何度目か分からない攻防が続く。一方的に削られるばかりのオールマイトは、頭をフル回転させながら、この膠着した状態を打破すべく、何か手はないか、と歯ぎしりした。
「千晶くん! 目を覚ましてくれ!」
血反吐を吐きながら叫ぶオールマイト。けれど千晶の目はどこか遠くに焦点を結んでいて、目が合っているのに合っていない、そんな狂った印象を与えてくる。
実際、千晶の身体は今、AFOの個性「
攻撃された覚えがないのに気付けばいつの間にか凍らされていた。そんな奇妙な報告とともに、全身を霜に覆われ、身じろぎ一つで激痛と内出血が広がる、そんな悲惨な状態で教え子とその付き人の男が雄英襲撃から帰ってきたのを、画面越しに出迎えたその時から、AFOは星合千晶に目をつけていた。
体育祭では常に冷静と余裕を纏い、保須事件でも一人、プロヒーローでも気圧されるステインのプレッシャーをそよ風のように受け流した。そんな少女が一般人であるはずがない。そう確信した彼は彼女の過去を探り──そしてその半生が、本質が闇に属するものであることを知った。
普通なら死柄木同様、世の無関心と理不尽に恨み、憤ってヴィランとなっても可笑しくない経歴。それも、好都合にもオールマイトを後見人としている現状。体育祭の表彰で唯一呼び名が違ったところからして、さぞあの人のいい男は可愛がっていたのだろう。
か細い正義感の上を綱渡りする彼女を再び甚振って突き落とせば──これ以上ない教え子の味方になる上、宿敵への良い嫌がらせになる。そんな確信があった。あの頭脳は今後の
死柄木もまた、不承不承ではあったが彼女の拉致に賛同した。AFOから聞いた千晶の過去に、自力でヴィランから逃げ出すまで「誰からも救けてもらえなかった」ところに共感を覚えたのだろう。ただし、彼女がすがったのが、かの憎きオールマイトという点とUSJや保須事件で散々邪魔をされた件を根に持っていたから、同情半分、愛憎半ばといった所だが。
そう考え、彼女だけは多数の脳無を駆使して拉致した。オールマイトと張り合う脳無と、足手まといさえ居なければ15歳の若さながら、互角に死合う実力者だ。開闢行動隊の面々では、対応力に不安があった。
USJに送り込んだのと同じ、スピードに特化させながらもパワーを増強させた複数体の脳無での強襲。催眠ガスで眠らされ倒れていた生徒を庇わせ、退路を塞ぎながらの戦闘は、彼女の動きを著しく制限させた。
そして、ここぞというタイミングで黒霧のワープゲートを千晶の真後ろに開き、そこから脳無を追加した。完全な奇襲。脳無が手にした凶器で頭を何度か殴打し、ようやく気絶した少女を連れて黒霧のワープで拉致したのだ。
そうして連れ帰った後は、適当に集めたチンピラに少女を痛めつけて、命乞いをすればクラスメイトの安全と引き換えにヴィラン連合に入ることを強要させるつもりが、足を切断しても折れない強情さを見せた。時間もないから仕方ないと、強硬手段に出たが……それでも、完全に身体の主導権を明け渡さない程度の意思は残っているのを感じる。
AFOが千晶に使った個性は「
ただし、操るだけでは操り手が相手の個性の動かし方を知らないため、その体が持っている個性を十全には扱えない。しかしこの個性は「記憶を読み取る」個性と併用して使用すれば、脳の中のマニュアルを覗くことが出来、身体に染み付いた個性も、掛けた催眠の深度と個性そのものの練度に応じて操作が可能になる。
本来なら基本的な氷結攻撃だけでなく、彼女が隠し通してきた本気の実力や、頑なに隠してきた大技も使えるはずなのだが、抵抗しようとする意思が欠片とはいえ残っているらしい。最初の不意打ちで読み取れた記憶以降、完全にプロテクトが掛けられたように、個性で記憶を読み取ろうとしても、おびただしい数字の群れ──素数や円周率といった規則的な数字が延々と繰り返され続けるばかりになってしまった。
だからこそ、彼女が狂ったことを知ることができ、それと同時に、この少女の頭脳がいかに優れたIQを誇るのかを知ってしまったのだが。
狂ってもなお、あの無数に並ぶ文字列の群れを
