二葉あおいは懊悩する【完結】   作:草陰

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ex 黒騎れいの肖像2

 

 

 

 

 言い聞かせていた。

 わたしの世界は示現エンジンの暴走によって滅んだ。

 ならば、この世界の示現エンジンを破壊することはこの世界の人間のためでもある。

 たしかにその過程で人は死ぬかもしれない。百。千。万。

 どれだけ死ぬのかはわからないが、すくなくとも億はいかないだろう。

 たったそれだけの犠牲でふたつの世界は救われる。死んだ人間だって報われるはずだ。

 そう、自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 数日ぶりの登校。

 スカイツリーでの戦闘は敗北。千載一遇の好機を逃したことで、れいは失意の底にあった。あれから食事も満足に喉をとおらなくなり、今朝もシリアルをドロドロになるまで牛乳にひたしたものを流し込んできただけだ。

 とても学校になど来る気分ではないが、約束は守らなければならない。

 朝の学校。教室後方にある自分の席にれいは座る。まだ早い時間ということで生徒はまばらだ。いつものように本でも読んで時間を潰そうと、机の横にかけたカバンに手を伸ばしかけて、ふいに二葉あおいの席が目についた。

 

『でも、あかねくんはあなたのことが好き』

 

 夕日の記憶。都内の病院前で遭遇したあおいは、長々と過去話をぶった最後、その言葉を残して去っていったことを思い出す。

 あおいにそういわれたからというわけではないが、なんとなくあかねを目で探してしまう。まだ登校してないようだった。

 

(そういえば、いつもぎりぎりで登校してきてたような……)

 

 しかしいつまで経っても登校してこない。やがて朝のホームルームが始まり。そこで教師がいうには風邪で休みらしい。いつもいっしょにいるあおいたちまで休みというのが少し気になったが、あかねの看病のために休んでいるのかもしれない。彼女たちならそれくらいやりそうだった。

 なんにせよ、あかねは休み。ほっとしたような、ざんねんなような。

 

(……って、なに考えてるの?)

 

 自分の思考に困惑しながら、1限目が終わって休み時間になった。

 れいが次の授業の準備をしているところに、その声は聞こえてきた。

 

「一色、入院してるらしいぞ」

「ただの風邪で?」

「それがちがうみたいでさ」

 

 窓際に視線を遣ると、前後の席に座ったふたりの男子生徒が会話をしている。

 入院。もっと詳しいことを聞けないかと耳をすますが、周囲の喧騒に紛れてよく聞き取れない。じれたれいは席を立ってふたりに近づいていく。

 

「あの……」

 

 おずおずと男子生徒Aに声をかけるれい。

 れいから声をかけられ、驚いた表情をうかべる男子生徒ふたりをみて――いったいなにをやっているのかと、れいは内心で己を罵倒した。

 この世界への影響を少しでも小さくするため、クラスメイトとの会話は必要最低限に収めてきたのに。くだらない好奇心からその努力を無にしかねない行動を取ろうとしている。やめろと思いながら。それでも口の動きはとまらない。

 

「一色さんが入院したって」

「あ、ああ。例の事故に巻き込まれたとか、どうとか……」

 

 困惑しつつも答える男子生徒A。

 

「例の事故?」

「ほら、都心のほうで避難さわぎがあっただろ? そのきっかけになった事故。それに一色が巻き込まれたって」

「巻き込まれたって……」

 

 眉をひそめるれい。ここから都心までどれだけ離れていると思っているのか。

 男子生徒Aもれいのリアクションにうなずく。

 

「俺も『んなわけねーだろ』って思うんだけどさ。だって向こうからこっち、どれだけ離れてるんだよって話だよなあ。黒騎さんもそうおもうだろ?」

「……ええ」

「部活の朝練でさ、親父が軍人のやつがやたらもったいぶって話してたんだよ。一時はえーっと……IC……なんだっけ」

「ICU?」

「ああ、それそれ。ICUに入るくらい重症だったって。でもやっぱ嘘くせえよなあ……」

 

 男子生徒Aがいうとおり、眉唾な話だとれいも思う。

 しかし教えてもらった以上は礼を返さなければならない。れいだけに。

 まだなにやら喋っている男子生徒Aにれいは声をかける。

 

