人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

130 / 152
ちょっと長い話です(切りどころがなかった)


Mentor②

「正直、現時点でお前をインターンに行かせるのはどうかと思っている」

 

 限定的にインターンが許可されたと聞いた日の放課後。呼び出しに応じて訪れた職員室で、相澤先生に言われた言葉に面食らって、一瞬言葉を失う。

 

 ……驚きはしたけれど、不思議とショックはなかった。

 予想外ではあったものの、ここ数日の意味深な視線の理由が、さっきの言葉に帰結するのであれば、色々と腑に落ちる。

 

 私が黙ったままのせいか、長い前髪の奥から私をじっと見つめる相澤先生との間に沈黙が落ちた。授業から戻ってきた先生方や、日直の当番や質問しに来た生徒で賑わう放課後の職員室の中で、ここだけ静けさが満ちて、少しずつひたひたと周囲を侵食していくような感覚。

 その独特な感覚に既視感があり、記憶を掘り返すまでもなく思い当たる。……ああ、神野事件の後、白い病室で目を覚ましたとき。一番に相澤先生が顔を見せてくれたあの日の、あらゆる猥雑なものを遠ざけた、ほどよく静かな空間に似ているのだと。

 今は職員室にいるため、完全に二人きりではないけれど、あの時の空気によく似ていた。静かだが、その沈黙は苦痛を感じさせないものだ。

 

「理由を聞いてもいいですか」

 

 相澤先生の視線にまっすぐ向き合う。普段通りに見えて、薄氷を踏み抜かないように慎重に進もうとするような相澤先生の様子を嗅ぎ取って、遠慮は要らないと態度で伝える。

 

「……理由はまァ色々あるが……大きく三つだ」

 

 ぼりぼりと頭を掻いた相澤先生は、顔の前で三本指を立てた。

 一つ、神野事件で標的にされたことで、これまで以上にヴィランに狙われやすくなっていること。オールマイトが苦戦したAFOに対し、満身創痍ながらも攻撃を防ぎきった私を欲しがる輩が大勢出てくるだろうと。

 首魁を失ったヴィラン連合が再び動き出すには、もう少し間が空くだろうという私たちの予想に反し、仮免試験にトガが現れたことで、楽観視出来なくなったのだろう。今後も雄英の動きに合わせて、襲撃を図ってくる可能性が無いとは言い切れない。

 

 二つ、左足と血のこと。

 

「一応くっついたとはいえ……まだ万全じゃないんだろ、その左足」

「バレてましたか」

「普通に考えて、いくら個性の影響で治癒力が高いっつっても、落ちた筋力や感覚の違いなんかはあるだろう。俺のコレと同じだ」

 

 トントンと自分の右目の下の傷を指さす相澤先生に納得する。USJ事件で眼窩底骨を骨折したことで、先生の個性にも影響が出ている。元々先生の「抹消」にはまばたきのインターバルがあるが、ドライアイに加えて、使用可能時間の短縮とインターバルの増加という形で、後遺症が残っているのには前から気付いていた。

 

「最近、ヒーロー基礎学でも左足ばっか使ってるだろ」

「よく気付きましたね……」

 

 先生の観察眼には恐れ入るしかない。左右の感覚の違いを修正するために、トレーニングもストレッチも左側を重点的に行っていたのは事実だし、血法の調整も、左足の自分の感覚と実際の発動タイミングの微妙なズレを修正するためのすり合わせに集中していた。ようやく最近、その違和感が修正できたところだ。

 

「その上、USJ事件に神野事件と立て続けに大量輸血が必要になったせいで、血液のストックも心許ねえってバァさんから聞いてる。他人の血液を受け付けない特殊体質である以上……なるべく血液消費を抑えて、緊急時用の輸血ストックを作るのに専念した方がいい。血液を定期的に抜きながら、授業の演習もこなして、その上事件解決数No1で知られるエンデヴァー事務所にインターンに行ってみろ、そのうち貧血でぶっ倒れるぞ」

「多少血液が少ない方が、造血機能が活性化して鍛えられるんですけど……確かに、供給と消費が釣り合わないか……」

 

 身体はとっくに本調子だが、確かに相澤先生の言う通り、今すぐ輸血が必要になっても、足りなくなった血を補填できるだけのストックは無い。退院するときにドクターとも話し合って、今後は週一で血液を抜いて、緊急時のストックにしていく予定ではあるが、造血のスピードと合わないと軽い貧血状態になることがある。牙狩りの身体は造血機能が発達しているので、多めに血を抜いたところで、立ち上がる時にたまにめまいを感じる程度で済む。ただ、その間に無理をすれば当然、インターンどころの話ではなくなってしまう。

 自分の感覚としては退行している分、造血機能をはじめとした肉体機能も元に近づくよう徹底的に鍛えていきたいところだが……相澤先生の心配もごもっともだ。正論すぎてぐうの音も出ない。そもそもこの世界に来た切っ掛けも、三徹の身体を引きずって前線に出たせいで、堕落王の術を避けられなかったという自分のヘマのせいなのだし。

 

「最後の理由は……まァ、インターンに行くと当然、一般人とも交流することになる。世論が傾いたとはいえ、お前を好意的に見てくれる人間ばかりじゃない。お前をよく思わない人間から罵詈雑言を浴びる可能性だってある。……校内でのイザコザのようにな」

「あはは……」

 

