彼方の稜線は夜明けよりも眩しく灼けている。まるで間近で目にする太陽のような、仄かに橙がかった白色の業火。
待ち受ける業火を目指し、深紅の竜は駆ける。背負いし六本の鶏冠を目一杯逆立て、蒼い炎を吹き出し地上の流れ星と化して、一歩、また一歩と強く地を蹴るたび、荒野を勢いよく滑走していく。
同じ夜空を、竜の胸部コクピット内に着席するギルガメスもじっと見つめつつ、ホイルに包まれたバゲットのサンドウィッチを頬張っていた。まだ目指す地点まで距離があるから、今のうちだ。……既にその額には青白く輝く刻印が浮かんでおり、臨戦状態でもある。
こころなしか、鼻歌のようなか細い鳴き声が天井から聞こえてくる。ギルガメスは微笑んだ。少なくとも今、彼の相棒は思いの外「ご機嫌」だ。
一方、竜の両手には、銃器で挟まれたビークルがしっかりと抱えられていた。その機上で、フルフェイスのヘルメットを既に被ったエステルは腕組みして黙考に耽っている。
眉間に皺を寄せて考え込まざるを得ない理由は沢山ある。作戦もそうだし、結局は落とし所に悩まざるを得ない。
紅蓮の竜は明確な目的もないまま、半狂乱になって襲いかかってくるに違いない。そういう相手をどう攻略すればこちらに望ましい結果になるのか。倒さず且つ遺恨も解消できれば良いが、そんな虫の良い話しはないだろう。
(いやそもそも、攻略できない可能性が相当高い相手よ。しくじった場合、どうやればあの子を守れるのか……)
そう考えたところで、思わず溜め息を漏らしてしまった。元はと言えば自分が蒔いた種なのに、どうして自分のみならず愛する者まで巻き込まなければいけないのか。あの時も、あの時も……。
不意を突くように、コントロールパネル据え付けのモニターがアラームを鳴らした。目的地が、近い。
エステルは首を横に振り、我に返るとヘルメットのシールドを降ろそうとする。
そんな時だ、モニターが切り替わり、愛弟子の姿が映し出されたのは。
「先生、それじゃあ……打ち合わせ通りに」
それは誠に屈託のない笑顔。なれど真実は、なけなしの勇気を奮い立たせて強い決意に昇華させた心根優しい男の表情であった。エステルは年甲斐もなくドキッとした。……いつまでも、見ていたい笑顔だ。
はい、と応えたエステルは、だからすぐさまシールドを降ろし、表情を隠した。愛弟子の方は何の疑問も抱かずに通信を切ったが、彼女の方は降ろしたシールドを少しだけ持ち上げ、隙間に指を突っ込む。頬や目元に溢れる涙を拭っていたのだ。
己が胸元で囁かれるやり取りをちらりと伺った深紅の竜。だがそれもひと段落し、両手で掴んでいたビークルは飛び立っていった。
竜はそれを合図として、中腰・膝曲げの姿勢で両足を軽く開く。滑走する巨体にブレーキが掛かる。地面が削れ、埃が高々と舞い上がる。かくて深紅の竜は潜めるように一息吐きつつ、中腰の姿勢でこの場に停止した。
周囲は依然、見渡す限りの荒野ではある。しかしながら取り囲む稜線はところどころ夜の帳を突くように高く、袋小路に近いことを伺わせる。
そして竜の真後ろ辺りの稜線は、やけに低く感じられる。それもそのはず、ここより100メートルもしない辺りで(※竜の体格にして五匹分程度の距離だ)切り立った崖になっている。崖の下も同程度の高さはあり、その下も荒野が広がっている。着地を誤れば致命傷になるだろう。何しろこの暗闇だ。
言うなれば背水の陣、なのか?
