「……
この切島くんのツッコミに、私も全力で同意した。天井から退散ってそんなベタな。日本に来てからアニメも暇つぶしに観るようになったので、言わんとすることはよく分かる。
「ショック吸収を無いことにしちまった……究極の脳筋だぜ。でたらめな力だ……星合のサポートもあったとはいえ、再生も間に合わねぇ程のラッシュってことか……」
初めてオールマイトの本気を目の当たりにして、誰もがあっけにとられ、唾を飲み込む。
これが、トップの力。
これが、プロの世界である。
「やはり衰えた……全盛期なら5発も撃てば十分だったろうに……300発以上も撃ってしまった」
「(全盛期で5発……ホント、オールマイトの力って計り知れない……)」
そんな呟きに若干呆れながらも、まだ戦いは終わらない。一番脅威的な脳無は倒せたが、死柄木と黒霧がまだ残っているからだ。
「さてとヴィラン、お互い早めに決着つけたいね」
「衰えた?嘘だろ……完全に気圧されたよ、よくも俺の脳無を……チートがぁ……!!」
砂埃のただなかに立つオールマイトに、死柄木が低く唸り声を上げる。
「全っ然弱ってないじゃないか!!
「あいつ……?」
「どうした?来ないのかな!?クリアとか何とか言ってたが……出来るものならしてみろよ!!!」
「うぅうおおおおおおお……!」
No.1ヒーローの名は伊達ではない。圧倒的な気迫に呑まれているのか、死柄木は声の威勢はいいものの、足は縫い留められたように動かない。恐怖と敵愾心のうちで葛藤しているようだった。
死柄木が呟いた意味深な言葉に訝る私をよそに、その様子を見ていた轟たちは、ようやく意見を変えたらしかった。
「さすがだ……俺たちの出る幕じゃねえみたいだな……」
「緑谷!ここは退いた方がいいぜもう、手負いの星合もいるし、却って人質とかにされたらやべェし……」
なっ、と心配そうな顔で切島くんに見下ろされ、私は一瞬渋ったものの、不承不承ながら頷いた。
ここまで手負いになると足を引っ張りかねない。爆豪を下がらせた反動で、表面こそさしたるダメージには見えないだろうが、身体の中が色々とまずい状況に向かいつつある。血の減りが思いのほか早いのだ。
オールマイトが無理を押してマッスルフォームに変身し、あの戦闘を繰り広げたことで無理を重ねすぎていないか心配だが……最悪、死柄木と黒霧も
「さぁどうした!?」
「脳無さえいれば……!奴なら!!何も感じず立ち向かえるのに……!!」
「死柄木弔……落ち着いて下さい。よく見れば脳無に受けたダメージは確実に表れている。どうやら子どもらは棒立ちの様子……唯一脅威かもしれないあの氷の娘も手負いで動けない。
あと数分もしないうちに増援が来てしまうでしょうが、死柄木と私で連携すれば、まだ殺れるチャンスは充分にあるかと……」
「……うん……うん……そうだな……そうだよ……そうだ……やるっきゃないぜ……目の前にラスボスがいるんだもの……」
「星合、おぶされ」
「いや、歩けるよ……?血で汚れるし」
「や、さっきから無茶ばっかしてんだから無理すんなよ!あんだけ血も吐いたんだしさ……。
星合も背ェ高ぇから、運ぶとしたら
至極当然のように私の前に背を向けてしゃがみ込む轟に困惑する。いや確かに切島くんと同じ170㎝も身長がある私を(体重はこの際無視で)背負えるのは6センチ差の轟だろうが、そもそも足は無事なのだから歩けると主張する私に、切島くんがイヤイヤ、と呆れたようにツッコミを入れてきた。
確かに気心しれ……てるはずの轟がこの面子の中では一番まともな選択なのだろうが、精神年齢が10歳年上としては、この程度で頼るのはなんというかちょっとプライドが許さないというか。