 しっかりと数日前の始業式でのやり取りを見ていた、と暗に告げてくる相澤先生にどう反応したものか。それ以上何も言わないところを見るに、今のところは静観してくれるようだが。

 対応に困り思わず苦笑いを浮かべれば、ほんの一瞬だけ、相澤先生の眉が下がる。そのささやかな表情の変化を誤魔化すように口を開いた先生は、ごそごそと机の上に積み上がった書類を漁り始める。

 

「お前のコスチュームは素顔を隠すもんがない上に、事務所へ出向する間の移動時間は当然制服だ。エンデヴァー事務所はココから近いとはいえ……通うには電車を使う必要がある。体育祭と神野で顔が知られている以上、対策を練らずにインターンに出すのは危険だと判断した。理由はこんなところだな」

「……」

「……お前の実力は知ってるし、滅多なことがない限り、並のヴィランなら数を頼みに掛かってこようとお前なら軽々返り討ちに出来るってのも分かってる。だが、プロヒーローであっても万が一の可能性は常に付き纏う。身体が万全じゃない今、インターンを焦る必要性は薄い」

 

 万が一、の部分を口にする時、先生の表情に陰りが表れた。通りがかったマイク先生も、どこかに想いを馳せるように窓の外にちらりと視線を投げかけたので、多分過去に何かがあったのだろう。たらればや危機予測のような言い方ではなかった。実際に「万が一」の事態が起こってしまった、とかだろうか。

 ああ、それならわざわざ職員室まで呼び出されたのも納得だ。最悪の結末こそ回避できたとはいえ、A組の子たちにとってボロ雑巾同然になった私の姿は未だに記憶に新しいはずだ。他の子たちが私に気兼ねしないように配慮してくれたのだろう。

 

「わかりました」

 

 私がすんなり受け入れたのが意外だったのか、充血した三白眼とサングラスに遮られた瞳がそれぞれ見開かれる。そこかしこから先生方が心配するような視線でこちらの様子を窺っているのを感じる中、相澤先生が目を眇め、少しだけ下唇を突き出した。……安心してくれると思ったのだが、なんでちょっと不満げなんですか、先生。

 

「……意外だな、もう少し食い下がると思ったんだが」

「ちゃんと納得できる理由があってのインターン見送りの提案なら、私が駄々をこねる理由はないですよ」

 

 私の反応が不満らしい先生の言葉に苦笑する。ごねられる方が面倒だと嫌がりそうなのに、意外な反応だ。

 喉元まで出かかっていた、子どもじゃあるまいしという本音は、今の私の姿にはそぐわないので飲み込む。この姿で言ったところで、無理をしているか背伸びをしているか、どちらにせよ痛々しさしか感じられないだろう。

 

 合理性を突き詰めているように見えて、実はかなり生徒思いの相澤先生が、悩みに悩んだ末に出した結論だ。私に説明した内容以上に、色々なメリットとデメリットを天秤に掛けて、行くべきかどうか検討してくれたに違いない。

 今回の一年生のインターン先の制限だって、許可を出す際に一番のネックだったのは私の存在だろう。爆豪が仮免に受かっていたら、彼も同じく見送り対象に入ったかもしれないが。

 連合に生徒を拉致された上、ヴィラン予備軍扱いされて世間の厳しい目を受けている状況で私たちを学外に出していては、全寮制という制度で生徒を保護した意味が無くなってしまう。

 理由も、私が今すぐインターンに行くのはデメリットが大きいと考えさせられる内容だった。自覚は無かったが、自分の目で世間の変化を確かめられるインターンという絶好のチャンスを目の前にぶら下げられて、知らずのうちに急いていたのかもしれない。公安の協力者としてある程度の情報を手に入れる算段をつけたとはいえ、今後の予測に充分とはいえないからだ。……嫌な傾向だな、自分の客観視すら出来ていないのはまずい。止めてもらえて良かったとさえ思うほどだ。

 

「それに、先生が『現時点で』とか、『対策を練らずに』とか『身体が万全じゃない今』って言うぐらいですから、今は許可できないけどゆくゆくは許可してもいい、という意味じゃないかと思って」

 

 本当に私をインターンに出す気がないのなら、最初からお前はダメだと言い切ってしまえば済む話なのに、相澤先生が言葉に含みを持たせて話を切り出した時点で気になった。言うべきことはズバズバ言う相澤先生が婉曲的な言い方をするときは、大体何かしらの狙いがあるときが多い。今日のインターンに関する制限の話だってそうだ。結論からではなく経緯の説明が先だったように、この話も救済措置があるんじゃないかと期待して、理由をあえて聞いたのだ。

 それに、私を止める理由のうち、足と血に関しては時間経過で解決する問題だ。私が心ない言葉を向けられる事に関しても、私は多少耐性があるし、コスチュームの変更である程度解決できる。事務所に向かう際は、変装なりサングラスを掛けるなりで誤魔化せるだろう。私が狙われやすいという理由については、そもそも身体が万全になれば大抵の襲撃は対処出来る上に、この理由に関しては私に限った話じゃなく、他のヒーロー科の皆にも言えることだ。

 そう思ってカマを掛けたのだが……相澤先生が眉間の皺を深くし、マイク先生は目を見開いたのを見るに、恐らくビンゴだ。

 

「……お前は、……いや、その通りだ」

 