ギルガメスは座席の下の扉を開け、古びたリュックサックを取り出した。中から取り出したのは彼の手にはやや余るゾイド猟用のナイフだ。手入れされた革の鞘にしっかりと収まっている。
「ブレイカー、ごめん」
そう、天井を見上げて声をかける。
深紅の竜は気にするなとでも言いたげに小気味よく鳴いて応えると、足元を確かめ、そしてむずと踏みしめる。
すると少年の目前に広がるコントロールパネルがぱっくり左右に割れた。その下からせり上がってきたのは人の顔ほどもある錠前のような装置。
一方、全方位スクリーンの左上にはウインドウが開かれ、深紅の竜の全身を模したワイヤーフレームが浮かび上がる。画像の相棒は巨体を一直線に伸ばし、背中から喉、そして首へと連なるエネルギーの流れが表示されている。
ウインドウは左下にも展開し、錠前のような装置のワイヤーフレームが表示されている。鍵穴部分に然るべき「鍵」をはめ込むよう、盛んに矢印が点滅を開始。
ギルガメスは今一度深呼吸すると、ナイフを鞘から抜いて両手で握りしめ、この装置の鍵穴部分にゆっくりと押し入れる。時計回りにねじったところでコントロールパネル全体が脈打つように明滅を始めた。彼の額に宿る刻印も、青白い輝きを落雷のように放出させていく。
それが合図だ。踏みしめていた両足踵(かかと)の爪が地面に突き立ち巨体の支えと化すと、深紅の竜は長い尾をピンと水平に伸ばした。桜花の翼は巨体の左右を覆う一方、六本の鶏冠は目一杯広げてみせる。尻尾を覆う装甲が一斉に逆立ち、鶏冠の付け根辺りが大きく口を開く。そこから電流をほとばしらせつつ、無数の光の粒が蛍のように集まり飲み込まれていく。竜の口内がにわかに輝きを帯びている。消化器官に当たる部分から光が漏れているのだ。
深紅の竜が備える最終兵器「荷電粒子砲」の名で恐れられる光の槍は、発射準備が整った。竜にとってはかつて余りにも多くの生命を奪ってきた忌まわしい力。運用は若き主人ギルガメスに完全に託しており、この夜、久々に封印を解除する時が来た。……だが果たして、どう使いこなすつもりなのか。
全方位スクリーンの真正面には照準が浮かび上がる。波紋のごとく照準の周囲がぼやけ、闇の彼方から近付いてくる朱色の光点を明らかにした。紅蓮の竜だ。憎しみに満ち満ちた眼光は、ここまでしっかり届いていた。
紅蓮の竜は笑ったように見える。両腕はだらりと下げ、太く接地面積の長い足は八の字に広げ。背中を覆う装甲が一斉に逆立ち、光の粒が勢いよく吸収されていく。
ゆっくり、ゆっくりと巨大な顎が、開かれていく。目も眩まんばかりの輝きが、喉の奥から漏れ始めた。
対して、既に玉の汗を浮かべていたギルガメスは天井に向けて語った。
「ブレイカー、打ち合わせ通り、最初は彼奴のやりたい『戦い』をやるよ。
近付いてきたところで、『試合』に切り替える。僕達の好きなゾイドバトルにしてやるんだ」
甲高く鳴いて、竜は相槌した。
少年も気持ち良く頷く。
それと共に、深紅の竜もゆっくりと口を開く。一心不乱に闇の彼方に浮かぶ朱色の眼光を睨みつけながら。
少年は鍵たるナイフを今一度強く握りしめると、長刀を振り降ろすような動作で、裂帛の気合いを込めて吠えた。
竜の足元がひび割れ、岩盤が重力に逆らうように跳ね上がる。竜は短い首をもたげると、雄叫びを上げながら勢いのままに振り降ろす。
紅蓮と深紅、二匹の竜の口内より、解き放たれた光の槍。一方は自分の巨体ほども太く、もう一方は細いがより鋭く、
瞬く間もなかった。光の槍二本が、いつの間にか辺りを真昼のように照らしつけつつ正面切って激突。その地点は見事なまで完全に、両者の中間地点。弾ける閃光。のた打つ電流。辺りの岩盤が瓦のように吹っ飛び、蒸発していく。
その光景よりずっと遠くで、ビークルが旋回しつつ見守っている。機上のエステルはヘルメットのシールドを下げた状態で厳しく見つめている。直視しては確実に失明する眩しさだ。
彼女は内心、ホッとしていた。荷電粒子砲の撃ち合いはどうやら互角。
(そうでないとね)
収束していく閃光。辺りには暗闇と、幾許かの静寂が訪れる。
(撃ち合いが互角なら、他にすべきは……)
