覚悟はできていた。
だから、あかねが病院送りになったことについては何の動揺もない。
生きてさえいる。であれば問題はない。ないのだ。
集中治療室。窓越しにあかねの姿をみながら、あおいは右手をぎゅっと握った。
***
防衛軍総司令部。暗闇に包まれたブリーフィングルーム。
あおいたちの前方のモニターに映っているのは、スカイツリーに繭を張ったアローンの姿。接近する戦闘機を片っぱしから叩き落としていく映像を前に、健次郎博士があおい以下ビビッドチームに出した命令は「撤退」だった。
一色あかねの不在。それはアローンに対する切り札"ドッキングシステム"が封じられたということだ。万に一つも勝算はない。そんな戦いにあおいたちを投入するわけにはいかない。
それが健次郎博士の結論だった。
「ここから先は軍にまかせる。以上じゃ」
そう締めくくられたブリーフィングの帰り道。
総司令部内のエスカレーターに3人で乗りながら、あおいはひまわりに問いかけた。
「示現エンジンがこわされちゃったら、どうなるのかな」
「各国の社会インフラが軒並み停止して、円滑な経済活動が行えなくなった結果、世界大恐慌が引き起こされる」
まるで教科書の文言をそのまま引用してきたかのようなひまわりの発言。というかこのまえ授業でやった内容だ。スケールが大きすぎるせいか、あおいには風が吹けば桶屋が儲かるレベルの内容にしかうけとれなかったが。つづけてひまわりは身近な例をならべはじめる。
「身近なところでいえば、通信機器はつかえなくなるし、家電製品なんかもつかえなくなる。それと……」
すこしだけ言いづらそうにひまわりは続ける。
「……病院の機械がうごかなくなって、患者さん全滅」
「……そういうところって、予備電源とか用意してるものじゃないのかな?」
「すぐに代替エネルギーの準備ができればいいけど、間に合わなかったら」
ひまわりは目を伏せる。間に合わなかったら――患者全滅。
そしてそれは未だ目ざめないあかねのことでもあり。沈黙が落ちる。
ふいに、わかばが声を上げた。
「あれって……、あかねくんの?」
「え?」
反対側のエスカレーターを制服姿の職員が流れていく。目の前には台に乗せられたガラスケースがあり、中にはいつもあかねが戦闘で使っているブーメランが入っていた。
***
パレットスーツとは形而上の概念によって構成される武装だという。
この場合においてはつまり、使用者の"想い"によって構成された武装ということだ。
本来であればパレットスーツが解かれると同時に武器も自然に消え去っていく。
にもかかわらずあかねの武器が残留したということは。
「……ばかだよ、あかねは」
武器庫に収容されたあかねのブーメランを前にして、ひまわりはぽつりとつぶやいた。
なにかをこらえるようにうつむきながら。
「自分があんなことになってるのに、まだアローンのことなんか気にしてる」
あおいもまたつぶやくようにいう。
「……きっと世界を守ろうとしてるんだろうね。いまも、まだ」
「ばかだよ。あかねは、ばかの100乗だよ。世界守って自分がいなくなったら、意味ないじゃん」
「……そうだね。ばかだ。あかねくんは」
あの時だってそうだ。あおいは思う。自分のことなんか庇わなければよかったのだ。
バカだ。あかねくんはバカだ。そしてそんなバカなあかねが、あおいは大好きだった。
「ふたりとも」
わかばの声。つられて顔を見れば、強い意志のこもった目があった。
もはや言葉はいらなかった。あおいはうなずく。
***
あおいの眼下には、病院のベッドに横たわるあかねの姿があった。
峠は越えた。集中治療室からは出されたが、しかし未だに目覚める気配はない。
ねむるあかねの輪郭を、あおいは右手の指先でやさしくなぞっていく。