そんな微妙な心境で返答を渋っていると、轟にあからさまに面倒くせぇ……という顔をされた。
「星合」
「?」
「どうしても自分で歩くってんなら俺が無理やり横抱きで抱えていくがどうする」
「おんぶでお願いシマス」
「早っ」
とんでもないことを言ってのけた轟に、私は引っかかっていたプライドをあっさり折った。うわぁ、という顔を爆豪と切島くんがしているが、想像してほしい、この状況でお姫様だっこで他のクラスメイト達の前に登場とか、絶対に後で黒歴史と化す。主に峰田と女性陣にからかわれたり茶化されたり話を根掘り葉掘り聞かれるのが目に見えている。
というかそもそも横に抱えられると怪我している部位が部位なので間違いなく痛いし辛い。おまけに身長がある分比例して体重も重い。いくら轟が鍛えているとはいえ、それなりに負担がかかるだろう。その上横に抱えられたままあの階段を登らせるのはまず私の中で無いし、絶対に怖い。クラウスくらい身長差があって横抱きにされても安心感のある体格差なら話は別だが、私も轟も背丈はあるものの細身の部類だ。同じ運搬される運命ならば、安全安心を取る。
「うし、主犯格はオールマイトが何とかしてくれるだろうし……俺らは他の連中助けに行くぞ」
「……緑谷?」
取り合えず私は大人しく運ばれることに決まったので、切島くんが気を取り直したように声を上げる中、イズクだけが別の方向――オールマイトの方を向いていた。どうしたのかと私も疑問に思い、そちらを見ると――
「何より……脳無の仇だ」
オールマイトのすぐそばまで迫り、闇色のワープゲートを大きく広げて襲い掛かる黒霧と、随従する死柄木。そして、そんな様子を見ても動く気配のないオールマイトを助けるべく、いつの間にか発動した「ワン・フォー・オール」で宙をロケットのような速さで飛んで黒霧に肉薄した、イズクの姿があった。
「な……緑谷!!?」
「(しまっ……そうか、オールマイト、身体がもう限界で動けないのか……!ぬかった……!)」
「オールマイトから 離れろ!!!!」
戦況を読み違えたことに気付いた私は臍を噛む。オールマイトのあのステゴロを見て、心のどこかで安堵していたのだ――まだ動ける、と。
だが、イズクはオールマイトの口には出せない弱さを、正確な現状を把握し、恩師を助けるためだけに危険を冒して飛び込んだ。幼馴染が示してくれた不定形のモヤに対する対処法で、恩師の危機を退けようとしたのだ。
「二度目はありませんよ!!」
だが、離れていた私の眼に映ったのは、黒霧の身体に手を突っ込み、イズクに死柄木の手のひらが迫る光景。その手のひらがどんな効力を示すかは分からないが、とにかくあれに触れさせては駄目だ、と直感で悟る。
「くッ……!!」
無理やり少ない血で糸を捻りだし、裂帛と共にイズクに向けて放つ。時間が永遠にも感じるようにスローモーションで流れる中、思うのは唯一つ。
――イズクは、オールマイトの希望は死なせない。
絶対に。
それだけが頭にあって、
イズクの折れたようにプラプラとした足首に巻き付いた血糸を思い切り引くと同時に、迫る死柄木の手を牽制するかのように、横から誰かの弾丸が撃ち込まれ、めり込み、皮膚を引き裂き貫通する。
「!!!!」
「K・K……?」
いつだって、遠く離れた場所から私たち近接戦闘員の援護射撃をクールに決めてくれる、心優しい仲間であり二児の母である彼女のような、そんな絶好のタイミングで放たれた銀の弾丸に、普段なら絶対に口にしないうわ言が、くちびるから洩れる。
