人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

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どこまでも優しい断罪/dazzling

 放課後。

 

 

「わわ私が独特の姿勢で来た!!!」

「ひゃ」

 

 キィイイ、と床のリノリウムと何かが激しくこすれ合う音と、聞き間違えようのない恩人のバリトンを聞いて、何事かと帰り支度の途中だった私は顔を上げた。

 見れば、教室の前のドアで固まっているイズクの前に、何故か上体をほぼ直角に近いくらいまで前に倒し、顔は前に上げたまま、握り拳を胸に付けて両脇を締める、という謎の……本人も独特と言ってしまうくらい妙な姿勢でスライディングしてきたオールマイトが居た。若干残像が見えた。その体勢でぴったりドアの前で止まれるってすごいな。

 

「ど……どうしたんですか?そんなに慌てて……」

「ちょっとおいで」

 

 オールマイトだ、と声を上げるクラスメイト達に「そう、私だ」と軽く愛想を振ったオールマイトがイズクを伴って出ていく。少し考えて、オールマイトにメッセージを送っておく。「今日の夕飯は肉じゃがです」と。他人がこれを見たら、多分新婚夫婦か家族か何かと思うんだろうな、とかぼんやり思う。今日は週に何度かの、オールマイトがうちにご飯を食べにくる日だ。

 やけに焦っていたような雰囲気に何かあったのかと首を傾げつつも、それは後で家に来た時に聞けばいいかと思い直す。帰り支度を終えて鞄を閉めていると、星合、とすぐ隣に気配が立った。

 

 

 

 

 

 すぐ下を見下ろせば、ゆらゆらと揺れる形の良い頭がある。左右で色の違う髪の毛は見た目にも鮮やかだ。これで地毛なのだから、この世界はつくづく面白い――なにせ、元の世界にはこんな奇抜な髪の色はありふれてはいなかった。緑も紫も臙脂も、たとえ染めたって、こんなに肌の色と調和するきれいな色は出ないのだから。……いや、我らがリーダー、クラウスの燃えるような赤毛や、ザップの褐色の肌に映える月色の髪、偏執王アリギュラの乙女めいた精神を表すかのようなローズピンクの髪といった例外はあるが、それはそれだ。

 夕暮れ時、明かり取りの為に設けられた大窓から階段の踊り場から階下へと落ち、伸びゆく斜陽の色を写してオレンジを帯びて輝く白と赤。一歩下へと踏み出すごとに光が届かなくなってゆく薄闇に包まれた階下を背景にそれを捉えると、余計に色鮮やかだ。

 学生の誰もが待ち望む放課後だというのに、自身と目の前の少年以外の気配や声、人が立てる物音を、鋭敏な感覚をもってしてもあまり知覚できないのは、校内にまともに残っているのが他科より一限分授業の多いヒーロー科の生徒だけだからとはいえ、少々奇妙な気もする。こう、一歩、一段歩を進めるごとに奈落へと堕ちていくような――。

 

「――星合?」

 

 数段分、階段を先に降りていた轟が訝しげにこちらを振り返る。不意に黙り込んで踊り場に立ち竦んだままの私を見上げる視線に、誤魔化すように微笑みを浮かべた。Sorry、と口先だけの謝罪を唇から半ば反射的に零れ落ちさせながら、開いた数歩分の段差を足早に駆け下りる。

 足取りは軽く、きちんと段差の一つ一つを踏みしめているというのに、そこに足音はない。影は二つ分薄闇に重なっているのに、足音は重なるどころか不協和音すら奏でない。耳の貝殻の裏、遠くで誰かの足音と会話する声を捉えて、脳内から音を追い出していたのは自分だったかと苦笑し、再び思考の海に意識が浸る前に切り替える。

 生徒用の玄関に下り、内履きから通学用の革靴に足を入れていると、不意に耳の後ろ辺りに何かが触れる感覚に一瞬、動きを止めた。

 

「えーと?轟サン?」

 

 取り合えず内履きを下駄箱に仕舞い、靴を履き替えてもなお、伸ばされた指先は離れる気配を見せずに耳の縁をなぞり、短くなったブルネット、切り詰めたことによって癖の強くなったそれをさらっていた。……いつになく積極的なことで。ぽつり、声に出すことも、くちびるを動かすことも無く胸中だけにその呟きをとどめる。

 

