人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

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開かない幕の裏側で

 

 保健室を出て、薄暗い通路をスタジアムの観客席に向かい歩く。人気は殆どなく、通路の先で遠く歓声が鳴り響いているのを聞きながら角を曲がると、ぽつねんと一つ、逆光を背負った人影があった。

 ライブラの書類作りやらデータ整理やらスポンサーとのメールのやり取りをラップトップでやっていたせいで一度は衰えたものの、この世界にくる際に10年分の歳月を落っことしたお陰で回復した視力は、明暗の境目で中途半端にスマホを握ったまま立ち尽くしているのが良く見知った人物だと知らせてくれた。凍りついたように微動だにしない彼の頬を幾筋もの汗が滴っていくのを見て、何やら様子がおかしいことに気付いた私は小走りで駆け寄った。

 

「飯田くん?」

「……星合くん」

 

 のろのろと視線が持ち上がるが、茫然としたような生気のない表情に、尋常じゃないと判断した私は表情を引き締めた。

 

「……どうしたの?何かあった?」

 

 一度、戸惑うようにきゅっと結ばれたくちびる。一瞬の静寂を破るように零された言葉に、私は目を見開くこととなった。

 

 

『さァいよいよラスト!!雄英1年の頂点がここで決まる!!決勝戦、轟 対 爆豪!!今!!!

 START!!!』

 

 歓声と実況の声が遠い。数歩踏み出せばステージを見下ろせる位置に居ながらも、それらの熱が全て遠くに遠ざけられたようだった。熱が足元へと下がっていくような、胃の中に石が重く沈んでいくような感覚を覚えながら、くちびるをわななかせた。

 

「……お兄さんが、インゲニウムが(ヴィラン)にやられた……!?」

「ああ……今、母さんから電話があって……」

 

 せわしなく眼鏡の奥の瞳が揺れている。育ちの良さから普段なら家族の事を話すとき、お兄さん以外は“父、母”と呼ぶ彼が、そんなことにすら気を使えなくなるほど動揺している飯田くんの姿にぐっと唾液を飲み込み、口を開いた。

 

「分かった、相澤先生には私から早退の事伝えてくる。許可降りたら連絡するから、飯田くんは早く着替えて、許可降りたらすぐにお兄さんの所に行けるよう準備して」

「!?いや、しかし……」

「もう決勝終わったらすぐに閉会式だけど、それも待てないくらいの気分でしょう、今。緊急事態なんだから、委員長だとか責任感だとかそういうの一旦捨てて、後悔しないように動かないと。友達なんだから、それくらいさせてよ」

「……っ、すまない。お願いできるだろうか」

 

 今すぐにでも飛び出したい気持ちを責任感と遠慮と混乱が入り混じって正常な思考が出来ていない飯田くんに落ち着かせるように静かに、ゆっくりと言葉を紡げば、はっと息を詰めた彼はくしゃくしゃにした表情を隠すように、深々と頭を下げた。

 もちろん、と笑って頭を撫でた時、床に滴った透明なものは見ない振りをした。

 

 

 

 

 飯田くんとその後すぐ別れ、決勝戦でほとんど人がスタジアムに居て、通路には一人もいない現状を良いことに全力疾走で実況席の入り口まで駆け抜けた。プレートの掛かったドアをノックし、中から相澤先生の生返事が返ってきたところでドアノブを捻り、実況席へと滑り込んだ。

 ドアの向こう、気だるげな黒猫のようにプレゼント・マイクの隣に座っていた相澤先生がこちらを見てギョッとする。ついでに何事かと振り返ったマイク先生も同じ驚き方をした。同期で長年の付き合いともなるとリアクションも似てくるんだろうか。かろうじて声を出さなかったのは流石ラジオDJのプロ根性。放送事故には至らずホッとした。

 何となく空気で面倒事の気配を察したらしい相澤先生の手招きに応じ、観客からも実況席の中が見える仕様のガラス戸に自分が映らないよう注意しつつ、そろそろと近寄った。

 

「どうした星合、何かあったのか」

「飯田くんのお兄さん……インゲニウムが(ヴィラン)にやられたそうです」

「「!!!」」

 

 息を詰め、更なる驚愕を表情に出す二人に、私は冷静に畳みかけた。

 

