ざわめいていたクラスも、本鈴が鳴れば全員が席に行儀よく着席する。数秒の間も空けず今日も合理的に現れた相澤先生のおはよう、の言葉におはようございます!と答えてから、2日前とは違うその姿にいち早く気付いて声を上げたのは梅雨ちゃんだった。
「相澤先生、包帯取れたのね。良かったわ」
「婆さんの処置が大袈裟なんだよ」
USJ事件で左腕をバキバキに折られて、リカバリーガールの個性でも数回に分けての治癒を必要としていた怪我もようやくギプスが取れたらしい。私が割って入らなかったら両腕が逝っていたのだから恐ろしい。
顔の形を支える眼窩底骨の粉砕骨折による個性への影響が心配だが、前に体育祭に出場するか否かで呼び出された時に尋ねたところ、心配されるほどじゃないと頭をぐしゃぐしゃ撫で繰り回されたので、多少の影響はあれど概ね問題ないということだろう。心配なのには変わりないが。
そんな相澤先生は顔の絆創膏が取れたものの、まだ目に違和感があるのか、はたまたテープを剥がした直後で痒いのか、左目の下を小指でかりかりと引っかいていた。
ほとんど治癒しきったといっても、相澤先生の顔にはいくつか切り傷の痕や擦り傷が残っている。特に右目の下に横一文字についた傷痕はそれなりに深そうで、ああアレは残りそうだな、とつい癖で観察してしまう。傷痕が左側だったら、丁度うちの義兄と同じスカーフェイスだ。あのこめかみから頬を斜めに切るような傷に比べれば、ずっと小さいけれど。
「んなもんより今日の“ヒーロー情報学”、ちょっと特別だぞ」
緩やかな空気が流れていたが、唐突な相澤先生の少し勿体ぶった一言に、教室に緊張感が漂った。
経験上、相澤先生が若干勿体つけて切り出した話は毎回碌なもんじゃない……というか、一筋縄ではいかない話が多かったからだ。最高峰の名は伊達じゃない。
「(ヒーロー関連の法律やら……只でさえ苦手なのに……)」
「(特別!?小テストか!?やめてくれよ~~~……)」
ごくり……と生唾を飲み込む音さえ聞こえるほどの静寂と緊張が張りつめたが、
「『コードネーム』……ヒーロー名の考案だ」
『胸ふくらむヤツきたあああああああ!!!!!』
相澤先生の一言で、一瞬にして教室の空気が沸騰したような錯覚を覚えた。勢いよく立ち上がって拳を突き上げ、快哉を上げるクラスメイト達の異常なテンションにギョッとしたものの、個性込みで不穏な気を放った相澤先生によってその異常な盛り上がりもすぐさま鎮静された。訓練されてるなぁ……。
「というのも、先日話した『プロからのドラフト指名』に関係してくる。指名が本格化するのは経験を積み、即戦力として判断される2、3年から……つまり今回来た“指名”は将来性に対する“興味”に近い。卒業までにその興味が削がれたら一方的にキャンセルなんてことはよくある」
「大人は勝手だ!」
なにやらプルプル打ち震え、机を叩きながら峰田が唸っているけれども、まぁそれが当然だろう。ヒーロー科卒業後はヒーロー事務所に
「頂いた指名がそんまま自身へのハードルになるんですね!」
「そ。で、その指名の集計結果がこうだ」
トオルの言葉に頷いた相澤先生が親指で背後の黒板を指差した途端、パッとハイテク黒板に「A組指名件数」のタイトルがついたグラフが表示された。
「例年はもっとバラけるんだが、三人に注目が偏った」
星合 2,816
轟 2,615
爆豪 2,326
常闇 360
飯田 301
上鳴 272
八百万 108
切島 68
麗日 20
瀬呂 14
思わず少し口が半開きになったのは致し方ないと思う。まさかのクラス内指名率一位だとは予想もしていなかった。
圧倒的に長いグラフが3本、そしてその下にちまちまっと数センチくらいのグラフが並んでいた。瀬呂くんの14なんて正直1cmもないんじゃなかろうか。同じ三位でも私と常闇くんに大きな隔たりがあるのは、おそらく私がどの競技でも一貫して応用性のある個性と冷静さを見せつけたからだろう。視覚的に派手派手しい技も使っていたからベスト4でも印象には強く残っただろうし、ある程度そうなるよう仕向けたのだ。ただし騎馬戦は殆どステルスして隠密活動をしていたので、その点は奇妙に思われているだろうが。……騎馬戦であんまり目立たなかったせいで、功労者の塩崎さんの指名率があんまり良くなかったらどうしよう。後で確かめに行かないと。
