人魚姫は英雄の夢を見るか?   作:一星

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星合千晶:オリジン

 

 ──応えよ。答えよ。我が呼びかけ、我が祈り、我が願いに耳を傾けよ。

 

 

 ──足らぬ。

 ──何もかもが足りない。欠けている。渇き切っている。

 ──この不甲斐ない、情けない、不完全なワタシでは、かつて己が到達した最奥に届かない。

 ──跳ぶための足は欠けてしまった。なにより両足が揃っていたとしても、一方的に毟られた翼では満足に跳躍(フェッテ)もままならない。実験施設から救い出され、挫折と失敗を繰り返しながら再起し、屍山血河の上を歩き、自らの血肉で彩った、何にも変えがたい苦節と成長の「あと一歩の血と肉体」に届くまであがき続けた十年間を奪われた時点で、ワタシは万全には程遠い。一度目の15歳の時、心身ともにボロ雑巾になっていた、無力で無知な小娘と何ら変わらない。がらんどうの人形に必死に詰め込んだ知恵と努力。必死に人の真似事をするヒトもどき。不死者に対する兵器。それがワタシ。

 

 

 ──だが今はどうだ、それ以下の何かでしかない。スケールダウンした身体では、思うようにチカラが(ふる)えない。ああ、なんたる無様。なんたる醜態か。これでは虫けら以下の価値もないではないか。

 ──ようやく、ようやく。ずっと焦がれてやまなかった、かけがえのないものを手に入れようとしているのに! 

 

 

 ──だから、どうかこの声を聞き届けてはくれまいか。

 ──断絶の湖面より翔び立つための翼が欲しい。忍び寄る絶望を振り払うための足が欲しい。守りたいものを護れるように。差し伸べられた手を取って、今度は私が沈みゆくあなたを救けるためのチカラが欲しい。

 

 ──かつてこの身より奪った価値を、時間を、力を、再びこの手に。

 

 

 ──管理者より応答。過去記録パターンより■■■と認証。

 ──第一、第二封印条件、クリア。拘束解除要請受諾……

 

 

 

 ──第一拘束・限定解除。

 ──開帳許可、承認。

 

 

 ──■■■へのサルベージを開始します。

 

 

 

**

 

 

 激闘は続く。ワン・フォー・オールの超パワーを使って大規模攻撃を相殺し続け、ついに、オールマイトは長年隠し続けてきたトゥルーフォームを世間に晒すこととなった。

 平和の象徴、No1ヒーローの実態に、世間が一瞬、事態を把握できずぽかんとする。

 

「なんだ、あのガイコツ……」

『えっと……え……? 皆さん見えますでしょうか? オールマイトが……しぼんでしまっています……』

「そんな……ひみ……つ……」

 

 空の報道ヘリが捉えた姿に、安全な圏外に離脱した緑谷が秘密の露見に愕然と立ち竦む。

 

 

「頬はこけ、目は窪み! 貧相なトップヒーローだ! 恥じるなよ、それがトゥルーフォーム(本当のキミ)なんだろう!?」

 

 だが、オールマイトは屈しない。鋭い眼光を向けるオールマイトに、もう一つ、AFOは用意していたいやがらせを──死柄木弔が、オールマイトの師匠・志村菜奈の孫だということを明かす。知らず、師匠の孫を害していたことに打ち震えるオールマイトに、背後から彼が守った、瓦礫に挟まれたままの女性が涙を流しながらか細い声をかけた。

 

「負けないで……オールマイト、お願い」

 

 その少し手前には、避難させた教え子が横たわっている。

 

 

「救けて」

 

 

 その声は、思いは、一人、二人、テレビ中継を通してどんどん伝播していく。一瞬の困惑が徐々に、平和の象徴への、これまで日本を支えてきた彼への声援に変わる。

 

「まっ、負けるな! オールマイト!」

「頑張れえええええ!!」

 

「勝てや!!」

「「オールマイトォ!!」」

 

 緑谷と爆豪が、力の限り叫ぶ。

 その言葉は遠い。オールマイトに直接届くことはない。

 けれど、確かな熱となって、かすかに残ったオールマイトの中の力の残り火に薪をくべる。

 

 

「お嬢さん、もちろんさ」

 

 穏やかな低い声が、巻き込まれた女性を元気づける。

 

「ああ……! 多いよ、ヒーローは……! 守るものが多いんだよ、オール・フォー・ワン」

 

 噛みしめるように呟いたオールマイトの右腕が大きく隆起する。

 

「だから、負けないんだよ」

 

 まだ残るOFAの兆し。それを警戒したAFOが大きく腕を巨大化させ、空気砲をオールマイトに向けて、今夜何度目か分からない大規模攻撃を放つ。背に守るものを庇うオールマイトが力を振り絞って正面から相殺しようとした、その時。

