この世界のどこにも存在しない人間。それが黒騎れいの正体だった。
示現エンジンの破壊を企てた最重要危険人物として、現在は防衛軍総司令部の最下層にある特殊隔離施設に幽閉されている。建前としてすべての人間に人権は存在するが、そんなもん嘘っぱちであることくらい誰だって知っていた。なんの後ろ盾もない異邦人の扱いなど、まして防衛軍総司令部という密室での扱いなど、推して知るべしだろう。
みずははみなまでいわなかったが、今後れいに待ち受ける運命は――。
***
いつもにこにこ人当たりのいい少年。それが一色あかねの客観的な評価だった。
しかしその笑顔が内心を隠すための仮面であることを、あおいはよく知っている。
「……」
あおいは隣を歩くあかねの横顔をちらと見る。
今のあかねにはその仮面がない。おそらく本人は無自覚なのだろうが。
思いつめた顔つきからは、その内心がだだもれだった。
総司令部から外に出たところで、あかねはあおいたちに声をかける。
「みんな先に帰ってくれ、オレはちょっと……」
「黒騎さんのお家にいくんでしょう」
機先を制するようにあおいは声をかけた。
あかねは目を見開くと、少しだけうろたえた様子でうなずく。
「……うん」
総司令部の指令室から出る直前、あかねが顔見知りのオペレーターに何か尋ねていた。
もしやと思っていたが、どうやら本当にれいの家の住所を訊いていたようだ。
「じゃあ、わたしもいくよ」
おだやかに、いつもどおりの声色で、しかし有無を言わせぬ語気であおいはいう。
「あたしもいく」
「もちろんわたしも」
ひまわりとわかばもまた、あおいの言葉に追従する。
今のあかねをひとりにしたら、なにをするかわからなかった。
***
ブルーアイランドの一画にあるマンション。それが黒騎れいの潜伏先だった。
れいの部屋へ続く扉の前には『KEEP OUT』のテープが貼られていたが、あおいたちは何食わぬ顔でくぐっていった。こういう時は堂々としているにかぎる。関係者には違いないし。扉には鍵がかかっておらず、そのまま入り込んでいくあおいたち。
玄関を抜け、居間へ続く扉を開けばフローリングの部屋。
室内には、机と鳥カゴ。それだけしかなかった。
「……なにもない、お部屋だね」
おもわずつぶやくあおい。わかばが相槌を打つ。
「あっても、もっていかれたんじゃないかな? ほら、証拠物件として」
さらにひまわりが答える。
「さっきこの部屋の搬出リストをみたけど、ノートPCと銃火器しかなかった」
「"さっき"っていつ?」なんて野暮なことをあおいは聞かなかった。防衛軍総司令部の管理PCに、ひまわりがこっそりバックドアを仕込んでいることなんかあおいは知らない。移動中にスマホと睨めっこしていたのは、きっとそういうことなんだろうがなにも知らない。
わかばは複雑な表情を浮かべる。
「……じゃあ」
「ほんとうになにもない部屋ってこと」
ひまわりの言葉。沈黙が落ちる。
あかねが無言で窓辺に移動していくのに、みんな所在なく倣う。
肩を並べてみつめた窓の向こうには、示現エンジンの姿がみえた。
こうやってターゲットを常に観察してたということか。
「……どんなきもちで、眺めてたんだろうね」
わかばがぽつりとつぶやいた。
いつも教室でひとりでいたのは、いざという時に足がつかないためだったのだろう。
連行されていく、気絶したれいの姿を思い出す。痩せこけた身体。青い白い肌。歳相応の楽しみをすべて投げ打って、示現エンジンの破壊に身を捧げた青春。窓にうっすらと映っている殺風景な部屋。あおいはれいの胸中を想像して、寒々とした気持ちになっていく。
れいに好意を抱いていないあおいですらこうなのだから、いわんやあかねの胸中たるや。
