深紅の竜が目覚めたとき、抜けるような青空が、見渡す限りの地平線が視界の彼方に広がっていることがひどく衝撃的で、ざわざわと胸の奥をかき乱されるような気分に陥らざるを得なかった。何しろこの晴天だ。自分自身は背中の鶏冠も桜の花びらのような翼もおとなしく背中に収め、腹ばいで縮こまっていたが、脳裏に広がる光景は惰眠を貪った証とするには少々酷過ぎ、悪夢よ早く終われと念じる余裕もなかったのだ。それだけに、引き戻された現実の穏やかな風景は安易に信頼して受け入れられる代物たり得なかった。
混乱のさなか、ふと鼻先に、生命の反応を感じ取る。……そこには白いTシャツに膝下丈のズボンを履くボサ髪の少年が両足を投げ出し座っていた。真後ろで眠りこけていた竜の軽い異変をすぐに察したのか、くるり振り向いて軽く微笑む。円らな瞳に竜は魅入られた。
「ブレイカー、おはよう」
すっくと立ち上がった少年は竜の名前を呼ぶと両手を広げてみせる。比較対象がなくともその体躯が小柄なことがうかがい知れた。全身の筋肉は未熟で、足も決して長くない。……しかしながら鼻先だけで自分の身体以上もあるこの竜に対し、何ら動じる様子を見せない度量は体躯のハンデを補って余りある。
少年をまじまじと見つめた深紅の竜は、すぐさま鼻先を胸元に押し付けてきた。竜のキスは熱烈で、軽い唸り声が漏れ出てくる。少年はグイグイ押し込まれながらもしっかりと受け止めてやる。
「どうしたの? 怖い夢でも見たの?」
ひとしきり、すがるように続けるキスが、返事であった。
さてここは小高い丘の上だ。ふもとには草も生えぬ平原が広がっている。そこをよく観察していれば、車両を引きずるイモムシらしき物体が確認できるだろう。……あれも金属生命体ゾイドの一種だ。車両は、大抵は客車か、貨物車である。巨大な金属生命体ゾイドが跋扈する惑星Ziにおいては、列車や高速道路のようなインフラはなかなか発達しなかった。よって大規模な輸送もゾイドを頼りにする。
少年は左手首にはめた腕時計型の端末をちらりと見遣る。
「13時、臨時の便もなし……と。じゃあ、やろうか」
少年の声を受けた深紅の竜は、小気味よく鳴くと首をもたげ、胸を張ってみせた。胸元のハッチが開く。
ハッチの内側には暗がりが広がっている。何ら臆することなく少年が飛び込めば、室内は瞬く間に様々な計器類が明滅を開始していく。それと共に、まるでガラス玉の内側にでも入り込んだかのように、室内は前後上下左右・あらゆる方位を映し出すプラネタリウムのようなスクリーンに変貌を遂げた。
室内をぐるりと見渡せば、この全方位スクリーンの室内は少年が両腕を真横に広げられる程度の広さが十分に確保されていることがわかる。さて中央に鎮座する物々しい座席に少年が着席すると、ハーネスが彼の小さな身体を肩から覆いかぶさって固定する。呼応するように目前の、さきほどこの部屋に乗り込んできたハッチが締まり、座席の手もたれからぬっとレバーが伸びた。
少年はすぐにはレバーを握らない。険しい表情を浮かべた彼は、今一度、右手の人差指で額を撫でた。
奇妙なことが起きた。少年の額から、青白い紋様が浮かび上がったのだ。室内をまばゆく照らしたところで彼は深く息を吐き、ようやく感触を確かめるようにレバーを握る。
そのとき、全方位スクリーンの左方にウインドウが開いた。とはいっても映像は暗転したまま、音声を表す波線だけが映し出されている。
「ギル、ギル、聞こえて?」
凛とした女声の響き。
少年の表情からは浄化されるかのように険しさが消えた。
