人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

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神様のせいにする弱さがあれば

 時間は流れて、約束の23時。早寝のクラスメイトはとっくに部屋に引き上げて眠る時間。夜更かし組のクラスメイトは食後にソファースペースに集まったまま、ダラダラと居続けることが多いのだが、明日の一限の英語は小テストがある。お喋りに興じていることが多いメンツはやや成績に不安がある子が多いので、飯田くんがふと口にしたその話に慌てて引き上げていった。

 そのため約束の時間より少し早めに一階に降りると、そこには静まりかえった薄暗い部屋が広がっていた。

 

 約束まで10分ほど余裕があるので、ソファースペースに電気を点し、キッチンへと足を進める。

 爆豪は粗野に見えて律儀な子だ、自分で決めた時間に遅れるようなことはしないだろう。お茶を淹れているうちに来るだろう……と考えながら、電気ポットからティーポットに湯を落とし、戸棚から茶葉と共用のマグカップを二つ出す。もう時間も遅いので選んだのはノンカフェインの紅茶だ。私も爆豪も無用な長話をするタイプではないから、茶請けは要らないだろう。

 ティーポットもマグカップも温め、茶葉の蒸らし時間もキッチリ守る。最高の執事(ギルベルトさん)から学んだ美味しい紅茶の入れ方でお茶を淹れ終わる頃、ウィーン……とエレベーターが稼働する小さな駆動音がかすかに聞こえた。それを見計らってマグカップ二つを手にソファーへと向かう。

 

「……」

「私たち以外に誰も居ないのは確認済みだよ」

 

 数分後、ソファーに無言で腰を下ろした爆豪と向かい合う。座るなり、爆豪は自分用に置かれたマグカップをなにやら微妙な顔で見つめていて、私は静かに彼が話を切り出すのを辛抱強く待った。

 普段、決して真正面から向き合うことの無い相手と相対するのは不思議な気分だ――思えば、爆豪とこうして二人だけで話すのは六月の体育祭以来になる。

 あの時、煙に巻いた問いの答えを既に、爆豪は知っている――私がどうしてオールマイトに引き取られたのか、胸糞悪い話だからと濁した建前(理由)を。そして、私が隠していた背中の(きず)を、私の本当の名を。

 

「……デクとオールマイトの関係について全部聞いた。個性のこともだ」

「うん」

 

 予想通りの言葉に、私は静かに相槌を打った。私が中継を切った後、やはりあの二人にまつわる秘密の話になったのだろう。

 そもそも今まで爆豪が二人を問い詰めなかった方が不思議なくらいだったのだ。爆豪は戦闘訓練をしたあの春の日、イズクから急に発現した個性について聞いていたはずなのだから。いくら嫌いな幼馴染の謎のカミングアウトでも、あんなにイズクを強く意識していた爆豪が、妄言として切って捨てるとは考えにくいだけに。

 ……あるいは、神野の一件が真実にたどり着くためのきっかけになったか。

 

 真相は分からないけれど、どちらにせよ秘密の共有者に爆豪も加わったのなら、私も話がしやすい。爆豪ほど聡い人間相手に、OFAにまつわる秘密がバレないように情報を取捨選択して喋るのは疲れる。

 

「無個性のデクに急に個性が発現して強くなってきやがったのも、入学したときからデクとてめぇが妙に親しかったのも腑に落ちた。ヒョロヒョロのナードが、『力』を扱うにも、雄英(ここ)に入るにも、入学前に訓練しなきゃ話になんねーだろうからな」

 

 とつとつと語る声は冷静そのもの。キレやすい爆豪にしてはいっそ怖いほどの静けさではあったが……声と態度に反して、瞳に籠もった光の強さに、目を細めた。

 そして察する。……ああこれは、噴火する前の溶岩だ、と。

 

「未だにオールマイトが何でデクを選んだのか納得はいかねえが、今回の一件で、まだデクよりマシなテメェに受け継がれなかった理由もハッキリした」

「……」

 

 その呟きには答えず、ただ黙って先を促す。相槌など求められていない――今の爆豪はただ、心の整理を付けるように彼の得た情報と疑問を吐き出し、自らがどこまで知っているか、私に共有しているにすぎない。

