僅かな振動が全身に伝播する。
一定のリズムで身体を揺らすそれについ眠気を誘われ、口元を手で覆いつつもくあ、と猫のように欠伸をすると、真向かいからくすくすと軽やかな、控え目な笑い声が聞こえて顔を上げた。バチッ、と翡翠の瞳と視線が交差する。
「……そんな大きい欠伸だった?」
「ううん、珍しいなぁって思っただけだよ」
疲れたけど楽しかったね、と穏やかな声に笑みを乗せるイズクの声は抑え気味だ。けれど、比較的静かな電車の、車窓から零れ落ちるオレンジの光とその陰が作り出す、夕暮れ時の陰影の満ちる空間には不思議と良く響いた。それが溶けて消えていく残滓の余韻を聞きながら、眠気で読む気が削がれた本に栞を差し挟んで閉じ、そうだね、と私は相槌を返した。
ゆるりと周囲を見渡せば、運よくA組だけでほぼ貸し切り状態になっている車内ではほとんどの子が夢の世界に旅立っていて、ちらほらとその間にスマホを弄ったり、イヤホンで音楽を聴いている子が混じっている。イズクの両脇に座る飯田くんも梅雨ちゃんも、梅雨ちゃんの隣の峰田もすやすやと眠っている。しっかり者の梅雨ちゃんが眠っているのは少し意外だが、やっぱり水難救助は訓練とはまた違って神経を使うから余計疲れたのだろう。家に帰ったら弟妹のお世話をするお姉さんに戻るのだから、今はゆっくりと休んでほしい。
ガタンゴトン、と身体の底に響いてくるような振動に揺られながら、そっと右を向けば私の腕のあたりに頭を凭せ掛けて眠り込んでいるお茶子のつむじと幸せそうな寝顔が見える。そして左を向けば、腕組みしたまま、轟がお茶子と似たような体勢で目を閉じていた。
……まぁ、轟の名誉のために言い訳させてもらうと、なにも最初から私の肩を枕にしているわけではなく(もちろんお茶子も不可抗力だが)、うつらうつらとして不安定な頭が振動でさらに揺れて、放っておくと今にもすぐ傍の支柱に頭を派手にぶつけそうだったのを見かねて、血法で間一髪でガードしたのだ。ただ流石に、そのまま“籠目”を張って受け止めては揺れて、ってのを繰り返させるのもかわいそうなので、こちらに寄せたというわけである。
ただ、実際やってみて失敗したなーと思ったのは、思ったより轟と私で座高差があったせいで、若干轟の首が辛そうなことか。身長自体は6cm差なのだが、私がエスメラルダの影響で腰の位置が高い足長体型なので、同じ身長の人と比べると平均より座高が低い。いわゆるモデル体型というやつである。……うんまぁ、正直私より
孤児が多いはずなのに先天性の美を持つ人が多いのは未だにエスメラルダ流派の大いなる謎だ。師匠も何時までたっても老ける兆しの無い美魔女だ。標準より上の容姿でも姉妹弟子たちはみんなきれいで可愛い。彼女たちは自分の外見も中身も磨くのを怠らないから。ただし、牙狩りによくあるオチとして、全員戦場育ちなので、
……話は逸れたが、人種と体型の差で出来た座高差というプラスアルファの差で、ちょっとばかり轟の首が心配だが、本人は至って健やかな寝息を立てているのでよしとしよう。……君も丸くなったなぁ。起こしてしまうし、両肩が動かせないので頭は撫でられないけれど、冬美さんが遠くから見守りつつ可愛がるのも分かるというものだ。
あ、そうだ。
「イズク、写真撮って。轟のお姉さんとお母さんに記念に見せたいから」
「え? ああ、うん良いよ。星合さんなら悪用したりしないだろうし」
いきなりの申し出に一瞬イズクはきょとんとしたものの、すぐに頷いてくれた。信用されているようで何よりである。思い出として取っておくことはあれど、もちろん悪用なんてしません。何より、イズクは轟の家庭環境を知ってる数少ない人物だから、他の人が聞いたなら何で? と首を傾げそうな私の発言の意味も正確に分かるだろう。
10年間離れ離れだったせいで、轟のお母さんは轟の成長過程を見ることが無いままになっていたのだ。過去には戻れなくても、今から少しずつ写真を増やしていけばいい。轟は友達だし、冬美さんも轟のお母さんも良い人だから協力は惜しまない。
スマホで撮った写真は技術革新で今やカメラ並みの精度だし、ラインで手軽に送れるだけでなく、プリントアウトも容易だ。……元の世界もそこそこ便利ではあったけど、少し技術の進んだこっちでは、飛距離が自動計測されるボールやら壁収納が自動化しているシステムがあったりと、よりハイテク化している。個性が現れなければ今頃人類は恒星間旅行を楽しんでいただろうなんて語った過去の偉人も居るらしいが、今後数世代を経て、“個性”が100%に限りなく近づいて「超常」なんて呼ばれなくなるくらい当たり前になればなるほど、一度止まった技術の発展も動き出すと思う。人間は停滞できない生き物なのだから。HLなんて人間の欲望の詰まった魔都に居た私は、人間の天井知らずの欲についてはよく身に染みている。
イズクが微音カメラで撮ってくれ、個人ライン経由で送られてきた写真には、少しあどけない寝顔で眠る轟のアップと、もう一枚。それよりズームを引いた、車内の様子が少し見えるような構図で、笑顔を向ける私と轟が写っていた。他にも日中に撮った、海でイズク達とビーチバレーをしている姿や昼食時なんかに撮影した他のクラスメイトの活き活きした姿、海辺の風景に加わったそれらの写真。これ見たら冬美さんも轟のお母さんも喜ぶだろうなぁと想像して、思わずにまにまと頬を緩めていたけれど、今の自分を客観視したら、スマホの画面見てニヤニヤしている変人に見えそうだと思い直して、慌てて表情筋を引き締めながらも、私は小声でイズクにお礼を言うのだった。
海編終了です。次回から合宿編。