二葉あおいは懊悩する【完結】   作:草陰

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5話 夏があなたを刺激する

 

 

 

 

 

 一色家の玄関にて。

 サマースクールに出かけようとしてるあかねを見送る、健次郎(カワウソ)ともも。

 

「それじゃあふたりとも、行ってくるね」

 

 そういって笑顔を浮かべるあかね。

 同じく笑顔を浮かべたももと、ももの頭の上に乗った健次郎は手を振って見送る。

 

「いってらっしゃい、お兄ちゃん」

「うむ、気をつけるんじゃぞ。あかね」

 

 戸の閉まる音。あかねが出かけていくと同時に、健次郎の目に火が灯った。

 一色健次郎は燃えていた。今度のサマースクールこそビビッドチームを鍛える絶好の機会。そのために以前より入念に仕込んでいた計画をいよいよ発動させる日が来たのだ! 健次郎は意気揚々とサングラスをかけると、ももに声をかける。

 

「では、わしらも作戦開始といこうかの! いくぞ、ももよ!」

「え、やだよ」

 

 が、返ってきた言葉にべもなかった。

 ずっこける健次郎。ももの頭から玄関に落下すると、顔を上げて叫ぶ。

 

「な、なんでじゃ!?」

「だって、ほかにやることあるし……」

 

 無論。健次郎ひとりでも作戦は決行できるが、いざという時のために助手が欲しかった。こんな身体になってしまった以上は、信頼できる人間もかぎられている。

 ももを必死に説得する健次郎。

 

「あ、あかねのそばにいたくないのか?」

 

 このカードは出来れば切りたくなかったが、やむをえなかった。

 目の前の孫娘にブラコンの気があることを一色健次郎は知っている。

 もちろん祖父として思うところは山ほどあるのだが、家事の一切をももに押し付けている以上、あまり強いことはいえなかった。

 だから、あかねのすぐそばにいけるとなれば1も2もなく飛びつくと思っていたのだが。

 この言葉には揺れたようだが、それでもしぶるもも。

 

「わたしだってお兄ちゃんのそばにいたいよ? でも」

「ならば!」

「たまったお洗濯物とか、おうちの掃除とか、いろいろ休日のあいだにかたづけちゃいたいんだもん」

 

 実に所帯じみた理由かと思いきや。「それに」とももは続ける。

 

「お兄ちゃんがきもちよくかえってこられる家にしておきたいし……」

 

 ほんのり頬を染めて、毛先を指先でくるくるさせながらそういうもも。

 あきらかにこちらが本音だった。

 

「およめさんは、だんなさまの帰ってくる家をまもらなくちゃ……」

 

 うっとりと夢見るような目をするもも。健次郎は思わず喉の奥で悲鳴をあげる。

 いかん、もも、いかんぞそっちに行っては。

 健次郎が声を出すより先に、ももはいつものおだやかな眼差しを向けてきた。

 そのまま口を開くもも。完全に機先を制された形。

 

「お祖父ちゃんが全自動お掃除ロボットとか作ってくれてたら、そんなことしなくてもいいんだけど……」

 

 どころか、さらりとイヤミまでいわれてしまった。なにもいえない健次郎。

 世界のためといえば聞こえはいいが、健次郎のやっていることは結果的にふたりの孫に負担を強いていることくらい自覚していた。

 ももは膝を曲げ、できる限り健次郎の目線に合わせると、人差し指を立て、まるで子どもにいい聞かせるようにいう。

 

「あ、くれぐれもお兄ちゃんたちに迷惑かけちゃダメだよ? 迷惑かけたら――」

 

 ひときわ深い笑みを浮かべる。もも。

 後光がさしてみえるほどの慈悲深い笑みであった。

 

「――ミキサーに放り込んじゃうからね?」

 

 そういって開かれたももの目だけは、欠片も笑っていなかった。 

 本気だ。本気でこの娘はわしのことをミキサーに放り込むつもりだ。

 どうしてこんな猟奇的な孫娘に育ってしまったのだろう。

 健次郎にできることは、ただ震えながらうなずくことだけだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 入江。青い空の下、サマースクールの生徒たちで海岸は賑わっている。

 その一角に、水着姿のあおい、あかね、ひまわりが立っている。わかばはまだ着替え中だ。あおいはいつになく機嫌がよかった。

 これまでは入退院を繰り返すほどに身体が弱く、こういった特別授業のたぐいはことごとくパスしてきただけに、初めてのサマースクールにあおいのテンションはうなぎのぼりだ。そしてなにより――目の前には水着姿のあかねきゅん。

