ログハウスで目覚めた黒騎れいは、まず海岸でみた不審な潜水艦の姿を思い出した。
次に示現エンジンへの潜入に失敗したことを思い出し、ふたつの記憶を関連付ける。
つまり自分をこうして拉致監禁したのは示現エンジン関係者にちがいないと結論を出す。
今後についてさまざまな考えが脳裏に過ぎっていくが、なによりもまずこの場から逃げ出さなければならないと。れいは置かれていた食器で扉の鍵を開けてログハウスから脱出。
警戒とは裏腹にまったく人の気配がしないことをいぶかしみながら、森を抜けようとして、二葉あおいをみつけた。なにやら容器を重たそうに引きずって歩いている姿。どうしてこんなところにいるのだろうかと疑問を抱く間もなく、そこに転がってくる岩。
あぶない! おもわず助けようとして、しかし顔をみられたら面倒だとれいがマフラーを顔にまいたところで。それよりも先にあおいは落ちてた石を拾って投げつけた。着弾。弾ける岩。
「なっ……」
絶句するれい。
記憶のかぎり、二葉あおいはもっと気弱そうな少女だった。だというのに転がってくる岩を恐れもせず、それどころか冷静にあれが風船だと看破したのだ。
「で、あなたはなにやってるのかな?」
声が聞こえて、あおいが自分のことを見ていることに気がついた。
いつも教室でみる穏やかな表情。口元にはともすれば気弱そうなほほ笑みを浮かべているのに、その瞳の奥には怜悧な光。おもわず圧倒されるれい。
自分でも苦しい言い訳をしたところで、あおいはどうでもよさそうな表情を浮かべる。
「まあ、なんでもいいや。あかねくんたちが向こうのほうで戦ってるから、行ってきてくれないかな?」
「……戦ってる?」
「うん。黒騎さんを助けるために戦ってるから。元気な姿でもみせて安心させてあげて?」
「わたしを助けるために……?」
れいにはわけがわからなかった。
あかねとは何度か会話したが、そのたびに冷たい言葉を浴びせて突き放した記憶しかない。だというのに、危険を冒してまで助けに来てくれた?
困惑しているれいを尻目に、容器を掴んで先へ進もうとするあおい。
「……あなたはどうするの?」
「ちょっとこれから、黒幕に天誅を下そうと思って」
そういってあおいが浮かべた笑顔を、れいは生涯忘れることはできないだろう。
「やめなさい」というべき場面だったのだろうが、れいにはそれを口にする勇気はなかった。だからといってひとりで行かせるわけにもいかない。元はといえば自分が蒔いた種である。
せめて後ろからついていくことにしたのだが、進めば進むほどにあおいの背中から発せられる"瘴気"は濃くなっていった。或いは殺気か。
ビクつきながら敵の本拠地――元のログハウスがあった場所だった――にたどりついたところで、"それ"は起こった。
***
れいが"それ"を思い出したのは、自室の机で銃器をいじっている時のことだった。
『目的のためなら手段をえらばない、人間ならとうぜんのことでしょう?』
そういって地下室へ嬉々として油を流し込む二葉あおい。
目的のためなら人を殺すことすらいとわない、おぞましい女。
一色あかねのためだとうそぶいて、己のために平然と他人を踏みつけるエゴイスト。
しかし見方を変えれば、あれは自分の姿ではないのか。自分の世界を救うという目的のためだけに、不特定多数の人々を地獄へ突き落としている自分と何が変わらないのか。
あの時れいが動揺したのは、つまりそういうことだった。
「……ちがう」
ちがう。ちがう。ちがう。れいは今もまた必死にその考えを否定する。
わたしが殺そうとしているのはそう、人じゃないのだ。
自分とは異なる世界に生きる。自分とは別次元の存在で。つまりこれはゲームで。れいはハッとする。天啓を得た気分だった。
「……そう、これはゲーム」
モニターの向こうでNPCを殺すことと同じであって、ちがうのだ。
ゲームであるなら目的のためにNPCを殺して誰が咎めようか。
そうだ、突き詰めて考えれば、自分は弓を射っているだけに過ぎない。
