両者ノックアウトの引き分けで勝敗が保留にされていた切島くんと鉄哲くんの腕相撲は切島くんに軍配が上がり、いよいよ二回戦が始まろうとしていた。
「二人まだ始まっとらん?」
「うら……」
階段を降り、ひょこりと姿を見せたお茶子に私や飯田くん、常闇くんが顔を上げる。そして、いつもは丸くぱっちりとした瞳を縁取る瞼が赤く腫れている姿に、一瞬言葉を失くした。
「見ねば」
「目を潰されたのか!!!早くリカバリーガールの元へ!!」
先ほど搬送ロボで行ったばかりのリカバリーガールの元へ行くことを勧める飯田くんに、違うだろうと天然発言に苦笑する。ナチュラルに飯田くんの爆豪への評価が酷い。
「行ったよ、コレはアレ、違う」と少し拙い口調で否定したお茶子は、飯田くんのとんだ天然発言に脱力する私と常闇くんの前を通り、先ほどまでイズクが座っていた席へと腰を下ろすのだった。
「違うのか!それはそうと悔しかったな……」
「今は悔恨よりこの戦いを己の糧とすべきだ」
「うん。あの氷結、デクくんどうするんだ……?」
「轟の範囲攻撃は脅威だからね……」
あの歳であれだけ大質量の氷を瞬時に生み出せる轟は相当に強い。本当の意味で私が同い年だったとき、あれほどまでの威力の範囲攻撃が出来るかと聞かれると、正直答え辛い。今は圧倒的な戦闘経験に基づく勘や戦術眼で優位に立ててはいるが、今であの氷結攻撃の完成度だ。まだ炎を全く使わない状態でこれなのだから、彼が25歳になった時、間違いなく全盛期の私でも互角に渡り合うのが精一杯になるだろう。轟といい、爆豪といい、1-Aのクラスの子たちといい……若い子の才能って恐ろしい、まったく。
2回戦最初の対戦カードに、スタジアム内の注目は最高潮といっていいだろう。通路から姿を現した二人に、耳鳴りがするほどの大歓声が上がる。
『今回の体育祭、両者トップクラスの成績!!まさしく両雄並び立ち今!
緑谷 対 轟!!』
遠目に見てもピリピリとした敵意を放っている轟を見、そしてイズクへと視線を向ける。
No.1ヒーローの愛弟子と、No.2ヒーローの息子。間違いなく将来のヒーロー界を背負って立つであろう二人の戦いの火蓋が今、切って落とされた。
開始直後、挨拶代わりに波のような氷の攻撃がイズクへ伸びる。それに対し、イズクは中指を引き絞り、デコピンをするような形で中指一本を犠牲にした衝撃波を放った。襲い掛かってくる氷を砕き、その勢いを弱められてもなお強烈な風圧に、轟が背後の枠線の内側ギリギリに張った氷の壁まで押しやられる。
「やっぱそう来るか……」
「自損覚悟の打ち消し……それしか方法が無いとはいえ、なんて無茶を……」
轟がどの程度の規模で攻撃してくるか判断がつかないばかりに、
先ほどのお茶子の自爆覚悟の大技にも引けを取らない無茶に、思わず眉間に皺が寄る。
……あれほど短時間に指を粉々に壊し、治癒力の活性による治療を繰り返すのは、かなり危ういのではないだろうか。薬も長期間服用していれば段々と耐性が出来て“慣れ”てしまうように、痛みも繰り返せば痛覚が鈍麻するし、短期間での
リカバリーガールの“個性”は確かに稀有で強力だが、治癒力の促進というのは「体力を代償に強制的に治癒力を引き上げる」ことであり、人の治癒過程からは遠く離れている。本来ならばじっくりと時間を掛けて治していくのを、無理やり時間を早回しして治しているようなものだ。
私たち牙狩りでさえ、成長期に技術を習得することで、長い時間を掛けて血法に合わせて身体を作り変え、超人的な力で自らを滅ぼさないように慣らすのだ。“個性”を得て2ヵ月程度のイズクは、言うなれば個性が発現したての五歳児と同じ。そして、五歳児が10年掛けてゆっくりと慣らしていく所を、イズクは使わざるを得ない状況にばかり直面している。
だがそれでも、5%を掴んだ今、身体を犠牲にせずとも力を放てる術を持っているにも関わらず、イズクは腕を、指を酷使し続けている。
こんな自分の身ばかりを犠牲にしたやり方は、いつかイズクの身を滅ぼす。
……私が長期間の拷問で痛覚に鈍感になり、仲間のためなら身を投げだすことも厭わなくなったように、イズクもまたそんな自己犠牲を平気でする存在になってしまう、そんな予感がした。
「ゲッ、始まってんじゃん!」
「お!切島。2回戦進出やったな!」
私が何とも言えない表情で指を犠牲に氷を退けていくイズクを見守っていると、体操服をボロボロにしながらも観客席に戻ってきた切島くんと上鳴くんの会話が耳に入った。
「そうよ、次おめーとだ爆豪!よろしく!」
「ぶっ殺す」
「ハッハッハ、やってみな!」
……こっちの会話の高校生らしさにおばさんは涙が出そうだよ。イズクといい、轟といい……高校生が背負うレベルの問題じゃない、と歯ぎしりしたい気分に駆られる。
表面上は普段通りを装いながら、遠い目をしていた私の内心の葛藤には誰も気づくことなく、切島くんが少し悔しそうな顔で言葉を続けるのに耳を傾ける。
「……とか言っておめーも轟も星合も、強烈な範囲攻撃ポンポン出してくるからなー……バーっつって」
「な」
言外にずるい、と聞こえてきそうな話に顔を逸らす。そんな私の様子にお茶子や飯田くんが苦笑していたその時、「ポンポンじゃねえよナメんな」とやけに静かな声が響いた。爆豪だ。
ん?と普段とは様子の違う彼に自然と視線が集中する中、普段の不機嫌さをどこかへ置いてきたような、凪いだ表情の爆豪は言葉を紡ぐ。
「筋肉酷使すりゃ筋繊維が切れるし、走り続けりゃ息が切れる。“個性”だって身体機能だ、奴にも何らかの“限度”はあるはずだろ」
そう言いながら自身の手のひらを見つめる爆豪にも“限度”があるらしい。お茶子の流星群を木端微塵にした時の威力が恐らく最大だろう。取りこぼせば危険にさらされただろうあの場面で、出し惜しみはしないだろうから。
ニトロのような汗を爆破させているらしいから、汗腺の状態と汗の量で爆破上限が決まっているとか、そんなところだろうか。能力的に弱点は少なそうだ。シンプルゆえに強力。それこそ可燃性のガソリンや助燃剤をぶちまけて爆豪自身にもダメージが行くような方法か、手のひらを凍らせるなどして燃料の汗を封じるぐらいしかあまり思いつかない。
対する私といえば、使用する血液量が著しく減れば死の危険が伴うが、前回の事件のようなヘマを二度と起こさないようにとドクターストップが無くなってから色々試行錯誤した結果、25歳の時までとはいかないものの、少ない血液量で威力を維持できるよう「調整」を済ませている。
つまり、血液操作が出来ない状態で大量出血を伴うような大怪我でもしない限り、血液不足による戦闘不能というある意味唯一の決定的な弱点が無くなってしまったのだ。無くなってしまったというか、元の世界に居た時の状態に近づけた、と言った方が正しいかもしれない。
血法は“身体機能”ではなく“身体技術”だ。一度ほぼ完璧に操作する感覚を覚えていて、なおかつどう工夫すれば省エネな戦い方ができるかと試行錯誤した過程も記憶していたからこそ、こんな短時間でも仕上げられた。機能を作り変えてバージョンアップするには破壊と再生を繰り返す必要があるが、技術ならひたすら回数を重ねて覚え込ませればいいのだから。
ぱたぱたと揺らしたつま先を眺めていた視線を上げ、再び会話が交わされていた場所に目を向けると、同じく思うところがあったのだろう、手のひらに落としていた視線を上げた爆豪とばっちり目が合ってしまった。目を逸らすのもどうかと思い、へらりと笑って手を振ったら、思い切り舌打ちをして目を逸らされた。今日も平常運転に辛辣だな君は。まああんな消化に悪そうな重い話をした直後に平然と顔付き合わせてご飯食べたくらいなので、ある意味うじうじ気にされるよりかはよっぽど気が楽だが。というかうじうじしてる爆豪があまり想像つかないな、うん。
「考えりゃそっか……じゃあ緑谷は瞬殺マンの轟に……」
「……十中八九耐久戦を選ぶだろうね、イズクなら」
けだるげに肘をつきながら、切島くんの後を引き継ぐように言葉を落とす。
イズクは確かにワン・フォー・オールによる超パワーも強力だが、本当に脅威的なのはその観察眼と分析力だ。衝撃波で間合いを詰めさせずに時間を稼いで、ほぼ瞬殺で情報の少ない轟の弱点を引き出そうとしているのだろう。ただ、轟の攻撃に対して一つずつ打ち消していくとなると、数を重ねれば重ねるほど、衝撃波を撃てる回数が決まっているイズクもまた不利になっていく。
「頼むから、無理はしないでくれよ……」
オールマイトからの激励とイズクの性格上、おそらく無理な願いだと分かっていてもなお、私はイズクを案じずにはいられなかった。
イズクの右手が全て折れたところで、初めて轟が間合いを詰めた。剣山のように無数の突起のついた氷山を形成し、衝撃波がほぼ直進することを逆手に取り、氷山を駆けのぼって自分の位置を分からなくした上で衝撃波を避け、撃った直後の無防備なところを狙って躍りかかる。からくもイズクは後ろに飛び退って回避するが、空中で回避行動が出来ないタイミングで息つく暇もなく追撃を掛けた轟の氷がついにイズクの片足を捉えた、と思った瞬間、未だ無事だったイズクの左腕が振り被られた。
本能的な回避行動に近かったのだろう。先ほどの指一本の犠牲とは桁違いの威力の風圧は、観客席にまで届いた。大きく髪を揺らし、帽子を飛ばすほどの突風として駆け抜けていく。スマッシュが放たれる直前に気付いて、背後に氷の壁を形成して場外を免れた轟の反射と状況判断は流石だ。
なんとか轟を間合いから遠ざけることは出来たが、場外までは押し出せなかった。轟がほぼノーダメージなのに対し、イズクは右手と左腕を負傷。……いよいよ分が悪くなってきた。
「逃げるだけでボロボロじゃねえか」
観客席にいた多くのプロが既に轟の実力がプロ以上だとか、流石NO.2の息子だと褒めそやし、畏怖を覚えながらも期待にざわつく中、イズクの表情が変わったことに気付いた。……何か気付いた?
「悪かったな、ありがとう緑谷。おかげで……奴の顔が曇った」
ちっとも悪びれていない、憎悪の陰る表情で観客席を横目に言い放つ轟に、俯いていたイズクの表情が歪む。……ああ、あれは胸糞悪いな、うん。
真剣勝負中にお前は取るに足りないとばかりによそ見されれば、誰だって腹も立つ。
「その両手じゃもう戦いにならねえだろ、終わりにしよう」
『圧倒的に攻め続けた轟!とどめの氷結を――』
「どこ見てるんだ……!!!」
「!」
とどめを刺すべく氷結の波状攻撃を放とうとした轟に、再びイズクがスマッシュを放つ。止めを刺すつもりでいた轟は思わぬ反撃に慌てて背後に氷を張り、ぎりぎり枠線内で踏みとどまった。
「てめェ……」
「壊れた指で……デクくん、んな無茶な……!」
何でそこまでする、と唸る轟に、ふいにイズクは轟の身体が震えていることを指摘した。
「“個性”だって身体機能の一つだ、君自身冷気に耐えられる限度があるんだろう……!?
で、それって……左側の熱を使えば解決できるもんなんじゃないのか……?」
「なるほど、耐寒限度か」
道理でさっきから微妙に動きが鈍ってると思ったら。
思わず感心して呟くと、常闇くんから不思議そうな視線を向けられた。
「……?星合も氷の使い手なのだから、冷気に耐えられる限度はあるだろう?」
「あぁ……」
常闇くんのごもっともな意見に、飯田くんが確かに、と首肯する。同じ氷の使い手なのだから、真っ先に思いつく限度だろうと言いたげな二人の反応に曖昧な返事を返しながらも、視線はステージの上に固定したまま喋る。
「私と轟じゃ氷の発生機序に差があるからなぁ……轟がどうやって氷を生み出してるのか知らないけど、私の個性だと自分の冷気で動きが鈍るってのはない。轟みたいに手や脚の皮膚、髪に霜が降りることもないし……多少靴や服に氷が纏わりつくことはあるけどね。時間経過と共に動きが鈍るなんてそんな致命的な弱点があったら即死だろうし」
「?」
轟と私の氷は同一視されることが多く勘違いされることも多いが、氷が作られる過程が全く違う。轟が手や足が接地した場所から氷を生み出すのに対し、私は体外に放出した無属性の血を一旦水に変え、その水をトリガーに周囲の水分を集め、さらに氷属性に変換させている。血さえあれば身体から離れていようが凍らせられるので、やろうと思えば足を振るうと同時に血を放出し、氷の矢を打ち出すことだって可能だ。
そもそも時間が経てばたつほど動きが鈍ろうものなら、あっという間に
「皆……本気でやってる。勝って、目標に近づくために……っ、一番になる為に!
ボロボロの手を無理に動かし、耳によろしくない音を立てながらもイズクは拳を握りしめる。鬼気迫っているようにも見える気迫でもって、イズクは「全力でかかって来い!!」と轟を煽った。
それに対し、いよいよ轟の表情も険しくなってくる。
「何の……つもりだ。全力……?クソ親父に金でも握らされたか……?イラつくな……!!」
走り出した轟だが、逆にここにきて一気に轟の懐に飛び込んだイズクに反応が遅れた。霜で動きが鈍っている上、氷を放てる右足が上がった瞬間に距離を詰められた轟は、対応の選択を狭められる。
一瞬の間の後に、イズクのスマッシュが腹に決まり、轟が氷を張る余裕もなくブッ飛ばされる。地面を何度かボールのように跳ねて減速し、すぐに体勢を立て直した轟より、攻撃したイズクの方が苦痛の声を上げている。轟も腹に手を当てて痛みをこらえてはいるが、イズクほどの苦しみようではない。
『モロだぁ――!生々しいの入ったぁ!!』
「轟に……一発入れやがった!」
「どう見ても緑谷の方がボロボロなのに……ここで攻勢に出るなんて……!!」
観客がざわりと揺れる中、その後もイズクと轟の氷を這わせてはスマッシュで砕く、というルーティンが繰り返されるのを見ていた私は、肺の底から深々と溜息を吐き、両手で顔を覆った。
「……なんて無茶をするんだ、まったく……リカバリーガールの治癒だって万能じゃないんだぞ……」
オーマイガー、と溜息を吐きたいのをこらえ、両手をだらりと下ろす。
「あの方法が最善っていっても……あんな調子じゃ勝てても次の試合……私か飯田くんを相手にやり合うなんてできない。そこら辺の配分全く考えずに戦ってるな、あれは」
「……ああ。真っ向からの真剣勝負だな、これは……」
「うん……」
ただ愚直に、目の前の事にだけ目を向け、一生懸命に轟に向き合っている。あれほどにイズクが突き動かされているのは、果たしてオールマイトとの約束だけだろうか。
いよいよ拳が握れなくなったのだろう。頬の内側を使って親指を弾きスマッシュを繰り出すイズクに、轟が何でそこまで……と声を上げる中、イズクが悲痛な声で叫ぶ。
「期待に、応えたいんだ……!笑って、応えられるような……カッコイイ人に……なりたいんだ!!
だから全力で!やってんだ、皆!!!!」
立ち向かう轟が、イズクの言葉に何を感じたのかは分からない。ただ、轟の動きが完全に一瞬止まった瞬間に、イズクの頭突きが轟の腹に決まる。
「君の境遇も、君の
イズクの言葉に目を見開いた轟の脳裏に去来していたのは、個性が発現してすぐの5歳の頃の記憶だ。父・エンデヴァーの虐待じみた訓練に、床に這いつくばり胃の中身を吐く轟を庇う母を、轟の目の前で殴る父。
「うるせえ……!!」
地を這うような声で唸りながらも氷結を繰り出そうとする轟の右半身が、パキパキと音を立て霜に覆われ、轟の動きを制限する。吐き出す息は白く凝結し、遠目に見ても震えが加速度的に大きくなりつつあるのが分かる。
「……あれ以上無理を続けたら、凍傷になる」
指先や足先の震えが酷いのを見てとって、苦々しく言葉を吐く。ステージ上の空気は散々冷やされている上、個性で直接霜が降りた轟の体表面の温度はかなり低い状況にあるだろう。それが続けば続くほどマズいことを、私は経験談で知っていた。
人間の身体は、0℃以下の状況に長時間晒されると末梢血管が収縮し、中枢体温を逃さないようにと保護作用が働く。しかしこの保護作用によって末梢血管の血流は悪化し、低体温と相まって組織は凍り、体組織に深刻な影響を与える。高度な凍傷となると皮膚が黒ずんで体組織の
エスメラルダでいえば、
エスメラルダ式血凍道の習得途中で氷のコントロールが出来ずに足を失い、そのままドロップアウトして事務職やらデスクワークに回る人間を幾度となく見てきただけに、苦い思いばかりが蘇る。
自分に関わることだ、その危険性を良く知っているだろう轟はしかし、頑なに炎を使おうとはしなかった。他人がどれほど祈れど、観客席からでは遠すぎる。ましてや、あれほど頑なになってしまっていては、届くものも届かないだろう。どんなに声を上げたって、自分の殻にこもった人間に声を届けるのは、酷く難しいのだから。
「だから……僕が勝つ!君を超えてっ!!!!」
動きが大きく鈍ったところに、もう一発拳を入れられて轟が大きく後ろへ吹っ飛ぶ。
よろり、と身体を起こしながらも霜で動きの鈍った腕では支えきれないのか、震えは全身に伝播している。
「俺は……俺は、親父を――……」
「君の!!!」
父親への復讐心に取り憑かれたままの轟に、イズクが声を振り絞り叫ぶ。
心の底から。
「力じゃないか!!!」
その叫びに記憶を引きずり出されるようにして、轟はずっと思い出せなかった母の言葉の続きを思い出していた。
父のような、母を虐める人間にはなりたくないと泣く轟の肩を抱き、優しく母が掛けてくれた言葉。
――でも、ヒーローにはなりたいんでしょう?いいのよ、おまえは血に囚われることなんかない。
いつの間にか、時が経つにつれて忘れてしまっていた。けれど思い出せばそこから溢れるように、薄れていた記憶が、自分の肩を抱く母の手のぬくもりが、優しい声が鮮やかに蘇る。
――なりたい自分になっていいんだよ。
視界が涙で歪んだと同時に、こらえきれなかったように鮮やかなオレンジの炎が左側からあふれ出す。ずっと長年冷え切っていた心のわだかまりも、身体の硬直や霜も融かすようなそれに、炎の中で轟ははらはらと涙を流し、わらう。
「勝ちてえくせに……ちくしょう……敵に塩送るなんて、どっちがフザけてるって話だ……」
「使った……!」
「……良かった」
戦闘において
辛うじて聞こえた、轟の涙に滲んだ声がイズクに届いたかどうかは分からない。けれど、轟の中で
「俺だって、ヒーローに……!!」
炎が晴れた先、涙を目のふちに溜めて、笑ったイズクにつられるようにしていびつな笑顔を浮かべる轟の表情はお世辞にも綺麗だとは言えなかったが、初めて見る憑き物の落ちたような表情に、私はやれやれと肩を落とし、曖昧な笑みをくちびるに浮かべた。
が、そんな感動をぶち壊すような空気の読めない叫びに、再び私の顔に渋面が戻ることとなる。
「焦凍ォオオオオ!!やっと己を受け入れたか!そうだ!!良いぞ!!ここからがお前の始まり!!俺の血をもって俺を超えて行き……俺の野望をお前が果たせ!!!!」
嫌々ながらも視線を向ければ、炎を纏った筋骨隆々の巨躯が、高らかに叫びながら観客席の一番前まで降り、身を乗り出すようにしているところを見つける。が、そんな叫びに轟は全く反応を見せず、会場内は居心地の悪い静けさに包まれた。
『エンデヴァーさん急に“激励”……か?親バカなのね、付き合いねーから意外だぜ』
戸惑ったようなフォローがプレゼント・マイクから回る中、私はといえば、冷たい目をそちらに向けてぶつぶつと呟いていた。
「おいおい空気読めよ……なんで感動のシーンをクラッシュしに来るかな……っていうかてめえの野望を子どもに押し付けてんじゃねえよ情けねえな、子どもはてめえの都合のいい道具でもなんでもねえんだよNo.2が聞いて呆れる……」
思わず日本語ではなくHLでも使っていた英語、しかもキレた時しか使わない乱雑な言葉遣いで怨嗟のように愚痴り、その後も間違いなく日本語に訳したら放送禁止用語に引っかかってピー音が流れるようなゲスい単語をノンブレスで羅列する私に、若干両隣のお茶子と常闇くんが引いていた。表情を見る限り、多分意味は分かっていないと思う。クラスでも頭のいい、加えて育ちも良い飯田くんもきょとんとしていたので、多分教科書と違う荒い英語には理解が追いついてなさそうだ。
スラングなんてそれこそ日本で英語を学ぶ分には必要としないし、触れる機会も少ないだろうから当たり前といえば当たり前だ。いいんだよ皆、スラングなんて知らなくて。
手の甲で顔を覆うようにして俯いた轟が顔を上げた時には、もう涙も笑顔もなく、純粋な真剣味を帯びた顔に戻っていた。炎を見てその凄絶さに笑みを零すイズクに、何笑ってんだよ、とそんな彼を窘めるように言葉を紡ぐ。確かにあの状況で笑えるのは凄いな。
「その怪我で……この状況でお前……イカレてるよ」
どうなっても知らねえぞ、と忠告めいた轟の付け足した言葉を皮切りに、二人は同時に戦闘態勢に入り、轟は冷気と炎熱を、イズクはワン・フォー・オールの爆発的なパワーを右腕と左足に籠める。
それを見て慌てて動いたのはジャッジを見極めるミッドナイトとセメントスの両先生方。それぞれの個性を用いて二人を止めようとするが、二人は見えていないのか、それとも見えていても止める気がないのか、止まるどころかむしろ攻撃の手を休めない。向かってくる氷の剣山にイズクの手が振り下ろされるのと、炎を纏う轟の手が突き出されたのはほぼ同時だった。
瞬間、二人を隔てるようにせり上がったセメントの壁すら巻き込み、空気が一気に炸裂するような爆発音と閃光が目を貫く。一拍遅れて観客席を暴風が襲い掛かる中、私は呆れとも高揚ともつかない笑みを口の端に乗せながら、目をかっぴらいてステージを凝視していた。
水蒸気の混ざった土煙は完全にステージ上を覆っており、どんな結末を迎えたのか観客席からは判然としない。
「威力が大きけりゃ良いってもんじゃないけど……すごいな……」
『何今の……おまえのクラスなんなの……』
『散々冷やされた空気が瞬間的に熱され膨張したんだ』
『それでこの爆風てどんだけ高熱だよ!ったく何も見えねー、オイこれ勝負はどうなって……』
教師陣が口々に1年生とは思えない戦いの内容にコメントする中、相澤先生は淡々と分析している。……とはいえ、多少の心配が声に滲んでいるあたり、案じていない訳ではないのだろう。
その時、特徴的なイズクの赤いシューズがずり、と地面に引きずられる音と共に、煙の中から爪先だけが見えた。だが、次第に煙の晴れた先は、出入り口のすぐ横……つまり場外だった。思い切り背中を叩きつけた後、壁に寄りかかるようにしてずり落ちてきたのだろう。かろうじて立っていたイズクの身体の上の壁には放射線状に入った痕があり、爆発と衝撃のすさまじさを物語っていた。
そのまま支えもなく地面に倒れ込むイズクとは対照的に、フィールドの中、氷とセメントの残骸で埋め尽くされたそれらに囲まれるようにして、ジャージの左半身が燃えて無くなった姿で茫然とした表情で立つ轟の、勝利だった。
「緑谷くん……場外。轟くん――……三回戦進出!!」
その宣言を聞いた瞬間、私はガタリと立ち上がった。いつになく荒々しく立ち上がった私に千晶ちゃん?とお茶子が驚いたように声を掛けるが、私は振り返らずに階段まで出ると、通路に続く出入り口へと向かうため階段を登る。足早に立ち去る私に、飯田くんと切島くんの声が追いかけてくる。
「星合くん!?どこへ行くんだ!?」
「イズクの所。……あれだけ酷使したんだ、右手は間違いなく粉砕骨折してる。砕けた破片を取り除かないと、リカバリーガールでも綺麗に元通りにはならないよ」
「次、お前と飯田だぞ!?」
「……これだけの惨状じゃ、すぐに次の試合は無理だと思うよ」
少しの逡巡の後に振り返って見たステージは、中央が大きくえぐれ、大きな残骸がゴロゴロと転がり、まるで廃墟のようなありさまだ。セメントス先生といえど、すぐさま元通りとはいかないだろう。爆発で不純物が混じれば、個性での調節は難しいだろうし、場外へ吹っ飛んだセメント片をステージへ戻すより、新しく流体のセメントを流し込んで成形した方が早い。それでも復旧には多少なりかかるはずだ。
少しの間でも時間があるのなら、
二人の心配する声を背に、スタジアムを出て一路、リカバリーガールの出張所に向かう。幸い、A組の観客席があるエリアと出張所の位置はそう離れておらず、かなり遠慮のないスピードで走って向かっていた私は、担架に乗せられて運ばれてきたイズクと途中で鉢合わせた。ぶつからないよう慌てて急ブレーキを掛け、勢いを殺すように後ろにステップを踏む。完全に減速してから、私は横たわるイズクに近づいた。
搬送ロボによって担架に乗せられているイズクの姿は、間近で見ると遠目の時よりもその悲惨さがよく分かり、思わず眉を顰める。揺らすことなく静かにリカバリーガールの元へ向かう搬送ロボに並走し、スタジアムに続く出口から漏れ聞こえるイズクへの困惑を隠しきれない悪口めいた観客の感想を遠く聞きながら、フィールドから遠ざかるのだった。