「あかね」
ひまわりの声。窓の向こうを見つめながら、続ける。
「これから、黒騎さんを助けにいくつもりでしょ」
「それは」
言いよどむあかねの姿が、なによりも雄弁に答えを語っていた。
「わたしは反対」
そういってあかねに向けられたひまわりの目は、冷たい。
バカなことはやめろと、目は口ほどにものをいう。
「あかねを殺そうとした女を助けようなんて、絶対反対」
「でも、オレは気にして」
「あかねは関係ない。あたしの気もちの問題」
にべもない返答に、あかねは言葉に詰まる。
ひまわりのムスッとした顔。不機嫌さを隠そうともしないまま、「だけど」と。
「あかねがそうするつもりなら、あたしはてつだう」
「……え?」
あっけにとられるあかね。
ひまわりは毅然と口にする。あかねの目をしっかり見据えて。
「あかねが望むことなら、あたしはいくらだって力になる。でも、それはあかねが好きだから。あの女のためなんかじゃない」
ぶっちゃけひまわりはムカついているのだろう。
社会を混乱に陥れ、己を殺そうとした女を気にかけるあかねのお人好しっぷりに。
結局、そんなあかねを見捨てられない自分自身に。
別に深い考えがあったわけでなく、いきおい感情をぶち撒けただけにすぎないはずだ。
ぷいっと横を向くひまわり。
「あたしのいいたいことは、それだけ」
まったくもって癪だった。
これでは後追いみたいになってしまうではないか。
しかし、この気持ちは決して誰かに代弁させていいことではない。
あおいは手をうしろで組むと、口を開く。
「わたしも、ひまわりちゃんとおなじかな」
「……あおいちゃん?」
「黒騎さんをたすけるのは、反対」
あおいの言葉に、あかねは"しかたがない"というような表情を浮かべる。
示現エンジンを破壊しようとした黒騎れいのために動くということは――世界を敵に回すということだ。
「でも、あかねくんは行くんでしょう?」
「……うん」
「だから、てつだうよ」
ハッキリいって冗談じゃない。
なにが悲しくて、あんな女のために将来を棒に振るような真似をしなければならないのか。けれど、あかねが茨の道を歩もうとしているのをどうして看過できるだろう。こうなったあかねを止めることは不可能だと、あおいは痛いほど理解している。だから。
「黒騎さんのためじゃなくて、あかねくんのために」
せめてそのことだけでも、あかねにしっかり伝えておかなければ気がすまなかった。
見方を変えれば『お前のせいでわたしたちは地獄に落ちるんだ』と、半ばあてつけてるようなものだと理解しながらも。
けれどあかねは素直に頭を下げた。ただ申し訳無さそうに。
「……ありがとう、ふたりとも」
――本当に癪だった。
あかねに対してこんなことをいってしまう自分が。こんな精神状態に追い込んだれいが。
うしろに組んだ手を、あおいはぎゅっと握る。
「わかばちゃんは、どうする?」
「え?」
ぽかんとした様子でことの成り行きを見ていたわかばに、あおいは声をかける。
わかばは腰に手をあてて笑顔を浮かべる。
「もちろん、わたしもてつだうよ」
「……いいの? 天元理心流の家とか、まもらなくても」
「それはお互いさまじゃないかな? あおいちゃんだって、二葉家のお嬢さまでしょ?」
「……そうだね」
社会的な影響力を考えれば、ひょっとしたらあおいの方が遥かに深刻だろう。
「わたしは」と、わかばは続ける。
「あかねくんも、あおいちゃんも、ひまわりちゃんも、みんなが好きだから手つだう……ダメかな?」
ともすれば主体性のない言葉に聞こえるが、わかばの言葉が本気であることを、あおいはよくわかっていた。わかばの愛がビビッドチーム全員に対しておおむね平等であることは、そりゃもうよーくわかっていた。よーく。
