ヒーロー科一年A組担任、相澤消太が最も優秀な生徒をクラスから一人挙げるとしたら、間違いなく星合千晶を選ぶ。
筆記、実技ともにトップクラス。唯一教師陣が憂慮していた他人との連携も、明確に言葉を交わさずとも相手の行動を読むという彼女の特殊スキルによって、平均以上の成果を期末試験で上げてみせた。滅多なことでは動じない冷静沈着さは大人顔負け。緑谷のように、精神的未成熟さゆえに後先考えず突っ込んでいく蛮勇さもない。緻密な戦略と分析構築力は、現場で重宝される特技といえる。
現状、弱点や欠点と呼ぶべきものが指摘できない。……現に、合宿初日の夜に「サーチ」の個性を持つラグドールから、心底困った顔で「あの子だけ弱点がない」と言われたほどだ。
星合千晶がその歳に似合わぬ実力の持ち主であるのは、雄英教師陣にとって周知の事実。学生生活で見せてきたそれは、ほんの片鱗に過ぎないことも。……その実力が、長年ヴィランに後継者として誘拐され監禁され、拷問じみたしごきを受け続けてきた結果であることも。
普通なら壊れても許される環境だっただろう。多感な年頃に悪を植え付けられ、その手を血に染めさせられて、闇の中でしか呼吸を許されなかった。人格が破綻、あるいは退行していてもおかしくはないのに、相澤の前に現れた少女は、すこしばかり価値観と経験値の方向性がずれているだけで、常識的な感性を持っていた。
爆豪とはベクトルの違う精神的タフネス。一本筋の通った、大人でもそうそう持っていない信念の塊が、そこにいた。
星合千晶の最たる美徳は、なによりもその天井知らずの向上心にあると、相澤は考えていた。
ただ、一撃を極める、一芸を究める、一蹴を窮める。
ひたすらに修練、修練、修練。その繰り返しだ。
特定の師匠を持たないにも関わらず、その修練は15歳の少女が励むにしては苛烈で、それでいて方向性に間違いはなく的確で、やり過ぎにならない限界ギリギリを見極めた、確実に結果を叩き出すだろう内容。オーバーワーク阻止のためにと、彼女が作ったという心操と星合本人の一週間のトレーニングスケジュールを提出させたら、教師が口を挟む余地すら無い、完璧なものだった。15歳という多感な時期においてあれほど基礎の大切さを実感していて、真面目に基礎修練をこなし続ける姿勢は感心する。トレーニング内容も、実に
手がかからない優等生といえばそれまでだが、だからこそ無茶をしていないかと心配にもなるし、何かしてやりたいと思うのは教師としても、ヒーローの先達としても当然の感情だろう。だから、組手の相手を頼まれればスケジュールを空けるのも少々合理的でなかろうがやぶさかではない。スナイプも3年の進路指導の合間を縫って射撃場での訓練を請け負ったのも、そういった感情も込んでいたのだろう。
既に達人の域、トップヒーローと肩を並べても遜色ない身体能力。完成されているように見える奥義を更なる高みに昇華しようと突き動かされるようにして励む姿は、確かにクラス全体、いや他のクラスにまで良い影響を与えている。心操がいい例だ。体育祭前からクラスの壁を超えて仲が良かった星合の情熱に当てられて、今は身体作りに励んでいる。
緑谷と爆豪のぶつかり合いながら互いに競い合い、無意識に周りを触発するのとは違う。星合のそれは、ただひたすらに自分と向き合い、肉体と精神、技術を高めんとする上昇志向だ。「
たとえ全国のヒーローの卵が憧れる雄英のヒーロー科クラスで随一の戦闘能力を持っていたとしても、これでいいなんて満足はせず、慢心を微塵も抱かない。餓えているようにもっと先を見据えて歩む姿は、まだ大成していなかった頃のビッグ3に重なる。
自分の力に胡坐を掻き、研鑽を放棄し、停滞を良しとしないのは美徳だ。そんな真似をすれば、たとえクラス一の実力者とはいえ、これまでそうしてきたように、彼女を除籍処分にしていただろう。
その原動力は焦りではない。破滅的な衝動や執念でもない。ましてや、底の見えない昏い復讐心ではない。
ゆえに相澤が抱くのは心配ではない。
──お前、高校はどうするんだ
──ああ……ええと、ここ受けようかと
──……
──え、それ……聞きます? 勿論ヒーロー科受けるつもりですけど
