一色あかねが、それを天城みずはから言い渡されたのは、旅館に入ってすぐのことだった。
ロビー。集結した生徒たちに部屋割りの書かれたプリントが配られていく。その中になぜか自分の名前がないことをいぶかしんでいると、声をかけられたのだ。
「一人部屋、ですか」
困惑した表情をうかべるあかねに、みずははうなずく。
元来サマースクールは男女別々である。
それを無理やり混合にした結果生じたのが、泊まる旅館の部屋数の問題だった。
かろうじて生徒を押しこむことには成功したものの、それでも位置的に一人だけあぶれてしまうことになる。基本、班分けのメンバーがそのままルームメイトになるのだが、部屋割りの関係で足し引きされてぐちゃぐちゃになっていた。
まして、あかねの場合は男女混合の班で一人だけ男子だったために、申し訳ないがババを引いてもらうことになったという。
いいにくそうにみずはからそういわれて、ただ一言。
「なら、しかたないですね」
とだけいった。
「元気だせよ一色」
「ほら、唐揚げやるからよ……」
夕食時、クラスメイトが一堂に会する宴会場であかねを慰める男子たち。
これについてはさすがに男子たちも同情的だった。一色ハーレムだなんだと、ふだん嫉妬から陰口を叩いてる男子ですら慰めに回ったほどだ。
なにせサマースクールの夜といえば、枕投げetcと楽しいことが目白押しなのに。
それらの何一つとしてあかねは楽しめない。同情だってしようものだった。
「うん、ありがとう……」
そういったあかねがあまりにも弱々しい笑みを浮かべたものだから、クラスメイトの同情はますます加速した。
「就寝前の自由時間だけ、一色くんを男子部屋へ遊びにいけるようにしてくれませんか?」
親切なクラスメイトが連名でみずはに対してそう提案してくれたものの、あっさりNOを言い渡された。
理由は部屋の配置だ。3階が男子部屋。2階が女子部屋。あかねの部屋は1階の隅っこ。あかねが男子部屋へ行く場合、どうしても女子部屋のある階を経由する必要がある。これが問題だという。
たとえあかねに女子部屋へ行く意思がなくても、ひとり特例が許されたということで弛緩した空気がただよい。どさくさに紛れて女子部屋へ入り込む輩が、続々出てくる可能性を危惧したというのが理由だった。
もちろんクラスメイトたちもそれで引き下がりはしなかったが。
「もういいよ、みんなありがとう」
なんて当のあかねにいわれてしまえば、振り上げた拳を下ろすしかない。
かくして一色あかねは、楽しい楽しい特別授業の宿泊イベントを、ひとりテレビを眺めて過ごすことになった。
***
そして当然ながら二葉あおいがそんな状況を看過するわけなかった。
夕食を終え、部屋(2人部屋に3人でぶち込まれていた)に戻り、しばらくだらだらしてからやおら宣言する。
「ちょっとトイレいってくるね!」
堂々とトイレをスルーして玄関へ向かうあおい。ちなみに浴衣姿。
もちろんあかねの部屋へ直行するためだ。ひとりでさびしい思いをしているだろうあかねきゅんに人の暖かさを伝えにいかねばならない。そんな使命感にすら燃えていた。だが。
「あおいちゃん」
「わ!?」
何者かに右手を掴まれ、バランスを崩すあおい。
そのままポスンと背中から抱きとめられる。
ほんのりとただよってくる、大浴場でつかった石鹸の香り。
「このあまりやわらかくない胸板は……わかばちゃん?」
「……いくらあおいちゃんでも怒るよ?」
あおいが顔を上げると、そこには眉間にしわをよせるわかばの顔。
至近距離でみると、スッと目鼻立ちの整った顔はなかなかに男前だった。
同性の女子からラブレターをもらうという話を思い出して、さもありなんと納得。
わかばはすぐにいつもの笑みを口元に浮かべると、あおいに提案する。
「それより、トランプもっていこうよ」
「……え?」
「やっぱりみんなで遊ぶとなったらトランプでしょ」
そういって爽やかな笑みを浮かべるわかば。
あおいはその言葉の意味を咀嚼すると、問いかける。
「えーっと……みんなも、あかねくんの部屋に?」
「もちろん行くよ!」
「……とうぜん」
わかばの後ろから、ひょこっとひまわりが顔を見せた。
あまりやわらかくない胸板に背をあずけたまま、あおいはきっと憮然とした表情を浮かべていたのだろう。出し抜いてふたりきりになるつもりだったのに。
ちなみにフォークダンスはなかった。
***
旅館の一階。