すると二匹の竜が天を衝くほどに、吠え立てた。
両者の背中に再び光の粒が集まっていく。そして。
再び切り裂かれた闇。まるでフィルムを巻き戻したかのように同じ地点で光の槍が激突した。一層砕け散る地表の惨状は、隕石か爆弾が飛来したかのようだ。
ここまで、ギルガメスは一度たりとも瞼を閉じていない。そうしなければいけなかった。……これは超兵器の撃ち合いに見えて、本質は我慢比べそのもの。
そして強敵が三度目の発射準備に入る直前、彼も相棒も、ある瞬間を見逃さなかった。
万全の状態で踏み締めていたはずの両足。地面に突き立てていた踵(かかと)の爪が足首の側に戻る。そうして心持ち、摺り足で動かした。……支えを外し踏み直して、地面を蹴り易くしたのだ。
解き放たれた閃光。二本の槍が三度大地を照らし、焦がして。閃光が、収束していくその時。
閃光を突き破って、飛び出してきた巨大な「顎」。怒涛の勢いで、迫る紅蓮の竜。
それを見計らったかのように、深紅の竜は強く地を蹴った。背負いし六本の鶏冠より蒼い炎を吹き出し、桜花の翼で正面を被うようにして。
轟音の衝撃は離れて旋回するビークルをも震わせる。機上のエステルはすぐさま体勢を戻しつつも、しっかりと切れ長の瞳で捉えた。
押し合う、二匹の竜。紅蓮の竜の顎には、深紅の竜の左翼がねじ込まれている。逆に翼に食らいついているとも見えるが、圧倒的な強度と不完全な体勢は歯型を付けるに至っていない。
盛んに地を蹴っているのは紅蓮の竜。尻尾の鋸刃(のこぎりば)には既に何十匹もの電流の蛇を飼い込んでおり、このマグネッサーの推進力でもって押し込まんとしている。
対する深紅の竜も背負いし鶏冠を目一杯広げて踏ん張ってはいるが、相手の推進力は圧倒的だ。徐々に、徐々に押し込まれている。
しかしながら深紅の竜に動揺する様子は伺えない。それどころか相手が渾身の力を発揮するのを誘っているかのようだ。
ギルガメスは既に両手を本来のコントロール用レバーに握り直していた。その間、何度も後方をちらりと見遣り、様子を窺う。
そして崖の縁から両者の位置までの距離が竜一匹分を割ったところで、エステルの駆るビークルが頭上に飛来。
ハッと朱色の眼球がその方角をギロリとにらみ、その巨体をよじらせる。……紅蓮の竜が恐らく想定していたであろう、自らに迫る不意討ちの標的は、光の粒を吸収する背中だったに違いない。だがその読みは外れた。辺りにこだました数発の破裂音と共に、紅蓮の竜はグラリと足元をふらつかせた。
その間にも、一直線に彼方へと離れていくビークル。機体の先端には対ゾイドライフルの銃身が伸びており、硝煙が尾を引いている。エステルのシールドに映り込む電光表示は、強敵の足元への命中を明らかにした。
好機到来。深紅の竜は強く地を蹴り込み、左翼で強敵の顎を払いのける。相手の状態が浮き上がったところで、その首をたぐるようにしてガッチリと上から覆いかぶさった。そして、背負いし鶏冠の猛烈な噴射。
慌てふためく紅蓮の竜。振り切らないといけない。盛んに地を蹴る。しかしそれは覆いかぶさって蒼い炎を吹き出す深紅の竜の推進力を、自ら上乗せする行為にほかならない。
振り切るどころか、紅蓮の竜は自ら崖の縁まで突っ込んでいった。それをコントロールするかのように、深紅の竜は首を掴んで離さない。
かくて勢いのままに、崖の下へと急落していく二匹の竜。
朱色の眼球が真下へギョロリと向く。紅蓮の竜は一転、歯を食いしばる。尻尾の鋸刃(のこぎりば)からは電流の蛇がのたうち回って急速にエネルギーの壁を作る。接地面積の長い足は膝を曲げて胴体にぴったり付ける体勢を取り、落下に備えた。
ズン、と野太い音。
どうにか、どうにか着地した紅蓮の竜。朱色の眼球がキョロキョロとカメレオンのように動く。己が五体の無事を確認すると、すぐさま周囲の観察に転じる。
着地したこの辺りも硬い岩盤。星明りは地面に広がる放射状の亀裂を明らかにした。
真正面は……先程までより一段上がった稜線と街の灯が見える。実際は己の立ち位置が一段下がったのだ。
背後は……切り立った、崖。それが左右に伸びている。
では、我が宿敵は。深紅の竜は。魔装竜ジェノブレイカーは!