 

 

 

 

「エスメラルダ式、血凍道──」

 

 

 

 その姿を寸前に察知できたのは、オールマイト、そしてAFOのふたりだけだった。

 それほどに疾かった。かろうじて彼我の間に入ったということだけが分かるほどに、その姿は攻防の一瞬に滑り込むようにして乱入してきた。

 

 

「──!!!」

「──……なんて子だ、自力で……」

 

 爆風が晴れる。革張りの爪先が真っ先に砂煙の中から覗き、やがてその輪郭が顕わになる。

 オールマイトを庇うように立っていたのは──

 

 

「オールマイト。遅くなりました」

 

 

 氷で出来た盾を前に、どこかすっきりとした、憑き物の落ちた顔でオールマイトを振り返って微笑む、星合千晶の姿があった。

 

 

 その姿に、中継を見た誰もが度肝を抜かれる。ヘリが到着したのは千晶が昏倒してオールマイトの背後に避難を終えたあとで、それまではオールマイトとヴィランの戦闘にカメラが向いていたため、報道カメラがその時初めて、その場に彼女がいたのを捉えたのだ。ヴィランの手先ではないかと、嘲笑って、見下していた少女の凄惨な姿を。

 オールマイトと変わらないくらい、傷だらけ、血みどろの華奢な肢体。ゴーグルが外されたことによって腫れ上がった顔の全貌が見えた。右手の小指と薬指はあらぬ方向にひしゃげ、左足は太腿から下が赤い液体で形作られ、立てているのが不思議なほど、不格好に欠損を補ってようやく立っているといった有様。

 それでも、そのおびただしい火傷と古傷で蹂躙された背中は、15歳と感じさせない頼もしさで、オールマイトの前に広がっていた。

 

「千晶くん……君、洗脳が解けて……」

「はい。オールマイトと轟のおかげで」

 

 そう答える姿からは、ドラッグによる幻覚で正気を失っているようには見えなかった。吐いた言葉の音一つ、狂気どころか煮崩れひとつない。普段どおりの聡明さを見せる少女に、AFOはおやおやと瓦礫の中から興味深く見つめた。

 

 

 AFOが知らなかった事実だが──そもそも彼女がこちらの世界に落ちてから、誰にも明かしたことがないのだから漏れようがないのだが──星合千晶が数年の人体実験で得た副産物の能力の一つに、毒耐性がある。

 人類初の無属性血液の持ち主を簡単に死なせないため、ありとあらゆる毒を服用させられ(しかも一切事前説明なしで食事や水に混ぜられた)、気が狂いそうになりながら中毒状態に無理やり慣れさせられたのだ。

 そのため、体内に直接注入するタイプの毒や薬物は、注入と同時に即座に身体が反応して、体内に拡散する前に薬物成分だけを集めて、正常血液の殻で毒性を覆うことで分離してしまうため、擬似的な無効化が可能な身体になってしまっている。酒を飲んでも酔わないのはこの毒耐性が原因で、アルコールを毒判定して、酔っ払う前に即座に肝臓で分解されてしまうのだ。

 ただし、毒耐性と言っても完全なものではない。毒ガスなどの粘膜から吸収される気体毒は、血液で隔離する事ができない以上、耐性が弱いという欠点も持っていた。

 

 

 合宿所に出現していたガスヴィランが放出していたのは、催眠ガスの一種で皮膚や粘膜から呼吸器に影響を及ぼす物だったため、ガスエリアを駆け抜ける際、千晶は自分の体の周りに風の膜を作って走り抜けていた。風の膜の内側の空気のガスを薄めたとはいえ、それでも完全に除去できるわけでもないので、遅々とした侵食は受けていた。動きが鈍くなった状態でAFOが操る脳無軍団を迎え撃って、多少凌ぎきれただけでも僥倖だった。牙狩りとしては、いくらハンデがあろうと、あんなただのデカブツに負けるとは屈辱だったが。

 

 対して、洗脳のために抵抗を弱めようと(AFOとしては心を壊したほうが都合が良かったのだろうが)注射されたドラッグは血液経由だったため、即座に毒は凝固され幻覚作用は発生していない。だから、やろうと思えば洗脳を跳ね除けることだって可能だった。

 だが、熱に浮かされて衰弱しきった身体でオールマイトの宿敵に反抗するのは下策と考え、うなされているフリをしたのだ。不意打ちの最初の幻覚は本気でリアルすぎて、流石の千晶でも辛かったが。

 幻覚に狂うヤク中の人間などいくらでも見てきた。人体実験のときには、正気を失ったことも何度もある。発狂の演技などお手の物になってしまうほど過去に繰り返した自分の(さが)が悲しい。演技が通用するかは一種の賭けだったが、なんとか成功した。

