「お早う諸君」
翌日の朝は早かった。まだ山際に朝日がかかる程度の薄明かりに包まれる朝五時半の森の中、体操服に身を包んで集合するA組の面々の多くは盛大な寝癖をつけていたり、眠そうに大あくびをしていたりと、普段見る姿とはまた違った、気の抜けた新鮮さがあった。
「本日から本格的に強化合宿を始める。今合宿の目的は全員の強化及び、それによる”仮免”の取得。具体的になりつつある敵意に立ち向かうための準備だ。心して臨むように。
……というわけで爆豪、こいつを投げてみろ」
朝早くでも相澤先生はキビキビと無駄なく説明を済ませ、見覚えのあるボールを爆豪に投げてよこした。
「これ……体力テストの……」
「前回の入学直後の記録は705.2m……どんだけ伸びてるかな」
「おお! 成長具合か!」
「この三ヶ月いろいろ濃かったからな! 1kmとかいくんじゃねえの!?」
「いったれバクゴー!」
成長への期待にヤジが飛ぶ中、ぐるぐると肩を回した爆豪が投擲フォームを取る。くたばれ! と物騒な掛け声と共にぶん投げられたボールは、盛大な爆炎に後押しされて飛んでいく。
──が。
「709.6m」
『!!?』
その場の予想を裏切って、その記録は10mも伸びていなかった。
「あれ……? 思ったより……」
「約三ヶ月間、様々な経験を経て、たしかに君たちは成長している。
だがそれはあくまでも精神面や技術面。あとは多少の体力的な成長がメインで個性そのものは今見たとおりでそこまで成長していない。
だから──……今日から君らの個性を伸ばす。死ぬほどキツイがくれぐれも死なないように──……」
不穏な導入で、日本でも指折りのヒーロー候補生である雄英の生徒が毎年、終了後に「地獄だった」と口をそろえる、夏の強化合宿が幕を上げた。
A組より30分ほど遅れて訓練場として作られた広場に到着したB組は、文字通り阿鼻叫喚のA組の地獄絵図ぶりに引いていた。
「なんだこの地獄絵図……!!」
「許容上限のある発動型は上限の底上げ、異形型、その他複合型は個性に由来する器官・部位のさらなる鍛錬。通常なら肉体の成長に合わせて行うんだが……」
「まぁ時間がないんでな、B組も早くしろ」
ラグドールの個性「サーチ」。100人まで目で見た人間の情報が、弱点から居場所まで分かる。
ピクシーボブの個性「土流」。土砂流で各々の鍛錬に見合う地形を作り出す。
マンダレイの個性「テレパス」。一度に複数の人間にアドバイスを行う。
そして虎の個性「軟体」。関節を無視した柔らかい肉体から繰り出される強靭な拳と蹴りで生徒を鍛え上げる。
雄英もヒーロー科一年生にだけ人員を割くことは難しい。だからこそプッシーキャッツの広くカバーができる個性が、短期間で40人全員の底上げをするのに最も適している合宿先として相澤先生とブラドキングが選んだのだ。
土砂でできた凸凹とした不安定な斜面を疾駆する。走り抜けるのも苦労する急勾配。少し力を込めて蹴った足裏から小さい風の渦が巻き起こり、俊足をさらに後押しした。バランスのとり方を間違えば途端に身体がついていかず派手に転倒するところを、修行時代からスケートとバレエで培った重心移動で乗りこなす。
その隣を、追い越しては抜かれを繰り返しながら並走する影がある。飯田くんだ。
個性を伸ばす訓練において、私は同じスピード型である飯田くんとふたり、ひたすらに足場の悪い急斜面をハイスピードで絶えず走り込んでいた。
「星合、お前は訓練内容自分で決めていいぞ」
「え」
個性を伸ばすということは、今ある限度を乗り越え、副作用に慣れるということだ。そのデメリットを乗り越えるということは、当然もの凄く、キツイ。