「飯田くんに話を聞いたところ、お兄さんは救急搬送されて保須の病院で手術中だそうです。ので、飯田くんの代わりに早退許可を頂きに来ました」

「……分かった。飯田はどこに居る?お前に言伝を頼んで、混乱状態で一人突っ走らなきゃ良いが」

「一応早退許可が下りるまでは、着替えるのまでは許されても敷地を出るのは駄目だとは言っておきましたが……彼は特にお兄さんを慕っていたようなので、思い詰めて暴走しないか心配ですね」

「それでもお前の言葉なら多少のストッパーにはなるだろ、悪いな。

 付き添ってせめて駅まで送ってやりたいとこだが……タイミングが悪いな、今日は全員教師は何らかの役目持ちだ。クラス持ちもそうでないのも全員、手が離せねぇ。俺もこの片手じゃ運転しようがねえし、駅までタクシー呼んでやるしかねえだろうな」

「あ、それならさっきここに来るついでに呼んでおきました。流石にほっといたらエンジン使いかねないなと思って」

「秘書か、手際良いなオイ」

「……流石だな、手間が省けた。早退は許可する、ミッドナイトには後で俺から伝えておくから事故に遭わねえよう気を付けて病院行けって飯田に伝えてくれるか」

 

 さっさとタクシーの手配まで先回りで済ませていた私に、すかさずツッコミを入れるマイク先生と、微妙な間を置いて合理的に話を進める相澤先生という対照的な反応に挟まれる。相澤先生のリプライに、私は一二もなく頷いて、再びすみやかに通路に出た。背後でマイク先生の実況が鳴る。若干ドアが荒々しく閉まってしまったが、緊急事態だ、今ばかりは多少礼儀知らずだって許されるだろう。

 足音に気を配る余裕もなく、薄暗い通路にカッカッカッと鋭い足音が反響する。手の中に収めたスマートフォンに指を滑らせて、登録された飯田くんの名前を呼び出す。待ち構えていたのだろう、コールは一回鳴るか鳴らないかの所で途切れた。

 

『星合くん!』

「はーい落ち着いて。まず伝言伝えるよ、まず相澤先生から早退許可は下りた。ミッドナイト先生には相澤先生が連絡してくれるから、事故に遭わないように気を付けて病院に行けって。……だからほんとに落ち着きなよ、怪我しそう」

 

 許可が下りたと言ったとたんにガタゴトと五月蝿くなった電波越しの向こう側に、若干声のボリュームを上げつつ注意すれば、切羽詰まった「すまない」が返ってきた。いや、謝ってほしいわけじゃないんだよ。勢い余ってうっかり何かに足をぶつけないか心配なだけで。

 

「で、残念ながら先生方たちに車で送ってもらうのは難しいから、さっきタクシー頼んでおいた。『飯田』の名前で雄英バリアー前に着けてもらうようお願いしたから、駅までそれ使って。間違っても焦って個性使わないようにね、シャレにならない」

『分かった』

 

 こんな風に電話口で細かく小言のように注意事項を上げ連ねていると、まるで弟を心配する姉のようだなと緊張感を棚上げした自分がひっそり呟いた。年齢的にはその構図もあながち間違いじゃないのだが。

 相変わらず力が入っていつもの数倍硬い声で最低限の言葉を発する飯田くんに懸念を抱きつつも、これ以上の会話は彼にとって不毛だと判断して、溜息を押し殺した。

 

「じゃあ、切るね。後で連絡事項はメールで伝えるから。道中気を付けて」

『ああ。……ありがとう、星合くん』

 

 すまない、と小さな呟きがかすかに電波を通して伝わる。飯田くんらしい、真っ直ぐな感謝の言葉に私は目を伏せて、やわらかにどういたしましてを返した。

 

「お兄さんの無事を祈ってる」

『ああ。では、また』

 

 ぷつり、と通話が切れたのを確認し、スマホをポケットに仕舞い再び走り出す。既に決勝は始まっている。轟と爆豪の一戦だ、そう長くは続かないだろう。ニトロに似た汗を爆破させている爆豪の個性は、戦闘が長引けば長引くほどキレを増す。手を掴めば轟の個性なら凍らせられるだろうが、爆豪が易々とそんなことをさせてくれるとも思えない。ごめん轟、決勝はリアルタイムでは見られないかもしれない。