 

 しかし、AFOのゴムマスクをかぶったような、眼窩も眉も頭髪もないのっぺりとした、目などなさそうな素顔。その口と鼻以外存在していない平坦な顔面で何の不都合もなく過ごし、声のニュアンスだけでは読み取りきれない、表情などの視覚由来の感情情報を時折言葉にするので、なんとなく読心術を使われていそうな気がした(実際HLの住人や13王の何人かはしれっと読心術を使ってくるのでありえないという発想自体なかった)千晶は、得意の並列思考でひたすらに円周率を唱えて表面の思考にフィルターを掛け、別の思考で相手の出方をひたすら探っていた。

 思考フィルターのおかげで相手が勘違いしてくれるのは大変助かった。よもや読心術対策でひたすら円周率やら素数やら、無限ループできる数字の羅列を頭に浮かべる女が、まさか正気とは思うまい。

 

 

 その上で洗脳を受け、命令されなければある程度自力で身体を動かせるレベルの支配権を維持しながら、AFOに従っているフリをして虎視眈々と捕縛タイミングを図っていた。

 だが洗脳にイマイチ掛かってないのがAFOに気取られたのか、じわじわ個性の影響力を強められていた。反撃は諦めて完全に乗っ取られる前に戻ろうと、伸ばされた腕を掴んでオールマイトに保護されたまでは良かった。その直後、ダメ押しのように「傀儡人形(マリオネット)」の催眠効果に加えて洗脳系の個性を追加で重ねがけされるまでは。ナイフを突き刺そうとした時にはほぼ完全に相手の人形になっていた。

 手放すものかと唯一支配権を手放さないままだった血液操作で、自分に天網恢恢(強制停止)を掛けて肉体の動きだけでも止めようとした矢先だった。

 

 

 ──星合! いい加減、目、覚ませ!! 

 

 

 あの轟の必死の呼びかけでAFOの意表を突いてくれたおかげで、ほんの一瞬にも満たないわずかな時間──AFOですら知覚できない秒以下の世界だ──だけ、個性の支配が緩んだ。その隙に天網恢恢を発動。動きを止められ力の緩んだ手からナイフがこぼれ落ち、かろうじて恩人の腕にナイフを突き立てる蛮行を回避できたのだ。オールマイトの手刀によって意識が落ちたことで掛けられていた「傀儡人形(マリオネット)」が解け、ようやく先程手刀の衝撃から目が覚めた、というわけだ。

 

 

「素晴らしい」

 

 再び、建物ごとこちらを衝撃波で押しつぶさんと空気砲を向けるAFO。オールマイトが血相を変え、前に出ようとするのを華奢な手が制した。その指の上で、千晶自ら掛けた氷の封印が解かれる。

 

「大丈夫」

 

 そうやって力強く微笑んだ少女は、ざらりと靴裏で地面を撫でた。

 地面に描かれた十字架の靴跡が周囲の水分を一瞬で奪い、強い光を発した。

 AFOまっすぐ見上げたまま、千晶は片腕はだらりと下げ、腰を落とし足幅を大きく開いた構えを取る。

 戦闘時には無手での自然体(ノールック)を常とする彼女が、腰を落として構えた姿からして、これまでと明らかに違う。

 

 

「任せて」

 

 

 決然と信念を秘めた横顔で、少女は迫り来る暴風を迎え撃つため、静かな声で異国の響きを紡いだ。

 

 

永久凍土の城塞(アルクス・アエテルタナ・グラキエース)

 

 

 呪文のような聞き慣れない響きが声になった瞬間、(ゴウ)と暴風が千晶とオールマイトの耳を打つ。衝撃波に身構えていたオールマイトは、いつまでもその衝撃が、来るであろう突風が来ないことに目を見開いた。

 そして、その場にいる全員がそこに出現したものに目を疑い、これは夢かと目を瞠る。

 

 それは、どこまでも碧い、現実味のない透明な壁。あまりに鮮やかなセレストブルーの氷。

 体育祭で轟が見せた最大出力の氷壁とはまた違う。あれを武骨な剣山とするのなら、この氷壁は整然と並ぶ氷の砦。

 

 高層ビルすら根こそぎ抉り取る空気砲に対して堅牢なる氷壁は、つるりとした表面に傷一つ付けずにその衝撃波を受け流していた。

 

 

「──す、ご」

「なんじゃ、ありゃ……」

 

 2mを超す巨大かつ重厚な壁が荒野に鎮座していた。並び立つその有様は盾のようにも、城壁のようにも見えて壮観な見栄えである。

 周囲の地面に抉れ飛んでいない分の段差や地形が前後で全く変わっていないことが、AFOの衝撃波を完璧に受け流したのを物語っている。

 

