控室を後にした轟は、スタジアムに繋がる通路の途中で待ち構えている人物を見て不機嫌そうに眉を顰めた。邪魔だ、と呟く声は地を這うように低い。
「醜態ばかりだな、焦凍」
待ち構えていたのはNo.2ヒーロー「エンデヴァー」。轟の実の父親でもあった。
「左の“力”を使えば、障害物競争も騎馬戦も圧倒出来たハズだろ。いい加減子供じみた反抗をやめろ。おまえにはオールマイトを超えるという義務があるんだぞ」
無言でエンデヴァーの横を通り過ぎる轟の顔が、言葉を重ねられていくごとに歪んでいく。
「わかってるのか?兄さんらとは違う、おまえは最高傑作なんだぞ!!」
「それしか言えねえのかてめェは……お母さんの力だけで勝ち上がる。戦いでてめェの力は使わねえ」
頑なな轟の言葉に、エンデヴァーは目を眇め、微かに首を振った。
「
スタジアムへ続く出口に向かう轟の顔は、父親への憎しみで般若のような顔つきになっていた。
そんな剣呑なやりとりが行われていた、同時刻。
控室Ⅰに戻ってきた心操は、や、と片手を上げて椅子に座っていた千晶を見て目を丸くした。
「……ああ、そうか。次だったな」
どこかぼんやりとした声で呟いた心操に、千晶は無言で立ち上がり歩み寄った。本来なら6cmある身長差はハイヒールのブーツによって底上げされ、1cmほどにまで縮まっていた。
普段より近い視線が絡み合う。至極穏やかな表情で自分を見つめる千晶に、心操はこらえていたものが噴き出しそうな心持ちになった。知らず一歩歩幅を詰め、少し頭を傾ければ自身の額が華奢な肩口にこつんとぶつかった。
「悪ぃ、」
自然とくちびるから零れ落ちた謝罪が何に対してか、心操自身もよく分からなかった。
ヒーロー科への編入の為に卑怯とも言える手を使って最終戦まで勝ち上がっておきながら、一回戦で負けたことか、尾白との確執を生むまいとした千晶の思いを無視してまで突っ走ったことか、断りもせずこうして肩を借りていることか。どれでもあり、どれでもないような気がした。
呆れられるだろうか。失望されるだろうか。嫌われて、しまうだろうか。
ふと胸の内に沸き上がったそれらの懸念に、僅かに心操が身震いしたのを知ってか知らずか。黙って凭れかかってきた心操を受け止めていた千晶がふふ、と空気を震わせるのを、肩口に寄せたことで近づいた耳と、微かに掛かる呼気で捉えた心操は一瞬身を固くした。
もぞ、と降ろされていた千晶の両手が心操の背中を抱くように回る。ゆるやかな拘束をする白い手が、赤ん坊の背中を優しく叩く慈母のような、心臓が脈打つリズムで心操の背中を打った。
「お疲れさま」
その一言があんまりにも優しいものだから、心操は肩口に顔を埋めたまま歯を食いしばった。そうでもしなければ、みっともなく嗚咽が漏れてしまいそうだった。それは心操の男としての矜持に反する上、何より千晶にはそんな情けないところを見られたくは無かった。
万感の籠る、心からの賛辞。たったその一言だけで、心操には十分だった。
どれほどそうしていたのだろうか。
控室に設置されたスピーカーから聞こえるスタジアムの歓声と、プレゼント・マイクの実況が轟VS瀬呂の戦いが始まろうとしていることを告げると、心操はゆるりと千晶の方から顔を上げ、一歩下がった。
「……始まったみてえだな」
「うん」
「……負けるなよ」
「勝つよ」
ひそやかな声だったが、スピーカーから顔を戻した蘇芳の瞳に強い光が宿っているのを真正面から見た心操は、少し乱れていた千晶の髪を払ってから、ニヤリと笑った。
「あの紅白頭も爆発野郎も全部倒して、優勝しちまえ」
じゃあな、と踵を返して心操が通路の外に出ようとしたその時、シン、と渾名を呼ばれて足を止めた。何事かと振り返った心操の前に、握り拳が突き出される。一瞬意図を計りかねて拳と千晶の顔を見比べていた心操は、やれやれと首を振りながらも悪役チックな笑顔を浮かべた。見返した千晶もまた、似たような笑みを浮かべていた。
「行ってこい」
こつり、と大きさの違う二つの拳が軽くぶつかり合った。
『場外狙いの
轟の緒戦。轟相手にどう瀬呂が戦うのか気になり、控室を出て入場口の手前まで来た千晶が目にしたのは、瀬呂のテープで四肢を絡めとられ、遠心力で場外へ投げ飛ばされそうになった轟だった。
だが、そう易々と推薦入学者が倒せるわけがない。
「悪ィな」
きぃん、と澄んだ音が耳朶を打つ。一拍遅れて足元が砕け散るかと錯覚しそうな地響きが身体を貫き、気流の変化で冷たい霧風が会場の観客を襲う。
実況席が、観客の誰もが、己の目を疑いその光景に目を瞠り、言葉を失くした。
テープを凍らせることで強度を弱め、拘束から逃れた轟が着地する中、瀬呂はといえば。
