DAY DREAM
ざぁ、と木々のこすれ合う音でうつらうつらとしかけていた意識が僅かに浮き上がる。葉のこすれ合う音に混じって、草木を踏むような音が近づいてくるのに気付いて、私は閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
「……ねみぃのか?」
「んー……授業が、退屈で……」
「気持ちは分からなくはねぇが、きちんと受けとけよ。雄英行きが決まってるとはいえ、受験モードの今気ィ抜いてたらどやされんぞ」
するり、と伸びてきた指で頬をくすぐるように撫でられる。すこしひんやりとした指先はかさついていて、戦いを知らない同級生のそれとは雲泥の差だ。言葉では小言を言っているくせして、行動は猫を可愛がるようなそれだ。
眠気を引きずってかくりと頭を前にもたげた私は、ゆっくりと顔を上げる。視線を持ち上げた先には、紅白のツートーンの髪が特徴的な少年が立っていた。
「分かってるよ……特例のスカウト枠で受かった以上、期待を裏切るような真似は出来ないしねぇ……ああでも暇……授業簡単すぎてつまらない……」
「まぁな」
すとん、と隣に腰を下ろした少年に、私はぐったりと弛緩させていた上体を起こした。
「そういや、スカウト枠つっても実技試験あったんだろ。どんなだったんだ?」
「ん?ああ、それが……タイムアタックだったんだよ。市街地演習場に解き放たれた仮想
「へぇ」
僅かに左右で違う色の目を丸くさせるその口元は少しだけ興味深そうに緩んでいて、好戦的な部分が顔を覗かせていた。そういうところは年相応だよね、と親みたいな目線でこっそり微笑ましく思う。だってしょうがない、肉体はさておき精神年齢で言えば10は年上なのだ。見る目はどうしたって同級生というより、守り手を取って戦うべき妹弟子たちに向けるそれと似てしまう。
「星合の得意分野じゃねえか」
「まぁね……って言っても、君も得意でしょ、一対多」
「何も気にせずに凍らせられるからな」
「轟はもっと個性の精密制御を覚えるべきだよ、勿体ない……今の状態でも十分強いだろうけど、敵味方入り混じる混戦じゃうかつに動けなくなるよ」
「……分かってる」
段々醒めてきた思考回路で指摘すれば、本人も自覚しているのか渋い顔をした。
堕落王のペットによる異世界移動事件から、約半年。
HLのある元の世界から、ヒーローが敵と戦う超常世界に転がり込んでしまった私は、運よくNO.1ヒーロー・オールマイトに拾われた。何故か、
幸運にも彼と、その知人塚内さんに私の突拍子もないような身の上話を信じてもらえ、身寄りも衣食住を整える所持金も戸籍もなにもない私を、表向き『
とはいえ、あまりに突拍子もなく、私の存在以外に証拠がないのに、疑われる余地なくトントン拍子に話が進んだのは、オールマイトがバックに着いていたのも大きかったのかもしれない。国民的ヒーローであり平和の象徴が連れてきた少女だから、とオールマイトの社会的信用があったからこそ、認められたようなものだろう。連れてきたのが他の人間だったら、敵側のスパイではと疑われてもしょうがないような話だ。……とはいえ、巧妙なスパイかもしれないという疑惑は拭いきれない。念のため、オールマイトが保護者として数年経過観察するということで、行政や警察との話は落ち着いた。まぁ、監視といってもあってないようなものだから、伸び伸びと過ごしなさいと署長さんは強面の顔を優しく緩めて笑ってくれたけど。
戸籍は後日作る、といわれ、次に連れていかれたのは立派な門構えと建物が印象的な学校だった。
「……どうですか、リカバリーガール。彼女の傷は……」
「……切り傷は私の力で治せるけど、足の凍傷や身体の火傷の痕は一度、一応治ってるから消すのは難しいねぇ……火傷のいくつかはケロイド化してるから、その部分を削り取ってもう一度治癒を掛ければその部分は綺麗に治るかもしれないけど」
「……オールマイト、あの、いいの」
深刻そうな顔で額を突き合わせているオールマイトと、リカバリーガール。小柄で優しそうなおばあさんといった風体の彼女はこの学校の保健医さんで、“個性”(人口の8割が持っている超常的な力のことをそう言うらしい)で患者の治癒力を活性させて、怪我を治すのを速めるらしい。神業的外科技術を持つエステヴェス女史とはまた別のお医者さんだなぁと眺めていたのだが、どうやらオールマイトは私の身体に数多くある傷や傷跡をどうにか治せないかと慮ってここへ連れてきてくれたらしかった。
