「コスチューム持ったな。本来なら公共の場じゃ着用厳禁の身だ、落としたりするなよ」
「はーい!」
「伸ばすな。『はい』だ芦戸」
体育祭から一週間後、私たちA組は学校ではなく雄英最寄りの駅構内に集合していた。職場体験当日である。
「くれぐれも失礼のないように!じゃあ行け」
全員居ることを確認した相澤先生が端的に注意事項を述べた後すぐ解散を言い渡すと、めいめいにクラスメイト達が動き出す。一週間の職場体験ともあって、荷物もかさばる。トランクやリュックサックなどの鞄に加え、
「楽しみだなあ!」とトオルが見えない手で握り拳を作り、「おまえ九州か、逆だ」と切島くんと常闇くんが会話する傍に立っていた私は、無言で背を向け新幹線行きの改札口に向かおうとする飯田くんに目を留めた。
数日前の私の懸念は、日を経るごとに増していた。
人気ヒーロー・インゲニウムが襲われた事件は、全国ニュースで大きく取り上げられた。犯人は未だ逃走中。神出鬼没で過去17人ものヒーローを殺害し、23名ものヒーローを再起不能に陥れた、“
体育祭の後、飯田くんから明るい笑顔は日に日に消え、口数は減り、ふとした瞬間、親の仇を見るような、鋭く、昏い眼差しで虚空をじっと見つめていることが多くなった。あえてそれを私たちが指摘したり、お兄さんのヒーロー生命の安否を尋ねたりすることはせず、じっと話してくれるのを待ったものの……結局、彼の口からは何も語られなかった。
……いや、正確には何も語られなかったわけではない。
一度だけ。一度きりだけ、飯田くんは尋ねてきた。
――星合くんの“個性”で、歩けなくなった人の神経を縫合することは、可能なのだろうか。
イズクもお茶子も不在で、二人きりになった時のタイミングでぽつりと問われた時、一瞬聞かれた意味を掴み損ねた。あまりにも突拍子もない話題。前後の説明もなく、本当に端的な問い。けれど、それがインゲニウムの脚がもはや再起不能か、ヒーロー活動が出来ないレベルに損傷しているのではと予想させるには、十分だった。
神経縫合など、たとえこの世界の技術力でも、医療に特化した個性でもなかなか治療できない神業だと、賢い飯田くんならば言われずとも分かっているはずだ。それなのに私へ一縷の望みを賭けたのは、体育祭で私がイズクに対し血法を使って粉々になった骨の破片を取り出す“手術”をしていたのを見たからだろう。私であれば、あるいは、と思わせてしまった。
……けれど、私は彼が望む答えをあげることはできなかった。
――飯田くんのお兄さんにそれを施すことは、今は無理だ。
出来ないと技術に依る不可能を告げるのではなく、
無理だと、行為そのものを不可能だと断じた。
“
この技を他人に使おうなんて考えたのは、こちらの世界に来てからだ。ヘルサレムズ・ロットでは自分の生存が第一で、あの街で敵対する連中はろくでもない輩ばかり。全ては自業自得――助けるという発想すら起きなかった。
だが、世界を跨いで周囲の文化が変わり、取り巻く環境が変われば、自然と意識も変わる。
世界ではなく他人を、隣人を救うという環境。こちらでは奪うことで世界を守るのではなく、一つでも手を伸ばせる範囲の、誰かの命を守れればいいと思えたからこその発想。世界と同朋のためなら友すら殺せる人でなしが、幾度となく冷血女と怨嗟を浴びた自分が、不特定多数の見知らぬ誰かの命を気にかける。あまりに滑稽なその変化を、リカバリーガールは良しとした。間違いなく治癒に関しては国内最高峰に入る個性と技術を持つかの女史は、真実とは少し違うが、大筋は合っている私の過去を知ってなお、医術を学びたいと言った私に笑顔で頷いた。
けれど、他人の身体の修復を行うのは生易しいことではない。
自分自身に行う分には、どんな結果になろうが果たすべき責任は発生せず、自己責任で済む。しかも私は自分の血流を把握し、損傷した組織の周囲の構造を明確に把握できる
だが、他人に対してそうはいかない。知識も技術も経験も、何もかも足りない。医師の資格さえないというのに、この世界の医師ですら難しい神経の損傷の治療など、医者でもない、少々医学を齧っただけの素人が簡単に手を出していい領域ではない。許されるはずもない。
もしも、雄英を卒業した後も、この命がこの世界に留まっていたのなら。一つの可能性として、医大へ進み、医師免許と医療行為における個性使用許可資格を得た後なら、私はすぐさま頷いたことだろう。けれど、その頃には使われなくなった脚の筋肉は衰え、インゲニウムの年齢から見ても、全盛期と言ってもいい今の能力を、地位を、足の疾さを――飯田くんが憧れたインゲニウムというヒーローを取り戻すことは不可能だ。その頃にはもう、何もかもが遅すぎる。
わたしに、ヒーロー・インゲニウムを救うことはできない。
さらに彼を失意に落とすと分かっていても、いつ切れるか分からない細い糸のような一縷の希望にすがらせる方がよほど残酷だと思っての言葉を、突き付けた。
飯田くんの体験先の事務所があるのは、インゲニウムの事務所があった街、保須。活動休止状態のインゲニウム事務所からほど近い場所にある事務所を希望したと聞いている。……心配しないはずがない。
彼に物言いたげな視線を送っていたのはなにも私だけではない。近くにいたイズクやお茶子、そして轟もだった。轟も、というのが少々意外ではあるが、きっと彼なりに思うところがあるのだろう。