「世界を守るのがビビッドチームの役目だなんていうけれど」
点滴を打つために毛布から出された右腕が目に入った。筋張った腕。
中学生になってから、だいぶ男の子っぽい身体つきになったとおもっていたけど。
今の学校で同年代の男子に囲まれたら、華奢な部類だとわかってしまった。
「あかねくんのいない世界に未練はないかな」
こんな身体で一家の家計と世界を背負って戦っていたのだ。
おまけに困っている人がいれば手を差し伸べて、なんでもかんでも引き受けて。
不平不満もいわないで。いつだってだれかのために身を削ってきた。
「でも、あかねくんは生きてる」
耳をすませば、おだやかな寝息がきこえてくる。
まるでなにも心配していないかのように、あどけない寝顔をうかべていた。
「だからちょっと世界を守ってくるよ。目が覚めてひとりぼっちじゃ、さびしいもんね」
あかねの唇に指で触れる。
瞳を泳がせて、唇に触れた指を自分の唇に重ねる。いまはこれだけ。
「……いってくるよ」
あおいは最後にあかねの頬を愛おしげになでると、踵を返して病室から出て行く。
通路を抜けて階段を降りて、ロビーを抜けて玄関から外に出たところに影。
「……黒騎さん?」
「……二葉、さん」
病院の門の側に、夕日に照らされた黒騎れいの姿。
「……こんなところで会うなんて、きぐうだね」
ちかづいて黒騎れいの顔をみて、あおいは眉をひそめた。
頬はこけ血色は悪い。瞳もにわかに充血している。
たった数日で彼女になにがあったのかと考えて、どうでもいいと思考を切り替えた。
「黒騎さんは、どうしてここに?」
「それは……さんぽで」
伏し目がちにそういうれいは、胡散臭いことこの上なかった。
伊豆大島からここまでどれだけ距離があると思ってるんだ。
とはいえ深くは追求しなかった。あおいにしたところで、あまりれいをとやかくいえる立場ではない。「そうなんだ、じゃあまた学校で」と軽く流してもよかったのだが。
「ちょっとお話しようか」
にこりと、そう口を開いていた。
れいの顔が一瞬こわばって見えたのは気のせいだろうか。
***
視線の先には、夕日を照り返す川が広がっていた。あおいは川に沿って設置された手すりの前に立って、おだやかに凪ぐ水面をみつめている。
「それで」
声。すぐとなりに視線を向ければ、同じく手すりの前に立ったれいがあおいに視線を向けている。困惑した様子だが。しかしこの前まであったおびえはいくらかなくなっていた。
「話ってなにかしら、二葉さん」
「わたしね、いままでずっと病気してたんだ」
「……え?」
眉をしかめるれい。かまわず続けるあおい。
「なんどもなんども入退院をくりかえしてね。両親はもちろんそんなわたしのことを大切にしてくれてたけど……人間って、慣れちゃうんだよね」
「……どういうこと?」
「わたしの入退院そのものが日常の延長線みたいになっちゃってね。ああ、またかって感じで、あんまりお見舞いにもこなくなっちゃったの。たまにきても、かけてくる言葉は事務的っていうか」
しかたのないことだとは思う。
両親共にその生活は多忙を極めている。その合間を縫ってお見舞いに来てくれるだけ、あおいはまちがいなく両親から大切にされていた。
「それにね、慣れたのは両親だけじゃなくて、わたしもそう」
発作は苦しかった。けれどもトータルでみれば小康状態のほうが長いのだ。しかし動くことはゆるされない。ベッドの上で日がな一日ぼうっとしている毎日の繰り返し。まだ幼い少女にはあまりにも退屈な日々。
「でもね、わたしってなんていうか。自分でいうのもはずかしいけど、ものわかりのいい娘だったんだ」
退屈をうけいれて、なにもせず、ぼうっと病院の天井を眺め続ける日々。