 黙って出方を窺う私に対し、相澤先生は何か言いかけたものの、ため息を吐き出すことで言いかけた言葉を飲み込んでしまった。少し俯いてぐにぐにと眉間を揉み始めた相澤先生に、デスクを挟んだ向こう側にいたマイク先生がこちらにやって来て、「一本取られたなイレイザー!」と相澤先生の肩をバシバシ叩きながら明るく笑うから、飲み込んだ言葉はあまり深刻ではないのだろうけど。

 何だったんだろうと首を傾げる私を前に、肺を空っぽにする勢いで溜め息を零した先生は、書類の山から引っ張り出した後、裏返しに机に伏せたままにしていた書類を私に差し出した。

 

「お前の想像通り、コスチュームの変更と、足と血液の問題が解決したらインターン解禁も考えている。お前を待ってる所もあることだしな」

 

 書類にざっと目を通し、その内容に目を見開く私の耳に、相澤先生の声が上滑りしていく。

 

「一年の受け入れ可能な事務所に、今回の限定許可について知らせを飛ばした途端に電話が掛かってきたんだぜ、ウチが責任もって預かるっつって。随分認めてもらえてんだなァって、俺ァ嬉しかったね」

 

 マイク先生が私の肩に腕を回して、良かったなぁと軽く揺らしてくるのも構わず、私の視線は受け取った書類の上から下へと行ったり来たり彷徨うことに忙しい。

 

「他にもホークスやミルコ、ギャングオルカといった上位ヒーローからも受け入れの申し出があったが……積めるだろう経験やサイドキックの人数、性格の相性なんかを考慮しても、現状、お前を任せられるのは、エンデヴァー事務所が最適だ」

 

 手渡されたのは、エンデヴァー事務所からの私のインターン受け入れ表明の書類だ。本来生徒には見せない書類だろう、事務所が生徒の安全のために取る対策や詳細な処遇などがみっちり記入されている。私の活動には、安全のために必ずエンデヴァーか、サイドキック数名を同伴すること、出向の際はエンデヴァーお抱えのハイヤーで移動、その際はサイドキック一名を同伴で送迎に向かわせること、インターン活動や普段の学校生活に支障が出るほどにインターンで血液を消費した場合、事務所側あるいは学校側の任意で活動を一時中止する……などなど。

 途中までは、まあしょうがないよな、という納得できる内容のものばかりだったのに、読めば読むほど過保護すぎるほど徹底された対策になってきて、自分の見間違いか翻訳(よみ)間違いかと何度か読み直していた私は、あまりのキャパオーバーに音を上げた。

 

「い」

「い?」

「至れり尽くせりすぎませんかこの対策……!?」

 

 特にハイヤーが送迎に来てくれる点がヤバすぎる。本来事務所はインターン生を受け入れる側で、こっちはお世話になる側。自分の足で向かうべきだろうに、送迎つきってなんだ。不動のNo1だったオールマイトの引退で、実質No1の事務所になって大忙しだろうに、サイドキックを護衛に1人つけてくれる大盤振る舞い。いくら30人以上サイドキックを抱えてる大事務所とはいえ……手厚すぎて怖い。

 

「まぁ、流石にその対策は過剰な部分もあるんでな、その辺は学校側(こっち)から事務所側と協議しておく。……んじゃ、エンデヴァー事務所で良いんだな、行き先」

「あ、はい。断られることも考えていたんですが、向こうが良いのなら是非」

 

 色々と不安定な身だし、例の教育権停止がまだ続いていた場合、断られる可能性も視野に入れていた人間からしてみたら、受け入れてもらえるだけありがたい。

 そう思っての言葉だったのだが、マイク先生にやれやれ、と仕方のない子を見るような目で首を振られた。

 

「HEYリスナー、そいつは要らない心配だ。言ったろ、わざわざ電話掛けてくるぐらい欲しがられてるって。一年で仮免取得するのももちろんだが、学生のうちからここまでプロヒーローから目ェかけられるってこと自体珍しいんだぜ?」

「そうなんですか?」

「……星合」

 

 YESと良い笑顔でサムズアップしてくれるマイク先生を見上げていた私は、名前を呼ばれ相澤先生の方を向いた。膝に両肘をつけて、前傾姿勢で両手をゆったりと組んだ先生が、静かな目でこちらを見ていた。

 

「……焦らなくていい、ゆっくりやろう、星合」

 

 その言葉に私は少し驚いて、驚きに(みは)った目を、ゆるゆると静かに伏せた。焦らなくていい、ゆっくり。暗に私の気が急いていることを案じる相澤先生の言葉を噛み締める。わずかな沈黙の後、私は視線を伏せたまま口火を切った。

 

「……先生」

「ん」

 

 どうした、と視線で問いかけてくる恩師を前に、私は顔を上げて微笑んだ。

 

「神野の記者会見で、私を信じてくれて……ありがとうございました」

 

 

 ちょうど、私たちの救出作戦が始まる直前ぐらいに行われた雄英の謝罪会見。私は監禁されていたので、救出後にその動画を塚内さんに「見てみて」と言われて初めて知ったのだが……

 

 ――拉致被害者の一人、星合千晶さんは体育祭3位入賞と体育祭のインターバルで見せた個性を使ったパフォーマンスという華々しさで注目されてきた人物ですが、実はヴィランに長年監禁され、昨年オールマイトに発見されるまでヴィランの悪事に加担していたという情報も耳にしています。そのような危険な人物を生徒として、初の試みである「スカウト枠」という新たな推薦枠を設けてまで受け入れた結果、今回の事件が起こったのではありませんか? 