「いいと思う。わかばがそれでやれるなら」
「あの、そういいつつわたしから距離をおくのはどうしてかな、ひまわりちゃん……?」
そそっと後退るひまわりに、こわばった笑みをうかべるわかば。
「……あかねくん」
あおいはあかねに水を向ける。それぞれ想いを口にした、最後はあかねの番だと。
わたしたちの想いはドッキングで共有される。本当は言葉なんて必要ないのかもしれない。だからこそ言葉にすべきだとおもった。その想いを、これからすることを。
そして大好きなあかねくんはきっと。ひまわりとわかばもじっとあかねを見つめている。目を閉じて、次に開いたあかねの瞳には確固たる意志が浮かんでいた。
「オレは、黒騎さんを助けたい」
「世界を敵に回しても?」
「うん」
あおいの言葉に力強くうなずくあかね。
あかねは決してバカじゃない。これからやろうとしていることの意味くらい理解している。
この年で実質的に家族を背負っているのだ。
或いは自分たちよりもずっとしっかり、重く受け止めているかもしれない。
それでもやろうというのは。
「そっか」
あおいはこみ上げてきたものを、必死にこらえる。
気取られないように深呼吸をして、あおいは精一杯の笑顔を浮かべた。
「じゃあ、ぜったいに助けないとね」
***
深更。防衛軍総司令部。
警告音が響き渡る通路を、パレットスーツに身を包んだあおいたちは隊伍を組んで飛んで行く。
目指すは、れいが囚われている最下層の特殊隔離施設。
「はぁ!」
すれ違いざまあかねのブーメランに両断されるドローン。爆音を背に飛び去っていくあおいたち。妨害しようと次々立ちふさがるドローンだったが、文字どおり鎧袖一触だった。出入口と最下層の中間地点に差し掛かったところで、ひまわりが声をあげる。
「あたしはここまで。あとは手はずどおりに」
「りょうかいだよ」
「気をつけてね、ひまわりちゃん……!」
「ふたりもね」
あおいとあかねの言葉に返事をすると、ふたりに背を向けてその場に留まるひまわり。囮役兼、れい奪取後の退路を確保するために、各自指定のポイントで留まる手はずになっていた。
わかばとは出入口付近で別れており、今ごろは弁慶のごとく周囲を睥睨していることだろう。
ドッキングは使わない。冗談抜きで司令部が崩壊してしまうからだ。
もう少しで最下層というところで、ふいにあおいは眉をしかめた。
「……なにかな、あれ」
視線の先には、通路を埋め尽くさんばかりに大量のドローンが蠢いている。
どうやら最下層付近の守りを集中的に固めていたようだ。
直後あおいたちに殺到するドローン。迎撃するが、あっという間に乱戦の様相を呈した。
「まいったな……!」
あかねの焦り声。ドローンの数が多すぎて先へ進めなかった。一機あたりは弱い。単純な戦闘能力なら自分たちが負けることはないだろうが、全部相手にしてたらこちらの体力が尽きてしまう。ふいにあおいは気がついた。
「……! 隔壁が」
最下層へつながる通路の隔壁が閉じていく。こうなればもう猶予はない。あかねには当初の作戦を履行してもらわねばならない。本来あおいがここで留まる予定だった。おそらくあかねが戦っているのは、敵の数が多すぎてあおいを置いていけなかったからだろう。
「あかねくん!」
「わたしのことはもういいから、先に行って!」そう叫ぼうとあおいが視線を向ければ、あかねはドローンに囲まれていた。逆にあおいを取り囲むドローンは少ない。
(いまなら――)
あおいが飛び込むことは出来る。しかし――ここであえて行かなければどうなるだろう。隔壁は閉じ、ドローンはさらに増えていき、れいの元へ駆けつけることはなし崩し的に不可能となるのではないか。隔壁をぶち破って進撃することは可能だが、そうすればもれなく山ほどのドローンを引き連れて行くことになる。いずれにせよ救出どころではない。昏い思考があおいの脳裏に過ぎった。直後あかねがちらりと視線をよこす。あおいを信頼しきった瞳。