「来たか!」
「ごめんよ皆、遅くなったね。すぐ動けるものをかき集めて来た」
それは、この場に居る生徒全員が、オールマイトが望んでいた声。
入り口付近に感じる多くの気配に、私は霞む目を瞬いて、ようやく笑うことが出来た。
「1-A クラス委員長 飯田天哉!!!ただいま戻りました!!!!」
飯田くんが呼んでくれた、雄英高校が誇るプロヒーロー総勢十数名が、勢揃いしていた。
「あーあ、来ちゃった……ゲームオーバーだ。帰って出直すか、黒霧……」
それに対し面白くなさそうな声を上げる死柄木。彼らが一番恐れていた事態が現実となり、ここらが潮時だと、それまでの凶行など無かったかのように、あっさりと引き下がろうとする。
だが、帰ろうと動いた彼らを駆けつけた教師陣が黙って見過ごすはずもなく。次の瞬間、圧倒的精度をもって、致命傷にならない死柄木の身体の部位を数か所、的確に弾丸が撃ち抜いた。呻き声と共に、血飛沫が飛び散って地面を汚す。
だが、それでも死柄木の身体は黒霧のワープゲートに呑み込まれていく。
「この距離で捕獲可能な“
百発百中の狙撃の名手、スナイプ先生の言葉に呼応するように、逃げ帰ろうとするヴィランが吸い込まれるように一点に引き寄せられていく。その現象に身体を揺らめかせながら、黒霧が驚いたような声を上げる。
階段の上へと視線を向けた黒霧が見たのは、彼が深手を負わせ、行動不能にしたはずの13号が地面に這いつくばったまま“個性”を行使する姿だった。
「これは……!」
「僕だ……!!!!」
ゴッ、と勢いよく指先の吸引能力でヴィランを捕らえようとする13号だが、完全に引き寄せ吸い込む前に、ワープゲートが徐々に閉じていく。あれでは逃がしてしまう。
片膝をついたままだった私はぎりりと奥歯を軋らせ、唸る様に母国語を紡ぐ。
「今回は失敗だったけど……」
「
遠く離れているが、事前に血の小針さえ仕込んでおけば、距離は関係ない。
恩師を、クラスメイトを、友人を、恩人をさんざん痛めつけてくれたのだ、タダでは帰さない。
――逃がさない。
気を緩めれば遠のきそうな意識の中。ただそれだけを強く願い、私はダメ押しの一撃を短い詠唱と共に地面をタップすることで発動させる。誰かが駄目だ、やめろと止める声が聞こえたような気がしたが、私は構わずに掠れた声を喉奥から振り絞るのだった。
「今度は殺すぞ、平和の象徴・オールマイト……!」
「
まるで呪いのような怨嗟の言葉を残し、ひどく呆気なく立ち去っていったヴィラン。
ワープゲートが閉じ切る寸前、私はパキン、と確かに氷が生まれるあの音を聞いた。ゲートが消えた箇所にパラパラと落ちた氷の結晶に、取り逃がす前に
「……ッ、これ、で、しばらくは……」
守るべきと無意識下にそう定めていた対象を害した敵に、一矢報いたことに安堵した私は、眩暈を覚えてずるずるとその場にうずくまった。
全身の血が凍っているような、電気が駆け巡っているような、つめたい身の内の震えが全身へ伝播する。指先がしびれるようだった。そのこわばりを解くように、誰かのあたたかな手が、背中や肩にふれる。
「ぅ、あ、」
吐き出す息ばかりが深くなって、空気を身の内に吸いこむことができない。大きな氷を呑み込んだように、息が詰まる。血反吐を吐く余裕すら、最早ない。
「おい、星合!しっかりしろ!」
耳元で叫ばないでほしい。ガンガンと痛む頭に、至近距離の大声はつらい。
そんな苦言すらも喉から出てくることは無く、いっそう増した眩暈に、私は均衡を持ち崩す。ぐらりと傾く身体に、あぁ、落ちた時と同じ感覚だとまた他人事みたいに思いながら、私は意識を手放した。