 ――合宿先を急遽変更し、生徒にも当日まで行き先を明かさない状態で合宿を敢行したにも関わらず、合宿先を特定され強襲されたということは、合宿先をヴィランに伝える内通者が居たという証拠でしょう?

 

 そんな風に手に入れた情報をぶら下げて相澤先生を煽り、粗野な失言を誘発しようとしたタチの悪いマスコミに対し、動画の中の相澤先生はギンッと眼光を鋭くしたものの――声を荒げることなく、すっと頭を下げた。

 

 ――彼女の入学に関しては、事前に警察と教師陣で充分に協議した上で許可されたものです。スカウト枠という名称ではありますが……一般試験や推薦試験よりも難易度の高い筆記と実技試験を実施し、彼女はきちんと合格点を修めています。

 ヴィランに長年監禁されていたせいで、義務教育分の学力が全くない状態から、たった半年で我が校の入学試験を9割正答で合格できるまでに成長したのは――ひとえに、彼女が本気で過去に向き合った上で、人を守るヒーローになりたいからこそ。

 本当に内通者であれば、9年分の学校教育を半年で詰め込むことになるような嘘よりも、もっと我々に気付かれないような方法で潜入するでしょう。USJ事件でも、出血性ショックで心肺停止、あるいは失血死一歩手前になるまでの重傷を負いながらも、最後までクラスメイトを守るために立ち上がったりはしないでしょう。

 入学前も、入学後も、彼女はどんなヴィランにも立ち向かえるよう、力をつけるために常に努力を続けていました。誰かを傷つけるためではなく、誰かを守り、救うために個性を使いたいからと。

 ……そんな姿を間近で見てきたからこそ、私は彼女を雄英で学ばせるべきだと判断し、彼女を推薦しました。だからこそ、彼女の事情と強さだけを見て、ヴィランにふさわしいと捉えたのであれば――ヴィランは浅はかであると私は考えております。

 

 ……動画を見て、これ以上なく驚いたのを覚えている。

 私はてっきり、オールマイトが後見人として、傍で見守るためにスカウト枠に推薦してくれたものだと思っていた。だから、まさか相澤先生が推薦者だなんて露とも思っていなかったのだ。

 ……いいや。それ以上に、その言葉に込められた真摯な信頼が、すごく、嬉しかった。目頭が熱を持つほどに、感情を根底から揺さぶられるような、衝撃だった。

 

 オールマイトや塚内さんたちが、私が内通者ではないと確信を持てるのは、私が人々と世界のために奔走してきた人間だと、本当の事情を知っているからだ。

 けれど、相澤先生はそうじゃない。先生からしてみれば、私が内通者ではなく、ヴィランの甘言に乗らない可能性はゼロじゃなかったはずだ。絶対に星合千晶が敵になるなんてありえないと、心から信じてくれるような、確かな理由なんて何ひとつないのだから。

 

 ――こんな、嘘で塗り固めた建前を通したまま、真実を話さないでいる不誠実な人間を、相澤先生は信じてくれていた。

 

 目覚めたときに、私が最初に顔を見たのが相澤先生だったのは……いつもよりも寝不足そうな目の隈と疲労を滲ませた表情で、それでも隙あらば場所を選ばずに寝袋に潜り込む先生が、仮眠も取らずにずっとそばに付いていてくれたのは。きっと、私への負い目からだろう。守り切れなかった、そんな後悔が染みついているように見えたから。

 ちゃんと目覚めるのを見るまでは落ち着かないって感じで、事後処理で慌ただしい中、時間の合間を縫って足繁く面会に来てくれていたらしいというのは、マイク先生やミッドナイトから聞いた話だ。

 

 それぐらい、心配をかけた。

 それほどに、このひとは私がヒーローになれると、信じてくれている。

 

「いつか、立場の危うさを利用されて、手に入れたはずの居場所も信頼も、裏返る日が来るかもなって、保護してもらえた時から覚悟はしてたんです」

 

 私が受けた罵詈雑言は、たとえこの世界では存在しない虚実からくる(さげす)みであったとしても、私が今まで重ねた罪を考えれば、受けてもおかしくはない言葉だ。ホームパーティに招いた自分の友人が誘った、見知らぬ友人ですら、全員がライブラの情報を狙うグルのスパイで、一斉に銃口を向けられたことさえあるのだから。

 敵の多い人生だ。むしろ、この世界に来てからの一年が、平和すぎたのだとさえ思う。……まだ雄英に在籍を許されて、ヒーロー科の皆や、先輩方、シンをはじめとした他科の友人たちが受け入れてくれていることのありがたみを、神野事件からこっち、ずっと身に沁みるほど実感している。得体が知れないと、気味が悪いと遠ざけられても仕方のない経歴だろうと思うのに。

 

 職員室の大きな窓から見える木々の風景に視線を飛ばしながら、淡々と心の内を吐露する。自嘲ではなく、淡々と事実を確かめるような、温度の伴わない静かな声だと、自分でも他人事のように思った。

 

「……私の事情を世間にばら撒いたって言われた時、きっと、色んな人に信じてもらえなくなるんだろうなって思ってたので、相澤先生のあの言葉はすごく……嬉しくて。頑張ってよかったなぁって少しだけ、自分が誇らしく思えたんです」

 