 後でVTRやらテレビ放送で幾らでも確認できるとはいえ、視点の限られる“誰かの目線”を通した映像は研究するには情報不十分だ。同じクラスのトップクラス同士の戦いは見ておきたかったのだが、最悪間に合わない可能性も含めて、スタジアムに急いで私が辿り着いた時には、奇妙に掘り進められた跡のある、ステージ半分を覆う大氷壁と、私が大投げを決めた時に轟が場外防止に張ったのと同じ、三日月型の氷壁の間で爆豪が怒鳴っているところだった。

 

「てめェ虚仮(こけ)にすんのも大概にしろよ!!ブッ殺すぞ!!俺が取んのは完膚なきまでの一位なんだよ!!」

 

「……わぁ、凄いキレてるね」

「あ、千晶」

「おォ星合、頭大丈夫か!?」

 

 A組の応援席まで階段を降りながら呟くと、私に気付いたキョウカや切島くんが声を掛けてくれた。彼らにひらひらと手を振りながら大丈夫、と返せば良かったぁ、と口々にクラスメイト達が喜んでくれた。

 

「千晶ちゃん、飯田くんが……」

「知ってる。さっき会って聞いたよ。緊急事態だから代わりに相澤先生に早退許可取りに行ってた。今頃飯田くん、タクシーに乗って駅に向かってると思う」

「そっか……インゲニウム、無事だと良いんだけど……」

 

 お茶子の不安そうな眼差しに重々しく頷いて状況を説明すれば、お茶子の隣に座っていたイズクも心配そうに眉を下げた。

 そんな中、客席まで届く怒号が響き渡る。

 

「舐めプのクソカスに勝っても取れねんだよ!

 デクや雪女より上に行かねえと意味ねえんだよ!!

 勝つつもりもねえなら俺の前に立つな!!

 何でここに立っとんだクソが!!!!!!」

 

 視線を向ければ、充血した三白眼をこれ以上ないほど吊り上げ、猛るように唸り、両手を勢いよく振り上げた爆豪が、その勢いもろとも癇癪をぶつけるように、振り下ろしたその手のひらから爆破を使い、その爆風を利用して器用に飛んだ。

 

 ――嗚呼。だから言ったのに。

 

 爆豪の心からの怒りの籠った叫びを聞いて、それまでの戦況を見ずとも、どんな試合展開だったのかはある程度予想がついた。

 なんてことはない。爆豪の叫びと、私が轟との一戦で彼を叱りつけた内容は、言葉こそ違えど意味するところは同じだ。

 

 勝ちたいと必死になった選手を押し退けて決勝の舞台に立っているにも関わらず、真剣味に欠ける轟の態度は対戦相手のみならず、轟が退けてきた相手全員に対する侮辱に等しい。まして、爆豪勝己にとって、決勝を飾る相手が腑抜けていたら、それはまぁ彼の矜持と信念を大いに逆撫でしただろう。彼の言う「完膚なきまでの一位」は、万全の状態で、勝つ気で向かってくる強敵を真正面から倒しての一位だ。他者の評価に惑わされない上昇志向を持つ爆豪は、ただ一位を取るだけで満足するような安い矜持はしていない。

 

「左、爆豪には使ってないんだ?」

「あ、うん。だからかっちゃん、あんなに怒ってるんだと思う……」

 

 隣に座っていたイズクに確認を取ると、予想通りの答えが返ってきた。……それであんなことを。

 

「だから私やイズクより上、って言ったのね」

 

 満身創痍になりながらも炎を引き出したイズク、さんざん煽って叱って心の隙をこじ開けた私。

 爆豪が敵意のベクトルを向ける私たちがどちらも轟の炎によって敗けたのに対し、爆豪はといえば炎を使われないまま戦われているのだから、爆豪が「何でここに立っとんだクソが!!!」と叫ぶ気持ちも分からなくもない。というか、数十分前の私がそうだった。きみも不器用だなぁ、爆豪。私と違って、容赦なくガンガン突っ込んでいくスタイルは、まぁ嫌いではない。

 

 空を舞う爆豪の手のひらから、短く2発ずつ、短い爆破が起きる。轟とは違うタイプの才能マンたる彼は、爆風を細かく威力調整して姿勢制御をするなどお手の物だ。尊大な性格の中に時折見え隠れする圧倒的みみっちさ。勘違いされやすいが、意外と戦闘技術と性根は繊細なところはどこかの銀髪野郎(シルバーシット)によく似ている。

