人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

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A組で海へおでかけ②。轟の心境変化の話。


清らな綻び

 

 汗が流れ落ちていく。

 拭っても拭っても流れ落ちていく雫をうっとおしいと思いながら手の甲で拭うと、飯田がレシーブして放物線を描いたビーチボールを、俺の真向かい辺りに立つ緑谷が掬い上げるように腕を振ってやわらかく受け止め、こっちに跳ね返す。それを見て、高く打ち上がったボールの真下に潜り込むように踏み切りにくい砂地を蹴って、アンダーじゃなくオーバーレシーブで迎え撃つ。

 無事にボールを飯田に送ったところで、飯田の後ろ、波打ち際で戯れている麗日や八百万といった女子の面々の中に見慣れた黒髪が無いのを見て、自然と悪い、という言葉がくちびるから零れ落ちた。それを合図にするように、ずっと続いていたトライアングルのラリーが止まる。

 

「どうしたの?」

「ちょっと抜けて良いか?」

 

 レシーブされたビーチボールを受け止めたままの体勢で首を傾げていた緑谷と、ズレた眼鏡を直しながら数歩分こっちに近寄ってきた飯田に聞こえるように、少し大きめの声を出す。ちらりとパラソルのある方を見て、水分補給してくると付け加えれば、人の()い二人は躊躇いなく頷いた。

 

「結構長い間ラリーしてたもんね」

「だが、良い特訓になったな。心なしか普段使うのとは別の筋肉を使ったような感覚だ」

「そうだな」

 

 ビーチバレーをしよう、と言い出したのは緑谷だ。

 最初は爆豪や切島たちがあらかじめビーチの所々に張ってあるネットを差し挟んで、中学の体育でやっていたような試合形式のバレーで白熱していたのを、俺たち三人や障子たち、女子も浅瀬に足を浸しながら観戦していた。瀬呂の個性(テープ)はボールを落とさないスポーツであるバレーにおいては無敵に近いし、爆豪の個性ならアタックの瞬間にボール投げと同じ要領で、インパクトの際に爆風を乗せて威力を底上げできる。

 個性アリだとパワーバランスが滅茶苦茶になるからと個性無しのゲームだったが、ヒーロー科の身体能力を存分に活かしたミニゲームは大いに盛り上がって、まばらではあったが俺たち以外にも他の海水浴客のギャラリーが出来るくらいだった。

 

 順番待ちの他の団体が来たところで、キリの良いところでビーチバレーを止め、休憩しに行く切島からビーチボールを借りてきてバレーボールしようかと言い出した緑谷いわく。砂浜は普段の地面よりも踏ん張りが効きにくく足を取られるので、走ったり急な方向転換をするのが難しい。普段より体力を取られるが、細かく筋肉を使うことでよりバランスよく、足首を痛めることなく足腰や体幹を鍛えられる効率のいいトレーニングが出来るらしい。何故かこのあたりの説明をする時に緑谷が遠い目になって「去年の今頃はキツかったな~……」と薄ら笑いをしていたが。去年の今頃のお前に何があった、緑谷。

 

 

 ただ、アスリートが走り込みのトレーニングをすると言ったって、普通は海水浴客のいないオフシーズン。そこそこ混雑しているビーチで生真面目に走り込みをすれば危ないし、普段から訓練漬けなのに遊びに来てまで本気のトレーニングをするのは勿体無い。

 ということで、ボールをわざと相手より少し離れたところに送ってラリーをすれば、遊ぶついでに一緒に瞬発力や足腰のトレーニングになるんじゃないかな、という緑谷が提案した。それに特に断る理由どころか、立ち回りの強化には良いかもなと即座に頷くあたり、俺も緑谷のことを言えない程度には、どこに居たって常に強さを追い求めて行動してしまうヒーローバカなのかもしれない。