私がつらつらとそんなことを考えている間、指名件数のグラフを見たクラスの反応は実に様々だった。
「だ――白黒ついた!」と背もたれに反り返って脱力する上鳴くん。
「見る目ないよねプロ」とは青山くんが。
「1位と3位逆転してんじゃん」と呟くのは切島くんで、
「全体的に高い順位にいた星合は分かるとして……表彰台で拘束された奴とかビビるもんな……」と切島くんの方を向きながら、親指で斜め前に座る爆豪を指差す瀬呂くんに、
「ビビッてんじゃねーよプロが!!!!!!!!」とくわっと牙を剥いて唸る爆豪。こっち向いて怒鳴るなよ。
「凄いね星合さん……」としみじみ呟くのはイズクで、
「まさか逆転するとは思わなかったよ……」と私も頬杖をつきながら苦笑いする。
「さすがですわ、千晶さん、轟さん」とモモが呟くのに対し、
「ほとんど親の話題ありきだろ、俺のは……」と呆れ交じりに轟が背もたれに凭れかかりながらぼやく。
「わあああ!」と指名が来るとは思ってなかったんだろう、感極まったように目を潤ませながら興奮気味に喜びの声を上げるお茶子に、
「うむ」とお茶子の前に座る飯田くんはお茶子に肩を掴まれて揺さぶられ、首を激しく前後に揺らされながらも頷いている。
「無いな!怖かったんだ、やっぱ」と同じく前の席のイズクの肩を控え目に揺さぶる峰田に、
「んん……」と渋い顔で黒板を見つめるイズクに、私も背もたれに腕を乗せて半分後ろを振り返りながら苦笑する。
そんな私たちに対し、相澤先生が説明を続けた。
「これを踏まえ……指名の有無関係なく、いわゆる職場体験ってのに行ってもらう」
「!!」
「おまえらは一足先に経験してしまったが、プロの活動を実際に体験して、より実りある訓練をしようってこった」
「それでヒーロー名か!」
「俄然楽しみになってきたァ!」
ワクワク感を隠しきれずに握り拳を作って笑う砂藤くんとお茶子。
湧き立つ生徒たちを前に、相澤先生は平静そのもので話を続ける。
「まァ仮ではあるが適当なもんは……」
「付けたら地獄を見ちゃうよ!!!」
教室のドアがガラリと開いたと同時に飛んできた鋭い声に、何事かと教室中の視線が相澤先生から、カツカツとヒールの音を響かせて入室してきたその人に集まった。
「この時の名が!世に認知されそのままプロ名になってる人多いからね!!」
「ミッドナイト!」
豊満な肢体を極薄タイツと紺色のボンテージで包んだ、身体の凹凸と曲線がはっきりと分かるセクシーすぎるコスチューム姿。髪を両手で掻き上げながら壇上に上がったその人は、体育祭で主審も務めた18禁ヒーロー、ミッドナイトだった。私が異世界に落ちてきて、常識やらを詰め込む際にお世話になった一人であり、教師陣の中でも特に私を可愛がってくれている人だ。正直、妹かなにかと思われているんじゃなかろうかと思うくらい。ノリも姉弟子たちに近いし、面倒見のいい人なので全然嫌じゃないけれど。
彼女にバトンタッチするのだろう、ごそごそと寝袋を取り出した相澤先生が「まァそういうことだ」と続けた。
「その辺のセンスをミッドナイトさんに査定してもらう。俺はそういうのできん」
自分の「イレイザーヘッド」は同期のプレゼント・マイクに付けてもらったらしいですもんね、相澤先生。
もそもそと寝袋に入っていく担任を眺めながら、中学に入る前に日本の義務教育分の勉強を教えてもらっていた頃にプレゼント・マイクから教えてもらった意外な命名エピソードを思い返して、一人ひっそりと笑う。
「将来自分がどうなるのか、名を付けることでイメージが固まり、そこに近づいていく。それが『名は体を表す』ってことだ。“オールマイト”とかな」
オールマイト。商品展開とかで見る限り、英語での登録じゃ“ALLMIGHT”みたいだけれど、その語源は間違いなく“
