人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

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その目で何を見ている

 

「おやすみ、爆豪」

 

 エレベーターに乗った千晶が当たり前のように別れの挨拶を口にする。男子棟のエレベーターを待っていた爆豪はさっさと行け、の意味を込めて黙って顎をしゃくった。

 そんな素っ気の無い態度に、大体の人間は眉をひそめるか、苦言を呈するか、それとも困り顔で黙るかのどれかなのだが、千晶はそんな爆豪に対して、決まってただ微笑むだけだった。生ぬるい、見守るような眼差し。見下すような感情はそこに含まれていなくとも、爆豪にとって据わりの悪い態度であることに変わりはない。

 

 

 爆豪勝己にとって、星合千晶とは目の上のたんこぶに等しい。超えると決意してから数ヶ月、未だに自分よりも格上に居座ったままの、高い壁だ。

 中学まで、天性の戦闘センスと強力な個性、持ち前の頭脳と努力が合わさった爆豪に勝てる人間はいなかった。だが、雄英は同じく全国から集まった同じレベルに優秀な生徒が集まってくる。爆豪の高い鼻がへし折られたのは、あの戦闘訓練の授業からだ。格下だと思っていた緑谷にチームとして負け、八百万や轟の戦闘風景を見て、勝てないと認識してしまった。上には上がいる――爆豪の対抗意識を育てるには十分だった。

 そしてなにより爆豪の過剰な自尊心を叩き折ったのは――勝てないと認識した、圧倒的な出力の個性を操る轟を相手に、数の差で不利ながらも勝利を収めた千晶の戦いぶりだった。

 オールマイトにも負けないトップヒーローに。それを夢として、実現させるための目標として掲げた爆豪は、その日から千晶と存分に戦える機会を窺っていた。

 体育祭決勝でようやく戦えると思いきや、轟と千晶が戦った準決勝で、脳震盪による千晶の僅差の判定負けであえなくその機会は潰れ、救助レースなどの普段の授業でも直接競い合う場が来ることもなく半年が経つ。

 

 それでも、爆豪は星合千晶という存在の規格外さを認めていた。格上だと認識し、ライバル視していることを公言してはばからなかった。爆豪にとって腹立たしく、弱い幼馴染ばかり千晶が気に掛けているのも、苛立つ理由の一つではあったが、それ以上に爆豪を苛つかせる理由があった。

 

 ――ライバル視しているのは自分だけで、千晶の眼中に自分の存在など全くないということを、周囲が思うよりも他人の機微に聡い爆豪は、態度から薄々察していた。

 

 同じくライバル視している轟も爆豪へのスタンスは似たようなものだが、轟は仮免試験に落ちたせいか、周囲に置いてかれまいと事あるごとに口にするようになった。爆豪自身への対抗意識は無くても、クラスメイトたちと自分の距離を気にしている。

 だが、千晶はそうではない。どれだけ爆豪が対抗意識を燃やし、面と向かって宣戦布告をしようと、千晶の態度は変わらず、負けん気の強い弟を見る姉のような眼差しをして笑うだけで、爆豪と競う気など皆無だった。むしろその意識は学校の外側――ヴィラン連合や潜在的な敵の想定に裂かれていたのではと、今では思うほど。

 

 爆豪はそんな千晶の態度が気に食わなかった。まるで自分が競う価値も無い格下のようで苛立つ。ずっと狭い世界で天下を取り続けていた爆豪には、眼中にすら入れてこない人間など、これまでいなかったからだ。

 

 ――デクとあんたの関係を知ってんのは?

 ――リカバリーガールと校長……生徒では君と、星合くんだけだ。

 ――……雪女か。

 

 先日の真夜中の喧嘩の後、爆豪はオールマイトに一つの疑問を投げかけた。

 

 ――……アンタ、もしデクより先に雪女に出会ってたら……あいつに個性を譲ってたんか。

 

 今となってはありえない可能性。緑谷がそうしようと思えば、緑谷のDNAを取り込んでOFAを継承できるとはいえ……よほどの状況にならないうちは、憧れた人間から託された個性(チャンス)を易々と手放すことはない幼馴染の性格をよく知った上での疑問。

 虚を突かれたように目を丸くしていたオールマイトは、暗く落ち窪んだ目元の中で輝く蒼色の目を伏せた。そして、ふっと遠い眼差しで遠くの空を見上げて、ゆるゆると首を振る。

 

 ――いいや。たとえ出会う順番が逆でも……彼女には、きっと譲らなかったと思うよ。

 ――えっ……。

 ――彼女はすでに、重すぎるものを背負っている。OFA(あの力)まで任せてしまうのは、無責任すぎるからね……――

 

 ポーン、と軽快な音と共に、思考の海に沈んでいた爆豪を現実に引き戻すように、エレベーターのドアが目の前で開き、視界を急に射し込んだ光が白く眩ませる。黙々とエレベーターに乗り込んだ爆豪は自分の部屋がある四階のボタンを押して、目を閉じた。

 