 外国人の性ゆえか、生きてきた文化圏の違いか。日本に来てからというもの、事あるごとにスキンシップが激しいと周囲から言われるようになったものだが、かつてそれを言った一人が今やこうして彼我の距離を詰めて、戯れのようにふれている事実が少しばかり可笑しい。恐らく対して意識せずに行っているのだろう。猫を撫でながら考え事をしているようなものだ。欧州ならいざ知らず、……いや、どう考えても欧州でもアウトだろうが、他人に積極的に触れる習慣のない奥ゆかしい性質の日本人であるならば、こういった癖は控えるべきだろうとも思う。

 クールだなんだの言われているが、その実態は長年の父親への復讐心のせいで視野狭窄に陥ったがための他人に対する無関心と、近年まれに見る純粋培養(素直さ)だ。後者は捻じ曲がる前からあった本来の彼の性質だろう。飯田くんやモモとは違った方向性で真面目で懸命で、それがゆえに視界を狭めていただけで。視野狭窄に気付いた今、目を醒ました彼が本来の素直さを取り戻していけば、将来、彼の意図しない所で勘違いする女性は幾らでも出るだろう。それに煩わされ要らぬ苦労をする姿を見るのは、心が痛む。

 

 自分の精神が見た目相応に青ければ、憂いに沈んだ美形を至近距離で見て、どきりと多少心臓を動かされたかもしれない。しかし残念ながら中身は10歳年上の身だ。つい妹弟子たちの姿を重ね合わせるようにして、姉のような視点で見てしまうことがある現状で、勘違いなどするはずもなかった。循環に意識を集中させずとも、四肢を巡る血潮は平静のリズムのまま、心臓から流れ続けている。顔色も当然変わりようもない。

 

 少々目を細めて髪の毛を弄っている轟の表情は、いつもの無表情より少し憂いているようにも見えた。

 

「まだ気にしてる?」

「……そりゃ、な」

 

 歯切れの悪い返答は隠し切れない罪悪感をはらんでいて、別に構わないのにと今日何度目か分からない感想が頭に浮かぶが、それを伝えたとしてもきっと轟は納得してくれないだろう。妙なところで律儀というか、頑固だからなぁ。きっとここまで気にして思い詰めているのは、先日の体育祭のこともあるのだろう。髪を燃やした負い目だけではない、轟自身がどうしても割り切れず譲れない部分が。

 くすぐったいからやめなさい、と止めないといつまでも短くなった髪を際限なく触ってきそうな友人の手を引きはがす。微妙にしゅんとしても無駄だぞ。分かりにくい表情の変化を手に取るように分かるようになってしまった私も私だが、何だか轟は激しいデジャウを感じるというか、妙に読みやすいというか。

 とりあえず髪の話題を引きずってもしょうがないので、朝から気になっていた話題にすり替えることにした。

 

「で、轟。お母さんのお見舞いはどうだった?」

 

 少々強引な話題変換だったが、轟には効果抜群だった。はたりと音がしそうなほど、色違いの二つのビー玉のような瞳を縁取る睫毛がさざめく。

 こうして間近で見ると、本当にきれいな顔をしている。

 戦闘訓練で同じ言葉で褒めたのは、何も揶揄などではない。顔に傷のある人物など見慣れていたし、我が義兄など、頬に走る傷すらアクセサリーにしてしまう色男である。左目に火傷の痕があろうと、綺麗なものはきれいなのだ。存在としてなら、私の方がよほど醜いのだから。

 そっと後ろ手で腰に触れて、背中に無数に刻まれた傷痕を思う。幾度となく合わせ鏡の中で見つめてきた、悪夢の具現を。整形で消すことも無く残したままの、地獄の爪痕(なごり)を。

 

 視線が絡んだのはほんの数秒。引き剥がされた指先と共に、色違いの視線がゆるゆると足元に落ちる。この場に留まるのは後から来る人の邪魔になると、沈黙した轟の腕をゆるく引き、光の落ちる玄関口へと歩みを促す。そうして、ようやく私たちは帰路に着くのだった。

 

 

 

 

 

 雨は既に上がっていた。

 

「……生まれてきてくれて、ありがとうって」

 

 ぽつりと轟が話し出したのは、雄英ゲートを潜って少し歩いた辺り、周囲の生徒の気配がぐっと少なくなった頃合だった。

 異世界から落ちてきて、雄英に入学する以前。まだ名乗る名前をクリスティアナしか持たなかった頃から、幾度となく辿った道だ。ここしばらく轟とは疎遠な登下校だったので、少しばかりの懐かしさを感じつつも、普段よりもゆっくりとした足取りで坂道を下ってゆく。

 

「否定されんのが怖くて……ずっと見舞いにも行けなかったのに。顔を合わせたら真っ先に、名前呼んで、抱き締めてくれた」

 