あかねの泊まっている部屋とは中庭を挟んで向かいの和室。
天城みずははテーブルの前に座って暗い声を上げる。
「ひとりくらい、無理やりにでもねじ込んであげられたのですが……」
そういって気の毒そうな顔をする天城みずは。口にしたのはもちろん一色あかねのことだった。
現時点で2人部屋に4人ぶっこむなんて無茶をあたり前のようにやっているのだ。似たような無茶をまたやればいいだけのこと。
こうした特別学習のお泊り会は一生の思い出になる。できることなら経験させてやりたかったが。
「しかたあるまい。それよりも世界のためじゃ」
そういい切るのは、カワウソこと一色健次郎博士である。
テーブルの向こう側。山ほど重ねた座布団の上に座って遅れた食事をとっていた。
ついさっきまでガクブル震えていたのに、今ではいつもどおり偉そうなカワウソに戻っている。
正直なところ、みずはは目の前のカワウソが苦手だ。
あまりにも破天荒すぎてついていけないところがあるし、いささか独善的すぎやしないかと思う。形はどうであれ、世界のためになにもかも投げ打って戦う博士に少なからず尊敬の念を抱いていることは事実だ。一方で、そのためならば、平然と子どもたちの青春を犠牲にする姿に疑念を抱いてしまうのも事実だった。
今回にしてもそうだ。要するに、と。博士は口を開く。
「あかねとあおいちゃん達を、だれにも知らせず同衾させるには、こうするしかなかったんじゃからな」
ドッキングとは、親しくなればなるほどにその威力を増す。
友情。愛情。想いの純度が高ければ高いほど強くなる。
つまりはより純粋な――若い少年少女であればあるほどに強くなるのだ。
人間関係が打算であることを受け入れた大人では決して行使することの出来ない力。
だからこそ、こうした特別な機会を活かさぬ手はなかった。
理屈としてはわかる。わかるのだが、大人の打算で子どもたちの純粋さを弄んでしまうことに、みずはは後ろめたさを感じてしまう。
青臭いとは自分でも思う。しかし感情のかぎりなくプリミティブな部分を刺激されたが故に、彼女はいつになく饒舌だった。
「もし、まちがいでも起こったら」
「大丈夫じゃろ」
断言するカワウソ。
どこから自信が湧いてくるのか不思議でならなかった。
「根拠は」
「あかねにそんな甲斐性はない」
実の孫をバッサリと切り捨てるカワウソ。
たしかにあかねは鈍感といえなくもないが、色気づいてない中学生男子ならあんなものだろうとも思う。
しかし問題はあの3人娘だ。すでに色気づいているし、サマースクールで開放的になっている今、どんな強行手段にでるかわからない。
みずはは言い募る。
「ですが、あの3人は」
「あの娘たちはちゃんとわきまえておるよ。やすきには流れんさ」
箸で黒豆をつまむカワウソ。
なぜそこまで自信満々なのだろうか、みずはにはわからない。
あの手でどうやって箸を使っているのかも、みずはにはわからない。
「せっかく同じ屋根の下で一晩を過ごすのじゃ。すこしでも絆を深めてもらわなければのう」
「ですが……友だちを作る貴重な機会でもありますし……」
同性の友人をつくるということも、この年代の子には大切なことだとみずはは思う。
しかしカワウソはにべもない。
「なに、高校でも似たようなイベントはあるじゃろ」
「それは、そうですが……」
みずははうつむいて、顔を上げ、なおも抗弁する。
「そもそも! ……二葉さんたちが一色さん……あかねくんの部屋に、かならずしも遊びに行くとはかぎらないのでは」
「ほんとうにそう思っておるのか?」
「……いいえ」
みずははカワウソから目をそらす。んなわけない。
むしろあかねが一人部屋と知った以上は嬉々として忍び込もうとするだろう。
だいたい、初っ端からまちがいが起こる可能性に言及したのは当のみずはである。
さすがにこれ以上、みずはからいえる言葉はなかった。
カワウソが静かに言葉を発する。
「世界を救うということは、あの子たちの未来を守るということじゃ」
いつになく厳かな声におもわず顔を上げるみずは。
「打てる手があるのに打たず、みすみすあの子たちを死なせるわけにいかん。あの子たちの今を奪ってしまった以上、せめて未来だけは守ってやらなければならんのじゃ。わしはそう思っとる」
そういって遠い目をするカワウソをみて、みずはは虚を衝かれた気分だった。
ノリノリで子どもたちを戦わせているようにみえて、博士には博士なりの葛藤があったと理解するには十分で。
