試合場へと続く花道の左右には、各所に鉄柱が建てられ、スピーカーが取り付けられている。それらが一斉にサイレンを鳴らし、避難を促す放送を始めた。その中を、残骸かどうかもわからぬゾイド群を乗せた台車と、それらを引きずるイモムシたちが急に加速を始めて突っ切っていく。
「急げ! 急げ!」
「つかまられても振り切れ!」
口々に、イモムシたちのパイロットが叫ぶ。花道の左右に散らばるギャラリーたちがゾイドや台車にしがみつくのは目に見えていた。一人乗られてしまえば、それに乗じて百人ほどしがみついてくるだろう。それだけで大混乱になり、渋滞も発生して沢山逃げ遅れるのは明らかだ。
先行するイモムシたちよりかなり遅れて、人の波がワッと押し寄せてくる。ギャラリーたちだ。勿論そんなに民度は高くないから、誘導を担当するゴーレム(人の倍以上ある一つ目巨人のようなゾイドだ)にしがみついた挙げ句、彼らもろとも崩れてしまう輩も出てきたりしている。
そしてその遥か後方、進んでは停まってを繰り返し殿(しんがり)を務めるのが先程大暴れした漆黒の翼刀竜ギルラプターと数匹のゴーレムの群れだ。翼刀竜にしがみつこうとする愚か者はいない。パニック一歩手前の群衆も、たった一人のカリスマがいただけで奇妙なくらいおとなしく、従順となる。それが今の状態で、ギャラリーは誰に指示されるまでもなく、自然に翼刀竜の先を進み、試合場を目指していった。
彼らを誘導していたゴーレムたちが翼刀竜の足元にまで近づくと、いずれも上半身ががま口のように開き、中から現れた鋼鉄の鎧をまとう兵士が声を掛ける。
「グラベル卿、ご協力感謝します」
声をかけられた黒覆面の男グラベルは、通信を介して「案ずるな」「諸君らもご苦労」と他者に応えてはいる。だがその視線は、モニターの遥か向こうに映る、この混乱の元が生じた方角をジロジロと見渡している。
ところでその頃、試合に参加する予定だったゾイドたちはどうなったか。
花道を行くのは当然不可能だから、沢山のゾイドがその外側を迂回することになる。しかし辺りは幾重にも二階建ての建物ほども高い金網で仕切られている。……有事でなければ金網になど触れることなくスレスレで迂回できるのだろうが、このように想定外の状況だとそんな正確さなどまるっきり発揮できず、かくて竜やら獅子やら狼やらが慌てふためきながら試合場目指して移動するに連れてドミノのように倒れ、ひしゃげる始末。当然ながら渋滞も発生し、それを飛び越えようと試みるゾイドも現れる。こちらは既にギャラリー以上のパニックが巻き起こっていた。
そんな最中、突如、空が裂けた。
いやその正体は、先程も空高く解き放たれたあの光の槍。混乱の元は、これで二発目だ。空気を切り裂くような音とともに阿鼻叫喚の上空を通過し、一層の混乱に陥れる。
……こんな中にあって、何故か動揺する様子が一切感じられない者が一人いた。グラベルだ。彼だけは、モニター越しに光の槍の軌跡をじっと見つめると、そのすぐ真下へと視線を移す。
土埃が立ちこめ、金網が瓦礫のように倒されているその方角は、既にギャラリーも試合に参加する予定のゾイドも逃げ出したはずである。しかしその彼方をよく目を凝らしてみれば、あの深紅の竜ブレイカーがぐっと腰を落としつつ、虚空を睨み付けているのが見て取れる。
その胸部コクピット内。全方位スクリーン上には二枚のウインドウが開かれ、二発の光の槍を拡大して映し出していた。鳴り響く警告音。それと共に外周を映し出していたスクリーン全体に、突如として極彩色のうねりが走る。
その有様に、目元を赤く腫らしていた少年ギルガメスは我に返った。……このうねりが走りうごめく時、相棒は深く思い悩んでいる。二発の光の槍が原因なのは明らかではないか。
(何やってるんだギルガメス! もっと大変なことが起きているんだぞ)
そう自身に言い聞かせ、いっときの悔し涙は唾と共に飲み込んだ。全方位スクリーン目掛けて呼びかける。
「ブレイカー、どうしたの? 何か……何か、気付いたことがあるの?」
虚空を睨んでいた竜の首が、我に返った様子で胸元に視線を移し、胸部コクピットハッチと、両腕に抱えたビークルをじっと見つめる。
それと共に、全方位スクリーン内部にはいくつものウインドウが開かれた。余りにも点数が多く、外周の状況など完全に塞がれている。
少年はまず真正面に映し出された拡大写真を凝視した、真っ暗闇に照らされる輪郭は仄かに赤い。そして、輪郭の中に浮かぶ真っ赤な二つの目。タイムスタンプは昨晩、0時頃。
(夜中の「あれ」を撃ってきた奴と同じだ!)