 第三者から見て、オールマイトの後継者候補だったミリオ先輩と遜色ない実力に収まっている私ではなく、なぜイズクだったのかという爆豪の疑問はもっともだが、彼はすでに体育祭の時点で、私がオールマイトと出会った時期を知っている。そして、オールマイトがイズクに力を譲渡した時期について考えれば……理由にたどり着くのは簡単だ。

 

 イズクと爆豪、そしてオールマイトが出会う切っ掛けになった「ヘドロ事件」。あれが起こったのは去年の春のことで、私がこの世界に転がり込んだのは去年の九月――私がオールマイトと出会った時、既にOFAはイズクに譲渡されていたのだから。

 

 顔色ひとつ変えず黙ったままの私に、爆豪は不愉快そうに鼻で嗤った。

 

「世間ではてめぇがオールマイトの後継みてぇに祭り上げられてるってのに、肝心のクソデクは俺に負けてるけどな」

「そう。基本的に君の方が個性の扱いも格闘センスも上だから、一対一(タイマン)ならそうだろうね」

 

 むしろ戦闘訓練の結果の方が稀なのだ。あれはイズクが爆豪の迎撃を捨てて、上階に居たお茶子の援護に徹したからこその勝利。戦術で上回り、ルールの縛りの上での勝利であって、イズク自身の力量はまだまだ爆豪には及ばない。OFAという規格外の力と、本人の分析能力と努力があるからこそ、無個性だった十年間で生まれた力量の差を埋めつつあるというだけで。

 だから、先日の謹慎の原因になった深夜の喧嘩の結果を聞いても、私は大して驚かなかった。ルールや不確定要素のない状況ならば順当だと思っての言葉だったのだが……向かい合う爆豪の眉間には深い皺が刻まれた。

 

「……てめーは腹立たねえんか」

「何に?」

「決まってんだろうが。……なんでテメェは変わらねえんだ」

 

 爆豪にしては珍しく、要領を得ない問いかけに疑問で返せば、思わぬ鋭い舌鋒が飛んできた。予想外の言葉に瞠目する。徐々にまなじりが釣り上がっていく三白眼の真ん中で、ぐらぐらと溶解寸前まで熱された金属のような赤が怒りをたたえて煮立っている。

 

「クソヴィランどもにまんまと出し抜かれたあげく、親玉には都合のいい駒にするために好き勝手アタマ弄られて、社会的にブッ殺されてよォ……」

「……」

「トドメにオールマイトは俺らを救けるために無茶した結果、個性を使い切って引退……。クソヴィラン共は捕まえ損ねた。今後、てめぇはヴィラン扱いのレッテルが付き纏う上に、オールマイトの後継者として注目され続ける。

 ……世話ンなった恩人のヒーロー生活にトドメ刺して、自分より弱ェ奴から世間の視線を逸らす身代わりになって……なぁ、なんで、」

 

 怒りに身を任せ、唸り声にも似た低い声でまくし立てられた言葉が不意に途切れる。バンッ、とローテーブルに荒々しく手を着いて、爆豪はこちらに身を乗り出した。勢いそのままに胸ぐらを掴まれる。引き寄せられる力によって、私の身体は中途半端にソファーから浮いた。

 

「なんで! てめぇは! なんも無かったようにヘラヘラ笑ってやがる!」

 

 憤怒。その二文字以外にぴったりな表現などあるはずもない。

 下手したら二階に部屋がある子たちが騒ぎを聞きつけて、何事かと駆けつけてきかねないほどの迫力だった。揺れた机とカップ、こぼれた紅茶に意識を持って行かれないように視線を爆豪へと向けて、目前で怒りに血走る目を見つめ返す。

 爆豪は普段からキレやすい。……けれど、今、私に怒りの矛先を向けている彼の態度は、真正面から向き合わねばと思わせられるほどに張り詰めていた。揺らぐ瞳に心配や憐憫の色はない。ただ、そこにあるのは、爆豪がイズクに向けるのと同じ――。

 

自分だけ(・・・・)『これぐらい余裕です』って涼しいツラしてやがるのが、心底気色悪ィんだよ……! 感情のねぇ人形か、てめぇはよ!」

 