 シンプルなサーフパンツだが、むき出しの上半身は細身ながらも日々のバイトや自主トレで鍛えられているのが見て取れる。想い人の意外とたくましい肉体に心不全を起こさんばかりに胸を高鳴らせているあおいの前で、あかねはひまわりに声をかけた。

 

「その水着かわいいね、ひまわりちゃん」

 

 あかねの言葉はド直球だった。頬を染めてうつむくひまわり。

 

「ま、まあまあだよ」

 

 照れ隠しのひまわりの言葉。

 あかねもそれは理解しているから、ほほ笑みを浮かべながら見つめている。ますます赤くなるひまわり。ただでさえ暑さに弱いらしいのに、このままではぶっ倒れてしまうのではないか。そしてあかねに看病されるのだうらやましい! そういうイベントこそ病弱キャラであるわたしの面目躍如ではないのか。ってなわけで倒れろわたし! と念じるあおいは今日も元気ハツラツだった。

 そこにおくれてやってきたわかばが似合わぬ嬌声をあげる。

 

「わー! やっぱり似合ってる!」

「やっぱり?」

 

 ひまわりの姿をみてよろこぶわかばに、あおいは疑問を浮かべる。

 なんでも休日にひまわりとふたりで水着を買いに出かけたらしい。

 そこでわかばが自分の水着を選んでくれたのだと、ひまわり。

 「ふーん」とつぶやくあおい。そういやあおいもなんか誘われた気がした。

 その日は用事があったから断ったのだ。そう。満面の笑みを浮かべる。

 

「ふふふ。わたしの水着はね、あかねくんに選んでもらったんだよ!」

「え、そうなの?」

 

 わかばのおどろいた声に、あかねは答える。

 

「この前の休日にね。ももとあおいちゃんと、3人でスポーツショップに行ってきたんだ」

「あ、ももちゃんもいっしょだったんだ」

 

 わかばの相づち。すぐ横のひまわりが、こころなしホッとした表情を浮かべたのは気のせいじゃないはずだ。それを内心あざ笑うあおい。このふたりは何もわかっていない。家族同伴で買い物。こういった積み重ねこそが外堀を埋めることになるのに。おそらくは、水着を選ぶのに"男子を誘う"という発想すら、このふたりには存在しなかったのだろう。これはつまり2年前からあかねとの結婚を視野に入れて行動していたあおいと、ぽっと出のふたりとの差であった。

 内心の優越感を笑顔に変えて、あおいはいう。

 

「かわいい水着でしょ?」

「うん、そうだね。青っていうのもあおいちゃんにぴったりだと思うし。胸元のリボンがアクセントになってて、この腰回りのふわふわなんかなかなか……うん、いい。すごくいいと思う……」

 

 わかばはうなずきながらそういう。

 本気で褒めてくれているのはわかるのだが、なんか妙に細かいし、ねっとりと全身を舐め回すような視線は正直にいえばキモかった。

 ひまわりもこころなしげんなりした表情を浮かべている。

 どうやら、ひまわりの水着を選んでいたときもこんなんだったようだ。

 

「……ね、ね? あかねくんのセンスいいでしょ?」

「うん。そうだね!」

 

 めずらしく引き気味なあおいに、わかばは気づいた様子もなく力強く答える。

 あかねは頬をかきながら謙遜した様子でいう。

 

「選んだといっても、ふたりがもってきた3つの候補の中から1つ選んだだけだからね。ほんとうにセンスがいいのはあおいちゃんだよ」

「そんなことないよ! あかねくんが選ばなかったら、いつまでもあの3つの中から決められないで、あやうくスク水を着るところだったよ! スク水なんてありえないよ!」

「あおいちゃんはおおげさだなあ」

 

 ははは、と爽やかに笑うあかねだが、あおい本人にすればわりと本気だったりする。

 あおいにしろももにしろ、決断力に欠けるところがあるのだ。

 その点あかねは即断即決だ。本人曰く「人生は決断の連続じゃ!」と、物心つく前から祖父にすり込まれてきた影響らしい。長男ということで、あの祖父はとにかくあかねに自らの人生哲学を叩き込みまくろうとしているフシがあった。それもどうも古臭い感じの。

 だから、あかねはここぞという場面では自分の感情すらねじ伏せて行動する。

 たとえば高所恐怖症だったのに、あおいのピンチを前にしたら身を捨てて助けに走ったりしたのは最たる例だろう。もちろんあおいはうれしかった。うれしかったが、もっと自分の身体を大事にして欲しいとも思う。自分のためにあかねが死ぬなんてまっぴらごめんだった。閑話休題。