「その……」

「なに?」

「……おしえてくれてありがとう」

 

 ぎこちなくれいが感謝の言葉を述べると、男子生徒Aはなぜだか赤くなった。

 

「え? い、いやーべつにこれくらいおやすいごようだよ、いや本当。それで黒騎さん、もしよかったら今度……」

 

 あいかわらずなにやら喋っている男子生徒Aに背を向けて席に戻るれい。

 仮にあかねの入院が本当だとしたら。ICU入りするほどの重症だったというのが本当なら。この世界におけるエネルギーの95%は、示現エンジンによってまかなわれているという。もしあのとき示現エンジンが破壊されていれば――あかねは死んでいたかもしれない。そして機械につながれてかろうじて生をつないでいる、数多の人たちも。生々しい死のイメージ。落ちていく赤。

 気がつけば、れいは女子トイレに駆け込んで朝食を吐いていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 薄暗い自室。れいは壁を背にして体育座りをしていた。

 黒い羽。視線の先、テーブルの椅子にカラスが乗っている。

 れいは機先を制するように口を開く。

 

「あなたにいえることはなにもないはずよ」

 

 注意されたことはしっかり守っている。アローンの強化もしている。勝敗は己の責任ではない。つまりやるべきことはやっている。こいつにとやかくいえることなどありはしないのだ。

 

「――失せなさい」

 

 れいとカラスの視線が交差する。

 紋章を使って苦しませたければ好きにすればいい。

 しばしにらみ合い、やがてカラスは身を翻して去っていった。

 

「……ピースケにエサをあげないと」

 

 よろめきながら立ち上がるれい。

 教室であかねの話を訊いてからというもの、食事をとるたびに吐くようになった。

 胃の中は空っぽで、室内を移動するだけでも頭がくらくらする。

 ピースケのカゴからエサ箱を取り出すと、テーブルまで移動していく。

 

「……う」

 

 側に置かれた鳥のエサが入った袋を開けて、そのニオイだけで吐きそうになる。

 ほぼニオイのない穀類であってもこのザマか。れいは自分が情けなかった。

 このままエサ袋の封を閉じてしまいたい衝動に駆られるれい。

 ふいに鳥カゴへ視線をやれば、無垢な目で自分をみつめているピースケの姿。

 

「……あなたには関係ないものね」

 

 そう、すべて自分の都合にすぎないのだ。

 この子をカゴに閉じ込めているのも。エサのニオイだけで吐きそうになっている自分も。

 ならせめて、これくらいのことはやらなければいけない。

 れいは吐き気をこらえながらエサ箱にエサを入れると、カゴの中に入れた。

 

「しっかり食べるのよ。じゃないと、わたしみたいになっちゃうから」

 

 エサをついばむピースケに微笑みかけ、れいはそのままお風呂に入ろうと洗面所へ向かう。浴場横の洗面台の前で、れいは服を脱ぐ。裸になって、洗面台の鏡に映った自分の姿をみつめた。こけた頬に浮き出た肋骨。血の気が失せた青白い顔、だのに瞳だけは異様に鈍く光っている。

 まるで地獄の亡者のようだと気がついて、れいの口元が釣り上がった。

 本来とっくに死んでいるはずの人間が、過去にすがり、今を生きている人間を地獄に落とそうとしている。守られる保証だってない約束に、みっともなく追いすがって――。

 

「ふふ、ふふふ……」

 

 おかしな笑いがこみあげてきた。

 今さらだった。守られる保証がない。そんなことに今さら気がついたのだ。

 後戻りできない状況になって、今さら!

 

「……っ!」

 

 発作的に洗面台に置かれた石鹸や櫛入れを両手で落としていく。すきっ腹に急な動き。くらっときて、洗面台の縁を掴んだままずるずると膝から崩れ落ちる。

 

「うっ……うう……」

 

 洗面所に響くれいの嗚咽。足元には割れた陶器の櫛入れが転がっていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 散歩に出たのは気晴らしのつもりだった。

 ブルーアイランドから本島に出向いたのは、示現エンジンから少しでも離れたかったのだと思う。頭上には青空。強い日光を浴びることが意外に体力を使うと知ったのは最近のことだ。れいは住宅街をふらふらと歩いて行く。