 視線を先生二人に戻して、私は珍しく、情けない笑みを浮かべた。ほんのわずかに緊張の糸を緩めて、気丈で毅然とした私ではなく、本心を表に出す。

 ……私は人間不信だ、信頼よりも裏切りに出会う回数の方が多い人生を送ってきた以上、この世界がどんなに優しくとも、性根に染みついた性質はそう簡単に変えられない。

 そんな私がうっかり泣きたくなるほど、嬉しい言葉だった。合理性を重視する先生の、理由も根拠も不明瞭なのに、真っ直ぐで確かな信頼。得がたいその信頼を嬉しいと思うのに、ちゃんと応えられるだろうかと不安になった。信頼を嬉しく思うからこそ、真実を言わないままにしている罪悪感に、ちくちくと良心を咎められるから。

 

 それでも、その信頼に適う人間でありたいと思う。

 

 

 信じてもらえない、のあたりを口にしたところから、私の肩を抱いたままのマイク先生が、そんなことねえよと伝えるように、わしゃわしゃと私の頭を撫で繰り回す。

 少しだけ眉を下げたものの、黙って私の話をじっと聞いてくれる相澤先生の真っ直ぐな瞳を、しっかりと受け止める。

 

「……だから、この先どんな言葉を向けられたとしても、見知らぬ誰かから後ろ指指されようと、信じてもらえなくても、頑張れそうだなって思えたんです。……ヒーローにならないと、あの経歴じゃ私はヴィランになっちゃいますからね」

「星合」

 

 冗談めかした言葉に、咎めるような声で名前を呼ぶから。

 そんなことはないと、声だけで心配が伝わるほど強く、否定をしてくれるから。

 これから飛び込む世界がどんなに悪意に満ちていても、大丈夫、立っていられる。

 私が良い子になったわけでも、背負ってきた罪がなくなるわけでもないけれど。あやふやで不確かな「星合千晶」を、信じてくれる人がいる。……それだけで、充分だ。

 

「分かってます、そんなことないって先生方が言ってくれるのも、皆が信じてくれていることも、ちゃんと。……だからこそ、人一倍頑張って、信じてもらえるヒーローにならないと、って思うんです」

 

 私に向けられる心ない言葉が、私の周りのやさしい人たちを間接的に傷つけるほうが、自分が傷つくよりずっと痛いから。こんな、本当のことも言えないままにしている私を信じてくれるひとたちが、悲しい顔を浮かべるような状況が、少しでも減ってほしいから。

 今後ずっと、ヴィラン疑いのレッテルが付き纏うとしても、構わない。次代の希望なんて肩を重くするだけの期待も捨て置こう。好悪問わず、有象無象からの色眼鏡なんて、今まで通り無視して歩けばいい。

 

「十分すぎるほど頑張ってると思うぜ?」

「全然足りませんよ。何もかも」

 

 不安になっている人々を安心させるのがヒーローなら、私はあまりにもヒーローからかけ離れている。

 不死者(ブラッドブリード)でもない脳無に手こずっている時点でまだまだだ。これ以上はオーバーキルだから、と周囲に配慮しすぎて、己の異常さを見せないために力を抑え、自分の成長をセーブしている場合ではなかったのに。

 その結果が、あの合宿所での敗北だ。脳無数体とAFOにまんまと罠に嵌められ、拉致された。

 そして…………。

 

 ふつふつと腹の底に煮えたぎる、やりきれない感情をひた隠し、私は顔を上げた。

 

 ……これからは25歳の状態(元通り)にとまではいかなくても、もう一度研鑽を積み直し、現場での経験を重ねて、100%に近づけていくしかない。

 

「焦りはしますけど、死に急ぎたいわけじゃないんで、大丈夫ですよ」

 

 だから先生が、私を取り巻く状況が変わってしまったことへの負い目なんて抱えなくていい。ヴィラン連合が全ての元凶であり、私の利用されやすい立場(建前)と読みの甘さが引き起こしたことであって、先生方のせいではない。私はこの通りピンピンしているし。

 安心して下さいと笑えば、相澤先生は深々と溜め息を吐いた。問題児で大変申し訳ない。

 

「……その書類の中にコスチューム変更届の書類を入れてある。素顔を隠すようなゴーグルやヘルメットみたいなアイテムを考えて、来週までに提出しろ。この際、デザインを大きく変更しても構わん」

「わかりました」

 

 暗に話は終わりだという先生の意思を読み取って、先生二人に頭を下げ、職員室を後にする。

 まだ夏の名残も残る9月。廊下に出ると、まだ明るさを残す斜陽が廊下全体をオレンジ色に染めていた。

 さて、と腕の中の書類の包みと肩に掛けた鞄を抱え直し、気を引き締める。

 今すぐはインターンに行けなくても、やるべき事は沢山ある。筋トレの内容の組み直し、血液の消費対策。インターンの許可が下りるまでの時間を無駄にする気はない。

 とりあえず、入院で衰えた筋肉を戻すだけでなく、シナトベを併用した超高速移動をしつつ急制動を掛けても、長時間動き続けられる筋力がほしい。ただ筋トレを増やすのでは追いつかないし、やり過ぎない限界を既に攻めているので、何か抜本的に変えないと、今まで通りにゆるやかな成長しかしないだろう。