 あおいはもじもじとあかねに声をかける。

 

「それで、ね? あかねくん。水着、似合ってるかな?」

 

 実際に水着を着たところをみせるのはこれが初めてだった。

 あかねは笑みをうかべていう。

 

「うん、似合ってる。かわいいよあおいちゃん」

「そうかな? うへへへ……」

 

 あかねきゅんから「かわいい」といわれてしまった。

 おもわず変な笑い声が出てしまうあおい。

 もうこのまま死んでもよかった。いやダメだ。結婚して子を成すまでは死ねない。脳内で繰り広げられる人生劇場。幸せな結婚生活。ステキな旦那様。かわいい子どもたち。あかねと共に爆弾を抱えながら太陽に突入したところではっとする。

 あおいがスペクタクルなトリップからもどると、わかばとあかねが会話をしていた。

 

「……でね、最初はひまわりちゃんにわたしの水着を貸すつもりだったんだけど、サイズがあわなくて」

「ああ……、なるほど」

 

 あかねの目線が一瞬わかばの胸元を見たことを、あおいは目ざとく察した。

 わかばもまたそうだったのだろう、ジト目であかねをみる。

 

「……ねえあかねくん、今なにかしつれいなこと考えなかったかな?」

「え? あ、ははははは……。あ、く、黒騎さんだ! ちょっと声かけてくるね! 黒騎さーん!」

 

 海岸をひとりで歩いていたれいに駆け寄っていくあかね。

 わかばは腕を組んでプンスカしている。

 

「もう! あかねくんじゃなかったらセクハラだよ!」

「ごまかすのヘタだね。あかね」

 

 ぽつりとつぶやくひまわりだったが、どちらの言葉もあおいの耳には入っていなかった。

 れいに声をかけるあかね。いつも自分に向けてくれるほほ笑みなのに、れいに向けるそれはまた特別なものに見えた。直後あっさりと突き放されてしょんぼりするあかねをみて、黒い喜びが胸の内に広がっていく。同時に、あかねにあんな顔をさせたれいに対して湧き上がる怒りと嫉妬心。胸の中がぞわぞわする。制御できない感情。あおいは胸元で右手をぎゅっと握った。

 

「……あおい?」

 

 ひまわりの声。ハッとするあおい。

 視線を横に向けると、ひまわりが眉をひそめていた。

 あおいは頭をふって黒い感情を振り払う。

 

「……なんでもないよ、ひまわりちゃん」

 

 だいじょうぶだ、と自分にいい聞かせる。

 自分は決して、黒騎れいには負けない。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 それはアローンを名乗る相手からの挑戦状だった。

 黒騎れいを捕まえた、助けたくばそこに停泊しているボートに乗って所定の島まで来い――空中モニター越しに流されたそんな情報をひと通り聞いたところで、わかばとひまわりはぽつりとつぶやいた。苦虫を噛み潰したような、いやなものをみてしまったような。そんな表情。

 

「……ねえ」

「……うん」

 

 冒頭とはちがう入江。あかねを除く3人からは白けたムードがただよう。

 やっすい合成丸出しのモニター映像。子どもですら失笑するだろう三文芝居。

 そしてなにより、あの声は。ドサッとあかねが膝から崩れ落ちた。

 

「なにやってんだよ爺ちゃん……! 人さまにまで迷惑かけて……もう……!」

 

 両手で頭を押さえてもだえるあかねの気持ちは、あおいにも痛いほどわかった。

 仮に自分の父親がこんなトチ狂ったことをやったら切腹ものだ。

 身内の恥に苦しむあかねの姿は、あおいにとっても見ていてつらかった。

 

「みんな」

 

 あおいはひまわりとわかばの顔をみる。

 決意を込めたあおいの目に、ふたりの顔も引き締まった。

 

「黒騎さんを救出して……一色健次郎を殺そうよ!」

 

 あかねきゅんを苦しめる人間は、たとえそれが身内であろうと許さない。

 あおいの決意の言葉に、わかばは引きつった顔で答える。

 

「い、いや、黒騎さんを救出するだけでいいんじゃないの?」

「っていうか、そもそも助けにいく必要あるの?」

 

 ひまわりの淡々としたツッコミ。

 わかばははっとした様子で顎に手を当てる。

 

