人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

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malaise②

 ポーン、とエレベーターの到着を告げるベルが、静かなこの階に響いた。

 サイドキックのバブルガールもセンチピーダーも、準備が整い次第、二階の会場で待機するように指示は済んでいる。何か不測の事態が起こった場合は電話で一報を入れるように指示しているし、エレベーターでこの階まで上がってくるようなら、階数表示の動きとエレベーターの駆動音ですぐにわかる。

 ここまで立ち聞きのリスクを排してでも、話をするべき人間がこちらへ向かってきたのだ。何から話すべきかと未だに迷う心を律し、ネクタイをもう一度締め直してから、エレベーターホールへと視線を向けた。

 エレベーターの扉が開き、ミリオや緑谷と同じ雄英の制服を身にまとった女子生徒と、グラントリノがこちらへと向かってくるのに合わせ、私も一歩彼らに向けて踏み出した。

 

「グラントリノ。案内役をお願いしてしまい申し訳ない」

「構わんさ。準備もあった上、サイドキックが横に居ちゃ、おちおち話も出来んしな」

 

 本来なら年長者に案内を頼むなどありえないが、サイドキックにこの役を任せるわけにもいかず、さりとて私が彼女を案内する事も避けたい。イレイザーヘッドは口が堅くても、ここに来る予定になっている他のヒーローたちやインターンの生徒たち、そしてサイドキックの二人に関してはその限りではない。わざわざ別口で私と彼女が話し合いを持ったとなれば、要らぬ関心を引いてしまうのは間違いない。悪気がなくても、「今日あった些細な事」がどこから誰へと伝わるかも分からないのだ。私が泥を被るのならまだいいが、彼女の立場をこれ以上悪くするような要素は極力排除するべきだ。

 ……そもそも、人目を避けるのならインターンの一環としてではなく、電話や別の場所で話の場を設けるべきだったのだろう。グラントリノの手を借りて、無理と矛盾を押し通してでも……私は、彼女と話がしたかったのだ。

 

 頭を下げた私に軽く手を振ったグラントリノ。そんな私たちのやり取りを黙って見守っていた彼女に、私は改めて向き直った。

 私の立ち振る舞いのせいか、大概の人間は私と相対するとガチガチに萎縮する。初めてインターンに来た緑谷のように……朗らかな気質のミリオや、オールマイトはそうでもなかったが。だが、目の前の少女はピンと伸ばした背筋は同じでも、決して、緊張で四肢に無駄な力を入れている様子はない。すぐに微笑んでこちらにお手本のようなお辞儀を見せる姿は、きちんとした教育を受けたお嬢さんのそれだ。決して、長年ひどい仕打ちを受けてきたようには見えない。

 

「おはようございます、初めまして。星合千晶……ネレイドと申します。本日は会議にお招き頂きありがとうございます」

「……おはよう。私はサー・ナイトアイ。早朝から呼び出してしまって申し訳ない。今日はどうしても君と、個別に話をしたくてね」

 

 片手を差し出すと、ためらいもなく白い手が伸びてくる。軽く握手をして一度軽く振る動作は、サイドキック時代に海外のヒーローたちと幾度となく交わしたものと遜色ない。

 その慣習に則って、すぐに離れていこうとするその手を、私はもう片手も被せるようにして包み込んだ。

 

「……ありがとう。あの人を、オールマイトを……AFOから護ってくれたこと。どれほど感謝してもしきれない……。君が神野事件で被った被害を思えば、こう言うのは不謹慎かもしれないが……『他でもない君があの場に居てくれた』ことで、あの人は命を落とさずに済んだ」

 

 電話口ではなく、直接。この一言を言うために、私は手を尽くして彼女を呼び寄せたのだ。

 それ以外にも、電話でオールマイトから聞いた内容と、体育祭と神野事件にまつわるテレビを通してしか、私は彼女を知らない。最近になってミリオからも「最近すごく有望な後輩がいまして! 俺もうかうかしてたら追い越されそうなんで頑張ります!」と彼女との手合わせの話が出たことで、体育祭で見えた以上の実力の持ち主であることは重々確認できたが。

 神野事件のあの宣誓を見れば、オールマイトが騙されている線は限りなく消えたが、直に会って、自分の目でも、オールマイトが後見人を務めると決めた人物の人となりを確かめたかった。

 

 顔に、首に、手足に。大量の傷と青あざ、打撲痕が隈なくつけられてなお、悪になど屈しないと高らかに吼えたあの少女は、こめかみの傷以外はすっかりきれいに消えて、普通の女子高生にしか見えない。