この会話によって、天城みずはは博士に少しずつ心を許すようになっていくのだが――本編には関係ないので置いておく。
「それよりも、あの娘たちが眠ったら部屋に運んでやってくれよ。朝帰りなんかさせて、他の生徒にうわさでもされたら気の毒じゃからのう」
「……はい」
***
あかねとわかばほどギャンブルをやらせちゃいけない人間はいないだろうと、あおい思う。
「よーし……っ! またジョーカーか」
なにをやらせても顔に出るもんだからチョロいってレベルじゃない。
「これだ! ……ってあれ、ジョーカー!?」
このメンバーであれば、ポーカーフェイスと鋭い読みを持つひまわりはなかなかの強敵だが、それでも肝心の勝負勘が欠けてる。だからあおいが負けることはない。
「……ジョーカーか」
というわけで、あおいとひまわりが順番に抜けて、あかねとわかばがババ抜きで一騎打ちをしている現状は当然の帰結であった。
「あ! またジョーカーが……!」
わかばの声。ジョーカーを抜かれそうになった途端、あかねが不敵な笑みを浮かべたことには気が付かなかったらしい。
さっきからこんな感じでジョーカーの交換合戦になっている。畳の上に座って互いの手札を睨み合うふたり。
まだしばらく終わりそうにない一騎打ちを横目に、あおいはあかねの部屋へ入った直後のことを思い出していた。
***
予想に反して誰も監視していなかった階段を下りて、あかねの部屋の扉を意気揚々と開いたあおい。元気よく声をあげて、絶句した。
「あかねく――」
――あかねの部屋は狭かった。
扉を開けたら小さな玄関があって、すぐ脇に申し訳程度の台所とトイレ、その先には布団を3つも並べればいっぱいになるだろう和室。あおいたち3人が詰め込まれた2人部屋より狭い。照明も薄暗くヘタしたら廊下より暗いかもしれない。そんな部屋で胡座をかきながら、ひとりテレビをみている浴衣姿のあかねをみて、あおいは思わず泣きそうになってしまった。なんの不平不満もいわず、ただ現状を受け入れるあかねの姿が、たまらなく悲しくて、愛しくて。
「……あおいちゃん?」
声。テレビをみていたあかねが、こちらをみてポカーンとしていた。
まさか人が来るなんて夢にも思っていなかったのだろう。
あおいは涙をこらえて、笑顔を見せる。
「あそびにきたよ! あかねくん!」
それをみて、あかねもまた笑顔を浮かべるのだった。
***
「……ねえ、あおい」
背後から声が聞こえた。振り向くとひまわりが手招きしている。
ちらとあかねたちをみて、まだまだ一騎打ちは続きそうだと判断して、そそくさとひまわりの元へ行く。
ひまわりはちょこんとしゃがんで、玄関脇に設置された小さな冷蔵庫を覗いている。
「どうしたの、ひまわりちゃん?」
「これ、みて」
あおいも横から冷蔵庫の中を覗きこむと、そこに並んでいたのはビール瓶。
「これって」
「たぶん、急にあかねだけこの部屋になったから、撤去するのわすれたんだとおもう」
ひまわりの推測に、あおいもたぶんそうなのだろうと思う。
酒瓶を一つ手に取り、ひまわりは口を開く。
「のもう」
「いいよ」
なぜか、ひまわりの目が細められた気がした。
はて、自分はおかしなことをいっただろうかとあおいは首を傾げる。
***
「うん、いいよ!」
わかばがあっさり乗ったのは、あおいにとって意外だった。
てっきり「お酒なんて~」と怒られるかと思っていたのだが。
ドッキングで毒されてしまったのかもしれない。主にひまわりの思考に。
いたましいものをみる目でわかばをみつめていると、わかばはあっけらかんと言い放つ。
「部活の合宿とか道場の合宿で、よく先輩にお酒をのまされるんだよね。だからけっこういける口なんだ」
さり気なくトンでもない話を聞かされた気がした。
わかばも口にしてから気がついたらしく、苦笑を浮かべると両手を合わせて懇願する。
「ごめん! 他の人にはないしょにしといてくれる? わたしはいいけど、部員のみんなにめいわくかけちゃうから……」
たしかに飲酒ごときで大会出場停止なんてアホらしいだろう。
あおいとひまわりはうなずくと、力強く宣言する。
「うん、そこは安心してわかばちゃん。わたし、このメンバー以外で学校に友だちいないし!」
「あたしも」
なぜだか複雑な表情をうかべるわかば。あおいとひまわりは顔を見合わせる。
「なにか変なこといったかな?」「さあ」。目と目の会話。