「あ、はい、エステル先生!」
「手合いがついたわ。急いで戻るから、メニューをこなしていてね」
誰も見ていないのに少年はコクリと頷く。それを合図にウインドウは閉じられた。
再び少年の表情に険しさが戻ったが、しかしながら、吉報を悟った喜びは隠し切れていない。
それを察したかのように真正面のスクリーンからノックが聞こえた。この奇妙なコクピットを胸に抱く深紅の竜が、若き主人の機嫌良さを察し、指でノックしてみせたのだ。
少年は苦笑しつつもレバーを握り直す。
「やろうか。ブレイカー、行くよ」
すっくと立ち上がった深紅の竜。パラパラと手足や腹についていた土や砂がこぼれる。前傾姿勢で地面と水平に、頭と尻尾をピンと伸ばす。
竜の全身には拘束具のような筒状の突起が各所に埋め込まれている。それらが唸りを上げ、車輪のように回転を始めた。突起から吹きこぼれる火花。それと共に背中の鶏冠六本が目一杯逆立つ。先端から蒼い炎が噴射され、勢いのままに竜は強く地を蹴った。雲が押し流されるように丘の頂上から斜面へと躍り出る。
地響きは丘のふもとまで轟いた。深紅の竜はスキーでもするように膝に力をためて斜面を滑り降りていく。削れる岩盤。雪の代わりに弾けるのは石ころの飛沫。かくてもうもうと立ちこめる砂埃を、紅い眼光と蒼い炎が斬り裂き、ふもとに辿り着けば一歩、また一歩と強く地面を蹴り込んでいく。そのたび、氷上を滑るように前進する竜の巨体。斜面を下るのがスキーの要領なら平地を駆けるのはスケートの要領だ。
荒々しく、そして華麗に。深紅の竜は機嫌良さげに甲高く鳴きながら、桜の花びらのような翼を左右目一杯に広げると不意に、跳躍。山なりに、自分の身長ほども高く跳ね上がると、勢いはそのまま両足から滑り込むように着地。すぐさま地面を蹴り込み大地を滑る。
竜が魅せる一連の動きは「演武」とも、また「演舞」とも形容できた。進むたび、回るたびに手や足の爪で空気を切り裂き大地を削る様は、武術の「型」を彷彿させる。事前に車両を引きずるイモムシが走り去るまで待っていたのは、この雄大な動きゆえに互いが干渉するのを避けたかったからだろう。
相棒が一挙動をこなすたび、胸部コクピット内に鎮座する少年の小さな体は大きく揺れる。だがとっくに慣れっこなのか、鼻歌も交えつつごくごく自然なレバー捌き。円らな瞳はカッと見開いたまま、そわそわしたり怖じ気付いたりすることなく目前の全方位スクリーンを確実に凝視、僅かな油断も伺えない。
縦横無尽に動き回る深紅の竜。いつの間にか平原を囲む向こう側の丘のふもとにまで急接近。そのとき、不意に土砂の壁が足元に湧き上がった。……竜は左足を軸に、右足を開いて弧を描く要領でブレーキをかけ、動きを止めたのだ。首をもたげると遠雷のような唸り声を立てながら丘の頂上付近をじっと睨みつける。
竜の胸部コクピット内の少年はそこまで感情の起伏を見せぬものの、笑顔は消え、苛立ちを我慢する眉間の皺がありありと伺えた。鼻歌などとっくに止めている。
彼が目前のコントロールパネルを撫でると全方位スクリーンの右下にはマイクのアイコンが点滅を始めた。次いで、アンテナのアイコンも。遠くにいる「先生」とやらに今の状況を伝えなければいけない。
「出てきて下さい! 対ゾイドライフルですか!?」
野太くはないが、若者特有の鋭い声だ。流石に変声期などとっくに過ぎている。
頂上付近から返事はない。
「じゃあ、良いですね! こっちから行きますよ!」
声を合図に、深紅の竜は努めて大げさに腰を落とした。跳躍して一気に頂上付近まで飛び上がるつもりだ。