「(いや、受け流したんじゃないな……無効化したとは)」

 

 AFOも少なくない驚愕をもって氷壁越しの彼女と、状況を観察した。

 数年前のオールマイトとの激戦で視覚を失った彼は、残った僅かな個性のストックと、視覚という人間の最大の情報入力装置を失ったことでより鋭敏に変化した他の知覚をもって戦っていた。「赤外線」という個性の特性から生物の熱源を微かに感知し、「音・振動」で衣擦れの音、空気の僅かな振動から動作を推測し、千晶の読みどおり、「感知」で感情の動きや前後左右、高低といった空間把握を補助していた。この「感知」は千晶のトラウマを引き出す際、脳に保管されている記憶情報から恐怖という強い情動を感知するため、読み取った内容を口にしてほんの少しでも反応があったものを「記憶再現」でもう一度実体験させるのに使用している。

 

 その個性の掛け合わせによって、視覚というハンデがありながらも、オールマイトと互角に戦闘しているAFOの個性は、衝撃波があの氷壁に触れた瞬間「()()()()」と伝えていた。

 

 

 衝撃波といっても、その実態は複雑だ。

 衝撃波とは空気を超音速で移動する物体の周囲に発生し、発生したそばから急激に減速し、最終的には音波(ソニックブーム)となる。つまり、衝撃波とはそこに存在する空気を無理矢理に押しのけるように掻き分けた結果に生じる、圧縮された空気。その減衰速度は超音速領域の世界であり、本来人間が知覚することなど不可能。AFOの空気砲は本来なら「放ったと相手が知覚するよりも速く着弾している」という回避不能に近い代物だ。それをオールマイトはAFOとの戦闘経験からある程度予測し、ワン・フォー・オールという超パワーによる衝撃波をぶつけることで強引に相殺している。

 

 だがそれ以上に常識はずれなやり方で、千晶は衝撃波を相殺させた。エスメラルダ式血凍道を彼女にしか出来ない方法で高みに押し上げた奥義が一つ、「永久凍土の城塞(アルクス・アエテルタナ・グラキエース)」。スペイン語を技名とするエスメラルダ式がひとつに数えながら、その名をラテン語で表すその技は、(エスクード)から派生した上位技。盾よりも倍の血液消費量と構築速度を犠牲に、堅牢さを爆発的に上昇させたもの。

 

 

 エルメラルダ式血凍道の歴史を一歩進めるこの技の誕生には、クラウスの生家であるラインヘルツ家が深く関わっていた。

 

 

 ドイツにて公爵位を冠するラインヘルツ家は牙狩りの数ある名家、有名流派の中で一線を画する知名度を持つ。

 たとえ空間ごと消滅させる異界武器であっても殺せない不死者、血界の眷属(ブラッドブリード)の攻撃を防ぎ切る血の十字架、「絶対不破血十字楯(クロイツシルトウンツェアブレヒリヒ)」。999まであるブレングリード流血闘術の技の117式にして、現状牙狩りが誇る最高にして最硬の盾を操る一族。

 

 その盾が、滅獄と呼ばれるラインヘルツ家が伝承してきた格闘術と血統が、なぜ特別視されるのか──その理由は、血法に「時間を止める」という概念を付加できるという一点に尽きる。

 他の流派は属性のある血液をそれぞれの攻撃の形に変化させることで攻撃を行うが、ブレングリード流の技はそれより更に複雑な「段階」を重ねることで、ついに人間が古来より挑んできた、時に手をかけるという偉業を成した。そこまでしないと吸血鬼を半永久的に封印する事ができなかったという、止むに止まれぬ事情から偶然が重なり、血法が進化したともいえる。

 

 その結果、ブレングリード流血闘術はついに、長らく術式こそ完成していたものの、実現不可の空論とされていた「密封術」と、吸血鬼の攻撃力をもってしても壊れない防御力を手に入れた。人間の物理法則から外れた現象存在である血界の眷属が「己の存在を世界で確たる者にしてしまう」唯一の弱点ともいえる諱名(いみな)がなければ発動できないが、その命綱を掴むことで発動する999式『久遠棺封縛獄(エーヴィヒカイトゲフェングニス)』は吸血鬼の肉体を時間が停止している棺の中に封印し、その十字架を圧縮することによって半永久的な密封を可能にした、人類初の画期的な奥義とも言えた。

 

 