さておき、最大の障害になるとおもわれたわかばは、あっさりどころかノリノリだ。
一杯くいっといきたいところだったが、ここで意外な人物がしぶった。
「お酒はちょっと……」
頬をかきかきそういうあかねが、あおいは意外だった。
笑いながらも「ちょっとだけだよ?」といってくれると思っていたのに。
「昔ジイちゃんにちょっとのませられたら、そのまま意識が飛んじゃってさ。あ、でもみんなはのんでくれれば……」
「じゃあ、あかねくんものもう!」
「話きいてたかな……?」
めずらしく眉をしかめるあかね。
しかしあおいは聞いちゃいなかった。意識が飛ぶ! なんて甘美な響きだろうか。
ぜひともあかねのあられもない姿をみせてほしかった。
「じゃあ、用意してくるね!」
いつになくノリノリのわかばが台所へ向かっていく。
あかねはそれを制止しようと伸ばした右手を、所在なく宙に漂わせている。
ふいに、ひまわりがあおいに問いかけてきた。
「あおいもいける口?」
「どうしてそうおもうの?」
「わたしが『のもう』っていったとき、ぜんぜん躊躇しなかったから」
あおいは口元にあいまいな笑みを浮かべて答える。
「まあ、そこそこかな」
実際はそこそこどころじゃなかった。
ヨーロッパへ旅行したとき、目の前のビールより倍以上度数の強いワインを何杯も飲み干した経験がある。
未成年の娘になに飲ませとんじゃという感じだが、せめて死ぬ前に酒の味を教えてやろうという親心だったらしい。
すさまじい話だが、もっと幼いころのあおいはそれで納得できてしまうほどに身体が弱かった。
そしてこれが重要なのだが――飲んでも飲んでもまったく酔わなかった。二葉家は代々めっちゃくちゃアルコールに強いそうだ。
「我が家がこれだけ繁栄したのは、この体質のおかげだ」
なんて父親は冗談交じりにいっていたが、その目は本気だった。
なんにせよ、あおいは今ほどこの体質に感謝したことはない。
(みんなが酔いつぶれたところで、あかねくんと……うへへ……)
丁度、わかばがお盆に人数分のグラスと3本のビール瓶を乗せてやってきた。
***
「でね、その植木屋さんが木から落っこちちゃったんだけど。あとからガラの悪い人がやってきて誠意見せろだなんてわめき始めてね。大変だったの」
「そうなんだ」
あおいの言葉に相づちをうつわかば。
和室でビール瓶の乗ったお盆を中心に円を組んで談笑していた。
4人でいるには少し窮屈な部屋だと思っていたが、こうなるとたまり場みたいで楽しい。
主に会話をしているのはあおいとわかばで、あかねは少しビールを口にした時点で壁に背をあずけてうつらうつらしている。
「あかねくん、起きてる?」
「……うん、だいじょうぶ。起きてるよ」
あおいが水を向けると返事はするので、酩酊感に揺られているのだろう。
ひまわりは両手に持ったグラスからちびちびと舐めている。ほんのり頬は赤く染まっている。いつにもまして無口だ。ダウナー系らしい。
その点、目の前のわかばは自分から「いける口」というだけあって、さっぱり酔ってるようにはみえない。
せいぜい、いつもよりちょっと饒舌なくらいか。わかばはいう。
「あれは去年の冬だったかな。部活で合宿した夜にね、顧問の先生がみんなに説教し始めたんだよ。で、だんだんヒートアップしてきてさ。『おまえらには気合が足りない!』なんて、そのままみんな船に乗せられて海にくりだしたんだ」
「え、部員全員?」
「うん。それで沖の方までいってからその顧問の先生、順番に部員たちを海に蹴り落としていったんだ」
「冬だよね? 夜の海だよね?」
「そう、冬の夜の海。わたしは蹴り落とされるなんてやだから、自分から飛び降りたけどね! もう水は冷たいし波は荒いし暗くて先はみえないし、あれはさすがに死ぬかと思ったよ」
けらけらと笑うわかば。いつもよりちょっとはっちゃけてるかもしれない。
しかし自分が知らないだけで運動部はみんなこんなものなのだろうか。おそろしい世界だとあおいは震える。
煮詰まっていく宴。それぞれの手元にはグラスがあるものの、みんなすっかり飲み干している。ビール瓶もすでに空だった。
ひまわりはグラスを足元に置くと、やおら立ち上がり、胡座をかいていたあかねの前に立つ。
「?」を浮かべるあかねに背を向けると、そのまま膝の上にストンと腰をおろした。
「ひ、ひまわりちゃん?」
裏返った声をあげるあかねに、ひまわりはかぶせるようにいう。