「そっか。さすがにわたしたちが来なかったら解放する、よね?」

「するでしょ。そこまでひじょうしきな人じゃないとおもう」

 

 相変わらず淡々としたひまわり。さすがに今回の件ではすこし引いていたが、一色博士に対する尊敬の念は残っているらしい。弟子入りしたそうだし。

 しかし、あおいは考える。博士に常識があるかどうかは別として、このまま黒騎れいを放置するというのは魅力的な提案だ。できれば極力あかねに近づけたくはない。ひまわりの意見を後押ししようと、あおいが動き出したその時、背後からあかねの声。

 

「……ねえ、みんな」

 

 ふりかえってあおいは絶句した。憔悴しきった表情。たった数分で人はここまで老けこむものなのか。誰もなにもいえなかった。

 このぶんでは三人の会話なども聞こえていなかったにちがいない。

 

「みんなはサマースクールを楽しんでてくれ。黒騎さんはオレ一人で助けにいくからさ……身内の尻ぬぐいは、家族がしないとね」

 

 そういって力なく笑うあかねの姿は、見ていられないほど痛々しかった。

 

「……あおいちゃん」

「……あおい」

「……うん」

 

 うなずきあう三人娘。

 もはや言葉にする必要はなかった。

 あおいは代表して宣言する。

 

「一色健次郎を殺そう!」

「いや、さすがにそこまではしないからね?」

「……黒騎さんを助けるだけだから」

 

 そういうことになった。

 あおいは青いパーカーを羽織ると、ボートに飛び乗ったのだ。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「うらあ!」

「てやあ!」

 

 無人島(?)の森林の中に一組の男女の声が響き渡る。水着姿の一色あかねと三枝わかば。

 ふたりは健次郎博士が用意した、クマ型のロボットと徒手空拳で戦闘を繰り広げていた。

 ガキーンゴキーンなんていう、木刀を使っているわかばはともかく、肉弾のあかねからはどう考えてもおかしい音が鳴り響いている。

 敵の攻撃をかいくぐりながら、わかばは弾んだ声を出す。

 

「やるね、あかねくん! やっぱりなにか武道の心得でもあるんじゃないの?」

「まさか! 前の学校でダンスをちょっとかじったくらいだよ!」

「なるほど! どおりで!」

 

 いろいろとひまわりはツッコミたかったが、面倒だからやめた。

 ひまわりはその光景を眺めながら、ぽつりとつぶやく。

 

「……あつい」

 

 ひまわりは木陰に入り、実っていたフルーツで水分補給をしつつ、あかねとわかばの戦闘を見守っている。ただ座っているだけでダラダラ流れ落ちていく汗。身体は強い日差しにすっかり参っていた。長年のヒキコモリ生活で、すっかり暑さへの耐性がなくなってしまったらしい。

 あおいはいつの間にか行方をくらましていた。もちろん探す気力はない。

 

「……あつい」

 

 せめてタオルを持ってくればよかった。

 ムダに大きい胸の谷間もこうなれば厄介なだけだ。このままでは汗疹になってしまう。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ずるずると音がする。

 あおいは両手でそれを重そうに引きずりながら、森の中を歩いていた。

 ふと立ち止まるあおい。視線の先。自分に向かって転がってくる岩の姿。

 しかしあおいは避ける素振りもみせず、尖った石を拾って投げつける。

 パーンという音と共に弾ける岩――さすがに舐めすぎだろうと、あおいは思った。

 あんな重量感のない岩があってたまるか。まったく。

 

「で、あなたはなにやってるのかな?」

 

 ちらと視線を右上に向けると、木の枝に立ってポカーンとした様子の。

 あおいは眉をひそめる。

 

「……ほんとうに、なにやってるの?」

 

 なぜか顔にマフラーをぐるぐる巻きにしている黒騎れいの姿があった。

 この暑い中、なにをやってるのだろうかあの娘は。

 

「くろきさ」

「わたしは断じて黒騎れいではないわ」

「いや、どうみても」

「ちがうから」

「……」

「……」

 

 この真夏にそんなマフラー巻いてるような女はお前くらいだよ。なんてツッコミをよっぽど入れてやろうと思ったが、それよりもあおいにはやることがあった。

 

「まあ、なんでもいいや。あかねくんたちが向こうのほうで戦ってるから、行ってきてくれないかな?」

「……戦ってる?」

「うん。黒騎さんを助けるために戦ってるから。元気な姿でもみせて安心させてあげて?」

「わたしを助けるために……?」

 