 人形のように整った面差しを、不思議そうな色を乗せて首を傾げるさまは、先ほどの立ち振る舞いで見せていた大人のそれではなく、見た目相応らしく見えるが。

 

「……ん? ええと、ナイトアイ。……失礼ですが、オールマイトと不仲ではないんですか?」

「……確かに、サイドキック契約の解消後は意見の違いでほとんど連絡は取っていないが、もともと私は彼のファンだ。彼の考えと私の考えは相容れないが、彼自身は変わらず敬服している」

 

 探るような、遠慮するような問いかけ。不仲、の二文字に対して訂正を入れながら、私はひやりと背中に寒気が下りるのを自覚した。なぜ私と彼が道を分かつに至ったのか。きちんと説明がされていれば、そういう物言いにはならないはずだ。……まさか、彼女に説明していないのか? オールマイト。

 

「オールマイトから、何故我々がコンビを解消したかの説明は?」

「オールマイトはただ、あなたに合わせる顔がない、と。理由は詳しくは教えてもらえませんでしたが」

 

 戸惑う彼女の一言に、眉根が寄った。……私たちのコンビ解消理由を考えれば、伝えづらいのは分かる。内容が内容だ、親しければ親しいほど、打ち明けづらくなる気持ちは分かる。出来れば内密にしておきたいという、オールマイトの意図も。

 合わせる顔がない……そう思っているのに、あなたは連絡してきた。

 一回目は緑谷にOFAを譲渡したこと。無個性のただの中学生に、オールマイトの後継が務まるわけがない。そう考えた私は考え直すべきだと……ミリオをインターン生として迎え、後継者候補として育て始めた。

 そして二回目はその半年後……彼女のことだ。

 

「……君の本当の事情も、()()のことも彼から聞いている」

 

 あえて個性と言わなかったことで、敏い彼女はすぐに状況を理解したらしい。

 私を見上げた彼女の顔に浮かんでいたのは、驚愕と硬直だった。これも初耳だったのだろう。真紅の目を丸くした後、唇が薄く開かれた。軽く俯いて、華奢な肩がぶるりと震える。

 

「オールマイト……あの人は、もう、そういう大事なことを毎度毎度共有してくれない……!」

 

 既に彼女が来歴を騙る人間かもしれないという疑念は消えた。……そもそも、オールマイトに取り入りたいのなら、異世界から来たなどと突飛な設定を作るより、もっと他に自然な理由をでっち上げた方がやり易いはずだ。内通者として入り込むような人間が、疑われるリスクをわざわざ作る必要はない。

 そもそも、彼女はオールマイトが偶然倒れているところを見つけたのだ。あの人のヒーロー活動中の移動手段がほぼ衝撃波を利用した空中移動であることを考えれば、出会い方があまりにも偶然を狙いすぎている。

 複雑な立場と、不可抗力で取り繕うしかなかった建前によって著しく行動を制限されて。神野でも手酷い傷を負わされた彼女はしかし、まっとうな感性のまま憤慨していた。

 グラントリノといい、ナイトアイといい……! と雄英に居るであろうあの人へ、届かない怒りの炎をたぎらせる彼女の細い手足を見下ろしながら、あの運命の夜とも思えた神野の惨劇を想起する。

 

 よくぞ、耐えて生き残ってくれた。その心を、闇に引きずり下ろされずにこらえてくれた。さっき彼女にも伝えた通り、彼女があの場に居なければ……オールマイトはあそこで息絶えていたかもしれない。それほどの激戦だった。

 オールマイトでさえ手こずり、オールマイトの師さえ敵わなかった巨悪を前に、満身創痍でも一歩も引かない大立ち回り。増援のヒーローが駆けつけるまで、自分にとって唯一絶対の光を、法を踏み越えることなく護りきってみせた胆力と実力は、民衆が向けた口さがない嘲笑など似合わない。あの男を相手にした場合、他の誰かを護るどころか、自分の命を拾うことさえ難しいのだ。この国の宝を護ってくれた、それに見合うだけの称賛を受け取るに値する偉業だ。

 体育祭で器に見合わない力に振り回され、ボロボロになっていた現後継者よりも、彼女にオールマイトの力を受け継がれていた方が、まだ納得できたほどに。

 唯一の難点を挙げるならば、ユーモアとは少々かけ離れた……どちらかといえば冷静な性格のようだから、その点はやはり、ミリオのほうが後継者にふさわしいと胸を張って言えるが。

 

 

 だから、私の事をその程度でしか伝え聞いていないのであれば、恐らく彼女は何も知らない。

 ……本当ならば、真っ先に伝えるべき相手だ。外見は15歳の少女そのもので、中身は25歳の大人といえど、そう簡単に飲み込めるような話じゃない。

 神野で拷問され、洗脳されても耐えたからといって、その精神的タフネスに安心してはいけない。惑わされてはならない。ヴィランに対しては無類の芯の強さを発揮しても、大事なものを失った時、抜け殻のようになってしまう人間などいくらでもいるのだから。

