intentional lie
マスコミによって雄英の正門・通称“雄英バリアー”が破られ、非常識にも校内に無理やり押し入り、非番のオールマイトから一言コメントをもらおうとするという、まさにマスメディアの傲慢と横暴が顕在化したような、聞いているだけでウンザリするようなはた迷惑な一件から数日。
ただのマスメディアの所業とは思えない門の崩れ方から、
「今日のヒーロー基礎学だが……俺とオールマイト、そしてもう一人の三人体制で見ることになった」
あの警報事件で活躍したことで、その行動力に感銘を受けたイズクが飯田くんに委員長を譲るといった一幕はあったものの、それ以降はいたって普通のハイスクールの日常と呼んでいい、HLでは望んでも得られなかった「平和」そのものの時間が流れていた。
「ハーイ!なにするんですか!?」
「災害水難何でもござれ、
質問に答えるように相澤先生がピッ、と突き出したのは『RESCUE』の文字の書かれたプレート。前回は『BATTLE』だったので、授業内容によって色々とバリエーションがあるようだ。
「レスキュー!今回も大変そうだな」
「ねー!」
「バカおめー、これこそヒーローの本分だぜ!?鳴るぜ!腕が!!」
「水難なら私の独壇場、ケロケロ」
「おい、まだ途中」
一言喋ると数倍になって返ってくる1-A名物のお喋りだが、相澤先生の気迫込みのひと睨みには敵わない。ピタッとおしゃべりが止んだところで、相澤先生は手元のコントローラーで壁収納を動かした。
「今回コスチュームの着用は各自の判断で構わない。中には活動を限定するコスチュームもあるだろうからな。訓練場は少し離れた場所にあるからバスに乗っていく。以上、準備開始」
合理主義に基づき、重要な連絡事項だけ端的に伝えた相澤先生の号令によって、クラス全員が準備をすべく動き出した。
私にとって、ヘルサレムズ・ロットとは、一言でいうのならば「霧の街」である。
元祖霧けぶる街である
突如紐育のど真ん中に空いた、異界に直通の穴「永遠の
「外」から見ると、まるで核兵器を投下した後にできるキノコ雲のような霧の結界に常に覆われているHLだが――いざその中で暮らしてみると、「外」からでは絶対に気付かない違いに気付かされる。
まず何よりも、青空なんてのはお目にかからない――太陽の姿すらも望めない。分厚い霧の結界に包まれた空は365日ずっと同じ灰色をしていて、もし常夏の国や、日照期間の多い国からHLへ渡ってきたのならば、1、2週間でホームシックを引き起こすか鬱屈とした思考になること請け合いである。精神がまともであればまともであるほど、長期滞在をお勧めしない街でもある。
朝から晩まで、薄い霧に常に包まれた摩天楼は、さながら世の末のような雰囲気を醸し出す。一年中寒暖の差がほぼ無く、衣替えの必要が無いのは財布に優しくて嬉しいッスね、と、少しばかり聞いている人間の涙を誘うような世知辛いことを、とある可愛い後輩は語っていた。ちなみにその発言をした後輩にはその後でめいっぱいご馳走を作って餌付けしたことは余談である。
薄い闇は常に外を出歩けば付き纏って、僅かな水分は数分歩けば髪や服にまとわりつく。年中洗濯物を外に干すのには向かないし、そもそもそんなことをすれば数分で盗難に遭うのはお約束なのでアレだが、とにかくちょっとした不便ばかりが引越し当初は目に付いたものだが、それすらもいつかは慣れてしまった。
たった一度だけ、HLにも突き抜けるような晴天が訪れたことはあるけれど――それもまた、つかの間の夢。
とある術士夫妻の間に生まれた、とある双子の話にまつわるその事件については――長くなるのであまり語るつもりはないが、可愛い後輩が身体を張って尽力した、HLを揺るがしかねないその大事件の終わりに見た、明けの空は未だに強く瞼の裏に焼き付いている。
そんな、摩天楼も、人の欲望も、毒々しくも煌びやかに輝くネオンも、掃き溜めの邪悪も、赤い羽根の不死者すらも、霧の無明に包み隠してしまうあの街に身を置いていたことが嘘のように――今、私は二度と見ることが叶わないだろうと思っていた青天の元に、異界医療に侵された身体が爆散することもなく、五体満足で存在している。
吹き付ける風は陽だまりの熱と噎せ返るような生命の香りをはらんでも、なおからりとしていて、見上げればいつだって、突き抜けるような青が目に映る。
あの霧の海の深淵に、いつか骨を埋めて無に還ると信じて疑わなかった私の予想を大きく裏切って、この数奇な日々を送っているのだと、ここが異世界なのだと、頭上に広がる蒼天を見上げるたびに思うのだ。
帰りたい、と思わない日はない。
友人たち、保護者、先生方――彼らとの交流はとても楽しい。元の世界では出来なかった「青春」を、謳歌できている喜びに深く感謝している。けれど、会話のあちこちで顕在化し、立ち塞がる異世界と異文化の分厚い壁が、私に「お前は異物だ」と囁くのだ。
血凍道も血濤道も、“個性”に非ず。