 勿論、足技主体の飯田も頷いて、しばらくこうしてラリーを続けていたわけだが……ラリーを止めたのは、夏の日差しに背中を容赦なく焼かれて、汗が大量に噴き出すのにいい加減集中を削がれるというのも勿論大きかったが、なによりパラソルで留守番をしているだろう星合が気に掛かったからだ。

 

 

 

 二人に片手を上げながら別れ、星合の居るパラソルへと向かう。背後で麗日が緑谷や飯田を呼ぶ声と、二人がそれに応じるのを聞きながら、足早に熱い砂を踏む。一人になった途端うっとおしくなる周囲の視線を半ば無視しながら考えるのは、一人留守番をしている友人が厄介なことに巻き込まれてなきゃ良いが、という心配だ。

 

 星合の容姿はとかく目を惹く。彫の深いラテン系の顔立ちは綺麗に整っているし、スタイルだって峰田がいつまでも騒ぐ程度には良い。本人の手前ああは言ったが……俺も男なので、星合の普段見られない姿に期待しなかったと言えば、嘘になる。まぁ、普段と変わりないくらいに露出の低い格好を残念に思うよりも、逆にブレないその姿にほっとした気持ちの方が強かった。制服もヒーロースーツも、夏になっても上から下まできっちり固めているのに、海だからと言って他の女子同様に一気に薄着の姿を見たら、ギャップが酷すぎて直視できなかったかもしれない。あのぐらいでちょうど良いんだろう。

 とはいえ、露出の低い格好をしていても衆目を集めるのだから、本格的にヒーローとして世の中に出たらメディアに引っ張りだこになりそうだなと、No.2ヒーローの息子で、親すら超える強力な複合(チート)個性持ちなんていう、世間一般から見れば筋金入りのエリート街道を突っ走ってると見られるだろう自分の事は棚に上げて考える。

 ただ、USJ事件前にあったマスコミが雄英バリアーを越えて校内に侵入した事件の時、個性を使って強引にマスコミの群れを突破しようだなんてらしくない強硬策を打ち出すぐらいにはメディア嫌いのようなので(あの時の相澤先生の意味深な忠告は後で何度か理由を追求したが結局聞き出せないままだ)、おそらく副業はあまり受けない、市街地警備や犯罪抑止などの現場に重きを置くヒーローになるんだろう、というのは職業体験の時の事も思えば簡単に予想できた。勿論自分もそのつもりだ。

 

 

 歩みを進めること少し、ようやく見えてきたパラソルの下の人影は一人だった。サングラスで華やかな顔は隠されているが、ただ投げ出した足を少し組んで本を読んでいるだけなのに妙に絵になるのは、浮世離れしたミステリアスな雰囲気の所為か、それとも友人の贔屓目か。

 それについて深く考えることはせず、視線を本に落としたままの友人に声を掛けたのと、近づく気配に気づいて星合が顔を上げたのは同時だった。

 

「星合」

「あ、おかえり」

 

 濃い色のサングラス越しにルビー色をした双眸が細められて、口元が淡く笑む。本を閉じた星合が少しパラソルの支柱寄りに身体を移動させて、場所を空けてくれたところに腰を下ろせば、ようやく皮膚をじりじりと焦がす熱線から逃れられた。いくら個性の半分が炎だろうが、皮膚が特段紫外線に強いわけではない。帰る頃には真っ赤になってるかもしれないな、と隣の透き通るような陶磁器色の細い腕と並ぶ自分の腕を眺めながら考える。すると、何か飲み物要る?とビニールシートの後ろの方に置いてあるらしいクーラーボックスを開けて中を物色していたらしい星合の声が飛んできた。

 クーラーボックスは海の家で借りたものだが、中に入っている氷は俺と星合の個性で作ったものだ。凍らせる対象を直接手か足で触れなきゃならない俺とは違い、血を媒介に氷を生み出せる星合はクーラーボックスを閉じたまま、中に入れた氷に含ませた血で中身の冷気を操れる。