けれど、そこまで気にしなくても、というのが私の考えだった。牙狩りは皆大小の違いはあれど、身体に怪我の痕がある。HLに渡ってからは「外」なら致命傷の怪我も異界技術でビックリするぐらい元通りに治してもらっていた(とはいえ霧の結界から出たら何が起こるか分からないという諸刃の剣だが)し、……そもそもエスメラルダ式血凍道の慣例で、左半身には肩口から足先に至るまで赤い入れ墨が入っているのだ。どうせ素肌を見たいという物好きもいないだろうから、私が少し暑いのを我慢すればいいだけなのに。
「
そう考えて二人の会話に割入った途端、勢いよくこちらを振り向いた二人に私はしどろもどろになりながら、誤魔化すようにへらりと笑った。が、オールマイトは途端にぶわっと泣き出すわ、リカバリーガールには悲痛な面持ちでぎゅっと抱きしめられるわで、私は二人の反応に目を白黒させた。……この反応、研究施設から助け出された後、身体の状態をみた兄妹弟子たちに大丈夫と笑ってみせた時と同じだ。
その後、治せる火傷痕と比較的新しい切り傷だけを治療してもらった私は、その後も彼女とその学校の校長――まさかの喋る鼠――のご厚意で、入場許可証を手に何度か、国立雄英高校……日本で一番のヒーローを育成する学校へ生徒でもないのに時折通うようになる。
そして、オールマイトに拾われた私がその後どうなったかというと。
まず、戸籍を作る段階で新しい名前で登録した。
これは
とはいえ、私はスペイン・バルセロナ育ちで、牙狩りの任務で海外を飛び回り、腰を落ち着けたと言っても元紐育。日本語は話せてもその文化に関しては疎いところも多くある。まして日本人の名前の付け方などさっぱり分からず、自由に決めていいという周囲に思い切り首を横に振った。
意味も分からず変な名前を付けたくないと言えば、オールマイトも私が外国人であることを思い出してくれたらしく、リカバリーガールや話をどこからか聞きつけた他の雄英の先生方――リカバリーガールの所に通う過程で喋るようになった――も加わって、ああでもないこうでもないと考えてもらった結果、貰った新しい名前は、『
そして、身体が14歳まで退行してしまったため、中学校に通うのを勧められた。
といっても私は教育機関できちんとした教育を受けた経験が皆無で、幼少期なんて身体を痛めつけることしかしていない。報告書を作らなきゃいけないので、牙狩りとして読み書きはできるが、孤児出身の構成員の教養レベルなんてその程度だ。エスメラルダ式血凍道の修行中は師匠に教えてもらって読み書きと計算は教えてもらったが、それも途中で施設に掻っ攫われたので中途半端。今のようにハイクラスの人間と渡り合う社交術と教養を身に着けたのは、施設から助け出され、心が幾分か回復しつつあった時期に、実験施設を徹底的につぶす間、身柄の安全確保のためにラインヘルツ伯爵家の本家に身を寄せていた時に叩き込まれたものである。後はHLに渡った後独学でアレコレ身に着けたものだ。……長時間の読書が苦にならないタイプで、常人より知識を吸収するスピードが速かったお陰だ。
そんな私がぽんと中学に放り込まれてもついていける訳がない。義務教育の9年間のうち8年間をすっとばすことになる私に周囲もそれは心得ていたらしく、ありとあらゆる常識や一般知識を読書で補い、読んでも分からない部分は日本最高峰の教育機関の先生方に教えてもらえるという好待遇の中で勉強を重ね、同時に戦闘の勘を取り戻すために、息抜きも兼ねて手合わせも行うという日々を続けること、約一ヵ月。ある意味驚異的なスピードで、私は足りない一般教養を補うことが出来た。……我ながら、義兄ばりの頭脳の回転数の早さが末恐ろしいと思う、うん。
そして編入したのは市立凝山中学。それなりに規模の大きい中学の三年生に、卒業までの約4か月を過ごすことになった。あまりに中途半端な時期の転校生だったのでどうなるか分からなかったが、明らかに外国人の転校生は珍しかったらしく、初日は質問攻めにされて困ったのが懐かしい。どうして転校してきたのかについても勿論聞かれたが、個人的な理由、ということで誤魔化した。
結局、本当に仲良くなったのはほんの数人だけれど、それでも恵まれているほうだろう。この見た目と、中身の精神年齢が高すぎて、正直若者のパワーに着いてけないところもあるので、自然と友人はマイペースか冷静なタイプに固まった。