 目に見えて困惑しているれいだが、伝えることは伝えたので放置する。

 「じゃあ、わたし行くから」と、足元にある容器の取っ手を両手でつかみ、ずるずると引きずっていく。満杯でこそないものの、20リットル容器はなかなかに重たい。

 れいは不思議そうな目であおいをみつめる。

 

「……あなたはどうするの?」

「ちょっとこれから、黒幕に天誅を下そうと思って」

「て、天誅……?」

 

 なぜだか困惑の色を深めるれいをみて。

 なにか変なことをいっただろうかと、あおいは首をかしげた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 日差しの強さに辟易する。

 ダラダラと流れる汗をパーカーの袖でぬぐいながら、容器を引っ張って前進していく。

 本来ならゴミ拾いをしつつ水遊びを楽しんでいたはずだろうに。

 それがどうしてこんなジャングルを行軍するような真似をしているのだろうか。

 それもこれもあの一色健次郎が悪い。許すまじ健次郎。あおいは今や一匹の鬼だった。

 というか、れいと遭遇した時点であかねくんたちの前に連れていけばそのまま帰れたんじゃ――考えて、あおいは思考を放棄する。やらねばならぬ。理屈ではない。断乎やらねばならぬのだ。

 

「やらねば……やらねば……」

「……二葉さん?」

「え? どうかしたかな?」

「いえ……」

 

 とっさに仮面を被り、あおいはにこりと背後のれいに笑顔を送る。

 なぜだか目を伏せるれい。怯えがみえたのは気のせいだろう。用がないなら声なんかかけないで欲しい。舌打ちしたい衝動をなんとかこらえるあおい。今は体力が惜しい。

 ――黒騎れいは、あのままあおいのうしろをついてきていた。

 正直にいえば近くをうろちょろされるだけでも目ざわりなのだが、ここで喧嘩を売っても事態がこじれるだけだろう。短絡的な挑発はむしろ厄介事を招く。やるならもっと決定的なタイミングで釘を差せ。わかばとひまわりの件であおいが学んだことだった。

 ときおり姿を消すのは気になったが、すれ違いざまに転がっている壊れた監視カメラが答えだろう。露払いのつもりか。キザな女だ。ますますいけすかない。

 いけすかないといえば。あおいは背中越しにれいに声をかける。

 

「ねえ、黒騎さん」

「……わたしは黒騎じゃ」

 

 まだいってるのかとあきれるあおい。無視して続ける。

 

「その顔に巻いてるマフラー、とったら?」

 

 ちらと振り返って顔をみると、なぜかれいの肩が跳ねた。

 ハッキリいって見てるだけで暑苦しい。しかし、れいはしぶる。

 

「……でも」

「それとも――わたしには顔も見せたくないってことかな? ん?」

「と、とるわ!」

 

 急にあわてて顔のマフラーをほどくれい。そのまま首に巻き直す。

 やはり暑かったらしく、汗ばみ上気した顔はやたらと艶やかだった。

 本音をいえば首に巻くのも暑苦しいからやめてほしいのだが。

 

「な、なに?」

 

 何故かびくびくした様子でこちらをみるれい。

 

「なんでもないよ」

 

 笑顔を送ると、あおいは前を向き直す。

 ま、そこまではいいだろう。他人のこだわりに口出しするほど野暮でもない。

 それよりと、あおいは声を上げる。

 

「あ、みえてきたよ」

 

 視線の先にはアローン研究所なる建物。鉄骨の送電線みたいな建造物だった。どっから入るのか一瞬迷ったが、目ざとくみつけたれいが先行して入っていった。あわててついていくあおい。内部には机と棚が整然と並んでいる。一見すれば事務所といったところか。埃臭さにあおいは眉をしかめる。掃除の手は行き届いていないようだ。先に入っていたれいはつぶやく。

 

「……人の気配がしない」

 

 あおいはふむと考える。

 どこまでれいの言葉を信じていいのかわからないが。

 全面的に信じるならば、この建物に健次郎以外の人はいないということだ。

 であるならば、あおいはこれからやる行動に一片の躊躇もなかった。

 れいから見えないように、こそとスマホを覗き見るあおい。

 ここへ来る前に、パーカーをひっかけてきたのはスマホを隠し持つためだった。

 周辺の簡易マップ。その中心には光点――健次郎のいるポイントが表示されている。

 ももがこっそり健次郎の中に仕込んでおいてくれた発信機の反応。

 光点は建物の中を示しているが、建物の上階には誰もいない。となれば、地下か。

 読みが当たったようだとあおいは笑いかけて、口元を引き締める。

 