ヴィランから解放され、ようやく年相応の平穏な日常に生きることを許された少女は、真っ直ぐに、まっとうな精神でヒーロー科を進学先に選んだ。ヴィランから遠ざかる選択肢だって、人生をやり直すことだってできたというのに、彼女はあえて自分の疵に向き合おうとしていた。
──お前、なんでヒーローになりたいんだ
ヒーロー志望の子どもに、誰もが必ず一度は投げかけられるだろう、ありふれた質問。
お前の原点はなんだと、問う。
そんな疑問を口にしたありし日の相澤に、少女は普段の大人びた仮面を外した、きょとんとした顔を見せた。
そうしてから何かを思い出すような、大切なものを眺めるような、すこし遠い目をして。
──オールマイトに恩返ししたいっていうのもありますけど、……私みたいな辛い思いをする人が一人でも少なくなればいいと思って
笑むように目を細めた少女の言葉は、態度は、ありありとそれが本心だと語っていた。
事あるごとに卑屈なほど謙虚になる少女だが、他人から見ればオールマイトに近しい、危ういほどの無償の慈愛、眩しいほどの高潔さであることを、本人はちっとも理解しやしない。
そう笑った少女が願った夢と未来は、ここに無残にも打ち砕かれていた。
あまりに惨すぎる報復だった。
雄英のポストに投函されていた、宛名も差出人も不明な真っ白の封筒に一枚、十字架に貼り付けにされたキリストのように、壁から伸びる鎖と手枷で釣られ、座り込む少女の姿が写り込んでいた。項垂れ、目の辺りに布が巻かれているせいで顔は判然としなかったが、十分にそれが誰であるか、察しはついた。服装が、あの夜、星合千晶が着ていたものと同じものだった。
そしてなにより、左足の太腿の半ばに、暗がりの中でも僅かな光を反射して光る青い氷が纏わりついており、写真の画面ギリギリに、赤い模様の入った脚の、膝から下の部分が転がっていた。
──生徒が大事か? 守りきれるといいな……また会おうぜ
「外道どもが……!」
誇りだと、言っていた。
この脚は氷の剣だと、自分の脚を叩いて笑った千晶の姿が思い返される。
薄暗い画面のギリギリ内側、見せつけるように転がっていたそれは、切断された千晶の左足だ。切断面は千晶自身の氷で凍らされており、切断時の反撃に使ったのか、噴き出しただろう血は見当たらない。床には血溜まりどころかただの氷の溶けた水溜まりが黒々と鏡のように輝くのみで、衣服に赤黒い染みのひとつも残っていなかったが、投げ捨てられた足は、写真を見る人間をあざ笑うかのように、その美しい足に這う赤い紋様を見せつけるような絶妙な配置に無造作に置かれていた。
それだけではない。吊り下げられた手の先、指の何本かが曲がってはいけない奇妙な角度に曲がっている。残っている腕や足など肌が見える部分は無数の打撲痕や切りつけられた傷が薄暗い中でも青白く浮かび上がっている。その傷を負わせただろう幾人のならず者のものらしい足や身体の一部が写り込んでいるが、背を向けフードや帽子をかぶっているせいで、細かな人物像がはっきりとしない。
片足を奪われ、両目を塞がれて、薄暗い室内で縛り付けられて幾人もの男に暴力を受けるというのは、どんなに恐ろしいだろう。姉のようになにかと世話を焼いていたミッドナイトが写真を見て千晶、と悲鳴じみたかすれた叫びを上げた。
体育祭のように手を拘束すれば爆破が使えない爆豪とは違い、千晶の個性を生かしたまま完全に封じ込める手段が分からない以上、ゼロ距離で急所を氷結の餌食になったり赤い糸で切り刻まれたりする恐れがあるからこそ、辛うじて強姦という女性の尊厳を踏みにじる最悪の手段は使われていないものの、こちらの動き次第では、奴らが焦って事を進めようとする可能性は大いにある。
「……イレイザー」
「……わかってる」
非合理的なことはするべきじゃない。感情に流されたら相手の思う壺。
今やれる最善を、するだけだ。
複雑そうな表情で見下ろしてくるブラドに、相澤は静かに立ち上がり、めったに締めることのないネクタイの結び目を締め直した。
それは気合を入れているような仕草に、ブラドの目には映った。
「それじゃあ、向かうとしようか」
ぴょこんと人間のそれより短い片腕を掲げた根津に続き、記者会見が行われる予定のホテルの、会見場所に続くドアをくぐる相澤の背中には、表情の冷静さとは裏腹に、隠しきれない怒気がゆらめいていた。