「~~!」
あおいは閉じかけた隔壁の隙間に飛び込んで通り抜ける。
結局、あおいに選択肢などありはしなかった。
ひまわりたちの努力をムダにすることも、あかねの信頼を裏切ることもできない。
そもそも、示現エンジンを破壊しようとした女を助けようとした時点で、世界に向けて中指を突き立てたようなものだ。捕まればただじゃすまないし、こうなればもう意地でもれいを確保して作戦目標を達する必要があった。
イライラする。どうして。どうしてこんなことになってしまったのか。
「もう! もう! もう!」
順次閉じていく隔壁を紙一重で通り抜けていくあおい。とうとう最下層というところで隔壁が閉まりかけて。
「じゃま!」
ハンマーでぶち破る。もとよりこんな隔壁でパレットスーツを着た自分たちを止められはしなかった。ドローンという障害物がなければ、障子を蹴り破るよりたやすい。
特殊隔離施設。椅子に座っているれいの姿を認めて、地面に降り立つあおい。そのまま近づこうとして、視線の先で照明の光が照り返された。れいを取り囲む透明な壁。どうやら、れいを連れ去るにはこれを打ち破る必要があるらしい。
おそらくは強化ガラスかプラスチックか。いずれにせよこの手の強化ガラスは打撃にすこぶる強い。自分のハンマーとは相性最悪だろう。壊す苦労は隔壁の比でないはずだ。
「……めんどうくさいな」
内心のイライラをますます加速させながら、その先、椅子に座っているれいの姿を認めて――あおいは眉をしかめた。うつむきがちな顔からは血の気が失せており、頬はこけ、落ち窪んだ瞳からは生気がまるで感じられない。
痛々しい。それがあおいの黒騎れいに対する第一印象だった。夕焼けの山中でみたときよりも弱っているようにみえた。ガラス一枚隔てた先にあおいが立っているというのに、れいはまるで気がついていないようだ。
あおいは静かに呼吸を整えると、れいに声をかける。
「黒騎さん」
「……二葉さん?」
あおいが名前を呼んで、ようやく存在に気がついたようだ。
顔を上げたれいは、まるで意思の感じられない目をあおいに向けた。
今にも消えてしまいそうな、儚げな気配をまとっている。
まるで殺されることを望んでいるような――あおいは唇を噛むと、れいに声をかける。
「イスからおりて、うしろにさがって」
「……え?」
「そのガラス、いまから壊すから」
「……どうして」
れいの物分かりの悪さにイラ立つ。怒鳴りつけてやりたかったが、ぐっとこらえる。一度激したら自分を抑えきれる自信がなかった。
あおいは気取られないように息を深く吸って。
「あなたを、助けにきたの」
れいは目を見開いて、椅子から立ち上がる。
さっきまであった儚げな気配は消え、おもしろいほどに取り乱し始めた。
強化ガラスに駆け寄って、必死にあおいに話しかける。
「バカなことはやめて!」
「……バカなこと?」
「そうよ! わたしはっ……殺人犯なのよ! なんにんも殺した、凶悪な!」
「だから?」
「だからって……」
絶句した様子のれい。あおいは冷たい目をむける。
そんなこと、この女にいわれるまでもなかった。自分も、あかねくんも、みんなみんなバカだ。
こんな人殺しの女を助けるために、なにもかも捨てたのだから。
それでもバカなりにバカな覚悟を決めてここまできていて、その覚悟をこの女に否定されるいわれはない。不快な感情を押し隠して、あおいはいう。
「ここまできて、いまさら帰れるわけないでしょ。……あかねくんたちの覚悟をムダにするつもりなの?」