コントローラーでキャラクターを動かしてNPCを殺すのと何が変わらないのか。
ましてや、アローンを操作しているのは自分じゃないのだ。勝手に殺してるだけ。
自分にとってこの世界の人間とは、要はその程度の存在でしかない。
大切なモノを見誤るな、自分の居場所はここじゃないのだから。
だからちがう。自分と二葉あおいはちがう。ちがう。
***
不覚だった、れいはそう思う。
あのおぞましい女――二葉あおいからいきなり声をかけられたからとテンパってしまった。要領を得ない問答に悩んでいるところに三枝わかばから声をかけられ、反射的に首肯してしまったのだ。おかげで今度の土曜日は一色あかねの家を訪うことになった。
「……どうして?」
自宅。机で黒騎れいは思い悩む。
なぜ彼女たちはそこまで自分にかかわろうとするのか。わからない。
ふいに風のうわさを思い出す。一色ハーレム。
そういえば三枝わかばと二葉あおいはその一員だったはずだ。ならば。
「……わたしのこともハーレム入りさせようとしている?」
おそろしい未来を想像して震えるれい。
たしかサマースクールの班に誘われた気がした。考えてみればあのときから目をつけられていたのだろうか。複数の女性に気を持たせてはべらせている時点で一色あかねを人としてどうかと思う。そんな男の毒牙にかかるなど冗談ではない。だが。
「……行くって約束しちゃった、のよね」
机に突っ伏すれい。
わざわざあんな悪漢の巣に自分から入り込むだなんて、冗談じゃなかった。
「……バックレよう」
そうだバックレよう。端から悩む必要などなかったのだ。
わたしにはやるべきことがあって、そちらを優先しなければならない。
さしあたり、示現エンジンへの潜入方法をどうにかして模索する必要がある。
れいはノートPCを広げて関連資料を漁っていく。
「示現エンジンの開発責任者は一色健次郎。……一色?」
まさかと調べれば、案の定だった。
「一色あかねの祖父……」
かくして勉強会に参加する必要が生じてしまった。
人生というのは本当にままならない。れいは心底そう思う。
***
「お手洗い! ……お借りするわ」
そういって一色家の居間から出て、れいは家探しを始めた。
あまり時間をかけてしまえば、いぶかしがられるはずだ。
時間との勝負だと気を引き締めるれい。
「いったいなにが……」
母屋から出て、離れにある健次郎博士の研究室を覗いたが、中は荒れ果てていた。
焼け焦げた研究機材。まるで実験に失敗して、そのまま放棄したような光景。
中に入り込んで調べる? いや、これではすぐバレてしまうだろう。煤けた通路を歩けば足あとがつく。断念して母屋にもどる。台所を経由して居間にもどろうとして、ふいに冷蔵庫が目に入る。正確には右上に刻まれた文字。
「一色健次郎作……」
冷蔵庫なんか調べても意味はないだろうと思うが、一応みてみることにした。
両開きのドアを開くと、そこにはスイカを抱えた人が鎮座している。ベロンと舌を出しており、開けっ放しの瞳は黄色く濁っていた。どうみても死体ですありがとうございました。
「き――!」
おくれてれいが悲鳴を上げかけたその時。ギシリと床板の鳴る音。とっさにそちらへ視線を向ければ、そこにはあのおぞましい女が静かなほほ笑みを湛えて立っていた。
***
勉強会はつつがなく終わった。
赤点をとった一色あかねのための勉強会と聞いていたが。
実際に勉強を教えてみれば赤点をとったのが不思議なくらい柔軟に吸収していった。
聞けば家計を助けるためのバイトが忙しくて勉強してる暇もなかったらしい。
終わったところにちょうどあかねの妹が帰ってきて、みんなで昼食をとる流れになる。
ついでに材料となる野菜を、庭の家庭菜園からみんなで採ることになった。
「これはまだちょっとはやいかな。あ、これなんかはいい感じに熟れてるね」
トマトの苗木の前。
しゃがんでいるれいの横で、あかねは中腰になってあれこれと説明している。
れいが何もしらないと聞いて親切に教えてくれているのだ。
