「分かりました」
ビルへの扉へ歩きだした裕介の背中に、加奈子の声が当たる。
「出来るだけ早く戻ってきてねーー」
「ああ、分かってる」
扉を抜け、ビルに入った裕介は、後手で扉を閉めた。
もともとは、白に塗られていたコンクリート壁を眺めていると、生まれ育ったマンションの記憶が甦ってくる気がした。勿論、あの九州地方感染事件から失ってきた多くの人々のこともだ。いまとなっては、どんな声をしていたのか忘れてしまっているが、交わした言葉は刻んでいる。
「俺達はまだ、人として生きてる。そうですよね、真一さん」
自信がない訳ではない。だが、時折、ちゃんとした人間でいられているのか、分からなくなることがある。
裕介は、自分に言い聞かせるように呟くと、一階のエントランスへの階段に足をついた。
※※※ ※※※
裕介達がいる街は、六階建てのビルになっており、広々とした一階エントランスホールが住民の生活空間になっており、中央奥に設けられたエレベーターから六階へ行くことができる。
比較的、近代に建てられた為、ソーラーパネルの恩恵もあり、照明には事欠かないが、問題は山積みになっていた。
その一つである原因を担う無精髭を生やした男が、裕介を認めると同時に立ちあがり、ズカズカとした足取りで声をあげた。
「おーーおーー、物資調達のエキスパート様が帰還されたみたいだな。で、どうなんだ?今回の成果を聞かせて、みんなの士気を高めてやってくれや」
「今回の調達で、拠点にしていた場所の物はほとんど無くなった。医薬品や服はあるけど、食料は約一週間分ってところだよ、伊藤さん」
伊藤孝次は、両腕を広げて、盛大に鼻を鳴らす。
「はぁ?服はいらないだろ、服は。ソイツを調達するくらいなら、食い物持ってこいよ、飢え死にさせるつもりか?」
「そういう訳にはいかない。ここには、女性だっている。男は、多少、汚れたって構わないかもしれないけど、そうもいかないだろ」
エントランスホールの角で洗濯籠を使って、手洗いをする女性達を一瞥する。慣れない洗濯板で付着した血を擦って落とす為、数回の作業で破れてしまっているようだ。
「それに、世の中がこうなってしまったとしても、俺達はまだ生きた人間なんだ。だから……」
「出た出た、俺達は人間なんだーーって一言な。あのよぉ、そんな人間とは斯くあるべき、みたいな哲学に用はないんだよ。俺達が気にしてんのは、明日、生きていられるかだ。そんな糞の役にも立たない奇麗事なんかじゃないんだってーーの」