 とはいえ、任せきりにしておくのも悪い。そろそろ氷を追加しておいたほうが良いだろう、と熱気をはらんだ風との気温差を考えながら「いる」とだけ返して立ち上がろうとした俺は、視界を掠めたとあるものに目を奪われて、「お」と変な声を上げて中途半端に腰を上げたままの体勢で固まった。

 

 深く腰を折り、片手を地面に着きもう片方の手でクーラーボックスを物色している星合の体勢はいわゆる四つん這いだ。クーラーボックスと座っている場所の位置関係から、星合はボックスの中身を覗くために少しだけ後ろに重心を移動させていた。だから俺が隣を見たら、普段はタイツで隠されている、長く白い、健康的なカーブを描く引き締まった脚がちょうど視界に入った。

 四肢を地面に着ける体勢になっても、上のパーカーはそれほど緩い作りになっているわけではないらしい。少しだけ重力に引かれたパーカーと下のショートパンツの間から脚と同じくらい白い、日に焼けていない脇腹も見えていたし、峰田が見たいと騒いでいた腰から尻、脚にかけてのカーブも薄着だから良く分かった。だが、俺がごくりと生唾を飲んだのは、それらの日本人の体型じゃ中々無理そうな肉体的な美しさだとか、自分の欲望の方ではなく────────ぼろぼろに傷ついた足裏の方だった。

 

 星合とは他のクラスの連中より少し長い付き合いだが、たった4ヶ月──―季節外れの妙な転入生とただのクラスメイトという関係から、今みたいに隣にいるのがお互い気にならないくらいの距離感になったのが、星合が転入してきて1ヶ月経ったかどうかの辺りだった気がするので、実質は3ヵ月分しか違わないのだが──と、雄英に入ってからの数ヶ月という、思えば短いんだか長いんだかよく分からない期間を共に過ごしてきたが、素足を見るのはこれが初めてだった。

 

 

 女子にしては比較的背の高い身長を支え、時には武器として鋭く振るわれるその足は思ったよりも小さい。とはいえ男の自分と比べた上で、という前提での感想なので、多分身長と釣り合う程度には大きいサイズなのだろう。

 その足裏に広がっていたのは、無数の傷痕だ。ぶすぶすと細い針で足裏を何度も刺したような、十字架型の小さい傷痕が少しずつずれて重なるようにして、土踏まずのアーチより前、星合がヒーローコスチュームで履いているハイヒールで地面に接している部分……つまり爪先側の足裏に傷痕が広がっていた。針の先で引っかいたような細い切り傷の痕や、昔凍傷を起こした名残なのか、それとも出血と治癒を繰り返したせいで鬱血したまま残っているのか、針傷の周囲に広がる少し黒ずんだような皮膚の色に目を細める。

 

 

 それは、ある意味初めて目にした、星合の努力を示す証拠だった。

 

 

 星合のハイヒールには針が仕込まれていて、それを踏むことによって血が靴の外に射出され、そこから氷や水に変化させるのだという話は前から知っていた。体育祭の直前、控室で女子たちが話していた話題は、俺が中学の時に疑問に思って尋ねたことと、ほぼ同じだった。

 中学の時は小競り合いを防止するために敷地内での個性使用が許されていなかったのと、あと周囲の反感を考慮してか指輪はしていなかったから、指輪から技を出す可能性を知らずに最初の戦闘訓練で不意討ちを食らったが……ようは星合の個性の発動には必ず出血を伴うのだ。

 

 つまりそれは、個性を発動させるたびに自傷行為を繰り返しているとも言える。

 

 普段は針を踏まない特殊な歩き方をしているらしいが、それは言われなければ傍目には全く分からないほどで。それは同時に「歩き方に違和感を感じさせないほどに練習した」証でもある。「刺すのにあんまり痛みを感じない」ほどに個性の扱いを訓練したのだと。そこまで思い至れば、よほど鈍感で無ければ、今の星合の個性制御の精密さは、個性が発現してから今に至るまでに単に血のにじむような鍛錬をしたから、という言葉では済まされないことに気付くだろう。まして、「才能があるから」とか、「良い個性に恵まれたから」とかいう無責任な言い訳で済むようなものでもない。