 その十字架自体にも時間停止概念が作動しているため、ありとあらゆる攻撃は盾に触れた瞬間、位置・圧力・温度・密度・音・光エトセトラ、あらゆるエネルギー運動を強制的に停止させられゼロとなる。ゆえに、たとえ吸血鬼の圧倒的な膂力をもってしても解放することは不可能。術者を上回る、時間を操る神性存在が時間を再び動かす、あるいは早回しさせるなどの「時間」という土俵で動かさなければ破壊不可能のオブジェクトとなる。

 

 

 

 ただし、そんな必殺技が使える人間というのは、ラインヘルツ家でもほんの一握り。ライブラリーダーであるクラウスは、滅獄(ラインヘルツ)が「時間停止」の奥義を開発してから初めて、999式を実際に実戦レベルで発動せしめることができた秘蔵の天才である。まさしく世界の希望だと周囲の期待を集めるのもむべなるかな。さらに、密封術の行使に必要な諱名を読み取れる神々の義眼保有者がその天才の味方についたことで、牙狩り上層部が数千年の歴史で初めて見えてきた希望の光にお祭り騒ぎになったのも無理はない。

 血統と才能がまず求められ、習得者が非常に限られるブレングリード流。クリスティアナは牙狩り強硬派の追手を避けるため、彼らが迂闊に手出しできないラインヘルツ家で匿われ、監禁で衰えた体を再度鍛え直す過程で、許可のもとその奥義の一端に触れた。いずれはクラウスの伴侶にと望んだラインヘルツ家の思惑はあれど、それを抜いても彼女を気に入った彼らは、その素質に相応しい知性と能力を備えるべきと考えたために。

 

 クリスティアナはその期待に応えた。その自己肯定感の低さから、まさか自分が受けているのが淑女教育(マイ・フェア・レディ)どころか、ラインヘルツ家プロデュースの花嫁修業だとは思い至らなかったものの、クラウスのためになる人間になることに否やはなかった。むしろ志願してでも受けた恩に報いる気でいた。ブレングリード流の理解のためにと渡された秘術を、その類まれなる頭脳で解析、二段階属性変換という自分の特性を応用し──クリスティアナはブレングリード流のような半永久性こそないものの、一時的に「時間を止める」ことに成功した。

 

 

 絶対零度の盾(エスクードデルセロアブソルート)の上位技である永久凍土の城塞(アルクス・アエテルタナ・グラキエース)も、その時間停止のエッセンスを組み込んで作られた技だ。消費血液量を増やした分、氷壁の密度を上げ、その表面に擬似的時間停止の術をコーティングして発動させる。これによりAFOの衝撃波は着弾した瞬間にエネルギー運動を「停止」させられ、被害の一つもなく打ち消されたのである。

 

 

 

 勿論、そうポンポンと発動できるものではない。

 千晶の、クリスティアナの身体はエスメラルダ流に最適化されたものであり、ブレングリード流のように大量の血液を消費するのに長時間耐えうる器ではない。さらに擬似的時間停止を起こす術式の「段階」が多いがゆえに、純粋なエスメラルダ技に比べて手間が掛かる分、発動時間が遅く、負担も大きい。15歳時まで退化し、通常の技でさえ血液消費量が増えた今の身体では多用出来ないピーキー技だと自主的に封印していた。

 

「(……けど、どうしてだろう。あんなに身体が重かったのに、今はすごく軽い)」

 

 できそうだと、何の確証も、検証もなく、そう思ってしまった。

 昏倒する寸前と目覚めてからの体の感覚がちぐはぐだ。身体がボロボロなのに気分はとても軽くて、冴え渡るように澄んでいた。

 ある意味博打のような試みだったが、不思議と心配はしていなかった。必ず防げる、と。何しろ相手は個性で半永久的に生きながらえているといっても、所詮は人間の範疇。時間や空間など人智の及ばぬ神秘を行使する神性存在と比べれば、恐るるに足りなかった。

 

 

 

 ふう、と白い冷気を吐き出しながら、その盾を一瞬で立ち上げてみせた少女に、一切の気負いはなかった。 

 

「ふむ、氷の壁か……体育祭で本気を出してないのには気づいていたが、凄まじい練度だ。その壁を出すのにどれだけ練習を重ねたのかな」

「あんな衆人環視で手の内全部ひけらかせるほど、素直じゃないんでね」

「そこまで考えて力を抑えて、縛りを掛けてあの活躍か、全く恐れ入るよ」

 

 ぶくり、再びAFOの腕が隆起する。それを見た千晶がゆらりと左手を閃かせると、指輪から溢れ出した血が三叉槍となりその手に収まる。その槍を構えた時にはすでに千晶の表情は凍え、戦士としての顔つきに変わっていた。

 

 

「しかし、不完全とはいえトラウマを再現され、幻覚作用のあるドラッグで見たくないものを見せられ、それでもなお折れないか。本当に──しぶといね」

 