「ひまわりって呼んで」
きょとんとした表情を浮かべるあかねに、ひまわりは続ける。
「あたしはあかねって呼んでるのに、あかねはちゃん付けなのはおかしい」
「いや、でもそれいったらあおいちゃんたちだって」
「いいから、ひまわりって呼んで」
顔だけ振り向いて、そういうひまわり。
目と鼻の先で交差するふたりの視線。
至近距離からひまわりにじっと見つめられて、あかねは根負けしたようだ。
「……ひまわり」
「うん」
ひまわりはかすかなほほ笑みを浮かべると、そのまま前を向き直す。
どうやらあかねの膝の上から下りる気はないようだ。ふいにつぶやく。
「……あつい」
「え」とあかねが口にするより先に、ひまわりは浴衣の襟に手をかけた。
あらわになるひまわりの胸元。あわてるあかね。
「だ、だめだよひまわりちゃ」
「ひまわり」
「……ひまわり、風邪ひいちゃうよ!」
「じゃあ、ぬがせて」
「え」
「あついから、ぬがせて」
なにが「じゃあ」なのかさっぱりわからない。
あまりにもトントン拍子に展開するもんであおいはあっけにとられていたのだ。
絡み酒の上に脱ぎ上戸だったのか、ひまわりちゃん。
だがあかねはそれどころじゃない様子だ。
ひまわりは両手をだらんと下げてあかねに身体を差し出す。
「あかねならいい。ぬがせて」
「で、でも」
「はやく」
ごくりと唾を飲み込むあかね。
おそるおそると、あかねの両手がひまわりの襟に伸びかけて。
さすがにあおいも動き出そうとした刹那。
「あてみ!」
颯爽とわかばがひまわりの首筋に当て身をした。
あっさり意識を刈り取られるひまわり。
身体を弛緩させ、あかねに背を預けるひまわりに、わかばは得意気にいう。
「ふふふ、天然理心流をなめないほうがいいよ」
さすが宗家――ん? あおいはなにか違和感を覚えた。
たしか天"元"理心流の宗家だったはず。
いい間違え? いや、この手のいい間違いはむしろわかばが一番きらいそうな。
あおいはあかねの様子に気がついた、目をつむっている。あおいの声。
「……あかねくん?」
うーんうーんと、呻いているあかね。
寄りかかっているひまわりが重いのかと思ったが、単に酒でうなされているといった塩梅か。
今さっきのやりとりで一気にアルコールが回ってしまったのかしれない。
なんにせよ。わかばは申し訳なさそうにいう。
「ごめんねひまわりちゃん。ちょっと手荒になるけど、どかすね」
よいしょ、とひまわりをあかねの上からどかすわかば。
畳の上にひっくり返ったひまわりはブラが丸見えだ。こそっと襟元をただしてあげるあおい。
「お酒をのむとだめになる人も多いってきいたけど。あかねくんはちがったみたいだね」
え? とわかばの視線を追いかけると膨らんで――
「――ひゃあ!?」
両手で思わず目を隠すあおい。しかし、こそっと目の隙間から見つめる。
「な、なんで」
「ひまわりちゃんの胸でもみて反応しちゃったんだろうね」
さらりといってのけるわかばだが。
それよりもあおいはあかねくんのあかねくんに釘付けだった。
あれは大きいのか小さいのか。あおいには判断しかねるところだが。
「でもよかったね、あおいちゃん」
「な、なにが?」
「あかねくんってどっか超然としたところがあったから心配だったけど、ちゃんと"使える"みたいで」
「使える……」
「これで世継ぎの心配はしなくてすむって、お父さんにいえるよ!」
なにをいってるんだこの女は。あおいはわかばにドン引きである。
ふいにわかばが思案顔になった。なんだ、今度はなにをいい出すつもりだ。
「やっぱり"機能"のほうもかくにんしておかないとまずいかな。しからば……」
「って、わかばちゃんなにやってるの!?」
中腰であかねに近づき、浴衣の裾をめくろうとしているわかばをみて叫ぶあおい。
振り向いて、わかばはケロッという。
「え、そりゃあ……ナニをしようと」
「ほんとうになにいってるの!?」
ナニをいってるんだ。
ここに至って、あおいはわかばが酔っ払っていることに気がついた。
ウインクしてサムズアップするわかば。
「だいじょうぶ! みたこともさわったこともないけど、棒のあつかいにはなれてるから!」
なにひとつとしてだいじょうぶじゃなかった。
おまけに悪酔いするタイプだこいつ。頭を抱えたくなるあおい。ふたたびあかねの方を向くわかば。というか、このままではあかねくんの貞操が奪われてしまう!
