時折少しうたた寝をしながらも、十分な休息を取り終えた千晶がスタジアムに戻ると、既にフィールド中央には巨大なセメントのステージが出来上がっていた。
客席はどこもかしこも大観衆で埋め尽くされているが、生徒用に設けられた席はちらほらと空席が見られる。とはいえトーナメントに出る生徒は殆どA組が大半を占めるので、そういった意味でも他のクラスに比べて空席の目立つA組に割り当てられたエリアは遠目にも分かりやすかった。
「千晶ちゃん!こっちこっち!」
「隣、空けてあるぞ」
ぴょこぴょこと手を挙げて居場所を示した麗日の元へと千晶が階段を降りていくと、飯田の言葉通り席は隣並んで二つ空いていた。レクリエーション不参加の緑谷と千晶の分を取っておいてくれたのだとすぐさま理解した千晶は、二人の気遣いにありがとうと礼を言ってから飯田の隣に腰を下ろし、ステージを見下ろした。
大きく四方形をした外枠の台には四隅で焔が燃え立ち、さらに一段上がったステージには白い枠線が描かれていた。かなり高い場所から見下ろしているので小さく見えるが、実際に立つとそれなりの広さがあるだろう。すり鉢状の観客席といい、まさに
『色々やってきましたが!!結局これだぜガチンコ勝負!
頼れるのは己のみ!ヒーローでなくともそんな場面ばっかりだ!わかるよな!!心・技・体に知恵知識!総動員して駆け上がれ!!
一回戦!!成績の割に何だその顔、ヒーロー科、緑谷出久!!
観客を煽り立てるような実況と、それぞれステージ上に上がってきた緑谷と心操の姿に、観客席からわああっ、と爆発するような歓声が上がる。
はらはらとした顔で見守る麗日と飯田の横で、千晶はひとり苦笑いを浮かべていた。騎馬戦では大活躍だったのだが、認識阻害のせいでイマイチプレゼント・マイクの意識に上らなかったのだろう。そう考えながら苦笑していると、考えることは同じだったのだろう。ふとB組エリアの塩崎と目が合い、二人は肩を竦めあった。
『ルールは簡単!相手を場外に落とすか行動不能にする、または「まいった」とか言わせても勝ちのガチンコだ!ケガ上等!こちらとら我らがリカバリーガールが待機してっから!道徳倫理は一旦捨ておけ!
だがまあもちろん命にかかわるよーなのはクソだぜ!!アウト!ヒーローは
「ああ……そういうルールなんだ」
「相手に応じてどのような戦法を取るかが問われるのだな」
「うーっ、デクくんがんばれ……!」
ようやく明かされたルールに千晶と飯田が感嘆の声を上げるのに対し、麗日はぶんぶんと握った両拳を上下に振って声援を送っていた。
「『まいった』……か」
そして、観客が今か今かと沸き立ち、注目するステージ上では、既に心理戦が繰り広げられていた。
「わかるかい、緑谷出久。これは心の強さを問われる戦い」
気合十分なせいか、いつもよりも険しい顔立ちの心操は、静かに、されど威圧するような低い声で緑谷に問い掛ける。その表情は、背後の炎の所為で時折影が差して全貌を窺いきれず、逆光でより一層ただならぬ雰囲気を高めていた。
「強く想う“
心操の脳裏に去来するのは、小さな頃から抱き続けてきた夢。ヒーローになりたいと、どんなに他人から
――
人生の価値観を、卑屈になっていた自分を、たった一言が掬い上げ、塗り替えてくれた。
正しいことのために使える個性だと、洗脳に掛けられるのではと臆した様子もなく、ただただ真正面から認めてくれたのは、初めての事だった。
戦闘に特化した個性を羨めば、
