去来   作:moon


原作:淡海乃海
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北畠笛と蒲生下野守が廊下を歩く話

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去来

 基綱との会見が終わり、北畠笛は来た時と同様に蒲生下野守の後を歩いた。歩く二人の間に交わす言葉はない。言葉を交わしたことにより朽木に不審を持たれてしまっては、これ程馬鹿馬鹿しいものはないし、そのくらいは笛とて弁えている。それは下野守も同じだ。だから二人は無言のままで廊下を進む。

 笛にとっては予想外の、しかしとても大きな会見であった。目的であった息子二人の命は安堵され、しかも旧六角の家臣を証人としてくれた。六角の血を引く者としてこれに勝るものはない。基綱の配慮に素直に感謝し、己の気持ちがようやく晴れてきたのを笛は感じた。来た時とは違って周りの景色に自分から意識を向ける余裕も出てきた。

 下野守の後に続いて廊下を歩く笛はふと疑問に思った。来た時とは見える景色がどことはなく違うような気がする。気のせいだろうか。いや、やはり違う。これは一体どういう事だろうか、と。だが口にすることは憚られたし、基綱が笛に対して何か仕掛けるとも思えない。仕掛けるのであれば、自分は今ここにはいないだろう。では何故?

 

 狐に化かされた様な気持ちで笛が角を曲がると、前を進む下野守の歩みがより一層に遅くなった。笛は眉を寄せてますます面妖な、と思いつつも黙って下野守の後に続く。すると庭の先で、大男と並んで立つ男、二人の人物が頭を下げている姿が、笛の視界に飛び込んで。

 無言で廊下を歩く下野守は、背後の人物の気配が強張るのを感じ、ひゅっ、と息をのんだ音を聞いた。

 

 

 歩く速度はそのままで、笛と下野守は庭で頭を下げている二人の男の横を静かに通り過ぎる。

 

 

 なるべく長く視界に兄弟を留めよう、だが決して横を見てはならぬ、と自分に言い聞かせながら堂々と笛は歩く。朽木から笛の息子である北畠兄弟に危害を加えぬという言質を貰った。いや、誓ってくれのだ。しかも旧六角家臣の前で、彼等を証人としてつけてくれた。

 でも、まさか、会わせてもらえるとは思ってもみなかった。しかも会見の直後に。朽木からの格別の配慮を、馬鹿げた行動で無駄にしてはならぬとの一心で歩く笛は、角を曲がって北畠兄弟の前から去った。

 

 

 

 角を曲がった下野守の歩は相変わらずゆっくりのままだ。笛はようやく安堵の息を小さく吐いた。そして「朽木家の不利益にならぬ限り、義叔母上に味方してくれよう」の意味を知った。

 笛は思う。基綱はあらかじめ北畠兄弟をあの場所に控えさせたのだろう。そして六人衆はそれを知っていた。あとはおそらく全てを委ねられた下野守の采配だ。下野守は母親に息子二人の姿を見せることは朽木家の不利益ではない、と判断した。だから来た時とは違うあの場所を通った。胸が押し潰されそうになり、目の奥が熱くなる。泣いてはならぬと歯を食いしばり、睨むように下野守の背中を見る。

「まこと、器量人よな」

 前を歩く者は返事をしない。それでいい。これは笛の独り言だ。

 

 母として二人の息子の無事を確認出来た事は、何よりも有難いと笛は思う。危害は加えぬと誓ってくれた。そして六角の血を引く者に対して、朽木の家臣としてであっても六人衆を味方としてつけてくれた。一連の配慮もだが、何より六人衆はそれだけの信を得ているのだ。一見穏やかに見えてあの老獪さを備えた朽木家当主に、旧六角の六人衆は重用されている。それは下野守一人を見ても、この場の差配を任されている事で理解できるというものだ。

「六角を大切に扱うか」

 当たり前だ、大国六角を支えた重臣たちだ。他家の家臣と比べても見劣りなどせぬ、父や兄に仕えた自慢の家臣ぞ。

 

 少し瞼を伏せて笛は小さく笑った。独り言だ、何を言っても誰に聞かれても問題ない。

「嬉しいことよ」

 

  笛の声は、女性にしては低い。齢を重ねて一層低くなりより厚みを増した。その声音は、幼い頃より父や兄とよく似ている、と言われてきた。それももう過ぎ去ってしまった日々のことで、笛の声が父や兄に似ている事を知っているのは、旧六角の六人衆しかいない。

 だから、笛の目の前の背中がほんの僅かに揺れた。

 

 

 

 

 廊下を歩く下野守の背中の後から胸を締め付けられる程に懐かしい、それでいてどこか誇らしげな声がする。彼岸へと去っていった主が不意にやって来て、そして再び去っていった。

 


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