竜のハッタリに観念したのか、岩陰から数名の、頭巾をかぶった者たちが姿を現した。いずれも物干し竿のような対ゾイドライフルを両手で握っている。……姿は表しても両手を上げて降参する気は更々ないようだ。そのうちの一人が一歩前に出て銃口を突きつける。
「てめえこそ来るなら来てみやがれ! 相棒の仇だ!」
えっ、と少年は素っ頓狂な声を上げた。そして深紅の竜はといえば驚きのあまり口がぽかんと半開きになる。
「しらばっくれんじゃあねぇぞ。
赤いの、うちのジョージを喰っただろう!」
「うちのも、だ。羽の生えた赤いゾイドが片っ端から喰っちまったって、調べはついているんだ」
深紅の竜は自分の胸元を見つめてしきりに首を左右に振った。濡れ衣だ、自分ではないとの懸命な訴えだ。……無論、こんな言いがかりを鵜呑みにするような主人ではない。よしよしと天井を見上げてなだめつつ、どうしてくれようかと再度全方位スクリーン越しに丘の頂上付近を睨んだそのとき、少年の視線をさえぎるようにウインドウが開いた。
ワイヤーフレームで描かれた鳥瞰図だ。丘のふもとの赤い光点が深紅の竜(とパイロットの少年)、頂上付近の白い光点数個が頭巾の者たち。……丘を超えた彼方から、急接近する別の白い光点が確認できる。
この速さ、ゾイドの脚力だ。軽快な足音とともに地響きが近付いているのを竜も少年も、頭巾の者たちも察知した。
「用心棒まで用意したんですか?」
「な、何だって!?」
「そんな金など……」
頭巾の者たちが反論しようとしたときには、既に深紅の竜は強く地を蹴り、跳躍を開始していた。地響きは一層激しく、頭巾の者たちは地べたにしがみついて振動を防がざるを得ない。
深紅の竜が目指すは丘の上。その向こうから、躍り出た者がいる。桜花の翼を真正面にかざし、突っ切る深紅の竜。
空中で、交差。
丘の向こうから躍り出て、そして勢い良く落下していく者の姿を深紅の竜は横目で睨みつけた。
全身白い鎧をまとった、獅子。たてがみが野に咲く花のように左右に広がっているのが印象的だ。深紅の竜より一回り小さいが、それを補って余りある敏捷な体捌き。眼を見張る少年。だがすぐに険しい表情に戻ると細かくレバーを刻む。
白い獅子はねじ込むように左の前足を振り抜く。うなる、鋼の爪。
深紅の竜はお見通しだったのか、僅かに胴体を捻り、くぐるように爪の一撃をかわす。
勢いのまま、丘の頂上まで到達した深紅の竜。この巨体が羽毛のように軽やかに、地響き一つ立てずに着地。そしてすぐさまきびすを返す。足元では自分を狙撃した頭巾の者たちがひっくり返ったり腰を抜かしたりと、逃げ出すこともできずもたついているが、安否以外は気にも留めず丘のふもとに視線を傾ける。
そこには降り立った白い獅子が、地響き震わすように吠え立てた。威嚇。負けじと深紅の竜も、切り裂くように吠え返す。
深紅の竜はひと睨み。それだけの挙動で全方位スクリーンにはウインドウが何枚も開き、突如現れた敵の特徴が様々に表示される。……少年はその一つ一つを相棒と同じように睨みつけ、即座に考えを巡らす。
武装。四肢の爪、鋭い牙。同系統のゾイドには、この手の鋭利な武器は何かしら備わっている。だがこれだけではない、臭い箇所があることは少年も瞬時に察した。
コクピットの配置。頭部にある「らしい」。曖昧な表現は、パイロットが不在か、遠隔操作か、またはそれ「以外」の可能性が考えられるからだ。……少年の表情は一層険しくなる。
その間にも、丘のふもとで土煙が上がった。白い獅子の助走。
