天地がねじれるように逆転した。
ゾイド同士の戦いは、人ならば即死につながる常識外れのスケールで展開される。例えばゾイドが足を挫き、膝をつくだけでその胴体は数メートルも落下しているのだ。ゾイド自身にとっては大したことではないのだろうが、パイロットに係る負担は計り知れない。
ましてや先程堂々たる姿を現した紅蓮の竜に、跳ね上げられるように突き飛ばされた我らが魔装竜ジェノブレイカーの状態は如何ばかりか。……20〜30メートルほども空高く飛ばされ、その間に巨体が仰向けになった。まさしく海老反りの状態。ここまで5秒にも満たない。
この深紅の竜が胸に抱えるコクピット内で、ギルガメスがもろに食らった体感。それは一瞬の、暗転。脳をめぐる血液が絶たれたかのような、錯覚。外部からの衝撃を劇的に減らしパイロットの感覚をもコントロールして平常な精神を保とうとするこのコクピットの機能が、間に合っていないのだ。少年は、失神に近い状態に陥った。
だがこの少年も、この若さながら幾度も死地に足を踏み入れた身である。
(吹き飛ばされた! 意識が飛んでる!)
そう五体が理解した時点で両肩を怒らせレバーを引き絞る。額に浮かぶ青白い刻印がまばゆく明滅。
雄叫びを上げる少年。怒る両肩。踏ん張る両足。一瞬の失神により堰き止められていた五感からの情報が一斉に脳に送り込まれ、それが突きつける現在の非勢は、却って彼の心の奥底に眠るマグマのような闘志を噴出させた。
応えるように、相棒たる深紅の竜も吠える。……標的は、すぐ真下。海老反りの巨体を空中で捻り上げ、後方宙返りの要領で虚空を蹴り込み姿勢を整え、腹這いで着地。岩盤が放射状に弾ける中、深紅の竜はホバリングで反時計回りに背後を振り向く。
弾丸列車のように駆け抜けた強敵・紅蓮の竜は、そのすぐ先だ。……刮目する少年。既に、既に紅蓮の竜は旋回を終えてゆらりと左足を振り上げているではないか。
幽鬼の如き紅蓮の竜を、不意に頭上から雨あられの銃撃が襲う。女教師エステルが駆るビークルが、紅蓮の竜の背中目掛けて∨字の急降下を仕掛けたのだ。流石に怯んだ紅蓮の竜。振り上げた左足をすぐに降ろして踏ん張る。
弾幕の爆煙に包まれる紅蓮の竜の背中。そのすぐ上を駆け抜けるビークル。一見危険な接近は、より多くの映像を撮影して後の戦闘に役立てるため。分厚い装甲に覆われたコクピットの中で、女教師エステルはモニターを睨む。
その最中、起きた異変は爆煙の中から生み出された。……閃光が幾重にも駆け巡る。エステルの切れ長の瞳が見開かれたのと、閃光の正体がうごめいたのは同時だ。
蛇腹状に寄り合わさった閃光は、急上昇するビークルのすぐ後ろをはたくように襲いかかる。風圧だけでぐらり、揺さぶられるビークル。美貌の女教師は眉間にシワを寄せつつ振動に耐え、閃光に捕まることなくビークルは駆け抜けた。
深紅の竜が巨体を低く身構える中、その頭上にまで引き揚げてきたビークルはすぐに旋回、風に流されるように浮遊しながら体勢を整える。……竜はちらり視線をビークルに投げかけると、安堵した様子で軽くささやくように鳴いて労った。
爆煙が風に流される様子を全方位スクリーン越しに睨み付けていたギルガメス。既に右方では、一連の攻防から獲得した映像情報を示すウインドウが幾つも並べられている。……例えばコクピットらしき存在は背中、首の付け根にある。ルビーのようなキャノピーは複座式ではないかと思わせるほど大きい上に、外側から七色の明滅が確認できる。コクピット内に誰かが乗り込み、操作している可能性が高い。また、全身の胡散臭そうなところに隠し武器のたぐいが仕込まれていないことも確認できた(※例えば腹部、尻尾の先端などに飛び道具を隠し、ぶつかり合った時に不意打ちを狙われることもある)。そして今まさに明らかになった謎の閃光。少年がそのウインドウに視線を移したその時。