たいていの病室にはテレビが備え付けられていたし、差し入れのDVDだって転がっている。絵本だって差し入れられていたけど、あおいはどれも決してみようとしなかった。ただただ、ぼうっと病院の天井を眺め続けるだけ。
「……どうしてみなかったの? いくらものわかりがよくても、退屈だったんでしょう?」
「いろいろ理由はあるよ? たとえばね、自分を、哀れんでいたりとか」
「……哀れんでいた?」
「ものごころついたころから、ずっと病院で寝たきり。そんな自分の不遇を哀れんでたんだろうね。いやな子どもだと思わない?」
ほほ笑むあおいだったが、れいの表情は硬い。
あおいは続ける。
「でもたぶん、いちばんの理由は……知ることがこわかったんじゃないかな」
「こわかった……?」
「うん、外の世界を知ってしまうことが、こわかったんだとおもう」
外の世界を知ることで、自分の中にあこがれが生まれてしまうことをおそれていた。両親からすれば、外の世界にあこがれることで、すこしでも前向きになってほしかったかもしれないが。いつ治るともわからない病気と付き合っていくには、そのあこがれはあまりにも重かった。
「だからみなかったの。知ってしまったら、知るまえにはもどれないから」
「知るまえにはもどれない……」
知らなければ悩むこともない。病室だけが世界のすべてだと思い込めば、なにも考える必要がないのだ。無意識にそれを理解していたのだから、つくづく小賢しい子どもだったとあおいは苦笑してしまう。情報をシャットダウンして、心を塞いで、目をそらして、すべてから逃避していた。それでも、小学校への進学が決まってしまえばいやでも外の世界と触れ合う必要があった。
***
あおいが最初にそれを経験したのは、小学校一年生のときだ。
入学式で仲良くなった子がいて、それから何をするにも毎日いっしょだった。
下校中、ランドセルを揺らして歩くふたり。
「ねえねえあおいちゃん」
「なに?」
「わたしたち、ずっとともだちだよ!」
「……うん!」
だけど入院して、1ヶ月後に復学したら、その子はもう別の子と仲良くなっていた。
あとはもう繰り返しだ。学年が上がって。学校が代わって。仲のいい友だちができて。入院して。疎遠になって。この繰り返し。
伊豆大島への引っ越しが決まったころには、もう友だちを作ることはあきらめていた。
引越し先の家へ向かう車の中。携帯電話で父と事務的な会話を済まし、外の空気を吸おうと車の窓を開けた時のことだ。視線の先にエアバイクが見えた。運転手である栗毛の少女は自分と同い年くらいだろうかと、ぼんやり眺めていた。山沿いの道を下りながら、栗毛の少女の手がエアバイクのカゴに伸びた。取り出したるは一通の新聞紙。なるほど新聞配達員だったのかとおもっていると、少女はそのままこちらに向かってきた。配達先が近くにあるのかなと思っていたら。
「……え?」
新聞紙が飛んできた。栗毛の少女が投げつけたのだ。
風切音。開いていた窓から車内に入り込み、すぐ目の前を通過していく新聞紙。
驚きから上げたあおいの悲鳴に、運転手があわててブレーキを踏む。急停止する車。
顔だけ向けて、あせり声であおいを案じる。
「だ、だいじょうぶですかお嬢さま?」
「ええ……」
ぼうぜんと新聞の飛んでいった先を目で追うと、民家の軒先に設置されたポストに収まっている。まさかリアルで新聞を投げて投函する光景がみられるとは。あぶないだろうと思うよりも変に感心してしまった。ペーパーボーイならぬペーパーガールか。
「ごめん! だいじょうぶだった?」
開いている窓の向こう。車に駆け寄ってきた栗毛の少女が、申し訳なさそうな顔でこちらをみている。ドキリと胸が跳ねて、いきなり声をかけられておどろいたのだろうと思った。
「は、はい……だいじょうぶ、です」
