天幕はもはや鼠色(ねずみいろ)の雲が這い回るように覆い尽くし、ドス黒い雨粒が滝のように降り注ぐ。一筋の光明も手繰れぬまま、滝のような雨音だけがひたすら空気を震わせていた。
瀑布の彼方から、やがて届き始めた鈍い鐘の音。砂鉄をかき混ぜ、すくい上げ、そして地面にぶち撒け鳴り響くまでが、子守唄のように途切れなく繰り返される、奇妙なリズムを備えた音の連なり。鐘の音はそのうちに、雨音にも拮抗してきた。
雨粒をかき分け姿を現したその物体を、ひと目で理解するのは困難だった。屑鉄や針金、釘やネジなどを無造作に寄せ集めたかのような姿をしており、我々がよく知っている既存の何かに結びつけて呼ぶのは容易ではない。
よって形容しがたい姿形を遠目に何度も見直すしかなかった。そうするうちにようやく連想されたこの物体に近い生物は、太古の地球で栄華を誇った種族「恐竜」の中でも王者として君臨した暴君竜そのもの。……ただし進化の末に洗練されていった彼らと比べると、極力穏やかに言っても無骨な要素が目立ってならない。
恐ろしく太くそして前後に伸びた胴体に、決して長くはない二本足が垂直に伸びている。爪先がむやみに長く、壊れた長靴でも履いているかのようだ。後方に伸びる尻尾は潰れたドラム缶を数珠繋ぎにしたかのよう。そして頭部と思しき先頭部分は一足の革靴を足裏で重ね合わせたかにも見える。一方、首根っこのすぐ下には何の用途でついているのかもわからぬ短い両腕が申し訳程度にぶら下がっていた。
何たる不細工。これ以上の要素が混じれば崩れ落ちて瓦礫の山になりかねない。しかしこのガラクタのような竜が歩を進めるとともに鳴り響く鈍い鐘の音だけは、やけに理路整然と一定の調子を繰り返し、確実に雨音を斬り裂いている。
ガラクタ竜が豪雨をかき分け、足首まで浸かろうかという水溜りを飛沫立てつつひたすら踏みしめていたところで、ふと、その歩みが止まった。雨音だけが鳴り響く数秒間を経て、再び鳴り響いた鐘の音はやけに澄んでいた。
小躍りするように水溜りを駆け抜けるガラクタ竜。
この竜は、人を探していた。自分を上手に乗りこなしてくれる者だ。……この竜は金属生命体ゾイドの一種。ゾイドは単独では十二分にその能力を発揮できないものである。そこで彼らは人を受け入れる。パイロットとして自由自在に乗りこなしてくれる人が現れたとき、初めてそのゾイドは弱肉強食の軛(くびき)から解き放たれるのだ。
そしてそれはしばしば運命的な出会いとなる。人との出会いは、自分自身を確かに理解してくれる存在との出会いとなり得る。ただの獣に過ぎないゾイドが、人と立ち並ぶことで共に喜び、怒り、悲しみ、楽しむ可能性を得るのだ。こんな素晴らしいことはあるまい。
だからガラクタ竜は、地を蹴った。跳ね上がる泥水。地響きが水溜りを震わせる。
この豪雨の彼方に、「人」の反応が確認できる。それも、無数に。こんなにも反応があるなら、一人くらいは自分を気に入ってくれるに違いない。……竜の首の上には棺のような箱がくくりつけられている。この中に、自分を自在に操縦できるコクピットが備わっているのだ。早くここに、運命の人を乗せたい。ああ、早く、早く。
まるで子供がはしゃぐように竜は駆ける。ところがその奇妙に敏捷な動きが、急に止まった。折しも上空を落雷が走り、天幕を照らす。
ガラクタ竜の目前には、とある有機物のかたまりが砂利の山のように、自分の体躯よりも堆(うずたか)く積み上げたものが立ちふさがっている。周囲を見渡せば、同じようなものが到るところに見受けられ、ちょっとした迷路に迷い込んだような錯覚に陥る。
だが当のガラクタ竜にとっては迷路で済むような精神状態ではなかった。この竜以外の、他のゾイドであっても同じような感情を抱くだろう。何しろ積み上げられた有機物のかたまりとは、この竜の体内に秘めたるゾイドコア(ゾイドの心臓であり脳でもある)が「人」だと認識している姿にそっくりだったからだ。……だが積み上げられた「人」に動く気配はない。簡単な話しだ。彼らは、死んでいる。