 爆豪の身体がうねり、スクリューのように旋回する。迎え撃つ轟は爆豪を見上げたまま動かない。炎は、その半身には現れないままだ。

 

「(悪ィ、爆豪。緑谷と戦ってから、自分がどうするべきか、自分が正しいのかどうか……わかんなくなっちまってんだ)」

 

 ――あの時、あの一瞬。おまえを忘れた。

 

 あれほど囚われていたにもかかわらず。たった一言が、轟の中のわだかまりをぶち壊した。

 

「負けるな頑張れ!!!!」

 

 突然隣から響いた大声に、私は思わず身を竦めた。突然の声援を送ったイズクに一瞬目を走らせ、そのまま視線を向ければ、イズクの声援が届いたのだろう。奮い立つように目の色を変えた轟の左半身から、めらりとオレンジ色の烈火が噴き上がった。

 

「(クソナードが!そうだ、そうだよ、俺の前に!ここ(・・)に立つ以上!)」

 

 スクリューのように爆破で回転を掛けた爆豪が轟に迫る。

 

「(勝つためだけに!頭回してりゃいいんだよ!!)」

 

 炎でどう迎え撃つのかと見守っていた私は、爆豪が腕を大きく振りかぶったその瞬間、不意に轟が炎を収め、代わりに大量の氷を生み出した轟にえ?と固まった。

 

榴弾砲着弾(ハウザーインパクト)!!!!!」

 

 瞬間、回転と勢いによって方向と範囲が収束し、一点に集中した大火力が振り下ろされる。ゴボッ、と鈍い音を立てて巨大な氷壁が破壊され、轟音を立てて崩れ落ちていく。

 

『麗日戦で見せた特大火力に勢いと回転を加え、まさに人間榴弾!!轟は緑谷戦での超爆風を撃たなかったようだが、果たして……』

「(火ィ消しやがった……)……は?」

 

 霧が晴れたその先、爆豪は枠線の中で地べたに倒れ、その先――先ほどの私のように氷壁で後ろに吹っ飛ぶのをガードしたはずの轟といえば、枠線の外、ごろごろと大きく砕けた氷の塊の上でぐったりと倒れ、意識を失っていた。

 投げ出された指がコンクリートの地面を掴み、眉間どころか目の間にすら皺が寄っていき、赤金(あかがね)の三白眼が怒りに揺れる。

 

「は?」

 

 私と轟の一戦を思い出すような結末にうわぁ、と思っていると、爆豪が起き上がり、荒々しく意識のない轟に近づいていく。

 

「オイっ……ふざけんなよ!!」

 

 ぐい、と轟の胸倉を掴み、空いている片方の手を引き絞るような体勢は今にも爆破を向けそうにも見える。体操服を掴まれ、気絶して意識のない轟の首がのけぞった。

 意識のない奴にまで攻撃する気か、とにわかに観客席が色めき立ち困惑の声を上げるが、私の目にはどちらかというと……

 

「こんなの」

 

 眉を寄せて叫ぶ爆豪のその表情は、どこか泣き出しそうに見えた。

 

「こんっ……」

 

 なおも叫びそうだった爆豪の身体から力が抜け、爆豪もまた氷の上に崩れ落ちた。爆豪の背後に歩み寄っていたミッドナイトが身体に纏っている極薄タイツの腕の部分を破り、個性である“眠り香”で眠らせたのだとすぐに分かった。

 意外な結末に息を呑み、静まり返るスタジアム内にミッドナイトの鋭い声が飛び、フラッグ代わりの指先が掲げられる。

 

「轟くん場外!よって――……爆豪くんの勝ち!!」

 

 それが合図となり、誰かが歓声を上げた。

 一人の歓声に二人の歓声が呼応し、四人、八人と連鎖的に拡散し、

 歓声が、爆発した。

 

『以上で全ての競技が終了!!今年度雄英体育祭1年、優勝は――A組、爆豪勝己!!』

 

 無秩序な叫び声が渾然一体となり、地響きと化してスタンドを揺るがす。

 勝者を讃え、同時に敗者に振り下ろされる、無邪気で、だからこそ無慈悲な感情の発露。

 それを浴びるはずの「今日の主役」は、本来ならば誇らしいそのシャワーを聞くことなく、眉を寄せたまま、穏やかとは言えない寝顔で夢の世界へと旅立っていた。

 

 

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