始業5分前、C組のシンとは途中で別れ、私はなんとかチャイムが鳴る前に1-Aと書かれた教室の前に辿り着くことが出来た。流石に初日遅刻は印象が悪すぎるので、なんとか回避できてよかった。
ほっと胸を撫で下ろしながら教室に足を踏み入れようとしたら、扉のすぐ前にショートカットの小柄な女の子と、見知った顔が立っていた。何故か知り合いのほうは真っ赤な顔を腕で隠すように変なポーズをして悶えているけど、大丈夫だろうか。
二人に進路を塞がれているので教室に入れないな、と思っていると、視線を泳がせていた知り合い――オールマイトの愛弟子、緑谷出久とバチリと目が合った。とたん、ぱぁっと顔を輝かせる様は子犬じみている。
「あっ!貴方は……」
「あ、ゴメンね、邪魔だっ……えええっ、が、外人さん!?なんで!?」
……イズクの反応で、自分の後ろに新しい生徒が来たと気付いたのだろう。私に背を向けていた形だった女の子が振り返りざま声高に叫んだことによって、ただでさえちらほらと向けられていた教室の視線が一斉にこっちに向かってくる。そのどれもが驚愕に染まっているのにそっと目を細めた私は、女の子とイズクににっこりと微笑んでみせた。
「
「ほぇっ!?え、えぇえ、何語……!?え、英語とちゃうよね……!?」
本国で気軽に話していたように、親しみやすさを前面に押し出して話しかけると、案の定スペイン語が分からなかったのだろう。あわあわと視線を彷徨わせて女の子は軽いパニックに陥っていた。
というか、私が日本語を喋れると知っているはずのイズクまで一緒にパニックに陥っているのはなんでだ。そこはカッコよく指摘すべきだろうに。
いくら日本最高峰の雄英のヒーロー科に合格できる偏差値75の秀才集団といえど、やはり第二外国語の英語でもない、スペイン語を理解できる人物は居なかったらしい。……まぁネイティブのスピードで喋った上、しかも巻き舌が強いのがスペイン語だ。耳慣れない言語であることも手伝って、余計聞き取れないだろう。案の定、全員訳が分からないという顔で成り行きをじっと見守っている。
と、生徒の集団の中に見覚えのあるツートーン頭があり、「なにやってんだ」と批判的な目を向けてくるのに気付いて内心で苦笑した。あの目はさっさとやめろ、と言ったところだろうか。うん、ちょっと浮かれすぎた自覚はある。虐めるつもりは毛頭なかったので、後で禍根を残さないよう早めに誤解を解かなければ。
慌てすぎてちょっと涙目のその子の頭にぽんと手を置いた私は、蘇芳色の瞳をたわませた。くす、と笑みが自然と零れる。
「ごめんなさい、ちょっとからかいすぎたかな」
「……!!!????に、日本語……!」
「うん。外人さん、っていいリアクションだったから、期待に応えようと思ったんだけど……そんなに慌てると思わなくて」
くすくすと小さく笑いながらそういうと、ぽかんとしていた女の子は、心底ほっとしたように肩を落とした。
「はぁ~~~~~……ビックリしたぁ、なんでヒーロー科に外人さんがおるんやろってめっちゃパニックになってもた……でもすごいねぇ、日本語ペラペラ!」
「うーん、でも独学だったからね……日本の常識とか文化は全然なんだ、文法とかもちょっと危うい」
「独学なの!?独学でそれだけ喋れたら十分凄いと思うよ!?」
ぎょっとするイズクの言葉に、うんうんと頷く女の子とクラスメイトたち。……といっても、他にも6か国語ほど必要に迫られて独学で習得しているし、クラウスやスティーブンがなまじ頭が良かったせいか、あの二人を比較対象に置くと、どうしても私の頭の回転率というのは見劣りしてしまって、イマイチその凄さというのがよく分からない。
首の後ろに手を当てて苦笑いしていると、不意に背後に気配を感じた――何故か下から。
「お友達ごっこしたいなら他所へ行け」
振り返れば――何故か寝袋にくるまったままの相澤先生が廊下にのっぺりと横たわっていた。いつの間にかチャイムは鳴っていたらしい。