個性と長身、あと三白眼の下に作った隈のせいで周囲からやや遠巻きにされがちな心操だが、普通科で浮いた存在にならなかったのは千晶の存在があったからだ。底抜けに明るくはないものの、日本人から見れば十二分におおらかであっけらかんとした太陽の国の気質と、外国人らしい人懐っこさを持った千晶がたびたび心操の元を訪れ、それを見たクラスメイトが興味を持ち、千晶を通じて心操にも声を掛け、少しずつ心操の周りには人が増えていった。お陰で、クラスでは今までのように心無い言葉を投げつけられる回数はほとんど無く、むしろかなり好意的に見られている。トーナメント前、クラス席から降りてくる際にもがんばれよと背中を叩かれ、声を掛けられた。今まで無かったことだった。
だからこそ、心操は千晶の味方でありたかった。
心操の世界を明るく照らし出した千晶が目指すその先の景色を、同じヒーローとして共に見たい。凛とした背中に共存する繊細な脆さを支えてやりたい。この手で、この“個性”で。
再び、
心操が憧れた、その矜持が曇ることの無いように。
手を引かれるのではなく、堂々とその隣に並び立ちたいと、心操は心を定めた。
それが友情であるのか、下心を含んだ恋情なのかは心操自身にも分からない。それを判断するには過ごした時間は少なく、衝動的すぎた。けれど、あまりに不透明で、つたなくて、万華鏡のように変化を遂げては明確なかたちを持たない感情を抱えることが、心操は嫌では無かった。
幼い憧れが新たな形に、霞の如くハッキリとしなかった自分の夢が、明確な“
その為ならば、心操は目の前の少年にキツい言葉を浴びせ、その心の一部分を抉ることを、一瞬たりとも迷わなかった。
『レディィイイイイイ!!!』
「
『START!!!!』
「何てこと言うんだ!!!!」
心操の的確な挑発の言葉に――事前に尾白から心操の個性について聞き、警戒していた緑谷は、洗脳されると分かっていてもなお、反論せずにはいられなかった。
駆け出した緑谷の足が、ピタリと止まる。目の焦点が合わなくなり、口は半開きのまま動きを止めた彼に、心操は眉間に皺を寄せながら重々しく呟いた。
「俺の 勝ちだ」
『オイオイどうした、大事な緒戦だ盛り上げてくれよ!?
緑谷開始早々――完全停止!?アホ面でビクともしねえ!心操の個性か!?』
緒戦にも関わらず、明らかに様子のおかしい緑谷に観客席が困惑にざわめく中、尾白が頭を抱え、千晶は目を細めた。
「ああ緑谷、折角忠告したってのに!!!」
「ハマっちゃったか……」
「デクくん……!?」
『全っっっっっっ然目立ってなかったけど彼、ひょっとしてやべえ奴なのか!!!?』
プレゼント・マイクの実況が、ただただ千晶の罪悪感を煽る。思わず目頭を押さえた千晶は、ぽつりとぼやく。
「……騎馬戦でもう少し目立っておけばよかったかな、騎手だったのに扱いが不憫すぎる……」
「千晶ちゃん、なんなんあの子の個性!?」
はわわ、とくちびるをわななかせている麗日の言葉に、千晶は数秒沈黙した後、ひょいと肩を竦めた。
「……シンの個性は『洗脳』。問いかけに応えた人間は洗脳スイッチが入って、彼の言いなりになる。本人にその気がなかったらスイッチも入らないけど……こういった対人戦闘に限らず、受け答えのできる生物が相手なら、シンは強い」
個人的な情報でもあるので端的に大まかな情報だけ説明すると、自分の周囲が大きくどよめく。
「それで、ロボットを用いたヒーロー科の入試では
「Pが入るのはロボを倒した生徒、やったもんね……」
説明に納得しながらも、心配そうな表情で緑谷を見守る三人の視線の先では、緑谷はくるりと心操に背を向けているところだった。
「おまえは恵まれてて良いよなァ、緑谷出久。……振り向いてそのまま場外まで歩いていけ」
『ああー!緑谷!!ジュージュン!!!』
「わかんないだろうけど……」