 さっそく地下へと続く階段を探し始めるが、どこにもない。

 となれば、どこかに隠し階段があるのだろう。

 建物の構造から考えてみれば、おそらくは――このあたりか。

 あおいは部屋の隅にあった本棚に手をかけると、横に引いていく。

 

「よいしょ……っと」

「……なにやってるの?」

 

 れいの怪訝な声。

 あおいは本棚をすこしずつ動かしながら返事をする。舞い散る埃。

 

「たぶんっ……ここにっ……隠し階段が……あった!」

 

 本棚の後ろには扉があり、それを開くと階段がでてきた。

 あおいは顔だけ振り向いて、背後のれいに声をかける。

 

「黒騎さん、ちょっとここでまっててくれるかな?」

「え?」

「わたしはこれから下を見てくるから、ちょっと容器を見張っててほしいんだ」

「下にいくのなら、わたしが」

「いいから」

 

 じっとれいの顔を見つめると、ビクリと肩を震わせてがくがくと頭を前後に振った。

 了解を取り付けたということで、引きずってきた容器をその場に置いて動き出すあおい。ちらと眼下の階段を見てみると、少し下がったところに小さな踊り場が見えた。気配を殺してそそくさと降りて行くと、折れた先に扉。隙間からはピカッピカッと光が漏れている。静かに開くと、奥の方に無数のモニターが見えた。あれが光の正体か。イスに座って(立って?)キーボードを叩いているカワウソこと一色健次郎博士の後ろ姿。なにやら興奮しており、上の階の様子にはみじんも気がついていない様子だった。軽く視線を走らせてみるが、室内には博士ひとりきり。

 あおいは自らの読みが当たったことをつかの間よろこぶと、すぐさま階段を駆け上がり、扉のすぐ側に立っているれいにお礼をいう。

 

「ありがとう、黒騎さん」

「え、ええ……。それで……」

「うん、いたよ黒幕」

 

 おどろいた表情をみせるれい。おずおずと問いかけてくる。

 

「それって……、人?」

 

 あおいは質問の意味がわからなかった。

 答えようとして、はたと考える。今の博士は人間といえるのか。

 寝ている間に、ももがハサミで背中を切り開いて発信機を仕込んで裁縫道具の針を刺してもぴくりとも起きなかったらしい今の博士は。ついでに裁縫を少しミスって綿が少しこぼれているのに平然としている今の健次郎は、果たして。

 考えると頭痛がしてきたので、あおいはとりあえず事実だけを伝えることにした。

 

「うん、そうだよ」

 

 すくなくとも中身は人間だからまちがってないだろう。

 あおいは何やら固まっているれいに背をむけると、引きずってきた容器の封を開ける。

 立ち込める刺激臭。背後のれいがめずらしく自分から問いかけてきた。

 

「……ねえ、それって」

「ボートの燃料だね」

「え?」

「いがいと残ってるものなんだね。こういう液体燃料でうごく乗り物って」

 

 両手で容器を傾けると、液体が階段を伝って地下へと流れていく。

 示現エネルギーの普及から向こう、こういった液体燃料で動く乗り物は絶滅したといっても過言ではなかった。その端緒となった示現エンジンの開発者である博士が、どうしてこんな骨董品を持っているのか不思議だったが、今はどうでもいい。

 ボートからごっそり燃料を抜いてしまったが、予備のボートくらいあるだろ、たぶん。仮になかったところでたいした距離じゃないし、最悪手漕ぎでどうにかなると見越してもいた。

 れいの困惑した声。

 

「それで、その燃料を流し込んで、なにをするつもりなの……?」

「なにをって、そんなの決まってるでしょ?」

 

 あおいはふりかえって、きょとんとした表情をうかべる。

 あわててるれいに、淡々という。

 

「火をつけて、焼き殺すんだよ?」

 

 黒騎れいの顔が一瞬にしてこわばる。切れ長の瞳が大きく見開かれた。

 あおいは空になった容器の蓋を閉めて脇に置く。れいの震えた声。

 

「なんで……」

「なんでって、そんなのあかねくんに迷惑かけたからに決まってるじゃない」

「……迷惑?」

「うん、迷惑かけたの。だからね、そんな邪魔者には死んでもらうにかぎるでしょう?」

 

