紅蓮と深紅の決闘   作:◆.X9.4WzziA

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【3】

 密閉され光源もない室内は、数秒おきに揺さぶられていた。

 ギルガメスの目前には低く薄暗い天井が広がっている。目覚めの気分は最悪一歩手前。すぐさま自分の枕元をまさぐり、腕時計型の端末を手繰り寄せる。……唯一の光源。時刻は五時を回ったところだ。しかしながら目覚ましが鳴る時刻ではない。今日はもっと遅く起床して良いはずなのに、呆気なく目が覚めてしまった。

 少年はちらりと右手を見遣る。自分を包む大きめのマットレスはそこまで広げられており、空の枕がもう一つ置かれたまま。恐る恐る枕をさすり、ぬくもりが失せていることを悟った少年はバツの悪そうな表情を浮かべて小さな身体を起こした。枕元には着替えもちゃんと用意してある。

 少年が起床した様子は熱反応の移動という形で、夜明けの荒野を滑るように駆ける深紅の竜ブレイカーの目にも確認できた。少年が眠っていたトレーラーは竜の両手に宝物のごとく収まっている。……程なくトレーラーのハッチが開き優しい主人が顔を覗かせると、竜はささやくように鳴いてみせ、右手を離し少年の小さな身体を受け止めた。

 そのままトレーラーの前方に右手を伸ばせば、ビークルのコクピットまではすぐだ。すくい上げた砂粒がこぼれるように、少年の小さな身体はビークルの左側の席に落とされた。一見乱暴な動きながら少年もよく心得ており、すんなり座席に着地する。

 右隣には想像通り、女教師エステルが右手で頬杖しながら着席していた。紺の背広に着替えており、落ち着いた佇まいからは隙など一切伺えない。しかし彼女も人の子だ。少年が座ると横目で微笑んだ。

「おはよう。まだ寝ていても良かったのよ?」

 眼差しを受け止めた少年は首を横に振った。

 女教師はかたわらの水筒を取り出し、蓋のコップに注ぐとそっと少年に手渡す。コーヒーの苦く濃厚な香りが辺りに漂い、すぐ風に流されていく。少年はすする前にひとしきり湯気と香りを楽しんだ。

 昨晩、危うく自分の五体が原子まで分解されかかったのだ。そんなことがあって寝付けるような強心臓は持ち合わせていない。それでも心身の疲労には抗えずうたた寝するに至ったが、所詮はうたた寝だった。一人闇の中であがくよりは、愛する者たちが視界に入っている今のほうがはるかに安心だ。

 トレーラーを抱えた深紅の竜は黙々と駆けていく。眩しい朝陽が大地を焦がしにかかるまで時間の問題だ。

 

 所謂ゾイドバトルの試合場というものは、「最後の大戦」で盛大に爆発されてクレーター状と化した地形を再利用しているケースが非常に多い。今日、少年一行が乗り込む場所もその一種だ。クレーターの縁は防弾ガラスの埋め込まれた防護壁で覆われており、内部には簡素なベンチが数十段に渡って設置されている。一方ゾイドの入場口はクレーターの直径の両端に設置されており、そこに向かう通路は花道となる(※道とは言うが、深紅の竜が横に二匹分並んだ程度の幅はある。地球の文明で例えるなら高速道路並みに広い)。花道のすぐそばには試合に参加するゾイドが多数、待機するため金網などで細かく区分けされているのが普通だ。

 さて深紅の竜も用意された一角で腹ばっていた。傍らにはトレーラーのみが停まっている。左右の金網を隔てた向こうには竜が見たこともないゾイドが似たように腹ばっている。

 既に竜を取り囲む金網の向こうでは結構な数の人だかりができており、我らが魔装竜ジェノブレイカーの知名度が伺えた。もっとも当の竜自身は「知ったことか」と無視を決め込んでいたのだが。

 そんな状態ではあるが、突如として花道の向こうから駆けてくる青い竜の姿が目に止まった時は心持ち、首を傾けて見つめてはいたのだ。人をも包んでしまう己の掌よりはちょっと大きいくらいの体躯の持ち主。身にまとう装甲は鮮やかに透き通っている。バトルローバーだ。背の鞍(くら)にまたがる主人は、紺色のヘリック共和国・軍警察の制服・制帽を身にまとっている。

