鍛錬は良い。どんなに心に靄を抱えていても、走り込みや筋トレをしているうちに雑念はどこかへ飛んでいく。決して鍛錬馬鹿ではないが、余計なことを考えるだけの思考を自然とそぎ落とせる鍛錬は、気持ちの切り替えをするのに最適だった。鍛錬をただ数をこなすためにやらないからかもしれないが。
というわけで気分をすっぱりと入れ換えて臨んだインターン二日目。明け方の私の予想通り、私は雨模様の中、街中を走り回っていた。
交通事故未遂にひったくり、強盗、ヴィラン同士の小競り合い……事件の一つ一つは大したことがないのだが、ここはHLか何かか? と疑いたくなるぐらい細かい事件が頻発している。
やはり神野事件以降、今までオールマイトの影に怯え、世間への不満を燻らせていた潜在的なヴィランたちがここで一旗揚げようと躍起になっているらしい──メティスが暇つぶしに、全国のありとあらゆるメディアで扱われた事件の数を数えたところ、既にこの一ヶ月弱で犯罪件数が例年より数パーセント上がっている。
午前中だけで関わった事件が十件にもなるのだから、平和の象徴の抑止力は確かに効いていたのだろう。オールマイトの威光があって、ヒーロー飽和時代と呼ばれても敵が延々と減らない現状を見ていたから、今の今まで、私にはその恩恵に対して、ほとんど実感がなかったけれど。数字としてはっきり目に見えて比較すると、周囲から伝え聞くよりもずっと説得力があった。
慌ただしくてのんびり食事している間もないが、怒濤のように実戦経験が積めるのはありがたい。……ただ、なんだかライブラに居た時の事を思い出してしまうのは、どうしようもなくて。懐かしくて、やっぱり少し寂しかった。
まるで嵐の空を引き裂く雷光のように。怒濤の勢いで事件を解決していたさなか、それは突然起きた。
個性を薬物でブーストされたヴィランが市街地で暴れるのを、エンデヴァーやサイドキック数名で止め、助け出した人質の少年を親御さんへ渡していた時だ。
じりっ、と突然、首筋が焦げ付いたような痛みを発した。合宿所で不意を突かれた時と同じだ。
殺気。誰かに見られている──加速した思考と知覚、目まぐるしく事件の解決に奔走したことで少しずつ取り戻しかけていた戦術勘が、すばやく最善を組み立てた。
そこからは恐らく、周囲の人間には私が何をしたか分からなかっただろう……世界が時間の針を止めたように、なにもかもがスローに流れていく。反射的に突龍槍を出して振り返ると同時にひと薙ぎ。前方へと『風編み』。不可視の風の盾を、自分や背後の親子、そして警察官を守るように、殺気の主との間に編み上げた。
第三者の視点からすれば私が赤い何かを振るったと同時に、破裂音のような銃声が上がったように感じられただろう──今も頬を叩く銀糸の幕を引き裂くように、一発の金属の弾丸が飛んで……
──弾丸じゃ、ない。
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弾丸といっても、ただ弾を込めて飛ばせばいいというものではない。弾を撃ち出すための、火薬の詰まった金属筒……薬莢の先に、弾丸として実際に飛ぶ弾頭が収まっているものだ。その弾頭の形によって、弾丸には色々区別があるのだが……今飛んできているそれは、今までの知識にある弾丸のどれとも違った。
弾頭が、
最高に嫌な予感がした。
何だそれは、という驚きと。装填しにくそうな上に
人差し指の先ほどもない小さな弾頭が、濡れたアスファルト上に転がってかすかな音を立てる。不自然なほど静まりかえった一瞬、私は周囲に散らばって事後処理中だったバーニンを始めとしたサイドキックの面々に、警告を発した。
「エンデヴァー、バーニン! ただの銃撃じゃない、弾頭が注射器になってる!」
「は!?」
自分で発した言葉を言い終わるよりも早く、群衆が突然の発砲音にパニックになって一挙に制御不能の群れになるよりも早く、私は一歩を踏み出していた。路面が雨に濡れて滑る、濡れた前髪が目元に張り付いて不快だ、頬を叩き、顔を流れ落ちていく雨粒が邪魔だ──私に殺気を向け、銃口を向けたヴィランめがけて走る身体とは別の、どうでもいい思考が後ろへ流れ去っていっても、群衆の中に紛れて逃走しようとする男を、私の目は決して見失いはしなかった。
「くそっ、銃弾を防ぐなんて! バケモンがッッ!!」
こちらを振り返り悪態を吐きつつも逃走するその背中に容赦なくドロップキックをかまし、地面へとたたき伏せる。受け身を取り慣れていないのか、雨で手足を滑らせたのか、アスファルトに思い切り顎を打ち付けた男は目に見えてガクンと脱力した。手に握ったままの黒い拳銃が、弛緩した手から滑り落ちてアスファルトを擦る。
「ネレイド!」
「確保しました!」
籠目で念のため身動きが取れないよう縛り上げ、凶器の銃を取り上げて。こちらに駆け寄ってくるバーニンを振り返ったその先。もう一度雨の中で高らかに上がった発砲音が、一瞬だけざあざあと耳に伝わる雨音をかき消した。宙に舞った血液が、重力に引かれて雨と一緒に落ちていくのが、スローモーションのように見えた。
「な──」
その場にいたヒーロー全員が発砲音の先……雨の中腕を庇ってふらついたサイドキックの一人に目を向け──職場体験の時に私と組み手をしてもらった人だ──すぐさま彼に銃口を向けた、路地裏でニヤニヤと笑っていたもう一人のヴィランの確保に向けて、エンデヴァーを先頭にサイドキックたちが走っていく。