しかし、オールマイトの譲渡される“個性”、ワン・フォー・オールの事情を知っていると、なんだか少しばかりの皮肉も感じざるを得なくて複雑だ。後遺症と変身時間の限界を隠しながら、ボロボロになっても一人で平和の象徴として長年トップに立ち続けた重圧。そんな彼の苦悩を知らず、能天気に喝采を浴びせる群衆。私がこの世界からはぐれた存在であり、オールマイトの真実を知る機会があったからこそ見える、世間の
そう考えると“努力”の“
ともかく。今考えなきゃならないのは、自分のヒーローネームだ。この世界に居座るのがどれまでの年月になるか分からなくても、長い付き合いになるだろう名前。“将来自分がどうなるのか”は全く予想もつかないが、名は体を表すのなら、“個性”となるべく関連性のある名前が良いんだろう。日本語の名前みたいに。この世界の人って結構本名見たら個性も推察できるところあるよね、個性を推測して名前を付けるのか、つけた名前に個性が引っ張られているのか、はたまた単なる偶然かは知らないが。
今こそマルチリンガルの発揮どころ、と頭の中でペラペラと習得した様々な言語の辞書を
15分後。
「じゃ、そろそろ出来た人から発表してね!」
「!!!」
「(発表形式かよ!)」
「(え~これはなかなか度胸が……!)」
ミッドナイトだけに見せて査定してもらうのだろうと思っていたところに、発表形式だと告げたミッドナイトに動揺が走り教室内がざわつく中、緊張のトップバッターを飾ったのは青山くんだった。
彼は中々マイペースな発言も目立つ子で、個性豊かなA組でも目立ちたがり屋さんに見えるが、実際はちょっと臆病で寂しがりな子だと思っている。少し日本人離れした目鼻立ちやフランスかぶれの発言に興味を引かれてたまに話をするのだが、その時はいつにも増して目をキラキラキラッとさせて嬉しそうに喋るので(その時は空気を読まないナルシスト系発言が殆どなくなるのでおそらくこっちが素)、彼の背後に激しく振られる犬の尻尾が幻覚で見えるほどだ。
そんな彼が壇上に立ち、勿体ぶったように裏返しのフリップを両手でつまみ、「行くよ」と目を閉じてから勢いよく頭上に掲げたのは――
「輝きヒーロー、“
「短文!!!!!」
――まさかの短文だった。
いいのか青山くん、将来的にメディアで呼ばれるんだよそれ。字数の問題とか呼びやすさの問題で絶対適当に省略されるぞそれ。君らしいけどさ。
ミッドナイトからストップがかかるかと思いきや、彼女の表情は意外にも否定的なものでは無かった。むしろ乗り気だった。
「そこはIを取ってCan’tに省略した方が呼びやすい」
「それねマドモアゼル☆」
「(英語か仏語かどっちかにせい)」
パチーン、と指を鳴らしてミッドナイトの案を受け入れている青山くんに、誰かがこっそりツッコミを入れるのが聞こえたが(
「っていうか、“キラキラ”を主張したいんならもっと短くして“
「ウーン、それも一理あるんだけど、僕の止められないキラメキを表現するにはこれ以上削れないのさミス星合☆」
「あ、こだわりはそっちか」
じゃあ良いんじゃない、という感じで頬杖をついたまま少し微笑むと、彼も微笑み返してくれた。
「(なァァ……!これは……!)」
青山くんの名前はそれ以上指摘を受けることも無かったのでCan'tに変更のみでほぼ決定だろう。そんな彼の次に壇上に立ったのはミナ。こちらも自信満々だ。
「じゃあ次アタシね!エイリアンクイーン!!」
ポップな書体で書かれたフリップを堂々と出したミナだが、そのヒーロー名に私は思い切りずっこけた。椅子から転げ落ちるほどでは無かったものの、思わず頬杖をついていた手から顎が滑り落ち、ガクッと身体が揺れる。いきなり揺れたからびっくりしたんだろう。後ろの席のイズクと隣の席の瀬呂くんがこっちを向いて心配そうな顔をしたのに対してゴメン、と片手を顔の前に立てながらも、私はウワァ、という顔を隠せなかった。
いやだってその名前で思い出すのって、有名なアメリカ映画なんだもの。しかも名前から分かる通り、”