丘を蹴り込む深紅の竜。地べたに這いつくばる頭巾の者たちは悲鳴を上げながらうずくまるしかない。
好機と見たか、白い獅子も地を蹴った。
自由落下と跳躍。両者の間合いが急激に詰まる最中、局面が動いた。
首を傾けた白い獅子。途端に背中より振り抜かれたそれは、長剣が三本。隠し武器の切っ先は、既に竜の目前。
深紅の竜はそんな獅子の目論見を喝破するかのように巨体を力ませる。背中の鶏冠が一斉に逆立ち、先端より蒼い炎が噴出。
自由落下は突如、激流の軌道に転じた。たやすく見切り、寸前で軽やかにかわす深紅の竜。
そして激流はそのまま地面に突き刺さった。深紅の竜は右足を軸に、左足で弧を描いて振り向く。削れる岩盤が噴水のように跳ね上がる中、竜はその向こうの光景を紅い瞳で冷徹に伺う。
跳躍の軌道は、放物線を描き既に地面に降り立っていた。白い獅子は軽快に地を駆けながら大きく弧を描いて振り向くと、急に駆けるのをやめ、仁王立ち。
先程振り抜いた長剣三本が、空気を震わす音を立ててしなった。目も眩む、稲妻。一発、また一発、竜の足元に突き刺さる。岩盤が砕け、そして爆ぜ。
地を蹴る深紅の竜。追いすがる稲妻を振りほどきながら地表を滑走。瞬く間に白い獅子の真正面にまで躍り出る。
白い獅子は竜の神出鬼没を目の当たりにして、息を呑んだかのようだ。狙った獲物の実力は己の想定を超えていた。急遽、長剣を折りたたんで疾駆に転じようとするが、その判断は遅すぎた。……左の前足を踏み込んだその時には、既に一足一刀の間合いにまで深紅の竜は近付いていたのだ。
右の、桜花の翼をひるがえす深紅の竜。風切る音と共に花びらが舞い、その下から二本の剣が展開。切っ先で連なり一本の大剣と化す。
と同時に胸部コクピットで操縦する少年は右のレバーを弓を引くように引き絞った。ひゅっ、と息を軽く吐きつつレバーを押し込む。
その呼吸、操作のままに、大剣は唸り声を上げた。三日月の軌道で白い獅子の前足に打ち込まれる。
鉄板をえぐるような鈍い音。
すぐさま大剣を引き戻し、水平に構え直す深紅の竜。
その目前で、白い獅子は反撃すべく前足をあげようとするが、踏ん張ることさえできない。そのまま竜の足元に、前のめりに崩れ落ちた。
深紅の竜は勝利の雄叫びを上げる気配もなかった。淡々と、目前で倒れ伏す白い獅子を凝視する。
胸部コクピット内で、主人たる少年もまた同様に全方位スクリーンに映り込む映像を見つめていた。……少年も相棒たる深紅の竜も、落ち着きとは裏腹に内心ではかなり焦り気味にある「観察」をしていたのだ。そしてその結果が開かれたウインドウを通じて明らかになったところで、少年は眉間に皺を寄せ、竜は低くうなる。
彼らは人の……パイロットの反応を探っていた。確認できず、それらしき影も見当たらない。代わりに発見した別の影を、少年はまじまじと見つめるよりほかない。
ウインドウに映る影は、勾玉のような形をしていた。……勾玉は、時折ピクピクと動いてみせる。少年も竜も、正体をすぐに確信した。誠に非常識な結論だが、彼らの間では十分にまかり通る、ある結論に達したのだ。
(テロリストの手によるものだ)
その勾玉のような物体を搭載することで多くのゾイドは尋常ならざる力を発揮し、また無謀な特攻も恐れることなくこなしてしまうため、裏の世界で今や盛んに流通している代物なのだ。その正体は……。
ところがその時、ふとけたたましく鳴り響いた警戒音が少年主従を現実に引き戻した。はるか後方より数発の熱反応。放物線を描いてこの場に降り注がれようとしている。