風を裂く音。
頭上より、大剣が叩き込まれた。
それをがっちりと受け止めたおろし金の翼。
すかさず翼を振り払い、憎き仇敵をはねのける。
宙返りするように軽やかに降り立った深紅の竜。桜花の翼は水平に広げており、既に両翼とも剣が展開している。言うなれば二刀流、切っ先が描く軌道は一足一刀の間合い。
洒落臭いとばかりに紅蓮の竜は吠え立てた。尻尾の鋸刃(のこぎりば)より電流がのたうち、そして岩盤をえぐらんほどの踏み込み。……今度も、双剣を確実に掴んでやる。そうすれば先日の戦いと同じ「手四つ」で封じ込める、そういう目算は確かにあったはずだ。伸びる、右の翼。禍々しいおろし金が星明りを浴びて輝く。
深紅の竜はじっと睨みつけたまま。そして鼻先にかすろうかという距離までおろし金の翼が伸びた時。竜は左足を突き刺すように踏み込んだ。
左足を軸に、時計回りの大回転。
空を切る、おろし金の翼。
と、次の瞬間、朱色の眼球は揺れ動いた。想像だにしない衝撃が、紅蓮の竜の視覚を揺さぶる。
それでもすぐさま朱色の眼球はギョロリと動き、この衝撃の正体を認知した。
右のおろし金の翼の付け根に、叩き込まれたものがある。……深紅の竜の、尻尾だ。双剣を水平に構えたあの体勢こそこの技を決めるための決死のフェイントだったのだ。
紅蓮の竜は一気呵成を思い知らされた。体勢を戻した深紅の竜が、滅多矢鱈に双剣を打ち込んでいく。顎に、胴に、翼の付け根に。荒野に鋼を削る轟音が鳴り続ける。紅蓮の竜にはかわしようがない。背後は切り立った崖の壁面だ。
(チャンスだ、チャンスだ)
ギルガメスは奮い立っている。そう、この崖の壁面こそ、彼らがいつも戦っているゾイドバトルの試合場を模したもの。その場からは絶対に逃げられない、試合という名の閉鎖空間により近いものだ。……優しき相棒も主人の高揚を察知してか、ますます双剣が加速していく。
それでも朱色の眼球は好機を窺っていた。十数発目の剣の切っ先をがっちり捉えると、力任せに放り投げる。仇敵を投げ飛ばしたこの瞬間にと一歩また一歩と正面に踏み込む。より開けた、稜線の見える側へと逃げ込むのだ。
ところが三歩目を踏み込んだところで、紅蓮の竜の鼻先が、胴が、足元が爆炎を帯びた。グラグラと揺れて足止めを余儀なくされる。
朱色の眼球がすかさず動き、この爆炎の正体を把握した。彼方へ突っ切っていく銃器に挟まれたビークル。
機上のエステルが叫んだ。
「今よ!」
腹ばいで着地していた深紅の竜。全身に埋め込まれた突起が唸りを上げて回転する。背負いし鶏冠より蒼い炎を吹き出し、長い尻尾を地面に打ち付け、崖の壁面めがけて跳躍。すれすれのところで巨体をひねり、今度は壁面を蹴りつける。三角跳びだ。
この瞬間鳴り響いた轟音は二匹の竜の決闘において最も大きく、また辺りを震わせたに違いなかった。
足止めされていた紅蓮の竜の頭部に、大剣が叩き込まれていた。頑丈に被う兜にはヒビが入っている。
深紅の竜は真後ろに軽く跳躍して離れ、間合いを取り、構え直す。
ぐらり、足元がふらつく紅蓮の竜。そのままゆっくりと、前のめりに崩れ落ちた。
その頭上を、ビークルが旋回する。
コントロールパネルを睨んだエステルの表情は厳しいままだ。
「ギル、ゾイドコア反応があるわ。一時的な失神状態に過ぎない、気をつけて」
「エステル先生、こいつのパイロットを確認したいです。
どうして僕らを狙ったのか、本当に『人間』なのか、真実を知りたいです」
すかさず返事をモニター越しに返してきたギルガメスは高揚を超え興奮状態に近い。相当な強敵を、完全に倒したかはともかくとしてひとまず沈黙させた今の心情をなかなか押さえつけ切れずにいる。
反対に深紅の竜の方が自らの胸部を掴みなだめすかしている状態だ。両者はシンクロしているので相棒の感触は少年にも伝わっている。
「私がやるわ。まだ沈黙したとは言えないから、落ち着いて……」
『ソノ必要ハ、ナイヨ』
やけに穏やかな、しかし余りに無機質な声が、コントロールパネルのスピーカーに、そして全方位スクリーン内にこだました。
ギルガメスはハッと息を呑んだ。先程までの興奮状態など一瞬で吹き飛んでしまった。上半身を固定するハーネスを押しのけんばかりに前のめりになると、呼応して真正面にウインドウが開く。
ウインドウの向こうでは、紅蓮の竜の首の付け根に埋め込まれていたキャノピーが持ち上がった。
中にはコクピットと言えるような空間はなく、人の手に収まる程度のちっぽけな空間と接続するだろう機器類だけが確認できた。もっと率直に言えば、そこには何もない。
するとその空間からぼんやり浮かんだ影がある。文字通り、人の影。
ウインドウに映る人の影は、頭部の部分が怪しく明滅している。
『僕ガ、ですれっくすノぱいろっとダ』
明滅する人影がつぶやいた。