**
一人飛び出した緑谷。その顔に迫る敵の手から緑谷を脱出させるべく、見覚えのある赤い縄が緑谷を引っ張り、プラス
しかも、いつの間に攻撃手段を仕込んでいたのか、結局取り逃がしてしまった敵二人にも、脳無をも凍りつかせた技で、ゲートが閉まりきる間際に一矢報いた星合の顔は、青白いを通り越していっそ白かった。まるで死人のような顔色に、その顔色をちらりと見た俺は、髪の毛が逆立つような感覚を覚えた。
ほぼ無意識の防衛機能みたいに、緑谷の足に引っかけた縄を体内に戻した星合は大きく身体を震わせ、うずくまって苦しみ始めた。俺や切島が慌てて呼び掛けても反応が無い。聞こえていないのだと、容易に察せた。
長い髪の合間から見えた紅い瞳が激しく揺れ、また吐くかと思われた大きく開いた口からは吐瀉物も血も、なにひとつ溢れ出てはこなかった。代わりにひゅうひゅうと苦しげに喉笛ばかりが鳴っている。息が出来ない。そう示すかのように喉元を押さえ、掻き切ろうとするほっそりとした指先を慌てて捕らえる。猫に引っかかれたような細い赤い筋が、ぷつりと喉の薄い皮膚に浮かぶ。掴んだたおやかな指の先、爪と指の間に血が滲んでいた。
そのままがくんっ、と糸が切れたかのように
うまく動かなくなってしまった首を動かして、ぐったりと青ざめている星合の顔を見る。呼吸は浅く、速い。脇腹の傷は氷で塞がれてはいるが、透き通る氷の向こうが朱に滲んでいる。
――死んでしまう。
ふと心の中に浮かび上がった言葉に、縁起でもない発想にぞっとした。だが、今の彼女がそれに近い状態にあることは明白だった。
このままではいけない、すぐにでも教師陣に救けを求めてリカバリーガールに応急処置をしてもらわなければと思うのに、意思に反して身体は凍りついたように動かなかった。
「16……17……18……両足重傷の彼と、脇腹の傷と失血で重症の彼女を除いて……ほぼ全員無事か」
あの後、星合を抱えたまま動くことも出来ず、思考を止めて茫然とその場に座り込んでいた俺の手から教師の手を渡って、星合は相澤先生や13号と共に、ドームのすぐ外に駆けつけた救急車で病院へ搬送された。
そして、ドームの出口からあのチンピラ共が連行されていく横で、ほぼ無傷の
「尾白くん……今度は燃えてたんだってね、一人で……強かったんだね」
「皆一人だと思ってたよ俺……ヒット&アウェイで凌いでたよ。葉隠さんはどこいたんだ?」
「土砂のとこ!轟くんと
「……なんにせよ、無事でよかったね」
複雑な心境を紛らわすためか、生来の気質か。合流したクラスメイトと会話する周囲の中、俺と爆豪、切島だけが沈んだ顔で黙りこくっていた。
――逃がさない。
星合が自分の身も顧みず、敵に追撃を加えた時……異国語の技名に紛れて、ともすれば周囲の音に紛れて聞こえなくなってしまいそうなほど小さな声で、けれど決然とした響きで呟いた執念の言葉。ぎらぎらと熱を放つように静かに燃えたつ瞳。それと相反するように表情は氷のようにつめたかった。
あと気になるのは、ケーケー、という言葉。星合が、敵の手に撃ち込まれた弾丸を、そしてそれを撃った教師を振り返りながらうわ言のように囁いた言葉。文字に直すならKKか。何かの暗号なのか、コードネームなのか……本当に、星合に関しては疑問ばかりが解決されないまま降り積もっていく。
現実逃避だとは分かっている。けれど、取りとめも無く何かを考えていなければ、轟は意味も分からない声をあげて、叫び、走り出してしまいたい衝動に駆り立てられそうだった。ここではないどこかへ。