「ほんとう? よかったー」
栗毛の少女はほっと胸をなでおろすと。
ふたたび申し訳なさそうな顔でポケットに手を突っ込む。
「ほんとうにごめんね? おわびにこれを……」
「そんな、おわびなんて」
「いやいや、ご迷惑をおかけしてしまったわけだし……」
そういってゴソゴソとポケットをあさる栗毛の少女。
どうも見た目どおりの善人らしい。
「あれ、ないなあ……トマト」
「……トマト?」
「うん、いつもポケットに入れてるんだ。こばらがすいたときに食べてるんだけど……」
「いつももちあるいてるんだ……」
コケたりしたらどうするんだろうか。
弱冠の呆れがまじったあおいの声だったが、栗毛の少女は気がついた様子もなく。
「うん。うちでつくってるトマトなんだけどね? あまくておいしいんだよ!」
まぶしい笑顔だった。なんとなく目をそらしてしまう。
どうしてだろう頬が熱い。ごまかすようにあおいは相槌を打つ。
「そ、そうなんだ……」
「うん! きみ、こっちには観光できたの?」
「……ううん、おひっこし」
「そうなんだ! じゃあ学校で会えるだろうから、そのときにわたすよ!」
学校。急に身体が冷えていくのを感じた。
このあたりにはひとつしか学校がないということをあおいは思い出す。
小さな学校だという。複数の学年がひとつの教室で授業を受けるとも聞いた。
目の前の栗毛の少女とは高確率で同級生になるということだ。
そこまで思い至ったところで、あおいの口は自然と開いていた。
「……わたし、ずっと入院してたの」
「え?」
「からだがよわくて、ここにおひっこししてきたのも病気を治すためで……」
「じゃあ、学校にはこれない?」
しょんぼりする栗毛の少女をみて、発作的にフォローを入れた。
「いつかはいけるとおもうけど、いつになるかはわからないの」
だから今度はいつ会えるかわからない。という旨を栗毛の少女に伝えた。
半分本当で半分ウソ。
大島に来てからすこぶる体調は良好だった。これなら明日からだって学校に出られるはずだ。でも、あおいは休むつもりだった。おそらく目の前の少女はあおいと同級生になるはずだから。今回の件をきっかけに近づいてくるだろう。ひょっとしたら仲良くなれるかもしれない。
けどまた少し体調を崩して休めば、これまでどおり疎遠になるに決まってる。
それならそうなる前に、距離をとってしまえばいい。
あおいなりの自己防衛のつもりだった。だというのに。目の前の少女ときたら。
「おうちはどこにあるの?」
「え……?」
「こんどトマトをとどけにいくよ!」
そういう顔があまりにも無邪気だったからか。
あおいはおもわず場所を教えると、栗毛の少女はうなずく。
「あ、ここなんだ」
「……しってるの?」
「うん。おおきなお屋敷だからね。どんなひとが住んでるんだろーって、いつもおもってたよ」
そういってから、なにやら思案顔になる少女。
「新聞の配達ルートからはちょっとずれるけど……あそこをあとまわしにしてうかいすれば……よし」
どうやら配達ルートとの兼ね合いを考えているようだった。
「またあしたねー」と立ち去りかけた栗毛の少女に、あおいはあわてて声をかける。
「ま、まって!」
「ん?」
「わたし、ふだんはほとんど寝たきりで……だから、その……、あなたにあえるかどうか……」
栗毛の少女の口ぶりが、まるで明日あおいと会えるかのような口ぶりなのが気になった。別にそう思わせたままでもよかったが、それで変にうらまれたりしたら困る。「だから家政婦さんにわたしてくれれば」といいかけたところで、栗毛の少女はあっけらかんという。
「なら、毎日キミの家にいくよ。そうすればいつかは会えるでしょ?」
「え」
あっけにとられるあおい。毎日? わたしの家にくる?