 星合千晶の眼中に爆豪勝己という人間はいない。

 彼女が爆豪を軽んじているのではなく、そもそも、星合千晶という人間の中にライバルというカテゴリが存在しないのだと、爆豪は先ほどの千晶との会話の中で唐突に理解した。

 中学までの爆豪のように、同年代で並ぶ者が居なかったからではない。爆豪と違い、千晶は轟と同じ中学の出身だ。緑谷と爆豪の歪な関係とは違い、あの二人の仲は悪くない。職業体験も同じ事務所に世話になったのだから、互いを高め合う場はいくらでもあっただろう。

 

 星合千晶という人間に、順位や競争というものへの興味がまったくといっていいほど感じられなかった。トップを狙う爆豪とは対照的なスタンスだ。誰かとの勝ち負けや順位に付随する名誉に興味はなく、闘争に執着はなく、彼女は愚直なほど己だけを見つめている。

 既に国内最高峰の雄英の中で、誰もが認めるトップクラスの実力者になっているというのに、先ほど彼女は何と言った?

 

 力が足りないと。肝心なときに役立たずのままだと、自分を罵ったのだ。

 誰もが羨む場所に居ながらにして、自分はまだこんなものではないと、ただ上があることを信じて未来を睨んでいた。

 

 爆豪はその視座を知っている。

 小さな中学校の、とある地域の同年代だけの小さな世界の王様ではない。

 自らをひたすらに追い込んで、苦労を重ねた上で到達する景色――頂上の視点。ストイックな爆豪が趣味とする登山、その過程の果てに見るもの。下界の景色も良いが、何も遮るもののない澄んだ空が、そこにはある。

 

「デクといい雪女といい、イカれてやがるな」

 

 脇目も振らずに邁進する同級生の姿に抱いていた腹立たしさを、爆豪は半年掛けてようやく飲み込むことができた。

 

 あの幼馴染と同じで、何を考えているのか分からない千晶は、爆豪には気味悪く見えていた。

 大人顔負けの頭脳と実力は、雄英においては案外珍しくはない。雄英に集まってくる人材はそういう類いの人間が多い。一瞬爆豪の脳裏をよぎったやかましいクラスメイト数名は、一部除外するが。

 ……けれど、内面まで「大人」な生徒は居ない。大人びているのではなく、大人と同じ視点で世界を見る15歳などいない。

 

 一目見ただけで死を覚悟するような格上と互角に渡り合い、冷静に身を引く判断さえ正確で。あのガスマスクをつけた黒幕の言葉が事実ならば、片脚を切り落とし、違法薬物を使って精神を引っかき回されてなお、何一つ変わらないなんて、そんなことがあってたまるかと。

 何も分からないままヴィランのガラス玉の中に閉じ込められ、無傷で拘束されただけで多少かすり傷で済んだ自分は、未だに憧れていたオールマイトを「終わらせて」しまったことに苦悩しているのに。へらへらと神野の悪夢の前と何も変わらない笑みを浮かべて、堪えていなさそうに過ごす千晶の姿を見るだけで、爆豪には苦痛だった。

 

 いつも余裕綽々なお前が嫌いだと真正面から吠えた爆豪に、否を唱えた千晶の言葉は、爆豪が退場した後、中継でしか見ることの出来なかった神野での宣誓に似ていた。

 何も感じない人間ではない。心底腹が立っていると、千晶は言った。

 ……ただ、奪われたものへの落とし前をつけさせるためには、時間が足りないのだと。不甲斐ない自分自身への憤怒をバネに変えて、反撃するための牙を研いでいるのだと。

 

 唖然とするような考え方だ。精神を病んでも誰も不思議にも思わないような仕打ちを受けておいて、一体誰がそんな考え方に至るだろうか? 八つ当たり一つ考えもせず、最善を尽くしていたように見える人間が考えていたのが、無力な自分への際限のない怒りなどと。

 

 だが――爆豪にとっては、いっそ胸の空くような反骨精神の表れだった。確かに、いつまでもメソメソウジウジされるのはわずらわしい。

 そもそも爆豪は、同じ「オールマイトに世話になっておきながら終わらせてしまった人間」が、後悔も無力感も見せずにさっさと前を行く姿が気に食わなかっただけなのだから。

 究極のところ、爆豪が抱いていた怒りも苛立ちも、同族嫌悪に過ぎない。

 ストイックで向上心の塊で、誰よりも自分への甘えを許さず、言い訳を考えない在り方という点では、爆豪にとって腹立たしいことに、あの同級生と自分は似通っていた。

 

 

 エレベーターの上昇が止まる。内臓が浮くような圧から解放されて、開いたドアから一歩踏み出す。暗いエレベーターホールに長方形に切り取られた光が広がり、中央に爆豪の形の影が浮かんでいた。

 深夜の廊下には、切島がいつもサンドバッグを打つ鈍い音も聞こえず、足音さえ吸い込まれそうな静けさがあった。

 

「……てめぇが上しか見てねえなら、さっさと追い越すだけだ」

 

 ライバルとも見られていない? 順位に執着しない? ならば、忌々しい壁を踏み台にして、自分の方が高く飛べばいいだけの話である。あの上しか見ていない、自己研鑽しか頭にない同級生の視野に入って、上から見下ろしてやるのは、さぞ気分がいいだろう。

 

 なぜなら爆豪が目指す頂上の景色は、絶対に誰にも敗けないトップヒーローなのだから。

 

 

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