だからAFOは千晶を完全に操れず、AFOの命令に沿って無意識的に千晶が盾を繰り出すように仕向け続けるしかない。
それだけでもオールマイトには効果覿面ではあるが、世間に星合千晶という最悪のヴィランの誕生を決定的に、華々しく喧伝するための、彼女の技をもっての無差別攻撃は難しいと考えていた。
オールマイトが後見人をしていた少女に手酷く裏切られ、無念の中斃れる……そして少女は死柄木弔の側で、悪辣な計画を練る厄介な参謀役としてヒーロー社会に牙を剥く……それこそがAFOが描いていた、最上の結果をもたらす一つの筋書きだった。そうすれば、彼女が途中で正気を取り戻したとしても、戻る場所は正真正銘、AFOの手中にしかないのだから。
個性を使えないのは誤算だったが、千晶の身体の自由は未だにAFOにある。ここでオールマイトらヒーローを退ければ、次に奪還しようと追っ手が来る前には、完全に彼女を傀儡に仕立て上げられるだろう。
軌道修正案を考え、AFOはそんな思考をつゆとも見せずにせせら笑った。
「酷なことを言うね、オールマイト。彼女がこんなに壊れてしまったのは、君の責任でもあるのに」
「黙れ! 貴様がそもそも諸悪の根源だろう!」
毒のように染み込んでいく猫なで声の呪詛を振り切るようにオールマイトが吠えるが、その勢いはやはり精細を欠く。爆豪と千晶、二人の存在が拳を、足を鈍らせる。
それでも──諦めない。
歯を食いしばった彼は、自らを奮い立てるように、そして少女に届けと声を張り上げた。
「君がたとえ悪の手に堕ちても……私は絶対に君を救うことを諦めない!!」
握りしめ、槍のように引き絞られたオールマイトの腕が膨れ上がるように隆起する。幾度もAFOに地面に叩きつけられ、擦り傷と土で汚れた顔で、けれど民衆を魅了してきた輝く笑みをその顔に浮かべて。拳を受け止めようと動き出す少女の魂に直接呼びかけるように。
「なぜって!?」
当たり前のように差し伸べた、彼女にとってなにより嬉しかった手を。
「──私が! ヒーローだからだ!!!!」
揺らす、揺れる。
その一言が、わずかに千晶の中に残っていた自我を、揺さぶった。
「──ぁ」
悪を砕くためではなく、救けたい者のために伸ばされた手が、一瞬、光を取り戻した瞳に映る。一年前、この世界に来たばかりの彼女の中の記憶と重なった。
一瞬の気の緩み。組み上げられる途中で処理が中断した術式は、オールマイトと千晶の間に壁を作ることなく──少女が半分無意識に差し伸べた手を掴ませた。少女の身体が、屈強な腕の中に引き寄せられる。
千晶を引き戻すために黒爪を伸ばしたAFOを、オールマイトは反対の腕で起こした風圧で弾き飛ばした。
「(──今!!!)」
その光景に、タイミングを窺っていた緑谷たちも動き出す。
緑谷のフルカウルと飯田のレシプロバーストによる爆発的な推進力。そして切島の硬化で派手に塀を壊し、視界が開けた瞬間、高く、彼らが飛翔するための坂道を、轟が空めがけて氷結で作り出す。
「(これまでヴィランに散々出し抜かれてきたけど、今、僕らがそれをできる立場にあるんだ! 手の届かない高さから戦場を横断する!)」
緑谷の策が成立し、飛び出してきた緑谷たちをヴィラン連合の面々は驚愕を浮かべて見上げるしかない。
そして、AFOがオールマイトの邪魔をしているということは、逆もしかり。不安材料であるAFOはオールマイトが抑える。もうひとりの不安の種だった千晶は今、オールマイトの腕の中。
──そしたら切島くんだ。僕じゃダメだ。轟くんでも飯田くんでも八百万さんでも……入学してきてからずっと、かっちゃんと対等な関係を築いてきた──
「来い!!」
必死に叫び手を伸ばした切島の手に、瞠目した爆豪が天を仰ぐ。そして死柄木の追いすがる腕を爆風で弾き飛ばし、空を爆風で飛び──
「……バカかよ」
その手を強く握りしめた。
「何ィィイ!?」
「(思ったとおりだ、向こうに釘付け! 今だ、逃げるぞ)」
空を推進力のまま駆け抜けていく緑谷たちに、ヴィラン連合も、オールマイトも驚愕を浮かべる。その隙を突いて、塀の影に隠れたままの轟と八百万は撤退のため密かに走り出す。
