永いような、それでいて一瞬のような、夢を見ていた。
内容はもうはっきりとしない。ただ、幸せな夢だったという思いが、漠然と湧き上がった。
眩しさが目に染みて、ゆるりと持ち上げかけたまぶたをぎゅっと閉じた。
少しずつ戻ってきた聴覚が、傍らで規則的に心音を刻むモニターや、窓からかすかに吹き込んでくる車のエンジン音や生活音を捉えていく。かたん、と部屋の隅でなにか物音がした気がして首を巡らせると、黒々とした目と視線が合った。
「ぁ、……ざ、」
「星合……目が覚めたのか」
名前を呼ぼうとして、唇から漏れたのは、かすかすに乾いた隙間風だけだった。
だがそれでも私が動いた気配を察知したのだろう。部屋の奥のサイドテーブルで花束を解いて、花瓶に活けていてくれていたらしいその人は、作業の手を止めてこちらへと歩いてきた。優しい声が名前を呼ぶ。けだるそうないつもの表情で、それでも黒い瞳がかすかに揺れて、淡く細められる。充血とクマがいつにも増して酷かったのは、きっと見間違いではないのだろう。
うまく声の出ない声帯で、苦慮して声を絞り出そうとしたのに気づいたのか、無理して喋ろうとしなくていい、と制するその人に、それでも声をかけたくて。あいざわせんせい。唇の動きだけでその名前をなぞった。その動きを読み取れたのだろう、ああ、と短く言葉が返ってきた。
大きなかさついた手のひらが額を撫でる。
「よく頑張ったな」
温かいその体温が染み渡る。声の代わりに微笑もうとして、腫れぼったい頬が引き攣れるように痛んで失敗した。ぽろりと零れた涙のひとしずくが頬を滑って、こめかみや左目の下あたりでじわりと染みて痛みを生む。
相澤先生がかすかに目を瞠って、すこし何かを堪えるような表情をしたが、それはすぐにポーカーフェイスに隠れて消える。しばらく撫でられるがまま、私は相澤先生の話を聞いた。
あの神野の事件から、すでに3日が経っていること。ここが雄英から最寄りの大学病院であること。そして……オールマイトが生きていることに、何よりほっとした。正直、最後の方は記憶が曖昧で、相澤先生の話を聞きながらゆっくり記憶を思い出したくらいだった。
昨日まで同じ病院に入院していたらしいが、リカバリーガールの治癒である程度動けるようになったため、事後処理のため一足先に退院したらしい。きっとテレビをみたらオールマイトだらけなのだろう。AFOは投獄されたが、実行犯であるヴィラン連合の足取りは未だ掴めず。不安は残るが、向こうも柱を失った以上、立て直すのには時間がかかるだろうという見通しだった。私も同意見だ。
私とは別で攫われていた爆豪は無事に自宅に帰っており、救出に走ったイズクたちも無事神野を脱出したそうだ。あの救出劇はメディアのヘリが駆けつける前の出来事なので報道されていないものの、爆豪の窮地を救ったのがプロヒーローではなくイズクたちだということも、相澤先生は警察経由で知っていた。警察に爆豪を送り届けたのが彼らなのだ、相澤先生に知らされないはずがない。
世間には広まってこそいないが、学校に黙って危険な行動に移ったのも事実。処分は雄英教師陣と相談中で、追って詳細を詰めていくらしかった。見かけ年齢15歳の私にそんなことまで話していいのかと目を丸くしたら、お前には知らせるべきだと判断したとだけ淡々と言われた。良くも悪くも大人扱いされている。いや、不満ではないのだが。
相澤先生がひとつ、憂いを帯びたため息をついた。
「……それで、星合。お前の脚のことだが」
言いづらそうに話を切り出されて、充血した目がベッドに落とされる。シーツで蓋をされた足元、左足があるべきところは右の膨らみに比べて平らになっていた。血液のめぐりや身体の感覚からしても、気絶する前と同じように、左の太腿の半ばから下は消失している。そこにある気がするのにない、というのは不思議な感覚だった。無事な右足だって、寝起きのせいか思うように動かせない。指が折れていることを差し引いても、腕を持ち上げるどころか、筆談をしようとペンを持つことすら億劫なほど消耗した身体がもどかしかった。
「気絶する前に、シンリンカムイにお前が伝えた言葉通り。瓦礫の中から氷に包まれた左足が見つかった」
限界の身体を引きずって、血圧をむりやり引き上げて。正気を保っていたようにみせかけて、その実、気力だけで意識を繋いでいた私は、シンリンカムイに肩を借りて避難所に到着した途端に気が抜けた。それでも伝えねばと声を振り絞ったワガママを、あの若手ヒーローはちゃんと果たしてくれたらしい。人命救助で大忙しだったろうに、余計な手間を掛けさせてしまったと少し後悔する。それでも、それほど、重要なことだった。
「意図は分からなかったが、お前のことだ、何か考えあってのことだろう。お前の伝言どおり、今は雄英で厳重に保管してある。……礼はいらん、罪滅ぼしにもならんが、お前の願いを叶えるぐらいの余裕はある」
ありがとう、そう口パクをした私に気にするなと言外に伝えてくれる相澤先生。オールマイトや皆の無事の次に気がかりだったことの顛末を知らされ、気が抜けた。またとろりとろりと眠気の波が襲ってくる。
「……先の話になるが……もし、義足を作るってんならって、すでに雄英と提携してるサポート会社が何件も手を挙げてくれてる。費用も雄英が被服控除の一環として全額受け持つ。俺やエクトプラズムが、サポート会社の選定から日常生活で慣れていくまで全力でサポートする。辛いと思うが、こういう事は早いに越したことはない……どうしたいか考えておいてくれ。
お前が望むなら、少し休学を挟んで復学も可能だ……あ? ……追い出さねえよ、安心しろ。事情を最初から知ってる
「ふふ……」
「……もう少し身体が落ち着いて、リカバリーガールの治癒での治療が終わったら、クラスの連中も連れてくるよ。生命維持優先と警備の関係もあって俺やオールマイト、警察以外は面会謝絶だったんでな。家で待機してろっつってんのに、目は覚めたか、身体の状態はどうなんだって、とっかえひっかえ職員室に毎日突撃してくるぐらい元気に心配してる。元気が出たら、そこに積んである見舞いの品と手紙を確認してやってくれ。ただ、状況が状況なんで、一応見舞いの品と手紙に関しては危険が無いようチェックさせてもらった。悪いな」
半分夢うつつながら、相澤先生の心地の良い低い声を子守唄にしないよう、意識を繋ごうとしているのに気づいたのだろう。微かに笑うような、そっと息を吐き出すようなさやかな音が聞こえた後に、もう一度頭を撫でられた。寝ていいぞ、ゆっくり休めと促され、いよいよまぶたが落ちていく。
「……星合、お前はお前が思うより、ずっと周りに愛されてるよ」
相澤先生がふと目を向けたサイドボードには、その時の私は首を回すのも億劫で気づかなかったけれど、クラスメイトや友人たちからの見舞い品で溢れていた。
自覚はねぇだろうが、と続けられた言葉の意味も理解できないほど、再び眠りの泥濘に沈む私は、知らず微笑みを浮かべていた。