 もっとも本気で殺す気はなかった。そりゃあかねが泣き崩れた時は本気で殺意を抱いたが、それで本当に殺るほどぶっ飛んではいない。

 そもそも博士のボディは耐火使用だ。あおいは先日のことを思い出す。防衛軍の演習場。あおいたちの目の前で、やおらガソリンを頭からかぶって己に火をつけたカワウソの姿。激しく炎上しながら『わしのボディは耐火仕様じゃ!』と豪語する博士。ドン引きするあおいたち。今も目を閉じればありありと思い出せる。

 だからあおいがやろうとしていることなんて、嫌がらせ以上の効果はないだろう。

 おまけに天井には消火装置がついていたし、火だってすぐに消えるはずだ。

 

 しかし、あおいはあえてそれを誇張してれいに伝えた。

 つまりは、れいに対する警告だ。あかねには自分という厄介な女がいるという警告。

 いっそ狂人あつかいされればこれに勝ることはない。

 そして、あおいの読みどおり、れいは動揺を隠せないでいる。

 

「そんなことして、一色さんがよろこぶわけ」

「うん、よろこばないだろうね。だから、あかねくんにはないしょだよ? 悲しむと思うから」

 

 いくらあんなのでも身内は身内である。

 悲しんでるあかねを思うと、胸が引き裂かれそうな気分だ。

 

「どうして、そんな身勝手なことが」

「身勝手?」

「目的のために、人を殺そうだなんて、そんな、そんなの」

 

 一顧だにする価値すらない青臭い言葉だった。

 もっともクソ真面目に説教してやる義理もないので切って捨てる。

 

「目的のためなら手段をえらばない、人間ならとうぜんのことでしょう?」

 

 弱肉強食なんて陳腐な言葉かもしれないが。ゆるがぬ真理だった。

 そして強者とは何か。なりふり構わず邁進できる人間のことだ。

 目的のためであれば、努力を怠らない。手段を選ばない。ためらわない。

 だからわたしはためらわない。あかねくんの幸福のためならなんでもやってみせる。

 さようなら博士。あっちでわたしたちの幸せを見守っててください。

 金属ライターの蓋をカチンと開けて、シュボッと火をつける。

 あとはこれを地下へ続く液体の上に放り込めばいい。

 

「ちがう!」

 

 いきなり大声をあげたれいに、あおいは目をまんまるさせる。

 

「黒騎さん?」

「ちがう! ちがう! そんなことない!」

 

 いきなり取り乱したれいを怪訝な目でみつめるあおい。

 両手で頭を抱えて左右に振っている。「ちがう」と狂ったように繰り返す。

 なんだこいつ、実はやばい人だったのか。あおいの背に冷たいものが流れ落ちる。

 

「こんなもの!」

「あ、あぶないよ黒騎さん!?」

 

 あおいの手から、火のついたジッポを強引に奪い取ろうとするれい。

 火傷するのも嫌だしさせるわけにもいかないので、とっさに放り投げるあおい。

 或いは、れいからみたら自分がちょっかいをだしたせいで落ちたように見えたかもしれない。

 

「……あ」

 

 直後、ボワッと火が地下に向かって駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 晴天。あおいとれいは屋外に移動していた。

 茫然自失していたれいをどうしようか一瞬迷って、手を引っ張ってここまできたのだ。

 そのままふたりでボケーッと煙が立ち上る建物を見つめていたが、間もなく消火装置が起動。おくれて、消化液でびしょぬれになった博士(カワウソ)が飛び出してきた。そこにタイミングよくあかねたちもやってきた。叫ぶ博士。

 

「殺す気か!」

「ちっ」

「だ、誰じゃいま舌打ちしたのは!?」

 

 もちろんあおいだが、素知らぬ顔を浮かべている。

 こそりと、ひまわりが背後から耳打ちしてきた。

 

「……パフォーマンス乙」

 

 どうも消化液でびしょぬれの博士をみて、一瞬で状況を理解したらしい。

 にしても、そこまで看破するとは思わなかった。

 

「あれ、わかっちゃった?」

 

 思わず感心したあおいの言葉に、わかばが苦笑と共に入り込んでくる。

 

「そりゃあ、『この身体は耐火仕様じゃ』って、この前博士がみんなに自慢してたばかりだしね」

 

 どうもわかばも一瞬で状況を理解したらしい。

 そろいもそろってムダに優秀すぎやしないかビビッドチーム。

 なんにせよ、チームの連中にはあっさりバレてしまった。

 れいへの警告は、わかばとひまわりへの警告でもあったのだが、これでは意味がない。

 重たい容器を引きずってきたのは、あまり実りのない労働だったようだ。

 ふいに、あかねが前にでた。博士のそばによろよろと向かう足取りには力ない。

 