……角度的に下手するとセクハラだと思うのだが、あまりのインパクトに誰も指摘しない。私も女の子もタイツを履いているとはいえ、寝ころんだままの登場ってどういうことなの。
「ここは……ヒーロー科だぞ」
おもむろに寝袋からゼリー飲料を取り出し、一瞬で吸い込んでしまう奇行をしつつ、もそもそと寝袋にくるまったまま立ち上がる姿にクラス全体が茫然とする中、私は呆れつつも立ち上がる手伝いをする。
立ち上がった先生は寝袋から出ながら喋りはじめた。
「ハイ、静かになるまで8秒かかりました。時間は有限、君たちは合理性に欠くね」
先生!?とクラス全員の心の声が聞こえそうだなぁと苦笑しながら、寝袋で廊下に転がったままの登場の仕方は合理的なのだろうかと無駄なことを考える。バレたら怒られそうなので、表情は無表情で固定するが。
「担任の相澤消太だ、よろしくね」
フレンドリーなのか、ただ面倒なだけなのか……投げやりにも聞こえるこの調子がある意味通常運転なのだが、正直その風体から担任だと予想できた生徒は少ないだろう。私もこの姿を見る限り、少なくともプロヒーローだとは間違っても思わない。
「早速だが、
おもむろに相澤先生が寝袋から取り出したのは、群青の指定の体操服。ちょっと日本らしくないユニークなデザインだと思う。
クラスが困惑に包まれながらも更衣室に向かっていく中、私も自分のサイズの体操服を手に教室を出ようとすると、先程の女の子がたったかと走り寄ってきた。ふざけすぎて嫌われたかと思っていたのだが、どうやら表情を見る限り杞憂だったらしい。
「あの、一緒にいこ!私、麗日お茶子っていいます!」
「あ、さっきはごめんね。私は星合千晶です。お茶子って呼んでいい?ちゃん付けの習慣が無いから、呼び捨てが嬉しいんだけど」
「もちろんいいよー!私も千晶ちゃんって呼ぶね。っていうか、名前はまんま日本人なんやね!?」
「うん、外国名は他にあるんだけど……ちょっと個人的な事情でね、保護者の人が付けてくれた名前を使ってる」
「??でもええ名前やね」
「ありがとう。私も気に入ってる」
その後、向かった更衣室で他の女子陣とも自己紹介をし合った。女子が三人以上寄ればおしゃべりが始まるのはどの国も共通らしい。皆フレンドリーで、これから上手くやっていけそうでほっとする。
ただ、着替えの際に左半身に入った赤い入れ墨と、全身の尋常じゃない切り傷や打撲痕、火傷の痕を見せてしまったのは申し訳なかった。女子の中では二番目に背が高く(一番は八百万百……モモだ。といっても、3センチ差だけど)、外人ということで注目を浴びていただけに、全員バッチリ目撃されて女子更衣室が途端にシン……ッとしてしまったのはなんだかいたたまれなかった。
だって全員(トオルは透明人間だから表情は分からないけど)ガン見した後に、申し訳なさそうな顔で視線を彷徨わせたり、心配そうな顔をするものだから、なんだかこちらが申し訳なくなるほどだった。入れ墨はともかく、身体は「実験施設から助け出されて間もない頃」に退行しているので、痛みはほとんどないのだが、どれもこれもが生々しいのだ。足は足で凍傷の痕があるしで、正直見て気分のいいものではない。
中学も似たような反応されたな、とそれのせいで興味本位の子は離れていった苦いエピソードを思い出していた私に、恐る恐るといった風に、けれど心配そうな顔でお茶子が「痛くないん?」とそっと傷のない左前腕に触れてくるものだから、私はぽかん、としてからうん、と安心させるように笑った。
モモやキョウカは児童虐待じゃ、と憤ってくれたが、そもそもこの傷の多くを作ったのは親ではなく、同じ組織の研究者であり、
そして、体操服に着替えてグラウンドに出た私たちを待ち受けていたのは――
「個性把握……テストォ!?」
「入学式は!?ガイダンスは!?」
「ヒーローになるならそんな悠長な行事出る時間ないよ」
「……!?」
初日の挨拶もそこそこに、いきなり授業だと予想していた生徒は流石にいないだろう。