お茶子が透明なボールに入って自分を浮かす「超必」を使いながら急斜面を転がり落ちて三半規管を鍛える訓練。爆豪がお湯の中に手を突っ込んで手の汗腺を広げては爆破を繰り返し規模を大きくする訓練。轟もドラム缶の五右衛門風呂にタンクトップとズボン姿で入りながら氷結と炎熱を交互に使って氷結の副作用である冷えに慣れ、炎の規模と温度調節を行う訓練をしているのを相澤先生の肩越しに見ながら、次々と訓練内容を言い渡されて振り分けられていくクラスメイトを見送り最後の一人になった私は、相澤先生の言葉に面食らった。
「お前は日頃から基礎訓練を積んでるから、すでに個性を伸ばす段階が終わってるだろうが。こないだ提出してもらったトレーニングメニューからして、こっちがアレコレ口出すより、お前が鍛錬積んどくべきだと思うことを自由にやらせるほうが成長できると判断した」
「良いんですか」
「ああ。昨日わざわざ一人突出して、追加で鍛錬しようなんて考えてるってことは、試したいことでもあるんだろ?」
首元の捕縛布で口元は見えなかったが、腕組みをして疑問の形をとった断定の言葉に、私は敵わないな、と苦笑した。
「……お見通しですか」
「伊達にお前を見てない。ただし自由にっつっても俺かブラドの許可が下りる内容でだ」
「はは。……じゃあ午前は飯田くんと一緒に走り込みします。午後からは新しい技の開発……風と電気の修練に入ろうかと」
少し考えてから伝えた言葉に、相澤先生の眉がぴくりと動いた。
「風と電気……ああ、風は前にヒーロー基礎学で最後に使ってたアレか」
「ええ。先生が仰る通り、水と氷はほぼ完成しました。実力と戦法の底上げをするなら、水や氷に比べて血の消費コストが重くて優先しなかったこの2つを極めるべきだと思って」
エスメラルダ式血凍道と水晶宮式血濤道。
氷と水の二つの血法は、実を言うと周りが思うほど、もうほとんど伸びしろが無い。
というのも、血法はただの戦闘能力ではなく、牙狩りが長い時を掛けて作り上げた“技術”だ。属性を持つ血という才能は必要だが、血液そのものは牙狩りが秘匿している属性反応の有る無しを調べる特殊な技術と装置に掛けなければ、普通の血液型判定しか出ない何の変哲もない赤い液体だ。一応、血法が使えなくなるデメリットこそあれ、血液型さえ一致していれば、属性のない血液を牙狩りに輸血しても、一命は取り止められるのがその証拠。
つまり、属性のある血液持ちというのは、牙狩りの戦闘員になるための必須事項、血法という技術を学ぶにあたって必要な資格に過ぎないのだ。属性を持つ血液があったとしても、それだけで
それを血界の眷属と戦闘になっても、会敵した一瞬で何が起こったかもわからず、為すすべも無いまま死なずに済むように、属性血液持ちは自らの血の属性に合った血法を各地に散っている流派の師匠に師事して学ぶ。そしてある程度動けるようになったら、ルーマニア支部に転属になるのが通例だ。ルーマニアは吸血鬼伝説が多く残るがゆえに血界の眷属にとってのメッカ的な何か、あるいは物見遊山な観光地扱いになっており、転化したばかりの
ルーマニア支部では基本の
ただ、弟子になり立ての子どもが一番苦労するのは、初歩も初歩、最も基礎的な……「血液を属性の形に変える」という工程だ。これが出来ないと何も始まらない。