血液の特性さえ受け継げば、習得の第一関門は越えられる後天性の「技術」である。このことが世界に知られれば、どうなるか。……きっと再び実験の
同じ人間という生き物のありとあらゆる悪性を、裏側を、非合法を、裏社会を目の当たりにし身を置いてきただけに、己の立場の危うさは、よく分かっているつもりだ。ただでさえ、“個性”と偽っている今も、この二つを事情を知らない誰もが「強い“個性”だね」と褒めてくるのだ。DNAを媒介に力が譲渡されるワン・フォー・オールと、秘密を知られた時の危険度はほぼ同じと言っていい。
だからこそ、私はあの霧の街に戻らなければならない。あの場所で、手始めに世界を救う事こそが使命で、不死者を封殺する戦いを続けることこそが、この血と刺青に刻まれた呪詛が示す、私の宿命だ。
それを、忘れてはならない。
「千晶ちゃーん、どうしたん?バス乗ろう?」
「あ、ゴメン。今行く」
ぼんやりと空を見上げていた私に、不思議そうな顔をしたお茶子が声を掛けてくれる。振り返れば、お茶子と似たような表情のイズクや、感情の読めない瞳でじっと見つめてくる轟がいて、私は恵まれていると苦笑しながら、次々と乗り込んでいくクラスメイトの一番最後尾に並び、中に乗り込んだ。
中の座席はランダムなのか殆ど埋まっていて、男女入り乱れている。唯一空いているのは轟の横で、早くもセット扱いされている、と私は遠い目をしつつも、口では文句をいう事もなく素直に腰を下ろした。
轟は目を閉じて静かに座っていて、授業が控えているので寝ているとは思わないものの、独特の雰囲気を醸し出す友人に黙ったまま賑やかなクラスメイトのお喋りに耳を傾けていると、不意に目を閉じたままの轟がくちびるを震わせた。
「……何か悩み事でもあんのか」
「うん?」
唐突な話題に、思わず目が点になる。先ほど考えていたことの内容が内容なだけに、心でも読まれているのかとぎくりとした。
基本的に、轟は他人を案じるようなタイプではない。心配しないわけではないのだが、マイペースで我が道を行く、自分の目的のためにそれ以外のことに脇目もふらずに邁進していく部分が強すぎて、他人を案じることがあっても、ごく少数の身近な人物か心を許した人間だけ、というのが私の中の印象である。その心を許した人物に、家族のうち少なくとも一人は除外されているのが悲しい話だが、それは私の主観であって、轟に言わせれば余計なお世話だろう。
私が意外そうな声を上げたのが気になったのか、ふわりと瞼が持ち上げられて、色違いの双眸がこちらを見下ろしてくる。
「最近のお前は、少し変だ」
「え”」
「この前の相澤先生との会話といい……お前、何を隠してる?何を、抱えてんだ」
黒と、緑の双眸。冷たい色合いに思われがちだが、私を見下ろすその奥には、確かに私を案じる温かなものが揺らめいていた。声だって冷たく詰問するような声色だが、本当はわざとそんなポーズを取って、あえてこちらに無遠慮なまでに踏み込んででも聞き出さなくてはと危機感を覚えさせるほどに、轟に心配を掛けていることも、悟ってしまった。
どうして。私は君に酷いことばかりしているのに。なのに、どうしてそんなに案じてくれるの。
狸共とは違う純粋な感情に、それ以上その目を見ていると心を突き動かされてしまいそうに思えて、不自然にならない程度にさっと視線を逸らした。
……変に賢いと、何かと聡くて困る。俯いて髪の陰で表情を隠しながら、ひっそりと苦笑を浮かべた。心配されることは嬉しいけれど、その問いに、私は答えることができない。胸の内で、ごめんと繰り返し呟く。声に出して謝れば、何かを抱えていることを肯定してしまうから。
轟。君の誠実さに、私は不誠実でしか答えを返せない。それが、嘘をつくことが、私と君と、あと世界のためだと分かっているから。
「……何でもない」
「おい、」
「私には、何もないんだよ、轟」
「……!」
確かに抱えているものも、隠し事もたくさんある。
それら全てを明かせないのなら、せめて笑おう。
虚勢を張って、大丈夫だと意地を張ろう。
無理を押して、大多数の為に平和の象徴であろうと自分を犠牲にするオールマイトのように。
けれど、思ったように表情は取り繕えなくて、歪んだ笑顔になってしまう。たった半年でこれほどまでに顔を作るのが下手になるだなんて、予想だにしていなかった。面の皮は厚いはずだったのに。
一見冷たそうに見えて、本当は心優しいこの友人に、これ以上重い十字架を背負わせたくない。貰った優しさに、存在すら曖昧で、ふつうの子どもが享受すべき娯楽のひとつも経験せずに殺伐とした日々ばかりで人生を消費した、対
いつかその手を離す
ねぇ轟。本当は、どんなにいびつだったとしても、私に無いもの全て持っている君が羨ましくてしょうがないんだよ。……笑うでしょう?
息を呑む轟の双眸に映る幼い私は、不格好な、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべていた。