人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

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全てを持って生まれた男の子 VS 何も持たず生まれた女の子


“You have all.”②

 轟焦凍と星合千晶の対戦は、開始した瞬間に炸裂した轟の大氷壁によって、千晶が立っていた西側のステージ半面が圧倒的な質量の氷で(とざ)された。

 

『轟、いきなりかましたあ!!』

「(……星合相手に手加減して、前回痛い目見たからな……)」

 

 それに、と轟は内心で呟く。

 開始直前、微妙な表情で出てきた千晶は気持ちを切り替えるように瞼を閉ざし、外界の情報を自ら全て絶って、開始のコールを待っていた。そこまでは、ある意味普段の雰囲気のままだった。

 だが、薄く閉ざしていた瞼を上げ、轟を真っ直ぐに見つめた視線の強さに、そこに普段の冷静な中に温かみを内包するような、千晶の人柄を表すようなものは何一つ無く――ただ、目の前の相手を叩き伏せるという、無情な色のないつめたさがあった。

 それに、本能的に――緑谷戦の時と同様に、相手に対して本能的な警鐘を感じ取った轟が取った策は一つ。

 

 開始直後に一撃を見舞い、次の出方を警戒することだった。

 

 

 遠慮も何もない、瀬呂戦の時のような最大規模とまではいかなくとも、それでも相当な規模の氷を生み出した轟は、氷壁を作った時の両手を地面付近まで振り下ろしたような、前かがみのままの姿勢で氷壁を見つめていた。

 しかし、思ったより静けさを保つ西側に、訝しむように片眉を跳ね上げた瞬間――()()から高速で迫ってくる“何か”を、迫る危険を肌で察知した轟は、思考を回す前に反射的にその場から飛び退いた。コンマ数秒遅れで轟が立っていたその場所に、斜め左右と真後ろから真っ赤な鎌が三つ、糸に結わえられた鋭い切っ先が空間を刈り取り、地面のコンクリートに突き刺さる。薄い刃にしか見えないその質量に見合わない凹みと轟音が立ち上り、その威力を如実に物語った。

 障害物競争の岩石地帯で宙を舞うアンカーとして使用されたのが未だに印象的なそれが攻撃用に転用されたとたん、恐ろしいまでのパワーを発揮したのを目の当たりにし、轟と観客がぞっと総毛立ったのを見計らってか、会場内の視線が鎌に逸れた瞬間、静かだった西側から緊迫する空気を切り裂く様に澄んだ声が飛ぶ。

 

 

「――(ひきつぼし)流血法・刃身(じんしん)の六」

 

 

 紡がれた声は酷くしなやかで、独特の韻律の詠唱は会場全ての意識を惹きつける。

 その声に呼応するように糸が引かれ、三つの鎌が地面から抜ける。そのまま宙を舞った三つの鎌は、氷壁から発生している冷気の濃い霧の中へと消えたり、氷壁の遥か上へと舞ったりと様々な動きを見せ、左右と上に綺麗に散ったその時。木が成長するごとに枝を増やすように、鎌に繋がる血の糸から、無数の一インチ(約25ミリ)に等間隔で並ぶ細い刃が瞬きの合間に出現する。細やかな刃の籠がくまなく氷を覆うその様はまるで、実を内包する鬼灯(ほおずき)のよう。

 

 二十八区、二十八句のひきつ星。

 虚空にたなびく()の緒。篠突く殺戮刃。斗流血法・カグツチとシナトベ。

 裸獣汁外衛賤厳(らじゅうじゅうげえしずよし)により創始された、煉獄と颶風(ぐふう)の血法。

 

 その血法を、“元始”の無属性の血を持つ千晶は一部のみ操ることができる。

 

 

紅天突(くれないてんつき)

 

 

 鬼をも喰らう牙狩りの、数十数百の血刃が(ひらめ)き、赤い雨のように降りかかる。

 涼やかな声を合図にするように、緊張によって引き延ばされた一瞬の静寂を、無数の糸型の刃が引き裂き、切り刻み、スタジアムの天井近くまで伸び上がった大質量の氷の壁を、跡形もなく破砕した。

 

 盛大な轟音を立てることなく、視界を埋め尽くすほどの巨大な氷が一瞬にして、キラキラと光り空に舞う氷の欠片に変えてしまった千晶に、観衆は一瞬、歓声を上げることすら忘れて息を呑む。

 皆一様に、幻想的なその光景に魅入っていた。

 

「だからさ、何度も言ってるでしょう?」

 

 ダイヤモンドダストのように細かい氷晶が舞い落ちるその中心。爆豪がお茶子の仕掛けた流星群を一撃で爆破し、その欠片が舞うただなかで不遜に立っていたように、千晶もまた、片手をポケットに突っ込み、悠然とその場に立っていた。――無傷で。

 

『な……っ、星合、轟の大氷壁を粉砕した――!!!何だあの赤い糸!!糸ノコか!?』

 

「君は個性の精密制御を覚えるべきだよ、轟。折角の強い個性も――強いがために攻め方が一辺倒で雑だなんて、勿体ない」

 

 ミルクのように濃い冷気の霧の中。氷壁を一瞬にして細かく砕いた血刃がゆらめき、無数の糸状に互いを縒り合い、千晶を中心に収束していく。ほんの数秒、流れるような動作で血液を体内に戻した千晶は、すっ、と糸でも抜くような密やかさで、親しげであり、どこか軽薄でもあった表情から、一転して戦士の顔に切り替える。白い冷気の煙を棚引かせるヒールの底がざり、と音を立てる。千晶は両足を前後に大きく開き、半身での独特な構えを取った。

 

 

「……エスメラルダ式血凍道、推して参る」

 

 

 赤い瞳で轟を睥睨した千晶は、威圧感の籠る声で低く呟いた後、そのまま鋭く地面を蹴って、轟の目の前まで一瞬で肉薄した。

 

「――ッ!!」

 

 反射的に右手を勢いよく突き出し、懐目がけて体勢低く突進してきた千晶へと氷を放つ轟だが、そんな雑な動きではライブラ屈指の機動力を誇る千晶(クリスティアナ)は捉えられない。機動力で勝てるとすれば、それこそ音速猿か、カグツチの後継者たる銀色猿(シルバーモンキー)ぐらいのものだ。

 トン、と小さくステップを踏んで、直進する右手の氷結の軌道から左腕側に回避し、ターンを加えたステップで轟の背後へと回る。しかし轟もエンデヴァーに厳しく育てられただけあり、反射的に千晶を捕らえるべく動いた右手を大きく背後を振り返ると同時に振りかぶった。が、虚しく右手は空気を引き裂くだけに留まった。

 手ごたえの無さを感じると同時に振り返って見た何もない背後に、轟は目を見開く。その時すでに超人的な跳躍力で轟の頭上まで空高く舞い、轟の認識外へと逃れていた千晶を、轟は一瞬見失う。

 その隙を見逃すほど、千晶は甘くない。

 

「水晶宮式血濤道、(てい)の舞」

 

 上から降る鈴を転がすような清廉な声に、轟がハッと頭上を振り仰いだ、その先。

 青空を背に宙を舞う千晶が腕を振るって描いた赤い円の軌跡をなぞるように、彼女の周囲に、細い円錐状の水の矛が幾つも顕現した。

 

「――逆巻(さかまき)

 

 宣言と共に、勢いよく回転し唸りを上げる鋭い切っ先の矛が次々と雨あられのように轟に襲い掛かる。轟はジャンプや氷壁で防御するが、近くに着弾した矛の幾つかが地面とぶつかってぐしゃりと潰れた瞬間に氷の剣山と化すのを見て、険しい表情で氷壁を高く伸ばした。

 

「水の矛……!」

「アレ捕まったら一発で行動不能になんぞ……」

 

 それまでの少ない手数で確実に事を進めていく千晶の戦い方とは一線を画すほどの威力と数の攻撃に、観客席にいた緑谷と切島が息を呑む。

 女子としては大柄な部類に入る身丈にも拘らず、その身軽さと脚力を活かした千晶の戦い方は、一つ一つの動きに無駄が無い。たとえ身体能力は退行しようとも、感覚が覚えている限り、20年の歳月をかけて培われた足さばき、淀みのない身体の使い方は失われない。長い手足が閃き、しなり振るわれる様は一つ一つが派手ではあるが隙が無く、戦いというよりは一つの舞踏のようでもある。

 余裕のない表情で矛を避け、氷壁で猛攻を防ぐ轟に対し、絨毯爆撃じみたラッシュをかけている千晶はまだ余裕のありそうな、冷静な表情で轟を見やっている。

 しかし、観客の予想に反して、その表情の下では“逆巻”では決め手に欠けるとして次の一手を模索していた。

 

 

 ルール説明で「命にかかわるような攻撃はアウト」と説明されている以上、幾ら強力な拘束技を多彩に持っている千晶といえど、出せる技は限られる上、被弾しても致死ダメージにならないような工夫と手加減が必要だった。

 USJ事件で活躍した「絶対零度の小針(アグハデルセロアブソルート)」は、前述した通り対象がもがけばもがくほど体内組織の損傷が激しい。見た目はただ凍らされただけにも見えるため、主審(ミッドナイト)のストップが遅れる可能性と、轟の身体に不可逆的なダメージを負わせるリスクがある為使用できない。

 では戦闘訓練で使用した、体内水分を支配下に置き、全身の動きを止める「天網恢恢(てんもうかいかい)」はどうかというと、動きそのものを止めるのでルールには抵触しないが、(ヴィラン)連合や今後奴らに合流するかもしれない手練れの(ヴィラン)が試合をチェックしている可能性を考えると、あまり大っぴらに使いたくない技として自主的に封じている。

 「天網恢恢」は仏教用語をモチーフにした技であり、対象の身体をまるで標本にされた昆虫類のように、全身を貫通する糸がその場に縫い留めるために地面や壁、天井に突き刺さる糸が目立つ。実際に動きを止めているのは体内に張り巡らせた水に変換した少量の血だが、技の内容を知らない周囲からすれば、目に見える糸が縫い留めているのだと捉えるだろう。

 そうなると、折角USJ事件で「星合千晶はノーモーションでロングレンジの攻撃が出来る」と思いこませたブラフの意味が無くなってしまう。「星合千晶は体内に貫通させた糸や血でも攻撃が可能」だと知れるからだ。そうなれば、何らかの方法で見えなくした糸で攻撃していたと予想するのはたやすい。

 

 “個性”は把握できても得体の知れない強力な技を使う人間というのは、この超人社会では脅威的な印象を相手に与える。オールマイトや教師陣と同様に要注意人物としてリストアップされているであろう千晶が体育祭で狙うのは、「手の内をあまり明かさずに能力の高さを誇示し、オールマイト同様、戦意を喪失させうる抑止力となる」ことだ。

 USJ事件が大きく報道されただけでマスコミが群がり、雄英の危機管理体制やヒーローに対する不信が少しずつだがネットでは騒がれ始めている。死柄木弔の主張の支離滅裂っぷりはともかく、敵連合の本懐が「ヒーローがもてはやされる現在の超人社会の崩壊」ならば、今後ヒーロー養成機関の最高峰たる雄英高校を幾度となく襲撃し、雄英やヒーローに対する世論の不信感を煽る、遠回しかつ地味に手痛い手口を取ってくる事だって大いに考えられる。

 

 なにせ、この世界の民衆は超人社会の弊害か、それともヒーローが台頭し浸透するのが急ピッチだったせいか分からないが、「ヒーローが居るから大丈夫だろう」と、目の前の惨状を平気で無視し、戦闘の現場の目と鼻の先に居ながら、逃げるどころか呑気に野次馬をするという、異世界から来た人間からすれば正気かと疑うような危機意識の低さなのだから。普通、すぐ近くで戦闘が起こっていたら我が身可愛さに逃げるだろうところを、パニックすら起こさない、異常や危険に対する危機感の鈍麻。

 ヒーローに寄りかかってばかりで対岸の火事とばかりに一般市民が眺めている構図を、ほとんどの人間がおかしいと思っていない現状が――それを「当たり前」にしてしまっている社会構造の危うさこそが、この超人社会の脆い点だと千晶は考えていた。

 

 「外」の人間がHLに入る時、何か月も待って通行許可証を発行し、唯一外界と繋がっている大橋での関所にてそれを見せ、さらにHL内で命を落としても一切自己責任であるという書類にサインをしなければ入れないくらいに、今やHLは超弩級危険地帯として「外」に周知されているくらいだというのに、こちらの超人社会は、まるで民衆の危機管理がなっていない。マスゲームじみた思考停止っぷりだ。

 妙にヒーローと(ヴィラン)を、一般市民とは少し違う生き物であるかのように、遠い存在として見ている。それは民衆やマスコミのヒーローに対する行き過ぎた羨望ぐあいや、週刊誌で度々叩かれる、ヒーローを一人の人間と思っていないような、人権侵害と訴えられてもおかしくないような内容の記事が上がることからも容易に察せた。この世界の世論は、賢しい人間からとって見れば、実に操りやすい。

 情報の拡散スピードを考えれば、ちょっと世論を操作すれば、あっという間にヒーローへの信頼は台頭してきた時のスピードよりずっと早く、あっという間に瓦解し無法地帯と化すのは明白だった。

 

 この考えは既に校長の根津にも話してあり、過去に人間に虐げられた「動物」、つまり人間社会の外から社会を見渡せる数少ない人物であり、人間より遥かに優秀な頭脳を持つ彼も千晶の懸念に同感してくれた。

 死柄木の背後に居る黒霧は間違いなく悪知恵が回るタイプだ。死柄木は今でこそ「子ども大人」だが、黒霧や彼らに指示している黒幕に感化されて、搦め手を使ってこないとも限らない。

 オールマイトがこういった頭脳戦を苦手とするのを知っている以上、今まで裏社会に属し培ってきた、裏の人間の巧妙な手口の多くと対峙してきた経験を活かさない手はない。

 

 だからこそ、千晶は多くの枷がある現状を敵に悟らせないような試合展開をしつつ、驚異的だという印象を与えなければならない。

 

 だが、元々致死的な損傷を与えても急速再生する、物理法則の埒外にある正真正銘の吸血鬼(バケモノ)に対して練り上げられた血法は、それぞれが一撃必殺となりうる威力を秘めているものが多い。普通の人間に対して放てば一瞬で命を刈り取れるような威力でも、血界の眷属(ブラッドブリード)を滅殺するには数人で掛からなければ命が危ういほど、血界の眷属と人間の間には圧倒的な力の差がある。

 そして、そういった経緯で生まれた牙狩りが、こういったがんじがらめのルールの中に放り込まれ「致死ダメージは反則」と枷を掛けられた場合、「絶対零度の剣(エスパーダデルセロアブソルート)」や「逆巻」といった基本中の基本技であり、威力によっては簡単に人間を叩き潰せる技ですら、意識して加減しなければいけない手間が発生する。今回は被弾した箇所を凍らせるために出した「逆巻」も、本来はコンクリートくらいの物質ならば簡単に穿てる威力を持つ水の矛なのだから。

 

 結論から言うと、星合千晶にとってこのトーナメント戦は、自由度が設けられているように見えて全く自由じゃない、むしろ面倒な枷がゴロゴロしている戦いを強いられるストレスフルなステージでもあった。大観衆の前の学校行事だからということで我慢しているが、正直HLで不届き者を遠慮なく氷漬けにしていた時の方が幾らか楽ともいえる。

 使用技の制限、威力の制限、その上でトップクラスの才能を持つ子どもたちを圧倒する。視覚的にも、実力的にも、闇に潜む者たちに星合千晶という少女が脅威であることを示す。

 無理難題にも見えるそれを実現するために千晶が取った方法は――圧倒的手数での猛攻、だった。

 

 

 

『星合、一転して猛攻――!!流石の轟も水の槍の多さと速さに防戦一方!ここまで星合は冷静かつ確実な戦法で勝ち上がってきたが、ここに来て怒涛のラッシュだァ!!!!』

『星合は一番自分の戦い方が有利になる状況に持ってくのが上手いからな……轟の大氷壁を粉砕した後、水や氷になる素材がたっぷり周囲に散らばってる今の状況なら、消耗も少なく遠慮なく大量の手数で攻められる。対する轟は、範囲と威力こそ星合を上回ってるかもしれねえが、動きが素早い星合を捕らえるには氷のスピードが足りねえ。轟の方が派手で強そうに見えるが、実際こうして戦わせると、如実に“個性”の扱い方の差が出る』

『ナルホド、あの粉砕っぷりにも理由があったのな』

 

 反撃の暇を与えないほど絶え間なく撃ち込まれる水の矛と、それを避けてゆく轟を静かに眺めていた千晶は、おもむろに手を翻して生成した細い血の短剣を指の間に挟むと、鋭く地面を蹴って疾く走り出した。

 再び千晶が接近してきたのを感じ取り、水の矛をギリギリで避けながらも、着地した瞬間に左足から轟が放った氷結が千晶に躍りかかる。自分と千晶を隔てながら、接近させまいと牽制するような形の分厚い氷壁が迫って来てもなお、千晶はぴくりと眉を動かしただけだった。素早く振り上げられた左足の、鋭いエッジを描く靴底の十字架から白い煙が噴き上がり、靴底と一体化した蒼い氷の矛が勢いよく振り下ろされる。

 

絶対零度の槍(ランサデルセロアブソルート)

 

 本来ならば血界の眷属(ブラッドブリード)の肉体を穿つほどの威力を持つ蹴り技、その鋭く研ぎ澄まされた切っ先が、急速冷凍されて空気を含み僅かに脆くなっている一点を捉え、轟の氷壁を打ち砕く。氷の硬度には自信のあった轟も、時間稼ぎにすらならなかった氷壁が崩れ落ちるのと、その向こうに立つ千晶が全く動揺していないことを目の当たりにして目を見開く。

 そして、千晶がちらりと意味ありげに真上を気にしたのにつられ、上を見上げた。

 

「!!」

 

 そこには、串ほどの太さしかない、短剣と呼ぶには細い、両側に刃を備えないレイピアのような十字架(スティレット)がくるくると回転して轟目がけて落下していた。

 

「うっそ!」

「!いつの間に!」

 

 A組の生徒の多くが驚きの声を上げる中、並外れた戦闘センスを持ち、この試合の次に控えている常闇との対戦を勝ち抜けば、間違いなくどちらかと当たるだろう決勝を見据えて研究に励んでいた爆豪は、顎に手を当てて食い入るように盤面を凝視しながら渋い顔をした。

 

「(……半分野郎がいきなり距離を詰めたら氷結を出すと分かった上で、氷壁で互いの視界が塞がった瞬間にあの十字架を投げやがった……相手の攻撃すら利用してフェイクにしてやがる)」

 

 それが示すのは――並外れた先読みの能力と、土壇場でも相手の手すら利用して攻撃を通す柔軟性、そして……それらを実行できる圧倒的な「経験」。

 

 

 

 そして、プレゼント・マイクに無理やり司会席に座らされ、なし崩しに解説めいたことをしていた相澤は、実況用のスタンドマイクに自分の声が入らないことを確認してから口を開いた。

 

「同じ氷の使い手でも、轟はパワー型、星合はテクニック型。そしてなによりあいつらの違いで最も顕著なのは、星合と轟の氷の密度の違いだ」

「密度ォ?俺にはどっちも硬そうにしか見えねえけどなァ……星合の氷が青で、轟の氷はザ・氷って感じで白っぽい透明だけどよ」

 

 イマイチ分からないとばかりに相澤の指摘に首を傾げてみせたマイクに、相澤は小さく嘆息して、科学的な話になるが、と前置きをしてから喋りはじめた。

 

「水が氷になる時、純粋なH2Oから凍るって性質がある。その過程で水に含まれてるマグネシウムやカルシウムみたいなミネラルから鉄や銅といった金属イオン、窒素なんかのガス系イオンが避けられて、最終的にイオンが多く集まった部分は白く濁って見える。冷蔵庫で作った氷の中心辺りが濁って見えんのは、製氷皿の中で上下左右から均一に凍ってイオンが真ん中に押しやられてるせいだな」

「ホゥホゥ」

「同じ氷でも、少し外に放置しときゃ簡単に溶けて砕ける冷蔵庫の氷と違って、冬に外に出来る氷柱(つらら)は細けりゃ折れはするが、そう簡単には壊せねえし、じわじわ溶けてく。かき氷用に精製された透明な氷も同じだ、極端に溶けにくいのは氷に含まれてる不純物が極端に少ねえからだ」

 

 様々なミネラルやらカルキやらが混ざっている水道水を短時間で凍らせた冷蔵庫の氷と違い、氷柱は屋根の上で溶けた雪の雪解け水が流れながら凍っていくものだ。流れることで中に溶け込んでいる空気は追い出され、純粋な水だけが時間をかけてゆっくりと凍っていく。つまり、透明で硬い氷を作るには出来るだけ純粋な水を凍らせる必要がある。

 

「で、そういった諸々の節理を踏まえてあいつらの氷を見るとだな。空気中の水分を一気に凍らせてる轟の氷は、急速冷凍のせいで気泡やら大気中のイオンを含んでるから光が乱反射してやや白めに見える。それに対して、血で空気中の水分に干渉してから血も水に変えて、さらに氷に変化させてる星合の氷は轟の氷より透明度が高い。

 あいつの氷が青いのは、南極の氷と同じであまりにも純度が高くて、波長の長い赤色は吸収されるが短波長の青色は吸収されずに突き抜けて反射するから、人間の目には内部から光るような青に見えるんだと」

 

 ゆえに、“氷のエスメラルダ(エメラルド)”。その技の汎用性と静寂を生む技の美しさから、近代の牙狩りの歴史に大きく台頭してきた一派。

 その中でも、『二段階属性変換』という異質な血を持つ千晶(クリスティアナ)はその血をもって、より強力で固く、美しい氷を生み出す者として、同じく牙狩りの若手であり斗流血法カグツチの使い手でもあるザップと並ぶ天才と名高かった。

 

 そんな相澤の説明にふんふんと頷いていたマイクは、手のひらをポンと叩いて納得いったとばかりにジェスチャーで示す。

 

「ようは、一気に空気中の水凍らせてる轟より、一旦水作ってから氷にしてる星合の氷の方が硬ぇってコトか。それで轟の氷を蹴り砕けたと。……それでも轟の防御利用して短剣投げるなんてまぁ、良く咄嗟に出来たもんだ」

「ああ」

 

 お前のクラス、さっきの麗日といい女子もスゲェな!と興奮気味に喋りながら、再びスタンドマイクに声が入るように手元に引き寄せるマイクに対し、相澤は絆創膏だらけの顔を、ギプスで固められていない右手でカリカリと引っかきながら内心で思考する。

 

「(もともと、オールマイト(あの人)に星合が引き取られてすぐの時から、星合はあの無駄のない戦い方を身に付けていた。

 武術を「習った」人間はどっかしら動きに決まった型が出る。拳の一突き、足さばき、力の使い方や流し方。だが星合にはそれがない。常に流動して、次の動きを読ませない。戦い方を習うんじゃなく、戦闘の中で見て学び、自分の血肉にしてきた人間のソレだ。

 だから、どんな相手でも対応できるように近接も遠距離もこなせるような技を身に付けてる。生き抜くために星合が身に付けたモンだ、どれも威力は強いのは気にかかるが、相手に合わせて調整してるから特に問題もない……ハズなんだがな。

 星合の動きは悪くない、驕りも気負いもない。……だが、なんか引っかかるな。轟も動きは良いが攻撃が単調だ。……緑谷戦で調子でも崩したか?にしては、そういうトコは容赦なく突いていく星合が動いてねぇってのが珍しい。同じ氷遣いでも力量は星合の方が上だ、あえて決定打を打たねえのは何か意図でもあんのか……?)」

 

 そんな相澤の思案を知る由もなく、ステージ上では怒涛のように盤面が変化していく。

 氷壁を目隠しに放たれた、轟の頭上で回転しながら落下する十字架(スティレット)

 ざわりと観客席が揺れる前で、千晶は冷静に次の一手を打った。

 

「血法・天衣縫針(てんいほうしん) 空斬糸」

 

 水晶宮式血濤道の針と、斗流血法・シナトベの血法が融合した、千晶にしか扱えない技。千晶の声に応えるように、轟の頭上で回転していた十字架がぴたりと回転をやめ、その針を轟に向けたかと思うと、刺突のみを使用目的とした鋭い切っ先が無数の糸となり轟に降った。

 「空斬糸」というシナトベの名を冠していることからも分かるように、轟に降りかかる糸は本来ならば嵐を巻き起こす可能性を秘めたものだ。だが、燃費が悪く奥の手であるシナトベは使用しないと、千晶は事前に取り決めていた。水と氷を印象付けているというのに、新たな属性の可能性をわざわざ敵方に知られるような下手は打てない。

 

「(――確実に、ここで捕らえる)」

 

 どうなるかは分からずとも、千晶の技の多様性を考えれば、触れるのが得策ではないことくらい誰でもわかる。糸を避けようとした轟は、地面を蹴ろうとして、ぐっ、と靴底が地面から離れないことに気付いて思わず足元を見た。そこには、足首まで這い上がり、地面に轟の足を覆い固定している青い氷があった。

 

「氷……!クソッ」

 

 またもや戦闘訓練時と似たような手口で嵌められた轟が、自分の下手に舌打つ。

 千晶が轟の視線を上に誘導した狙いは、十字架と糸に注目を惹きつけ、確実に轟を氷で足止めして回避行動を取らせないためだ。

 最初の大氷壁を粉砕した後、フィールドに散らばった氷塊は気温の暖かさでとっくにシャーベット状の氷や水になっていた。それらが満ちるフィールドは、まさに絶対零度の地平(アヴィオンデルセロアブソルート)を掛けるには絶好の状態だった。

 本来なら、そのまま轟の全身さえ凍らせられるのだが、あえて千晶はそうしない。最初から、千晶は抜け目なく攻め続けていると見せかけて、その実、一撃必殺ではなく、轟に反撃する手を残した技ばかりを繰り出している。

 

 そもそも、最初から戦意のまるで見えない、意志の抜け落ちたような表情で攻撃に迷い、普段の動きのキレや判断力が鈍っている轟が、心底気に食わなかったのだ。そんな生半可な態度で戦いに臨むな、と。

 ……本当に、親子そろって人を舐め腐りやがってこの野郎、とすら思っていた。

 

 

「……この程度?」

 

 心底冷え切った声で、侮蔑の声が投げかけられた瞬間。

 

「この……!!!!」

 

 どこか虚ろだった轟の、色違いの双眸が怒りに燃え立った。

 避けられないまま、頭上から降る赤い糸に絡めとられて地面に叩き伏せられるはずだった轟の身体から、一瞬オレンジの炎が噴き上がる。灼熱が青い氷を舐め、今にも届きそうだった血の糸を焼き尽くす。

 観客席のどこかで、満足げに口角を上げた男がいた。

 

『轟、炎で氷と糸を両方破った――!!』

「……っくそ」

 

 靴に付着した水と氷の残滓を振り払い、瞬間的な炎の放出に無意識に肩を怒らせた轟は、鋭く吊り上がった目で千晶を睥睨した。それを静かに受け止めた千晶は、冷ややかに言い放つ。

 

 

「集中しろ。轟、君は何と戦ってるつもり?」

「は……?」

「攻め方は一辺倒、迷ってるのか知らないけど攻撃にいつものキレがないし単純。加えて積極的な攻撃を仕掛けてこない。

 ――私に誰を重ね合わせてる?」

 

 普段の千晶を知るものからすれば、その一言はあまりに普段の彼女からかけ離れた、荒々しく冷ややかな口調での詰問だった。轟から数メートル離れた場所に仁王立つ痩躯から溢れ出る怒気が、凍りつくような冷気となって辺りに漂う、そんな錯覚を起こさせる。その冷気に当てられたかのようにその場から動けない轟のこめかみを冷たい汗が伝い、顎をなぞって地面へと滴り落ちる。

 黙して語らないことも、誤魔化すことも、まして目を逸らして逃げることも許さないと態度で語る千晶は、硬直したままの轟を睥睨し、言葉を重ねた。

 

「……10年モノの悩みだ、イズクと戦って吹っ切ったっていっても、そう簡単に納得できるものなら、そもそもそこまで思い詰めてこじらせてなかっただろうし。悩む気持ちも、分からなくはない」

 

 千晶の脳裏に去来するのは、過去の自分だ。実験施設で甚振られていた傷は年を経るごとに癒えて、その痕を薄くしたとしても、心に膿んだ傷の痛みが気にならなくなるには長い年月が必要だった。

 考え方の根幹を揺るがすような緑谷の叫びが轟に届いても、それを轟が許容して受け止め切るには、まだ時間が必要だと、千晶も頭の中では何となく察している。

 

 けれど。

 

「……甘えるなよ、轟焦凍」

 

 苛烈に輝く赤い瞳を眇め、白い吐息を口端から零しながら、威圧感の籠った声が響き渡る。

 轟は、その一言に咄嗟に答えを返すことが出来なかった。何を言われたのか理解できなかったからだ。

 

「今。雄英一年のベスト4としてここに立つからには、私たち4人は予選や騎馬戦、トーナメントで敗退した生徒の思いを背負って、彼らの上に立つに相応しい戦いをするのが義務みたいなもの。だっていうのに君ときたら、何、その体たらく。悩みながらでも相手できるって思われてるなら、心外だけど」

「!そういうつもりじゃ……」

「そういうつもりじゃなくても、そういう風に見えるって言ってるんだけど?戦ってるときくらい集中しなよ、その態度が私だけじゃなくて、君に負けた瀬呂くんやイズクも侮辱してることにいい加減気付け?」

 

 朗らかに笑いながら、その実全く笑っていない赤い瞳が轟を射抜く。

 目をうっそりと細めた千晶の姿が一瞬ぶれ、瞬きより短い間に彼我の距離を詰めた千晶は轟の懐に入り込んだ。今日一番の、というよりある種のスピード戦だった芦戸との対決で見せていた、トップギアだと思っていたスピードとは比べ物にならないほどの速さに、反射的に視線で千晶の存在を追うことは出来ても、思考に身体がついて行かなかった轟は反応が遅れた。

 一瞬で近づいた距離に反射的に一歩後退りながら、息を詰めて硬直した轟の胸倉を荒々しく引っ掴んだ千晶は、真正面から左右で色の違うその双眸を覗き込んだ。本来ならば6センチある身長差も、今はヒールのお陰でほぼ同じ背丈にまで詰まっている。

 下手をすると鼻先が触れそうなぐらい近づいたその距離の近さに、観客席や司会席から歓声やら野次やら悲鳴やらがごちゃ混ぜになった声が上がるが、当の本人たちは至って真面目、というか殺伐としている。

 

「ちゃんと前を見ろ、今何のために、どうしてここに立ってるのか、なりたいものは何なのか、誰が目の前に立ってるか……見極めて理解(・・)しろ。逃げるな、目を逸らすな。他人を蹴落としてここに立っている以上、責任を果たせ」

 

 ゆっくりと言い聞かせるように、重みのある声で千晶は呟く。その言葉は声の持つ力に反して、それほどは大きくなく――よって、絶賛盛り上がっている最中の観客席の人々に聞かれることは無かった。

 声を荒げることも叫ぶこともせず、ただ今この瞬間を、目の前にいる私をきちんと見ろ、と轟が無意識下で目を逸らしていた現状を突き付ける千晶を、轟は引き剥がすことも忘れてただただ目を丸くした。めらり、と眼前に迫る蘇芳の瞳が赤々と燃え立つ中に、間抜け顔を晒した自分が映り込んでいる。

 

 他の人間に同じことを言われても、轟は耳を貸さなかっただろう。

 けれど、中学時代を共に過ごし、一度も轟の信念に対して否定もお節介もせず、ただありのまま受け止めてきた星合千晶だからこそ。真摯で揺らぐことの無い芯を持つ人間だからこそ、緑谷に閉じこもっていた殻を壊された轟の心に、届いた。

 

 心に届いたからこそ、反応が遅れた。

 一瞬の静寂の後、轟の宙をさまよう腕を掴み、胸倉を掴んだ腕もろとも勢いよく背負い投げた千晶の立ち回りは圧巻だった。最小限の力で最大限の効果を、を常のモットーとする千晶らしい無駄のない動きのその途中、遠心力もろともぶん投げられるその手前の一瞬。轟の耳元に直接、辛うじて硬質さを保ちながらも、憂えるような濡れた声が忍び込む。

 

「――今、君の前にいるのは、私だ」

 

 そう呟いた千晶の寄せられた眉根と歪んだ表情は、見ようによっては悔しげにも、泣き出しそうにも見えた。

 

『おおおおっ!?星合の鮮やかな大投げが決まった――!!』

 

 そのまま場外か、と観客の誰もが息を呑む中、場外へ向けて背負い投げられた轟は表情を歪めながら宙で受け身を取る体勢を整えつつ、突き出した後ろ手を後ろから前へ弧を描くようにブン、と勢いよく虚空を掻いた。その軌跡を追うようにして氷壁が出現し、吹っ飛んでいた轟の身体を受け止めると同時に、千晶を飲み込まんと迫る。

 

 その氷結スピードは、精彩を欠いていたそれまでとは比べようもないほど――本来轟が持つレベルにまで戻っていた。

 

 それを冷静に後ろに飛び退ることで避けつつ確認した千晶と、吹っ飛ばされた勢いを氷壁の軌跡をなぞるように氷壁を滑ることで殺した、険しい表情の轟の視線が交差する。

 

「(……ちょっとは吹っ切れたか。まあ、あれだけ煽ってまだ悩んでたらさっさと全身凍結(アヴィオン)で終わらせたけど)」

「(甘えるな、ちゃんと前見ろ……か。緑谷にも言われたな、それ)」

 

 体勢を立て直しながら、轟は小さく苦笑した。

 

「(やろうと思えば、さっきの足止めで俺を凍らせるなんて訳ねえはずなのに、それをしなかったのは、俺自身が気付くべきことだったからだ。

 俺が星合を通して見ていたのは――お母さんだ)」

 

 

 見た目は微塵も似ていないのに、千晶の纏う雰囲気はどこか、思い出の中の母に似ていた。

 母を傷付けるような、父のような人間にはなりたくないと嘆く自分に、血に囚われることなく、なりたい自分になって良いと優しく肯定してくれた母と、いたずらに轟のデリケートな内面や左目の火傷について踏み込んでくることもなく、氷だけで父親を見返すと言っても、そうとただ笑って、強くて良いヒーローになろうねと、復讐心すら受け止めて、轟の在り方を否定しなかった千晶。

 耳障りの良い正論ばかり吐いてくる人間や、目の周りの火傷をからかう人間、逆におっかなびっくりしつつも怖いもの見たさに似た感情で火傷のことを尋ねてくる人間。そして近づいては来なくとも、好奇心を隠しきれない目で遠巻きに見てくる人間。そんな煩わしさしか感じない人間が圧倒的に多かった周囲と一線を画していた轟にとって、引いたラインをギリギリ踏み越えない場所をわきまえて、なお笑顔で手を差し伸べてくる千晶の隣は、居心地が良かった。

 

 だから余計に――戦闘訓練で火傷について遠回しに揶揄された時、余計に苛立ったのだ。

 唯一、味方だとさえ思っていた友人。その信頼をぶち壊された気がして。

 けれど今思えば、その苛立ちさえただの我儘だと、子供じみた癇癪だと分かる。千晶で言うところの「甘え」だ。何で理解してくれないのか、と一方的な考えの押しつけだった。

 ずっと差し伸べられていた手を無意識に見ないようにして、訊いてこないことに安心して、甘えて。何一つだって説明していないまま、理解を得られるほどの情報を与えないままにしていたのは他ならない轟自身だというのに。

 

「(戦闘訓練の時から、ちっとも成長してねぇな、俺は)」

 

 そう内心で呟く。

 使っている技は違えども、千晶の手のひらの上で転がされていた。常にとどめを刺せる状態でなお終止符が打たれなかったのは、本来なら僅かな隙も見逃さず、むしろ利用してくるしたたかさを持ち合わせている千晶が意図的にそうしなかったお陰だ。

 全ては、轟が自分で乗り越え、成長するために。

 

「(分かってただろうが、思い知っただろうが……USJ事件で……俺はまだまだ弱い。星合の言う通り、炎熱(ひだり)はもちろん、ずっと使ってきた氷結(みぎ)だって、威力はあってもコントロールの精度はお粗末なモンだ)」

 

 さんざん不甲斐ない姿を晒してもなお、轟の成長を見越して、それが出来ると信じ願った千晶の心の声さえ――本人に言われるまで気付かず見逃していた自分の、視野の狭さ。

 

「(USJで、死ぬほど後悔してたくせに――また見失ってた!何がクソ親父の事抜きで強くなりたいだ、オールマイトに近い個性の緑谷を倒して、アイツに復讐することばっかに固執して、星合まで巻き込んで、周りに八つ当たって……ガキみてぇな癇癪起こして、周りの事なんか一つも見えてなかった)」

 

 星合が怒るのも当然だ、と轟は眉根を下げて自嘲気味に苦笑を浮かべた。

 轟から見た星合千晶という人物は、自分が侮辱されたくらいでは怒らない。自分に関することについては非常に沸点が高い。寛容であり、同時に自分に対しては鈍感だ。逆に、自分に近しい人間がないがしろにされたり傷付けられると、自分の事のように烈火のごとく(いか)るタイプの人間だ。それは、ないがしろにしたのが当の本人であってもだ。だからこそ、緑谷のような自己犠牲も、轟のような妄執のせいで道を踏み外しかねないタイプも放っておけないし、時には容赦なく叱りたしなめる。飄々とした振る舞いに対して、情の厚い人間なのだ。

 そんな彼女が、勝ちたくても轟に負けてしまった緑谷や瀬呂の努力や無念をないがしろにするような轟の挙動にキレるのは無理もなかった。

 

 

 ボロボロになりながらも真っ直ぐ、ただひたすらに全力でぶつかってきた緑谷に、氷も炎も、両親の個性を受け継いだ以上に「轟焦凍」の力だと突き付けられた轟は、胸にしまい込んで忘れていた熱を、ヒーローになる夢を思い出し、そしてあれほど憎み続けていた父親の事も、何もかも、一瞬忘れた。

 

 憎しみが無くなったわけではない。それだけで何もかもを納得して飲み下せるほど、簡単な問題ではない。

 

 けれど、その一言で父親に囚われていたことに気付いた轟は、炎のように胸の内で燃え立っていた執念が一瞬鳴りを潜め、視野狭窄から解放されたことで、どうすればいいのか、自分が正しいのかを完全に見失っていた。

 

 そして何より、母に似た雰囲気を持ち、母に似た氷の使い手である千晶を前にして、余計に迷いが生じた。彼女に叱咤された今も、心の底では迷っている。

 けれど。

 

「悪ぃ、星合」

 

 数メートル先に佇む友人に小さく謝った轟の表情は、声に籠められた苦笑やその小ささに比べて、どこか晴れやかなものだった。眉根から皺が取れ、無意識に入っていた無駄な力が抜けた表情は、どこか幼い。

 

 

 ――けれど、せめて今だけは。悩むのは止めよう。

 

 

 それが、ずっと心配をかけてきた友人に対して今できる、唯一の事だと思うから。

 

 

 轟の黒と緑の双眼が、曇り無く真っ直ぐに千晶の姿を映す。そこに、迷いや躊躇はなく、あるのはただの強い意志。

 轟の視線を受け止めた千晶は、一度蘇芳の目を閉ざして視界を遮断すると、再び戦闘のための冷静な思考に意識を切り替え、ゆっくりと瞼を押し上げた。

 

 バチバチと火花が間に散っても可笑しくないような眼光で相手を睨み据え、相手の出方をじっと窺う両者に、自然と観客席も司会席も静まり返り、スタジアムは張りつめたような緊張に満たされた。

 その場にいるすべての人間が、本能的に感じ取るほどの気迫と緊張――次の一撃で全て決すると、固唾を呑んで観客が目を凝らす中。

 

 二人の間に一陣の風が吹き抜け、それが合図となって、痛いほど張りつめた空気を破るように二人同時に動き出す。

 轟の左腕から肩にかけてを鮮やかに燃え立つオレンジの炎が纏いつき、力強く前に踏み出した右足から、勢いよく氷の波が千晶に向けて奔る。

 対する千晶は片手を軽く振ることで芦戸戦の前のパフォーマンスで見せた巨大な水の龍を出すと、たちまちのうちに鎌首の高さだけで優に3メートルはある巨大な龍の全身を凍らせ、龍の尾のあたりと身体の周囲に無数に生み出した渦巻く波濤を推進力にして、龍を轟に向けて撃ち出した。

 

 ステージ中央で、炎と氷、氷と水、オレンジと白と青がぶつかり合う。

 突き出された轟の手から放出された大量の炎が、大きく開いた氷の龍のあぎとに襲い掛かり、地面を這う氷は龍の援護に打ち出された槍状の波濤が粉々に撃ち砕く。

 

 業火がごうごうと燃え立ち、宝石のように美しい青い龍が唸り、打ち砕かれた水と氷が宙を踊る。

 

 どれを取っても、その気になれば人をあっさりと害することのできる威力を持つ力だと分かっていてもなお、その場の人間が言葉を失くして魅入るほどの、凄絶で荒々しくも、どこか神秘的な美しさがそこにあった。

 

 しかし、その光景は長くは続かなかった。

 大きく伸び上がるようにして燃え立つ炎と龍の姿が混じり合い、ひときわ大きく膨れ上がり――せめぎ合っていた均衡は、冷やされていた空気が熱で一気に膨張することで一挙に崩れた。

 緑谷戦以上の爆発が起き、炎と爆風が押し寄せるのを捉えながら、千晶は少し皮肉げに口元を緩めた。

 

「(あーあ)」

 

 背後に板状の絶対零度の盾(エスクードデルセロアブソルート)を出現させ、保険に血糸で自分の身体が場外へと吹っ飛ばないようにと瞬時に爆風への対策を終えながらも、内心で呟く。

 

「(私もヤキが回ったかな……仲間だろうが友達だろうが、手加減しないのが私だったのに)」

 

 ライブラは秘密結社という特性上、恨みつらみを良く買う上に「外」にもHL内にも敵が多い。

 大抵の輩はライブラの中核を担い、情報を脳内に大量に保有するスティーブンやクリスティアナを狙って近づいてくる。存在のひとかけら、脳内の情報一つとっても、HLに散らばる構成員のデータ、ライブラの金脈や人脈、情報収集ルート……使いようによっては世界の均衡を大きく変えかねないほど貴重な情報が詰まっていると分かっているからだ。

 しかしそれ以上に、全体像が隠され巧妙に情報規制されているライブラの構成員が敵対組織やライブラを目の敵にしている個人、組織などの毒牙に引っかかったり利用されたりする事が、悲しいかな多い。こちらは末端を取り込んで事を運びやすくしようとする目的の事が多い。

 組織というのは大きくなれば大きくなるほど、末端まで目が行き渡りにくくなる。ましてや何でもありのHLだ、本人の意思に関わらず、知らぬ間に利用されてしまう手段も数こそ少ないが存在する。それらの裏切り者や不穏分子をあぶりだし、必要時には刈る役目を負うのがスターフェイズの二人だった。

 

 光が強ければ強いほど、それを支える影もまた濃くなる。

 不穏分子やスパイに直接手を下し、拷問などに掛けるのはスティーブンや彼が指揮する私設部隊で、クリスティアナは直接は関与しない。けれど、上がってきた書類や報告書などを精査して、スティーブンを介して私設部隊に不審な動きの見られた特定人物の監視を頼むのは、もっぱらNo.3であり秘書のクリスティアナだ。義兄の後ろ暗い部分に関わっていないとは到底言い切れない。

 ライブラとは関係のない場所で出来た友人が、実はライブラの秘書であるクリスティアナの存在や持っている情報目当てで近づいてきた不届き者であることは珍しくなかった。クラウスのため、ライブラのため。幾度となく心を許しかけては裏切られるたびに、自分の心にそう言い聞かせて心の中の悲鳴に蓋をして、分厚い面の皮で感情を隠した。

 裏切られては始末することを繰り返し、ひそやかに、けれど確実に心は摩耗していた。直接手を下す義兄の手前、泣き言も言えないまま過ごしていたクリスティアナにとって、この異世界は優しく甘い世界だった。

 浸りすぎれば、深入りしすぎれば元の世界に戻る時に戻りがたくなると分かっていても。

 

 けれど、その変化が嫌だとは感じていない自分が居るのだから――どうしようもなく、感化されすぎていると千晶は苦笑せざるを得なかった。

 そして、爆風の向こうに居るだろう友人にそっと呼び掛けた。限りなく聞こえにくいと分かっていてもなお、言わずにはいられなかった。

 

「もっと自由に生きなよ、――ショート」

 

 君にはまだ、子どもらしく楽しく過ごせる猶予が残っているのだから。

 私にはないものを、君はまだ、取り戻すのには遅くない。

 

 

 中学時代に封印した呼び名で語り掛けた声の余韻が終わらないうちに、千晶の身体は爆風に飲み込まれた。

 

 

 

 膨張した空気の爆発は観客席にまで及び、体重の軽いものに至っては文字通り吹き飛びかねないほどの威力で襲い掛かり、観客の帽子や髪、服を勢いよく巻き上げた。

 誰もが反射的に手や腕で顔を庇う中、緑谷戦での一件で、ある程度超爆風を予想していたプレゼント・マイクも相澤も、目を瞠り唖然とするほどの威力だった。

 

『マジでほんとにお前のクラス何なの……』

 

 当然、ステージは大量の水蒸気によって白く覆いつくされ、軍配がどちらに上がったのかハッキリとしない。

 

「凄……」

「緑谷ン時より威力凄かったぞ、オイ……」

「星合さん、轟くん……!」

「ち、千晶ちゃん大丈夫かなぁ……!」

 

 ざわざわとスタジアム全体が、大爆発を生んだ両者の個性の威力に驚愕したり、気圧されたり、直に爆風を受けた両者を心配したりと困惑で揺れる中、ステージ上に立ち込めていた霧が少しずつ晴れていく。

 

「……っ~~……!」

 

 爆風で吹き飛ばされ、頭を打ったミッドナイトが打ち付けた箇所をさすりながら、涙目の視界で捉えたのは。

 

「――……」

 

 まず見えたのは、ボロボロに砕かれた氷筍(ひょうじゅん)のただ中で座り込みながら、頭を打ち付けて眩暈がするのか、表情を歪めながらも、かろうじて開いた目で茫然と前を見ている轟。

 そしてその視線の先では、同じくバラバラに打ち砕かれた大きめの氷の中で額から血を流して倒れ込んでいる千晶の姿があった。氷の断面に伏せるようにしてくずおれているため、観客やミッドナイトの位置からはその表情は窺えない。ぴくりとも身じろぎしないあたり、気絶しているようだった。

 

 そして、重要なのは二人の位置だった。

 轟が居るのはステージ上に引かれた枠線から1mほど離れた場外。

 それに対して千晶が倒れている場所は、こちらも枠線の外、四隅を照らす炎を設置する関係で2段状になっているステージの、一つ下の段があった場所のあたりに倒れていた。

 

 

『両者場外、ってことは……』

『過去の雄英体育祭での判定を元に軍配が上がるな』

 

 こういった判定が難しい結果で、加えて試合続行が難しい場合、主審が過去の体育祭での判定を元にしつつ、裁定を下すことになっていた。轟に比べてやや千晶の方が枠線から離れているようにも見えるが、両手から伸びた血の糸がステージ内に刺さっていることがどう影響するかは相澤達にも分からない。

 ゆえに、判決は主審(ミッドナイト)の判断如何に委ねられる。

 

 そんな司会席の解説によって、千晶の傍に近寄り、様子を確認していたミッドナイトに視線が集中する。

 やがて立ち上がったミッドナイトが両者をしっかりと見比べ、出した結果は――

 

「両者共に場外!この場合引き分け判定で、先ほどの切島くん・鉄哲くん達のように腕相撲などで簡単に仕切り直すことが殆どですが、星合さんが脳震盪で気絶していることから、仕切り直した後、もし彼女が勝ったとしても決勝での試合に影響しかねないと判断します。

 

 

 よって――この試合、轟くんの勝利!!」

 

 

 

 轟の辛勝、判定勝ちだった。

 

 

 一瞬シン……と静まるスタジアム内。痛いほどの静寂に包まれたスタジアム内だったが、誰かの歓声を皮切りに、拡散された興奮が声となり、歓声が爆発する。

 だが、そんなお祭り騒ぎは何故か、すぐに収まっていった。

 

 生徒用にも受けられた応援席、A組に割り当てられたエリアの最前列。

 そこには、唇を噛み締め、表情をくしゃくしゃにし、真っ赤な顔で千晶を見つめたまま拍手するお茶子の姿があった。そんな彼女の斜め後ろに座る梅雨や耳郎が励ますようにその肩を叩き、お茶子を中心にして、徐々にA組からB組、生徒から一般客、プロヒーローへと拍手が広がっていった。

 

 緑谷は感極まったように潤んだ瞳から雫が零れないよう、隣のお茶子と同様に唇を噛み締め、負傷して吊られている右腕にギプスで固められている左手を打ち付けるような形で拍手を贈り、

 爆豪は拍手はしないものの、たまに見せる静かな面持ちで、どこか残念そうな、少し案じるような複雑な色が揺らめく赤い眼でじっと千晶を見つめ、

 普通科の席に座る心操は、どこか眩しいものを見るようなまなざしと僅かに緩んだ仏頂面で、お疲れ、と小さく呟く。

 

 やがて拍手はA組の応援席を超え、クラス間の枠組みもしがらみも超え、激闘を終えたステージ上の二人を讃える拍手へと変わって、

 ――会場全てが、暖かな拍手に包まれた。

 

 

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