「ギル、ごめん。余計なことをしたみたい」
スクリーンの左方に開かれたウインドウは唇を噛む女教師の姿が映し出した。蛇腹状の閃光を発動させたのを彼女は悔いていた。
「いや、そんなこと……」
慌てて少年は首を横に振る。根拠はある。……あれが相棒・深紅の竜が誤解された「羽根」の正体ではないかと咄嗟に理解できたからだ。
果たして閃光の正体は、関節の切れ目だった。爆煙が完全に流されて露わになったそれは幾重にも連なっており、巨大な一枚の板を構築している。そういう代物が、この紅蓮の竜の両肩に、一枚ずつ。その表面はまるでおろし金のようだ。
その、おろし金のような翼が波間に漂う海藻のようにふわり、ふわりと揺らめき始めた。左右に目一杯広げたり、反対に体を覆うように収めたりを繰り返す。その間にも関節から漏れ出る閃光の軌跡は鮮やかで、翼の揺らめきと相まって艶めかしささえ感じる。
それと共に紅蓮の竜が踏みしめる大地は禁忌の魔法陣を書き込んだかのように砂塵が巻き上がった。尻尾の鋸刃(のこぎりば)に絡みつく電流の蛇。……少年も相棒も、女教師も確信した。
(マグネッサーの推進力に巨体を載せて、踏み込んでくる!)
少年は左方に開かれるウインドウに一瞥。その向こうに映る女教師も無言の頷きで同意の合図を返した。躊躇う要素はどこにもない。
「ブレイカー、行くよ!」
応えて吠えた深紅の竜。強烈な左足の踏み込み。垂直に跳ね上がる土砂。それを横薙ぎで払うかのように、右の桜花の翼が水平に広がり、翼の裏側から二本の剣が展開。一本の大剣と化す。
この間にも、銃器に挟まれたビークルは浮遊したまま時計回りに向きを変え、方向を見定めると金切り声のようなエンジン音を立てて発進。このあとすぐに起きる両雄の外周を旋回、好機を伺うのがその狙い。
一方、左足の踏み込みは紅蓮の竜も同じだ。放電をまとった巨大な爪先が鋭い放物線を描き、落下と共に砂塵の荒波を解き放つ。そして左肩から伸びるおろし金の翼も宿敵の大剣に対抗すべく、水平に目一杯の広がり。……先端には鋭い牙のような爪が二本、その脇には親指のように太く広い爪が伸びている。
ほこりまみれの戦場を切り裂くように、澄んだ衝撃音がこだました。
振動は全方位スクリーンに囲まれたコクピット内にも伝わり、釣り鐘の中に閉じ込められたかのように空気が震えている。
少年は正拳突きのようにレバーを強く押し込んだ己が右手をちらりと見遣る。……鋭い、痺れ。相棒とシンクロするがゆえに生じたこの感覚の意味を既に彼は悟り、真正面に向き直す。
全方位スクリーンは、二本の牙のような爪がガッチリと大剣の切っ先を鷲掴みしている状況を映し出していた。
る深紅の竜は、五体を、大剣を抜き放つ桜花の翼を震わせながら懸命に体を揺さぶり、この拘束を振り払おうと試みる。しかし爪の持ち主たる紅蓮の竜は余裕綽々。おろし金の翼は軋む様子すら伺えない。
そして、二匹の竜の頭部は真っ向正面で睨み合い。
紅蓮の竜は朱色の眼球をじろりと傾ける。
それが強敵が繰り出す第二波の予兆に違いないと、深紅の竜も主人の少年もすぐに悟った。左の桜花の翼が水平に傾き、バネ仕掛けのように二本の剣が繰り出されてすぐさま二本目の大剣と化す。
再び、澄んだ衝撃音。
果たして左の大剣の切っ先もガッチリと、牙のような爪に掴まれている。紅蓮の竜が放つおろし金の翼の一撃は正確かつ、これっぽっちも力負けしていない。
このまま左右・目一杯に翼を広げ、両雄が互いの翼の先端を掴んだその姿は、文字通りの「手四つ」。こう組み合ってしまえば力比べによってしか振りほどくことはできまい。