「……や、やりすぎだろ……」
――両手を前に伸ばしたままの体勢で、フィールド半分を覆いスタジアム上空を突き抜けるほどの巨大な氷山に、下半身と上肢を呑み込まれ固定されていた。
「ええー……」
これには流石の千晶も困惑せざるを得なかった。
もしこの場にレオナルドが居たとしたら、「イヤイヤイヤちょっと待ってなにあの氷デカッ、どんだけ張り切ったんだよ!!!」とさぞ切れ味のいいツッコミをエア裏拳と共に繰り出してくれたことだろう。氷を生むものとして生きてきた千晶でさえややズレたことを考えてしまうほどに、轟が見せた氷の規模たるや、圧巻の一言に尽きたのだ。
氷結の余波を食らって半分氷像と化しているミッドナイトが半分動かせない口で一応の確認を取るが、当然瀬呂は全く動けないため、行動不能と判定が下る。
あまりの事故っぷりに沈黙していた観客から自然とどんまいコールが沸き起こる中、イラついてた、とやりすぎた理由を述べながら左手の熱で氷を融かしてゆく轟の背中を神妙な顔で見つめる。
氷の昇華によって生まれた水蒸気に包まれ、時折掻き消えながらも見えた背中が、途方に暮れて帰り道を見つけられない迷子のように、千晶には見えた。
全ての氷が融け、瀬呂が一応リカバリーガールの元へ運搬され、役目を終えたとばかりに轟がさっさと退場したステージには、蒸発しきらずに残った水が大量に残っていた。
試合の公平さを保つため、雄英高校側は全ての試合を同じ条件下にする必要がある。ステージを自分の個性で作ったセメントスと主審のミッドナイトがステージ上を確かめ、乾かさないとと喋っているのを聞きながら、出入り口通路で待機していた千晶は壁に凭れかかって静かに集中を高めていた。
が、その集中は千晶の予想より早く打ち切られることとなる。
「そうだ、次の試合は丁度あの子が出るじゃない」
ぱちん、と両手を打ったミッドナイトの言葉に一瞬セメントスが怪訝な表情をしたものの、スクリーンに映し出される次の試合の対戦票を見て、ああ、と彼もまた納得顔になった。それを見てミッドナイトは出入り口の一つ、千晶が待機しているそこに目を向け、声を張り上げた。
「ちあ……星合さん!!ゴメンねちょっと力貸してくれるかしら!?」
雄英入学前の癖で一瞬名前を呼びかけたものの、流石に大観衆の前で依怙贔屓ととられかねない発言を主審がするわけにもいかない、と我に返ったミッドナイトの声はよく通り、千晶は薄く閉ざしていた瞳を開いた。私?と首を傾げた千晶をミッドナイトが手招きし、出入り口から困惑顔ながらも小走りで走ってきた千晶の姿に、観客席の一部――1-A の面々が即座に反応した。
「あら?千晶さんが出てきましたわ」
「ホントだ、どうしたんだろ」
ステージの端でミッドナイトとセメントスと話している級友の姿に八百万と耳郎が会話を交わす。他の面々も同じような事を考える中、千晶は二人の恩師から簡単な「お願い」をされていた。
「水の撤去?」
「ええ。千晶ちゃんの“個性”ならできないかしら、と思って。轟くんはイラついてたせいかさっさと戻っちゃったし」
「僕の個性で一度ステージを解体するやり方もなくはないんだけど……これだけ水浸しだと、コンクリートが軟らかくなりすぎて固まりにくくなる可能性もあるから。試合前の生徒にお願いすることではないとは思うんだけれど、協力してくれるととても助かる」
多少ステージ改修の時間は許されても、多くのテレビ局が実況中継している大イベントだ。あまり補修の時間を割きすぎても観客は暇を持て余してしまうし、テレビ局側もCMでお茶を濁すには限界がある。例年テレビ局から大なり小なりネチネチと嫌味を言われるので、雄英側も出来る限り手早く現状復帰する必要があるのだという。
「ああ、成る程……わかりました。大した手間でもないですし、そのくらいの事なら喜んでお手伝いしますよ」
そんな世知辛い理由を恩師二人から聞かされ、恩義のある千晶が断るわけもなく。気にするな、というように微笑んで協力を承諾した千晶に、二人はほっとした顔を見せる。
そんな二人の反応から目を離し、水に濡れたコンクリートのステージを見渡した千晶はふむ、と顎に手を当てた。その表情に、ミッドナイトとセメントスはおや?と眉を上げる。蘇芳の瞳は静けさを保っていたが、その奥に悪戯っ子のようなきらめきを見たからだ。
二人の予測通り、数秒何やら考え込んでいた千晶はふと上空と観客席を見渡し、その中に手を振る1-Aやその他のクラスの友人たちを見つけ、それに手を振り返しながら口端を吊り上げた。
「折角ですから、エンターテイメント、しましょうか」