あとフリップにある“リドリーヒーロー”だけど、クイーンが出るのは『2』なのでそれを言うなら“キャメロンヒーロー”だ。どっちも監督のファミリーネームだけども。
「
「ちぇー」
ぶうたれながらミナが席に戻る中、教室の空気は微妙に緊迫しつつあった。
「(バカヤロー!最初に変なの来たせいで大喜利っぽい空気になったじゃねえか!!)」
が、そんな奇妙な緊迫感は梅雨ちゃんの一声で霧散した。
「じゃあ次、私いいかしら」
「梅雨ちゃん!」
ケロッ、と鳴いた彼女以外にこの状況で名乗りを上げる生徒がいるわけもなく、期待が掛かる中、壇上に上がった彼女が出したのは――
「小学生の時から決めてたの、フロッピー」
「カワイイ!!親しみやすくて良いわ!!皆から愛されるお手本のようなネーミングね!!」
「(ありがとう
“梅雨入りヒーロー FROPPY”と書かれたフリップに、ミッドナイトも絶賛する中、わっ、とクラスが湧き立った。前に立って発表するのが少し憚られるような雰囲気を一掃してくれたのだから無理もない。
次に壇上に立ったのは切島くんだった。
「んじゃ俺!!
「『赤の狂騒』!これはアレね!?
ダン、と勢いよくフリップを出した切島くんのヒーローネームに反応したミッドナイトに、切島くんは嬉しそうに歯を見せて笑った。
「そっス!だいぶ古いけど俺の目指すヒーロー像は“
「フフ……憧れの名を背負うってからには相応の重圧がついてまわるわよ」
「覚悟の上っス!」
拳を握って熱弁する切島くんの姿はただただ微笑ましい。手の中でマジックを弄びながらまだ真っ白の考えを巡らせていると、前方に座る上鳴くんとキョウカの会話が聞こえてきた。
「うあ~~考えてねんだよなまだ俺」
「つけたげよっか、『ジャミングウェイ』」
トントンと指で上鳴くんの肩を叩いてそう言ったキョウカに、上鳴くんは表情を明るくした。
「『武器よさらば』とかのヘミングウェイもじりか!インテリっぽい!カッケェ!」
「~~~~~いやっ、折角強いのに……ブフッ!すぐ……ウェイってなるじゃん……!?」
アメリカのノンフィクション作家の名前がサラッと出てくる辺り、エリート集団の雄英生っぽいのだが、一二もなく同意した上鳴くんに、キョウカはぶふっと彼に背を向けながら噴き出し笑いをしていた。プルプルと肩が震えている。
「耳郎お前さァふざけんなよ!」
抗議の声を上げる上鳴くんに取り合わず、壇上に上がったキョウカが出したフリップは「ヒアヒーロー イヤホン=ジャック」。
その後も次々とヒーロー名を考えたクラスメイト達が壇上に上がった。
複製可能な触手を持つ障子くんは「触手ヒーロー テンタコル」。
テープの個性を持つ瀬呂くんは「テーピンヒーロー セロファン」。
屈強な尾を持つ尾白くんは「武闘ヒーロー テイルマン」。
尾白くんのを見て被った、とぼやくのは糖分でパワーを増強させる砂藤くん。ガタイの良さに反してヒーローネームは「甘味ヒーロー シュガーマン」とちょっとカワイイギャップである。
さっき思い切りダメ出しを食らったミナは肌の色と掛けたのか、可愛い名前の「
そして、さっきキョウカに良いように言われていた上鳴くんがドヤ顔で披露したのは「スタンガンヒーロー チャージズマ」。チャージ(帯電)+イナズマ=チャージズマ、とフリップがクイズ番組みたいなことになっているのが少し面白かった。
続いてフリップを出したのはトオルで、「ステルスヒーロー インビジブルガール」。
「良いじゃん良いよ、さァどんどん行きましょー!!」
若干テンションがアガっているミッドナイトの言葉に、いい加減真面目に考えないと最後になりそうな気配がしたのでうーむ、とフリップに視線を落とす。
「この名に恥じぬ行いを」とモモが出したのは「万物ヒーロー クリエティ」。
次に出てきたのは轟で、「ショート」とそっけなくフリップに掛かれた文字を見せる彼に、名前で良いのかとミッドナイトが尋ねるが、轟はあぁ、と答えるだけだった。……将来身バレ方面で苦労しても知らないぞ。
お次は強力な