 成長しても残るほどの傷ができるほど、自ら足や手を傷付けて、文字通り血を流しながら拷問のような鍛錬(どりょく)を積み上げなければ、あの多彩な水と氷の技が成し得ないものなのだと、その足の傷が何よりも雄弁に物語っていた。

 

 けれど、星合はそういった努力をほとんど人に見せない。隠しているわけでもないのだろうが、人前では課された課題を軽々と飛び越えて遥か先まで先行してしまうから、追いかける側からすると見失ってしまいそうなほど遠ざかる背中を、追いつけない自分を正当化するために、多くの奴らが強い個性だから、で納得してしまう。本当はそうではないのに。本当は、俺たちより少し先のステージにいるだけで、下でもがく俺たちを置いてかないように時々振り返っては手を差し伸べているのに、見上げようとせずに下ばかりを向くから気付かない。

 

 だから、星合を守れるくらいに強くなってやろうと邁進しようとする俺だけは、せめて、その背中に届かないだなんて勝手に諦めたりは絶対にしないと決めた。俺の身勝手を許容して、泥沼から手を引いて救い出してくれた星合を、独りぼっちにしないために。

 星合千晶は孤高の天才なのではなく、努力し続けるがゆえの天才なのだと。一人の人間なのだと、知っているから。

 

 だから、なのか。綺麗だとはとても言えない、どちらかというと世間一般の物差しで見れば醜いと言われる方が多くなるだろうその足に、無意識のうちに触れていた。乾いた皮膚をなぞれば、びくりと指を滑らせた足裏が逃げようとするので、猫じゃらしを遠ざけられてはっしと手を伸ばして掴む猫のように、足首ごと捕まえる。

 

「ちょ……っ、轟、何して、」

 

 いつになく余裕のない声に顔を上げれば、潤んだ蘇芳と目が合った。ぎゅっと噛み締められたくちびると、眉間にこれ以上なく深く刻まれた皺。濃い眉は片眉が吊り上がり、垂れた目尻さえ赤らんで吊り上がっていた。双眸に浮かぶのは、不快だろうか。

 基本的に穏やかで、峰田の女子への行き過ぎたセクハラを咎める時ですらうすら寒い笑みを浮かべる星合の、珍しく明らかに負の方面に傾き歪んだ表情にぞわ、と髪の毛が逆立つような感覚を覚える。それは、体育祭で緑谷に喝を入れられ、炎を使って(全力で)個性を振るった時の、血液が沸くような感覚にも似ていた。

 

 

 歓喜か、悪戯心か、それとも──────もっとたちの悪い、狂気か。

 

 

 けれど、それを確かめる前に、無意識に傷だらけの足裏に滑らせていた指にパチッ、と電流が走る。冬場に現れる静電気のようなほんの少しの、上鳴が本気で撃つ電撃に比べれば可愛らしいそれに、反射的に手を離しこそしなかったものの、指の動きは止まった。その電撃で、変な方向へ進みかけていた意識が引き戻される。

 

「轟」

 

 ぞっとするような、一瞬で夏の暑さが引いて、むしろ冷や汗すら出そうな猫撫で声が降ってくる。恐る恐る視線を持ち上げた先、微妙にキレている時に決まって浮かべる春風のような、うすら寒い笑みを浮かべた星合がいた。

 

「3秒以内に手、離さないと蹴るよ」

 

 細められた紅い瞳が、陽光をパラソルに遮られた陰で、妖しげに光ったように見えた。

 疑問符無しの宣言。その語気に、本気を感じ取った俺は慌てて星合の足から手を離す。というか、峰田なら問答無用で蹴られそうな所を、一応執行猶予を与えられただけ、随分譲歩されている。足技が真骨頂の星合だ。たとえ力の入らない、蹴るには無理のある姿勢だろうが、瞬間的に姿勢を変えるか、体術でマウントポジションを入れ替えて吹き飛ばすなんて荒業だって不可能じゃないだろう。……というか、その様子がありありと想像が出来るのが怖い。