すでに家探しをする気力はなかった。なんだかよくわからないがトンでもないものをみてしまったような気がするし。今も背中にあおいの視線を感じるし。ぶるりと震える。
「どうかした? 黒騎さん?」
「……なんでもないわ。一色さん」
「そう?」
さながら蛇に睨まれた蛙だった。
こうなればいつものように突き放すこともできない。
「黒騎さんは好きな野菜とかある?」
「考えたこともないわ」
「そうなんだ、じゃあトマトはどう?」
「食べられるわね」
「それじゃあこれ、採れたてのトマト。新鮮でおいしいよ! ガブリとどうぞ」
「がぶり」
「おいしい?」
「おいしいわ」
「それならよかった!」
――もうちょっとこう、なんとかならないのか。
れいは自分で自分にあきれてしまう。
決して突き放してるわけじゃなく、これがれいの全力コミュ力だった。
考えてみれば半年くらい他人とまともに会話した記憶がないが。
だからといって、まさかここまでひどいことになっているとは思わなかった。
それだけに、だんだんと疑問がわいてくる。
「ねえ」
「ん? なにかな」
「どうしてわたしにかまうの?」
ともすれば自意識過剰な発言だが、れいは気になってならなかった。
ちゃんと向き合ってみれば、一色あかねはとても"いい人"だ。
自分みたいな人間相手でもこうして根気強く明るく話しかけてくれるのだから。
転校早々ハーレムを作ってるなんて風のうわさを耳にしたから警戒していたが、本人からはなんの邪気も感じない。あおいたちがあかねに惹かれたのは、あくまでも自然の成り行きだったのだろうと推察するには十分だった。
以前、示現エンジンへの潜入に失敗して座礁したところを助けてもらったことがあった。その時はただただ警戒していたが、今から思えば申し訳ないことをしたと思う。たいせつな鍵まで探してもらったのに。
だからこそ不思議だった。こんな無愛想な女にどうしてあかねはよくしてくれるのか。冷たい言葉だって投げつけた。突き放しもした。だというのにどうして。問いかけられたあかねは虚をつかれたような表情をうかべる。頬をかきかき、言葉を選ぶように口を開く。
「友だちになりたいから、じゃダメかな?」
「友だち」
「うん。もしかして迷惑……かな?」
「迷惑だ」。そういえばいい。そういえばおしまいだ。
自分には目的がある。そのためには余計な人間関係など邪魔なだけだ。
だというのに、どうしてかそれを口にすることはできなかった。
きっとそれは後ろで監視しているあおいのせいだと自分に言い聞かせながら答える。
「……そんなことないわ」
「ならよかった」とほほ笑むあかねの顔を、れいはなぜか直視出来なかった。
視界の端にカラスの姿が見えた。おつとめの時間。
「……ごめんなさい、用事があるから帰るわ」
「え?」
れいは立ち上がると、あっけにとられた表情のあかねに背を向ける。
少し進んだところで立ち止まって。
「……また学校で」
「うん! またね!」
あかねのうれしそうな声を背に受けながら、れいは去っていく。
どうしてあんなことをいってしまったのか自分でもわからなかった。
これはゲームだ。小さくつぶやく。いい聞かせるように。
***
落ちていく。
夜の町。遠くで、赤い服を着た少女が落ちていく。
極めて単純なことだった。
矢を射って、それで強化されたアローンが撃ち落とした。
ただそれだけ。それだけのこと。
あれは異世界人で、自分とは関係なくて。
死んだってそれは遠い世界の話で。これはゲームで。
ビルの屋上をよろよろと歩いて、れいは膝から崩れ落ちた。
こみ上げてきたそれをこらえきれずに吐き出す。
「……っ」
屋上に胃の中身をぶちまける。
「かはっ……げほ……ぇ……」
それでもこみ上げてくるものは止まらず胃液を吐き出す。
あれは人だ。まちがいなく人だ。
殺した。わたしは殺した。この手で。この弓で。
家族がいて友人がいてこんな自分を気にかけてくれる。
この世界に生きる、あかねと、自分と同じ人間を――殺したのだ。