その間もどんどん発表は進んでいき、峰田が「モギタテヒーロー グレープジュース」、口田くんが「ふれあいヒーロー アニマ」を出して順調に決まっていく中、爆豪が「爆殺王」とヒーローらしかぬ名前を提出してミッドナイトに「そういうのはやめた方が良いわね」とあっさりばっさりすげなく却下されていた。なんでだよ!と食って掛かる爆豪に「爆発さん太郎は!?」と中々シュールな名前を提案する切島くんは勇者だと思う。
「じゃ、私も……。考えてありました」
ちょっと恥ずかしそうに壇上に上がってフリップを見せたお茶子のヒーローネームは「ウラビティ」。苗字の麗日と“
何が来るのかと若干ワクワク感を滲ませるクラスメイトとミッドナイトの視線が刺さる中、壇上に上がって、自分の身体の方に向けていたフリップを全員が見えるようにひっくり返した。
「“ネレイド”で」
「ネレイド……っていうと、海王星の衛星ではなくて、その語源になったギリシア神話の海の
「ええ」
常闇くんの日本神話の月の神の名前で思い出したのが、随分昔に暇つぶしに読んだギリシア神話だった。いい歳して自分で自分に
本当は他にも候補があったにはあったのだ。HLでスティーブンの私設部隊と個別に連絡を取る時のコードネームにしている「ネーヴェ(イタリア語で雪)」(ちなみにスティーブンのコードネームは“
他の二つ名と言えば、私が実験施設から助け出された後もちょっかいを出してきた上層部の一部を、エスメラルダ一派とラインヘルツ家があの手この手で自主退職に追い込んだことから、「
そしてそのまま本名の「クリスティアナ」とかも考えたのだが……どれも向こうの世界を想起してしまうし、こちらの世界にそれらの思い出にまつわる名を流用するのはいかがなものかと思ってやめた。クリスティアナに至っては、間違いなくミッドナイトだけじゃなく相澤先生にも睨まれて、後々チェンジさせられるのがオチだ。クリスタルも多分本名を連想させるからアウト。
私の在り方と言うなら「ライブラ」なのだろうが、こっちではなんのことかと思われるだろうし、こちらの世界の天秤を預かるだけの覚悟はない。のでこれも論外。同じ水の精霊でも泉や川の精霊「ナイアス」や水の精霊としてはかなり一般的な「ウンディーネ」とも迷ったが、前者はナイアスのいる泉に入ると発狂するなどの微妙な伝承があること、後者は一般的過ぎて名前のダブりが生じそうなのでやめた。日本はどうだか知らないが、海外に似たようなヒーロー名のヒーローが居たというのが止めた一番の理由だ。
ならばもう思いつくのはこれくらいだ、と思って出したフリップだったのだが、ミッドナイトはうんうんと笑顔で頷いた。
「良いわね。オッケーよ!」
「良かった」
ホッと息を吐きながらフリップをミッドナイトに渡し、自分の席に戻る。席に着くときに悩み込んでいるイズクの顔を見て少し心配になったが、邪魔するのも悪いと思って声は掛けずに着席した。
「思ったよりずっとスムーズ!残ってるのは再考の爆豪くんと……飯田くん、そして緑谷くんね」
ミッドナイトが額に手を翳して教室をぐるりと見渡して言った言葉に、私はチラッと飯田くんを振り返った。目の下に濃い隈を作って、眉を寄せてキャップを握ったまま動かない彼は、何を思っているのだろうか。お兄さんを“ヒーロー殺し”に襲われ、体育祭を早退した彼。憔悴しているだろうと気を遣って、とりあえず連絡事項だけメールで送ったのだが……お兄さんの具体的な容態は知らないままだ。気丈にも登校して来てくれたのにひとまずホッとはしたけれど、目の下の隈を見る限り、しばらく目を離せないだろうなとは思っている。
渋面を作ったまま黙って出したフリップには、名前の「
そして、まだ提出していなかったもう一人、イズクが出したフリップに、クラスメイトがざわついた。
「!?」
「えぇ緑谷、いいのかそれェ!?」
「うん。今まで好きじゃなかった。……けどある人に“意味”を変えられて……僕には結構な衝撃で……嬉しかったんだ」
真っ直ぐな瞳で語ったイズクの表情に、雄英入学前の臆病さや後ろ向きなものは微塵も無かった。
――いつまでも雑魚でできそこないの“デク”じゃないぞ……“「頑張れ!!」って感じのデク”だ!!