両腕に痺れを覚える少年だが、怯む様子はない。叫び、レバーを握る両腕を押し込み、引きつけ、肩を怒らせ。必至の揺さぶりを試みる。
応える深紅の竜。全身に埋め込まれた突起が切り裂くような唸りを上げて高速回転。到るところから火花が吹きこぼれる。背中の鶏冠を目一杯広げ、蒼い炎を噴出。一歩、また一歩、強く地面を蹴り込み、そのたび土砂の柱が天を衝くほど伸びる。
対抗する紅蓮の竜は巨体も、おろし金の翼も微動だにしない。やはりその全身にも埋め込まれたゾイド特有の突起は回転しなければ火花も飛ばさない。だがそのうちに朱色の眼球をギロリ、目前の宿敵に向けると、おもむろにその巨大な顎が軽く開いた。
深紅の竜も、その若き主人も強敵の僅かな仕草が意味するところを悟った。……理解してしまった。
(笑ってる……!)
次の瞬間、紅蓮の竜の足元に亀裂が走った。岩盤が砕け、弾け、垂直に飛散する。
それだけで、深紅の竜が広げた両翼は軽く捻り上げられる。
両肩を怒らせ、胸部コクピット内の少年は踏ん張る。深紅の竜もすぐに応え、押し返す。多少の力負けなど、過去の戦いで何度も経験している。素早く巧みなレバーさばきで相棒の全身に微調整を施しつつ、強敵の弱点を探る。
(……下顎!)
今や両雄の鼻先は触れるほどまで接近している。互いを睨み付け動きを伺う余り、頭突きのたぐいで殴り合うには至っていない。但し、相手の顔のほうが圧倒的にでかいのだ。大きな的を狙わぬ理由はない。
少年はアッパーカットを放つようにレバーを押し出す。
その動きを文字通りトレスして、深紅の竜は右腕を突き上げる。大きく掌を広げ、掴んでしまえばあとは握力でどうにかなる。
それは紅蓮の竜も察知していた。今までぶら下がるだけのように動きのない小さな腕が、鞭のようにしなる。
澄んだ音を伴いながら、深紅の竜の掌は弾かれた。
……通常ならそれで次の攻防に移るはずだった。再び右手か、左手か、それとも両翼で踏ん張るか。何分の何ミリ秒単位で弾き出す様々な思惑が、鋭い痛みと共に吹っ飛んでしまった。
(肘!? あのときの奴かよ!)
この死闘の直前に、少年主従は黒覆面の男グラベルと奴が駆る漆黒の翼刀竜との「1PM」を受ける羽目になったのは御覧の通り。その時のダメージだ。もともと深紅の竜が負ったものではあるが、オーガノイドシステムによるシンクロの副作用はパイロットである少年ギルガメスの身体にもダメージを再現する。そのまま間を置かぬまま戦闘に入ってしまったのを、結果として突かれてしまった。
魔装竜ジェノブレイカーの名を持つ稀代のゾイドにとってはただ腕を払われただけでも、シンクロするパイロットにとっては腕を捻り上げられたような痛みを感じたはずだ。
唇を噛んで少年は痛みを堪える。だがその瞬間生んだ僅かな力の緩みが大きな隙を作った。
右足を強く踏み込む紅蓮の竜。それと共に二枚のおろし金の翼に圧倒的な体重がかかる。
水平の状態だった深紅の竜の両翼が、グイとめくるように捻られる。
仰け反り、悲鳴を上げた少年。次の激痛は、背中。両翼の付け根に襲いかかる圧力が、彼の小さな身体に再現されている。
それでも少年の心はまだまだ折れはしない。すぐさま両足を踏ん張り、背中に力を入れてレバーを目一杯押し返す。
腰を落とす深紅の竜。六本の鶏冠を可能な限り逆立て、天を衝くように蒼い炎を噴出させる。
深紅の竜が見せる必死の防戦を、紅蓮の竜は文字通り「嘲笑った」。……徐々に、徐々に開かれる巨大な顎。背中を覆うエラのような装甲が波打つ。引き寄せられる光の粒を少年主従は強敵の肩越しに垣間見た。
(荷電粒子砲! どうしよう、どうすればいいんだ!?)