そもそも、属性を持っているからといって、根性論やら気合の類で勝手に血液が炎や氷、風になったりはしない。そんなことができたら、牙狩りになる以前に何かのはずみで内側から力が暴発して死んでいる。血液を血法に変えて扱うには、血液を変化させるための各流派に伝わる理論を、個人で程度差はあれど多少なり理解している必要があるのだ。魔術的な側面の強い、数式やら科学やら物理やら色々混じったクセの強いものなのだが、あのザップですら一応(斗流のじっさまによる超絶スパルタかつ理解しやすい感覚的な教え方で)自分のカグツチについては理解している。理論は各流派の装備品にも流用されていて、エスメラルダで言えば刺青や靴に刻印された補助の術式やら、血界の眷属の攻撃に強いブレングリード流血闘術のナックルガードと籠手などが良い例だ。
話が長引いたが、HLに居た時、私は既に水も氷もほぼ極め切っていた。新技を開発するにもほぼネタ切れ。というか「水と氷の性質を使って」という意味において、新しく技を開発しようにも、どれも今使っている技でほとんど事足りてしまうのだ。
筋トレと瞬間的な判断能力を落とさないためのトレーニングは欠かさず続けているが、劇的なレベルアップが見込めるかといわれると答えはノー。25歳の時を100%とするなら今はせいぜい80%。テストの点数と同じで、3割しか理解していないものを5割まで点数を上げるのと、8割のものを10割に上げるのでは全く話が違うのと一緒だ。手間と労力が掛かるくせに、見込める効果が少なく、出てもかなりの長期戦だ。10年分の人外との戦闘で得た研鑽は、ヒーローという存在の性質上、殺人が許されていない上に相手の強さが雲泥の差なのだから、たった数年に圧縮するなんて出来るわけもない。恐らくこっちで25歳の時の100%まで取り戻すのは不可能に近い。
けれど、それでPlus Ultraを掲げる雄英高校が納得するわけがない。そんな状態で敵連合と万全に渡り合えるわけがない。すでに超人じみた今の状態からさらにレベルアップするなら、敵連合にも負けない力を得られるとしたら、方法はたった一つだった。
水や氷に比べて少し運用効率が悪いために、まともに修行時間も取れないままほったらかしにしていた
一日みっちりと個性伸ばしに費やし、訓練が終わる夕方の16時頃には、全員が疲労困憊でぐったりしていた。
「さァ昨日言ったね『世話焼くのは今日だけ』って!」
「己で食う飯くらい己で作れ! カレー!!」
『イエッサ……』
「アハハハハ全員全身ブッチブチ! だからって雑なネコマンマは作っちゃダメね!」
覇気のない返事に大爆笑するラグドール。魂が抜けきっている生徒の中で、一番早く復活したのは飯田くんだった。
「確かに……! 災害時など避難先で消耗した人の腹と心を満たすのも救助の一環……! さすが雄英ムダがない! 世界一旨いカレーを作ろう! 皆!」
「(飯田便利)」
「(クッソポジティブだなぁ……)」
そんな飯田くんの委員長節によって、A組で手分けして準備に取り掛かった。
洗った米を飯盒に入れ、飯盒の取っ手を支え棒に通して並べ、火にくべる。ご飯一つ炊くにしても、いろいろ手間がかかるものだ。普段文明の利器に頼っているぶん、こういうアウトドアで料理すると普段との勝手の違いに戸惑うものだが……一通りサバイバル訓練を叩き込まれていた私は記憶を掘り返して作業の合間にアドバイスして回った。
「千晶ってアウトドア派だったんだ、なんか意外」
「まぁ、できて損はないから」
「むしろ何ができないんだよ……」
半目になった瀬呂くんの呆れ混じりのツッコミに大げさに肩をすくめる。爆豪が爆破で火をつけようとして、レンガ造りの竈ごとぶっ壊したのを横目に、ミナが轟に火をつけて欲しいと催促の声を上げる。
「皆さん! 人の手を煩わせてばかりでは火の起こし方も学べませんよ!」