だがその後に続くウインドウが表示する内容に、ギルガメスは耐え難い気持ち悪さを感じた。映像のいずれにも堆く積み上げられた死体の山が幾つも確認できる。それらはくっきりと映り過ぎて生理的に受け付けない。
吐き気を催しそうになりながらも、少年は相棒が訴える映像や画像を、足早にだが一つ一つ目を通していく。そこにはいずれも真っ黒いガラクタのような竜の姿が確認できた。そいつの目も、赤い。……タイムスタンプに少年は声を失った。
(千年と、あと何年前だ?)
他のウインドウでは今まさに崩れ落ちるガラクタ竜の姿が映し出されていた。ゾイドが過去を忘れることは原則、無い。だから例えば大昔に殺した相手のことも、昨日のことのように変わらず覚えているものだ(……そしてそれが相手も同じとまでは、さしもの少年も気付いていない)。
沢山のウインドウの中に、別のウインドウが割り込んできた。女教師エステルの眼光は厳しいが、愛弟子が平静を取り戻したかに見えたため、心持ち表情を緩ませた。
「ギル、ギル、聞こえて? まずは左に寄って。
真後ろに試合場とか、話しにならないわ。ブレイカーも、わかるわね?」
深紅の竜は両手で抱えるビークルの上で甲高く鳴いてみせる。光の槍・荷電粒子砲は竜目掛けて放たれていると見て間違いあるまい。こんな代物を解き放つ相手とこの場で対峙しては、どれほどの巻き添えが発生するかもわからないのだ。
長い尻尾を揺らめかせつつ、竜は爪先立ちで左方に向いた。瞬間、地面がひび割れ土が爆ぜた。六本の鶏冠を逆立て先端より蒼い炎を吐き出しつつ、疾走の開始。倒れ伏していた金網が踏みつけられてぐにゃりと曲がり、紙切れのように吹き飛ばされる。
迷いを捨てたかのように、全方位スクリーンを埋め尽くしていたウインドウは雲散霧消していった。土埃と荒野が高速で流れ行く外界の様子を睨みつつも、少年は相棒の心情を案じずにはおれない。……シンクロの効果で、少年の胸にもひしひしと伝わってくる。痛むのだ。魔装竜ジェノブレイカーと恐れられたこの深紅の竜が、泣きたい気持ちを懸命にこらえているから。
でも、そこまで苦しむ理由は何なのか。
(いや待て、それも絶対大事だけど、今は先へ……先へ、進もう)
少年は、上半身を押さえつけるハーネスを押し返すように前傾となる。
応えるように深紅の竜も前のめりで加速した。鶏冠を、翼を、目一杯広げ、氷上を滑るように。
こうして蒼い炎が描く軌跡を、はるか後方でじっと見つめていたのが漆黒の翼刀竜だ。搭乗する黒覆面の男グラベルは薄気味悪いくらいに目を細めている。
土埃を断ち切るように地を蹴る深紅の竜。躍動の姿とは裏腹に、主人の気持ちは揺れ動いて吹き飛んでしまいそうなところを懸命にこらえていた。
「先生の方にも映像、行ってます?」
恐る恐る、少年は尋ねてみた。さっき相棒が見せてくれた過去の映像が、ビークル側にも転送されているのか確認したかったのだ。