紅蓮の竜が見せる不気味な笑顔は最高潮に達するはずであった。
それを打ち破り、振りほどく銃声・砲声が十数秒ほども鳴り響いた。標的は紅蓮の竜の、今は完全に無防備な背後。ものの二、三秒もすればこの強敵も身体を仰け反り、大剣の切っ先を掴んだ牙のような爪を緩めざるを得ない。
その間に地を蹴る深紅の竜。真後ろに一歩、また一歩、跳躍するように下がり間合いを取り直す。
胸部コクピット内の少年は汗びっしょりだ。浮かべる表情は疲労と苦悶。円らな瞳と額に浮かぶ刻印の輝きは弱まっているが、それでもスクリーン越しに強敵を睨み付けるのだけは決してやめない。何故なら今、こうやって援護してくれる者がいるからだ。
「エステル、先生……」
全方位スクリーン右方のウインドウに映し出された美貌の女教師は済まなさそうに右手を上げた。
「ギル、ごめんね……いや、話しはあとにしましょう」
紅蓮の竜は左右をキョロキョロと振り向き、二つの眼球をカメレオンのように回転させる。やがて気配を察知したか、おろし金の翼を今一度目一杯広げながらその真後ろに浮遊するビークルを睨み付けた。……すぐさまぐっと腰を落としたのは次に地を蹴り、一気に間合いを詰めてはたき落とすためだ。
美貌の女教師は、そこまでお見通しとばかりに鼻で笑った。
「デスレックス! 待ちなさい!」
ビークルのマイク越しに放たれた一喝は、二匹の赤い竜を硬直させた。
紅蓮の竜は、まるで母親にいたずらを咎められた子供のように、ビクリと巨体をすくませる。
深紅の竜もそれは大差ない。但し、自分に突きつけられた一喝でないだけ余裕はあった。大剣の切っ先が分かれてハサミのような二本の剣に戻る。それらを畳みながらちらりと首を傾け、背を向けた強敵のその先に浮かぶビークルの様子をじっと窺う。……その気持ちはパイロットである少年ギルガメスにとっても同じだ。どうにか息を整え、汗を拭い、耳を澄ませて。待つは次のチャンスだが、一方で別の疑問が脳裏に肥大する。
(今、先生、あいつの名前を呼んだの……?)
様々な感情がないまぜとなった表情を浮かべる少年主従をよそに、空中を浮遊するビークルのハッチが開いた。
中から現れた男装の美女は、物干し竿のように長い対ゾイドライフルを構えながら、毅然とした態度で起立する。
「単に私を殺したいのか、ジェノブレイカーを殺したいのか。
それとも私の乗ったジェノブレイカーを殺したいのか。
はっきりしなさい、デスレックス!」
のたうつ大気が女教師の短髪を、背広をなびかせる。しかし彼女は気にする素振りも見せない。
反対に、一喝を喰らった紅蓮の竜は全身をすくませる。動揺が、巨体を駆け巡っているようだ。
その様子を遠く離れてまじまじと見つめる深紅の竜。……見つめるより他ない。こうなってしまっては両者に近付けるわけがない。カリスマが、暴虐をねじ伏せるのか。それとも。