今さっき会った人間のためにそこまでやるのか。
聞けば配達ルートからはずれてるらしいじゃないか。
罪悪感から? だとしても自分は無事で実質的にはなにもない。
あおいが混乱している間に、栗毛の少女は「またねー」と去っていった。
「あいかわらず元気な子だなあ」
のんびりとした声が運転席から聞こえてきた。
運転手さん。そういえば地元の人だということを思い出して、あおいは問いかける。
「……あの子のこと、しってるんですか?」
「ええ、家計を助けるためにああしてバイトしてるんですよ。家族思いのいい子だって、ここらじゃ有名ですよ」
翌日、少女はほんとうにやってきた。もちろんあおいは体調が悪いからと会わなかった。これをあと3回も繰り返せば来なくなるだろうと踏んでいた。
もとより、誰かが傷ついたりしたわけではない。今はまだ罪悪感があるのかもしれないが、それもじきに薄れるだろう。そうなれば自然と足も遠のいていくはずだ。
しかしそんなあおいの予想に反して、栗毛の少女は毎日やってきた。
朝早くに来て、門のところで家政婦さんと二三言交わしてとぼとぼ去っていく日々を、すでに2週間。わけがわからなかった。どうしてそこまでやるのか。
これまで友だちだと思ってた子たちは、入院して1週間も経たずにあおいから離れていったのに。車の窓ごしにほんの数分話しただけのあの少女は、どうしてここまでやるのだろう。
ひょっとしたら、あの少女なら。そんな考えが脳裏によぎって、あおいは頭を振る。どうせいつもと同じだ。むしろこうして妙な期待を持たせるだけ、あの少女はもっとタチが悪い。
ふいに、いじわるな気もちが首をもたげた。ならどこまでやれるかためしてやろう。そんないじわるな気もち。
「むねがくるしい」
そういえば医療知識がない屋敷の人間はなにもいえなくなる。
主治医の先生にしたところで「ま、ムリはしない方がいいからね」というだけだ。
両親はあおいが学校にいかない状況には慣れきっている。
だからいくらでも学校を休むことはできた。
もっとも一度も出席していないだけに、いまいち休んでるという実感には欠けたが。
そうして2週間は1ヶ月になり、1ヶ月半も過ぎようかというその日、栗毛の少女は来なかった。
「……こない」
あおいは自室の窓から門を見てみるが、一向に来る気配はない。
「まあ、よくもったほうだよね……」
そう自分にいい聞かせるようにつぶやいて、あおいはベッドに入る。
2~3度寝返りをうつと、やおらベッドから起き上がった。
無性に外の空気が吸いたくなったのだ。
あおいは玄関から外に出た。庭を抜けて、門を開ける。
何気なく左右に視線を走らせたが、朝の国道には人っ子一人いなかった。
だからどうしたのだと、頭を振るあおい。わたしは外の空気を吸いに来ただけだ。
すう、と深呼吸をしようとして、もぞりと、すぐ横で何かが動いた。
「……え?」
視線を向ければ、門の脇に人間大のなにかが転がっている。
新聞紙に包まれたそれが、ふたたびもぞもぞと音を立て始めた。
不審者かと、恐怖に固まるあおいの身体。
悲鳴をあげて屋敷の人を呼ばなければ、理性は叫ぶが、身体の方がいうことをきかない。
やがて新聞紙から出てくる影。
「ふあーあ……。あれ、キミは……」
出てきたのは、栗毛の少女だった。あくびをしつつ、目をこすりながら立ち上がる。唖然とするあおいを尻目に、「ちょっとまってね」と毛布代わりに使っていたらしい新聞紙を律儀に折りたたみ始めた。なんで、とか。どうして、とか。目の前の少女にいいたいことは山ほどあったが、それよりも先に声をかけられた。
「今日はちょうしいいんだね」
そういって向けられたのは、なんの邪気もない目。
どころか、本当に自分の身体を案じてくれていることが伝わってくる。