冷え切ってしまった冷静な理性の下で、さまざまな感情が嵐のように荒れ狂っていた。くちびるを引き結んでいなければ、それらが表へと流れ出てしまいそうだった。
――私には、何もないんだよ、轟。
悲しげな声が、耳の奥で蘇る。あんな顔をさせたかったわけじゃなかった。
ただ、心配だったのだ。空を見上げてぼんやりとしている彼女の様子が、向けられた背中の寂しさが、妙に気に懸かった。触れたら消えそうな、そんな途方もない予感がしたのだ。
「……クソッ」
「とりあえず生徒らは教室に戻ってもらおう。すぐ事情聴取ってわけにもいかんだろ」
「刑事さん、相澤先生は……」
蛙吹がトレンチコート姿の刑事……おそらくこの場の責任者だろう男に安否を尋ねるのが聞こえた。蛙吹と峰田は相澤先生を運んだから、余計に安否が気になるのだろう。
その刑事はちょっと待ってね、と一言置いてどこかに電話を掛け始めた。二言三言喋った彼は、スピーカーホンにして全員に通話が聞こえるよう操作する。数秒置いて、ばたばたと忙しい物音をバックに医者らしい男の声が聞こえた。
『左腕の粉砕骨折と顔面の軽い骨折……幸い脳系の損傷は見受けられません。ただ、眼窩底骨の一部が粉々になってまして……眼に何らかの後遺症が残る可能性もあります』
「だそうだ……」
「ケロ……」
相澤先生の個性の要は目だ。そこに後遺症が残る可能性を指摘され、峰田が震え上がり、蛙吹が悲しげな声を漏らす。
「13号の方は背中から上腕にかけての裂傷が酷いが命に別状はなし。オールマイトも同じく命に別状なし。彼に関してはリカバリーガールの治癒で充分処置可能とのことで保健室へ」
「デクくん……千晶ちゃん……」
「緑谷くんと星合くんは……!?」
緑谷とも星合とも仲のいい麗日と飯田が眉を下げて二人の安否を問うと、一瞬刑事はピクリと眉を動かした。何だ?と一瞬怪訝に思うものの、感情の読みにくいポーカーフェイスのそいつが静かに口を開くのを見て、違和感を口にはせず黙って続きを待った。
「緑……ああ、彼も保健室で間に合うそうだ。私も保健室に用があるから後で寄るが……星合くんに関しては正直、今回の受傷者の中で一番重傷だ」
寄せられた眉間の皺が深くなり、不穏なほど一度言葉を切ったそいつに、俺を含むクラスメイト全員が固唾を呑んで次の言葉を待った。
「脇腹の裂傷、肋骨3本骨折……折れた肋骨が肺に刺さって穴が開き、内臓もいくつかダメージがあったそうだ。本来ならそこに血が溜まって血胸になったり、体内で大出血を起こすところだが……彼女が自分の“個性”の操作の手練れだったことが幸いした。自力で体内の傷ついた臓器を血の糸で縫合し、腹腔内に溢れた血を傷ついていない血管に戻すなんていう
「よ……良かったぁ……!」
「ただ」
緑谷も星合も無事なことを確認した麗日や女子の面々が安心して気が抜けたのか涙ぐんでいたが、それを壊すかのように不穏な一言が落ちる。
俺や切島、爆豪は薄々察していた――後遺症「は」心配がないと言っただけで、まだ刑事は「命に別状はない」とは言っていない。あの苦しみようを、血の気の引いた顔を目の当たりにしていたのだ、それだけで済んだとしたら、奇跡だ。むしろ、嘘だとなじっただろう。
再び空気が凍ったその場に、刑事はあまり言いたくなさそうに、しかし言わなければと決心したのだろう。数秒の空白を置いて、吟味するように薄く開いたり閉じたりしていた唇を大きく開いた。
「ただ……失血量があまりに多かったそうだ。血液総量のほぼ半分……それこそ人間の限界に迫るほどの量が失われていたらしい。それに加えて急激な多量出血に伴う血圧低下も……正直、“個性”が“個性”じゃなければ出血性ショックでいつ心肺停止してもおかしくなかったと医者は言っていた」