今隣でもくもくとコンビニのパンを咀嚼している少年、轟焦凍もその一人だ。
同じクラスメイトで、最初はやたら目立つ髪型をしてる子、という印象しかなかったのだが、とあるきっかけで私の“個性”――表向きは『血液を操り、様々な属性の物質に変えられる』という『血液操作』で個性届を出した――が、氷と水に特化していて、なおかつ雄英高校ヒーロー科志望と知られてからは、なんだかんだと仲良くなった子である。
ちなみに、雄英志望になったのは勿論、お世話になった先生方への恩返し含めてだ。元の世界に帰る方法を見つけるにも、それまでの過程で腕が鈍ってしまっては本末転倒。しかし“個性”の使用はヒーローを始めとして、色んな資格を取らないとおおっぴらに使用できないことから、それならせめて、この世界に居る間くらいはオールマイトや先生方への恩返しのために、ヒーローを目指してもいいか、と思えたのだ。
正直、轟と一緒に居ると楽だし、楽しい。冷静そうに見えて時々子供っぽいくらいの熱しやすい部分が垣間見えたり、完全に天然ボケとしか思えない言動をしたりと、見てて飽きない。
ただ、日本だと特定の男女が常に一緒に居るというのはあまりないことらしく(シャイだもんね、日本人)、すぐに変な噂が校内中に広まってからは、二人で話し合って始終そばに居る、というのはやめている。お互い噂は特に気にしていないのだが、周囲がやたら付き合っているのかとうるさいのだ。
欧米じゃ男女入り混じって行動するのも遊ぶのも決して珍しいことじゃないし、遠慮なく意見をぶつけ合ってなんぼの世界なので、二人で行動しているだけでやかましく言われるのが正直納得いかないのだが、友人に止められた以上、分からなくても控えるべきだろうと無理やり自分を納得させている。異文化コミュニケーションって難しい。最初は女子と同じように「ショート」と呼んでいたのだけれど、それも勘違いを加速させるからと言われてからは、「轟」と呼ぶようにしている。呼び名を変えたら何故か物凄く不服そうだったけども。なんか今更他人行儀っぽくて気持ちわりぃ、と苦虫をこれでもかと噛み潰したような表情になっていたのが印象的だった。
卒業まであと半月、周囲が受験への最後の追い込みに燃える中、私と轟は一足先に受験を終えていた。というのも、轟と仲良くなった時点で既に彼は雄英高校ヒーロー科の推薦を決めていたし(一年に4枠しかないらしい)、対する私は一般受験を考えていた矢先に、急に「スカウト枠」という今年から新設された受験枠で受かってしまった。いくら(建前上)オールマイトの監視下にある子どもだからといって……明らかにコネである。来年度からオールマイトも雄英の教師になる(オフレコ)らしいので、当然の処置といえばそうかもしれないが、どうあがいてもコネである。
ただし、ただのコネで受からせるわけがないのが雄英高校である。生徒として迎え入れるに値するか、という名目で筆記試験と実技試験があったのだが……まぁこれが大変だった。
なにせ、肝心の試験内容が「広い演習場内に無数に散らばった仮想
しかし、フィールド全域に拡散させた水で索敵をしたらどうだ、数体はビル内で様子を伺ってる上、地下にはやたら大きい
ちなみに地下に居た一体は一般の実技試験でお邪魔キャラに使う予定の超大型の敵だったらしく、3~40メートルはあるそのデカブツを
そんなわけで危なげなく筆記も実技も文句なしの合格を勝ち取った私は、轟と二人、ただただ暇な中学生活の残りを適度にゆるく過ごしていた。授業中はもちろん、昼休みでさえピリピリした空気で食事しながら英単語帳をめくったりブツブツと暗記に励む生徒の空気が重苦しくて、昼休みは中庭にあるベンチで食事を摂るようにしていた。授業中は仕方ないにしても、お昼くらいリラックスさせてほしいというのが本音だ。周りに申し訳ないので、滅多に言わないけど。あまりの知識吸収の早さを面白がったプレゼント・マイクに勉強は高校レベルまですでに教え込まれているので、正直中学レベルの授業は退屈で仕方ない。