 道ですれ違った数人の子どもたち。追いかけっこをしている。鬼ごっこでもやっているのだろう。大きな荷物を背負って歩く老婆。軒先で親しげに会話を交わす老人たち。平和な光景。

 だというのに、それから身を隠すようにれいはこそこそと移動していた。人が向かってくれば電柱や曲がり角に隠れ、隠れられないならうつむいて息を殺して歩く。

 自分が殺した人間の親類縁者がここにいるかもしれないと怯えて。けれど彼らだって自分と同じ立場になれば、きっと同じことをしたにちがいないはずだと言い訳しながら。だとしても、それでわたしが誰かの人生を奪っていい理屈にはならないこともわかってて。

 

(……なにをやってるの、わたしは)

 

 れいは頭を振る。最近はずっとこんな調子だった。

 人をみるたびに怯えて、内心で言い訳を繰り返すばかり。

 かといって家にいれば罪悪感にさいなまれて他のことが手につかない。

 それに比べれば、散歩している間はいくぶん気楽だった。

 要は人の姿さえ認めなければいいのだ。足を動かすことにのみ専念すれば、思考力はかぎりなく落ちる。だから必然的に人の気配がない道を選んで歩く。

 あまり速く歩けないので、ふらふらとゆっくり。

 

(これじゃあ、散歩じゃなくて徘徊か……)

 

 れいは口元に自嘲を浮かべて、すぐにひきしめる。

 こんなことをいつまでも続けているわけにはいかなかった。

 けじめは、つけなければならない。

 

「あれ、黒騎さん?」

 

 そんなときだった、聞き覚えのある声に呼び止められたのは。

 顔を上げると、そこには麦わら帽子をかぶってタオルを首に巻いたあかねの姿。

 

「一色さん……?」

「どうしたの? オレの家になにか用?」

 

 家。いわれて気がついた。左右に並ぶ苗木。

 いつの間にか一色家の家庭菜園に紛れ込んでしまっていたらしい。

 あどけない顔でこちらの言葉をまっているあかねに、れいは答える。

 

「……散歩してたら、一色さんのおうちが目に入って、その……ついでだからあいさつしていこうかな、って」

 

 我ながらあまりにもたどたどしく苦しい言い訳だった。

 あいさつ回りしてる営業マンかわたしは。頬に熱が集まるのを感じるれい。

 しかしあかねは気にした様子もなく、「そうなんだ」とうなずく。

 

「それで、一色さんはなにを」

「オレ? 庭いじりしてたんだ」

「なら、おじゃまだったかしら……?」

「いやぜんぜん。ちょうど一段落ついたところだよ」

 

 タオルで額の汗をぬぐいながら、あかねは笑顔を浮かべる。

 

「そういえば、こうして話すのはひさしぶりだね、黒騎さん」

「……そうかしら?」

「うん。最近は授業がおわったらどこかにいっちゃうでしょ?」

 

 男子生徒Aの言葉を信じたわけではないが、なんとなく顔を合わせづらかった。

 仮に自分のせいで死にかけたのであれば、どの面下げて会えというのか。

 休み時間のたびに廊下を歩きまわったり女子トイレに篭もったりして、れいはあかねを避けるようになっていた。

 しかし本当のことを口にするわけにもいかず、ごまかすようにれいはいう。

 

「ちょっと……用事があって」

「そうなんだ」

 

 うつむきがちにそういったれいに、あかねは深く追求してこなかった。

 それっきり気まずい沈黙がただよう。

 沈黙を破ったのは、やはりというべきか、あかねの方からだ。

 

「え、えーっと、それで……」

 

 右手の人差し指で頬をかきかき、あかねは口を開こうとして、すこし言いにくそうに。

 

「……やせたね。黒騎さん」

 

 どうして言いよどんだのか、すぐにわかった。

 一般的には、女性に対して体重の話はタブーだからだ。

 それでも思わず問いかけたくなるほど、今の自分は病的に見えるのかもしれない。

 通常なら「不躾なことをいうな」と怒っておく場面なのだろう。

 しかしあかねの瞳にはなんのいやみも下心もない。あるのはただ、真摯にこちらをおもんばかった色。何だか落ち着かなくなって、あかねの顔からつと目をそらし、れいは口を開いた。