 血液消費対策にしても、普通のヴィラン相手なら数cc程度で充分事足りるが、合宿で強襲されたときのように、黒い脳無を同時に数体相手、なんて時はそうもいかない。

 永久凍土の城塞(アルクス・アエテルタナ・グラキエース)絶対零度の棺(エータラルデルセロアブソルート)のような、時間停止を組み込んだ奥義の連発は今の身体では未だに厳しい。使う血液の量が、この痩せぎすの身体に見合ってないからだ。

 対血界の眷属(ブラッドブリード)戦でもここぞ、という時に使う技だ。消費量と構築速度を犠牲にしないと、(エスクード)を遙かに超える堅牢な防御にも、眷属を不完全とはいえ一時的に密封する棺にもならなかった。だから、消費量を抑えるように工夫もできない。今でさえ威力と消費量を天秤にかけて、どっちも釣り合いが取れる許容範囲ギリギリなのだ。今後もそう気軽にホイホイ使えるような代物ではない。

 かといって、常用している(エスクード)(エスパーダ)、籠目や天網恢々の方を見直すにしても限界がある。水や氷よりも消費が激しい(シナトベ)電気(ブラッドバレットアーツ)を洗練させていく以外に、何か方法は――。

 

 瞬間、目の前で爆発が起きた。

 

 ドリル音や釘を打つ音が廊下まで響く、サポート科の工房が多く立ち並ぶ区画を通って昇降口を目指していた私は、突然目の前の工房の扉が、爆発音と共に内側からぶっ飛ぶ光景に思考を中断した。

 物思いに耽っていたせいでコンマ数秒反応が遅れたが、スローモーションのように流れる視界の中、窓ガラスに勢いよく叩きつけられようとしている吹っ飛んだ金属製のドアを、咄嗟に編んだ籠目(かごめ)で間一髪空中で絡め取り、爆発の衝撃で吹っ飛んできた人影も、ドアに直撃しないようにキャッチする。

 突然起こった目の前の出来事にあっけにとられつつ、金属製のドアで窓ガラスが割れて、外を歩いている生徒がケガ、なんて惨事を防げたことに安堵しながら腕の中を見下ろすと、ぱちくりとまばたきをしている金色の瞳と目が合った。

 

「あれ、おやおや? あなたは――」

 

 瞳の中にレーダーのような模様がある特徴的な目が、ずずいと眼前に迫ってくる。見覚えのあるその彼女の名前を呼びかけたその時、ぶすぶすと黒煙を吐き出している工房の中から、煙たそうに手を振りながら出てくる人影が出てきた。

 

「あーもう、またか発目! いい加減無茶な組み方いきなり試すんじゃないよ!」

「パワーローダー先生」

「ああ……星合。すまないね、巻き込んでしまったか」

 

 ショベルカーを思わせるヘルメットを被った小柄な男性ヒーロー、サポート科の教師であるパワーローダー先生。同じ学校にいるにも関わらず、入学してからほとんど顔を合わせていなかった彼に声を掛けると、ぐるりと廊下を確認していた先生は、廊下の天井や床から伸びる血糸に奇妙に固定された金属扉と、煤まみれの発目さんを横抱きにしている私を見て、すまなそうにぽりぽりと、個性である鉄爪(てっそう)で頬――ではなくヘルメットの側面を引っ掻いた。

 

「いえ、驚きはしましたけど私は特にケガしてませんし」

「ありがとう、また窓ガラスを割ったり火災報知器が作動してたりしたら、校長先生にお叱りを受けるところだったよ……だから発目! お前もちゃんとお礼を言いなさい!」

「ありがとうございます! えーと、見知らぬヒーロー科の人!」

「星合千晶です、発目さん」

 

 うーん、この短いやり取りだけでわかる先生の苦労ぶり。

 ぺたぺたと私の顔を触ってきょろきょろしていた発目さんが、先生の一言で元気にお礼を言ってくれたが、とってつけた感が否めない。ていうか見知らぬヒーロー科の人って。神野で良くも悪くも顔が売れた私を表したその一言だけで、彼女の興味が発明のみに向けられているのがよく分かる。

 発目明。ヒーロー科が体育祭を勝ち上がっていく中、最終トーナメントまで唯一、サポート科で勝ち上がりその技術力を示してみせた子だ。私自身はあまり彼女に関わりがないが、それでもこの短いやり取りだけで、彼女がいかに生粋のメカニックか分かる。うーん、ニーカとパトリック(ウチのメカニック)を思い出すなぁ。

 名前は分からずともヒーロー科なのはわかってるんだ、と苦笑と懐かしさの入り交じった視線で微笑ましく眺めつつ、彼女を地面に下ろす。すると、ベイビー!と叫んですぐさま発明品(ベイビー)の確認に向かう彼女に、頭を抱えるパワーローダー先生。対照的な二人を横目に血糸を操って、空中に縫い止めたままだった重い金属扉を元の位置にはめ込む。引き戸タイプでよかった、爆発の衝撃で吹っ飛んだだけで、歪みも欠けもしていない扉はあっさりと元通りに収まった。

 

「悪いね」

「いえ、お安いご用です」

 

 工房の中を窺えば、真っ黒に焼け焦げた発明品らしきものを検分している発目さんと、すっかり煤けてしまった工房の床や壁、天井が見えた。ところどころ錆の浮いている金属扉を持ち上げるために出した血液を体内に戻すのもどうかと思い、氷の破片にでもしようかと考えていた私は、一瞬躊躇する。

 

「あーあ……ったく発目、それの片付けしたら工房内掃除して貰うからな」

「パワーローダー先生、良かったら私やりましょうか。出した血液勿体ないんで」

 