「……え?」
ぽかんとするれい。まるで白痴のように呆けた表情をうかべる。
「……一色さんが、きてるの?」
「逆にきくけど、わたしがひとりであなたを助けにくるとおもう?」
「……」
沈黙するれい、つまり肯定だった。
今回の救出劇があかね主導であることを、なんとなく察したようだ。
あおいは続ける。
「そういうわけだから、わたしはあなたを助ける。わかったら、うしろにさがって。あぶないから」
しかしれいはガラスから離れないどころか、ふたたびあおいを止めようとする。
あきらかにさっきよりも必死だった。
「いまならきっと許してもらえるわ! もどるのよ!」
「これだけ暴れたらムリだよ。いいからはやく、うしろにさがって」
「……! そうだわ! わたしに脅されてやったことにすればいい! そうすれば……!」
「……そんなの子どもだって信じないよ」
呆れた声をだすあおい。しかしれいは気にもせず、依然あれこれと叫んで必死にあおいを止めようとしている。心の底からあおいたちの身を案じた様子で、ガラスを両手で叩いて必死に叫んでいる。やめなさい。やめて。おねがい。イライラする。うつむくあおい。なんでそんな。ドロドロとした感情が急速に広がっていく。れいの声。
「わたしなんかのために、人生を粗末にしちゃだめよ!」
「……るさい」
「それに……っ! わたしは一色さんを殺しかけたのよ!? 助けるかちなんて……!」
「うるさい!」
「きゃっ!?」
轟音。うしろに下がるれい。
あおいは感情のままハンマーを強化ガラスに打ち付けるも、あっさりと跳ね返された。それを無理やり軌道修正して、再度ハンマーを打ち付ける。悲鳴を上げる筋肉。パレットスーツを着てなお補正しきれない動きだった。ハンマーを打ち付けながら、あおいは叫ぶ。
「ずっと! ずっと! あなたのことが気にいらなかった!」
あおいはもう冷静さを装う余裕がなかった。
きっと憎々しげにれいを睨みつけているのだろう。だが、止まらない。
「おなじだったの!」
「……え?」
「ずっと天井だけながめてたころのわたしと、おなじ顔してた!」
ハンマーを打ち付ける音が響く。ガンッガンッ。
ガラスの向こう、困惑に揺れるれいの顔。
「かんがえることを放棄して! 自分を哀れんで! いいわけばかりして! そんな! 大嫌いだったわたしとおなじ顔してた!」
あおいの言葉にうなだれるれい。
「だから、気に入らなかった! あなたなんかに! あかねくんが……っ!」
視界がにじんでいた。遅れて自分が泣いていることに気がつく。
ハンマーを右手に持ったまま下ろして、左手で涙をぬぐう。
「でも、いまはすこしだけマシな顔してる」
夕日に照らされた川。あの時かられいの変化を感じとっていたのかもしれない。だからたぶん、しなくてもいい話をしたのだと思う。
そうして今日。囚われの身になっていつ殺されてもおかしくない状況だというのに。本気であおいたちの身を案じて、必死に自分の救出をやめさせようとする姿をみて、誰よりもお人好しな想い人の姿を思い出してしまった。いっそいつまでも昔の自分そっくりでいてほしかった。そうすればこんな気持ちにならなかったのに。お前にはふさわしくない。そういってやれたのに。
しゃくりあげそうになる自分を御すため、ゆっくりと深呼吸をする。
「だから、ライバルとして認めてあげる」
精一杯毅然とした表情を意識して、れいの顔を睨みつける。
「好きなんでしょう。あなたもあかねくんのことが」
ガラスの向こうにいるれいが、つと視線を逸らす。
「そんな、こと」
「さっきいったよね。あなたは大嫌いだったわたしそっくりだって。なら――」
あおいはふたたび両手でハンマーを振り上げる。