 深紅の竜はバトルローバーが駆け抜けるまでじっと見つめていた。気になることがあったからだ。恐らくは一民族自治区に過ぎないこの地域を統括する軍警察の関係者だろうが、やけに急いでいる様子だ。

 

 青い竜の向かう先に鋼鉄の門がそびえ立つ。

 その脇に人の倍ほどは高い通用口が開かれており、鋼鉄の鎧をまとった兵士たちが誘導灯を振って手招きしている。青い竜は減速しつつ速やかに入り込んだ。

 通用口を抜けるまでもなかった。そこには十数名もの兵士や、職員らしき制服の人物が集まっていた。

 青い竜は激しく興奮しているようだ。しかし鞍に乗った人物は落ち着いた口調でなだめすかし、傍目にはごく自然に彼らの輪の中で停止した。

 鞍から降り立ったのは穏やかな顔立ちの若者。優男と言っても良いくらいだ。……立ち居振る舞いも、ゾイドの操縦技術もこ落ち着いている。本来ならば只ならぬ雰囲気が漂っていても良さそうものなのに、余りにも自然体に過ぎることから、彼の第一声は淀みないが少々とぼけているようにも聞こえた。

「伝令……って、言わなくても大丈夫ですよね?」

 兵士や職員らは苦笑いを浮かべながら頷いた。

「アリルさん、庁舎からの通信も確認済みです。これから入場門を開いてお客様を招き入れます」

「よろしくお願いします。発表、それに誘導の手配は?」

「まず、私が、行く」

 輪の外側から声が響いた。この声も思いのほか若々しいが、身なりから発する異様な雰囲気にその場にいた者たちはハッと息を呑んだ。……黒ずくめに黒覆面の男が、一人。

「諸君だけでは客も到底、納得しない。少し時間を頂く」

 その場にいる者たちは皆一斉にヘルメットや制帽を取り、頭を垂れた。もっとも、その下で浮かべる表情は様々だ。……勿論、黒覆面の内側も。

 

 ギルガメスが二度寝から目覚めたのはそんなときのことだ。

 彼は結局、トレーラーの中で横になっていた。昨晩広げた枕やマットレスをそのまま使っている。防音処理のしっかり施されたトレーラー内なのに、何故かは知らぬが喧騒が響いたように感じ、何とも不機嫌そうだ。

「試合、中止になるでしょうね。無理する必要はないわ」

 二度寝したのは、そう女教師エステルに告げられていたからだ。試合場に出向いたのは契約の都合があるからに過ぎない。昨晩、近場であんな出来事があったというのに興行を行なうのは馬鹿げていると彼女は言った。試合場に到着すると少年をトレーラーに戻し、ビークルを駆って一人で運営サイドに確認しに向かったのである。

 不意に、腹ばっていた深紅の竜が首をもたげた。トレーラーのハッチが開く。気だるそうに出てきた少年が伸びをしたところで、竜はすぐさま鼻先を寄せてきた。

 この時点で喧騒に怒号も混じっていた。

「ギルガメスだ!」

「寝起きだぞ、やる気あるのか!?」

 少年は繊細だが今はただの雑音にしか聞こえない。そんなものは無視して竜にキスを返してやる。

 ところが竜は、挨拶も程々に首をもたげると、代わりに右手の内側の指を伸ばしてきた。ひんやりした冷たい感触で少年の頬をなでたりボサボサの黒髪を梳かしつけたりしている。

 どうしたのだろうかと少年はつぶらな瞳を向ける。

 竜が甘える場合はひたすらキスを続け、キャッチボールなどしてじゃれ合い、飽き足らぬ時は自分のコクピットに乗せてしまう(食事以外で、これ以上の主人へのおねだりはあるまい)。しかし今の竜は、主人の体調を気遣うような仕草をしつつ、何かを訴えかけるような眼差しを投げかけている。

 何度も指でいじられるうちに、少年はもしかしたらと思い浮かぶことがあった。

(なんだろう、言い辛いのかな?)

