星合の姿がドアの向こうに完全に消えたのを見送ると、妙に気が抜けたのか、無意識に気が張り詰めていたのか。長い溜め息と共に、椅子の背もたれに思い切り体重を乗せて、眉間を揉んだ。抹消を使っていないにも関わらず、疲労感が濃い。
「マジで一本取られたなァ、イレイザー」
「うるせえ」
さっき星合が居た時にも言っていたのと同じ言葉だが、込められた音色が違う。マイクの苦笑い交じりの揶揄を撥ね除けて、ポケットを手探る。ころりと手のひらに転がり落ちてきた愛用の目薬を注して、パソコンを立ち上げた。その起動の間に、当てつけのようにぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。そんなことをしても気が晴れることはないと知っているのに。
「いっそ思ってることそのまんまぶちまけたって許されるのになァ……我慢強さと賢さがアダになってんのかね」
「八つ当たりで鬱憤を晴らすこと自体、不慣れなんだろう」
「頑張りすぎてアイツみたいにならないと良いけどよ……俺ァてっきり、今の二年生みたいに除籍とまでは行かなくても、退院後は停学でしばらく様子見ると思ってたぜ」
「……」
書類棚に寄りかかってこちらを見るマイクの、三角形のサングラス越しに特徴的な渦巻きのような模様に見える金色の虹彩と視線がかち合う。片眉だけ跳ね上げた、こちらに問いかけるような視線から顔を背けて、パソコンの画面に視線を落とすフリをした。
性別も、性格も、容姿も、何一つ符合する所はない。ないのに、どうしようもなく脳裏を掠める懐かしい顔がある。時間が経つごとにどんな声だったかすら擦り切れて思い出せないながらも、燦然と輝くその笑顔だけは変わらず覚えている、学生時代に喪ってしまった友人の顔が。未だに後悔ばかりが苦く爪痕を残して、もう十年近く経つというのにあの雨の日の光景を鮮明に覚えている。
死んだら何も残らない。どんなに生前の在り方が眩しくても、死んでしまったらそれまでだということを、俺は身に沁みて知っている。自己犠牲と命を捨てることは同じじゃない……ヒーローを夢見るあまり、意味をはき違えたままの生徒を現場に出す前に、俺は何十人も除籍処分を下してきた。すべては、人々を明るく引っ張っていけるヒーローに、長く生きてほしいがために。
そういう意味では、待機命令を破って神野事件に爆豪と星合を救うべく突っ込んでいった緑谷たちも、それを知りながら止めきれなかった他の生徒たちも、本来なら今まで通り除籍にして「考えさせた」だろう。ひとえにそうしていないのは、生徒たちの身柄の安全と、内通者の炙り出しのためだ。
……だが、星合は違う。極限状況にあっても冷静さを失わず、己の生存を最優先にしながらも、オールマイトの命も、俺たち雄英教師に向けられる批難をも考えて行動していた。死に急ぐのではなく、最善を尽くそうとした。大人にだってそうできることじゃない。
折られた指や切断された左足も、オールマイトから聞きかじった精神的なダメージ……違法薬物と個性でトラウマの幻覚を見せられ、監禁中に一度発狂状態にさせられたことも、全て15歳の少女が受け止めるには大きすぎる傷だ。脚が治ったからといって、平気そうに過ごしていたって、本来なら一度休養させるべきだと誰もが思うだろう。まったくもってその通りだ。
でも。
「停学にして、授業や仮免取得を遅らせたら……それこそ、俺の目の届かないところで何をやらかすか分からんと思ったからな」
初めて会った時から、不満も弱音も滅多に表に出さない奴なのは分かっていた。そこらの大人よりもよっぽど世渡りを心得ているから、駄々をこねるなんて子どもっぽさは、星合から最もかけ離れている。神野の件だって、俺たち雄英側の手落ちだというのに、責めることもせずにこちらのことばかり心配するぐらい、お人好しだ。
……お前はこちらがぐずぐずと躊躇っている間に、葛藤もなにもかも全て、消化しきれない感情を一人きりで折り合いを付けて、前だけを見つめてさっさと先に進もうとする。守りきってやれなかった自分たちに、その姿を哀れむ資格などないと分かっていても、痛々しい。
大人のエゴで我慢と忍耐を強い続けているのに……こちらへの信頼と、人生への諦念が垣間見える眼差しでただ黙って受け入れる姿に、不安を覚えたのは確かだった。目を離してしまったら、誰も頼らずに自分だけで何かを成そうとしてしまうのではと思った。神野での緑谷たちのように。
「もっと我が儘言ったって良いのにね」
少し離れた場所からずっと窺っていたミッドナイトの、星合への心配と愛情の詰まった溜め息に頷く代わりに、もう一度ぐしゃりと髪をかき回した。