 

「……ダイエットしてるの」

 

 れいの言葉に、あかねはきょとんとする。

 

「ダイエット?」

「ええ」

 

 こういってしまえば、あかねはもうなにもいえないと思った。

 あかねの真摯さから目を背けるようで申し訳ないが、ここはタブーを逆手にとることにしたのだ。

 しかし、あかねは少し考える素振りをみせてから、やおら口を開いた。

 

「そのダイエットって、どうやってるの?」

「え」

 

 言葉に詰まるれい。

 ただタブーを言い訳に使っただけであって、ダイエットなんか生まれてこの方したこともなければ考えたこともないのだ。

 当然その手の知識だってろくに持ち合わせちゃいなかった。記憶の中からどうにかそれっぽい言葉を引き出す。

 

「食事制限を……」

「それって品数を減らしてるってこと? それとも、食事そのものを抜いてる?」

「……食事そのものを抜いてるわ」

「ぐたいてきには」

「朝と、昼を」

 

 とはいえ実際は3食抜いてるようなものだった。なにせ食べる端から吐くのだ。

 朝と昼を抜いているのは口臭を気にしてのことだった。今のれいは吐き出すことなく胃に残ったわずかな夕食だけで生きている。これで学校に通っている。

 そんな生活をすでに半月。ふつうの人間であれば今ごろは病院送りだ。平行世界とはいえ異世界人の面目躍如といえよう。

 

「ダメだよ黒騎さん」

 

 なんて考えていたら、あかねにダメ出しされてしまった。

 めずらしく眉をしかめている。

 

「ダイエットっていうのはね、むしろちゃんと食事をとらないとダメなんだよ」

「……そうなの?」

「うん。一時的にはやせるかもしれないけど、そういうのってリバウンドしやすいんだ。だから食生活に気をつかってね、ゆっくりとやせていくのが結果的には効率的なんだよ」

 

 諭すようなあかねの言葉。どうしてそんなことを知っているのかとれいが疑問を挟む間もなく、「だから」とあかねは続ける。

 

「うちで夕飯たべていきなよ!」

 

 脈絡のない発言に困惑するれい。なにが「だから」なのか。さっぱりわからない。

 しかしあかねのやわらかな笑顔をみた瞬間、れいの心臓がトクンとはねた。わからない。なにもわからないまま、れいは気がついたらあかねの言葉にうなずいていたのだった。

 

「じゃあ、いこっか」

 

 そういって左手でれいの右手を掴むあかね。ぽつりとれい。

 

「……え?」

「……あ」

 

 手を掴んでから、あかねははっとした表情を浮かべる。

 次にこころなしかバツが悪そうな顔をして。

 

「ごめんね。いつものくせで……つい」

「いつも?」

「うん。あおいちゃんは、こうするとよろこんでくれるんだ」

 

 そういってあおいの名を出すあかねは本当に楽しそうで――れいは何故だかむっとした。

 「ほんとうにごめんね?」と離そうとしたあかねの手を、逆にぎゅっと握り返す。

 目をぱちくりさせるあかね。

 

「黒騎さん?」

「わたしも、このままでかまわないわ」

 

 いまさら自分のやったことに気が付いて恥ずかしくなるれい。

 内心の動揺を悟られぬようにうつむく。

 

「えーっと……じゃあ、いこっか黒騎さん?」

「……ええ」

 

 あかねに先導される形で、手をつないだまま母屋へと向かう。

 ドクンドクンと、胸の音がやたらにうるさかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 半ば流されるような形で、一色家の夕食にご相伴にあずかることとなった。

 和室の居間。れいとあかねが囲んでいる座卓の上に、ももが料理を並べていく。

 

「なるべくおなかにやさしい献立にしてみました」

 

 ほほ笑みを浮かべながらそういうもも。

 いわれてみれば、大根の煮付けや湯豆腐といった消化しやすい食べ物ばかりだ。

 れいに気を遣った献立ということは一目瞭然で、おもわず恐縮してしまう。

 

「いきなりおじゃましたうえに、手間をかけさせてしまってごめんなさい……」

「きにしないでください。じつをいうと今晩の献立にはなやんでたんです。むしろ黒騎さんのおかげでたすかっちゃいました」

 