 

 その言葉を皮切りに、抉るような空気の弾幕が雨のように降り注いだ。

 

 

(シィ)ッ!!」

 

 

 その展開された弾幕の着弾点を瞬時に見切り、「城壁」ではカバーできない、と判断した瞬間にはもう、千晶は地面を蹴って大きく前に出ていた。

 

 気合一閃。

 柄に這わせた指がなめらかに動き、三叉槍が着弾タイミングがわざとずらされている空気の弾丸を斬り、穂先に圧縮させた風の渦が弾丸を相殺し、受け流し、その一切を無力化させていく。千晶やオールマイトにだけでなく、嫌がらせのように後方の瓦礫に挟まれて動けない女性めがけて放たれたものも、槍捌きの間隙に繰り出した鎌鼬をぶつけて相殺する。

 踏み込みから指の運び、流れるような重心移動から繰り出される槍捌き、それに合わせて揺れる黒髪とドレスの裾さえも一つの生き物、あるいは風と一体化したように流れる様はどこか演舞に似ている。

 ただし、それが常人にはとても目で追えないほどの速さで、一切の切れ目なく繰り出される点において、魅せることが目的の演舞とは一戦を画す、純粋な戦闘術であることを物語っていた。

 

 

「なんだ、あの速さ……!」

「(これが、千晶くんの実力……!! 普段とは比べ物にならない、いや、むしろあれすら本気に届いているかどうか)」

 

 

 民衆は勿論、平和の象徴として前線に立ち続けてきたオールマイトでさえ、動きを目で追うのがやっとなほどの怒涛の連撃に息を呑む。

 学校で普段見せるスピードなど、あの槍捌きと比べれば児戯に等しい。

 

 

「(10年分退化し、ダメージが蓄積したボロボロの身体でもあの速さ、威力。全盛期がどれほど強かったのか、想像すらできん)」

 

 これこそが人智を超えた不死者と戦うもの。

 鬼に牙を立て喰らう牙狩りの一つの武の極地。

 人でありながら人の範疇を踏み越えたものの神業。

 

 悪の権化であるAFOすら死柄木に立ちはだかる明確な脅威として認めた少女の本領。底なしの本気。敵であればどれほど恐ろしいか。そして味方であれば、どれほど心強いか。如実にこの状況が顕している。

 赤い瞳は輝きを増すばかりで、瞳孔が開きかけた状態で高揚の笑みを浮かべる様は苛烈そのもの。

 見えない圧縮空気の弾丸を全て叩き落とした少女と、眼球のないAFOの平坦な眼窩が交差した時──

 

 

「!」

 

 

 ボッ、と横合いから紅蓮の炎の大渦がAFOに向けて放たれた。しかしそれに簡単に呑まれるようならオールマイトと同等に交戦などできるはずもない。慌てることなく圧縮空気で打ち消そうとAFOが腕を膨らませ、衝撃波で強引に打ち消してみせる。

 

 炎が飛んできたほうを千晶が見れば、炎を飛ばしたエンデヴァーが唖然とこちらをガン見し、隣の忍者姿のヒーローも、覆面で顔の下半分が見えない上からでも分かるほど、はっきりと表情を引きつらせている。確かNo5ヒーローのエッジショットだったな、と千晶は体育祭後に自分に来た指名一覧を調べた際に手に入れていた情報とヒーローを一致させた。

 

 

「なんだ……貴様! その姿は何だ、オールマイト!!」

「全て中位(ミドルレンジ)とはいえ……あの脳無たちをもう制圧したか。さすがNo2に上り詰めた男」

貴様(オールマイト)……なんだ! その情けない姿は!!!」

 

 

 エンデヴァーが長年圧倒的な彼我の差に絶望しながらも追い続けた背中が、その面影もなくしぼんで項垂れている頼りなさに見かねて声を張り上げる。

 

 

 

「応援に来ただけなら……観客らしくおとなしくしててくれ」

「抜かせ、破壊者。俺たちは救けに来たんだ」

 

 

 自分そっちのけで恫喝するエンデヴァーに水を差された気分なのか、先程よりも声を低くし、空気砲を放とうとしたAFO。その身体めがけ、音速に達するスピードで身体を細く鋭く捻ったエッジショットが迫るが、体を反らして最小限の動きで躱される。それでも、AFOの意識を少しでも逸らせた時点で、千晶がそう仕向けたように、エッジショットの目的も果たされていた。

 素早く飛び出したシンリンカムイの木の腕が、Mt.レディやベストジーニストたちを抱えて戦場から離脱し、ラグドールを片手で抱えた虎も、オールマイトと千晶の背後の逃げ遅れた女性の救護に回る。

 