 

 後見人なんだろう、オールマイト。休息すら疎かにして働いていたあなたが、定期的に様子を見に行って、満足な量も食べられなくなった体でも一緒に食事を共にしたぐらいには、大事に想っているんだろう。

 ならば伝えるべきだ、彼女に覚悟と心の準備をさせるべきだ。その上で、一日一日を大切に過ごさせてあげるべきだ。

 ――本当の娘のように思っている、だから自分に何かあったときは後を頼む、なんて。決別してからもう何年も、貴方に強引に会いに行く度胸もない私に……電話がかかってきても口論ばかりになる相手に、音信不通を破って、突然託すぐらいなら。

 何もかもを突然理不尽に失い、誰もが当たり前に持つ選択の自由と、束の間の安息すら奪われてきた彼女に、恩人すらいつか失う未来があることを伝えない方が、よほど無慈悲で、……残酷だ。

 

 私が数年前に視た、平和の象徴の無残な最期。その日が近付いていることを私から伝えるべきか悩み……一度開きかけた唇をぐっと強く結んだ。

 

 腕に嵌めた腕時計が指す時刻を見ても、話せる内容は限られている。話すか、話さざるべきか。数秒悩んだ後に、私は結局、聞いておくべきことを優先した。

 

「……君は、緑谷出久をどう思う。オールマイトに見出されながらも未だ未熟で、救う気持ちばかりが先行している彼を。被後見人たる君がオールマイトの後継……神野事件で大きく取り上げられた『次は君だ』の言葉が指す人物として、本来の後継を世間の目から隠す防波堤になってまで守るべき器だと、君は思っているのか」

 

 この世界での居場所を作ったオールマイトへの恩義か、あるいは本当は不満に思っていても、全体の利益を考えて言葉を飲み込んでいるのか。グラントリノから話を聞いても、その点の真意は分からなかった。彼女が本気でこの世界の平和のために、安穏と暮らす選択肢を切ったことは、プロヒーローとして、この世界に暮らすものとして情けなくも申し訳ない気持ちになる。オールマイトへの恩返しと言っても、本来なら彼女がAFOとの因縁に関わる義務はないのだから。

 彼女を護るための嘘が足枷になり、偽りの汚名になり、その優れた能力を頼るばかりで、重荷と傷だけを背負わせている。中身は成人していて、しっかり者といってもまだ25歳の若者だ。増え続ける負担を重荷に思っても、なんら不思議ではない。

 私もグラントリノもオールマイトに近すぎる。不満を覚えても、それをそのまま吐き出すことはできないだろう。……それでも、弱音や本音のひとつでも見えれば、陰から全力で力になる所存だった。

 が、私の予想とは裏腹に、瞬きを繰り返した彼女はふっと笑みをこぼした。

 

「分かりません」

「は……」

「は!?」

「今はまだ、という意味ですが」

 

 すぱり、と張りつめた空気を切った言葉はあまりにも予想外で、思考が追い付くのが遅れた。ずっと空気に徹して黙っていてくれていたグラントリノさえ、声を裏返らせたほどの意外性だった。

 きっぱりと告げた彼女は穏やかな顔のままこちらを見上げていて、困惑のあまり挙動のおかしくなった私とグラントリノの両方に視線を走らせた後、眉を下げて苦笑した。

 

「ナイトアイとしては……イズク、デクがオールマイトの後継者であることは、納得できませんか」

「……ああ。実力、ユーモラス、世間を安心させられる安定感と度量の広さ。どれもまったく足りない。私はミリオを後継者候補として育ててきたが……正直、緑谷をインターン生としてウチに受け入れるかすらも悩みの種だった」

「なら、なおさらです。ミリオ先輩から聞いた話ですが、ミリオ先輩が『透過』の個性を使いこなして、雄英でビッグ3と呼ばれるほど急成長したのは、ナイトアイ事務所にインターンに来てからなんですよね」

「……そうだ」

 

 確認するような彼女の口調に、うっすらと彼女の次の言葉の内容を察した私は、悟られない程度に目を細めた。

 

「ミリオ先輩は、何度も『サーが指導してくれたから』と話していました。体育祭でも良いとこ無しだったのに、あなたに見つけてもらったから今の自分があると。

 私はあなたでもオールマイトでもないので、推測にはなりますが……、きっと、オールマイトもデクに対して、実力とは何ら関係のないところで、確かな可能性を見出したのではないかなと思っています。それこそ、他人から何と言われようとも曲げられないほどの可能性を」