 ただの言葉の綾と流すには、実感のありすぎる表現だった。

 感情の無い人形。そんな表現を向けられたのも久しぶり(・・・・)だ。

 

「……そうだね」

 

 胸ぐらを掴んだままの爆豪の手首を掴んで引き剥がし、体勢を立て直して立ち上がる。バッ、と私の手を振り払った爆豪に向き直り、私はその暴言を肯定した。

 

「……あ?」

「かつてはその通りだったけど、今は違う」

 

 考えてみれば不思議な話だ。

 周囲に言われるがまま、流されるまま、ただ息をして、生きていただけの幼少期。記憶の奥底に沈めたままの、無味乾燥な灰色の記憶。そんな脆弱な自我が今の「私」になる転換点は、かつてこの姿だった時だったのだから。

 研究施設からクラウスやスティーブン、師匠たちに救け出され、グズグズと抜け殻のような有様でいつまでもうずくまっていたわたしを、クラウスが叱咤してくれた時から……現在に至るこれまでの年月で、わたしは「私」になったのだ。

 どうしてこの世界に来た時、この姿に戻ったのか……なぜこの姿だったのかは、分からないが。意味なんて無いのかもしれないが……それでも、今の自分は感情の無い人形ではないと、胸を張って言える。

 だからこそ……

 

「腹が立たないのか、って? そりゃもちろん――心底、死ぬほど、腹立たしいとも」

 

 変わらないわけがない。何も感じないわけがない。そうあれたほうが心は楽なのかもしれないが――そんな自分ではきっと、この世界の人々のやさしさも、疑わず寄り添える友人がいるありがたさも、共有した思い出の美しさと得がたさも噛み締められないだろう。たとえそれが、日に日に元の世界に残してきた仲間たちへの罪悪感を募らせるとしても。

 

「……毒ガスが回ってたから、意識不明の生徒を護りながらだったから、脳無を複数体相手にしてたから、そんなもの言い訳にしかならない。私が捕まったのは私の至らなさと慢心の結果だ。

 君の言う通りだよ、爆豪。私は『オールマイト』のトドメを刺す手伝いをしたようなものだ。USJ事件の後の反省も覚悟も、体育祭での策も活かせずに空回りして、結局AFOに良いように利用されただけ……! 極めつけに、私は危うくあの人から腕を奪いかけた……何度も夢に見たよ。いつまで経っても、肝心なときに何もできない役立たずのままの自分の不甲斐なさに、心底腹が立つ……!」

 

 誰も予期することの出来ない襲撃だった。考えつく限り対策を取った上での襲撃だ。先生たちの落ち度だと責められるわけがない。

 内情がどこかからマスコミに漏れた。不愉快だが、対策を打っていたお陰でその経路もいずれ分かる。

 世間の反応も仕方ない。人間は異端を拒絶する。恨みも嫌悪も慣れている。少し前の状況に戻っただけ。

 民衆の期待も悪意も、バネになるかもしれないが今のイズクには重すぎる。成長を妨げてしまう。狙われる可能性を増やすだけ……だから、せめて私が矢面に立つ。

 

 誰のせいでもない。誰かを責めて、怒りの矛先をぶつけるなんてできない。自分の失態を頭の中で繰り返し再生して、行き場のない怒りを蓄積し続けている。いっそ誰かに、あの夜の自分の身勝手な行動にでもいい……何か理由をつけて、思い切り叱られた方が精神的にはマシなのに、自分が受けた仕打ちを案じている周囲がそんな行動に出るはずがないと理解しているから、思考はますます袋小路に陥っていった。

 

 神野の夜が明け、一人だけ遅れて目覚めてから。誰にぶつけても仕方ないと、意味が無いと入院中の一人だけの時間の間に処理した感情。心配させるまい、気遣わせるまいと押し込めていたものを言葉にする。

 思うままに言葉という形で表出させた途端……怒りを再認識して膨れ上がった激情のせいか、激しい感情を表に出すなんて慣れないことをしているせいか……うまく言葉にならない。ちゃんと言語に出来ているか怪しいほど、舌がもつれ、喉がつっかえ、思考はこんがらがる錯覚に陥った。

 