 なんて、まったくいやみのない笑顔とともにいうのだ。本当にできた妹さんだとれいは思う。「でも」と、ももはかわいらしく眉をひそめていう。

 

「もうムリなダイエットなんかしちゃだめですよ?」

「はい……反省してます」

 

 しゅんと頭を垂れるれい。

 もちろんダイエットをしていたなんて嘘をついてしまった後ろめたさからだが。反省の意は伝わったようだ。ももは座卓につくと、あかねに声をかける。

 

「それじゃ、お兄ちゃん」

「うん」

 

 合掌するあかね。それに倣うれいともも。

 

「いただきます」

「「いただきます」」

 

 箸を手にとって、れいは大根の煮付けに手を付けた。

 また吐いてしまうのではないかという恐怖心はあったが、ここまで来たら食べるしかない。小さく割いた大根の切れ端を口に入れると、自然とれいの唇は動いた。

 

「……おいしい」

「ほんとうですか? よかったー」

 

 れいの言葉にほっとした様子のもも。

 口内に広がるやさしい味付け。舌の上で溶けてしまいそうなほど煮詰められた大根は、れいへの心配りに満ちていて。

 

「……ほんとうにおいしい」

 

 わけもなく涙が出そうになった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 食事をしても不思議と吐き気を催すことはなかった。

 他愛のない会話をしながらの夕食は、この世界に来てから初めて心から安らげる時間だったと思う。食事がおわり、座卓についたままふたりに頭を下げるれい。

 

「ふたりとも今日はほんとうにありがとう。お夕飯、おいしかったです」

 

 あわてるのはあかねとももの兄妹だ。

 

「そんな、お礼をいわれるようなことなんて。なあ、もも」

「そうですよ。ただ、お夕飯をふるまっただけで」

 

 わたわたとする一色兄妹をみて、れいは自然と口元に笑みが浮かぶのを感じた。

 

「こんなに楽しい夕食はひさしぶりだったわ。だから、ありがとう」

「いや、そんな……ははは……」

 

 照れたようすで頬をかきかき答えるあかね。

 瞬間、ももがはっとしたような表情を浮かべたのは気のせいだろうか。

 すぐにいつものほほ笑みを浮かべて、ももは口を開く。

 

「黒騎さん、もしよかったら泊まって行きませんか?」

 

 いいことを思いついたとばかりに、瞳を輝かせるもも。

 これに面食らったのはれいだ。

 

「けど、迷惑じゃ」

「そんなことありませんよ! ね、お兄ちゃん?」

「え? あ、ああ。迷惑なんかじゃないよ、黒騎さん」

 

 あかねもまたあっけに取られた様子だったが、妹から話を振られて即座に肯定の意を表す。両手を重ねてももは続ける。

 

「もう遅いですし、ね?」

 

 正直にいって、ももの提案は非常にありがたかった。

 なにせブルーアイランドに通じるモノレールは、今の時間帯だと2時間に1本しかないのだ。それも次は終電。もし間に合わなければ野宿だった。

 ピースケのエサと水はちゃんと入れてあるし、一日くらい家を開けてもだいじょうぶだろう。逡巡して、おずおずと返事をする。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 ゆらゆらと紐が揺れていた。

 室内照明から垂れ下がっているひも式スイッチが、開け放たれた窓から流れ込む風に揺れている。ももの部屋。れいとももは枕を並べて布団で横になっていた。

 ちなみにあかねは自室でひとり寝ている。あおむけになって天井をみつめているれい。窓から入り込む月の光が和室を照らしていた。

 

「なんだか、わくわくしちゃいますね。修学旅行みたい」

 

 声。隣に視線をやれば、毛布の中でももはほほ笑みを浮かべていた。

 どうやら考えることは一緒らしい。れいもまたほほ笑みを返す。

 

「そうね」

 

 れいはつかの間、郷愁の念に襲われた。滅んだ世界。修学旅行の記憶。

 ほんの1年前のことなのに、いまや遠い昔のことのように感じる。

 チリンと風鈴の鳴る音が聞こえた。窓から流れこむ生ぬるいそよ風が心地いい。

 

「わたし、小学校にはいったばかりのころいじめられてたんです」

「え?」

 