ウインドウの向こうに映る女教師の美貌はわずかな歪みも伺えない。……無表情とも言える。
「……ええ。どうやら相手は、大昔に私とブレイカーが戦った相手みたいね」
そして、素っ気ないとも。
少年は返答に窮した。この反応自体はやはりそうだったのかと言いたいところだが、彼女の口振りに踏み込めない隔たりを突きつけられたように彼は感じた。女教師エステルの本意に関係なく記憶の片隅に無造作に追いやられてしまっていたのは間違いあるまい。しかし彼女はそのことをどうとも思っていないように聞こえる。
少年の困った様子を察してか、女教師は自嘲気味の微笑みを浮かべるものの、すぐにそんな態度を恥じるように俯いた。
「ごめんね……」
彼女は何かを喋りかけた。だがそんな余裕は与えられない。
土埃の密度が急激に高まっていき、それが突風に流され深紅の竜を押し戻す。辺りは超低速の砂嵐が発生しているとでも言えようか。大蛇のように砂煙がうねり、石を、岩を綿埃のように吹き流す。時折青蛇が絡みつくように放電するさまは台風の中に飛び込んだのかと錯覚させる。
かくて砂嵐が、一気に押し流された。深紅の竜は右に左に、木の葉が流されるように砂嵐から逃れていく。強がってマグネッサーシステムを頼りに踏ん張るのも、地面にへばりつくのもこの先に待ち受ける苦難を思えば只の消耗と判断したのだ。
風圧が弱まり、立ちこめる土埃にも雲間が見える。
深紅の竜はようやく地面に両足の爪先をそっと、降ろした。その巨体はホバリングの状態にある。実際、辺りの地面は竜の五体が軽く揺さぶられるほどの地響きが発生している。安易に地に足をつけることすら今は危険だ。
真正面の、土埃の濃度が一際濃い辺り。そこを深紅の竜はじっと睨む。……その真下には、亀裂。
不意に亀裂から、幾つもの岩が吐き出された。桜花の翼を翻す深紅の竜。岩を弾き、砕いて跳ね返すと、両手のビークルを抱きかかえるようにしつつ、亀裂の方に視線を釘付けにする。
岩の投擲と共に、亀裂は更に何条にも枝分かれ。浮き上がる岩盤。
やがてぬっと、亀裂から姿を表したのは漆黒で彩られた「顎」。まずは下顎のみを深紅の竜の方角に見せつけ、その上で頭蓋ごと振り下ろすようにして姿を現した。
半開きになった口の中には鉤爪のような牙が打ち損ねた釘のように乱れて並び、その一本一本に電流が絡みつく。そして顎の上には朱色にほとばしった禍々しき眼球が二つ。その凶悪な有り様を覆い隠すように、頭部には灼熱が凝縮された紅蓮色の鎧が被せられている。
少年は驚愕したものの、疑問を感じもした。さっきの相棒の記憶を思い出したが、あんな鎧はなかったはずだ。もしこいつが村人のゾイドを喰らった奴だとすれば、少年の相棒とは少し色合いが違うものの確かに赤く、あらぬ疑いをかけられたのも納得できる。それではこの「顎」には誰かの手が加えられているのか?