あおいは転がっていたお盆を拾うと、ためらうことなく振り上げて背後からわかばに殴りかかる。シラフのわかば相手には通用しない手だが、酔っ払ってる今ならば――
「――あまいよ、あおいちゃん」
「え?」
なにが起こったのかもわからぬまま、手からお盆が消えていた。
次の瞬間、天地がひっくり返ってすぐ目の前にわかばの顔。おくれて頭上の畳にお盆が落ちてくる。あまりにも鮮やかなわかばの動き。押し倒されたと気がついたのはこれまたワンテンポ遅れてからだった。
「男の子はしらないけど――女の子のほうはよくしってるんだよね」
そういうわかばの瞳は艶やかに濡れていた。
なめ回すような、ねっとりとした視線。あおいはぞくりと身体を震わせる。
あおいは確信する。この女――バイだったのか!
「あ、あかねく……」
助けを求めるように視線を横に向けるが、あかねは隅っこのほうで眠りこけていた。
意識が飛ぶって、文字どおり意識が飛んでしまうのか――! いや、それこそあおいの望むところでもあったのだが。この状況下にあってそれは孤立無援を意味する。食べるつもりが食べられてしまっただなんて笑えない話だ。
どうにか抵抗しようとしたが、わかばに押さえつけられた両腕はぴくりとも動かない。
「前からあおいちゃんのこと、かわいいって思ってたんだ」
「そ、そうなんだ。ありがとう……」
あおいの声は引きつっていたが、わかばは気にした様子もない。
「どういたしまして。でも、あかねくん一筋だからムリかなーっておもってたんだけど」
「む、ムリってなにがかな?」
「ははは、もうわかってるんでしょ?」
わかりたくない。
爽やかに笑うわかばだが、濡れた瞳には熱情が浮かび上がっている。
あおいはこの日初めて知った。
酔っぱらいの中でシラフの人間は割りを食うばかりなのだと。
「ま、犬にでも噛まれたとおもってさ。てんじょうみてればおわるから」
そういってゆっくりと襟を下にずらされていく。
あらわになるあおいの鎖骨と両肩。ブラジャーから覗く乳房。わかばの目が妖しく光る。狩人の目。やばい、あおいは必死に大声をあげる。
「ちょ、ちょっとまってわかばちゃ……」
「またない」
わかばの唇があおいの首筋を這う。おぞけとともに背を反らすあおい。
自分でも聞いたことのない、か細い声が喉から出た。
「ひゃん――!」
「お、初々しいはんのうだね。わたしがんばるから!」
がんばらなくていいから。切に願うあおいであったが。願いむなしくわかばの動きは止まらない。まずい。このままでは本当にまずい。わかばの唇は順調に首元から下がっていく。わかばの動きは慣れきっていて、このままではほんとうに流されてしまいそうだった。
抗うように右手を必死に動かすと指先に固いものが触れて――。
***
みずはがあかねの部屋を訪ったのは、夜もだいぶ更けてからのことだ。
ぼんやりとした橙色をした照明の向こう、部屋の中央に浮かぶ影。
ようやく目が薄闇になれると同時に、みずはは目を見開く。
畳の上に女座りをして、浴衣の片襟を落としたまま、ぼんやりしているあおいの姿。
げっそりしていた。はらりと前髪が垂れ、うつろな瞳をうかべている。
まさか、とみずははあかねを目で探したが、部屋の隅っこで丸まって寝ていた。
着衣の乱れはない。いやしかし男ならちょっと前をずらすだけで事足りるし。
「……みずはさん」
「な、なに?」
口元に笑みをうかべるあおい。
年齢には不相応な、ぞっと色気を感じる笑みだった。
或いは、修羅場を乗り越えた女の顔。
「……死守、しましたよ」
ふいにみずはは気がついた。割れたビール瓶とその側にたおれている――。
瞬間的にすべてを察したみずは。
だれの、なにを、とはきかなかった。武士の情けである。