 悪い、と途端にぎくしゃくと動きの悪くなった俺に、ひらひらと掴まえられていた方の爪先を揺らめかせながら、いつの間にかビニールシートに伏せていた身体を起こした星合はこれみよがしに溜息を吐いた。

 

「君ね、突然何の断りもなしに触ってくるのはやめなさい。そんでもって触ったまま考えに没頭するのは駄目、他の女子にコレやったら問答無用でブッ飛ばされるか、変な勘違いさせるから。本気でその癖止めた方がいい」

 

 全く体育祭の時といい、天然って恐ろしい……と呟く星合に「お前が言うな」と全力で言いたかったが、ここで反論すると終わりのない論議になりそうだったのでやめておく。そもそも体育祭の時ってなんだ?

 というか。

 

「断り入れたら触って良いのか?」

「違うわお馬鹿、どうしてそうなった」

 

 はー、と溜息を吐いて、君の将来が心配だと項垂れた星合に、ただ首を傾げる。お前の言い方だとそういう意味にも取れるから言ってみただけなんだが。それに、峰田の時も「断りも無しにべたべた触られると足癖が出る」と言ってたから、前もって言えば嫌がらねえのかと思ったんだが……違うのか?

 

「心配しなくても、お前じゃなきゃ触らねぇよ」

「は」

 

 星合が心配せずとも、パーソナルスペースが他人よりも広い方だと自覚のある俺は、性別に限らず、一定以上に近づかれれば離れようとするし、嫌悪感を隠さない。体育祭の一件や、職業体験で緑谷や飯田とも交友を深めて、クラスに馴染み始めたといっても、長年染みついた習性はそう変わるものじゃない。一定以上のラインを超えられることをひどく嫌うのは、個性や火傷にまつわるいざこざを好奇心で嗅ぎ回られて、無遠慮に心を踏み荒らされたくないための予防線だ。

 それがあると知りながら、強引に押し入って抱えたモノをブッ壊したのが緑谷なら、星合は自分では線を踏み越えないギリギリ手前にずっと立っていて、いつの間にか俺がそのラインを、星合の分だけ少し広げて内側に抱え込んだようなものだ。星合自身はほとんど動いていない。

 

 そもそも、星合自身はフレンドリーな態度を誰にでも取るが、どんなに態度が親しげでも、一定の距離感を感じるのだ。中学の時、本当に親しい人間以外には、相手にはそうと分からない薄っぺらな笑顔で応対していたのもその一つだ。ストレートな表現が多くて、誰にでも人懐っこく見えるのは育って来た文化環境が違うからで、本当の星合は警戒心が強くて、周りと衝突もしない、親密になりすぎることも無い距離感を常に測っている。踏み込まれたくない一線の境界の内側と外側を見極めるのが上手で、内側に踏み入ろうとはしない。

 戦闘訓練の時は、星合が珍しく歩み寄ろうとしたのを俺が手酷く撥ね退けてしまった。体育祭の時は緑谷や瀬呂のために、不甲斐ない俺に檄を飛ばすために、少しだけ星合は歩み寄ってきたけれど、それだけだ。俺が勝手にラインの境界線を書き換えて、星合の立ち位置ごと内側に呑み込んだだけだ。

 俺だけが特別なのではない。星合が少しでも心を許すのに必要な時間を、周りより少しだけ、長く一緒に過ごしているだけだ。心配をかけて、わざとではないとはいえ髪を燃やして、俺が突っ走ったせいで怪我を負わせておいて、今更そんな自惚れは、できない。

 

 

 でも、それでも。

 戦う強さで追いついて、隣に並びたいと、守りたいと思うのと同時に。

 不可侵領域すら踏み越えて、近づいて。心のやわらかな部分にふれてもゆるされるような、星合にとって一番心を許せる相手で居たいと、願うのは欲張りだろうか。

 