「爺ちゃん! オレは……オレは恥ずかしい!」

 

 そして博士の眼前で崩れ落ちるあかね。号泣だった。

 博士は両手をふりあげて怒る。

 

「泣くとはなにごとじゃあかね! 一色家の男は人前で涙をみせるなといったじゃろう!」

「誰のせいで泣いてると思ってんだよ……。こんな、こんなアホなことに人さまを巻き込むなんて……。オレは情けない……!」

「あ、アホなこととはなんじゃ! これもお前たちのためを思ってだな……」

 

 祖父と孫がそんな会話を繰り広げている中。あおいはスマホで電話をかけていた。

 何度か相手と言葉を交わすと、あおいはスマホを通話状態にしたまま博士へ声をかける。

 

「博士」

「なんじゃ?」

 

 憮然と答える博士に、にこりとほほ笑むあおい。

 

「ももちゃんが代わってほしいそうですよ」

「え」

 

 あおいからスマホをおそるおそる受け取る健次郎。

 ぬいぐるみの大きさでは耳に当てて会話するのは困難ということで、スピーカーモードだ。

 

「も」

「ミキサー、用意してまってるね」

 

 固まる健次郎。

 ももの言葉の意味はさっぱりわからないが、健次郎の表情からそれが絶望的な意味を持つということだけはわかった。

 ももはスピーカー越しに祖父の不明を詫びると、そのまま通話を切った。ツーツーと響く音。

 ようやくフリーズから解放された健次郎は、叫び声をあげる。

 

「も、ももおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 絶叫するカワウソのぬいぐるみ。その前で男泣きをするあかね。

 男泣きしているあかねの姿にわけもなくドキドキするあおい。

 いますぐ慰めてあげたいのに、いつまでも泣いている姿をみつめていたいような。そんな倒錯した感情があおいの胸中を駆け巡っていた。

 もうちょっとしたら慰めてあげようとあおいが決めたところで、ふいに隣から声。そちらへ視線を向けると、れいが唖然とした表情を浮かべている。

 

「お祖父さん? あのぬいぐるみが? え……?」

「あー、細かいことは気にしないで、黒騎さん」

 

 フォローを入れるわかば。しかしれいは納得しない。

 

「で、でも」

「ところで、ここに来るまでに壊れた監視カメラとかが転がってたんだけど。あれは黒騎さんが?」

「え? え、ええ……」

「そうなんだ! ありがとう黒騎さん。助かったよ!」

 

 ほほ笑むわかば。ひまわりも横からほほ笑みながられいにいう。

 

「いいところあるじゃん」

 

 立て続けに褒められ、目に見えて動揺しているれい。

 どうも褒められなれてないようだったが、ちょっと動揺しすぎじゃないかとあおいは思う。

 ポーカーフェイスかと思ったが、わりと感情が表に出やすいタイプでもあるようだ。

 

「……なんとかごまかせそうだね」

「……うん」

 

 わかばとひまわりが、目の前でひっそりそんな会話をしていることにも気づいていないらしい。そこにふらりと影。声をかけられ、れいはふりむく。

 

「黒騎さん」

「え?」

 

 よろよろとあかねはれいの前に立つと――土下座した。

 地に頭をこすりつけて謝罪するあかねに、れいはますます取り乱す。

 

「い、一色さん?!」

「うちのクソジジイが迷惑かけてごめんなさい!」

「……べ、べつに、気にしてないから」

「でも!」

「~~~! 聞こえなかった? わたしは気にしてないといったの!」

 

 大声を出してからハッとするれい。こころなしバツの悪そうな表情を浮かべる。

 誠意を見せたあかねにこの仕打ちときたもんだ。

 あおいのれいに対する好感度はすでに地殻を突き抜けてマントル周辺にまで落ち込んでいた。

 しかし顔を上げたあかねは気にした様子もなく、それどころか何をどう解釈したのか、ほほ笑みすら浮かべている。

 

「やさしいんだね、黒騎さんは」

「ち……ちがうから!」

 

 とうとう耐え切れなくなったらしい、そういってその場から走って逃げ去るれい。

 ひまわりはつぶやく。

 

「……ボートなしで、どうやって帰るつもりなんだろう」

 

 あおいの知ったこっちゃなかった。

 そのまま何処なりと消え去ってしまえ。心の底から念じる。

 

 

 

 

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