 ゾイドがしゃべることはないが、自分が目にした映像をスクリーン越しに見せるなどして訴えることはできる。そうするために無理矢理コクピットに放り込むことだってできるはずだが、それをやらない以上、何らかの理由でためらっているのかも知れない。

 だから声をかけようと、少年がそう思ったときのことだ。

 金網、群衆を隔ててその向こうにある花道の、荒野へ伸びる方だ。突如として地響きが高鳴り土煙が上がった。群衆も少年も、深紅の竜や他のゾイドも一斉にその方角を睨む。

 向こうから駆けてきたのは全身漆黒の二足竜。ブレイカーと同様のT字バランスを維持しているが、体格は一回り小さい。特筆すべきはまずその面構え。兜をかぶったような風貌の下には人の眼球のようにギロリと動く赤い目玉が埋め込まれており、左右の目が個別に動いて周囲に睨みを利かしている。そしてその背中には銀色の、翼とも刀ともつかぬ長尺の得物が折り畳まれている。この地域では「ギルラプター」と呼ばれていることを、少年は後に知った。

 さてこの漆黒の翼刀竜が姿を現しただけでワッと歓声が上がったのだ。

「グラベル卿だぞ!」

 恐らくはパイロットの名で呼ばれた翼刀竜のすぐあとには、イモムシの一隊が縦列で進んでいる。そのいずれもが台車を引きずっており、その上にはきっと数時間前までは勇猛なゾイドとして名を馳せたであろう残骸や、まだ残骸に至らないものの酷いダメージを追った金属の竜やら獣やらが積まれている。……翼刀竜は花道の途中、最も群衆が金網付近に集まっている辺り(つまり少年一行の目の前だ!)で脇に逸れ、イモムシの一隊をやり過ごす。

 イモムシの一隊は試合場を目指していた。既にその事実に群衆の一部は気付き、大きな溜め息をついている。

 程なく一隊が抜けきったところで、翼刀竜の兜のような頭部装甲が持ち上がった。中からすっくと立ち上がったのは黒ずくめの、覆面の男。

 群衆が誰ともなく叫び始める。

「グラベル卿! グラベル卿!」

 それがすぐ目の前で起きたのだから少年はたまらない。目覚めたはずの少年を頭痛のような不快感が襲う。

 その名を呼ばれた覆面の男はマイクを握って喋り始めた。

「シルバルド公に代わって領民、そしてゾイドバトル関係者にお伝えしたい。

 既に報道にある通り、昨晩、複数のゾイドバトルチームが襲撃された。確認できただけでも十匹を越えるゾイドがゾイドコアをえぐられたのだ。付近は正体不明のゾイドによって未曾有の危機に晒されている。

 よってここに! 領主の名において、興行の中止を宣言する」

 ああ、やっぱりそうか。少年は深い溜め息を吐きつつも、安堵はしていた。心身ともにベストには程遠いから、流れて良かった。

 一方の群衆は溜め息や怒号がぶつかり合い軽いパニックに近い状態に陥っている。

 覆面の男はそんな状況になることを事前に察知していたかのように辺りを見渡す。

「試合場は襲撃されたゾイドを収容する。数分もすれば非常事態宣言が下されよう。

 しかぁし! シルバルド公は皆も知っての通りお優しい方だ。折角興行を観戦しに来訪してくれた諸君らのために、ささやかながらエキジビションを行なうよう、私にご命令を下されたのだ。

 即ち! 1PM(ワンピーエム)だ!」

 彼の一言に、不穏な雰囲気の群衆からは期待感に満ち溢れる歓声が上がった。

 1PMとはつまり「ワン・パンチ・マッチ」を意味する。二体のゾイドを鼻先スレスレまで接近させ、合図と共に攻撃しあうのだ。超近距離だから各ゾイドの攻撃は、当然ながら手や前足などによる打撃に絞り込まれることになるだろう。下手をすれば、たったのパンチ一回で決着する……!

 まさかと思ったのは少年の方だ。何故彼らのすぐそばで演説を打っているのか。

 そんな少年の心情を、覆面の男は見透かしたかのように鋭い眼光を飛ばす。

「エキジビションは、私たちと……彼らだ」

 覆面の男が伸ばした人差し指の向こうには、事態の急転により呆気に取られている深紅の竜ブレイカーとその主人ギルガメスの姿があった。

 眠気が吹っ飛んだ……なんて生易しいものではない。少年は思わぬ挑戦者に目を剥いた。

 勝手なことを言うな、こちらは事前に何も聞いていない、僕一人で決められる話しじゃあない……。様々な感情と理屈が少年の脳内を交差する。とにかく、とにかく反論しなければ。