あおいはうしろめたさから思わず目をそらしてしまった。
「……うん」
「よかった」
「それで、あなたはどうしてそんなところで」
なんで門の脇で新聞紙に包まって眠っていたのか。
栗毛の少女の手元にある、折りたたまれた新聞紙をちら見する。
その視線をうけて、栗毛の少女はあおいのいわんとするところを察したようだ。
「えーっと、昨日バイトで夜おそくなっちゃってさ」
「それで、どうして」
「あした朝のバイトは休みだし、家にはだれもいないし」
「だれもいない?」
「もちろんいつもはいるよ? 昨日はたまたま、いろいろかさなってさ」
苦笑する栗毛の少女。
ただそれだけで複雑な家庭環境が見て取れた。
ズキリと、罪悪感に胸が痛む。
「そんな時キミとの約束をおもいだしてね。じゃあもう家の前で野宿しちゃおうか、って」
あおいにはまったくもって理解できない思考回路だった。
要はあおいの家に移動する手間を省くためだろうが、だとしても大雑把にすぎないか。
そもそも女の子が野宿なんてあぶないだろうといってやりたかったが。
説教なんかする資格が果たして自分にあるのだろうかと、あおいは口をつぐんだ。
「だけど……」
申し訳なさそうな表情をうかべる栗毛の少女。
「考えてみたら、これじゃあトマトもってこれないんだよね……ごめん!」
ここにいたって、ようやくあおいは理解した。
目の前の少女はただただ純粋に、トマトを渡すという約束を履行しようとしていたのだと。こんな純粋な少女を、自分はためすような真似をしていたのだ。
少女が家族のためにバイトをしていることは知っていた。なのにこんな形で振り回して。くだらないいじわるをして。ほんとうに、なにをやっているんだ自分は。
「……ごめんなさい」
「え?」
「ずっと出なくて、ごめんなさい」
「それは具合が悪かったからでしょう? キミのせいじゃ」
「ちがうの」
あおいの言葉に?マークをうかべる栗毛の少女。
「ほんとうはいつでも出られたのに、出なかったの」
「なんで」
「あなたに、その……」
あおいは逡巡して、意を決する。
「……いじわるしてたの!」
「ふーん」
「ふーんって」
どうでもよさそうな反応に、すじちがいだと理解しつつも少しだけむっとした。
それが伝わったらしく、栗毛の少女はごまかすように苦笑する。
「いや、だってさ。今日はでてくれたじゃないか」
「え?」
そういって腕時計をみせる栗毛の少女。
表示されてる時間は、ちょうど栗毛の少女がいつも屋敷を訪う時間だった。
「むかえに出てきてくれたんでしょう?」
「それは……」
「なら、それでいいじゃないか」
そういう栗毛の少女は爽やかに笑っていて、あいかわらずなんの悪意もなかった。
「終わりよければすべてよし……って、ちょっとちがうかな?」
あおいはひたすら申し訳なくて、自分が情けなかった。
おもえば、いつもそうだったのではないか。だれかに手を差し伸べてもらうことばかり考えて、自分からなにかしようとしたことがあっただろうか。
その手を掴む努力もせず。離れていく友だちの背中をみつめるばかりで、どうにかして振り向かせようと努力したことがあっただろうか。
今だってそうだ。期待だけしている。目の前の少女ならきっと友だちになってくれる。自分を見捨てないでくれる。でもそれは栗毛の少女の方から自分に歩み寄ってくれること前提で。
幼いころを思い出す。病院の天井を眺め続ける日々。己を哀れみ、世界をおそれ、すべてから逃避し続けていたあの頃となにも変わってない――踏み出すべきだと思った。
「あの……」
気がついたらあおいは口を開いていた。ワンピースの裾を両手で掴む。
栗毛の少女はもう、充分すぎるくらいこんな自分に歩み寄ってくれたのだ。