 そういうももの顔は、いつもどおりおだやかだった。

 まるで世間話をするような口ぶりとは裏腹の重たい話題。

 あっけにとられているれいを横に、ももは続ける。

 

「うちって、ちょっとふくざつな家庭環境なんです。それがなんていうか、目についたみたいで」

 

 一色家の家庭環境をあげつらって、上級生の男子3人がももをいじめてたという。

 上級生とはいえ相手もまた小学生だ。いまからすれば他愛ないものだったとももはいうが。いじめはいじめだとれいは思う。

 

「一色さんは、どうしてたの?」

「お兄ちゃんがいるときはやらないんです」

「……とんだ卑怯者たちね」

「くやしくてかなしくて。でも、お兄ちゃんはあのころからバイトをしてたから、負担をかけちゃいけないって」

 

 ももは黙って耐えていたが、ある日部屋の隅で泣いているところをあかねにみられてしまったのだ。理由を聞いて激高したあかねは家を飛び出し、上級生の男子たちに決闘を挑んだという。相手は上級生の男子で3人。これだけでも不利なのに、まして小柄なあかねが敵う道理はない。普通に考えれば。決闘の場にはいなかったので、伝え聞いた話になるとももは前置きして、続ける。

 

『ももにあやまれ!』

 

 蹴られ殴られ転がされ。それでも足にしがみついて噛み付いて玉を潰してマウント取ってぶんなぐり。文字どおりの大立ち回りを演じたのだという。決闘の末とうとう上級生から謝罪の言葉と、もう二度とももをいじめないという約束まで取り付け。ズタボロになって帰宅したあかねをみて、あの時は心臓が止まるかと思ったとももはいう。

 

「お兄ちゃんの血まみれの顔をみて、わたしのほうが泣いちゃって。ぎゃくになぐさめられちゃって……。なのにおじいちゃんは『よくやったあかね! 男子の本懐じゃ!』なんておおよろこびして……あのときがはじめてでしたね、おじいちゃんにほんきで怒ったのは」

 

 すっと目を細めるもも。剣呑な気配。れいの背中に冷たいものが走った。

 しかしすぐに目元はゆるめられ、いつものおだやかな気配にもどる。

 

「でも男の子ってふしぎで、それから仲よくなっちゃったんですよね。あれから下級生もお兄ちゃんをしたうようになって、まとめ役をまかされることもふえて……」

 

 そう語るももの口調は、ただただなつかしそうだった。

 れいもまたおだやかに応じる。

 

「やさしい、お兄さんなのね」

「はい、やさしすぎるくらいで……いつだって自分の身をかえりみないで……」

 

 ももの口調はどこかかなしげだった。

 かける言葉が思い浮かばなくて、れいはおもわず口をつぐむ。

 沈黙。破ったのはももだった。つぶやくように。

 

「ほっぺたを」

「え?」

「お兄ちゃんが人差し指でほっぺたをかきかきするの、しってます?」

「ええ……クセみたいね。それがどうかしたの?」

 

 ももは口元にあいまいな笑みをうかべる。

 その顔がさびしげにみえたことを不思議に思うより先に、ももは口を開いた。

 どこか懇願するような響き。

 

「どうか、お兄ちゃんとなかよくしてあげてください」

「……」

 

 ももの言葉に、れいはにわかに言いよどんだ。

 おそらく、ももの言葉にはそれ以上の意味はない。兄の交友関係にまでフォローを入れるももは、まちがいなく出来た子だと思う。軽く「ええ」と答えてあげればそれだけでいいはずなのに、その一言が出てこなかった。

 

(だって、わたしは……)

 

 次で最後の大バクチに臨むつもりだった。残った矢のすべてをアローンに撃ちこみ勝負をかける。成功しても失敗しても、そのとき自分はこの世界に存在しない。

 ならばここで約束をしたところでなんの意味があるのだろう。果たせぬ約束。逡巡し。言いよどんだ。それでも、この兄を思う妹の気持ちを無碍にするわけにはいかない。

 れいは意を決して答える。

 

「……もちろんよ」

 

 せめて目の前の少女の想いにだけは誠実でありたい。アローンをけしかけて、数多の人間の想いを踏みにじってきておいて、いまさら虫のいい話だと思う。それでも、この言葉はれいにとって心の底からの答えだった。