「……!」

 うるさい、と少年は叫んだつもりだ。だが一個人の自然な抗議など、群衆の前には無意味だ。

「『グラベル! グラベル! グラベル! グラベル!』」

「『シルバルド様万歳!』」

「『さっさと出てこい、クソガキ! ザリガニ野郎!』」

 少年主従を取り囲む金網の向こうで、沢山の人だかりが叫び、はしゃいでいる。一方は金網の先に伸びている花道に向けて彼らの英雄らしき黒覆面の男とその相棒たる漆黒の翼刀竜に惜しみない声援を送り、もう一方は金網にへばりついたりよじ登ったりして、彼らの英雄の手で敗れ去るに違いない哀れな獣とその主人に容赦ない罵声を浴びせている。人の波が泡立つような、その異様。

 怒鳴るべき相手は、睨み付けるべき相手は……標的を定めようがないことに少年は気付き、声を失った。

 案ずるかのように深紅の竜が彼の頭上に鼻先を寄せ、囁くように鳴いてみせる。

 今の少年には鳴き声だけで竜の気持ちが大体分かる。大丈夫だ、共に戦おうと、そう話しかけているのだ。それが本当に申し訳ない。

 実のところ、深紅の竜が一声吠え立てればこんな群衆、黙らせることは簡単だ。しかしゾイドの雄叫びはそれ自体が立派な武器であり、通常は封印プログラムにより使用を禁じられている(このゾイドは封印されたことを偽装しているが、この場では同じことだ)。……彼らの前には為す術がないのだ。

(ブレイカー、エステル先生、ごめんなさい)

 少年は愛する女性への懺悔を思い、唇を噛んだ。

 

 その頃、女教師エステルは試合場の付近にある興行主催者の詰め所まで向かい、要件をさっさと済ませたところだ。興行は中止。いずれ非常事態宣言が発表されることまで確認した彼女はさっさと少年主従の居場所まで戻るために、ビークルを駆る。花道の上を三階建ての建物分くらいの高さまで浮かび、軽快だが通常よりは遥かに低速で飛んでいく。花道の左右を迂回し高速で飛行する方が懸命そうだが、試合に参加する他のゾイドの頭上を飛び越すことになる得るため控えるしかあるまい(状況次第で挑発と受け取られ、地域によっては取り締まりの対象となる)。

 途中、彼方からイモムシの一隊がゾイドの残骸が沢山乗った台車を引きずって現れた。女教師はビークルの高度を上げて道を譲ってやる。

 花道の向こうで異様な歓声が上がったのはその時のことだ。

 女教師は掛けていたサングラスを外して斬りつけるような眼差しを彼方に浴びせる。

 タイミングを合わせたかのように、彼方で跳躍する深紅の竜の姿が見えた。

 

 ふわりと……ゾイドとしては驚くほど静かに、深紅の竜ブレイカーは金網を飛び越え花道の真ん中に着地した。全く地響きがしないわけではないが、傍目にも埃など殆ど舞わない。

 その、竜の胸部コクピット内では全方位スクリーンが辺りを映し出している。中央座席のハーネスも降りて、着席する少年の前進をしっかり固定する。

「ごめんブレイカー、本当に、ごめん。早く、早く終わらせよう」

 深紅の竜は案ずるなとばかりに胸元で小気味よく鳴いて応える。

 少年は額に右手をかざし何事かを念じると、額には青白く輝く刻印が浮かび上がった。

 この得体の知れぬ刻印が浮かぶからこそ、深紅の竜は少年に自らの命を託すのだ。これから竜の体感するいかなる出来事も、少年は同時に体感する。所謂「シンクロ」という奴だ。相棒が傷付けば少年の身体にも反映される。そのかわり、竜は一切の枷(かせ)が解かれ、文字通り鬼神の如き活躍をするはずである。刻印を巡る経緯については拙著「魔装竜外伝」に譲るとして……。

 すり足で、深紅の竜は花道をにじり寄る。砂粒が弾けるだけで、花道の縁に追いやられた人だかりはいちいちどよめく。

 同じように、漆黒の翼刀竜もこちらに近付いてくる。

 ぐっと腰を落とす深紅の竜。T字バランスの姿勢では首をピンと前方に伸ばせば、相手も鏡に映るように首を伸ばす。……両者の鼻先が大柄の人一人分の身長程度まで接近したところで、二匹は硬直した。