そう言いながら息をするようにチャッカマンを創造して火をつけているモモ。確かに人の手は煩わせてないけど、火の起こし方も~についてはどの口が言うのか。私がええー……? と盛大なブーメラン発言に困惑していると、同じことを思ったらしいキョウカと目が合い、思わず顔を見合わせてくすっと笑みがこぼれた。
そんな中、いや、いいよ、と轟が火の着いていない竈の前にしゃがみ込み、ぽうっと柔らかいオレンジの炎の塊を左手に出すと、薪に火を移した。
「わー! ありがとー!」
「燃えろー! 燃やし尽くせー!」
「尽くしたらあかんよ……」
竈に声援を送るミナに、半笑いでお茶子がツッコミを入れる。そのやりとりにか、別のことにか。炎を使ったにも関わらず、轟がふわりとささやかな、穏やかな笑顔を浮かべたのを見かけた私は、泥濘のような復讐から解放されて良かったなぁと、何度目かわからない安堵を抱く。経験者として、精神的には少なくとも年上としてほのぼのとしていると、たちあがりざま振り返った轟に「お」と単語で驚かれた。
「?」
「どしたん轟く……うわぁ千晶ちゃんすごっ」
同じく振り返ったお茶子がぎょっと目を見開くのに首を傾げる。そうしてああ、と驚かれた理由に思い当たった。
竈の準備の間、料理が得意な面々……A組では砂藤くん、梅雨ちゃん、私をメインに数人で大量の野菜のカットに回っていた。21人分のカレーとなると、下処理だけで一苦労。じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ。カレーの定番の3つの野菜の山を手分けして捌くにも時間がかかる。なので、私は左右の指輪から複数本、血糸を出して先端をナイフのように鋭利にしたものと野菜を支える手のペアを作り、一度に複数のじゃがいもの皮むきと芽をえぐる作業に没頭していた。もちろん皆の口に入るものなので、ナイフを氷に、手を水で作って作業している。左右で違うペースでくるくるとじゃがいもが高速回転し、するすると剥けた細い皮が紐状にテーブルに垂れていき、処理が終わったじゃがいもが一口大にカットされてボウルに落ちていく様は曲芸じみているかもしれない。もちろん自分の手でもじゃがいもを剥きながら。
「いや普通にビックリするわ、なんつー曲芸してんだ」
「おう……よく同時にそんないくつもできるな」
「慣れだよ慣れ。同時にいくつものことやる訓練にもなるし」
そんな雑談に興じつつ、完全にとっぷりと辺りが暗闇に包まれる頃には、カレーが無事出来上がった。
「いただきまーす!」
「店とかで出たら微妙かもしんねーけど、この状況も相まってうめ──!」
「言うな言うな、野暮だな!」
「ヤオモモがっつくねー!」
「ええ。私の個性は脂質を様々な原子に変えて創造するので、沢山蓄えるほど沢山出せるのです」
「うんこみてえ」
「謝れェ!!!!」
「デリカシーって言葉知ってる?」
「スイマセンでしたァ!!!!!!!」
余計なことを言った瀬呂くんにはキョウカと私から鉄拳と口撃が飛んだが、あっという間になみなみあった大鍋のカレーは空になった。成長期の食欲恐るべし。……私は一杯で限界でした。むしろ山盛りにされて後半キツかった。もともと少食なんだよなぁ。皆から最近……具体的に言えばA組総出で海に行ってから、やたらともっと食えと言われるけど無理です。入らないものは入らない。
片付けをしながら、明日の夕食が肉じゃがで、豚肉と牛肉どちらにするか決めておいてね! というマンダレイの発言で、A組 VS B組男子による腕相撲対決からの枕投げが繰り広げられたり、女子はお菓子やジュースを持ち寄って恋バナなんて年頃らしい話題ではしゃぎ、穏やかに夜が更けていく。
──この時はまだ誰も、忍び寄る不穏な影に、辛いけれど充実した合宿が壊されることなど、予想すらしていなかったのだ。