(いや待て、そんなことより……)
首を横に振って気持ちを切り替える。……少なくとも「顎」の大きさは深紅の竜の頭部の倍以上はある。でかい。だが今は「顎」だけしか地上に姿を表してはいない。
全方位スクリーン上の「顎」に対して、盛んに表示される矢印。今がチャンスだと、相棒は訴えている。……少年も、気持ちは同じだ。
「ビークルを放って」
全方位スクリーン右側にウインドウが開き、女教師もまた先攻を促す。深紅の竜にビークルを脇に放らせて良いから突っ込めと言っているのだ。
そうこうしている間にも、「顎」は残る胴体を地中から引き上げようとしている。
若き主人は意を決した。気合とともに左右のレバーを目一杯開く。
それを合図に深紅の竜は腰を落とし、ぐっと身構える。地響きを押し黙らせる鋭い雄叫び。背中の鶏冠から目一杯蒼い炎が吹き出す。岩盤が爆ぜるほど強く踏み込み、同時にビークルを右方に放り投げ。地表スレスレまで前傾して突っ込んでいく。
放られたビークルは一回転しつつもすぐさま体勢を整えた。コクピット内の女教師は一見メチャクチャな扱いにも何ら動じることなく華麗にレバーを捌きつつ、既に視線はモニターの向こうで繰り広げられる攻防に釘付けだ。
土の飛沫を上げつつ、迫る深紅の竜。右肩から入るか、それとも左か。
ところがその真正面に、荒波のように押し寄せたのは岩と土埃の壁。……いやそれ以上に、土埃を押し流すこの異様な圧力は一体何なのか。
バランスを崩した深紅の竜。押し返され、後転。両手をついて着地するもそのまま地面に爪を立て、へばりつこうとするが更に数十メートルも真後ろに押し流される。削れる岩盤。弾ける土砂。
当然、竜の胸部コクピット内も後転によって揺さぶられている。懸命にレバーを握り締める少年ながら、今は自分の脳みそがかき混ぜられたよう。唇を噛んで遠退きかけた意識を懸命に戻す。
そのすぐ頭上……と言っても既に百メートルほども上空では、ビークルが体勢を整えるべく懸命にホバリングを敢行していた。機上の女教師に動揺はないが、一気に表情が険しくなった。
「ギル、ギル、聞こえて? 気をつけて。これ、マグネッサーよ」
少年は女教師の無線に刮目した。……我が相棒ブレイカーもマグネッサーシステムを使い滑空できるのだが、あの「顎」も同様にマグネッサーシステムを搭載し、その推進力で相棒を吹き飛ばしたのだ。
一方この勢いは、辺りに立ちこめる土埃を粗方、吹き飛ばした。辺りを包む静寂。そしてパラパラと崩れ流される小石や砂の音だけが聞こえる。
ようやく「顎」だけ姿を現していた者の全身が露わになっていた。……鎌のような爪の生えた二本の足でしっかり大地を踏みしめている。胴体は地面と平行に保つT字バランスの姿勢。驚愕すべきは頭部が胴体と同じくらい大きいということ。一方で両腕はひどく小さく、飾りのようにぶらりとぶら下げているが、こちらも鎌のような爪がちらつき十分な脅威を予感させる。
そして尻尾。胴体と同じ程度の長さではあるが、人の肋骨にも似た形状の突起が鋸刃(のこぎりば)のように無数に伸びている。これらの一つ一つがいびつな意匠を無理矢理まとめんと紅蓮色の鎧が覆い被せられており、それでようやくギリギリのバランスが確保され、こいつは「竜」だと……金属生命体ゾイドの一種だと、どうにか認識できそうではある。
さて「顎」は……いや紅蓮色の鎧をまとった竜は、じりじりと腰を上げ、中腰になった。その背中では、魚のエラのようなひだが、呼吸するように動いている。吠え立てもせず仁王立ちするさまは誠に余裕綽々。
しかしながら迎え撃つ深紅の竜に対しては、一歩も怯む様子がない。ゆっくり巨体を起こし、重心を落として身構える間も視線を外すのを決して止めない。
そんな深紅の竜を嘲笑うように、紅蓮の竜の周囲で土の飛沫が舞い上がる。逆立ったエラ。鋸刃(のこぎりば)のごとき尻尾に放電が絡みつく。
紅蓮の竜は巨大な足を地面に叩きつけた。たった一歩、左足を踏み込んだだけだ。
それだけで、紅蓮の竜の巨体は弾丸のように急加速。土の飛沫は土の波間へと変貌を遂げ、その中を巨体が滑り込み。
教会の鐘が砕かれたかのような音とともに、突き抜けていく。その頭上には、地を蹴る余裕も与えられず吹き飛ばされ、空高く跳ね上げられた深紅の竜の姿があった。