 それが合図とばかりに二匹の竜が、唸り声を上げる。全身に埋め込まれた円筒状の突起が高速で回転を始め、火花が吹きこぼれ出した。近場の人だかりが知っていたとばかりに新聞やら傘やら広げ、それを防ぐのまでお約束の光景だ。

 一気に最高潮に達したどよめきこそが、試合開始の合図だ。

 少年は全方位スクリーンを通じてずっと相手を睨みつけながら、手立てを探っていた。……結局は、両腕いずれかの一撃を決めるより他あるまい。背中に背負った桜花の翼の内側に仕込んだ大剣など、使うチャンスはない。爪先も、尻尾も、頭突きも、他にも数多ある一撃必殺の技や武器も、この間合いでは使えない。つくづく、損なルールだ。

(これしか、ない)

 少年は右のレバーに力を込める。

 一方、深紅の竜に比べれば遥かに狭苦しい漆黒の翼刀竜の頭部コクピット内では黒覆面の男グラベルがほくそ笑んでいた。程なく、彼の被る覆面の隙間から、何やら怪しげな輝きが漏れ出した。勿論、それに気付く者など誰もいない。力まずに両サイドのレバーに手の平をかぶせる。

 やがて二匹の竜の間に訪れる、静寂。群衆の声援も痛罵も高まる一方だが、戦う両者の間には何らの意味もない。

 どん、と先に地を蹴ったのは深紅の竜。垂直に上がる土煙。三本の爪を目一杯開いた右腕が、地を這い、跳ね上がるような角度で解き放たれる。狙うは漆黒の翼刀竜の左、脇腹……!

 胸部コクピット内の少年はまるで正拳突きを決めたかのように、右手のレバーを押し込んでいる。

(いける!)

 確信した。今の少年には一秒何十分の1フレームという単位で相手の動きが見えている(それくらいの芸当は刻印の力に頼らずともゾイド乗りなら誰でもできる)。……相手がこれっぽっちも動けないのを、少年はつぶらな瞳で確かに見切った。

 吠えた少年。応えるように深紅の竜が繰り出す三本の爪が、左脇腹に届かんとしたその時。

 低く屈んだまま、一歩すり寄った漆黒の翼刀竜。今まで何の飾りかもわからぬその背中が、太陽の輝きを浴びて乱反射した。……翼のような刀が、バネ仕掛けのおもちゃのように前方に開き、そして閉じる。

 辺りには教会の鐘を叩き割るような音が鳴り響いた。

 火花も、土埃も、そして先程の轟音も、生身の群衆には一瞬怯まずにはいられないアクシデントだ。だからそれ故に、それを乗り越え今再びかっと見開いた眼前の様子に声を失わざるを得ない。

 漆黒の翼刀竜の左脇腹に、深紅の竜の右腕が吸い込まれていた。翼刀竜が背負った刀のような翼は洗濯バサミのように深紅の竜の右腕をはさみ、関節を決めるかのように締め上げている。

 群衆の「グラベル」コールがヒートアップ。おそらくはここにいる殆どの者が期待したであろう光景がそこには展開されているのだ。

 一方、深紅の竜の若き主人は苦悶の表情を浮かべている。シンクロの副作用は乗り手である少年の右腕を痛めつけていた。

 反対に翼刀竜の主人はほくそ笑んだままようやく両肩を怒らせた。

 漆黒の鎧に火花が彩られる。翼刀竜は全身の力を込めて、上体を高々と上げる。

 既に状況がエキジビションの域を超えているのは明らかだ。群衆の誰もが、魔装竜ジェノブレイカーと恐れられた深紅の竜が地面に叩きつけられる瞬間を、固唾を飲んで見守っている。

 だがこの時、あることに気がついた群衆は失望の溜め息を漏らしたのだ。……地面と垂直に持ち上げられた深紅の竜は、背負いし六本の鶏冠を逆立て、桜花の翼を目一杯広げた。鶏冠の先端から蒼い炎が噴射される。

 胸部コクピット内で若き主人が息を切らしながらも懸命かつ慎重に、レバーを捌き様々なボタンを叩く。深紅の竜は空中で見事にバランスを取り、反発することで叩きつけられるのを阻止したのだ。