「これが僕のヒーロー名です」
お茶子が入学初日の帰り道に言った言葉を踏まえての名前。
両手を負傷したままなので普段より悪筆が悪化していたが、読めないほどではない。真ん中に大きく書かれたそれに、前の席の爆豪は不穏な気配を背中から漂わせ、私とお茶子は微笑みながら見守ったのだった。
ちなみに、再考になった爆豪が出した二度目のヒーロー名が「爆殺卿」で、ミッドナイトからすかさず「違うそうじゃない」とツッコミと再提出が課せられたのは言うまでもない。
「職場体験は一週間。肝心の職場だが、指名のあった者は個別にリストを渡すから、その中から自分で選択しろ。指名の無かった者は、あらかじめこちらからオファーした全国の受け入れ可の事務所40件、この中から選んでもらう。それぞれ活動地域や得意なジャンルが異なる。よく考えて選べよ」
「俺ァ都市部での対・凶悪犯罪!」
「私は水難に
「今週末までに提出しろよ」
「あと二日しかねーの!?」
寝袋で休眠状態になっていた相澤先生が復活し、クラス全体に希望先を書く用紙と受け入れ可の事務所40件が列記されたリストが配られる中、相澤先生から個別の指名の紙束を手渡された。……そう、
「オファー星合宛1/70」と書かれた用紙をぺらぺらと捲ると、50音順でぎっしりと事務所名が列挙されていた。……ここからあと二日で選ぶのか……と思うと少し憂鬱である。選択の余地が広いのは嬉しいが、ここまで広すぎるといっそ絞り辛い。こんなことを考えていると知れたら贅沢な悩みだと周囲に怒られそうだが、選択肢が広すぎて困る。ヒーロー事情に詳しくない私がこんな大量の事務所を一つ一つ調べていたらそれこそ徹夜確定だ。
どうしたものかと苦い顔でクリップで綴じられたそれを閉じたその時、目に付いたのは1ページ目の中央から少し下に列記された「エンデヴァーヒーロー事務所」の文字だった。……あれだけ不躾な態度取ったのに、まさか指名してくるとは。懲りない人だな。2816件分のリストを見下ろし、私は溜息を吐くのだった。
ヒーロー情報学の授業後、早速クラスはどこの事務所へ体験に行くのかで話が持ちきりになった。
「オイラはMt.レディ!」
「峰田ちゃん、やらしいこと考えてるわね」
「違うし!」
明らかに下心が透けて見えるチョイスに梅雨ちゃんのツッコミが入る。口では否定しつつもギクッとしてる辺り、思いっきり図星だろう。
「芦戸もいいとこまで行ったのに指名無いの変だよな」
「それ」
「デクくんはもう決めた?」
尾白くんとミナの会話を聞いていたお茶子が振り返ってイズクに話を振るが、当の本人は自分の世界に入っていた。
「まずこの40名の受け入れヒーローの得意な活動条件を調べて系統別に分けた後、事件・事故解決件数をデビューから現在までの期間でピックアップして、僕が今必要な要素を最も備えてる人を割り出さないといけないな……こんな貴重な経験そうそうないし慎重に決めるぞ、そもそも事件が無い時の過ごし方等も参考にしないといけないなああ忙しくなるぞうひょー」
『(芸かよ最早)』
イズクさんや、もう何かその高速ブツブツも生暖かく見守られてるぞ大丈夫か。
全員ニッコリと遠巻きに見守っている姿と、全くそれに気付いていないイズクに苦笑していると、お茶子が私の方を見た。
「千晶ちゃんはどうするん?」
「ん?」
「クラストップの指名数だもんねー、選ぶの、二日じゃ足りないんじゃない?」
ミナの指摘はもっともで、私は苦笑しながら頷いた。
「正直ね……。日本に来て日が浅いから、リスト見てもどんなヒーローかあんまりピンと来なくてさ」
「あれ、そうなんだ?星合さんって日本語ペラペラだから、もう長いこと日本に住んでるんだと思ってたよ」
「いや?日本に初めて来たのは去年の9月頃だよ?」
