「3対1か……甘くは、ないな」
突如雰囲気の変わったヒーロー殺し。それまであった余裕を捨てた剣呑な表情に、こめかみから一筋、汗が垂れ落ちる。
先手必勝とばかりに、緑谷が一気にヒーロー殺しに踏み込んだ。緑谷を援護すべく、俺の隣に居た星合が、USJでチンピラを一掃した、触れたら氷結する水の矢を放ってヒーロー殺しの退路を絞らせる。
この狭い路地裏で、同じくヒーロー殺しの動きを制限すべく放っている俺の炎を避け、斬られまいと息つく間もなく素早く動き回る緑谷に当てずに、正確にヒーロー殺しの着地する瞬間や宙に飛んだ瞬間
そんな中、ちらりと後ろを顧みる。何もないただの路地裏が広がっているように見えるが、星合の個性で巧妙に隠されている飯田の、見えなくなる寸前の顔を、声を思いだす。品行方正、規律を重んじる普段の飯田からは考えられない、憎しみに染まりきった顔。
……兄貴がやられてからの
恨みつらみで動く人間の顔なら、良く知っていたから。
今の飯田は、少し前まで俺が毎日鏡で見ていた、自分の表情と同じだった。
……そして、そういう顔をした人間の視野が、どれだけ狭まってしまうのかも知っていた。
――視野が狭まっていることすら、自分では気づけないことも。
十数年ぶりに再会したばかりの、母の顔が脳裏によぎる。俺が何にも囚われずに突き進むことが、幸せであり救いになると言ってくれた。
その一言が無かったら、もし以前のままの俺だったら、職場体験で親父の事務所を選ぶなんてことは絶対に無かった。……赦したわけじゃないし、赦す気もない。俺がエンデヴァー事務所を行き先に選んだのは、奴が№2と言われている事実をこの眼と身体で体験し、受け入れる為だった。俺がヒーローになる為に、必要な一歩として。
――前例通りなら保須に再びヒーロー殺しが現れる。しばし保須に出張し活動する!市に連絡しろォ!
……どれだけクズでも、№2と言われるだけの判断力と勘の良さは認めざるを得なかった。
簡単なことだったんだ、全部!簡単なことなのに、見えてなかった。親父の思い通りにならない事だけに囚われて、事実から目を逸らしていた。
この炎がクソ親父から受け継いだものだとしても、今操っている炎は俺の
そして――いつの間にか、なりたいものすら忘れて、大事なものを取りこぼしかけていた。
――君の力じゃないか!
――今、君の目の前にいるのは、私だ
涙に滲んだ、それでもなお、ぎくりとしてしまいそうなほどに真っ直ぐで強い眼光が、声と一緒にリフレインする。
たった一言、その一言で、取り返しがつかなくなる前に気付くことができた。
雨あられと降り注ぐ矢を時折被弾しつつも掻い潜り、身体の所々を凍らされているにも関わらず、動きが鈍るどころか数段キレが増したヒーロー殺しの日本刀が緑谷の足を切り裂いた。氷で防御や援護する暇も与えないような速さに、ぎりりと歯を食いしばる。
「止めてくれ……もう……僕は……」
背後から聞こえた、懇願するような飯田の声に、反射的に叫んでいた。
「やめて欲しけりゃ、立て!!!!」
俺へと迫るヒーロー殺しが、刀に付着した緑谷の血を舐め取る。動きを再び封じられた緑谷が謝る声をどこか遠く聞きながら、咄嗟に張った氷の壁があっさりと切り崩されていくのが、スローモーションのように細切れになって目に映る。にたりと笑うヒーロー殺し。ひたひたと、死ぬんじゃねえかという他人事めいた思考が忍び寄ってくる。
それでも、これだけは言うべきだと思った。
目が曇って、大事な事さえ見失っていた俺が、今のお前に言える一言――
「なりてえもん、ちゃんと見ろ!!!!」
どこかで、鼻を啜る水音が聞こえた気がした。
――インゲニウム、お前を倒すヒーローの名だ
飯田天哉は地面に伏したまま、顔を歪めて泣いていた。
なにがヒーローだ。
なにが、名前を継いだだ。
友に守られて、血を流させて!今の自分は、ちっとも自分の尊敬する
心の中で血反吐を吐くような想いで、辛うじて動く目で今も戦う友人たちを見る。自分の勝手な行動で、無関係だったはずの3人を巻き込んだ。
――まずあいつを救けろよ
罪を思い知らせんがために兄の名前を使った。緑谷たちが到着する前にヒーロー殺しが指摘してきた通り……名乗りを上げてヒーロー殺しに蹴りかかった時、壁に押さえつけられていたヒーローのことなど、頭から抜け落ちていた。ましてや、救うなんて考えさえ浮かばず、ただただ目の前の憎い相手だけしか、見えていなかった。
――周囲からは一直線すぎて柔軟性に欠けるとよく言われるのだが……
――ああ……でも、視野狭窄はある程度訓練で克服できるんだよ。なんなら、後で教えようか?
体育祭で千晶と交わした会話を思いだす。
入試の時から変わっちゃいない。腕を骨折しながらも巨大な0ポイントヴィランを打ち倒した緑谷を見て、入試でなかったら当然自分も0ポイントの敵に立ち向かっていたと、助けに行かなかった自分の心にもっともらしい言い訳をして。目の前の事だけ……自分の事だけしか見れちゃいない。
……お前の言う通りだ、ヒーロー殺し。僕は、彼らとは違う。未熟者だ、足元にも及ばない!
それでも――
その時、石で固められたように動かなかった飯田の指先が、いっそう強く地面を引き掻いた。