そこには人の死骸の山が積み上げられていた。ガラクタ竜は呆然と立ち尽くすのみ。何百人、何千人分の死体があるかわからないが、そもそも彼らと生きた状態で触れ合うチャンスは出会う前から既に閉ざされていたのだ。しかもおぞましいことに、この竜の赤い眼を通して死骸の山を見渡せば、ところどころ微弱すぎる生命反応が確認できる。おそらくどう足掻いても死ぬことが確定した者まで無理やり積み上げられたのであろう。
この初心なガラクタ竜は希薄なデータしか持ち合わせていないため、吐き気を催すことを承知の上で死骸の山を観察してみた。……老若男女、一般市民の服装もいれば兵士と思われる服装も確認できる。部位の欠損は言及するまでもない。それが雨ざらしのまま放置されていた。雨は匂いを消すものだが、この豪雨の中でさえ、ガラクタ竜の嗅覚センサーは尋常ならざる数値をはじき出し、それがなお一層この竜を落胆の気持ちに向かわせる。
彼らはこの星・惑星Ziにおいて断続的に繰り返された戦争の犠牲者である。長引く戦争は死者を弔うどころか葬る時間さえも奪っていった。生き残るので手一杯だった者たちにしてみれば、そのようなことは後回しにせざるを得なかったのだ。
しかしながらガラクタ竜にしてみれば、そんな都合など知る由もない。
茫然自失に陥ったガラクタ竜は、革靴を重ね合わせたような頭部をふらふらと揺らす。見渡した限りでは欠片ほどの希望もないのに、気がつけば迷路のような死骸の山の中に、今一度確かな「人」の反応がないか探していた。ひどくゆっくりだが、再び一歩一歩、進み始める。転がり落ちている死骸の断片は踏まぬよう、慎重に、息を潜め。
「人」の反応は、思いのほかすぐに確認できた。ほんの一瞬だが、ガラクタ竜は内心、昂ぶる歓喜を実感していた。……あくまで一瞬の出来事だったが。この垢抜けないゾイドをもってしてもとんだぬか喜びだと思わせるに足りる、激しいノイズがこの反応には伴っていたからだ。
その方角を振り向けば、数キロ先には確認できた。全身、鋼鉄の鎧をまとった竜の姿。この土砂降りにさらされてなお、鎧は眩しいくらいに深く、紅く映える。前後に伸びた胴体を二本足で支える姿はガラクタ竜と大差ないが、あちらのほうがずっと足は長く、爪先も短い。洗練された、しなやかな体つき。だがそれだけでは語り尽くせぬ異様な部分も持ち合わせていた。背中には六本の長い鶏冠(とさか)が逆立ち、その左右には桜の花びらのような翼が生えている。文字通り、翼を背負った深紅の竜。
ガラクタ竜が感じ取った「人」の反応は、この深紅の竜の体内から発せられているものだ。……感じ取れたものはそれだけではなかった。漂うのは生命二体分の、殺気。
深紅の竜は芝居がかった動きで桜花の翼を翻す。すると両翼の先端にはそれぞれ二本の剣が、バネ仕掛けのように展開。先端が重なり大剣と化した。
このような武器を備えた生物など、ガラクタ竜は見たこともなかった。だから仰天、ついですぐさまの戦慄。……この竜は武器らしいものを何も備えていなかった。腕は短く懐に飛び込まない限り役に立つまい。尻尾は長く丈夫だが、どう見ても相手の方が足は早そうだ。他には、他には……。
腹をくくったガラクタ竜。
その心情を察したかのように、深紅の竜は強く水溜りを蹴り込んだ。爆ぜる泥水。紅い鎧がドス黒い雨水を弾く。
ガラクタ竜はぐっと腰を落とした。腕や尻尾が当てにならずとも、自分にはこの巨大な頭部と顎がある。よくよく見てみれば、相手は自分より一回りほど小さいのだ。間合いに入ったところで強く踏み込み、鼻先から体当りすればこんな奴などペシャンコだ。……そういう、読みだった。
その読み筋が出来上がったときには、深紅の竜は既にガラクタ竜の右側懐深くまで飛び込んでいた。そのまますれ違い、駆け抜けていく。
深紅の竜はたちまち数百メートルも突っ走り、そしてくるりと振り向いた。一瞬辺りを包み込んだ静寂を、はじめから無かったかのように豪雨がかき消していく。