つぎは自分が勇気を出す番で――栗毛の少女は笑顔で答える。
「なに?」
「わたしと、友だちになってもらえますか……?」
きょとんとした表情を浮かべる栗毛の少女。
まるであたり前のように、口を開く。
「もう友だちでしょ?」
そういって栗毛の少女がうかべた笑顔はどこまでもまぶしくて。
あおいは泣き出してしまった。
「わ、ど、どうしたの!?」
あわてる栗毛の少女には申し訳ないと思いつつも、ぽろぽろと涙が止まらなかった。目の前の少女は、歩み寄ってくれるどころか、とっくの昔に自分の手を掴んでくれていたのだ。ようやくあおいが落ち着いたところで、栗毛の少女は心配そうに話しかける。
「だいじょうぶ?」
「ごめんなさい……、いきなり泣いちゃって」
「いいよ、気にしないで」
そういって栗毛の少女がうかべたほほ笑みをみて、あおいはまたドキリと胸が跳ねた。
ふとなにかに気がついたような表情をうかべる栗毛の少女。
「そういえばまだなのってなかったね」
栗毛の少女は自分の胸を指さしていう。
ぱっちりとした瞳を輝かせながら、あおいに笑顔を向ける。
「一色あかねっていうんだ。あかねってよんでね。キミは?」
「……二葉あおいっていうの。わたしのことも、あおいでいいよ」
「よろしくね、あおいちゃん!」
そういって差し出されるあかねの右手。
あおいはおずおずとその手を握ると、ぎゅっと力強く握り返された。
温かい手。安心感で胸がいっぱいになる。
でも、今度はもう掴んでもらうだけじゃない。あおいもまたぎゅっと力強く握り返す。
病み上がりの弱々しい力でも、精一杯力を込めて。精一杯の笑顔をうかべて。
「こちらこそよろしくね――あかねちゃん!」
「……」
「……あかねちゃん?」
複雑な表情をうかべながら黙ってしまったあかねに、首をかしげるあおい。
あかねはやがて、気まずそうに口を開いた。
「……オレ、男なんだよね」
「え?」
ぽかんとした表情をうかべるあおい。
あかねは頬をかきかき、困ったような、しかたがないような顔をしていた。
***
視線の先。夕日に照らされた川。水面はおだやかに凪いでいる。
しかしよく眺めてみれば、その流れは速い。
「それからね。何度か入院したんだけど、あかねくんはわたしのことを忘れないでいてくれた」
いつだってあかねはやさしくて、情に厚い人だった。
あのときもそうだ。久しぶりの再会。
アローンの襲来で落ちかけたわたしを、自分の危険も省みず助けてくれた。
隣のれいに話しかける。
「ちょろい女だとおもう?」
「え?」
「ようするに。さびしい思いをしてるところをやさしくされて、コロッといっちゃったわけでしょ? こうやって客観的に話してみたら、われながらちょろいかなぁ、って」
「……いいえ」
「ほんとうかな? ……まあ、どっちでもいっか」
あかねくんはわたしの手をつかんでくれていた。
「だから今度は――」
――わたしがつかむ番だと、あおいは右手を握る。
「わたしは、あかねくんのことが好き」
「……そう」
「でも、あかねくんはあなたのことが好き」
「……え?」
ぽかんとした表情を浮かべるれい。
あおいは構わず続ける。
「だから、ちゃんと逃げてね。このあたりにも出てるでしょ、避難勧告」
「え、あ……、あの……!」
「じゃあね」
返事を訊く気はなかった。
れいに背を向けて、足早にその場を立ち去るあおい。
***
早朝。あおいたち3人は防衛軍の滑走路前に立っていた。
それぞれすでにパレットスーツを着装している。
いくら勝算がかぎりなく0でも、アローンに対してパレットスーツが最も有効的な兵装である事実は変わらない。あおいの初陣を例に出すまでもなく、通常兵器がアローンに対して通用しないことは誰もが理解している。だからこそ、自分たちの飛び入り参戦を拒絶することはないだろうと確信していた。いざ行かんとあおいが踏み出しかけたとき、わかばの声。