 

 彼女の言う通り、ミリオが頭角を現したのは私の事務所で経験を積んでからだ。奇襲攻撃と攻撃を無効化する『透過』の個性だが、直接的な攻撃力は肉体に頼ることになる。そもそも、透過を使う判定があまりにもシビアなため、ミリオはうまく個性を扱いきれておらず、雄英ヒーロー科に入学したものの、二年目の体育祭でも結果は振るわなかった。……それでも、他人から笑われてもめげず、笑顔を絶やさず明るく振舞うミリオに光るものを見つけた私が、鍛えれば間違いなく強くなれるとインターンに誘ったのだ。そして、彼は私の期待以上に応えてくれた。……それは、他でもないミリオ自身の成長であり、たゆまぬ努力の結果だ。

 

「確かにデクはまだ未熟だと思います。有り余るパワーの全てをまだ制御できていないし、土壇場でパワー負けすれば、自分の体すら犠牲にする。そういう危うい点も含めて本当にオールマイトの後継者にふさわしい器か、と聞かれれば『今はまだ分からない』としか言いようがないです。少なくとも公表するには早い段階だ、としか。

 でも、私自身は彼の向上心の高さと、思考を停止せずに何があっても考え続ける姿勢と、絶体絶命の状況に追い詰められても心が折れない所は高く評価しています」

 

 薄曇りだった空が、雲間の切れ目に差し掛かったのか明るくなり、窓辺に光が差し込んでくる。窓辺へと視線をずらした彼女の赤い瞳にうっすらと陽光が乱反射して、細めた眼の中で虹色にきらめくのが見えた。

 

「平和の象徴の元サイドキックで、ミリオ先輩を指導してきたナイトアイから見れば、心身共に不安定なデクに不安を覚えるのも理解はできます。

 でも、まだ彼は高校一年目。それもまだ半年です。個性を獲得してからまだ一年経っただけだと考えれば、後継者にはふさわしくないと可能性を摘んでしまうには早すぎる。だから、ナイトアイも彼を受け入れて見極めようとしたのでは?」

「……」

 

 ……洞察力が高いとは事前に聞いていたが、ここまでとは。喋ってもいない内心を、ミリオとの会話という事前情報があったとしても、私の今までの発言を絡めて言い当ててくるのだから恐れ入る。

 沈黙を肯定と捉えたのだろう、こちらを見上げた彼女はわずかに眉を下げて苦笑しながら、自分の右手で左手首に触れた。

 

「AFOを捕縛してもヴィランが活気づくこの世情で、オールマイトが体の不調を隠し通しても守ろうとした平和のために、デクの成長をあまり待っていられないという意見も分かるつもりです。

 ……でも、今の彼が世間の期待の目まで背負ったら潰れてしまう。なら、ちょうどいい立ち位置にいる私が(デコイ)になるのが一番良いでしょう。OFAの秘密を守るという意味でも、デクの心身を守る意味でも。……若輩が何を言うかと思うかもしれませんが、未成年の若者を守るのも、少し先を生きる者だからできる役割ではないかなと」

「……君は、本当にそれでいいと? 君だけが後ろ指を指され、今は手のひら返しで無責任に期待を向けられることを……緑谷のために飲み込む気でいるのか」

「私がそうするべきだと思うから、勝手にそう見えるよう動くだけですよ、ナイトアイ。オールマイトへの恩返しのつもりでも、デクに恩を売る気でもない。そんな恩の押し売り、それこそ彼が気に病みます。それに、私のことをよく知らない人間にどうこう言われても、私は特に気にならないので」

「……そうか」

 

 言いたいことは山ほどあるが、もう時計の針は会議開始の五分前まで迫っている。同じ建物といえど、そろそろ移動しなければ。

 

「不躾な質問をしてしまってすまなかった。そろそろ会議も始まる、噂にならないように別れて会場に向かうとしよう」

「あ、はい」

「そうだ、私の連絡先も渡しておこう。表立って協力できる機会は限られるだろうが、何か困ったことがあれば連絡しなさい」

 

 連絡先まで渡されると思っていなかったのか、面食らいながらも咄嗟に差し出した名刺を両手で丁寧に受け取るところは、かつての経験ゆえだろう。他人を頼り慣れていないのがありありと分かる様子に思う所はあるが、今はそれを口に出すことなく、彼女に笑いかける。

 

「『未成年の若者』を守るのも、年長者としての務めなのだろう?」

 

 先ほどの彼女の言葉を引用すれば、見下ろした少女の表情は柔らかくほころんだ。

 

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