 翼刀竜の翼が、畳まれる。枷を外された深紅の竜は空中で一回転してその場に着地した。

 すぐさまハッチが開き、黒覆面の男が姿を現す。素顔を隠していても唯一見える両目が不気味な笑顔を浮かべているのがよくわかる。

「見事だな、ギルガメス。この勝負、引き分けだ」

 少年の方はといえば、相棒の胸部コクピットハッチが開かれる気配が一向にない。深紅の竜自身は努めて無表情に……その実、顎を真一文字に噛み締めたまま、この思わぬ強敵をずっと睨み付けている。

 ようやく開かれたハッチ。深紅の竜は相手を睨み付けたままそっとダメージを受けた右腕を胸元に寄せて弾除け代わりとする。

 睨み付ける様子は中から現れた少年も同様だ。右腕に力はないが、これならコクピット内にこもっていさえすれば自然治癒される(そういう作りだ)。だがそんな外傷より、様々な感情が先に立つ。

 

 さて当事者のドラマとは裏腹に群衆の満足感がピークを迎えていたそのとき、ずっと向こうで起きた出来事は、彼らのそんな気持ちを一瞬で吹き飛ばした。

 不意の、地鳴り。はるか遠くから聞こえてくるそれは、瞬く間にこの花道辺りにまで響き始めた。地面の震えはとっくに二、三十秒を超えてしまった。

 つい先ほど狂的なまでに浮かれていた群衆は、今度は一斉に悲鳴を上げ始める。

 姿を現していたままの黒覆面の男はすかさず彼らに呼びかけた。

「試合場に避難するのだ! 花道は人が優先だ、ゾイドは迂回しろ」

 理路整然とはいかないが、それでも黒覆面の男グラベルの呼びかけには多くが素直に応じた。ひしめき合いながらも彼らは花道を頼りに試合場を目指す。その両脇、金網エリアのその先では二足・四足、様々なゾイドが歩き始め、たちまち地響きと土埃を立てる。

 すぐさま相棒の頭部コクピット内に入ろうとしたグラベルは、今一度少年主従をちらりと見遣った。そして、眼球がうごめく。その先に人もゾイドも居ないはずだが、果たして。

「再戦を楽しみにしているぞ」

 漆黒の翼刀竜はきびすを返し、花道を進む群衆の殿(しんがり)を務める。

 このゾイドの頭上を年代物のビークルが駆け抜けた。すぐさま深紅の竜の目前にまで到着。浮遊したままの状態でハッチがせり上がると女教師エステルが身を乗り出した。

「ギル、ブレイカー、大丈夫!?」

 首をもたげた深紅の竜は気丈に軽く鳴いてみせる。

 ところがその胸部ハッチ前で立ち尽くす少年は、彼女の姿を目の当たりにした途端、くしゃくしゃになりポロポロと涙をこぼし始めた。

 声にもならない謝罪の言葉を繰り返す愛弟子の姿に、さしもの女教師も狼狽えた。……もう彼のことは相当わかっているつもりだ。きっと何か理不尽な戦いをする羽目になって、負けたのだ。だが問題はその経緯だ。

 そんな時、ビークルのコントロールパネルはとある警報を鳴らして彼らに訴えた。

「とにかく退きましょう。

 向こうから、馬鹿でかいゾイドコア反応が来るわ」

 深紅の竜は首をちらり傾け、察知した様子だ。

 一方少年の方は立ち尽くしたまま、唇を噛みしめるとコクピットの中に引きこもる。

 その間にもビークルはトレーラーを回収。深紅の竜はガッチリとビークルを掴むと、このゾイドとしては極めて穏やかな方法で試合場を目指した。……歩き始めたのだ。地面を滑走することも短距離なら飛ぶこともできるゾイドだが、優れた能力を見せてしまうことが結局は事件に巻き込まれる可能性を増やしてしまいかねない。だから深紅の竜ブレイカーは、敢えて歩いた。

 その判断は少年によるものではなかった。彼はうなだれ、まだ痛む右手で目元をこすっていた。……そんなとき、全方位スクリーンが後方に矢印を指し示す。

 少年は思わず振り向いた。

 スクリーンの彼方には、昨晩も目にした一条の光が天に向かって投擲されていた。その時に比べて、はるかに太い。

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