お茶子の言葉にしれっと答えた相澤先生は、なおも言葉を続ける。
「雄英は“自由”な校風が売り文句。そしてそれは“先生側”もまた然り」
「……?」
困惑ムードが流れる中、私はくるくると足首を回し、新品の運動靴の感触を確かめていた。
内履き同様、この靴にも出血針が仕込まれている。戦闘に必要なコスチュームを用意してくれるシステム「被服控除」の一環で、学校で使用する靴すべてにエスメラルダ式血凍道に必要不可欠なギミックを着けてもらったのだ。サポート会社の中にヒーローの靴を多く承るブランド会社があるらしく、針と出血した血液を外に放出するギミックは無事再現してもらえたのだが、やはり本家の精緻で高尚なそれと比べると、やや機能とデザイン性で見劣りする。……異世界で、ここまで再現できただけ凄いとは思うのだが。
鈍く銀に光る、靴底に仕込まれたロザリオを一瞥し、顔を前に戻すと、相澤先生は個性把握テストの概要を喋っていた。
「ソフトボール投げ、立ち幅跳び、50m走、持久走、握力、反復横飛び、上体起こし、長座体前屈。中学の頃からやってるだろ?個性禁止の体力テスト。国は未だ画一的な記録を取って平均を作り続けてる、合理的じゃない。まぁ文部科学省の怠慢だよ」
相澤先生は全員分かる想定で話を続け、爆豪という生徒にデモンストレーションを頼んでいるのだが、私は一人首を傾げた。えーと、正直言われただけじゃ理解できない単語のほうが多かったんだけども。音声だけだと、たまに頭の中で漢字に変換できないのだ。
日本語は一つの文字が音素、つまり発音を表す表音文字のひらがなカタカナと、文字自体が意味を表す表意文字の漢字が組み合わさった複雑な言語だ。だから日本語を聞き取り、音声を頭の中で日本語の文章に直して意味を考えながら英訳する、という思考プロセスをしているので、たまに分からない日本語が出てくることも多いのである。
「……体力テスト、って?」
「……そういや、お前やったことねえんだっけか」
「4か月しか中学通わなかったからね」
思わず隣に立っていた轟に尋ねると、一瞬怪訝そうな表情をしてから、すぐに納得顔に表情を変えた。受験シーズンの転校だったので、出席した体育の授業も数える程度だ。バスケとかバトミントンといったものばかりで、正直どんなことをするのか予想もつかない。
「……まぁ、他の奴がやってるのを見て、真似すればいいだろ。見てりゃなんとなく分かる。本気で分からないなら教えてやるから」
「頼りにシテマス」
ちなみにこの会話、爆豪という生徒が個性を使って盛大にボールを打ち上げて700mもの記録を叩き出し、クラスが湧く中でのやりとりだ。ローテンションというか、マイペースここに極まれりである。
「まず自分の『最大限』を知る……それがヒーローの素地を形成する合理的手段」
「なんだこれ!すげー面白そう!」
「705mってマジかよ」
「個性思いっきり使えるんだ!流石ヒーロー科!」
と、クラス中が興奮に湧く中、不意に相澤先生が纏う雰囲気を変えた。……あ、スイッチ入った。
「……面白そう……か。ヒーローになる為の三年間、そんな腹積もりで過ごす気でいるのかい?」
急に草臥れた佇まいから一転、独特の威圧を放った先生に、クラスメイトのお喋りがピタッと止んだ。
「よし、トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し 除籍処分としよう」
『はぁああああ!!??』
「生徒の如何は
その後、まぁ当然の如く不平不満が上がったのだが、それにたじろぐ相澤先生ではない。むしろ挑発するような文言で焚きつけてくるあたり、楽しんでいる感バリバリだ。
「……どう思う?」
「んー、見込み無しと判断したら、あの人は容赦なく切り捨てると思う。それこそ、最下位だろうが何位だろうが……ヒーローの素質が無い子どもを育てようとするほど、甘い人じゃない」
「お前もそう思うか……まぁ、俺達には関係ねぇ話だな」
「まぁね」
簡単な話である、自分のベストを尽くすだけだ。