「――あかねくんのことが好きになるに決まってる!」
ハンマーを叩きつける。ガンッ。ガンッ。ガンッ。響き渡る殴打音。
身体ごとぶつかるように、体重を乗せて叩きつける。
「だから死なせない! 生きのこって! わたしと! ひまわりちゃんと! わかばちゃんと! 正々堂々とたたかえ!」
ピシリと音が聞こえた。強化ガラスにヒビがはいる。ガンッ。ピシリ。ガンッ。ピシリ。
「あなたが死んだら! あかねくんはずっと引きずり続ける!」
あおいはさらに力を入れて振り回す。ガンッ。ピシリ。ガンッ。ピシリ。ピシリ。
「死んであかねくんの胸にのこりつづけようだなんて! そんな勝ち逃げ!」
視線の向こう。ひび割れ歪んだガラスの向こうにれいがみえた。
ギリッと唇を噛むあおい。ハンマーを叩きつける。跳ね返されて踏み込む。陥没する床。筋肉の軋む音。腰を入れてもう一撃。
「――ぜったいゆるさないんだからぁ!」
ひときわ大きな音が響いた。割れる音。
身体ごとぶつかるようにハンマーを叩きつけていたあおいは、強化ガラスが割れると同時に前のめりに倒れていく。気が抜けたのだろう。あおいの両手からハンマーがすっぽぬけていく。そのまま床に倒れかけたところを、いつの間にか駆け出していたれいに抱きとめられた――と思いきや。れいはあおいを支えきれず、そのまま折り重なるようにたおれた。ドサリ。
「……なにやってるの?」
折り重なった姿勢で、あおいはあきれた声を出す。れいの谷間に顔をうずめる形になっていたが、うれしくもなんともなかった。そっちの気はないし。わたしよりも小さいし。
切れ長の瞳をそっと伏せ、バツが悪そうにれい。
「……ごめんなさい、だきとめようと思ったのだけど、力が入らなくて」
あおいはため息をつくと、上半身を起こす。
「とにかく、ここから出ないと。まずはあかねくんたちと合流して……」
「……っ」
あかねの名を出した瞬間れいの顔が曇ったことを、あおいは見逃さなかった。
あおいが眉をしかめると、れいは焦った様子で否定する。
「……まさか、あかねくんと会うのがいやなの?」
「そんなことないわ……でも、その、どんな顔して一色さんとあえばいいのか……」
眼下にみえるれいの顔は、近くでみると尚さら青白くみえた。さしずめ"あの夜"のことを気にしているのだろう。不安に揺れている瞳をみて、やおらあおいの唇が動く。
「……あやまれば、いいでしょ」
「え?」
「ほんとうに後悔してるなら……あやまりなよ、ちゃんと、じぶんの言葉で」
あおいとれいの視線が交差する。やがてれいはコクリとうなずく。
不安は滲んでいるが、とりあえずの覚悟は決めたようだった。
「……ええ、そうね」
あおいはそれを見届けるとれいの上からどいた。あかねがとっくに許してることはおしえてやらなかった。どうしてわたしがそこまでサービスしてやる必要があるのか。
せいぜいあかねくんが来るまで不安でいればいい。これで"あの夜"の落とし前をつけたということにしてやるのだから、むしろ感謝して欲しいくらいだ。
「はい」
「……え?」
たおれているれいに右手を差し出すと、れいは困惑した表情を見せた。
無言でさらに右手を突き出すと、ようやく察したらしく、れいはあおいの手を掴んだ。
そのままぐいっとれいの上半身を引き起こす。ぎこちなくお礼をいうれい。
「あ、ありがとう……二葉さん」
「べつに、お礼をいわれるようなことじゃないから」
上半身を起こしたれいを横目に、心のなかでべーと舌を出すあおい。
「あおいちゃん!」
「……あかねくん」
その時、通路の向こうからあかねが飛んできた。うしろにはわかばとひまわりもいる。
これでは作戦とちがうではないかと、あおいが疑問を抱くより先に、あかねが口を開いた。