 あの邪悪な男を止めてくれ。

 誰もが、あなたの勝利を願っていると、虎は民衆の声を届けた。

 どんなに痩せ細った、変わり果てた姿でも、貴方は皆のNo1ヒーローなのだと。

 

 虎が代弁した言葉は確かに、ここには届かない国中の、幾多もの想いそのものだった。

 

 

 後ろの一般女性も無事に安全圏内へ救け出された事をちらりと横目で確認した千晶は、傍らのオールマイトの肩に触れた。右腕だけマッスルフォームをかろうじて維持している、いびつな、バランスの悪い姿。たとえそれ以外が痩せ細っていても、どちらも千晶にとっては頼もしいひとの肩だった。隆々とした肩に乗せられた手と千晶の顔を見比べたオールマイトに、千晶はAFOから視線を外さないままに、ぐっ、と乗せるだけだった手に力を込めた。

 それは、「頑張って」というエールのようでいて、「任せます」という力強く送り出すようなサインだと、オールマイトは言葉はなくとも肌で、その表情を見て感じ取った。

 落ち窪んだ眼窩の中に光る晴天の青と、静謐な光をたたえた鼓動を刻む赤が見つめ合う。数秒だけの交差。

 

 それだけで、意思疎通は十分だった。

 

 

 エンデヴァーとエッジショットがAFOを引きつけている間に、千晶が大きく飛び退き、AFOやオールマイトから間合いを取る。その動きに気づいたAFOがおや、と片眉を上げる。

 

 

「逃げるのかい? てっきりそこの死にぞこないを庇うために飛び出してきたとばかり思っていたよ」

「戦略的撤退、あるいは後を託すと言ってほしいね。飛び出したのはオールマイトの余力の温存のため。エンデヴァーとエッジショット、グラントリノ。この面子が揃った時点で、資格も持たない一学生が出しゃばる所なんてない。相澤先生の戦闘許可は身を護るためのもの。ヒーローがこれだけ揃ったなら、私はただのお荷物だ」

「邪魔になるから退く、か。物分りが良すぎると言われないかい? そういうのもヴィランの教育の賜物かな」

「安い挑発をどうも。生憎子どもで居られなかったものでね」

「だから不思議なんだよ、自力で逃げ出すまで誰も気づいてくれなかった、救けてもらえなかった君が。なぜよりにもよってヒーローなんて目指すのか。世界に絶望し、復讐するか、それとも再起不能になるのが普通の反応だと思うけどね。……弔のように」

 

 

 その言葉を受けて、千晶の伏せた睫毛がかすかに震えた。飛び退った体勢のまましゃがみ込んでいた彼女は、「普通、ね」とひとつ呟きながら、すっくと立ち上がった。

 直後、AFOは自分に向けられた真っ直ぐな瞳に、気圧された。

 敵意も、恐れもない、鏡のような瞳。およそ百年、裏社会の王として君臨してきたAFOを畏怖や敵意で見上げてきたものは数あれど、これほどまでに何も映さない瞳は、見たことがなかった。

 

 

「地獄など幾度も見た、人の我欲を、憎悪を、怨恨を。……この人生は地獄に満ちている」

 

 

 数え切れないほどの地獄を見た。

 それは映像の中で、ヒトの反撃を嘲笑う吸血鬼が作り上げた、乗船していた人間の肉と血で作り上げたおぞましい十字架。

 それは一方的に蹂躙され、腐っていく仲間の骸も持ち帰ることも出来ずに、その薄暗い密林の根城から撤退を余儀なくされた、極限の灼熱が満ちる真昼。

 それは、数年間ありとあらゆる実験と苦痛を味合わせられながら、死ぬことも許されなかった、監禁されたカビと停滞の満ちる研究施設の鉄格子の中の風景。

 それは、楽しいホームパーティーを一変させた、自分に向けられる腕の成れの果てで出来た銃口。冷笑する口。形勢逆転後、闇に連行されていく霜に覆われた友人の懺悔の表情。

 

 

 不死者を殺す対抗者。死なないモノたちを殺すという矛盾に立ち向かう牙狩りの人生には、無情な現実も絶望も、日常的につきまとうものだ。払った犠牲に(あた)うような成果などほとんど得られない。牙狩りの精鋭たちの殆どが、無念の中、血溜まりに物言わぬ骸になって沈んでいく。ヴァンパイアハンターという裏社会の職業ゆえに、その奮闘、功績に栄光はない。名誉も称賛も得られない。

 ライブラだってそうだ。数え切れないほどの恨みと憎悪を積み上げながら、世界崩壊の危機を救い続けている。

 

 

「生まれを呪った、親を憎んだ、血を疎んだ。ああそうだ、わたしに綺麗なものなどこれっぽっちもないとも」

 