地を蹴り、跳ねて逃げる深紅の竜。背負いし鶏冠より蒼い炎が噴出、加速する。すんでのところで今も地べたにしがみついたままの頭巾の者たちが頂上付近にいる丘の中腹にまで逃げ込んだ。
熱反応は実に正確に、白い獅子を捉えた。その数と同じ爆発。心臓に響くような音が辺りにこだまする。
中腹にへばりつく深紅の竜。少年は肩で大きく息を吐くと、頂上の頭巾の者たちに険しい視線を向ける。
頭巾の者たちは震え上がっていた。地に手をついて上半身を持ち上げることさえできぬまま。
「お助け、お助け……!」
助命を懇願するものの、誰にすがっているかもわからない。
すると波線のみのウインドウが表示され、ノイズの砂嵐にかぶせるように、低く落ち着いた声が鳴り響いた。
「双方、分かれて、分かれて」
少年は眉をひそめたものの、ひとまず声の言うとおりにした。レバー捌きに応じて深紅の竜は丘のふもとに飛び降り、低く身を屈める。
稜線の彼方では土煙が高々と揺らいで蜃気楼さえかき消している。だが鋭い日差しは、土煙の中にうごめいている金属生命体ゾイドの群れを暴いていた。四本脚で歩を進めている連中が果たして竜なのかそれとも他の生物に似たゾイドなのかは判然としない。だが土煙の上方を裂いてみせる幾本もの銃砲だけは隠しようがなく、乱反射を余儀なくされていたのだ。
あの白い獅子を仕留めた砲撃は、方角から見てもこの一団によるだろうことは明らかだ。敵か、味方か。少年も竜も見極めんと睨みつける。
すると土煙を背景にして、軽快に駆けてくる白い物体が見える。二本の足で走る真っ白な、地球の生き物で例えるならダチョウによく似たゾイド・ロードスキッパーだ。その背中には民族自治区特有のゆったりとした衣装をまとった総髪の青年が騎乗している。旗のように総髪をなびかせ、青年は丘のふもと(すなわち竜と頭巾の男たちとの間だ)に割って入った。
丘の頂上で、ようやく顔を起こした頭巾の者の1人は、青年の姿を目にして再度の平服を余儀なくされた。
「『し、シルバルド様!?』」
一人の声を聞いた他の頭巾の者たちもまた一斉にひれ伏し、土下座した。
少年は呆気に取られたが、連中が口にした男の名前を耳にして納得もした。この民族自治区を統べる領主の名前だ。中々の名君であり野心家であることも報道を通じて知っているが……今、そこは問題ではない。
「領民諸君、その赤いゾイドの顎では噛み砕くことはできても丸呑みはできぬ。
無念だろうが友の敵ではない、早まるなかれ」
頭巾の者たちは二の句を告ぎたくても告げないようだ。決して納得はいってないが、それ以上にシルバルドと呼ばれた青年の威厳に従わざるを得ない様子である。
領主シルバルドは次いで深紅の竜の精悍な面構えを見て告げた。
「聞いての通りである。彼ら領民は飼っていたゾイドを他のゾイドに喰われてしまったのだ。
目撃情報から姿形の多少似たそちらのゾイドに目をつけたようだが、誤解は明らかだ。
しかし彼らはまだ発砲もしていないだろう? それなら私に免じて許してやってくれまいか」
領主シルバルドの訴える姿を少年はまじまじと見つめていた。……ぱっと見て、単純な悪党には見えない。しかし唐突に現れたこの男を果たしてどこまで信用して良いものか。
そんなとき、ふと深紅の竜が右手をちらりと見て軽く鳴いた。胸の裏側に広がる全方位スクリーンにも、対象がはっきり映し出されていた。それだけで、少年は少しホッとした気分になる。