 ぶつくさお小言を呟いている先生に提案すれば、先生の言葉を全スルーしていた発目さんが急に顔を上げて、期待の籠もった目でこちらをガン見してきた。どうせ捨てるんだ、有効活用して捨てればいい、そう思っての発言だったのだが、思いのほか発目さんの食いつきが良かった。まあ、この工房はかなり広いから、一人で天井に至るまで全て拭き掃除は大変だろう。

 

「良いんですか!?」

「こら発目。……発目の罰掃除にもなるから、手の届かない天井と壁の高いところだけやってもらえると助かるかな。巻き込んだ上に手伝って貰って悪いけど」

「いえ、こういうのも訓練になりますし、血液をただ捨てるのも勿体ないんで。……あ、そうだ。代わりといってはなんですが、少し相談に乗って頂けると助かります」

 

 早速血糸を天井近くまで伸ばして張り巡らせ、周囲の水分を凝集させながら、仮免試験で使ったスライム化させた水に変換する。水上移動のために作った、水の表面張力を上げる『水蜘蛛』の発展版である。水が垂れ落ちてこないよう、天井近くにシナトベの風を室内を荒らさない程度にゆるやかに張り巡らせ、工房の中にある無数の機械類を濡らさないように配慮する。

 迷惑を掛けっぱなしで申し訳なさそうにしていた(ヘルメットで顔が見えないので雰囲気で察するにだが)パワーローダー先生は、相談?と怪訝そうに呟いた。

 

「インターンに行くのにコスチュームの改良が必要だろうと相澤先生に言われてしまったのと、いくつか今後の課題が出来たので、サポート科方面からの助言がもらえたらなと」

「なるほどね、いいよ」

「コスチュームの改良!!??私興味あります!!」

「うわ」

 

 スライムに煤を吸着させ、某自動床掃除家電よろしく壁や天井を這わせる作業に徹していた私に、さっきまでの無関心ぶりが嘘のように、急速回転して迫ってきた発目さんにのけぞる。

 

「発目! お前は掃除!」

「フフフ、良いじゃないですか先生。それで星合さん、どんな改良をするおつもりで?」

 

 全く聞く耳を持たない発目さんに、特大の溜め息が工房内に広がった。

 

「デザインの全替えは、今のコスチュームを考えてくれた友人に任せるつもりなんだけど、顔バレ防止のアイテムが欲しくて。フルフェイスヘルメットは視界が狭まるのと、重心が変わって戦いに支障が出るんで、できればゴーグルタイプで、ズーム機能とサーモグラフィーが付いてたら嬉しい」

「ほほう、もう大体の構想は考えてある感じですか。いいですね、他には?」

「あと変更するつもりなのはガンホルダーかな、2丁拳銃を腰の後ろにクロスする形で着けてるんだけど、やっぱり後ろだと咄嗟の時に取りづらいんで、スナイプ先生と相談して太腿に着けるガンホルスターの方が良いかなと」

「星合は基本蹴りメインだろう? 足に重りを着けるのはそれこそバランス狂わないかい?左足にも負荷が掛かるから、足に着けるなら、腰ベルトとホルスターを連結させて固定する方がいいと思うよ」

「じゃあ形はそのタイプで……バランスは慣らして調整します。それで、本題は課題の方なんですけど」

 

 かくかくしかじか、と血液消費と筋力アップの話をすると、発目さんが爛々と目を輝かせた。

 

「そういうことなら! 私がコンペで優勝したパワーリストがありますよ!」

「パワーリスト……って、あぁ。もしかして、期末の実技試験で使われてた超圧縮おもり?」

 

 発目さん、コンペ、パワーリスト。その三つに記憶を刺激されて記憶の中を掘り起こせば、そういえば期末で先生方がハンデとして着けていた超圧縮おもりがあったのを思い出す。

 

「うん。あれを常日頃から手足に着けてたら、自然と筋力アップに繋がると思うよ。超重いからしんどいと思うけど」

「いえ、むしろありがたいです。足を鍛えるのに、流石にダンベルとかは使えないんで悩んでたので……発目さん、あれって重りの重さを自由に変えたりできる?」

「デザインと構造の見直しが必要になりますが可能ですよ! あれはサポートアイテムとしての規格内で着け心地と安定感優先だったので、普通にトレーニングアイテムとして作るなら、もうちょっと自由度広がりますし! というわけで私がパワーリスト作ってもいいですか先生!!」

「良いよ、ただリデザインしたら俺のとこに設計図持っておいで、一応チェック入れるから」

「了解です!!」

 

 生き生きしていらっしゃる。HLの外から新しい武器を輸入したパトリックを思い出すな、ほんと。世界が違ってもメカニックは皆こんなものなのだろうと、つい温かい目で発目さんを眺めてしまった。

 それにしても、悩んでいたうちの一つがあっさり解決しそうで嬉しい。トラブルに巻き込まれはしたが、被った迷惑以上の成果に内心ホクホクだ。

 目をギラギラさせて、掃除を放り出して企画書を書くべく工房の机にすっ飛んでいった発目さんを見守っていたら、パワーローダー先生がどんどん綺麗になっていく天井を見上げて、ぽつりと呟いた。

 

「血液消費については俺は門外漢だから、個性が似てるブラドの方に相談してみたら? きっと良いアドバイスがもらえるだろうし、相談したら喜ぶと思うよ」

 

