで、まぶしくて、何よりも強くてやさしい、かみさまみたいな人なんだ」

 

 本人に伝えたら、そんな事はないと大きな身体を丸めて謙遜するのだろうけど。

 今も目を閉じれば、私の名前を呼ぶテノールが聞こえてくるような気がしている。

 

 砂糖をどろどろに煮詰めたような、あまったるいほどの声で語る私を見て、黙って私の話を聞いてくれていたお茶子が、ほうっと、大きく深いため息をついた。まぶしそうに目を細めて、うっとりと笑む。心底、嬉しそうな表情だった。

 

「……ほんまに、千晶ちゃんにとって、かけがえのない人なんやね。その人」

「そう、だね。あの人の代わりなんて、きっと一生出会わないし見つからない」

 

 そのまぶしさが曇らないようにと願った。けれどあらゆる悪性と欲望と醜悪さを煮詰めたあの街では、他者の善性を期待するだけでは、良いように食い散らかされるだけだ。

 願うだけでは叶わないと私は知っていたから、義兄と共にあらゆる手を使って彼の敵を滅ぼした。知られれば軽蔑されるだろうとわかっていてなお、私は私のために、望んで手を汚した。

 彼の為などと言えば、あの優しい人は心底悔やんで苦しんでしまう。だから、知られた時は彼の為なんて言わないで、きっと心ごと全部、墓まで持っていく。

 

 そんな、自分の全てを差し出しても惜しくないと思える相手など、そう何人も現れることはないだろう。

 だから、お茶子にかけがえのない人、と言われてすとんと胸に落ちた。恋だとか愛だとか、好きとか、これはそんな感情で収まるものではない。

 

 たったひとりの、代わりのいない人。まさに、その通りだと思う。

 

 

「だからね、嬉しかったんだ」

 

 もらった言葉を大事に抱きしめて今も生きている。これからも、ずっとそうするだろう。

 そのもらった言葉を思い出させるような言葉をくれた女の子を、私は親愛をもって見つめた。

 

「USJ事件の後、お茶子、私に生きててくれてよかった、って言ってくれたでしょう」

 

 心のこもったあの言葉が、どんなに嬉しかったか。

 私が大切なひとの中に入っていると伝えてくる、その言葉をどんなに愛おしく思ったか。

 

 まだ一緒に過ごした時間は短くとも、この子は信頼してみたいと望みを抱いたあの日、その言葉を受け取ったとき、ああ、これは何が何でも死ねないなと思った。私という人間を心底心配して、大事にしてくれる彼らを泣かせてはいけないと、自然と思えた。

 ライブラへと帰るために生きようとしていた私に、もう一つ、お茶子は生きる意味をくれたのだ。

 

「あの言葉をもらったからには、何が何でも戻ってこなきゃって思えた。神野でも、過去のせいで、次に会うときに皆に嫌われたとしても、こんなところで死ねるもんかって頑張れたんだ」

 

 そうつぶやいたら、向かい側にいるお茶子の丸い瞳が揺れた。くちびるが先程とは違う意味でわなないて、まろび出る声は水気を帯びて震える。

 

「き、らうわけないやん。みんな、爆豪くんと千晶ちゃんの帰りを、待っとった」

「……うん。そうだね」

「千晶ちゃん、なんもわるくないやん……」

「……お茶子はやさしいね」

 

 ぐっと噛み締められたお茶子の口元がへの字に曲がって、瞳からぽろぽろと涙がこぼれて落ちるのを見て、ああまた泣かせてしまったと思った。……笑っていてほしいのに、ままならない。

 そのうつくしい(しずく)を指で拭い取る。両手でお茶子の頬を包み込み、こつんとお互いの額を合わせた。

 

「おかえりって、言ってくれてありがとう。お茶子」

「何度だって言うよぉ、そんなん、いくらでも」

 

 

 

 

 泣かせてしまったお茶子が泣き止んだのを見計らって、彼女を部屋に送り届ける。同じ寮の中なんだから送るもなにもないのだけれど、私がそうしたかったのだ。長い間泣いていたわけじゃないから、目が腫れぼったくならないといいが。一応、目元に手を被せて冷やしたけれども。

 自分の部屋に戻り、途中だった報告書の続きに取り掛かる。さっきよりも少し速く文字を打ち込みながら、同時並行でトガの個性の詳細について思考を巡らせる。

 

 彼女の『変身』という個性を、「成り代わり」には少し不完全なものにしている要因が、ひとつある。

 彼女の個性では、皮を被った相手の見た目や声は真似できても、個性はコピー出来ないという欠点だ。現状、本物と偽物を区別する、最も分かりやすい判断基準。……一応、今のところは。

 恐らく「変身」は、相手の遺伝子を取り込んで皮を精製するだけで、遺伝子から個性因子を読み込んで自分にインストールし、発動出来るほどの段階には至ってはいないのだろう。

 

 だが、個性は外付けの超能力ではなく、遺伝子レベルで刻み込まれ、親から子へ継承される身体機能。筋肉を鍛えるのと同じだ、出来る事には限界があり、鍛えれば相応に成長する伸び代がある。

 だから、出来れば神野で連合を全員捕らえておきたかった。あの状況では、一番厄介なAFO の逮捕を最優先せざるをえなかったが、後ろ盾を失ったヴィラン連合はここから死に物狂いで牙を研ぎ、戦力をかき集めるだろう。

 私たちだけが成長するわけじゃない。私たちが経験を積み重ねる間、ヴィラン連合が成長しない保証は、どこにもない。

 

 神野事件からこっち、私が手段を問わずに情報を掻き集めているのはそのせいだ。ずっと嫌な予感がしている。神野で悪の親玉が捕まってめでたしめでたし、なんて甘い幻想を見ていられるのは、ただの平和ボケした人間だけだ。

 今の死柄木は親を殺された子どものようなもの。そんな人間がどうして、指くわえてフェードアウトするだなんて思えるだろうか。

 連中が体勢を整える前に、居場所を掴んで一網打尽にしなければ、取り返しのつかない状況になる。AFOが大人しく捕まったのも、死柄木が成長するためのシナリオをすべて整え終えたからのように思えてならない。……考えすぎだと笑われるかもしれないが、そうやって油断してあっけなく死んだ人間を、私は嫌というほど見てきている。

 

「急がないとね」

 

 全てが手遅れになってからでは、遅いのだから。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。