 

 恨み、復讐者となっても不思議ではない半生。そう言われて仕方のない人生だった。

 祝福されることはなく、報われることはなく、顧みられることもなく。欲しいと願ったものは何一つ手の中にはなくて、残っていたのは得たくもないものばかりだった。

 今だって、叶うならば血をそっくりそのまま別のものに入れ替えてしまいたいくらい、この血が忌まわしい。便利ではあるが、それ以上の価値などない。他人のために貢献する道具としてしか、千晶は自分の生を、おぞましさを受け入れられない。

 何度だって諦めた。ままならない人生だと肩を落とした。

 

 

 

「だが、それがどうした?」

 

 

 そんな人生の中でも、かすかに得た光があった。

 それは師や兄弟弟子達の、仲間の、兄や恩人の笑顔。

 生まれ育った海辺の青い街並みや、霧に包まれた摩天楼。

 ささやかな普通の暮らしを、非日常が日常の毎日を、守りたいと思ったのだ。

 報われなくてもいいからせめて、自分と同じ辛い目にあって、理不尽にすり潰され、孤独に子どもが泣くようなことのない世界を、願った。

 

 

 それこそが、クリスティアナ・I・スターフェイズ(星合千晶)原点(オリジン)だった。

 

 

 

 緑谷出久や轟焦凍の「救けたい」という思いでもなく。

 爆豪勝己が抱いた「必ず勝つ」という決意でもなく。

 

 世界の均衡を、人類の守護を担ってきた彼女らしい、「守りたい」という意思の結晶だった。

 

 

「わたしがこの忌々しい力を鍛えたのは、捨てられないのなら、せめて誰かを守れる人間に成りたかったからだ。それこそがわたしの生きる価値であるべきだと、思ったからだ」

 

 

 破壊ではなく守護のための力だと、ずっとずっと前に、そう定めた。

 気高き牙狩りは笑う。

 絶望の中で息が出来なくなりそうになっても、牙狩りは守りたいもののために戦うのだ。

 遙か先、化け物たちの脅威を駆逐する未来を、おとぎ話ではなくいつか必ず達成する目標として夢見ながら。

 

 

「たとえ千の挫折を突きつけられようと、私の生き方を捻じ曲げる理由にはならない」

 

 恩人(クラウス)が度々口にする金言を、千晶もまた口にした。

 奇跡はすがるものには与えられない。

 ハナからそんなもの起きやしないと、限界の先まで足掻く者が掴んだほんの僅かな可能性の未来こそが、奇跡と呼ぶべきものだ。

 

 足が折れても、血で補えばいい。まだ心臓は止まっていない。心のひとかけらも、折れてはいない。

 ならば、この足の前に、道は続いているのだ。歩みだすか、引き返すか、あるいはただ立ち止まるのか。その裁量は自分だけに委ねられている。

 そう、

 

 

光に向かって一歩でも進もうとする限り! 人間の魂が真に敗北することなど断じてない……!!

 

 

 

 踏み出す勇気さえ、あれば良いのだ。

 

 大声一喝(だいせいいっかつ)

 天に、AFOに向かって腹の底から吠えた少女の声が、電波を通して無数の人々の心を震わせる。かつての巨悪、ステインのように。

 綺麗事を並べた薄っぺらな詭弁ではない。その言葉には、何度も世界を救ってきた者としての重みが、込められていた。

 

 胸に抱いたひとつの輝かしい誇りは、空気をはらんで声帯を震わせ、音になって、世界へと羽ばたく。

 無情な現実に下を向きかけていた民衆に、ヒーローたちに、オールマイトの心に、確かな炎を灯しながら。

 

 

「わたしの人生はお前にとってはつけ込むのに格好の悲劇(エサ)だったろう。自分の駒に引き込める使い勝手の良さそうな小娘だと侮った、それがお前の過ちだ」

 

 

 

 たとえ地獄の只中にしか在れない運命だとしても、絶望的な事実を前に、打ちのめされても。

 諦めることとは違うのだ。

 光は失われていない。目蓋を閉じた薄闇の中に、今もなお輝き続けている。

 この先に、いかなる結末が待ち受けていたとしても──―戦い続ける。

 そう決めた。ならば、もう揺らぐことはない。

 

 

「見縊るなよ。お前の計略など、これまで潜った死線のどれよりも生ぬるすぎて、地獄には程遠い」

 

 

 みっともなく最期まで生き足掻こう。命が尽きるその瞬間まで。

 

 千晶の色素の薄い瞳に、生気という名の虹色が差し込む。恩人を傷つけ、自身を雑草のように扱った男への静かな怒りが、瞳孔を開き、その瞳を輝かせた。

 

 

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