 お隣の一年B組の担任、ブラドキング先生の個性は『操血』。私の血法とよく似た、自分の血液を自在に操る個性である。

 私は顔立ちや皮膚の色からして、見るからに日本人離れしているからそうはならなかったが、もし日本人だったらブラド先生の娘か隠し子疑惑が出ていたのではと思う。それぐらい、私と彼の個性には共通点がある。そもそも血液を操るのだから、性質上戦い方に共通点が出て当たり前なのだが……実際、中学に編入する前に雄英で義務教育の知識を片っ端から叩き込むために通い始めた頃、私の個性を聞いた先生方がブラド先生の方を一斉に見たぐらいだ。あれは先生方も事情を分かってのからかいだ。偶然の一致であって血縁はない。人種的にも世界の隔たり(生まれ)的にも当たり前だが。

 

 パワーローダー先生は私が相談すれば喜ぶと笑うものの、いまいちピンと来ずに首を傾げた。入学前の組手でお世話になった一人だが、担任ではないので入学後の交流はほとんどない。なんなら、銃方面の相談に乗ってもらっているスナイプ先生の方がよほど会う機会が多い。熱血教師でいらっしゃる上に、A組へのライバル意識もあるため、廊下ですれちがっても挨拶する程度で、長話には至らない程度の関わりなのだが……。

 

「そうですかね?」

「うん。クラス分けの時にイレイザーと揉めてたぐらいだし」

「えっ」

 

 意外な情報にぎょっとする私に、「知らなかったか、くけけ」と愉快そうに笑い、パワーローダー先生はヘルメットの隙間から白い歯を覗かせた。私をスカウト推薦したのがオールマイトではなく相澤先生だったのも意外だったが、まさかクラス分けで二人が揉めていたとは。……ブラド先生の熱血プレゼンを淡々と論破する相澤先生の図しか想像できない。

 

「まァ、サポート側からの視点でアドバイスってなると……さっきも思ったんだけど、一回出した血液は大体捨ててるの?」

「場合と量によります。捨てるときは大体水に変えて流してますね。一旦水に変換しちゃえばもう血液成分はないので、敵の手に渡ることもないですし。よっぽど貧血なら、多少汚染してようが免疫系が強いので構わず体内に戻しますが……」

「いや、その捨ててる分が地味にもったいないんじゃないかなって思ってさ。凝固させずに保管しとくアイテムがあったら、それに溜めておけば、緊急用のストックとか、仲間に渡して超遠隔の攻撃手段とかに出来そうかなと思ってね。……その表情を見る限り、目からウロコって感じだね」

「そ……の発想はなかったです」

 

 完全に盲点だった。体内に戻すか、悪用されないように周囲に害のない水や氷に変換してしまうか。その二つしかないと思い込んでいたが、よく考えれば私のやりようでそれ以外……それこそ先生の言う通りに体外に血液を保管すれば、消費血液を限りなく抑えられる上、緊急時のストックとして使える。

 

 ……ただ、体外で血液を保管することが、言うほど簡単じゃないのは、千年の歴史を誇る牙狩りが、その可能性を議論して受け継いでいない時点で明解だ。

 なにしろ体外に出せば、血液操作をしない限り、私たちの血液は通常の血液と同じ性質を持つ。操作することで血液の凝固と流動を制御しているだけなのだ。

 だから例えば、ナイフ形に血液を固めても、その形に形状を固めている「念」が無くなれば、発動限界に達して液状に戻る。そのまま放置すれば、普通に血だまりの状態でゆっくりと凝固していく。さらに時間が経てば、血清と血球に分離していき、劣化していく。だから体内に戻すか、各属性の形に変換させて発散が基本とされてきた。

 ようは、血法の形を血液状のまま体外に保持し続ける、あるいは永遠に固形化しておくなんてことは不可能とされてきたのだ。なにしろ、寝ても覚めてもその形状に保持するための念の注入を絶やさない、なんてことは不可能に近い。血闘神――斗流のじっさま(頭のおかしい求道者)ならもしかしたら可能かもしれないが(なにしろ熟睡してようが襲撃に寝たまま反撃出来る人である)、常に頭の隅で状態保持の演算をし続けながら行動なんて、並みの人間に出来る芸当ではない。

 

 ……だが、その一方で、あるいはという思いはある。私ならばできるのではないか、と。出来ないものだと、そう師匠たちに教えられ、そういうものだと認識していたが……自分ではまだ試していないのだ、やってみる価値はある。

 なにしろ、並列演算は得意分野。むしろこっちに来てから、思考力は退行していない上に、並列思考を使う機会があまりないので、その分思考を持て余している。日本語と英語の相互同時翻訳もほとんど慣れてしまった今、ほぼ無意識下での処理になっている。使っていない脳領域を利用して、というのは案外出来るかもしれない。

 失敗した時の事も考えて、最初は爪の先サイズから少しずつ試していく必要はあるだろうが……出来るようになれば、失血のせいで前線離脱、なんてリスクは格段に減る。

 

「(……牙狩りの限界に挑戦するようなものだけど、やってみる価値は充分ある)」

 

 腐らせるだけなら、めいっぱい有効活用してやろうじゃないか。

 フフフ……と徹夜続きのスティーブンがたまにやる薄気味悪い笑い方になっていたのか、体感三秒ほどの間を空けて、急に笑い出した私を訝しんだのか、パワーローダー先生に心配されたのは誠に遺憾だが。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。