心肺停止。死を連想させる単語に、ギリッ、と奥歯を強く噛み締める。
「そんな……!!」
「加えて、“個性”の特性上、他人の血液を受け付けない特殊体質らしい。普段から病院で定期的に抜いていた自分の血での
「……ッ!!」
一時間前まで笑って会話していたクラスメイトに、死の濃い影が落ちるだなんて誰が想像できるだろうか。蒼褪める俺たちから表情を隠すように帽子のつばを深く下げた刑事は、「さて」と呟く。
「すまないが、保健室に用があるのでこれで失礼するよ。三茶!後頼んだぞ」
「了解」
話を終えた刑事が遠ざかっていく中、俺は唇を噛み締め、下ろしていた拳を強く握りしめた。
あんなにそばに居たのに、あいつの無茶を止められなかった。普段は飄々と振る舞っていても、ああ見えて情には厚くて、懐に入れた人間に対しては全力で守ろうとするし、誰かが危ない目に遭っていれば、即座に容赦なく蹴りを入れるような人物だと、そういうことをしでかす奴だと分かっていたはずなのに。
クソ親父の訓練のお陰で、戦闘や状況判断には自信があった。反応速度の速さだって、かなりいい線を行っているだろう。……だが、そのすべてにおいて俺は、星合に劣っている。
だから、止められなかった。星合の状態が悪化するような無茶の数々は、すべて、他人を助けるために放たれている。相手をしたのがオールマイトとあいつ一人だけだったなら、あれほどまでに消耗することは無かったのかもしれない。
俺はまだ、弱い。
クソ親父の事抜きで、強くなりたい、そう本気で思った。
所変わって、保健室。
負傷者のうち比較的軽傷だったオールマイトと緑谷出久の師弟は、隣り合ったベッドに寝かされていた。
「今回は事情が事情なだけに、小言も言えないね」
呆れたように溜息を吐きながらも、そう呟くリカバリーガールの表情には隠し切れない安堵が滲んでいる。入学してからたった数日だというのに負傷続きの出久が、強大な敵に立ち向かったというのに、敵の包囲網を潜り抜けるために使った左手の指と、オールマイトの為に力を使った反動で両足を骨折しただけで済んだのが、いっそ奇跡的だった。
「……多分だが……私また活動限界早まったかな……一時間くらいはまだ欲しいが……」
素肌に包帯を巻きつけた姿のトゥルーフォームに戻ったオールマイトがぽつりとつぶやいた言葉が、静かな保健室に響いた。その言葉に、出久がハッとした顔で顔だけを彼に向ける。
「オールマイト……!」
「まー仕方ないさ!こういう事もある!!」
しんみりとしてしまった空気を、隠し切れない無念と感傷を吹き飛ばすように、オールマイトは気にするなと言わんばかりに努めて明るい声を出し、負傷した身体を起こした。
「失礼します」
そんな最中、保健室の扉ががらりと開き、帽子を外した男……塚内が顔を出した。
「オールマイト、久しぶり!」
「塚内くん!!君もこっちに来てたのか!」
鷹揚に片手を挙げた塚内の態度は親しげなもので、オールマイトもまた、自身の姿を取り繕おうとはせず、吐血しながらも親しい人物を驚嘆を覚えながらも迎えるかのように声を上げた。
本来なら第三者の登場にオールマイトの真の姿を隠すべき事態にも関わらず、二人とも露ともそんなことは気にしていない素振りに、出久は思わずがばりと上半身を起こし、二人の顔を見比べた。
「オールマイト……!え、良いんですか!?姿が……」
「ああ!大丈夫さ!何故って!?彼は最も仲良しの警察、塚内直正くんだからさ!」
「ハハッ、何だその紹介」