「あおいちゃん。もし負けそうになったら、あなただけでも逃げて」
「……どういうこと?」
「あかねが目ざめて、ドッキング要員がいなかったらそれこそ手詰まりだから」
ひまわりの言葉。それはたしかにそうなのだろうが。
何の技能も持たない自分よりも、わかばかひまわりが生き残るべきだとあおいは主張する。しかしわかばは静かに首を左右にふった。
「ちがうよあおいちゃん。この場合、だれが生き残ってもおなじことなんだよ」
「おなじって」
「最悪ドッキングさえできればアローンには勝てる。つまりさ、この場合わたしたちはドッキングのための道具にすぎないってこと」
そういうわかばはどこまでも冷静だった。皮肉も自嘲の響きもない。
「あおいちゃんだって、わかっているんでしょう?」
あおいはなにもいえなかった。そう、結局はドッキング要員さえいればそれでいいのだ。個々の資質だとか能力だなんてのは極端な話どうだっていい。このような局面になれば、能力のある人間が盾となって無能な人間を逃す方が合理的だった。そしてその決断――己を捨て駒にする――を下せる三枝わかばは、まごうことなき才媛なのだろう。
「でもまあ、あれこれ考える必要もないんだよね」
「うん」
わかばの言葉にうなずくひまわり。
どういうことかとあおいが視線を向けると、わかばは不敵に笑う。
「ようはさ――ここで勝てばいいだけなんだから」
「だから」とわかばとひまわりはあおいをみる。
「たよりにしてるよ、あおいちゃん」
その信頼しきった目に胸を突かれるあおい。
まいったな、と思う。どうも、思っていた以上の強敵らしい。
あおいは口元に笑みを浮かべると、ふたりに向かっていう。
「ひまわりちゃん。わかばちゃん。負けないから」
「あたしもだよ」
「わたしだって」
打てば響くような反応にますます笑みが深まる。
「だから、そのために勝とう」
あおいは右手をすっと差し出す。
わかばとひまわりが、その上に手を重ねていく。
いつだったかあかねが考案したかけ声。
結局いまのいままで使われたことがなかったけど。
いまから思えば、あかねも恥ずかしかったのかもしれない。
「ビビッドチーム、ファイッオー!」
あおいは声を張り上げる。
大声なんてめったに出さないから少し裏返ってしまった。
しかしふたりは気にした様子もなく繰り返す。
「おー!」
「おー!」
あおいにはもうなんの不安もなかった。
このふたりに比べたら――アローンなんてたいしたことない。
***
作戦とも呼べぬ作戦行動は成功に終わった。
要はSGE爆弾を抱えての特攻作戦。
元々は戦闘機からのSGE爆弾による飽和攻撃を計画していたそうだが、まず確実に失敗しただろうなと思う。あおいたちにしたところで、ひまわりがいなければアローンのシールドは突破できなかったのだ。自分たちが参戦しなければ今ごろ示現エンジンはスクラップだろう。おそろしい。
なんにせよあおいたちの活躍によって作戦は成功し、アローンは殲滅された。そして。
病室の扉を開く。そこにはベッドの上で上半身を起こしたあかねの姿。
胸の中で様々な感情が飽和していて、あおいはなにをいっていいのかわからなかった。
でも、あかねが最初にいう言葉だけはハッキリわかっていた。
いつものように困ったような笑顔を浮かべて、頬をかきかき口を開く。
「みんな、心配かけてごめんね?」
死にそうな目にあったのは自分なのに、いつだって他人を優先する、バカで、愛しい人の声。
ようやくあかねが生きているという実感が沸いて――気がついたら、あおいはあかねに抱きついていたのだった。幼子のように泣きじゃくるあおいの頭を、あかねはやさしく撫でていた。