「(……星合)」
ヴィランの親玉とあまりに近すぎる上に洗脳されているため、敵に操られて反撃される危険もある以上。星合千晶を戦闘行為なしで救け出すことが難しいと判断した全員にとって、せめて爆豪だけでも脱出させ、オールマイトの負担を軽くすることが、彼らに許される、法に触れないギリギリの苦肉の策だった。
千晶のことはオールマイトに対処を任せ、後に残して逃げることを優先することへの悔しさとほんの少しの心残りが、轟の逃走の足を鈍らせ、一瞬背後を振り向かせた。
「──やれ、クリスティアナ」
その目に映ったのは、オールマイトに殴られて瓦礫の山に埋もれながらも、洗脳の影響を強めたAFOが命じたことによって、千晶がその手に小さな血のナイフをいくつも顕現させ、自らを抱きかかえるオールマイトの腕に、震える手で振り下ろそうとする光景だった。
「あぁあぁああ!!!」
緑谷たちに気取られていたオールマイトが、千晶の上げた絶叫と異変に気づいて、しまったと青ざめ、AFOがほくそ笑んだ、その時。
──今星合さんの身体を動かしてるのは、多分心操くんに似た『洗脳』みたいな個性だ。掛けたり解いたりする条件は厳密には彼とは違うだろうけど、催眠術を解くのと同じで、強い衝撃を与えたら解ける可能性が高い……!
だからヴィランのボスはオールマイトの攻撃を鈍らせるために星合さんを盾にしてるけど、星合さんの強みである多彩な攻撃や捕縛をさせないんだと思う……前に出しすぎて隙を突かれたら、せっかく掛けた洗脳が解けてしまうから……!
それに、『時間がなかったから完全ではない』とも言ってた。ってことは、相当星合さんも洗脳に抵抗したってことだ……! なら、まだ間に合う! なにかきっかけさえあれば、僕らが星合さんをここから救けるのは無理でも、操られてるのを止める手助けはできるはず!
緑谷の分析が轟の頭の中によぎる。
「──星合!!!!!」
生涯、これ以上出したことがないような、自分でも驚くほどの大声が出たことに、轟は一瞬遅れで気づく。
この大声で自分の居場所が知られ、危険に陥るとしても、後悔はなかった。
「目、いい加減に覚ませ!!!」
──もし僕らの中でそれができるとしたら、きっと轟くんだ
体育祭での轟と緑谷の一戦が終わったあと、観客席で千晶が見せた轟への懺悔と心配。そして緑谷が見てきた、轟が千晶に心を許し、彼女に時折ひっそりと向ける特別さを考慮した、緑谷の読みどおり。
轟が腹の底から突き上げる衝動のままに叫んだ言葉は、凶刃を振り下ろすその手の力を緩めさせた。
一瞬、ゴーグル越しに合った瞳に、轟は狂気めいた緑ではなく、あの濁りと透明が同居した、理性を灯す赤を見た。その指から血刃がこぼれ落ちるのを呆然と見下ろす少女が、一瞬正気を取り戻したのを見たオールマイトは、飛びかかってきたAFOをもう一度殴り飛ばして遠ざけると、即座に千晶の首筋に手刀を入れた。衝撃でのけぞった白い喉から、こほりと水音にくぐもった空気が押し出される。
「……すまない」
かくん、と糸が切れた人形のように弛緩した千晶の身体から、操られていた証拠でもあった幾何学模様が消えていく。軽い身体を、オールマイトは短い謝罪とともに抱きかかえ直す。気絶して操作が途切れた左足が形を失って、地面に血溜まりを作るのに構わず、オールマイトは大きく飛び退ると、AFOから遠く離れた安全な場所に千晶を横たえた。
その攻防と同時にマグネやコンプレスが磁力反発を利用し、空に逃げた緑谷たちを追おうとするが、一回目はMt.レディの決死の人壁に阻まれ、2度目も発射前に素早く現れたグラントリノによって阻止された。邪魔をした轟や八百万もすでに戦場を脱している。盤面の優勢が入れ替わる。
「グラントリノ! 遅いですよ!」
「お前が速すぎんだ。なぁあいつ、緑谷! ますますおまえに似てきとる!! 悪い方向に!!」
「保須の経験を経てまさか来ているとは……十代! しかし情けないことに、これで……心置きなく倒せる……!」
第2ラウンドが、今開始されようとしていた。