 

「ありがとうございます!」

 

 パァと笑顔を浮かべて感謝するももに、れいはあわてる。

 

「そんな、お礼をいわれるようなことじゃ……」

 

 そもそも、あかねにはお世話になってばかりで、感謝するのも、仲よくしてくれとお願いするのも自分のほうだろうと思う。なんだか後ろめたいような照れくさいような気分になって、れいは毛布を口元まで上げてももに背を向ける。

 

「もう寝るわ。おやすみなさい……ももちゃん」

「おやすみなさい、黒騎さん」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 夢をみた。

 青い空。どこまでも広がる草原。その中央に立つ大きな樹の下にみんないた。

 滅んだ世界の友だち達が、父と母が、ももが、あかねが、れいが。

 みんな笑ってた。わたしも笑ってた。楽しそうに。おだやかに。

 

「起きなさい、れい」

 

 天井。コンクリではなく木目がみえて、あかねの家にお泊りしたことを思い出す。

 れいは布団から上半身を起こすと、振り返って声の先をみる。開け放たれた窓の先、月光に照らされた庭先の物干し竿の上にカラスが乗っていた。無機質な瞳がれいに向けられている。れいもまた無感情な瞳を返す。飛び去っていくカラス。

 れいは布団を畳んで外に出ようとして、振り返って、ももの毛布をそっとかけ直した。

 もものあどけない寝顔につかの間ほほ笑むと、すぐに口元をひきしめ、小さくつぶやく。

 

「ありがとう……ごめんなさい」

 

 庭に降り立つれい。もう振り返ることはなかった。

 けじめは、つけなければならない。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ドローンの追跡は執拗だった。

 前日あかねの家で夕食をいただいていなければ、もっとあっさり捕まっていただろう。

 最後の大バクチに臨んだつもりが、アローンに矢を放つ間もなくドローンに追い立てられている。ちょっと考えれば、いつかはこうなるとわかったはずだ。しかしれいは考えなかった。己にとって都合の悪い可能性については、なるべく考えないようにしてきたのだ。もっと早くからこうなる可能性を考慮していれば、ここまで矢を温存することもなかったはずだろう。

 現実逃避。そのつけがこれか。

 

(なんてみじめ!)

 

 内心己を罵倒するれいだったが、それよりも今は現実に目を向けなければならない。

 山中を駆けまわってドローンを撒くつもりが、それどころか山の周囲に展開する敵の気配は増えていく一方だった。夕闇に包まれた山中、木から木へと飛び移りながら、れいは必死に逃走経路を模索する。ふいにドローンの包囲網に穴があることに気がついた。あの方角にはたしか展望広場があったはず。れいがドローンに補足された場所でもある。

 

(……罠ね)

 

 考えるまでもなかった。

 あんな開けた場所に出るなんて、取り囲んで捕まえてくださいといっているようなものだろう。しかし、れいにはこの罠に飛び乗るしかないこともわかっていた。

 こうなればもはや無傷で逃げることは不可能だ。現実的に考えて逃げ場なんてどこにもない。敵の包囲網は完璧。どこかで勝負を仕掛ける必要がある。あえて隙を作ったというのならば、それを利用してやろうじゃないか。

 肚をくくるれい。意を決して包囲網の穴に飛び込んだ。木々を抜け、展望広場に出て。

 

「……え?」

 

 それはどちらの声だったのだろう。

 夕焼けの空。そこに浮かんでいる鼓笛隊のような服を身にまとった少女――否少年。

 目を見開いて、信じられないものをみたような表情を浮かべている。

 

「黒騎、さん?」

 

 声。聞き間違えるわけがなかった。顔。見間違えるわけがなかった。

 

「――あ」

 

 れいは両手で顔を覆う。いやいやと顔を左右に振る。これまで自分が戦ってきたのは。感情の制御ができない。頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。『わたしは、あかねくんのことが好き』『一色、入院したんだってさ』『どうか、兄となかよくしてあげてください』『ICUに入るくらい重症だったって』『友だちになりたいから、じゃダメかな?』――落ちていく赤。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 音が聞こえる。それが自分の声だと気がついたとき、れいは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

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