食事中まであのピリピリした空間に居たくないというのは轟も同感だったらしく、ある日聞かれた「昼はどこ行ってんだ?」という問いに素直に応えてからは、昼食はほぼ毎日、天気さえ悪くなければ中庭で、雨が降っていたら人気のない空き教室で二人してお昼を一緒に食べている。轟は育ちが良いせいか、食事中に喋ることはしないし、私も特に必要性が無ければ黙って食べるのを苦に感じないタイプなので、傍から見たら無言で食事をしている私たちの姿は奇妙に映ることだろう。
「ご馳走様でした」
持参した弁当を食べ終え、箸を仕舞ってからきちんと両手を合わせる。生国スペインに日本で言う「いただきます」「ごちそうさま」にあたる食前食後の挨拶は無く、HLに渡ってからもその習慣はないまま(教会育ちなので食前に軽く胸の前で十字を切って短く祈りをささげる程度だ)だった。
だから、きちんと挨拶をするようになったのは異世界に落ちて、オールマイトと出会った後だ。祈りほど長くはないし、その意味を知ってからはなるべく唱えるようにしている。たまに、うっかり忘れることもあるけれど。
隣に座る轟は既にパンを食べ終えていて、成長期の食欲ってすごいよな、と思うと同時にそれだけで足りるのだろうか、といつも思ってしまう。
自分自身があまり聞かれて気分のいい家庭環境に無かったせいか、親しい方である轟相手でさえ、個人の家庭事情に深く首を突っ込むことはしていない。轟の普段の反応を見るに、きっとその対応で正解だったのだろう。だから私は、轟が自発的に話す断片的な情報でしか彼の家族のことを知らない。家族のことを知らなくたって、友人にはなれる。
轟は長い間彼の母親が入院しているため、お弁当の類にはとことん縁が無いらしい。入院する前の幼稚園児の頃は毎日のように食べていたらしいが、幼少期の記憶なんてこの年齢になればあやふやだろう。家での食事は小学校の教職に就いているお姉さんが用意してくれているらしいが、教師の仕事が忙しく、朝も早いので彼女の負担を考えて、お弁当は各自で用意が普通になっているらしい。
そんな理由で毎日コンビニのパンだったりそばだったりするのだが……正直飽きないのだろうか。
日本のコンビニのご飯やお菓子は確かに美味しい。アメリカのように着色料コテコテのゲテモノのような色合いのものは殆ど無く、当たりはずれが殆ど無い。……が、流石にいくら美味しかろうと、あれを毎日はキツイと思うのだ。
「轟っていつもコンビニで買ったご飯だけど……毎日飽きない?」
「飽きる」
そんな懸念を持って投げかけた疑問は、速攻で返ってきた。あぁやっぱり、とも思う。必要だから食べている、くらいの気持ちでしか食べていないように見えるのだ。
見てくれからして食に関心の薄そうな感じはするのだが、それにしてもひどい。おねーさんちょっと心配です。多分彼のお姉さんと精神年齢はさして変わらないだろうと予想されるだけに、気分は弟を案じる姉だ。
「星合こそ一人暮らしだろ。毎日弁当作るの、大変じゃねぇの?」
「いや、大方前の日のおかずの残りとか作り置きだしなぁ……下ごしらえも前日にやっちゃうからそう苦でもないよ。一人暮らし歴も長いしね」
「そんなもんなのか」
なにせ、ライブラの核構成員の中で一番自活能力があったのが私と人妻のK・Kである。次に常識人代表のレオ。次にスティーブンとクラウスだ。その後はほぼ似たり寄ったり。
私はエスメラルダの家で妹弟子たちのために食事を作ったり洗濯をしたりという雑事をしながら少しずつ施設のトラウマから立ち上がっていったし、K・Kは元々そこまで料理は得意じゃなかったものの、今の旦那さんと出会ってから必死に花嫁修業をしたらしい。レオは家の手伝いを小さい頃からしていたし、ミシェーラのハンディキャップで出来ない部分は手助けしていたから、大抵のことは出来るという。
兄・スティーブンはホームパーティーを出来るくらいにはそれなりに料理はできるのだが、いかんせん多忙なので、自分で作る時間どころか食べる時間も惜しいくらいのことが多い。要領がいいので徹夜が続くのは稀なのだが、たまに続いたりしたときはもう食事に気を払う余裕もなくなるのか、昼食のサブウェイが同じメニューで続いた時には無言で食べやすくしたサンドイッチをバックヤードのキッチンで作って、砂糖なしのカフェオレと共にサーブするのが私の役目である。
クラウスは現代も続くラインヘルツ家嫡流で、ご存知の通り完璧に仕事をこなすコンバットバトラー・ギルベルトさんがいる。クラウスの身の回りの世話は彼が全て取り仕切っているし、あまり知られてはいないが、ギルベルトさんが居ない場合、意外にもクラウスは大抵の自分の身の回りの事はそつなくこなせるタイプだ。