尾白くんが意外そうに呟くのに、違う違うと軽く手を振れば、一瞬周囲の空気が固まった。謎の固まりっぷりにこちらが逆にキョトンとしていると、凄まじい勢いで4人に詰め寄られた。あとついでに自分の世界に入ってたイズクや他のクラスメイトも何事かとちらほらとこっちを見た。またか。
「ウッソォ!?」
「去年の9月って、まだ日本に来て一年経ってないじゃんか!」
「それでその日本語ペラペラってマジかお前!」
「い、いや、その前から日本語は独学で学んでたし……日本に来たばっかりの頃とかはもう少し酷かったよ?だよね轟!」
視線でヘルプ!と自分の席に座って指名の紙を見ていた轟に助け船を求めると、突然話を振られ、少し目を丸くしていた彼は何かを思い出すような表情でああ、と頷いた。
「最初は同級生にもちょっと片言交じりの変な敬語だったしな……教科書通りの日本語みてぇな感じの。すぐに今みたいな感じになってったけどな」
「へぇ、そうなんだ」
だってお手本にしたのが行儀の厳しい人でしたもの。片言交じりの堅い口調だったのはブランクがあったのと、ビジネス関連でしか日本語を使う機会が無かったから、砕けた喋り方が苦手だったっていう理由だ。イントネーションが変だったのは……まぁ、外国人ですから。
一般常識から義務教育9年間分、あとスポンジの如く知識を吸収する私を面白がった一部の先生方によって、一部の学問については高校で学ぶ分、大学入試レベルまでの知識を授けてもらった。そしてその後に編入した中学の最初の一ヵ月で、見た目の年齢相応な“活きた日本語”を――ただしやっぱり性格の影響を受けて少し大人びた――身に付けたので、それらの違和感も雄英入学の時までにはほぼ駆逐されてしまったのだが。
「どんなヒーローから指名来てんだ?」
「ああ、うん。見ていいよ」
峰田の問いに、その声に特に下心も企みも感じなかった私はクリップ留めされた紙束を渡す。ミナや尾白くんも覗きこんでいるのを横目に、私はお茶子を振り仰いだ。
「お茶子はもう決めた?」
「うん!」
20件指名が来ていたはずのお茶子はもう決めたらしい。早いな、と思っていた私の耳に届いたその事務所に、イズクが驚いたような声を上げた。
「バトルヒーロー『ガンヘッド』の事務所!?ゴリッゴリの武闘派じゃん!麗日さんがそこに!?」
「うん、指名来てた!」
「てっきり13号先生のようなヒーロー目指してるのかと……」
イズクの言葉に私も頷く。USJで13号のファンだと言っていたし、お茶子の個性は災害救助向きだ。意外なチョイスに二人して驚いていると、お茶子は「最終的にはね!」と小さく笑った。
「こないだの爆豪くん戦で思ったんだ。強くなればそんだけ可能性が広がる!やりたい方だけ向いてても見聞狭まる!と!」
「なるほど……」
「まぁ、ヒーロー科に居る以上、強くて損は無いしね」
「うん!それより……さっきから気になってんだけど、震えてるね?」
シュッ、とさっきから脇を引き締めて突きの動きをしているお茶子の言う通り、授業が終わってからずっとプルプルしているイズクは、あぁ……と呟いた。
「コレ、空気イス」
「クーキィス!!まさか授業中ずっと!?そんな馬鹿な!」
「空気イスとか古くねーか?」
「何言ってるんだ!空気イスは筋肉の等尺性収縮を応用した、動けない状態でも手軽にできるトレーニングだよ!」
イズクの言う通り、若干イズクのお尻は椅子から浮いており、それに気付いたお茶子が驚きの声を上げた。私が渡したリストの束を返却しながら会話に混ざってきた峰田に、解説込みで反論するイズク。賑やかな会話が周囲で繰り広げられる中、若干前の席の爆豪が不穏な空気を垂れ流しているのを横目に、紙束を再び手にする。
「今のままじゃダメなんだ」
そう呟くイズクにも、何らかの心境の変化があったのだろう。出来ればそうであってほしい。
彼には、今の見ている人間に不安が残る自分の身を顧みないやり方は、続けてほしくないから。