ざっくりとしたオールマイトの紹介の仕方に苦言を洩らしながらも、その声は言葉に反して明るいままだ。そんなやりとりひとつで、オールマイトと彼がどれだけ信頼し合っているかを察した出久はほっと肩の力を抜いた。
出久は知らない事実だが、オールマイトにとって塚内は、No.1ヒーローの知られざる弱体化とその個性にまつわる秘密を知っている旧来の友というだけではなく、「星合千晶」という少女の抱える多くの秘密を共有する間柄でもある。
数奇な運命に翻弄される異世界の少女。25歳という若さで想像を絶するような地獄を体験しながらも、決して腐ることなく吸血鬼狩りを続け、世界の均衡を保ってきた百戦錬磨の猛者。
世界を渡ったことで自分の居場所も、心の拠り所すらも失った彼女に、オールマイトと塚内は手を差し伸べた。それは正義を司り、悪を処断するヒーローと警察という己の立場を抜きにして、目の前の庇護をなくした少女に何かしたい、という根源的な思いの発露からうまれた、ひどく単純な行為だった。
元の世界に帰るまでの期間、退行した身体に見合う生活を勧めたのはオールマイト達だ。能力を公に使える(あの性格で能力の悪用をするとは微塵も考えなかった)資格を取る傍らで、壮絶な人生を歩んできた彼女につかの間の平穏と、本来なら享受されるべきだった人並みの幸せを、人生の輝きを手にしてほしかった、それだけであったのに。
だからこそ、彼女が自分の命をチップに凌ぎきった、用意周到な奇襲を実行した
「早速で悪いがオールマイト、敵について詳しく……」
「待った、待ってくれ。それより……生徒は皆無事か!?相澤……イレイザーヘッド、13号、それに星合くんは!!」
新米ながらも、先生らしい心配の仕方に、一瞬塚内は虚を突かれたものの、溜息を洩らしながらもその問いかけに答えるのだった。
「……。生徒はそこの彼と星合くん以外で軽傷数名。教師2人はとりあえず命に別状なし。星合くんは……脇腹のダメージによる後遺症の心配はないが、失血量が多くて意識不明の重体だ」
「そんな……!」
淡々と事実を述べる塚内の言葉に、それまで黙っていた出久が悲鳴じみた声を上げる。その脳裏には、千晶によって助けられた場面が克明に思い出されていた。
二度、緑谷出久は星合千晶に助けられている。
一回目は、脳無に腕を掴まれた時。氷の壁で脳無の腕を寸断した。
そしてもう一回は、死柄木に顔を掴まされそうになったのを、折れた足に糸を絡ませ、引っ張ることでその脅威から離脱させてくれた。
そのどちらもが脇腹を抉られてからの事で、その他にも爆豪を脳無の拳圧から脱出させたりと無理を重ねた彼女。間違いなく生徒の中で最も重傷を負いながらも、最後まで奮戦した彼女の姿を脳裏に思い出していたのは、オールマイトもまた同じだった。
「自己輸血でかろうじて一命は取り止めたが、予断を許さない状況だと、医者が」
「くっ……私がもう少し早く到着していれば……!」
淡々とした機械的な塚内の声が、荒れ狂う激情を身の内に沈めて、表面には決して出さないよう努めているからだと気付いたオールマイトは、悔しげにこぶしを握り締める。
「……だが……彼女と、そして3人のヒーローが身を挺していなければ、生徒らも無事じゃいられなかったろうな」
「……そうか……しかし、一つ違うぜ塚内くん。星合くん以外の生徒らもまた戦い、身を挺した!
こんなにも早く実戦を経験し、生き残り、大人の世界を……恐怖を知った1年生など今まであっただろうか!?
……私はそう確信しているよ」
オールマイトの力強い言葉に、塚内もまたほんの少し笑みを浮かべて、頷いた。