 ぽつりぽつりと、震えを帯びた声が雨のように、途切れながらも静かに落ちていく。朝方から昼過ぎまでずっと降り続いていた雨でしとどに濡れた道路を、灰色の雲間から伸びるオレンジの光が照らして、ひかりを煌かせている。

 記憶を再生するようにぽつぽつと、とりとめも無く喋る轟に、私は時折静かに相槌を打つだけだ。言葉は挟まない。素直な言葉を阻害してしまえば、轟の思考がぐちゃぐちゃに乱れるのが目に見えているからだ。革靴が浅い水たまりを踏んで、明るい空を写す水鏡を揺らがせる。波紋がうまれる。

 

「俺の目を見て、笑って赦してくれたのが……すげぇ、うれしかった……」

 

 ひとは、感極まった時、言葉を失くす。

 どんなに雄弁に言葉を尽くした美麗な詩で語ろうとも、万感を尽くしたたった一言には、敵わない。

 

 細く長い溜め息の後に吐露された、幼子のような想い。純粋な感情の発露。

 それを聞いた私もまた、軽く目を伏せてふわりと笑った。水分を含んだ声を聞いて、まじまじと顔を見るほど野暮なものはないからだ。代わりにぽんと、やわらかく背中を叩く。良かったねと、元気づけるように。

 

 

「よかった」

 

 

 あれほど頑なだった、轟の心を覆っていた分厚い氷が少しずつ融けつつあることが、私は何よりも嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 坂道を下りきる頃、轟の精神も普段の安定を取り戻しつつあった。

 お互いに泣いて謝って、驚くほどあっさりと笑って赦してくれた轟のお母さんは、轟が何にも囚われずに突き進むことが、幸せであり救いになると、そう轟に語ったそうだ。

 そしてあの日、轟のお母さんが涙をはらはらと零しながらも私に吐露した、「生まれてきてくれてありがとう」は、きちんと轟へと伝えられたのだという。そのことに安堵して、同時に少しばかり羨ましいと――僻む感情はそっと奥底にしまっておく。もし目の前に親が現れたとしても、今更、出てこられて同じような事を言われたって、絶対に嬉しいとは思わないのに。矛盾した自分の感情には溜息しか出ない。ない物ねだりだし、どうしようもないというのに。

 そっと口の中でくちびるに歯を軽く立てて、顔は平静を保ったまま、轟と二人無言で道を歩く。奇妙な沈黙に満ち満ちてはいても、不思議と気まずさはなかった。それは雨上がりの空気が良く澄んでいたからのようにも、轟の中の重たく暗いものが本当に払拭されたからのようにも、黒と翠の一揃いがつやつやと輝いてまっすぐに前を見つめていたからのようにも思えた。濁りのない静かな面持ちは、体育祭前の彼が一度として見せたことの無い表情だった。

 

 

 そんな彼がふと足を止めたのは、毎日利用している駅も目前のことだった。あまりに急だったものだから、数歩分先に歩みを進めてしまったのを慌てて止めて振り返った。

 

「轟?」

「悪い、寄り道してもいいか」

 

 予想外の提案に、ぱちぱちと瞬きを繰り返してしまった。一瞬表情を取り繕うのも忘れた私の顔は、今恐らくさぞ愉快なものになっているだろう。そんなことを考えながら、轟が指差した先――駅前のショッピングモールを見た。

 

 若者から家族向けまで幅広い客層を持つそこは、雄英最寄り駅の目の前とあって、雄英生の寄り道スポットとして人気だ。だが、轟と二人で帰る時に立ち寄ることはほとんど無く、たまに自宅近くの駅から近い本屋や文具店に足を運ぶくらいに留まっている。お茶子や飯田くん達と帰る日や、一人で下校する時に立ち寄ったりはするが、轟がショッピングモールに行こうと言い出す日がくるとは。いや、高校生なのだから立ち寄っても不思議ではないのだが、轟とショッピングモール……うーん、轟の性格を知ってるとあんまりそぐわないというか、興味を示しそうにないのに。心の余裕が生まれてきたと思えば、意外の一言で済むけれど。

 通りの先にある高いビルから視線を轟へと戻しつつ、数歩分開いた距離を詰めた。

 

「いいけど、珍しいね。轟が寄り道しようだなんて。本屋?」

 

 もしやいつもの本屋に欲しい本が売ってなくて、デパートの本屋に無いか探しに来たのかと辺りを付けて尋ねてみたのだが、あっさりと首を横に振られた。

 

「いや、別のところだ」

 

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