「だいじょうぶだった! あおいちゃん!?」
「……わたしはだいじょうぶだよ」
着地と同時にあおいの元へ駆け寄ってきたあかねは、胸をなでおろした様子だ。
真っ先にわたしの身を案じてくれるあかねくん。いつもならうれしいのに、いまは苦々しさばかりが胸に広がっていく。
あかねがはっとした表情を浮かべる。視線はあおいの隣。
「……黒騎さん」
「……一色さん」
れいは一瞬だけうれしそうな顔をして、すぐに沈んだ表情でうなだれた。
あかねもなにをいっていいのか、頬をかきかきしながらつぶやく。
「その……ぶじでよかった」
「……ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」
「そんな……」
ペコリと頭を下げるれい。なにかいおうとして、あかねは口をつぐんだ。
「気にしないで」と続けるつもりだったのだろうが、あおいたちを巻き込んでしまったという罪悪感が口を塞いだようだった。
「二葉さんたちも……ごめんなさい」
「あやまってもらうようなことじゃないから」
「あたしは、あかねのためにやっただけ」
れいの言葉に、あおいとひまわりは憮然と返す。
「ははは……まあ、わたしたちが好きでやったことだからさ。気にしないでよ黒騎さん」
苦笑しつつもフォローを入れるわかば。
目を泳がせながら、れいはなにかをいおうと口を開く。
「それで、一色さん、その……」
緊張がにじんだ気配。ひまわりたちも空気を察したらしく、じっと黙っている。
"あの夜"のことを謝ろうとしているのだろうが、れいは踏ん切りがつかないらしい。
それでも、ようやく勇気を出して口を開こうとして。
「あ……」
「さすがビビッドチームじゃ! わしの期待を裏切らん!」
声。遅れて空気の抜ける音がした。視線を向けると、自動ドアから円盤に乗ったカワウソがふよふよと飛んできた。いつものように不敵な笑みを浮かべてなにやらまくし立てていたが、ようやくあおいたちの様子に気づいたらしく、困惑した表情をみせる。
「な、なんじゃ? みんなどうしたんじゃ?」
しらーっとした空気が漂っていた。カワウソに向けるあおいたちの目は冷たい。
カワウソが出てきたあの自動ドアは、モニタールームにつながっていたと考えるのが妥当だろう。つまりれいとのやりとりはずっとモニタリングされていたってことだ。ならこのタイミングで出てくることないだろ。ちらりとれいに視線をやれば、完全に萎縮してしまっている。
ぽつりと、ひまわり。
「……くうきよめ」
「ひ、ひまわり!?」
愛弟子の冷たい反応は、さすがのカワウソも堪えたらしい。
うしろから出てきた管理局局長が、額を押さえているのが印象的だった。苦労してるんだろうなあ。ちなみにあかねたちがここまで来たのは、あおいから緊急信号が出ていたからだそうだ。もちろんあおいはそんなもん発信した覚えはない。カワウソがいじったようだ。
***
黒騎れいは異世界人――平行世界の住人――だった。
その世界は示現エネルギーの暴走によって滅んでしまい、れいだけが生き残ってしまったのだという。ひとり絶望するれい。するとそこに『彼ら』の『代弁者』だというカラスがあらわれ、あおいたちの世界の示現エンジンを破壊すれば、れいの世界を再生してやると提案した。
うさん臭いことこの上ない話だが、藁にもすがる思いだったのだろう。れいはカラスに命ぜられるがままアローンを強化し、時に示現エンジンへの潜入を試みたという。
そうして世界の敵になったれいを殺さずに退けることが、同時にあおいたちへ課されたテストだった。もしもれいを殺していれば、即座にテスト不合格で世界は滅亡していたらしい。