年代物のビークルが、砂埃を上げながらやってくる。二人乗りの、小ぢんまりとしたものだ。後方には倍近くあるトレーラーを積んでいるが、重量に振り回されている様子など微塵も伺えない。……上部を覆うハッチはオープンの状態で、そこに着席するはずの者はコクピットに立ち乗りしながら現れた。
紺の背広を着ているが、すらりとしなやかな体つきから女性であることは明らかだ。肩にも届かぬ黒髪が風になびく。面長の端正な顔立ちなれども、ゴーグルを額に上げたところで眼光鋭い切れ長の蒼き瞳が露わになれば、深紅の竜も領民たちもはっと息を呑み静まり返る。その視線は別格だ。射抜くという表現がぴったりで、にわかに混迷の気配があったこの場の登場人物を立ちどころに沈黙させたのである。
「ギル、ブレイカー、退いて」
凛とした一声は、その名を呼ばれた少年と竜の決断を後押しした。竜は構えを解き、ビークルの側へそっと寄り添っていく。勿論、視線を外すような愚かな真似は決してせずに。
領主シルバルドはほっと胸を撫で下ろすと、騎乗していたロードスキッパーから飛び降りて深々と頭を垂れる。ただ、それも僅かな時間だ。きびすを返そうとした竜に対しすぐさま声をかけた。
「良かったら、名前を教えてくれないか」
ちらりと胸元を見遣った深紅の竜は何事か察すると四つん這いになってかしこまる。程なく胸元のハッチが開き、少年が姿を現した(※額に輝いていた紋様は予め消失させておいた。無闇に晒したくはなかったのだ)。
「ギルガメス、です」
領主はさぞかし驚いた様子でしばし目を見開いていた。
ハッチが閉じる。ビークルを両手に抱える深紅の竜。くるりきびすを返したところで、領主は今一度深々と頭を垂れて、地を蹴る竜を見送ったのである。
その傍ら、丘上でひれ伏していた頭巾の者たちが駆け下りてきた。領主の前に立つといずれも頭巾を脱ぎ捨て、汗一杯、無精髭の面構えをさらけ出す。面構えといいいずれも髭面で領主よりも年長者ばかりなのは明らかだが、彼らはそんなことは関係ないとばかりに頭を下げて許しを乞うた。
「申し訳ありません、シルバルド様」
領主は首を横に振った。
「家族同然のゾイドを失って、諸君らも無念であろう。私も冥福を祈るばかりだ。
しかし、もうすぐ収穫の季節だ。復讐の前に家族を養うことを考えなければならん」
そう告げると右手を伸ばし、遠く後方を指差した。
彼がやってきた土煙が着々と近付いていた。そこには数十匹ものゾイドの群れが確認できる。先程の深紅の竜同様に民家二軒分ほどもあるゾイドもいれば、馬のようにまたがれる程度のゾイドもいる。領主が騎乗していたものと同様の白いダチョウ・ロードスキッパー、人のような直立に近い姿勢で歩く巨人のようなゴーレム……他にも数多のゾイドが規則正しい行列を組んで駆けてくるのが見て取れた。
「支給するから役場まで私と一緒に来てくれたまえ。
犯人は自治政府が必ず見つけ出す。諸君らが無事に冬を越すことが、何よりも失ったゾイドへの手向けになるだろう」
領民たちは涙を流し、こぞって感謝の言葉を告げたのである。
やがて接近してきたゾイドの群れの中から白い鎧で身を固めた兵士たちがやってきて、領民たちに搭乗するよう促す。隊長格の者がシルバルドと敬礼を交わし、速やかに移動の準備が進められていた。全ては丸く収まったかに見える。
ところが領主シルバルドの方は、周囲の様子を伺うと左腕に巻いた腕時計型の端末を口元に寄せてささやく。
「我が領内ではどちらも大事なお客様だ。決して手合わせさせるなよ」
そう言ったきり、何事もなかったかのように群れに帯同したのである。