 

 

 その衝動に、どんな名前でラベリングすればいいのかを、未だに俺は決めかねて、考えあぐねたままだ。

 羨望と嫉妬と執着と憧憬と卑屈と優越と、あとその他よく分からない感情がごちゃ混ぜになってはいるが、とてもじゃないが綺麗なものじゃない。

 ただ、小さい頃のまま心が止まったままだった俺を救い上げてくれた星合を、今度は俺が救いたい、それだけで。

 

 

 

「……他の女子とは、そもそもそこまで親しくねぇし」

 

 そもそも、触りたいとも思わない。

 ポリポリと後頭部を掻きながら、珍しく口を半開きにして固まっている星合の顔を、何となく気恥ずかしくて見るのを躊躇った俺は明後日の方向に視線を泳がせる。沸き起こってくるむず痒さを悟られるのも癪で、言い訳めいた言葉を継ぎ足せば、ますます目の前の黒髪が傾いて、つむじが見えるほど深く俯いた。

 

「……あーあーあー……分かってたよ、君ってやつはそういう人だもんな」

 

 ああクソ、と乱雑な悪態を吐いて顔を上げた星合の表情は、声のトーンに反して、悪戯っ子のようにニヤついていた。

 その急な変化に戸惑っていると、企むように細められた灼眼がより愉悦に細められて、白い腕が伸びてきたかと思うと、何を思ったのか、わしりと俺の脇腹を掴んだ。勢いづいたそれに押され、なだれ込むようにビニールシートに倒れ込む。個性のせいか少しひんやりとした指先が、前を開け広げたノースリーブのパーカーでは防御できない肌に(じか)に触れて、構える暇すら与えられなかった俺の身体は予想外の出来事と温度差にびくりと跳ねた。

 

「おー、思ったより筋肉質だねぇ、綺麗にシックスパックだ」

「……ッ、おい、星合」

 

 何してる、と反抗の声を投げかけながらの言葉は、起き上がりざま視界に映ったもののせいで最後まで吐き出されずに消える。

 ぺたぺたと遠慮なく俺の腹の上や脇腹を撫でる指先。大きく開いた俺の足の間に身体を滑り込ませた星合が身を乗り出している様は、傍から見れば俺が星合に押し倒されているようにも見えるだろう。

 そんな状態で俺が身体を起こせば、そう、角度的に、きっちりとチャックを締めたパーカーでも首元が緩んでその中が見えてしまうわけで。

 一瞬、意外に着痩せするタイプなのかと煩悩が頭を掠めたが、慌てて目を逸らした。ぶわっと熱が顔に集まりそうになるのを、右を使うことで上がりかけた体温を冷やそうと試みる。

 海なのだから中に水着を着ていると知っていてもなお、眼福どころか、かえって目に毒な光景に────峰田辺りなら絶景だとか言いながら遠慮なく凝視するんだろうが、そんなこと出来るわけもなく。言葉は尻切れトンボのまま、何してる、と言いきれなかった言葉をくすぐったさを我慢しながら言えば、星合はニッコリと微笑んだ。先ほどの背筋が寒くなるような笑顔でもなく、嫌悪感を感じる薄っぺらな仮面でもなく、ただ艶然と笑う。

 

「仕返し」

 

 そこからしばらく、体勢が体勢なので下手に動けず、ましてや手荒な真似で撥ね退けることも出来ず、一年分の笑いを消費するような勢いで脇腹をくすぐられて、笑い死にするかと本気で思うような目に遭うことになった。必死に視線を逸らして耐える間、視界の隅にこちらを遠巻きに眺める障子や常闇、口田の姿が見えたが、俺と目が合うなり南無、とばかりに合掌していた。いや、助けろよ。

 

 

 とりあえず、足に触ることは温厚な星合を怒らせて不興を買う程度にはデリケートな部分なのだと、俺は身をもって学んだのだった。

 

 

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