「……でも、もう、全て終わってしまった。私がどんなに嘆いてうずくまって、悲劇のヒロイン面したって何も戻らない。同情を引くだけで成長も前進もない。オールマイトの力は使い果たされた。死柄木たちは捕まえ損ねた。他人の目を気にせず学生でいられる日々は返ってこない。私が立ち止まっている間にも、ヴィランは増長し続ける。いつか来る未来だったとしても、オールマイトの終わりを早めたのは、間違いなく私だ」

 

 ぎち、と握りしめた拳の内側から音がする。無駄に流す血液なんて今の私には一滴たりともないから、血が出るほど握りしめる馬鹿なマネはしないけれど、代わりに骨が軋むほど自分の手に力が入っていた。

 

 どこまでいっても、私はこの世界において異物なのだ。いるはずのなかった人間。バタフライエフェクトなんてあるかどうかも分からない不確かな確率論を信じているわけではないけれど、本来存在しないはずの私という存在が、周囲に及ぼした影響は確かにある。

 

「――なら、私がやるべき事は決まっている。私は、私から大事なものを奪った連中を許さない。私の持てる全てを使ってでも、連中に自分がしたことの責任を取らせる」

 

 私は轟のつらさに寄り添うことは出来たかもしれないが、そのつらさの原因自体を打破することはできなかった。

 私は恩人に恩を返すどころか、取り返しの付かない迷惑をかけてしまった。平和の象徴の死期を早めてしまった。

 ただただ私を大事にしてくれる周囲を悲しませ、心配させただけだった。

 情けない。不甲斐ない。無様でみっともなくて、なにひとつ救えず、守れやしない自分の無力さが腹立たしい。

 

 それでも……諦めて立ち止まることだけは、どうしても嫌だった。かつてクラウスが掛けてくれた、私を信じる言葉すらも裏切ってしまうようで。牙狩りとして、死ぬまで諦めないという信念を自ら反故にするようで。

 

「一日でも早く死柄木たちを捕らえるために、力も知識も、人脈も要る。過去ばかり振り返って嘆くばかりじゃいられない。余裕なんてなくて……周りに心配を掛けるような時間すら惜しいだけだよ」

 

 大きな窓から見える、夜に沈んだ外の景色に目をやる。室内の灯りに反射して映る私たち二人の姿を透かした外の宵闇は深く、希望ばかりではない未来の予感に視線を伏せる。オールマイトが死柄木を完全な悪として見ることに罪悪感を感じていようと、救われる気のない人間を救っている余裕は無い。私はそもそも聖人でもヒーローに憧れ夢見るような人間でもなく、ただ善なるものを護るためならば手段を選ばない、ろくでなしだ。

 

 ……たとえ、行く先が暗澹とした道であっても。その先に、優しい隣人たちが笑って過ごせる未来があるのなら。多少学生生活をないがしろにしても、それは犠牲ではなく先行投資になると信じている。

 

 

「……チッ」

 

 私が怒りを露わにしたときこそ瞠目していたものの、最後まで口を挟まず静かに聞いていてくれた爆豪は一つ舌打ちすると、少しだけ遠い目で逡巡した後「そうかよ」と呟いた。

 

「……俺はてめぇも、オールマイトをも超えてナンバーワンヒーローになる。せいぜい首洗って待ってろや、雪女」

 

 同級生となっておよそ九ヶ月。教室では前後の席に座っているにも関わらず、私はこの時初めて、怒りや苛立ちのない、爆豪の素の静かさを垣間見たように思った。

 ライバル視されているのは変わらない。私と彼の関係性はこれからも変わらない。

 ……だが、理由も無く毛嫌いされていたときの、あの刺々しい気迫を削ぎ落とした爆豪が、ただ真っ直ぐな、好戦的な光をたたえた赤金の目でひたりとこちらを見据えてくるものだから。私はそのまぶしさに目を細めて、肩を小さく竦めるのだった。

 

「それは……うかうかしてられないな」

「余裕かましてんじゃねーぞ」

 

 飛んできた拳をわざわざ受ける切島くんのような度量はなかったので、ヒョイと避けた。コミュニケーションの一環として不意打ちをしてくるのは愚弟(ザップ)だけで十分である。

 

 

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