ここまでの面子は自活できるタイプなのだが、ザップ・ツェッド・チェインはその点ダメなタイプだ。ザップはご存知の通り
そう考えると、あのクソッタレな魔法陣に巻き込まれたのが私で良かったと心からそう思う。K・Kは家庭があるし、レオはミシェーラの眼を取り戻すどころの話ではなくなってしまう。スティーブンとクラウスはどちらかが欠けてもライブラは機能を果たさなくなるし、斗流の兄弟弟子二人は純然たる戦闘能力的に欠けると痛い。というか、あの二人がこっちに来たらさぞ荒んだ生活になりそうで怖い。チェインも自活能力的に生きにくそうだし、人狼の最大の弱点であり秘密である「符牒」が異世界まで効力を及ぼすのかは不明だ。
……そこらへんを心得て堕落王が仕組んだとしたら、その点だけにおいては彼に感謝しなければいけないだろう。飛ばしてくれたことにはきっちりお礼参りをしなければならないだろうが。
「料理するのは嫌いじゃないからね、手間はかかるけど楽しいよ。ただ、一人暮らしだと食材痛む前に使い切るのが大変かな……保護者してくれてる人も週に一回は来ようとしてくれてるんだけど、忙しくて来れないとかザラだし、体格の割に物凄く小食だし」
オールマイトに未成年後見人になってもらった私だが、現在一人暮らしである。
オールマイトの事務所は東京にあるので、彼もそちらに自宅を持っているのだ。ヒーローの生活リズムが中々不定期なことを理由に挙げてはいたが、紳士なので私の中身が25歳なのを気遣ってくれたのだろう。
来年度から雄英に通勤するのでこちらに引っ越す予定らしいが、私が一人暮らし出来るよう準備を整えてくれてからは、週一のペースで食卓を囲もうと尽力してくれている。
ただ、自己犠牲の人なので事件があるとそっちにかかりきりになるし、今は「愛弟子」の育成の大詰めで忙しい。私も時々差し入れしに行くのでその「愛弟子」の子とは知り合いだが、一般受験日が近い今は気が散るといけないのであえて差し入れは控えている。
ちなみにオールマイトが小食なのは、手術で胃全摘しているからだ。人間が食べ物を摂取した時、最初に食べたものが溜まるのは胃だ。そこで消化液によって食べたものはゆっくり少しずつ分解されながら腸に向かっていくのだが、オールマイトの場合胃を全摘して食道に直接小腸を吻合している。溜まる場所が無く、消化しきれないままの食べ物が腸に一気に流入すると、消化不良を起こして下痢やら腹痛やら……色んな症状が起きやすい。だから一回の食事量を減らして、回数でカロリーを補っているのだ。全盛期なら、今の数倍は筋力とエネルギー維持のために食べていたというのだから、エンゲル係数を無駄に考えて震えあがったものだ。
養ってもらっている身なので、せめてもの恩返しということで、オールマイトが来る日は出来るだけ彼の身体に配慮したものを出している。オールマイトは恐縮していたものの、料理は好きだったし、スペインでは日本とは違い1日5食が普通だったからそれほど面倒だとも感じない。一人暮らしもそこそこ長かったので、手抜き料理のバリエーションは豊かだ。
オールマイトは最初こそ渋っていたものの、スペイン式の食べ方は後遺症の強い身体に合ったらしい。千晶くんに食事をお願いするようになってからは体調不良や吐血の回数が減ったんだよ、と嬉しそうにしているので何よりである。
溜息をひとつ、零す。
早くも半年、この生活に馴染み始めている。「喧騒」が当たり前だった日常が、繰り返す「平和」なものへと塗り替わっていく。時間ばかりがただ過ぎて行って、手掛かりは依然掴めないまま。それがひどくもどかしい。堕落王の気まぐれなんて、意図はあってないようなものだと知っているから余計に、巻き込まれた現状が腹立たしい。
……何より困るのは、長時間踏みとどまりすぎて、この世界で作った知り合いとの別れがつらくなること。
その瞬間が訪れた時、迷わず私は帰ることを選べるだろうか。身軽であらねばと思うのに、打算も下心もなく、ただの一人の人間として接してくる人たちを突き放せずに、社交場では息をするようにできるうわべだけの付き合いも、嘘っぱちの笑顔も、作ったそばから崩れてしまう。
「……困ったな」
オールマイトや、雄英の先生方。
そして、隣で不思議そうな顔で首を傾げるこの友人に、永遠のお別れを言えるだろうか。