ゆっくりと、ぎこちない動きながら操り人形のように歩いていく緑谷に、落胆の声が上がる。誰もが固唾を呑んで見守る中、緑谷の赤い靴が白い線を踏み越えんとした、その時。
「こんな“個性”でも夢見ちゃうんだよ。さァ、負けてくれ」
突如、バキ、と何かが折れるような音と共に、ぶわりと大きな風が巻き起こった。舞う土煙に、客席が再びざわつく。
「えっ!?」
「何が起こったんだ……!?」
「……指が……」
何事かと誰もが緑谷を注視する中。千晶が目を見開き、ぽつりと零した言葉に1-Aの面々は慌てて視線を走らせれば、確かに緑谷の左手の指二本が折れて傷ついていた。
「暴発させて洗脳を解いたのか……!」
「すげえ無茶を……!!」
『緑谷!!とどまったあああ!!?』
「何で……身体の自由はきかないハズだ、何したんだ!!」
驚愕を隠せない心操に、緑谷はまたうっかり答えたりしないよう、指の折れていない右手で口を押さえながら、ゆっくりと振り向いた。折れた指を見、雑念を振り払うように頭を振った緑谷は、痛む左手首を掴みながらも、心操を睨み据える。
「……!(答えない……ネタ割れたか……いや、
「――……!」
「~~~!!指動かすだけでそんな威力か、羨ましいよ!」
歯を食いしばり、間合いを詰めんと心操に向かって駆け出す緑谷の気迫に呑まれ、湧いた恐怖からか一歩後ずさりながらも、心操は口を動かし続ける。
「俺はこんな“個性”のおかげでスタートから遅れちまったよ、恵まれた人間にはわかんないだろ」
けれど、心操の足がそれ以上退くことはなかった。地面を踏みしめ、きつく眉を寄せた苦しげな表情で、心の底から叫ぶ。
「誂え向きの“個性”に生まれて、望む場所へ行ける奴らにはよ!!」
元無個性だからこそ、心操の気持ちが痛いほど分かった緑谷だが、その悲痛な叫びに顔を歪めながらも、緑谷は声ひとつ洩らさずに心操の肩を掴んだ。折れた指のある左手を盾のように心操の体幹に押し付け、引き倒そうとする緑谷に、心操の右ストレートが入る。だが、それで怯むことなく、再び緑谷は突進を掛けた。
「押し出す気か?フザけたことを……!!」
そんな緑谷の意図を察した心操は突進してくる緑谷を避けるように身体を捻り、緑谷の上半身が大きく前に傾いた瞬間を狙って頭を押しやった。
「おまえが出ろよ!!!」
顎を抑えつけるような手は、リーチ的には緑谷が心操の胸倉を掴もうとしても届かない。
しかし、緑谷が狙った本命は胸倉ではなく、顎を抑えつける手だった。折れた方の左手の、無事な残りの指で心操の手首を掴んだ緑谷は、雄叫びを上げながら心操を大きく投げ飛ばした。177cmの長身に比例するように長い足は、上体が地面に叩きつけられるのと同時に白線の外側に出る。
「心操くん場外!!」
心操は歯を食いしばりながら天を仰ぎ、
「緑谷くん、二回戦進出!!」
対する緑谷は、ミッドナイトの判決と共に、洗脳を打ち破りどんでん返しを成し遂げたことに勢いよく沸いた歓声に包み込まれた。
「爆豪も背負い投げられてたよな」
「黙れアホ面……」
思ったことをそのまま言ってしまう上鳴の、ある意味命知らずな発言にすかさず切り返した爆豪の、んのクソが、という唸りを聞きながら、千晶は静かな目で心操と緑谷、両者を見下ろしていた。
体力テストでの部分使用、対人訓練での大投げ。今までぶっつけ本番で行ってきた経験を活かすのではなく、活かせる経験で強引に流れを作った、というのが緑谷が行ったことに対する千晶の見解だった。
対する心操は、対人における自らの個性の有用性を絶対視しすぎたがゆえに、今まで無かった”洗脳を掛けた後に対象が自力で解いてしまう“という事例に対応しきれず、ヒーロー科と普通科の間に横たわる戦闘経験の差で負けてしまった、とも見えた。