バーニンは基本的に出動中は私から離れないようにとエンデヴァーから言われているのだろう、私から離れず周囲を油断なく見回していた。オニマーさんが撃たれたサイドキックの人に駆け寄るのを横目に、私もまだ伏兵がいないか辺りを見回し、足下の地面を濡らす水たまりに干渉して周囲の索敵を行うが……蜘蛛の子を散らすように野次馬が消えた道路に、もう潜伏しているヴィランはいなかった。
捕縛したヴィランを籠目で引きずったまま、撃たれた人──蝋を生み出して操る個性のサイドキック、ワックスとオニマーさんのところへバーニンと一緒に合流する。そのついでに、私が撃たれ掛けた地点に戻って、雨の中で沈んでいた弾丸を拾いあげた。当然だが、私が庇った親子は警官と一緒に退避したのだろう、姿は見えない。
……弾丸と同じ口径で作られた銀色の金属筒に、医療用の注射針よりずっと短い、1cmもないだろう刃渡りの針がついている。針先は叩き落とした衝撃でひしゃげていて、もう用途を果たさないようにも思えたが、念のため針に触れないよう手袋越しに摘まんで観察している傍ら、バーニンが勢いを増す雨の中でもよく通る声を張り上げた。
「ワックス、怪我は!」
「あいてて、意外と大したことなかったです。貫通するような威力じゃないですね、これ。衝撃はあったんでちっと腕がぴりぴりしますが」
そう言って、蝋で出来た白い仮面を被ったワックスはスムーズに撃たれたほうの腕を上下させ、手を握っては開いてを繰り返してみせた。撃たれた箇所からの出血も大したことはなかったのか、ヒーロースーツの二の腕部分が一部だけ赤く染まっているだけで済んでいた。
「ですが、妙な弾丸だったので念のため病院に行った方がいいかと……」
「そうだね、さっきのヴィランみたいに個性を強制的にブーストさせて理性吹っ飛ばすような薬物だとマズいし」
「はは、そうします」
捕縛したヴィランや、周囲への警戒は怠らないままに、路地裏に飛び込んでいったエンデヴァーたちを待っていると、ほどなくして薄暗い路地裏からいつもより炎の勢いの弱い(それでも顔は隠れているし、多少勢いが弱まったところで戦闘力がほとんど落ちないのがすごいが)エンデヴァーが戻ってきた。
「ワックス、ネレイド。怪我は」
「私はありません」
「撃たれた衝撃で指先がぴりぴりしますが、手の動きに支障はありません」
「そうか。ならば良いが、ワックスは念のためこのまま病院で検査してもらうように」
「はい」
「ネレイドは警察にヴィランの引き渡しと、その銃弾を預けたら今日のパトロールは終了とする。バーニンと共に事務所へ戻り、報告書を書くように」
「「はい」」
「……未使用の銃弾が手に入ったのは都合が良い。鑑識に掛ければ、連中が何をしたかったか分かるからな」
エンデヴァーの指示に逆らうことなく頷けば、少し押し黙ったエンデヴァーは、よく神野以前に見せていた苛烈な悪い笑みを浮かべた。……そんな怖い笑顔浮かべるから子どもの人気ないんですよ、エンデヴァー。
ある意味通常運転のエンデヴァーに苦笑していると、不意に左右からバーニンとワックスがこそこそと囁いてきた。
「今の、すごい分かりづらいけどネレイドのこと褒めてるからね、あれ」
「エンデヴァーさんあんま褒め言葉使わんから、貴重だよ、すっごく」
「え、そうなんですか」
「お前たち、聞こえてるぞ……!」
今のは分かりづらいエンデヴァーの褒め言葉だったと知り、きょとんとする私に対し、エンデヴァーは怒りに肩を震わせると、ボッ、と雨の勢いにも負けないほど肩周りと顔の炎の勢いが増した。
自然と笑いの起こる現場の中で、つられて笑っていた私はふと、摘まんだままの銃弾に視線を落とした。
──本当に、なんの意味もない不発弾だったのか?
胸中に湧き起こった不安を映すように、ざあざあと降り止む様子のない雨が頭を、頬を、肩を叩き、意識にノイズを掛ける。濡れそぼって重いコスチュームの不快感以上に、消しようのない疑念の答え合わせをするように。
事務所に戻った私とバーニンのスマホに、ワックスの個性が発動しなくなったという知らせが届いたのは、一時間後のことだった。
ワックス(オリジナルキャラ)
所属:エンデヴァー事務所サイドキック
年齢:32歳
個性:蝋操作
個性は名前そのまんまの蝋を操る個性。身体から蝋を発生させて、液体状の蝋で防壁を作ったり、強度を極めた蝋で敵を確保したりする。水より融点の低い蝋なので、当然炎には弱いが、気化した蝋は燃えやすいので、助燃剤として炎系の個性が多い炎のサイドキッカーズのアシストもこなせる。
が、実は彼の真骨頂は護衛任務。本物とそっくりな蝋人形を作り、自在に動かすことで、護衛対象を狙うヴィランを安全に炙り出せる。蝋人形なので喋れないし、表情の変化も本人ほど豊かではないし、個性も使えない、強い衝撃には耐えきれないなどのデメリットもあるが、初見では間違いなく気付けないので護衛任務にはこの上なく有能なサイドキック。でも護衛任務だけだと身体が鈍るので、パトロールにも精力的に出ているヒーロー。
職場体験で千晶に体術の稽古で負けているが、体術レベルなら事務所でも上位の人。
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支部で掲載してる最新話まで追いついたので連続更新ここまで!
次はもう少し早めに続きをお届けできるように頑張ります。