ガラクタ竜は、膝から崩れ落ちた。右の脇腹には無慈悲な刀傷が確認できる。傷口からは鈍い輝きが漏れたが、徐々に消失していく。内部に秘められたゾイドコアが生命活動を停止した証だ。
その有様をじっと見つめつつ、深紅の竜は展開していた大剣を折りたたむ。溜息のような鳴き声を漏らすと、先程見せた鬼神のごとき疾走とはまるで別物のトボトボとした足取りでガラクタ竜の死骸まで歩み寄った。
遠慮がちに腹ばう深紅の竜。胸部にはハッチが埋め込まれており、それが二枚貝のフタのように真下へ開いた。
中から姿を現したのは、全身漆黒のパイロットスーツをまとった長身の人物。豊満かつしなやかな体つきから見て女性であることは明らかだ。ヘルメットを外すと、長い黒髪がはじけるように広がる。顕になった、面長で切れ長の蒼き瞳を目にして美女と思わぬ者はおるまい。ただしその眼光は尋常ならざるものがあり、凍りつくほどの鋭さがある。そして、彼女の額。青白い紋様が眼光以上にまばゆく明滅している。
この美女が姿を表すと、腹ばう竜は自身の頭部を一層前にして屋根代わりにしてみせる。……美女の頬が心持ち緩んだかに見えたが、それっきり眼光同様の厳しい表情は崩れぬまま。
彼女の後方・ハッチの奥から、音声が聞こえた。これも女性の声だ。
「エステル、終わったのならさっさと帰投しろ」
厳しい表情のまま、彼女はつぶやいた。
「わかったわ、ブライド。……ブレイカー、行きましょう」
そう告げるときびすを返す。せり上がり、閉じるハッチ。
深紅の竜は立ち上がると先程まで敵だった者の姿を一瞥。そして翼を、鶏冠を目一杯広げる。鶏冠の先端からは蒼い炎が吐き出される。水飛沫を上げつつ地面を蹴り込むと、水溜りの上を滑るように、この死骸の山の中を駆け抜けていった。
豪雨は収まる様子など微塵も伺えない。雨音を、耳を慣らして静寂と心得るよりほかあるまい。
さて理不尽な、戦いと呼ぶにはあまりにも一方的な接触は、最後まで理不尽なまま終わりを告げようとしていた。先程の深紅の竜も、そしてそれを乗りこなしていた美女も超一流の戦士であることは明らかだ。しかしながら彼らが勝利を確信し、その場を立ち去ったあとで、ようやくその理不尽は成立した。生命の神秘というものを考えるなら、それは奇跡だった。
ガラクタ竜だった瓦礫の山の傷口から、不意を突くように零れ出た輝きは線香花火のようにか細い。輝きは水溜りの中に落ちて、そのままズブズブと土の中へと潜り込んでいった。……このガラクタ竜が育んでいたゾイドコアだ。ゾイドは無性生殖とされる。ガラクタ竜は死の間際に自分の持ち合わせていた全ての情報を小さなゾイドコアに凝縮し、解き放ったのだ。
ゾイドコアはどんどん地中奥深くまで潜り込んでいく。何千メートルまで落ちていくのかもわからない。そうするよりほかなかった。再びもとの巨体を取り戻すには、あまりにも長い時間が必要だ。
《くやしい……くやしい……》
ゾイドコアは声にならない言葉を念じていた。
どうして自分が襲われたかもわからない。自分はただ、自分を乗りこなしてくれる人が欲しかっただけなのだ。
《許せない……許せない……》
ゾイドコアは誓った。自分を屠った深紅の竜は、あれほど強大なのだ。きっと、戦いが未来永劫続いたとしても必ず生き残る。そうに決まっている。
《あいつを……倒すには……》
堅い鎧が欲しい。
素早く走りたい。
鞭のような尻尾が欲しい。
鋭い牙であいつを噛み砕きたい。
両腕であいつのゾイドコアをえぐってやりたい。
そして、あの大剣。あれをへし折るほどの武器が欲しい。
目指すは単なる再生ではない、進化だ。そのためには自らの遺伝子レベルまで完全に書き換えなければいけない。再生だけでも相当な時間がかかるというのに、そこまで目指せばどれくらいの時間が必要か。
わからない。わからぬまま、地中奥深くで、ゾイドコアは明滅と、脈動を始めた。