……というかそもそも、心操と同じく対人戦闘では圧倒的に不利な個性の口田や、個性が直接戦闘とは関係のない葉隠や障子、尾白とてきちんとヒーロー科に合格できているのだ。緑谷のように最低限でも入試までに身体作りをして戦闘能力を磨いたり、その個性でパニックになった生徒を救助したりといった方法で点数を稼いでいれば、心操とてヒーロー科への道が無いこともなかっただろうにと、本当は千晶だって分かっていた。戦うだけがヒーローではないといったって、
ただそれを、本人が自覚する機会のないまま言葉として他者がぶつけても、心操が本当の意味で重要性を理解するとも思えなかった。なにより過ぎたことに対してアレコレ口を出すのは無粋だと思い、告げないままにしていただけで。
『
会場全体に拍手が満ちる中、ステージ上では会話が続いていた。
「心操くんは……何でヒーローに……」
「憧れちまったもんは仕方ないだろ」
恐る恐るといった緑谷の問いかけに、心操はそっぽを向いたまま応えると、踵を返して出入り口へと去っていく。自分も通ってきた道とは言えない緑谷は、何とも言えない表情でその後姿を見送った。
「かっこよかったぞ心操!!」
「正直ビビったよ!」
「俺ら普通科の星だな!」
「障害物競争1位の奴といい勝負してんじゃねーよ!」
そして、暗く沈んだ表情の心操に声を掛けたのは、普通科のクラスメイト達だった。笑顔で屈託なく軽口を投げ掛けてくる彼らに、心操は毒気の抜かれた表情で立ち止まった。
「この“個性”、対
「雄英もバカだなー、あれ普通科か」
「まァ受験人数ハンパないから仕方ない部分はあるけどな」
「戦闘経験の差はな……どうしても出ちまうもんなあ……もったいねえ」
観客席の一番下、広告の看板に手を置きながら、クラスメイト達はニヤリと思わせぶりに笑った。一人が、意味ありげに背後を親指で指差す。
「聞こえるか心操、おまえ、すげェぞ」
観客席に近づいたことで、自分への評価が良く聞こえた。
ああ、と心操は心の中でため息を吐く。ぐっと顎を上げ、顔を顰めなければ、身体をめぐる熱いものが吹きこぼれてしまいそうに思えた。漏れ出しそうになった嗚咽を呑み込んで、情けない声を出すまいと歯を食いしばり、未だにステージ上から動かないライバルに背を向けたまま声を投げかける。
プロからの忌憚なき評価に、心操がヒーローになることを否定するようなものは一つもなかった。
「……結果によっちゃヒーロー科編入も検討してもらえる。覚えとけよ?
今回は駄目だったとしても……絶対諦めない。ヒーロー科入って資格取得して……絶対おまえらより立派にヒーローやってやる」
「――うん、あ……」
かく、とまたもや身体の自由を奪われる緑谷に、心操は背を向けたまま呟く。
「フツー構えるんだけどな、俺と話す人は……そんなんじゃすぐ足を掬われるぞ?せめて……みっともない負け方はしないでくれ」
「っうん……あ……」
振り向いた心操は不敵な表情で遠回しな激励を贈る。それを感じ取った緑谷は頷くが、解けた傍から再び洗脳に掛かる緑谷に、心操は気の抜けたような、呆れたような表情で肩の力を抜くのだった。
「……さて」
どちらにせよ、見ていてハラハラするというか……心に刺さる試合だったと内心で溜息をついた千晶はすっくと立ちあがった。千晶の試合は3番目、この後の轟VS瀬呂の次である。瀬呂も弱くはないが、威力と範囲の巨大さを持ち味とする轟は一撃での瞬殺を得意とする傾向にある。早めに控室で待機するに越したことは無かった。
自然と飯田や麗日が心配そうに視線を向ける中、千晶は行ってくる、と短く呟いて、控室に向かうべく観客席を後にした。