少し眉を下げたイズクが飯田くんを呼び止め、数秒言い澱んだ後にそろりと口を開いた。
「……本当にどうしようもなくなったら、言ってね。友だちだろ」
そんなイズクの隣では眉を下げ、張り詰めた表情ながら飯田くんから目をそらさずにコクコクと頷くお茶子。そんな彼らを振り向いた飯田くんは、困ったような薄い笑みを浮かべた。
「ああ」
それは、表情と内心が食い違っているような、暗い陰の差す苦笑いだった。
その表情には、眼差しには、良く見覚えがあった。ついこの前まで、隣にいる友人がしていた目。そして、叛意を指摘され、敵意をむき出しにしながら地面を這いつくばった、友や仲間だった者たちが向けてきた目だった。
差し伸べられる手を拒む目。心配の声も、今の彼にはすり抜けて響かない。声を認識しても、その意味を脳味噌が解して噛み砕こうとしない。感情を揺らすほどの重さが残らない。独り抱え込んで、暴走した義務感と天を衝くような復讐心だけが、ごうごうと燃えている。
イズクの言葉に、彼が応えることは無いのだろう。――少なくとも、焦がすほどの激情が燃え尽きるか、鎮火なりするまでは。そんな予感があった。
予感が当たらないでほしいと思いながらも、どこかで現実になるだろうと諦念してしまうのは、数パーセントの儚い奇跡を望むには希望的観測が過ぎると思ってしまうのは、きっと心が歳を取り過ぎたせいだ。どうしても相澤先生たちと似たような視点になってしまう。やだなぁ、一応まだ25歳なんですけど。脳の隅っこで茶化すように
再び踵を返し、決然とした足取りで改札口へ消えていく強張った背中を見送った後、私と轟はお互いに顔を見合わせた。
「さて、私たちも出発しますか」
「おう」
全国に散らばるクラスメイト達の中で、一番移動距離が少ないのは間違いなく私たちだろう。新幹線、あるいは特急列車に乗り込む生徒とは別方向に足を向けた。普段から利用している改札、つまり県内を網羅する普通列車が停まるホームへ続く改札を通り抜ける。普段と違うのは、戦闘服入りのアタッシュケースぐらいのものだ。
「しかし、まさか轟も同じところを選ぶとはねぇ」
「……体育祭で目が覚めたからな……というか、星合の方こそ、他にも有名事務所から指名来てただろ」
何で、を省略した問いかけに、小さく首をひねった。まぁ、色々理由はあるのだが、その多くが彼に告げるにはちょっと憚られる内容のものばかりだったもので。
僅かな逡巡の後に言葉にしたのは、一番当たり障りのない理由だった。
「うーん……No.2にして事件解決数ナンバーワンの事務所システムを学びに?」
「俺もそんなとこだ」
「動機はともかく、功績だけ見ると凄まじいものがあるよね、本人の性格差し引いても見学する価値があるくらい」
「腐ってても、2位を守り続けてるからな……認めたくはねぇけど」
「仕事だけは出来る人っているからねぇ」
他愛のない会話を続けながら、緩やかにホームに滑り込んできた目的地方面に向かう電車に乗り込む。
窓から見えた空は少し灰色がかっていて、せめて何もありませんようにと、胸をちらつく不安を押し殺すように祈った。
体験先は驚いた方、ある程度予想通りの方それぞれでしょうが、エンデヴァー事務所に行くのは体育祭編前から決まっていました。
というか、ステイン戦を書こうとすると、轟贔屓とかそれ以前の問題で行き先が物凄く限定されてしまうんですよね。飯田くんが行った先のマニュアル事務所も緑谷の行った先のグラントリノも、どっちも強いて秘書嬢が行こうとする理由もなければそれらしい建前もないという。微妙にグラントリノが秘書嬢に目を付ける可能性も無くはないですが、オールマイトと長い間連絡を取り合っていなかったようなので、秘書嬢とオールマイトの関係を知らない彼がわざわざ指名してくることも無いだろうと。
書きたいから等の理由ではなく、まさかの「3つの中でまだ一番ありえそうだから」という理由でエンデヴァー事務所を選択。能力的にはエッジショットやベストジーニストの方がよほど選びそうなところなのですが、それを選ばなかった理由はまた次回で。
ちなみにエンデヴァー事務所にまつわることは安定の捏造設定で補完しています。
そもそも基準となる出発点の雄英の所在地が謎なんですが、緑谷・爆豪・轟の出身地が公式で「静岡県あたり」になっていて全員恐らく電車通学(何故かこの三人だけ曖昧な記述なのが気になる)&10巻の梅雨ちゃんの番外を見る限り、弟妹の世話があるので愛知出身の彼女も自宅から通学していると予想されます。その他にも東京出身の飯田くんやら色んな県から来てる子がいるので、ライブラ秘書嬢シリーズにおける雄英は静岡辺りの設定です。
さらに駅での出発シーンで皆結構大荷物なのに轟が荷物が多そうに見えなかったことと、事件解決数No1なら事務所に詰めてる時間が長そうなので実家とエンデヴァー事務所がそこまで遠くないor同じ県内なのかなーと考え、エンデヴァー事務所も同じ県内設定です。「市に連絡しろ」という台詞があったので少なくとも東京ではないはず。
飯田くんも1週間遠出するとは思えない荷物の少なさ。彼は実家が東京で実習先が西東京なので、実家に帰るor先に送ってるかなと。