隔離施設。『代弁者』を名乗るカラスはあおいたちにそう語った。れいが収容されていた設備の庇の上から、あおいたちを見下ろして偉そうに。
「ふん」
鼻を鳴らすカワウソこと一色博士。
移動用の円盤上で腕を組み、カラスに負けじと偉そうに応じる。
「ならば、わしらは合格したのじゃな。このテストとやらに」
「いいえ」
「……なに?」
眉をしかめる健次郎。そして語り始めるカラス。
要約するとこういうことだった。
『テストの点数は合格ラインだったけど、お前(人類)の存在が気に入らないから不合格な!』
あっけにとられるあおいたち。なにをいってるんだこのカラスは。
「……ちょうどさ、ほしかったんだよね。庭に吊るすカラスよけ」
そういうあかねの目は笑ってない。
ブーメランを取り出すと、いつでも飛びかかれるように構える。
「い、一色さん……なにを……?」
不安気な声をあげるれいに、あかねはにこりと笑顔を返す。
「あんなつかいっぱしりじゃ話にならないからね。叩きのめして上司をよんでもらうんだよ」
「そうじゃな。あれじゃ話にならんわ、とっととご退場願おうかの」
物騒な孫と祖父だが、あおいも同意だった。
聞けば上司である『彼ら』にお伺いを立てたわけでなく、カラスの独断にすぎない。
こんなので世界滅ぼされてたまるか。ふん縛って上司を引きずり出してやる。
「てつだうよ、あかねくん」
ハンマーを取り出すあおい。わかばとひまわりも各々の得物を取り出す。
揃ってギラギラした瞳をカラスに向ける。
カラスはやれやれと口を開く。
「まったく、ほんとうに人類というのは身勝手ですね。気に入らないから排除する――野蛮な本性があらわになったということでしょうか」
「「「「おまえにだけはいわれたくない!」」」」
ビビッドチームの心が完全にひとつになった瞬間だった。
いまなら全員でドッキングできるかもしれない。
一斉に飛びかかろうとした瞬間、カラスが羽を振り上げた。
「……っ!?」
その風圧だけで吹き飛ばされ、隔離施設の壁にたたきつけられるあおいたち。
なんとか体勢を整えて、再度カラスに挑みかかろうしたあおいたちの眼前で――カラスがれいを丸呑みにした。直後弾けるカラス。黒い液体となって膨張し始め。遅れて叫ぶあかね。
「黒騎さん!?」
「いかん! みんな逃げるんじゃ! あかね! お前もじゃ!」
取り乱したあかねに喝を入れつつ、あおいたちに避難をうながす一色博士。
しかしあかねだけはカラス"だったもの"に向かって駆け出す。
「あかねくん!」
あおいはあかねを正面から抱きかかえると、そのまま飛び上がる。防衛軍総司令部を飲み込まんばかりの勢いで膨張を続けていくカラス"だったもの"を背に、一直線に通路を飛んで行く。最下層を抜けて1階に出ると、最初に目に入った窓へためらうことなく突っ込んで外へ出る。
脇目もふらず一心不乱に飛んで行く。ふいに後ろからわかばの声がした。
「……あれ!」
おもわずふりむいて、あおいは絶句する。
海上。管理局局長を抱きかかえたわかばに、一色博士を円盤ごと持ったひまわり。
防衛軍総司令部の建屋を突き破って、黒く細長い何かがせり出していく。いまだかつてない禍々しい気配。おそらく、あれはカラスが。
「……アローンになった?」
或いは、あれこそがカラスの正体だったのか。
飲み込まれたれいはどうなったのか、あおいの脳裏にそんな言葉がよぎった刹那。
抱きかかえているあかねが声を張り上げた。
「――黒騎さーん!」
防衛軍総司令部の上空で、アローン――カラスが翼を広げた。ロングコートのように下へ広がったボディ。人間でいえば腕の部分に左右それぞれ4つの黒い翼が生えており、首の部分にぎょろりとそれは開く。なにもかも見下ろすような、大きな一つ目だった。